ARIA The PIACERE 1 その輝かしい船出を祝して 作:neo venetiatti
「この辺りでいいわ。近くに下りられるところがあれば、そこで」
「はい。かしこまりました」
婦人の要望に応えるため、ARIAカンパニーを出発した灯里だったが、話を聞いているうちに、ある場所を指し示していることに気付き始めた。
灯里たちが向かった先は、灯里にとって、ここ最近見慣れていた風景だった。
カンナレージョ地区。
藍華が支店長を務めている姫屋の支店の前を通過してゆくと、その先にその尖った屋根の建物が見えてきた。
しかしそれは、もう少し運河から内側へ入ったところにあった。
灯里は細い運河をたどって行き、その目的の建物の近くの船着き場にゴンドラを止めた。
近くにいた荷捌き作業をしていた男性の協力もあって、無事に婦人を下ろすことができた。
その作業員の背中に向かって感謝のことばを告げると、その作業員の男性は、背中を向けたまま、歩きながら手を振って返した。
灯里が頭を下げている横で、婦人は笑顔で見送っていた。
ふたりは、そう時間もかからずにその建物を見つけることができた。
正面の扉の上に十字架を称えた小さな教会。それが目的の場所だった。
〈もしかしたら、藍華ちゃんが言っていた教会・・・〉
「ここがその教会ね」
灯里は、その感慨深い婦人の言葉を聞いて、ここへ向かう途中、ゴンドラの上で婦人から聞いた話を思い返していた。
「実は、先ほどの思い出話の人はね、私の主人なの。そして、このネオ・ヴェネツィアに思い入れがあるもうひとつの理由が、これから行ってもらう教会」
おそらくアリシアに観光案内をしてもらった人は婦人のご主人で、その時のネオ・ヴェネツィアの旅行がそれ以降、とても思い出深い場所となったというのだった。
「その教会は主人の旧知の友人が深く関わっていたらしいの。でもこんな有名な観光地で、身寄りのない子供を預かっている教会があるなんて、主人も実際にここへ来てみるまでは知らなかったようね。ただ、教会といっても観光客を相手にしてるような、有名で大きな教会ではなく、よくある町の教会といった感じのところなの。でも、その友人が亡くなったことで、支援者がいなくなってしまった。主人がネオ・ヴェネツィアを訪れることになった時、是非その教会を見ておこうと思ったらしいの。もしかしたら、その姿を見るのは最期になるかもしれないと思って」
灯里はゴンドラをゆっくりと進めながら、婦人の話を聞いていた。それはまた、今の灯里にとっては、まさにデジャブのような話だった。
「そんな時、先ほど話したできごとが起こった。教会で無邪気に走り回っていた子供たちを見たとき、縁もゆかりもない自分を助けてくれた女の子のことが自然と頭に浮かんだらしくて。これはきっと、何かの縁だってね」
婦人はまるでその時その場所でその光景を見ていたかのように話した。
「もしその時、その女の子に出会ってなければ、その後の素敵なウンディーネさんとの出会いや忘れられない観光案内を経験することはなかっただろうし、教会にいる子供たちを見て、何か特別なものを感じることはなかったのかもしれない、とね」
「はい」
灯里は、襟を正すような気持ちで聞いていた。
「でも、そのあとが大変だったわ。アクアから帰ってくるなり、ネオ・ヴェネツィアの教会の支援をやるからって言って。結局周りの意見なんて最初っから聞く気なんてなかったのよね」
「はひぃ~」
そういいながらも婦人の様子は、明らかに喜んでいるようだった。
「主人が生きている間、とても大事にしていた場所。そして思い出。一度はちゃんと見ておこうと思ったの」
「そうだったんですか・・・」
灯里はその婦人の横顔に見える眼差しに胸が熱くなる思いだった。
「ところでお客様、もしかしてマンホームから来られたのでしょうか?」
「そうよ。あら、言ってなかったかしら」
「おそらく今回の旅が、アクアへ来る最後の旅になると思うわ。私もこの通り歳をとってしまったしね」
ARIAカンパニーへ戻ってきた灯里とその婦人は、テーブルをはさんで向かい合うように座っていた。
オレンジ色に染まるアクアの海を、カウンター越しに見るその風景は、今日一日を過ごしたすべての思いを心に焼き付けるように鮮やかに輝いていた。
