ARIA The PIACERE 1 その輝かしい船出を祝して 作:neo venetiatti
晃からマンホーム一行の出発が早まりそうだと聞いた藍華は、急いで一周年記念イベントとして行うおもてなしパーティーの準備に取りかかっていた。
マンホームの賓客の対応が優先されるはずのところを、その一行の中にいたアマンダ婦人の発案で、マンホームの関係者が協力するという理由も手伝って、無事カンナレージョ支店のおもてなしパーティーが実現されようとしていた。
当初、藍華のアイデアでゴンドラを使った演出も考えられたが、現実の営業と重なることで実現には至らなかった。
だが、藍華がトラゲットのゴンドラとシングルとの組み合わせをゴンドラ協会に申し出たことで、水先案内業界全体の関心事として広く知られることとなった。
このことは、普段単独でお客様をゴンドラに乗せることができないシングルたちに、大きな刺激を与えることになった。
ともすれば、シングルたちにとって観光案内はプリマになってから、つまりプリマを目指すことばかりに目が行きがちな風潮に一石を投じた格好となった。
そしてそのことが、思いも寄らない方向へと舵を切ろうとしていた。
「支店開業一周年おめでとう!」
「ありがとうございます。みなさん、大したおもてなしはできませんが、どうぞ心行くまでお過ごし下さい」
カンナレージョ支店は、いつもの様子からは一変、店先の庭からエントランスに至るまで、賑やかな雰囲気に包まれていた。
特徴的だったのは、普段水先案内業界と直接関わることの少ないカンナレージョ地区の商店主や工房の職人、そして教会で暮らしている身寄りのない子供たちなども参加していることだった。
藍華が願っていたおもてなしパーティーの姿がそこに実現されていた。
そして、藍華の人柄もあって、会場全体がざっくばらんな雰囲気となっていた。
また、藍華を子供の頃から知っている人もいて、藍華の周辺は、パッと花が咲いたような賑やかさに包まれていた。
ここまでは理想的なイベントといえた。
「ねぇ、お姉ちゃん」
ひとりの子供が藍華の制服の端を持って立っていた。
「どうしたの?ジュースもうなくなった?」
「ううん、そうじゃなくて」
「何?どうかしたの?」
「あの~、お舟はないの?」
「お舟?お舟って何かなぁ~」
藍華はとぼけたように言い返した。
思わず心の中で〈痛いところついてきたなぁ、この子〉と呟いていた。
「だってここ、お舟のお店でしょ?お舟は?」
この辺について、藍華も一応想定して、対策を講じていた。
うまくいけば、少しずつゴンドラが戻ってくる。
そのタイミングで、姫屋本店からこのカンナレージョ支店に少しでもまわってもらうよう話はつけていた。
しかしまだ、陽が少し傾き始めた時間帯だけに、ウンディーネたちが仕事を終えるのには、もう少し時間がかかりそうだった。
それに、時間通りにいかないのもいつものことだった。
ましてや、一日中観光案内をしていたウンディーネたちに無理は言えない。
「今ね、みんな忙しいの。まだお仕事の真っ最中なのよ」
「へぇ~、じゃあお姉ちゃんは何してるの?」
「お姉ちゃんもお仕事の真っ最中なのよ。だからお姉ちゃんも忙しいのよ」
藍華はなんとか笑顔を保とうとしていたが、表情がひきつっていた。
「さあ、あっち行って遊んどきな」
子供を向こうへ行かせると、「ふぅ~」と息をついた。
するとその子供が他の子供たちに、舟がないことを大きな声で伝えていた。
「あ、あのガキぃ~」
「藍華ちゃん」
今度は知り合いのおじさんが話しかけてきた。
「そういえばゴンドラほとんど見かけないねぇ。どうしたの?」
「いやぁそれが忙しすぎて、困っちゃってるんです。ハハハハ」
「そうだったね。マンホーム一行のおもてなしの大半を姫屋が引き受けてるんだよね」
「うちだけってわけじゃないんですけど」
やっぱりどう考えても、水先案内店にゴンドラがないのは変に見えるだろうなと藍華は感じていた。
正確にはゴンドラが全くないわけではなく、プリマのほとんどを本店と賓客一行にその人員を割いていることが原因だったわけだが、そこまで細かい事情を知っている人ばかりではない。
藍華は、つくずくゴンドラのない水先案内店の空しさを痛感していた。
すると、他の招待客からも、ちらほら同様の言葉が聞こえてくるようになった。
「支店長、どうしますか?」
招待客の相手をしていたペアの従業員が、心配になって藍華のそばにやってきた。
「わかったわ。私からちゃんと説明する」
そう言って藍華は、庭園とエントランスの間の、一番人が集まっているところへ向かった。
みんなの前に姿を表した藍華に、その場にいた招待客たちは、何かあるのかと注目した。
藍華は、一呼吸置いて話し始めようとした。
「お集まりの皆様にお伝えすることがありま・・・す?」
