SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

9 / 94
第九話 『幻視』 一樹守 夜見島/瓜生ヶ森 0:01:08

 一樹守は、闇の中にいた。

 

 

 

 闇以外、なにも存在しなかった。見えないわけではない。仮に明かりがあったとしても、なにも照らし出すことはできないだろう。本当に何も無い世界――光さえ存在できない、闇だけの世界だ。

 

 声が聞こえる。

 

 女の声だった。泣いている。悲しげな声だ。助けを求めている。自分が助けなければいけないと思った。だが、存在するのは闇ばかりだ。泣き声の主はいない。どこを見ても、どこに向かっても、闇しか存在しなかった。助けを求めて泣く声に応えることができない。それでも泣き声は聞こえる。助けを求めている。でも助けられない。それが、一樹の心に罪悪感を生む。助けられない自分が悪いように思えてくる。泣き声は続く。やめろ……。耳をふさいでも無駄だった。泣き声はさらに大きくなり、罪悪感が一樹の心を蝕む。やめろ……俺には助けられない……。泣き声はさらに大きくなる。これ以上この泣き声を聞いていたら、心がもたない。心まで闇の中に消えてしまいそうだった。もうやめてくれ!! 泣き声を打ち消すほどの声で叫んだ。

 

 泣き声が、止んだ。

 

 そして――。

 

 

 

「守だけはあたしの味方だと思ってたのに……違ったんだね……」

 

 

 

 その瞬間、闇の世界が、崩れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 百合の膝に頭を乗せた状態で、一樹守は意識を取り戻した。心配そうに顔を覗き込んでいた百合は、安堵の表情になり、優しく頭を撫でてくれた。一瞬考え、何があったのかを思い出した。そうだ。自衛官らしき格好の男たちに出会って、島を飲み込むほどの赤い津波に襲われたのだ。

 

 身体を起こし、周囲を見回した。雨は降り続いているため地面はぬかるんでいるが、それだけだった。津波で木々が倒れたり、瓦礫が流れてきた様子は無い。ただ、あの自衛官二人の姿は無かった。

 

「……あいつらは?」

 

 訊いてみたが、百合は無言で首を振った。

 

 いったい何が起こったのだろう? 津波に襲われたと思ったが、周囲にその形跡は無い。あれは現実だったのか、幻だったのか……判らない。この島に上陸してから理解できないことばかりだ。オカルト雑誌の編集者としては心躍る状況、などとは、到底言えない。一刻も早く、この得体の知れない島から離れたかった。だが、どうすればいい? あの二人組の自衛官はどこかへ行ってしまった。そもそも本当に自衛官かどうかも怪しかったが、とりあえず彼らを探すしかないだろう。一樹は立ち上がった。

 

 その瞬間、激しい頭痛が一樹を襲った。鉈で頭を割られ、手を突っ込まれて脳をかき混ぜられているかのような痛みだ。目を閉じ、両手で頭を押さえ、痛みに耐える。すると、目を閉じているにもかかわらず何か見えた。雨が降る山道の映像だ。映像は激しく揺れ、息がはずむような声も聞こえる。走りながらビデオカメラで撮影した映像を見ているかのようだ。しばらくして、二人組の男女が映った。一人は百合で、もう一人は一樹自身だった。映像は二人へ近づいていく。そして、百合に手を伸ばした。

 

「――化物女!!」

 

 女の声で、一樹は目を開けた。さっきまでの頭痛は、嘘のように消えていた。

 

「え……? ちょっと……なに……?」

 

 百合の戸惑う声。どこから現れたのか、大きな花の髪飾りをいくつも着けた着物姿の若い女が、百合に掴み掛っていた。

 

「なんであんたが生きてるのよ! どんな術を使った! お父様をどうした!!」

 

 着物の女は鬼のような形相で百合の髪を掴み、振り回そうとする。悲鳴を上げる百合。

 

「おい! やめろよ!」

 

 一樹は女の肩を掴んで百合から引き離した。勢いで女は尻餅をついて倒れ、頭の髪飾りがひとつ地面に転がり落ちた。

 

