北鎌倉駅から歩いてすぐの場所にある古民家。
その家の中、畳の
環、夜凪、皐月、の共同生活。
…昼食前。
「お腹空いたよう、景ちゃあん。朝、江ノ島まで走ってきたからさぁ」
環は、調理中の夜凪の肩に腕を回した。
「イワシの塩焼きとだし巻きかぁ。メッチャ分かってるね。早く早く早く」
「そんなに早く食べたいなら手伝って下さい。環さん」
「えー? だって、じゃんけんで勝ったの私じゃん」
そこに、
「お風呂掃除なんて初めてやったわ」
と皐月が顔を出した。
「お。おつかれ。さつき」
環はにっこりと、
「じゃ次は、トイレの掃除の係決めようか」
と、提案。
「じゃんけんで」
「いや!!」
二人は同時に「いや!!」の声を被せた。
皐月は、大きく口を開けて主張の強さをアピールした。
夜凪は、眉を吊り上げた怒りの形相を突きつけた。
「蓮さん。絶対ズルしてるでしょ!」
「そうよ! じゃんけんなんて運のはずなのに、負けなしじゃない!」
「じゃんけんにズルなんてあるはずないじゃん。じゃいくよー。さいしょはグー」
「いや!!」
いろいろ騒ぎながらも、家の掃除や片づけは完了した。
「で」
8畳の和室に丸い座卓を置いて昼食を取る3人。
「今日からどうする?」
「1話目の撮影は6日後から。前日からリハだから、残された時間は4日」
「長いようで短いね」
…もぐもぐと食事を頬張りながら、
「うん。まずは皐月ちゃんの真波を見たいわ。本読みしましょう」
「それを見てから、意見を
と、夜凪が意見を出した。
環は、
「ま、基本だね。いいよ。私が相手役をやるよ」
と夜凪の意見に賛同する。
「うん…!」
皐月は、気後れすることなくしっかりと返事した。
草見修司脚本による「キネマのうた」の序章の紹介。
7才で母を亡くした真波は、鎌倉に住む母方の祖母文代に育てられた。
真波は文代の目を盗んでは毎日のように映画劇場に足を運んだ。
時代は
当時、活動写真と呼ばれた映画は大衆を夢中にさせた。
真波もいつしか活弁士だった母の背中を追うように女優に憧れていた。
しかし、娘を芸能に殺されたとすら思っていた文代が真波の夢を許すはずもなかった。
転機は昭和11年。真波8才の年。
松菊鎌田撮影所が真波の住む鎌倉は大船に移転。
…皐月の本読み。
「…わぁ」
「撮影所…。この町に撮影所ができるんだ…!」
「きっと、お母さんが私に女優になれって言ってるんだ…!」
夜凪は、(…上手)、と思いながら皐月の台詞を分析する。
丁寧で聞き取りやすくて
それに何というか…華がある?
CMの時は気にしなかったけど
これでルイやレイと2つしか違わないなんて
やっぱりプロなんだ
…でも
本読みを終えた皐月は、
「ど…どう?」
と、自信と不安が混じった表情で問う。
夜凪は「…うん」と返事し、そして真剣な顔で、
「皐月ちゃん。…
と、評価の言葉を口にした。
言葉のチョイスに
場の空気が一瞬の沈黙に包まれる。
皐月は、
「…マジメに言ってるんだけど」
と、怒りで顔に筋を浮かせ、(やめてよ、そういうの)、と夜凪を責める。
夜凪は、
「あ、うん。ごめん。そうじゃなくて」
と、大いに焦る。
環はそのやりとりを、「あはは」、と軽く流した。
皐月への弁解の糸口を探す夜凪は、以前の千世子とアキラの芝居を思い浮かべた。
「お芝居が綺麗すぎる」
夜凪は、皐月の評価について、そう言い直した。
その言葉をすぐには理解できない皐月。
環は、言い直した夜凪に対し、
(うん。分かってるね)
と評価する。
…さらに環は、子役として長く仕事をしてきた皐月のことを分析する。
“愛らしさ”
さつきの…いや
日本の子役の芸能界での需要は
だから日本の子役は可愛らしさを演じることがクセになっているきらいがある
子役の宿命とも言える癖
これを外すのは一筋縄じゃいかない
一朝一夕で外せるものじゃない
だけどこの子はそれを外そうとしている
環は、皐月と夜凪を見つめながら、
(無策でこの街に来た訳じゃないでしょ。一体どうするつもりなのかな)
と、観察者っぽく考える。
「ちょっと出かけましょう」
「お。いいね。どこに?」
「真波に会いに」
そんな提案をする夜凪を見て、皐月は「…。」と
薬師寺真波は故人だ…。
「怖い話?」
何故か少し嬉しそうに問う皐月。
「あ。私、そういうのパス」
「違うわ(怖いの苦手なのね…。覚えておこ)」
ここで皐月は「あ。分かった」と元気よく、ハイ、ハイ、と挙手し、
「つまり当時の真波を知る人の所に行くのね!(取材ね!)」
と回答した。
「ううん」
皐月の回答は不正解。
「子供時代の真波を知る人はもうこの世にいない。娘の真美さんすら知るはずがない訳だから」
「あ…。そっか」
「だから皐月ちゃんは自分の中から子供時代の真波を見つけないといけないの」
「……。なるほどね?」
なるほどと言いつつ皐月の理解は追いつかなくなった。
頭に大量のクエスチョンマークを浮かべ、自由帳を取り出す皐月。
環も、
「つまり?」
と夜凪に問う。
「真波が子供の頃、目にした景色。松菊大船撮影所」
夜凪は目的地の名を口にした。
目的地に到着した3人。
皐月は、信号機の横にある「松菊前」と記された標識を無言で見上げる。
隣に立っている環は、そんな皐月を横目で見る。
「…ここ? ただの交差点じゃない」
「20年以上前に取り壊されちゃって、敷地は今は大学になっているんだよ」
バス停標識の「松菊前」の文字を見ながら、
「もう名前くらいしか残ってないね」
と環は説明を加える。
皐月は、
「これ。私たち、鎌倉に来た意味ある…?」
という感想。
「これじゃ真波が見た景色とは程遠いわね。家で本読みしていた方がマシだわ。戻りましょう」
皐月は、撮影所に来たのは無駄足だったと結論づけた。
そして夜凪の姿が皐月の目に映る。
無言で突っ立っている夜凪…。
「…? 夜凪さん?」
(何…?)
