顔合わせ当日、MHK放送センター。
車から降りて、建物の前に立つ皐月と清水。
「…ふふ」
皐月は、両手を腰に添え堂々とした立ち姿で建物を見上げていた。
「いつもと景色が違って見えるわね、スミス」
「ここにはよく来てるじゃないですか。さなぎちゃんで」
MHK教育の番組内で皐月が務めていた「さなぎちゃん」は、成長して既に「ちょうちょ」になっている。
「今はさなぎじゃなくてちょうちょって言ってるでしょ!」
さなぎの着ぐるみを脱いだちょうちょは、ワンピースの背中に羽というフェアリー風のコスチュームだ。
「そういうことじゃないのよ。大河の顔合わせのために来るMHKは、いつもとちょっと違うってこと!」
「…なるほど」
「さあ。行くわよ、スミス! 私の
皐月は気合い十分だ。
MHK放送センター施設内の通路。
夜凪と雪は自動販売機の前に立っている環を見つけた。
「あ、環さん」
「やぁ」
軽く言葉を交わす夜凪と環。
雪は、
「先日はすみませんでした。約束もなく勝手なことして」
と社交的な挨拶をする。
「いいよいいよ。水臭いこと言わないでよ」
環が発する柔らかい空気に、バーで言っていた(仲良くしよう。敵同士じゃない)は環の本音だ、と夜凪は思う。
そして、(3人で一人の女優を演じる)と言っていた環の顔をじっと見つめた。
「環さん。私、あの後色々調べたんです。私たちの演じる薬師寺真波さんについて」
「うん」
「生まれた時代、環境、性格、全てが違う私たち3人が1人の人間を演じる。こんなに難しいことってないと思うの」
「そうだね」
環は真面目な話をする空気に表情を合わせ、
「それで?」
と訊き返す。
「私、それで一つ方法を考えたの」
ぱた、ぱた、ぱた、ぱた。
手を振りながら走ってきた皐月は、
「蓮さーん。お久しぶりです! オールスター感謝祭でご一緒して以来ですね!!」
と、元気な声を響かせた。
皐月の登場に、夜凪の話は中断される。
「月9見ました! とても勉強になりました! 蓮さんの子供時代を演じられるなんて光栄です!」
「あっはっは。相変わらずよく出来た子だなぁ」
清水は胸に手を当てて
「先日はお世話になりました」
と雪に挨拶。
雪は背の高い清水を見上げて、
「い、いえ。お世話になったのはこちらの方で…!」
と答えつつ、(この人、マネージャーだったんかい! ボディガードだと思ってたわ!)、と思う。
吐く息にも元気が溢れる皐月は、
「夜凪さんも大河出演おめでとう! 私も鼻が高いわ! しごいてあげた甲斐があったというものよ!」
と腰に手を当て胸を張って、後輩・夜凪に声を掛ける。
夜凪はわざわざしゃがんで、
「うん。ありがとう」
と返事して、(カワイイ…)、と皐月の頭を撫でる。
「景ちゃん」
背後から名前を呼ばれた夜凪は「?」と振り返った。
振り返った夜凪の頬に、ぶすっ、と人差し指が刺さった。
ゆっくり立ち上がる夜凪。
環は、
「バカが見る~」
と嬉しそうにはしゃぎ、(キミもカワイイよ)、と夜凪に笑顔を向ける。
立ち上がってもなお、環の指は食い込んだまま夜凪の頬を押している。
夜凪は、びきっ、と顔に筋を浮かべた。
「私、やっぱりこの人、好きじゃないわ…。黒山さんに似てるとことか…」
…そんなふうに、ぷんぷん、と怒る夜凪に対し、皐月は「…!」と目を見開いた。
「何度言えば分かるの! 目上には可愛がられてなんぼでしょ! 気に入られてるんだったら一々反発するんじゃないの!」