 女は怖い目で百合を睨み、立ち上がった。また掴み掛ろうとする。だが、一樹が百合を護るように立つと、ぎりぎりと音が聞こえそうなほどに歯をかみしめた。そして。

 

「ちょっと! 誰か! 誰かいないの!? 化物女はここよ! 誰か来て!!」

 

 人を呼ぶように周囲に向かって叫び始めた。

 

 なんだか判らないが、女の見幕に押され、一樹は百合を連れて逃げ出した。

 

 しばらく走り続ける二人。女は追いかけてこなかったので、立ち止まった。

 

 一樹は息を整えながら、「あの女の人、なに?」と訊いた。

 

 百合は首を振った。「判らない。全然知らない人。頭がおかしいのかも」

 

 そうかもしれない、と、一樹も思った。とにかく尋常じゃない様子だった。もっとも、死体がよみがえったり、赤い津波に襲われるような異常事態なら、おかしくなっても仕方がないかもしれない。しかし、あの女は何者だろう? 自衛官には見えなかった。消えた二人組の自衛官の連れではなさそうだ。あの女もまた、一樹や百合と同じくたまたまこの島を訪れたのだろうか? 上陸が禁止されているとはいえ、不可思議な事件が多発している島だ。興味本位で上陸する者は多いが、それでも、同じ時期にこれほど集中するものだろうか? まるで、何かに導かれているかのようである。

 

「追いかけてくるかもしれないわ。行きましょう」

 

 百合に手を引かれ、一樹は先へ進んだ。

 

 しばらく進むと、森の中に大きな建物が見えた。高さは二階建て程度だが、森の中を這う蛇のように細長く曲がりくねった造りになっている。一樹は地図を取り出し確認する。瓜生ヶ森の中でこのような建物は、四鳴山の南のふもとにある夜見島金鉱採掘所跡だ。昭和三十年代後半、一獲千金を夢見た人が多く集まり、金を掘っていた場所だ。

 

「お母さんは、この山の向こう――遊園地の中に囚われているの」

 

 百合が言った。金鉱の発掘で栄えた時代、鉱員やその家族のための娯楽施設として、島の北東部の碑足という地域に『夜見島遊園』は作られた。恐らくヘリが着陸したのもその近辺だと思われる。ここから向かうには、四鳴山を東回りに迂回するのが近いだろう。そのためには、採掘所の建物を抜ける必要がある。今いるのは南西側の出入口だ。主に、採掘した金を夜見島港へ運び出すために使われていた出入口である。ここから中へ入り、北東側の出入口まで行かなければならない。

 

 一樹は建物の外観を見て、小さな違和感を覚えた。何がおかしいのか……考えて、すぐにそれに気がついた。建物が綺麗なのだ。もちろん、新築同然というわけではない。古い建物には違いないが、この採掘所が閉鎖されたのは、島民消失事件よりもさらに前の昭和四十八年だ。三十年以上放置されていることになるが、どういうわけか建物の損傷はそれほどひどくないように見える。同じ時期に放置された夜見島港は、どの建物もいつ倒壊してもおかしくないような、まさに廃墟というありさまだったが、この採掘所は少し手入れすれば充分使えそうだった。放置されて数年しか経っていないように見える。こんな森の中で三十年以上も放置されて、そのようなことがあるだろうか?

 

「……なにか気になる?」百合が首を傾けた。

 

 一樹は考えを振り払った。今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。倒壊する危険が無いならその方がいい。一樹は「いや、なんでもない」と答え、建物の中に入ろうとした。その後に百合が続く。すると、また、あの脳をかき混ぜられるような激しい頭痛に襲われる。頭を押さえうずくまる一樹。目を閉じると、また映像が見えた。今度は、頭を押さえてうずくまっている若い男の背中だった。男の背格好は、一樹と全く同じだ。

 

「守? 大丈夫?」

 

 百合が一樹の頭に手を当てた。途端に痛みが引いていく。目を開けると、百合は一樹に寄り添うように、すぐ隣にしゃがんでいた。潤んだ瞳で一樹を見つめている。吐息を感じるほどの距離だ。雨に濡れた唇が、朝露を浴びた石榴(ざくろ)の花びらのように艶やかだった。

