恩人である沖田宏の身体を闇人から解放し、学校内と周辺にいる闇人・闇霊を殲滅した永井頼人は、海沿いに広がる荒れ地から四鳴山の頂を呆然と見つめていた。山頂にそびえ建っていた巨大な鉄塔が崩れ落ちている。少し前、ここからかなり離れた森の中で大きな爆発があり、それが連鎖するように山頂へ向かっていって、鉄塔を崩壊させたのだ。
「――あいつ、大丈夫か」
永井はつぶやくように言った。あの鉄塔には、永井と一時的に行動を共にした雑誌編集者の一樹守がいる。鉄塔の先端に到達すれば可能性が収束するだの訳の判らないことを言っていたが、要するに、あの鉄塔をのぼれば元の世界へ戻れるらしいのだ。無事に帰ることができただろうか? あの鉄塔は高さが二百メートルもある。その上複数の建物や巨大な樹木と融合して迷路のような構造になっており、多くの闇人共に占拠されていた。一樹が鉄塔を上りはじめてから五時間近く経つが、先端に到達できたかどうかは微妙だ。もし崩壊に巻き込まれていたら無事で済むとは思えないが、奇跡的に助かっている可能性もある。永井自身、あの鉄塔の中層付近から落下したものの無事だったのだ。ともかく、自衛官として今すぐ救出に向かわなければ。永井は山頂へ向かおうとしたのだが。
不意に、周囲が黒い煙で包まれた。
光が閉ざされ、周囲が闇に包まれる。ライトを向けても、黒煙に阻まれてわずかに照らすことしかできない。
そして。
「……あんなに苦しんでいたのが、嘘みたいだよ」
黒煙の向こうから声が聞こえた。どこから聞こえたのかは判らない。正面から聞こえたようにも思えるし、背後から聞こえたようにも思う。永井は小銃を構え、周囲を探る。
「悪い夢は、早く醒めないとな」
また聞こえた。やはり聞こえてくる方向は判らないが、その声は近づいてきているように思う。そして、聞き覚えのある声でもあった。この声は、まさか。
「楽しくなってきたよ」
すぐ背後で囁かれた。永井が振り返ると、黒煙のわずかな隙間に、かつて永井が恐れ、同時に忌々しく思っていた上官の顔があった。地を這うかのごとくすれすれにある巨大な顔と、顔の上に上半身があるという異様な姿――巨体闇人だ。
巨体闇人は挑発するかのような笑みを浮かべると、すぐにまた黒煙の中に姿を消した。
「……三沢っ!!」
永井は、かつての上官が消えた煙に向かって叫んだ。小銃を構え、引き金を引こうとする。
だがその前に、黒煙の中から重い銃声が連続して響いた。目の前の土の地面が次々と弾け飛ぶ。それが、永井の方へ近づいて来る。とっさに横へ跳び、永井は銃弾の雨をかわした。地面を転がった勢いを殺さずすぐに立ち上がると、そのまま走る。黒煙の中から抜け出し、視界が開けた。永井は荒れ地に放置された木箱の陰に身を隠した。だが、再び重い銃声がすると、木箱は端から木端微塵に吹き飛んでいく。
――くそっ!
永井は舌打ちをしてまた駆け出す。海沿いに広がるこの荒れ地には多数の破棄物が放置されているが、木箱やドラム缶程度では三沢の銃弾を防ぐことはできそうにない。永井は荒れ地の隅に打ち捨てられた貨物用コンテナの陰に身を隠した。銃弾がコンテナに当たるが、さすがに分厚い金属製のコンテナを貫くことはできなかった。
「隠れたって意味ねぇぞ」
三沢の声が聞こえた。幻視で確認すると、三沢は銃口をコンテナに向けたまま、ゆっくりと回り込もうとしている。その手に持つ銃を見て、永井はまた舌打ちをした。それは、5.56mm機関銃MINIMIだった。永井が持つ小銃と同じ大きさの弾を使用し、機関銃でありながら狙撃も可能。その上、弾の装填数は最大二百発と桁違いに多い。それを巨体闇人と化した三沢が持っている。元々三沢の射撃の腕は自衛隊でもトップクラスだ。その上巨体闇人と化したことで腕力が増し、銃身を固定せずとも弾道のブレを最小限に抑えることができるはずだ。驚異以外の何ものでもない。
――くそ。落ち着けよ、自分。
恐れていては勝てるものも勝てなくなってしまう。状況を冷静に分析すれば、勝機はあるかもしれない。永井は幻視をやめて考える。銃の性能も腕前も相手の方が上。正面からぶつかるのは危険だ。そもそも巨体闇人に正面からの銃撃は効かない。勝機を見出すならば背後からの狙撃しかないだろう。永井は三沢に見つからないよう静かに移動する。コンテナの陰からドラム缶の陰へ移動し、さらに荒れ地の中央にある大破した漁船の陰へ移動した。再び幻視をすると、三沢はさっき永井が隠れていたコンテナの裏に回り込んだところだった。幻視をやめ、漁船の陰から顔を出して確認する。相手はその巨体が災いし、コンテナの向こう側に回り込んでも上半身が見えている。今がチャンスだ。永井は漁船の陰から跳び出して小銃を構えた。照準を三沢の背中に合わせる。だが、引き金を引くと同時に、三沢がこちらを向いた。永井が放った銃弾は、巨体闇人の装甲に跳ね返される。逆に三沢が撃ち返してきた。永井はすぐに漁船の陰に身を隠し、なんとか銃弾をかわした。
