──東京上空に隠世への門が開いた日。
 ──後に年の瀬の大災厄と呼ばれる事件。

 英雄たちとタギツヒメの戦いの裏で、市民を守るため必死に戦う刀使たちの姿があった。
 馬庭念流を修める平城学館中等部三年の刀使・岩倉早苗もその一人だ。
 今も大荒魂と戦っている友人への想いを秘め、今未知なる敵と刃を交える。

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異聞刀使ノ巫女23.1話~不撓不屈の剣~

「来るぞ!狗型だ!斉射ッ!」

 

 ダダダダダンッと自動小銃の射撃音が市街地に鳴り響き、街中を我が物顔で闊歩する荒魂の顔面に鉛玉の雨が叩き込まれる。

 荒魂は鬱陶しそうに首を振るが、ダメージはない。当然だ。荒魂を祓えるのは刀使の振るう御刀だけであり、通常の銃火器の類では荒魂の体に損傷を与えることすらできない。

 だが目くらましにはそれで十分だった。

 

「みんな、今だよっ!!」

 

 荒魂が射撃を行った自衛隊員たちに気を取られた隙を見計らい、刀使たちが建物の陰から飛び出して一斉に荒魂に斬りかかる。

 決着は一瞬だった。体中を斬り刻まれた狗型の荒魂は耳障りな断末魔の音を上げてその場に崩れ落ちる。

 

「ふぅ……何とか倒せた……」

 

「助かった!」

 

「いえ、こちらこそ荒魂の気を引いていただきありがとうございます」

 

 自衛隊員の一人が今しがた荒魂を倒した少女たちに感謝の言葉をかけると、その隊の隊長格、岩倉早苗は険しい表情を柔和な笑み(彼女にとっては一番自然な表情である)に変えて応える。

 

「周囲に他の部隊はまだいますか?」

 

「我々が最後、他はもう撤収したはずだ。君たちもなるべく早く……」

 

「ありがとうございます。周囲の友軍の安全が確認されれば私たちもすぐに退きます」

 

 撤退する友軍を見送り安堵したのも束の間、スペクトラムファインダーが新たな荒魂の接近を知らせる。

 

「くっ……次から次へときりがない」

 

 すでに自衛隊だけでなく特祭隊全体にも撤退命令が出ている。この異常事態の元凶である大荒魂・タギツヒメの討伐は少数精鋭の突入部隊――鎌倉の英雄たちと当代最強の刀使・折神紫に任せることになっていた。

 だが荒魂の活動エリアは時間と共に広がる一方であり、敵の追撃を振り払いながらの撤退は困難を極めていた。そのうえ今の状態が続けば、街中に溢れかえった荒魂は遠からず後退した包囲網の外縁まで溢れてくる。

 誰もが終末を予感せざるをえない空を見上げ、焦っていた。

 

(弱気になっちゃダメだ!みんな頑張ってるんだから!)

 

 続けて接敵してきた荒魂を隊員全員で協力してなんとか打ち倒し、ファインダーの反応が消えたのを確認してようやく一息ついたあたりで、特祭隊本部のオペレーターから通信が入った。

 

『岩倉隊長、隊を率いて一つ東の通りに向かえますか?』

 

「そちらには別の隊が展開しているはずだったと思いますが、何かあったんですか?」

 

『撤退中の隊と連絡が取れないんです。救援が必要かもしれません』

 

「わかりました。すぐに向かいます」

 

 早苗は隊員たちの状態を確認する。部下の五名の隊員のうち一人はすでに一度写シを破られてしまっている。顔に疲労の色も濃い。

 

「岡隊員は先に撤退して!残りはこれから味方の救援に向かいます!」

 

「岩倉隊長、私はまだ、戦えます!」

 

 撤退を指示された隊員が抗議の声を上げる。彼女の気持ちはわかるが隊長としてこの状況で無理をさせる訳にもいかない。

 

「岩倉隊心得その四、『無理無茶は絶対にしないこと』、忘れちゃった?」

 

「は、はい……」

 