 

「あ……ああ。大丈夫」一樹は危険な誘惑に逆らうように百合から目を逸らした。「でも、変なんだ。さっきから、頭が痛くなるたびに、おかしな映像が見える」

 

「映像? どんな?」

 

「今は、うずくまっている俺の背中が見えた。あの着物の女が襲ってきたときは、俺と百合ちゃんが見えた。あれはまるで……百合ちゃんやあの女が見ているものが、俺にも見えるような感覚だ」

 

「……そう。見えたのね」

 

 百合は悲しそうな声でつぶやいた。

 

「あ、いや、なんでもない」一樹は百合を心配させないよう、できるだけ明るい声で言い、立ちあがった。「痛みは消えたから、もう大丈夫。さあ、行こう」

 

 一樹は建物の中に入ろうとしたが。

 

「守、あたしを見て」

 

 百合が呼び止めた。

 

「え?」

 

 振り返る一樹。

 

 すぐ目の前に、百合は立った。

 

「――目を閉じて」

 

 吐息のような声で囁く。濡れた唇から目が離せない。

 

「え、いや、でも――」

 

「お願い……今はあたしの言う通りに」

 

 百合は一樹の手を取り、両手で包み込んだ。雨に打たれ続けたせいで、二人の手は氷のように冷たい。しかし、肌が触れ合うと、ほんのりとした温かさを感じる。

 

 一樹は大きく息を飲むと、言われた通り目を閉じた。

 

「そのまま、あたしの方へ意識を送ってみて」

 

「意識を、送る?」

 

「ええ。心を解放し、あたしと共鳴するの」

 

「共鳴……?」

 

「大丈夫。守なら、きっとできるから」

 

 よく判らなかったが、言われた通り、百合がいる方を強く意識してみる。すると、一瞬テレビの砂嵐のような映像の後、目を閉じた一樹自身の姿が見えた。

 

「……これは!?」

 

 一樹は目を閉じたままその映像を見続ける。さっき自分で言った通り、それはまさに百合が見ているものだった。

 

「それは、『幻視』という力。この島に古くから伝わる特殊な能力よ。他人の視界を見ることができるの。いま守が見ているのは、あたしの視界」

 

「そんな……なんでこんな能力が……?」

 

「きっと、()()()()の影響ね」

 

「え?」

 

「ううん、なんでもない。それより、他に気配を感じない? 探ってみて」

 

「探る?」

 

「意識を、他の方向にも送ってみるの。その建物の中とか」

 

 言われた通り、一樹は百合に行ったのと同じ要領で建物の中に意識を飛ばしてみた。

 

 それは、まるでテレビのチャンネルをチューニングしているかのようだった。しばらくはノイズしか見えなかったが、やがてぼんやりと何かが見え始め、そのまま集中して意識を合わせると鮮明な映像になった。今度は、建物内を歩いている映像である。地面は土がむき出しで、線路のようなものが敷かれてある。視点の主は飢えた獣のように息が荒い。なにやらかなり興奮しているようだ。さらには「くわあぁらちゅをうわんのとぅるむれぬうぅるんあるくらわええええんゆるくわくろるあ」と、呂律の回らない口調で意味不明なことを言っている。その右手には大きな鶴嘴が握られていた。

 

「これはまさか……屍人!?」

 

「ええ。他にもいると思う。探してみて」

 

 一樹は他の場所にも意識を飛ばしてみる。丸い石を磨いている視点や、ダイヤル式の南京錠を回している視点が見えた。

 

「そんな……なぜこんなに?」

 

 目を開ける一樹。屍人は、海から来る屍霊が死体に憑りついたものだと、百合は言っていた。複数の屍人がいるということは、それだけ死体があったということになる。二十九年間無人だったこの島に、なぜそれほどの死体があるのだろう?