皐月に髪を掴まれて、再び低くしゃがまされた夜凪。
雪は、(すごいな、皐月ちゃん…。本当に8才か?)、と想いながらその様子を眺める。
大きく口を開けて自分に説教する先輩・皐月の顔を、夜凪は、じっ、と見つめた。
じっ、と見つめられた皐月は頬を赤らめながらも、
「…何よ(また私のことカワイイと思ってる?)」
と腕組みして怖い顔を作り、先輩の威厳の維持に努める。
皐月を見つめる夜凪の脳裏によぎっているのは、「たった1話だけの子役なんて興味なかった?」、と環から指摘された時のこと。
夜凪は自分の頬を皐月の頬に、むぎゅっ、と押し当て、皐月の身体をがっちり抱き締める。
「ちゃんと私、皐月ちゃんのことも大切に思ってるのよ。ごめんね」
「な…何よ、急に。気持ち悪いわね」
皐月は夜凪のホールドから逃れようと、顔を逸らして抵抗。
…いきさつを知っている環は、あはは、と笑顔で二人の攻防を見ている。
ホールドから脱出した皐月は、
「まぁ、安心しなさい。センパイとしてあなたと蓮さんの仲は私が取り持ってあげるわ」
と、元気一杯の表情で頼もしい言葉を夜凪に告げる。
通路を歩く新名夏。
その耳に、
「そろそろ向かいましょう。顔合わせに遅刻しますよ」
「そうね! 子役が遅れていくなんてとんでもないわ! 急ぐわよ、夜凪さん!」
という声が届く。
夏の視界に、環、夜凪、皐月、の姿が入る。
(主役を演じる3人だ。挨拶しなきゃ)
夏は歩を進める。
「蓮さんはちょっと遅刻するくらいが丁度良いと思うわ! 主演だから!(ナメられないように!)」
大きな声でそんなことを言っているのは皐月。
(なんてキャラしてるんだ。さなぎちゃん)
夏はびっくりして挨拶をするタイミングを失い、立ち尽くす。
後輩たちを前に、環は自身の考えを述べる。
「あはは。私のプランディングまで気にしてくれてありがとう」
「でも、流石にそれはできないかな」
眼光鋭く、少し怖い笑顔を作る環。
「私なんかが調子に乗れる面子じゃないから」
環の言葉に、
「? どういう意味?」
と夜凪が反応した。
隣の皐月も、中途半端な位置で立ち止まってしまっている夏も、環の言葉の意味が分からない、という表情。
「あそこは鬼の巣だよ」
環は、顔合わせの会場となる会議室のことをそう
そして、
「私なんて可愛いもんだ」
と、言葉を添えた。
MHK放送センター内、会議室。
皐月は一番後列の席に座った。
進行役のMHK編成部の男が口を開いた。
「先日は記者会見お疲れ様でした。今回は第1週1話目のキャストを中心に来て頂いているので全体キャストの一部ではあるのですが、
夜凪と並んで座る皐月は、集まっている人たちを確認する。
1話目だけでこの顔ぶれ…
誰に媚び売りに行けばいいか分からないくらいの面子だわ…
昭和の大御所に
歌舞伎界の異端児に
ベテラン二枚目俳優
元トップアイドルに(←夏のことです)
デタラメな新人…(←夜凪のことです)
天才子役の私が かすんじゃうわ…
皐月は、(はあ)、と溜め息を吐いた。
隣の夜凪は、凹んだ表情になっている皐月の様子を「?」と不思議そうに見た。
次は、脚本の執筆者からの挨拶。
「脚本の
「薬師寺真波と言えば撮影所時代の日本映画界を支えた大女優…。彼女を描く資格が自分にあるのか悩みました」
「しかし真波の祖母、
…ここで薬師寺真美からの言葉が入った。
前から2列目にある長机の真ん中に1人、柔和な笑みを浮かべて座っていた真美は、