「ウンディーネさん。いいえ、灯里さん。今日はわたしのわがままに付き合っていただいて本当にありがとう。これまでアクアには数えるほどしか来たことはないけど、今日という日が一番の思い出になると思うわ」
「そう言っていただけるのが、何よりうれしいです。お役に立てて本当によかったです」
「今回アクアに来ることが決まったとき、あの教会だけは絶対見ておこうと思ったの。そう決心していたから、他の人たちとは自分だけ違うスケジュールにしちゃったのね」
「そうなんですか?」
「そうなのよ。他の人たちは今頃おいしいものを食べて、心地いい歌でも聴いているはずだわ」
「えっ、じゃあお食事はまだですか?」
「そうね、朝食べたっきり。そういえば、ほっとした途端、お腹が空いてきたみたい」
婦人はそう言って楽しそうに笑った。
「もしよろしければ、どこかご紹介いたしましょうか?今から予約がとれるところは限られるとは思いますが・・・」
「いいのよ、灯里さん。これ以上は他のみんなが心配すると思うわ。それに、これだけよくしていただいたもの。それで十分」
「でも、このままでは・・・」
灯里は何かできないものかと考えを巡らせていた。
「少しお時間を頂けないでしょうか?」
灯里はそう言ってキッチンへ向かった。
婦人は紅茶を飲みながら、カウンター越しに暮れゆく海をじっと眺めていた。
キッチンの方から、芳ばしい香りが漂ってきた。
すると灯里が、皿が一枚と、フォークとナイフを一緒に乗せたトレイを持ってきた。
「すみません。お待たせいたしました」
婦人の前に置かれたのは、焼きたてのパンケーキだった。
「まぁ素敵ね。これはブルーベリーかしら?」
「はひっ、そうです。ブルーベリーのジャムとホイップクリームをのせてみました」
婦人はナイフで切り分けたパンケーキを口に入れると、その顔に笑顔が溢れた。
「おいしい~」
まるで少女のような表情に、灯里は嬉しそうに微笑んだ。
すると婦人はすぐに平らげてしまった。
「はひっ」
「ごちそうさま。ああ、おいしかった!」
「よかったです。お口に合って」
「とんでもない。こんなご馳走までいただいてしまって」
灯里はあらためてカップに紅茶を注いだ。
婦人はその紅茶を満足げに口にすると、こう切り出した。
「ところで灯里さん。先ほど聞いた話が少し気になってるんだけど、良かったらもうすこし聞かせていただけないかしら」
「えっと、どのお話しでしょうか?」
「おもてなしパーティーの件よ」
灯里は、藍華から聞いた話を婦人に話していた。
昔、婦人のご主人がそうであったように、藍華も教会の子供たちの存在をきっかけにして、いろんなことに気付かせてもらい、支店の開業一周年記念パーティーではなく、カンナレージョ地区の人たちをおもてなしするというパーティーを行いたいというものだった。
ただ、これに関しては具体的にどういったものにするかは、まだ決まっていなかった。
「その若き支店長さんは何か大事なことに気づいたのね。素晴らしいことね」
「藍華ちゃんは・・・その若き支店長さんの名前なんですけど」
「藍華さんておっしゃるのね」
「はい。藍華ちゃんは、しっかり者でいろんなことに気がついて、わたしなんていつも助けてもらってばかりで。でも実は涙もろくて、寂しがり屋で」
婦人は灯里の話に、微笑んでうなずいていた。
「藍華ちゃんの話を聞いたとき、私も何かできないかって思ったんです。でもそれは、藍華ちゃんのために協力したいという気持ちと、自分にとっても大事なことだとも思ったんです」
「そうなの。あなたにとっても、いい出会いだったのね」
「すみません。私ばかり話してしまって」
「いいえ、構わないのよ。もとはといえば、私から聞きたいといった訳だしね」
灯里は気持ちを落ち着けるようにカップの紅茶を飲んだ。
「ところで灯里さん。私にも協力させていただけないかしら、そのおもてなしパーティー」
「お客様がですか?」
「今の話を聞いていて、これは何かの縁だと思ったの。主人が支援することになった教会で、その若き支店長さんと繋がって、主人がお世話になったARIAカンパニーにやってきたら、灯里さんと藍華さんとの繋がりを知ることになった。これを縁でなくてなんていうのかしら」
「そう言われると確かに」
灯里と婦人は顔を見合わせると、ふたりしてくすっと笑った。