絶叫と共に、永井頼人は砂の地面に叩きつけられた。
かなりの高さから落下したように思う。柔らかい砂の地面でも、全身の骨が砕けたと錯覚しそうな衝撃だった。幸い、次第に痛みは引いて行ったので、どこも折れてはいないだろう。これがコンクリートやアスファルトだったら、本当に全身の骨が砕けていたかもしれない。落下場所が砂地で幸運だった。
痛みが治まるのを待ち、永井は、ゆっくりと立ち上がった。
まず目に入ったのは、薄闇の中どこまでも広がる赤い海だった。血のような赤だ。異様な光景ではあるが、すでに見慣れた光景でもある。赤い津波にのみ込まれ、どこか別の世界に飛ばされたような気がしていたが、ここは偽りの夜見島――三沢が『異界』と言い、一樹は『写し世』と言った、あの世界なのだろうか。
だが――すぐに、小さな違和感を覚える。
視界の端に、風にたなびく
はっとして、そちらを向く。
数本の柱に屋根を乗せただけの、東屋と呼んでもよさそうな小屋が建っていた。幟は、その軒先に何本も立てられている。そのうちの一本のそばには木箱が置かれてあり、中には海水浴用の浮き輪がたくさん入っていた。小さな海水浴場の海の家といった建物だが、おかしいのはその幟に書かれた模様だった。いくつもの直線、あるいは三角形、四角形を組み合わせた模様が並んでいる。何を伝えたいのかさっぱり判らないデザインだ。浮き輪のそばの幟だけでなく、軒下に立っている全ての幟がその模様で書かれてあるのだ。あるいはそれは、文字のようにも見えた。
永井は幟から小屋の中へ視線を移した。小屋の中にはいくつかのテーブルとイスがあり、そこに、人型の闇人が三人座っていた。永井はとっさに機関拳銃を構える。だが、その闇人にも違和感を覚えた。
これまで永井が遭遇した闇人は、そのほとんどが銃や刃物などで武装していた。中には左官用のこてやぼろぼろの傘など、到底武器とは呼べない物を持っていた闇人や、なにも持っていない闇人も見かけたが、それでも、永井を見つけるとすぐに襲い掛かって来た。常に戦闘できる体勢であったと言える。
だが、そのテーブル席についている闇人には、まるで戦意を感じなかった。それも当然だ。その三人の闇人は、テーブルに焼きそばやラーメンやおにぎりを広げ、それを楽しそうに食べているのだ。海水浴客が海の家で昼飯を食べている――相手が闇人でなければ、そうとしか見えない光景だ。
永井が食事を楽しむ闇人に呆然としていたら、海の方から、陽気に騒ぐ声が聞こえた。振り返って銃を構えると、さっきは気付かなかったが、全身黒装束に包んだまま海で泳ぐ闇人の姿が見えた。それだけでなく、砂浜にネットを張ってビーチバレーを楽しむ闇人や、ジェットスキーに繋がれたバナナボートに乗り歓声を上げる闇人の姿まであった。食事をしている闇人同様、誰も武器を持っておらず、戦意も感じない。ただ海水浴を楽しんでいる、そんな光景。
背後――海の反対側で車のクラクションが鳴った。反射的に銃を向ける。そこには街が広がっていた。今にも崩れ落ちそうなビルや家屋が建ち並ぶ廃墟――ではない。決して新しい街並みではないものの、しっかりとした五階建てのビル、平屋の民家、二階建ての魚屋・八百屋、学校や公園も見えた。田舎の商店街――そんな雰囲気だが、目につく看板、表札、道端の標識などに書かれた文字は、すべて、あの幟と同じ奇妙な模様だった。
街には闇人の姿もある。せわしない足取りでビルに出入りする幾人もの闇人、民家の軒先で
誰ひとり、武器など持っていない。誰一人、戦意など持っていない。あれが闇人でさえなければ、どこにでもあるような夏の田舎町の風景だ。誰もが、夏の暮らしを満喫しているように見えた。迷彩服に身を包み、フェイスペイントを施し、機関拳銃を構えた自分が、ひどく場違いに思えてくる。
魚屋で買い物を終えた女の闇人が、商店街から海沿いの大通りへ出てきて、銃を構えて立ち尽くす永井に気がついた。闇人特有のニヤケ顔が、急速に凍りつく。女の闇人が悲鳴を上げた。その声を聞いた周囲の闇人が、一斉に永井を見る。商店街や学校や公園の闇人、海水浴を楽しんでいた闇人、海の家の闇人――その場の闇人全員が、一斉に悲鳴を上げた。口々に何か喋るが、その言葉は、永井がこれまでに聞いたことのない言語だった。日本語ではないし、英語でもない。中国語でも、ロシア語でも、アラビア語でもない、まさに、未知の言語。
だが、その内の一人の言葉だけが、はっきりと聞き取れた。
「――人類だ!!」
その言葉で。怯え逃げ惑う闇人共の姿で。
永井は、気がついてしまった。
一樹守は言っていた。闇人は、人類が現れる前に世界を支配していた者たちで、光によって奪われた地上世界を奪還するために侵攻しようとしている、と。
ここは、奴らの地上奪還が成功した世界なのだ。
だが、奴らは極端に光に弱い。どんなに黒い布を巻きつけようと、太陽の下で行動できるはずがない。
そう思って空を見上げ、永井は絶望する。
ずっと、薄暗いと思っていた。夜が明ける前か、陽が沈んだ直後か、なんとなく、そう思っていた。
だが、太陽は、ずっと、永井の頭上にあったのだ。
ただ、その光が地上に降り注ぐことがなくなっていたのだ。
永井が見上げた空には、真っ黒な太陽が浮かんでいた。いや、太陽が黒いのではない。何かが太陽を隠している。真っ黒な球体――それも、かなり巨大なものだ。それが空中に浮かび、太陽の光を遮っているのだ。日食のような状態であるが、その黒い球体は、皆既日食よりも完全に太陽を隠していた。真夏の真昼でも、夜に近い暗さ。これならば、闇人共も地上で暮らすことができるかもしれない。いや、現に暮らしているではないか。
永井は、絶叫と共に引き金を引いた。
買い物帰りの闇人が倒れた。夜見島では数発撃ち込まないと倒れなかった闇人が、一発肩を掠めただけで倒れたのだ。東屋で食事をしている闇人を撃った。弾が小さく威力が弱い機関拳銃なのに、三人の闇人は車に撥ね飛ばされたかのように倒れた。ビーチバレーをしていた闇人を撃った。海水浴をしていた闇人も撃った。すぐに弾が切れたので弾倉を取り替え、また商店街に向けて撃った。武器を持っていない闇人も、女の闇人も、子供の闇人も、すべて容赦なく撃った。予備の弾倉が無くなるまで撃ち、銃弾が尽きた後は、ミリタリーナイフを振りかざして襲い掛かった。とにかく、目につく闇人は全て殺していった。
やがて、何台ものパトカーがけたたましいサイレンを鳴らして駆けつけ、永井は、闇人の警官数十人に囲まれた。