 

「ここはもう、さっきまでの夜見島じゃないわ。お母さんがつくった、()()()()の世界よ」

 

 うつしよ……現世(うつしよ)のことだろうか? 神道や仏教などで使われる言葉だ。宗教によって解釈は様々だが、概ね、我々生きている人間が暮らす世界のことを指す。ここが現世というのは当たり前の話だが、お母さんがつくった、とはどういう意味だろう? どうも百合の言うことは要領を得ない。

 

「ここにいると、あの女が追って来るかもしれない。早く行きましょう」

 

 一樹は百合に言われるままに建物の中へ入った。

 

 建物内に明かりは点いていなかった。昭和五十一年の海底ケーブル切断事件以降、この島の電力は断たれたままだから当然だ。だが、どういうわけか、ぼんやりとではあるが室内の様子を見ることができた。そう言えば、あの赤い津波の後からずっとライトを消したままだった。すでに深夜〇時を回っており、雨が降っているため月明りさえない状況にもかかわらず、昼間と同じように行動できた。これも幻視の能力の影響だと、百合が言った。暗闇でもある程度は見えるようになるという。それでも、外と違い室内はかなり見づらかった。一樹はライトを点け周囲を照らした。

 

 そこは採掘所から運ばれてきた金を選鉱するための場所のようだった。むき出しの地面にレールが敷かれ、建物の奥へと続いている。その途中にはいくつかトロッコが放置されていた。倉庫や作業室などいくつかの部屋もあるようだ。

 

「気を付けて。奴らが来る」

 

 百合が警告する。同時に、一樹の心臓が強く鼓動し始めた。一樹はライトを消し、トロッコの陰に隠れた。奥から足を引きずって歩く足音が近づいて来る。そっと顔を出して様子を窺う。グレーの作業着を着た男の屍人だった。屍人は一樹の隠れている方へは来ず、近くの部屋の引き戸の前で立ち止まった。鍵を開け、戸を開ける。だが、部屋の中へは入らず、しばらく中を確認しただけで戸を閉め、鍵を掛け直すと、奥へと戻って行った。と思ったら、またしばらくして部屋の前まで戻ってきて、鍵を開け、部屋の中を確認し、鍵を閉め、奥へと歩いていく。

 

「屍人は、かなり知能が低いの」百合が言った。「意味もなくああいった単純な行動を繰り返すことが多いわ。もちろん、あたしたちを見つけたら襲い掛かってくるでしょうけど」

 

 しばらく様子を窺っていたが、百合の言う通り屍人は行ったり来たりを繰り返すだけで、その場を離れそうになかった。見つからずに奥へ進むのは難しいだろう。倒すしかない。だが、夜見島港で拾った角材は捨ててしまった。今うろついている屍人は武器を持っていないが、建物のどこかに鶴嘴を持った屍人がいる。他にも武装した奴がいるかもしれない。こちらも何か武器を持たなければ。

 

「とりあえず、あの部屋に入ってみましょう。中に何かあるかもしれないから」百合がそう提案した。「あの屍人を幻視してみて。鍵の開け方が判るはずよ」

 

 言われた通り、屍人を幻視してみる。屍人は足を引きずりながら引き戸の前まで移動する。鍵は、ダイヤル式の南京錠だ。屍人は番号を7356に合わせ、錠前を外した。そして部屋の中を確認すると、錠前をかけ直し、奥へと移動する。今がチャンスだ。一樹は幻視をやめ、足音を立てないようしゃがみ移動で部屋の前まで移動し、南京錠のダイヤルを7356に合わせた。かちゃり、と、錠前が外れる。音を立てないよう引き戸を開け、中に入り、そして静かに戸を閉めた。屍人に気付かれることはなかった。

 

 部屋は鉱員用の休憩室だった。中央に食事をするための机が置かれ、冷蔵庫やコンロ、そして、冬用の石炭ストーブも備え付けてあった。奥には仮眠室もあるようだ。武器になりそうなものを探す一樹。見つかったのは、石炭ストーブをかき混ぜるための金属製の火掻き棒だけだった。武器と呼ぶにはあまりにも頼りないが、なにも持たないよりはましだろう。

 

「あいつが戻って来たわ」

 

 百合に言われ、さっきの屍人を幻視する。部屋の前まで迫っていた。武器は手に入れたものの、なるべく危険は冒したくない。二人は一度仮眠室へ隠れることにした。屍人は部屋の前でじっと引き戸を見る。南京錠が無いことを不審に思うかと思ったが、屍人は引き戸を開け、その場から中を見渡しただけで、また戸を閉め戻って行った。どうやら知能が低いというのは一樹が思っている以上のようだ。恐らく自分で鍵をかけたことを忘れてしまったのだろう。

