アクタージュのその後 (ナビゲート編)   作:坂村因

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「123話目に相当する話」の紹介

大河ドラマは1話約45分、放送期間は一年に及ぶ。

月曜にリハーサル。

火曜から金曜の4日間の撮影でおよそ1話を撮り終えるルーティン。

これを1年続ける。

 

 

 

月曜。「キネマのうた」1話目のリハーサル当日。

 

朝、自宅のベッドの上で目を覚ました皐月。

天井を見つめ、昨日の出来事を思い出す。

 

真美が、(この世のどこにあなたを演じられる女優がいるというのか)、と言ったこと。

 

皐月は、ムクっ、と上体を起こした。

パジャマのままキッチンへと移動する。

 

朝食用シリアルをお皿に盛って、牛乳を注ぐ。

テーブルに付き、もぐもぐ、とそれを食べ始める皐月。

 

月曜日の朝、家人は既に外出している。

だだっ広いリビング・ダイニングで、皐月は1人シリアルを食べる。

 

食事中の皐月は、テーブルの上に小冊子が置かれていることに気づく。

それは、中学受験コースを案内する予備校のパンフレット…。

 

皐月は、氷のような目でパンフレットを見た。

 

食事を終えた皐月は、「キネマのうた」の台本を両手で開いた。

 

 

ごん!

 

 

開かれた台本が、勢いよくテーブルを打った音。

正確には、パンフレットの上に置かれた音。

皐月は予備校のパンフレットを下敷きに使い、台本をその上に立てるように両手で持った。

 

台詞の発声をする皐月。

長々と続く芝居のおさらい。

やがて、皐月はパジャマから外出着に着替えた。

ぎゅっとサイドテールを(つか)み、髪型を綺麗に整えた。

 

家の前には清水のベンツが待機している…。

 

「あ」

 

「おはよ」

 

ベンツを背に、環、夜凪、雪、清水、が立っていた。

 

皐月の表情は、ぱっ、と明るくなる。

しかし、すぐに気づく。

自分が見せるべき表情は「これ」じゃない。

 

「…私。全然一人でも大丈夫なのに…」

 

皐月は、視線を横に逸らし、ぶい、とほっぺを膨らませた。

 

環は、

「何が? スミスに送迎お願いしただけだよ」

と、笑顔を見せた。

 

清水は、

「今回だけですよ。私は皐月さんのマネージャーなんですから」

と、真面目な口調。

 

雪は、

「スミマセン…」

と、申し訳なさそうに呟いた。

 

夜凪だけが、黙っていた。

 

そして夜凪が口を開いた。

 

「行こう」

 

それは、とても快活な声だった。

 

皐月は知っている…。

今日のこの日に自分がどれほどの緊張と不安を抱えているかを、環と夜凪が理解していることを。

そんな自分を盛り立てるために、環と夜凪はこの場に来てくれたことを…。

 

「仕方ないわね。今日だけよ! 乗っけていってあげる!」

 

 

 

 

MHK放送センター。

リハーサルが行われるスタジオ。

セットには「文代の家の一室」が準備されている。

皐月はそのセットの前に1人立つ。

 

周囲には40人ほどの関係者がいて、皆皐月を見ている。

 

「改めまして。鳴乃皐月です! 精一杯がんばります! よろしくお願いします!」

 

パチパチパチパチ、と拍手を贈る人たちは、笑顔で皐月を見つめていた。

 

姿勢良く立つ皐月の隣に、ぬっ、と現れたのは50代後半の男性俳優。

男性俳優の表情には笑みが浮かんでいる。

 

「嬢ちゃん。ちょっとイメージと違うな。そんな硬くなるタマじゃねぇだろ」

 

「…!」

 

「安心しなよ」

 

男性俳優は話の核心を突く。

 

「あのおっかないババアは来てねぇから」

 

「え」

 

皐月は、真美が来ていないという情報を多少驚いた顔で受け止めた。

 

…この情報に強い反応を見せたのは夜凪。

 

「真美さんが来ていない!? リハーサルなのに!?」

 

夜凪に突っかかられたスタッフは、冷や汗を垂らしながら手振りを交えて応じる。

 