「真波は母というより師でした」
という言葉とともに表情を険しくした。
「彼女は私を娘ではなくライバルとして見ていました」
「あの人の恐ろしさも美しさも私が誰より知っています」
「許されるなら私が彼女を演じたいと願った程です」
当然、この言葉は実際に主演として真波を演じる環に刺さる…。
真美は斜め後ろを振り返り、
「私が後30才若かったら」
そこに座る環に視線を向けた。
環は静かな笑みで、
「ありますよね。そういうの」
と返した。
つい先日、環は同様のことを夜凪に対して言っていた。
…男性陣は、
「……。」
「……。」
と、緊迫したやりとりは歓迎出来ない、という空気を漂わせていた。
「怖い怖い。怖いなぁ。苦手だなぁ、こういうの」
30代と思われる男性俳優が、そうぼやいた。
その俳優は夏に顔を向けて、
「帰っていいかな? なっちゃん」
と問いかけた。
唐突な指名に驚いた夏は、
「え? 私? いやダメじゃ」
と、
その返答に被せるように男性俳優は、
「後でサイン下さい」
と、夏の返答内容はどうでもいいという態度。
反射的に、
「あっ。は、はい」
と、応じる夏。
「女ってのはなぁ。いくつになっても怖いよなぁ! 怖いくらいが一番いいんだよなぁ!」
声を上げたのは50代後半くらいの俳優。
「なぁ、入江! お前の母ちゃんも良い女だったよなぁ!」
名指しされた若手の男性俳優は「……。」と無言。
「はっは! 無視かぁ!」
「お前。母ちゃん、そっくりだなぁ」
50代後半くらいの俳優は、こんな感じの騒がしいおっさん。
…夏は、
(どうして芸能界って、空気読める人、少ないんだろ)
と、一連の流れに冷や汗を垂らす。
最後列の皐月は隣の夜凪に、
「ねぇ。あの人たちは記者会見にいたわよね。私たちは呼ばれなかったのに」
コソっ、と小声で話し掛けた。
「? うん。私たちはあくまで主人公の子供時代だから」
むすっ、としながらも気力充実の皐月は、
「そんなこと関係ないわ」
「私を記者会見に呼ばなかったこと後悔させてやる」
と、強気の構え。
夜凪は考える。
皐月の姿勢は立派だ。
上を目指し続ける、という役者には不可欠な信念をしっかりと持っている。
「そうね。自分の上に誰かがいるって悔しいわよね」
夜凪は、環の存在を思い浮かべながら皐月に賛同する。
そして、上に行くために「出来ること」について考えを巡らせる。
…その「出来ること」の中の1つ。
(そのために、薬師寺真波の娘、つまり私たちの娘、あの人から話をきかないと…)
夜凪は、真美の背中を見つめた。
真美は、夜凪の視線に気づいたかのように顔を後ろに向けた。
真美の目は、はっきりとこちらを捉えていた。
「今の子に母を演じるのは酷でしょう」
表情こそ柔和だが、放たれる言葉の内容は厳しい。
真美は言葉を続ける。
「テレビもスマホもない時代。決して裕福ではなかった真波にとって、映画は人生の全てだった」
「母を演じるならそれ相応の女優に演じて貰いたいです」
「環さんともかく、ほら…」
「アリサちゃんはすぐ芸能を捨てましたから」
「心配で…」
続けられた真美の言葉は、皐月のことを実質的に名指しで不安視する内容。
昭和の大御所の役者は、この展開に心配そうな顔を見せた。
進行役の男は「…えー」と言葉を詰まらせた。
…皐月は、真美の言葉を
アリサちゃんって アリサさんのこと?
それって
この人 スターズの私はこの役に向いてないって言いたいんだ…!
