ARIA The PIACERE 1 その輝かしい船出を祝して 作:neo venetiatti
ドアをノックする音がした。
「はーい。少々お待ちくださーい」
本日最後のお客様だった。
マンホームからの賓客を迎える歓迎式典があったことで、あちこちの水先案内店が忙しい一日を送っていた。
ゴンドラ協会の仕切りで急遽お客様の手配が行われ、それによりスケジュールの変更を余儀なくされた各社は、まさにてんてこ舞いの一日を送った。
ただし、ARIAカンパニーだけは、灯里ひとりの状態を考慮して、予定のスケジュール通りで終わるはずだった。
しかし、その日の朝になって、どうしてもという連絡がお客様からあり、灯里は断りきれず、その要望を受け入れることにした。
「いらっしゃいませ。ARIAカンパニーへようこそ」
ドアを開け、挨拶をすると、そこには綺麗に着飾った年配のご婦人が立っていた。
「ご予約頂いたアマンダ様でしょうか?」
「はい、そうです」
その姿を見た灯里は、少し意外な表情になった。
それを察した婦人が話始めた。
「ごめんなさいね。急な事を頼んでしまって」
「いえ、お気になさらないで下さい。少しでもお客様のお力になれるのでしたら、それはこちらとしても嬉しいことです」
「そう言っていただけると助かるわ」
灯里はアマンダ婦人を中に招き入れ、テーブルのところへ案内した。
「お茶をお持ちしますので、少々お待ちください」
「それはそれは気を使っていただいてありがとう」
アマンダ婦人は灯里の笑顔を見て、優しい口調で言った。
少しして灯里がティーカップを持ってくると、婦人の前に置いた。
紅茶を口にして、落ち着いた様子になった婦人は灯里に話しかけた。
「不思議に思われたでしょう?」
「えっ、何がでしょうか?」
「電話の声と印象が違ったから。あなた、先ほどドアを開けてわたしの顔を見たとき、意外な顔をしてらしたわね」
「あ、はい。正直に申し上げて、もう少しお若い方かと思ってました」
「ハハハハ、正直なウンディーネさんね」
「すみません。失礼なことを申し上げて」
「いえいえ、いいのよ。わたし、正直な人好きだわ」
アマンダ婦人は、もう一度紅茶を口にすると、微かなほほえみをたたえた。
「電話をしたのは私の娘なの。だから声の印象が若かったのよ」
「そうだったんですか」
灯里が微笑むと、その笑顔を見たアマンダも微笑み返した。
「いい人に当たったみたい・・・」
「はひっ。何のことでしょうか?」
「いいのよ、こちらのはなし」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
「ところでお客様。どういったご依頼なのかは、会ったときに話されると、電話でおっしゃってましたが?」
「そうねぇ、そんなふうに伝えといてって言ったわね」
「どういうことでしょう・・・」
灯里の中で不安と不思議が入り交じっていた。
「そうだ」
「はひっ」
「お名前、聞いてなかったわね?」
「どうも失礼しました。ARIAカンパニーの水無灯里と申します」
「灯里さん、とお呼びしていい?」
「はい、それで結構です」
「灯里さん、実はね、ARIAカンパニーにどうしてもお願いしたかったのは、ある人から評判を聞いてたからなの」
「評判、ですか」
「そう。その人がね、このネオ・ヴェネツィアに以前来たときに、とても素晴らしい体験をしたというの」
婦人は、少し遠くを見るような表情で続けた。
「ゴンドラに乗って観光をするのがとても楽しみだったのだけど、何かの行き違いで予約が取れてなかったの。それで、運河のほとりをとぼとぼ歩いてたら、ひとりの女の子が声をかけてきてね。どうかしたのって」
「女の子ですか・・・」
「それで、特に何も考えず、経緯を話したら、なんとかしてあげるって言って、あるお店に連れていってくれたらしいの」
「その女の子がですか?」
「そうなの。でも、あいにく忙しくて無理だったみたい。急なことだったから仕方のないことよね。すると、別の店に連れていってくれたらしいの。そしたら、急なことなのに引き受けていただいて、無事、念願のゴンドラでの観光を楽しむことができたというの。それがこのARIAカンパニーだったというわけ」
灯里は、笑顔で優しく応対したアリシアの顔を思い浮かべた。
〈アリシアさんなら、きっとそうしたに違いない〉
「そのウンディーネさんのやさしさと気遣い、そして笑顔が忘れられないって、しばらくその話を繰り返していたわ」
「そんなことがあったのですね」
「おそらく、もういらっしゃらないわよね、そのウンディーネさん。もう大分と前の話だから」
「多分そのウンディーネは、一年前まで当店に勤めていたアリシアだと思います」
「そう、アリシアさんという方なのね。できれば、お会いしてみたかったわ。どんな方だったのかしらねぇ」
「とても素晴らしい方です。ずっと尊敬してます。私の憧れの人であり、目標としている方です」
「そうなの。素晴らしい方なのね。あなたもなれるといいわね」
「はい」
「ごめんなさい。なんか偉そうに言ってしまって」
「お客様のおっしゃられる通りです。でも、なかなか思うようにもいかないみたいです」
「そうなの?でも頑張ってね」
「はい」
「なんかもうお別れのような会話ね」
「ほんとです」
ふたりは顔を見合わせて笑った。