「どうしても外せない別件が、ということで」

「でもだって、明日本番なんですよ! 皐月ちゃんが一体どんな気持ちで…!」

 

「すみません。代役を立てますので…」

「真美さんの連絡先、教えて下さい!」

 

「い、いや。それは…」

 

夜凪とスタッフのやりとりを眺めていた男性俳優は、

「がはは。あんたのお姉ちゃんみたいだなぁ」

と、隣にいる皐月に笑いかけた。

 

「…。」

 

皐月は、現場の隅っこで繰り広げられているその光景を、冷や汗気味になりながらも平静に見ていた。

スッ、と駆け出した皐月。

男性俳優は、おっ、という表情で皐月の行動を見る。

 

皐月は、夜凪とスタッフがいる場所まで行った。

 

「夜凪さん、やめて」

「で、でも」

 

皐月はその顔を険しい物に変え、力が宿った強い視線を夜凪に向けた。

 

 

「私は大丈夫だから」

 

 

夜凪は、その迫力に気圧(けお)されて口をつぐんだ。

そして、

「…ご、ごめんなさい」

という言葉を弱々しく場に置いた。

 

「お騒がせしてすみません(まだ新人なので)」

 

皐月は周囲に向けて頭を下げた。

 

「がははっ! 世話の焼ける後輩だなぁ!」

 

男性俳優は、豪快に笑って応じることで、場の雰囲気を和ませようとした。

 

「慣れなきゃね」

 

背後から掛けられたその声に、夜凪は「…!」と反応する。

 

声の主は環。

 

「この世界に大人も子供も関係ない。出過ぎるとさつきに恥をかかせるよ」

 

夜凪は自分の言動を反省しつつ環の言葉を聞く。

ばつが悪くて環の方を振り返れない。

 

振り返れないまま、

「…はい」

と、小さく返事をした。

 

「…でも、分かるよ」

 

環は気落ちしている夜凪を気遣う。

 

「奇妙だよね。大人も子供も対等な世界なんてさ」

 

その奇妙な世界にこれから慣れていけばいい、という先輩からのメッセージ。

 

 

 

これからリハーサルが開始される。

 

犬井が、

 

「では、シーン10、いきます」

 

「よーい」

 

と進行の言葉を発した。

 

雪と清水が並んで立っていた。

 

「こういうの、自分のことより緊張したりしません? あ、スミスさんはベテランだから、そんなことないか」

「……。」

 

少し間を置いて、

「いえ」

と清水は否定した。

 

清水は、皐月のマネージャーとして十分に緊張していた。

皐月が相当な意気込みで今日という日を迎えていることを、清水は理解していた。

 

…リハーサルが始まった。

 

「どうして!?」

 

「どうして、おばあちゃんは映画が嫌いなの!?」

 

声音にも表情にも緊迫感がきっちりと表現されている皐月の芝居。

 

「私もお母さんみたいになりたいのに。どうして許してくれないの…?」

 

少しトーンを抑え、声に悲壮感を乗せていく皐月。

 

やや驚いた表情になる清水。

周囲にいる他の者たちも同様の表情。

 

50代後半の男性俳優とベテラン二枚目俳優の二人が、皐月の芝居について語る。

 

「驚いたな」

 

「へぇ…。子役芝居が抜けてますね」

 

チーフ監督である犬井は、冷静な表情で皐月の芝居を観察する。

 

犬井は、酒飲み仲間である環から皐月に関する事前情報を聞かされていた。

行きつけのバーで、

 

(役作りのために共同生活?)

(うん。鎌倉だよ鎌倉。いいでしょ?)

 

(君たちはともかく皐月ちゃんはスターズだぞ。あそこがそんな非効率なものに許可を出す訳…)

(それがOKなんだって)

 

(…!)