「うん、やるじゃない」
再び三沢が迫って来る。永井はもう一度障害物の陰に隠れながら移動し、今度は灯台へ続く石階段の陰に隠れた。再び幻視で確認し、三沢が背を向けたタイミングで陰から飛び出し、小銃を構えた。三沢がこちらを向いた。永井は、今度は引き金を引かず、代わりにライトの光を向けた。これで三沢の目をくらませ、その隙にまた背後へ回り込んで撃つ作戦だ。
しかし、ライトを向けると同時に、三沢の身体から黒煙が吹き出した。
「――なに!?」
光は黒煙に遮られる。続いて機関銃の銃声が響いた。すぐに身を隠し、なんとか弾をかわす。
「楽しくなってきたよ!」
黒煙の中から出てきた三沢が笑い声をあげた。人間だった頃の三沢は終始仏頂面で、笑ったところなど見たことがない。初めて聞く三沢の笑い声は、永井を苛立たせる。
「集中だ、集中しろ」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、再び身を隠しながら移動する。そして背後に回り込んで銃撃するも、やはり感づかれて銃弾は弾かれ、反撃されてしまう。
「諦めが肝心だよ、何事もね。お前もいらない殻を脱げ。一緒に行こうぜ」
三沢は挑発しながら近づいて来る。永井は漁船の陰に身を隠し、どうすべきかを考えた。背後から狙撃しようとしても撃つ前に気づかれてしまう。光を向けても黒煙で防がれる。これまで永井が闇人相手に使ってきた戦法は、三沢には通じない。戦い方を変えるべきだろうか。だが、他にどんな方法があるだろう? 永井の知恵ではすぐには思い浮かばないし、どの道付け焼刃の戦法など通じないだろう。それに、背後から撃つという戦法は間違っていないはずだ。撃つ前に気付かれるのは、三沢の勘が鋭いからだ。気付かれないようにするためには、何かでヤツの気を引けばいい。何かないだろうか。周囲を見回す。荒れ地内には、漁船やコンテナの他に、プレハブ小屋や、タンカーで運ぶような巨大な廃タンクもある。漁船はイカ釣り用のものらしく、いくつもの水銀灯が吊るされていた。発電機が無事ならば、起動して明かりを点けることができるかもしれない。あるいは、プレハブ小屋に誘いこんでみるか……いや、ダメだ。その程度の陽動は通じないだろう。何かもっと別のもので気を引かなくてはならない。何か、三沢の気を引くもの……。
――――。
永井は、昼過ぎに矢倉市子と一緒に社宅の部屋に隠れた際、押し入れの前で三沢のパスケースを拾ったことを思い出した。あの中に、手紙が一通挟み込まれていたはずだ。
永井は拾った手紙を取り出した。差出人は三隅郡羽生蛇村の四方田春海。字のつたなさから子供と思われる。
そう言えば。
以前、沖田から聞いたことがある。永井が隊に配属される少し前、とある山間の村を襲った土砂災害の救助活動に派遣された三沢と沖田は、そこで、一人の少女を救出したそうだ。その救出は極めて困難な状況で行われたもので、後に奇跡の救出劇と称賛されたらしい。もしかしたら、この手紙はそのとき救助した少女のものかもしれない。
手紙は未開封で、読まれた形跡は無い。消印は最近のものだから、受け取ったものの、読む暇がなかったのかもしれない。
永井は手紙を開封すると、中の便箋を広げ、封筒と共にその場に置いた。
そして、また身を隠しながら移動する。プレハブ小屋の陰に隠れ、幻視で様子を伺った。三沢が機関銃を構えながら漁船の裏に回り込む。そして、地面の手紙に気がついた。三沢は息をのみ、無言で手紙を見つめる。そのまま、じっとして動かない。
永井は幻視をやめ、プレハブ小屋の陰から出て三沢の背後へ回り込んだ。三沢はまだ手紙を見つめたままだ。永井が銃を構え、照準を合わせても、気付いた様子はない。
永井は、引き金を引いた。
放たれた銃弾は、無防備な三沢の背中を貫いた。
三沢の全身から力が抜け、手から機関銃が落ちた。しばらくその場に立ち尽くした後、振り返り、下腹部の巨大な顔を永井に向けた。
「…………」
そのまま、三沢はゆっくりと倒れた。
「……なんも言わねぇのかよ」
永井は銃口を下ろすと、大きく息を吐き、倒れ込むようにその場に横になった。周辺の闇霊はすでに殲滅してある。三沢が復活することはないだろう。これで終わりだ――そう思った。
だが――。
永井の思うようには、ならなかった。