 

「今がチャンスだ」

 

 一樹は休憩室から出ると、建物の奥へと歩いて行く屍人の背後に静かに近づき、後頭部めがけ、渾身の力で火掻き棒を打ちつけた。一発では倒れなかったので、振り向こうとしている屍人の顔めがけてもう一度打ちつけた。屍人は悲鳴を上げ、その場に倒れた。もう、夜見島港の時のようなためらいは無かった。

 

「やったわね、守」百合が笑顔で言う。「でも、気を付けて。倒したように見えても、それは、屍霊がいったん離れただけ。また屍霊が憑りつけば、よみがえるわ」

 

 そうだった。夜見島港にいた屍人も、いったんは倒したものの、別の屍霊が憑りついたことでよみがえった。もしかしたら屍霊がこの闇にまぎれているかもしれない。一樹はライトを点け、周囲を照らした。思った通り、どこからともなく現れた屍霊が、死体へと近づいて来る。しかし、一樹がライトで照らすと、屍霊は悲鳴のような鳴き声を上げ、溶けるように消滅した。

 

「屍霊にとって、死体は『殻』なの」

 

「『殻』?」

 

 百合の言葉に、一樹は首をひねった。

 

「ええ。屍霊は、光を浴びただけで消滅してしまう。だから、光から身を守るために、人間の死体に入るの。死体に入った屍霊は、光に耐性を持つようになる。そうなったら、もうライトを当てても効果は無いわ」

 

 つまり、屍霊は人間の死体をシェルター代わりにしているというわけだ。屍霊は海から来ると言っていた。それは、普段は光の届かない海の底にいるということなのだろうか?

 

「よみがえるといけないから、一旦ここを離れましょう」

 

 百合に言われ、二人は先へ進んだ。

 

 少し進むともうひとつ部屋があった。近づくと、また一樹の鼓動が激しくなる。幻視で部屋の中の様子を探ると、屍人が何か作業をしているようだった。サッカーボール大の石を磨いている。部屋の戸は開け放たれており、屍人は作業をしながらも時折外の様子を見ている。幸い部屋から出ることはなかった。一樹はそのまま幻視を続け、屍人が出入り口から目を離し作業に入ったタイミングで、静かに部屋の前を通過した。部屋から離れると、心臓の鼓動は小さくなった。島に上陸した時からそうだったが、どうも屍人が近くにいると鼓動が激しくなっているように思う。まるで、警告を促しているようだ。もしかしたら、これも幻視のような特殊能力なのかもしれない。

 

 作業場を抜けると、建物は緩やかに右へとカーブを描いて続いていた。さらに進むと今度は左へカーブしている。ちょうど、アルファベットのSの字を描く形だ。進んだ先はトロッコの車庫になっているようだ。また、それとは別に、正面には地下へと続く階段とインクラインもある。地下には金鉱へと続く坑道があるのだろう。さらに、この一帯は二階建ての構造になっており、階段をのぼって上へ行けるようだった。

 

 一樹は車庫の方向を幻視してみた。いくつかの屍人の気配を感じる。厄介なことに、皆鉄パイプや鶴嘴などを持ち、侵入者を警戒するように、巡回したり周囲を見回したりしている。数が多く、戦って通過するのは難しいだろう。

 

「鉄パイプを持った奴が、こちらに来るわ」

 

 一樹と同じく屍人を幻視していた百合が言った。「後ろの奴もそろそろよみがえるかもしれない。一旦どこかに隠れましょう」

 

 一樹は周囲を見回した。インクラインのそばに小さな部屋があるのを見つけた。幸い鍵はかけられていなかったので、中に入った。

 

「――あれ?」

 

 一樹は部屋の不自然さに気がついた。部屋の明かりが点いているのだ。海底ケーブルの切断で、現在島へ電力は供給されていないはずだ。自家発電装置でもあるのだろうか? もともと金の採掘所なのだからそれくらいの設備はあるだろうが、だとしても、燃料はどこから調達したのだろう?