夜凪は少し離れた
見つめても、そんなところには何もない…。
(一体何を見て)
「わぁ」
目を大きく開いた夜凪の口から発せられた言葉。
夜凪のそのキラキラした表情を、皐月は信じ難い物のように見つめた。
本読みの時の自分の単に「嬉しそう」という芝居とはまるで違う夜凪の表情と声音。
…そこに存在しないはずの「建設中の大船撮影所」と向き合っている夜凪の姿。
皐月は、役者・夜凪景を見つめる。
隣に立つ環が、
「
と、さらりと言った。
…皐月の思考がぐるぐると回る。
CM撮影の時のアキラ君の言葉。
走ってきたんだね、想像の世界で
アリサさんの言葉。
皐月
真似ることはないわ
ただ覚えておきなさい
こういう役者もいる
(…違う)
(真似なんてできない)
(したくてもできない)
車の後部座席で自分が清水に言った言葉。
あの2人は私を女優として見ているの
子役じゃなくて女優
あの2人をガッカリさせる方が問題だわ
(ガッカリさせないって決めたのに)
夜凪は、皐月が今何を考えているのか分かってるかのように、
「大丈夫よ」
と言った。
「皐月ちゃんには皐月ちゃんなりの方法があるはずだから」
と、優しく告げた。
その言葉に、皐月は少し苦しそうな顔を見せた。
…夜凪は話を続けた。
「私は子供の頃、役者になりたいなんて思ったこともなかったわ」
「子供のうちに抱いた夢を子供のうちに実現させてしまうなんて。真波も皐月ちゃんも特別で、きっとどこか似ているはずなの」
「だから大丈夫」
夜凪は、自分にはこんなやり方しか出来ない、と言いたいようだった。
皐月にはそう聞こえた。
夜凪は、真波に近い境遇の皐月には役作りの取っ掛かりなんて幾らでもある、と言いたいようだった。
皐月にはそう聞こえた。
とても優しい言葉だと思った。
そして皐月の表情は悲痛に歪み、その目には涙が滲んでいた。
「ママが女優になりなさいって言ったの」
夜凪と環は、黙って皐月のほうを見た。
「真波みたいに毎日映画を観てた訳でも誰かに憧れた訳でもないの」
「全部ママなの…。本当はママが私に女優になって欲しかっただけなの」
「あの人の言う通りなの」
皐月が言う「あの人」とは(今の子に母を演じるのは酷でしょう)と発言した薬師寺真美のことだ。
「本当は、真波の気持ちなんて分からないの…!」
皐月は大粒の涙をぽろぽろと
環が、
「どうした。さつき。泣くことないでしょ。よくあることだ」
と皐月の頭を撫でた。
一度溢れ出た皐月の涙は止まらなかった。
いつまでも止まらなかった。
「まだ子供だからね。真似できない才能を前にするのも初めてなんだよ」
環は少し心配そうに皐月の頭を撫で続けた。
無言で立っていた夜凪が、皐月のほうに歩き始めた。
「知ってる? 皐月ちゃん。人って自分の気持ちが一番分からないものなんだって。でもそれが分からないと役者にはなれないんだって」
夜凪はしゃがみ、まだ涙が止まらない皐月の真ん前に顔を寄せた。
「今、真波に一歩近づいたわ」
皐月は目の前の夜凪の顔を見た。
夜凪の顔は、泣きじゃくる子供をあやす表情ではなかった。
環は黙って、夜凪と皐月の二人を見守っていた。
夜凪は、
「それとも。もう役者は嫌?」
まだ涙を落としている皐月に問う。
「嫌じゃない。いつか私が芸能界で一番になるんだから…!」
涙
一番になるということは、環にも、目の前にいる夜凪にも、他の誰にも、負けない。
そういう意味になる。
「そうよね」
夜凪は素の表情で、そう言った。
役者なら上を目指すのは当たり前の話。
たとえそれが涙で
「scene120.共同生活」/おわり
以上が、アクタージュ「scene120.共同生活」の紹介となります。
扉絵は、腰から上の皐月の後ろ姿。
皐月は、顔だけをこちらに向けています。
一糸まとわぬ姿ですが、後ろ姿なので大丈夫です。
絵面としては、「薬師寺真波」の外見が描かれている点に注目したいところです。
子供の頃の真波の横顔しか判りませんが、輪郭や鼻筋を見る限り相当に整った顔をしているようです(当たり前と言われればそれまでですが。後に大女優になるわけですし)。
髪はクセのない綺麗なストレートですね。
後ろ髪の長さは肩までくらい。
そして皐月の泣き顔がとても良い絵ですね。
アクタージュでは、必要とあらばキャラの顔を崩すところまで「攻めた絵」が描かれます。
これが本物の大泣きだ、と感心するほどの涙の量です。
もちろん夜凪にも素晴らしい絵があります。
じゃんけんに対して「いや!!」と眉を吊り上げている夜凪は眉間に皺まで入った迫力の怒り顔。
怒った顔も可愛いです。