その時、誰かが遠くから呼ぶ声が聞こえてきた。
その声にガクっとずっこけそうになった藍華は、声のする方向を見た。
「もう、こんな時になんなの?」
目を細めて運河の方を見ていると、その場にいたペアのウンディーネのひとりが何かに気付いたようだった。
「あれ、あゆみさんじゃないですか?」
「あゆみ?」
遠くからでも姫屋のユニフォームだとわかるその姿は、言われてみればあゆみのように見えた。
しかし、運河の上にいるその姿は、どう見てもゴンドラに乗って、こちらに近づいてくる様子だった。
「お嬢ー!藍華お嬢ー!」
「お嬢お嬢って、一体どういうこと?」
近づいてくる姿を見て、藍華はもう一度驚かされた。
先頭にはあゆみが、そして後ろにはもうひとり姫屋のウンディーネが乗っていた。
どう見てもそれは、普段トラゲットに使っているゴンドラだった。
「ちょっと、それ、どういうこと?」
いよいよ船着き場にゴンドラが到着する頃には、子供たちが一斉に走り出していた。
「お舟だ、お舟だ!」
「ゴンドラだよ、ゴンドラだ!」
普段街角で見かけるはずのゴンドラが目の前に現れたことで、子供たちは興奮気味だった。
急いで船着き場までやって来た藍華だったが、驚きのあまり声が出なかった。
「あ、あんた、それ、ど、ど、ど」
「間に合ってよかったですよ、お嬢」
「ど、ど、ど、どうしたのよ、それ!」
「お嬢に頼まれてたゴンドラ、持ってきたっすよ」
あゆみは、得意満面になって言った。
「そんなことして、ちょっと、どうするつもりよ!」
「なんか拍子抜けするなぁ。もうちょっと喜んでくださいよ」
「そんなこと言われても・・・」
藍華は、呆気にとられて言葉が続かない。それどころか、この状況を理解することができずにいた。
「お嬢、これで満足されちゃあ困りますよ。まだまだ来ますからね」
「えっ、どういうこと?」
あゆみの言う通り、運河の向こうに見慣れないゴンドラが、一艘また一艘連なってくる姿が見えた。
少し薄暗くなり始めた水面に浮かぶゴンドラの舳先には、行く先を照らすランプが吊り下げられていた。そして、その灯とともに連なって進むゴンドラたちの姿は、いやが上にも目を引く光景となっていった。
それに気付き始めた招待客がどんどん船着き場に集まってきた。
「藍華ちゃん、素晴らしい光景だね。長年ネオ・ヴェネチアを見てきたけど、こんなのは初めてだよ」
藍華と親しい関係にある招待客のひとりが声をかけてきた。
しかしそれは、藍華も同じだった。でもそれ以上に、藍華には一体何が起こっているのかが理解できないままだった。
ゴンドラの一団が近づいてくるにしたがって、運河のあちこちの岸辺では、見物人の姿が増え始めていた。一体何事が起こっているのかと、ざわつき始める人たちもいた。
だが、その人たちも、改めて驚かされることとなった。
よりいっそう近づいてきてわかったのが、その連なってやって来るゴンドラは、すべてトラゲットのゴンドラだった。
そして、そのゴンドラの前後には、色とりどりのユニフォーム姿のウンディーネたちが乗船していた。
しかし驚くのは、それだけでは終わらなかった。
ゴンドラにはちゃんとお客様が乗船しているようだった。
トラゲットのゴンドラが、渡し舟としての役割以外で運河を運航することなど前代未聞だった。
きっと夢を見ているに違いない。
藍華は自分のほっぺをつねってみた。
「いたたたたたた!」
「何やってるんすか、お嬢?」
ゴンドラの上で子供たちの相手をしていたあゆみが、あきれたように言った。
「だって、これってなんなのよ?」
「だからぁ、お嬢がリクエストしたトラゲットのゴンドラですって」
「ちょっと待って。あんたが言ってるのを聞いてると、まるで私がしでかしたように聞こえるじゃない?」
「そうじゃないんですか?」
「違うわよ!」
「だって、あの時確かにお嬢がトラゲットのゴンドラを十隻用意してくれって言いましたよ」
「あ、あんたねぇ、そんなのを真に受けてどうするのよ!」
「どうするって言われても、もう来ちゃったし・・・」
藍華はあゆみの言葉に頭を抱えていた。
「こんなことしたら、きっと懲戒処分?いや、ゴンドラ協会を除名?それどころか追放?いや、それどころか姫屋をお取り潰し?うわぁ~」
「それは大丈夫っしょ」
「なんでそんなことが言えんの?」
「だってアリシアさんのお墨付きですから」
「ア、ア、アリシアさん?なんでアリシアさんなの?」
「お嬢ってもしかして、何も聞かされてないんすか?」
「どういうことよ?私の知らないとこで何が起こってるの?」
ほとんどパニックになっていた藍華に、今度は聞きなれた声が聞こえてきた。
「藍華ちゃーん!」
「藍華せんぱーい!」
「え、何、どういうこと?」
灯里とアリスのふたりが、それぞれのゴンドラで近づいてきた。