 

「ごめん、電気消してくれる?」

 

 百合がまぶしそうに顔を手で覆っていた。彼女は光が苦手だったことを思い出し、一樹はスイッチを見つけて明かりを消した。息をひそめ、幻視で外の様子を窺う。幸い鉄パイプを持った屍人は部屋まで来ることはなく、そのまま引き返していった。

 

 一旦危機は去ったが、車庫にいる屍人は数が多く、そのまま進むのはあまりにも危険だった。何か方法を考えなければ。一樹はとりあえず部屋を調べた。そこは、天井にいくつものダクトが通り、機械によって管理されているようだった。地下の坑道へ空気を送り込むための送風機を管理する部屋だろう。天井を通って壁の中へ続いているダクトは、ところどころ外れかかっており、機械も動かなかった。さらに部屋を探索すると、壁の一角が少し剥がれているのを見つけた。部屋は木造で、壁は木の板を打ちつけたものである。壁をはがせば建物の外に出られそうだった。幻視で確認した限り、外に屍人の姿は無い。ここから脱出するのが良いだろう。しかし、剥がれているのはほんのわずかで、穴は小さく、そのままでは通れそうにない。何か工具のようなものでもあれば、穴を広げられるだろう。

 

「地下へ行ってみる?」と、百合が提案する。「元は金鉱だった場所だから、鶴嘴とかあるかもしれないわ」

 

 いい考えだった。一樹は屍人の動きを警戒しつつ、部屋を出てインクラインそばの階段を下りた。

 

 地下は、かつてはいくつもの坑道があったようだが、施設の閉鎖時に全て埋められた為、現在は管理事務所があるだけだった。事務所は鍵がかけられていたが、ドアは上部に窓が付いているタイプだったので、窓を割って内鍵を開け、中に入ることができた。残念ながら鶴嘴は無かったが、バールを見つけることができた。板壁をはがすのなら充分だろう。一樹はバールを手に取ると、事務所を出て送風機管理室へ戻ろうとした。

 

 ――うん?

 

 ふと天井を見る一樹。送風機室から伸びたダクトが各坑道へ続いている。ダクトはところどころ格子状になっているのだが、そのひとつに、何かあるのを見つけた。ライトを点け照らしてみる。それは、大きな花の形をした髪飾りのようだった。見覚えがある。この採掘所跡に来る前、百合に掴み掛ってきた着物の女が着けていたものだ。それが、なぜあんなところに?

 

「――あれ、気になる?」

 

 百合が首を傾けた。

 

 一樹は――。

 

 

 

 

 

 

「……いや、今はあんなものを気にしてる場合じゃないよ。行こう」

 

 一樹は階段を上って再び送風機室へ入ると、バールを使って板を外していった。三枚外すと、充分通れる大きさになった。一樹と百合は壁の穴を潜り、外へ出た。外に屍人の気配はない。うまくいった。これで、碑足方面へ向かうことができるだろう。二人は顔を見合わせ、そして、微笑みあった。

 

 百合が抱きついてきた。

 

「ありがとう守。あたしのために、頑張ってくれて」

 

「いや……そんな、たいしたことはしていないよ……」

 

 戸惑いながら答える一樹。心臓の鼓動が激しくなる。それは、近くに屍人がいるからなのか、百合に抱きつかれたからなのか、もう判らなかった。

 

「あなたとなら、きっとお母さんを救える」

 

 そう言った後、百合は顔を近づけて来た。一樹と頬を合わせるほどの距離。

 

 そして、耳元でささやく。

 

「もうすぐ、あたしたちはひとつになれる。ずっと、ずっと、一緒にいられるの」

 

 息を飲む一樹。心臓が、激しく鼓動する。密着し、触れ合った部分がほんのりと温かい。その彼女の温もりを、全身で感じたい衝動に駆られた。

 

 百合は、フフッと笑って、一樹から離れた。

 

「さあ、行きましょう」

 

 百合に手を引かれ、一樹は遊園地のある碑足方面へと向かって歩く。

 

 二人の姿は、闇の中へ消えた。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。