(少しずつ変わってきてるみたいよ)

 

という会話を交わしていた。

 

今、犬井はその「共同生活」の成果を目の前で見せつけられている。

 

「はい!」

 

パン、と手を叩き、犬井は終了を伝える。

 

…終了の合図を聞いた皐月は、緊張した面持ちで犬井の方に目を向けた。

 

張りつめているように見える皐月の表情だが、そこに不安感は滲んでおらず、目の光も強い。

なにより、皐月の身体からは「役者」が(まと)う空気がしっかりと放出されている。

 

それらを確認した犬井は、

(うん)

と心の中で納得する。

 

「良かったです」

 

それが皐月の芝居に対して、犬井が発した言葉。

 

皐月は犬井を見ていた。

犬井の背後にいる夜凪の姿も見えていた。

 

皐月と目が合った夜凪はコクっ、と微笑んでみせた。

 

 

 

皐月の頬が朱に染まった。

 

 

 

犬井は、

「次のシーン行きましょう。皐月さんは一度休みで」

と、進行の指示を出す。

 

清水は皐月を迎える言葉を掛ける。

 

「おつかれ様です。皐月さ…」

 

しかし皐月は、

「おしっこ」

と、清水の横を駆け抜けていった。

 

清水は「え」という反応。

 

そして、昔のことを思い出す。

 

仕事帰りの車中で皐月が、

(あの監督嫌い! 全然ほめてくれないんだもん! やっぱりCMが一番ね! 皆ほめてくれるし!)

という不満を漏らしていたことが頭をよぎる。

 

環と犬井がしゃべっていた。

 

環は、

「もっとちゃんとほめてあげてよ(顔、怖いんだから)」

と、言いつつ犬井の背中を肘でつついた。

 

犬井は、

「言ったろ。良かったって」

と、不愛想ながらも自分はちゃんと褒めたと主張した。

 

「皐月さん」

 

走っていく皐月に声を掛ける清水。

 

「皐月さ…」

 

清水は通路の曲がり角で、出しかけた声を引っ込めた。

 

曲がり角の先で、皐月が喜んでいたからだ。

 

顔を赤くして

立ったままその場で足をバタバタバタバタと動かして

両手をぎゅっと胸の前で組んで

目を閉じて

お祈りの時のように(あご)を引いて

 

皐月は喜びを噛み締めていた。

 

目を開いて、

「ふぅ」

と息を漏らす。

 

そして、

 

「…よし」

 

と、(とろ)けた顔をちゃんと元に戻す皐月。

 

曲がり角の手前から皐月を見ていた清水の顔に笑みが浮かぶ。

 

「こういうことね。子供の成長が怖いって」

 

「うわっ」

 

いきなり背後に立っていた夜凪。

かなり驚いてしまった清水。

 

「よ、夜凪さん。バレたら叱られるので戻りましょう」

 

「うん」

 

戻りながら、夜凪と清水は皐月の成長ぶりについて話す。

 

「私、上ばかり見ていた。反省だわ」

 

「え」

 

「下も怖いのね」

 

清水は、顔合わせの日に立案された無謀にも思える皐月の「作戦」と、それに乗っかった周囲の大人たちのことを考えた。

 

「ありがとうございます。夜凪さん」

「え?」

 

「皐月さんに俳優を続けさせてあげられそうな気がしてきました」

 

当然、夜凪は清水の言葉に困惑する。

それが何の話なのか、まるで見えてこない夜凪は、

「え」

と、声を上げた。

 

清水は、マズイという表情で、

「あ」

と、小さく声を漏らした。

 

「スミスさん。それってどういう…」

 

ガタッ。

 

パサッ。

 

清水に詰め寄ろうとした夜凪は、机の脚を蹴とばしてしまった。

そして机から物が落下した。

 

「あ、いけな…」

 

夜凪は、落とした物を拾おうとして、それが皐月の自由帳だと気づく。

ちょうど開いていたページに夜凪が知らない「作戦イラスト」があるのを見つける。

 

自由帳を手に取った夜凪は、そのイラストを見つめた。

そこには皐月と皐月の母親の絵が描いてあった。

 

(右のページ)

 

テレビ画面を見た皐月の母親が、

「やっぱり、わたしの子は天才よ!」

と言っている。

 

皐月は、

「エッヘン」

と胸を張っている。

 

(左のページ)

 

しゃがんで皐月の肩に手を置き、

「ママがまちがっていたわ! あなたは大人になっても女ゆうよ!」

と告げる母親。

 

胸を張ったまま、

「とうぜんね!」

と答える皐月。

 

夜凪は、イラストをじーっと見つめた。

描かれている作戦の内容について考えてみた。

 

「大人になっても…?」

 