アリサさんのこと 皆の前でバカにした
…皐月はギュ、と拳を握る。
ぱ。
表情を切り替えた皐月…。
「気にかけて頂いてありがとうございます。精一杯がんばります」
夜凪は、皐月が拳を握ったことも涙目から瞬時に笑顔を作ってみせたことも隣から見ていた。
進行役の男が、ほっ、と息を吐き、
「えー、それでは」
と口を開いた。
ガタッ。
夜凪は、立ち上がった。
「私たち必ず3人で真波役を演じ切ります」
そして真美の背中に向けて言葉を投げる。
「だから、その時は皐月ちゃんに謝って下さい」
凍り付く会議室内の空気。
皆、無言。
ただ、その表情はバラバラ。
ふーん、という顔を見せる者。
困った、と汗を垂らす者。
おもしれー、と口元に笑みを含ませる者。
夜凪の視線は鋭く真美を
ゆっくりと後ろを振り返った真美の目と、夜凪の目が合った…。
「あなた、どなただったかしら」
この真美の言葉を受けても、夜凪は力強く唇を結んだまま鋭い眼光を維持した。
皐月は、大変なことになった、という表情。
環は、少し嬉しそうな笑みを浮かべていた。
夜、MHK放送センター内にあるホール。
顔合わせも終了し、照明が落とされた薄暗いホールの床に立つ3人。
「もう! 私がガマンしたのに、なんであなたがやっちゃうのよ!」
「相手、誰だと思ってんの!? 女優のトップとかそういうレベルじゃないのよ!?」
皐月は、ポカポカ、と夜凪を殴打しながら、
「バカバカバカバカ」
と涙目。
夜凪は、
「ごめん…。でも私、どうしても」
と、殴打をすべて手の平で受け止めながら謝罪。
「夜凪さんも目つけられたのよ。薬師寺真美に」
皐月の涙の訴えは続く。
「…それは、別に」
「干されたらどーすんのよ! 芸能界にはインボーがあるのよ!」
皐月はポカポカ殴りを再開させ、夜凪は余裕でポカポカを受ける。
「まだまだ甘いな。さつき」
環の一言。
皐月は「!」と手を止める。
「女優はね。女優に嫌われてなんぼなんだよ」
ただ、子供の皐月にはまだ難しい話。
なので、
「実の娘に嫌われちゃったのよ…。始まる前から敵作っちゃうことないのよ」
と、まだ涙目。
夜凪の脳裏に、(ちょっと煽られたくらいで何も見えなくなっちゃうなんて可愛い)、と環にからかわれた時のことがよぎる。
夜凪は、今の自分はからかわれた時の自分とは違う、と自覚している。
「お芝居は喧嘩じゃない。私、今すごく冷静です」
「どうするの?」
環に問われて、ようやく中断されていた夜凪の話が語られる。
「私たち3人で、同じ家で寝て、同じものを食べて、同じものを見るの。薬師寺真波の暮らした町で」
これが夜凪の考え。
「撮影まで一緒に暮らしましょう」
「悪くないね。それでいこっか」
夜凪は真剣な眼差しを環に向けた。
環は表情こそ笑ってはいるが、真面目な口調で賛同の意を表明した。
「scene118.鬼の巣」/おわり
以上が、アクタージュ「scene118.鬼の巣」の紹介となります。
扉絵は、薬師寺真波を演じる3人。
ページ下段、一番前の皐月は目をいっぱいに輝かせた笑顔。
中段、真ん中の夜凪は肩越しに背後から皐月を抱き締めて、表情は何故かふくれっつら。
上段、最後方の環は前の二人を右手でまとめて抱いて、ニカッと笑顔。
顔が重ならないように、頭の位置をジグザグにした構図です。
ジグザグを作るために、夜凪の頭が環の左手によって左側に引っ張られています。
今回は、とにかく「新キャラ」が多く登場した話でした。
そして、ほとんどのキャラに関する情報がまだ全然ありません。
立場も判らないし、名前すら判らない。
さて、「キネマのうた編」が本格的に始動しましたね。
大河ドラマとしては非常に異質な内容だと思います。
武将等にスポットを当てた物語とは、相当に趣を変える必要があるでしょうね。
なお、私は勝手に「騒がしいおっさん」を「沢村秀夫」と呼んでいます。
ベテラン二枚目俳優を「加賀銀三」と呼んでいます。
情報が無いので、しかたなく勝手にそう呼ばせて頂いています。
無論、この「アクタージュのその後(ナビゲート編)」ではそれら勝手な呼称は用いません。