「………。これじゃまるで皐月ちゃんの芸能活動が期限付きみたいな…」

 

清水は、しばらく考えた。

考えた末、イラストの作戦の背景について説明することにした。

相手は、色々と皐月の力になってくれた夜凪だ…。

 

「芸能活動は子役のうちだけ」

 

「お母様は元々そういう意向でうちと契約していたんです」

 

「中学までに芸能界を退けば、支障なく一般社会に戻れるだろうと」

 

清水の説明を聞いた夜凪は

「…!」

と、動揺の色を出す。

 

夜凪は、共同生活で見せた皐月の決意を知っている。

涙を流しながらも、(いつか私が芸能界で一番になるんだから…!)、と言っていたことを知っている。

 

「でも、皐月ちゃんはそんなつもり…!」

「…はい」

 

清水は、夜凪が言いたいことは分かる、という感じで答える。

 

「だから、お母様の気持ちを変えるつもりでいるんでしょう」

 

「今回の大河で」

 

清水の返答を聞いた夜凪は無言。

共同生活で耳にした皐月の言葉の数々を思い出す。

 

(泊まり込みで役作りなんて本当は親同伴じゃなきゃ許されないのよ。でも、ママは忙しいから)

 

気づかなかった

 

(気づいたことがあったら手を挙げて言いなさいね……う、うん)

 

(私、この作戦、成功させたいのに…)

 

だからあんなに一生懸命に

 

(謝ってるの。勝手に演じてごめんなさいって)

 

夜凪は、ぎゅっと拳を握りしめた。

悲痛な目で、思いを巡らせた。

 

必死に頑張っていた皐月…

気づけなかった自分…

 

…清水と夜凪がしゃべっているところへ、環が歩いてきた。

 

「子役なんてさ。大概、親が始めさせるんだよ。初めはね」

 

「そのくせ、いつでも芸能界から足を洗える準備をしておいたりする。子供のためってことなんだろうけどさ」

 

「勝手なもんだよね。大人なんてさ」

 

環は、一般論を語るようにしゃべった。

無論、皐月のことがあるので、その表情にはやりきれなさが混じっている。

 

夜凪は、環の顔をじっと見た。

そんなふうに、よくある話っぽく受け止めたくない、と夜凪は思った。

 

 

 

MHK放送センター内の喫煙所。

中嶋と草見が会話を交わしていた。

大河ドラマ「キネマのうた」のプロデューサーである中嶋。

脚本を執筆した草見。

 

「草見さん。あなたのおかげです。編成部には企画を疑問視する声が多かったですから。脚本にあなたの…草見修司の名前がなければ『キネマのうた』は実現しなかった」

 

「中嶋さん、まだ40代でしょう。その若さで大河のプロデュース。それも近現代劇となると、そりゃね。攻め過ぎですよ。ただ勿論(もちろん)僕の力じゃありませんよ。あなたの力だ。僕はあなたの覚悟に乗っただけです。毒を喰らってまで成し遂げたかったんでしょう? この企画を」

 

「毒…?」

 

「毒ですよ」

 

一度は脚本執筆を断った…。

 

「それ相応の覚悟がなければ、あの人を起用せんでしょう」

 

考え直して執筆を引き受けることに決めた草見…。

 

「薬師寺真美。あれは毒ですよ」

 

(あなたの覚悟に乗っただけ)と言った草見は、中嶋にそう告げた。

 

               「scene123.毒」/おわり




以上が、アクタージュ「scene123.毒」の紹介となります。

絵面では、文句なしに足をバタバタバタバタと動かして喜ぶ皐月でしょう。
掲載最後となるこの回に、よくぞこの絵を入れてくれた、と私は思いました。
この絵のおかげで、皐月のキャラとしての魅力が跳ね上がってます。

そして皐月のバタバタバタバタを引き出した夜凪の(うなず)き。
目を大きく開き、口元に笑みを浮かべて、コクっと皐月に頷いてみせる夜凪の顔がとても良い絵となっています。



この「scene123.毒」が、アクタージュ最終話となります。
残念ながら未完です…。

そして、中嶋と草見の会話。
薬師寺真美は「毒」。
最後の最後にややこしい情報をぶち込んできたぁ、と私は思いましたよ…。

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