「隊長、その心得を暗記してるの隊長だけだと思う」

 

「え、ひどい!?最初に私の隊に配属されたからにはこれだけは覚えてって言ったのに!」

 

 気を落とす隊員を慰めていると横から別の隊員のちゃちゃが入り、緊張しきっていた隊員たちの顔に笑みが漏れる。

 撤退を指示された隊員は「ごめんね」と何度も皆に謝りつつも後方に下がってくれた。

 早苗は隊内の空気が和らいだことに安心すると、気を取り直して救援を指示された方角に向き直る。急がなくてはならない。連絡が取れない時点で最悪の事態もありうる。

 

「恐らく強敵が待ってると思うから、みんな気を引き締めて!」

 

 隊員たちを叱咤しつつ、手元のファインダーを見た早苗は怪訝な顔になる。指定されたエリア付近に大きな荒魂の反応がない。刀使の一隊を追い詰めるような強力な荒魂にファインダーが反応しないはずがない。敵は荒魂ではないのか?

 

(もしかして敵は……)

[newpage]

 指示された場所に到着すると、頭にもたげた疑念はすぐに確信に変わった。片側二車線の広い道路の中央に一人の刀使が佇んでいる。綾小路武芸学舎の制服の上にダークグレーカラーのストームアーマーを纏った姿。タギツヒメ派の近衛隊の衣装だ。周りには何人か特祭隊の刀使たちが倒れている。間違いなく彼女にやられたのだろう。

 

「あれ、救援かな?残念、少し遅かったかな~」

 

 近衛隊の刀使は早苗たちに気が付くと殺伐とした戦場には場違いなぐらいの満面の笑みを浮かべた。

 

「近衛隊は、すでに壊滅したと報告を受けてるけど……」

 

 タギツヒメを守る近衛隊は折神紫や衛藤可奈美たち、突入部隊の本命を迎撃する為に出撃したが緒戦で敗れて壊滅した。全体の戦況を把握する特祭隊本部からはそう知らせを受けていた。まさか生き残りがまだいたとは。しかもここはタギツヒメが最後に確認された地点から相当離れている。彼女の護衛であるはずの近衛隊が何故ここまで出張ってきているのか。

 

「うん。ほとんどの子がやられちゃった。いやあ、流石鎌倉の英雄。みんな強いのなんのって」

 

近衛隊の刀使はまるで他人事のようにカラカラ笑いながら自部隊の壊滅を語る。

 

「タギツヒメを守るのが貴方の役目じゃないの」

 

「今更あたし一人であの人たち相手に頑張ったところで無駄だろうし、ヒメ様ならご自身の御力でなんとかするでしょ。それならあたしは他の可愛い女の子たちと遊んでポイント稼ぐ方がお得かな~なんて思ってね」

 

「ポイント稼ぎだと?ふざけるな!よくも園子を!」

 

「待って、落ち着いてっ!」

 

 早苗の隊の平城学館の刀使が敵の態度に激昂して斬りかかった。早苗はすぐさま制止するが、聞く耳を持たず敵に突っ込んでいく。恐らく倒れている者の中に友人がいたのだ。

 

「お、今度は貴方が相手してくれるの?怒ってる顔可愛いなあ~」

 

 近衛刀使は担いでいた大太刀を掲げ、見かけに似合わぬ膂力で全身を使って勢いよく振り抜いた。ぐるんと回る体と連動して頭のポニーテールが勢いよく乱れる。

 

「ぐあぁぁっ!!」

 

「一本っと!」

 

 隊員は近衛刀使の強烈な一撃に振り上げた御刀ごと跳ね飛ばされ、道路端に叩きつけられた。

 

「ごめんねぇ~乙女を傷つけるのは心が痛むんだけど、あたしも査定がかかってるから手を抜けないんだよねえ」

 

 近衛刀使は今しがた自身の手で打ち倒した相手にジェスチャーをつけながら謝ると早苗たちの方に向き直った。次は自分たちに斬りかかってくるのかと警戒する早苗だが近衛刀使は早苗の顔をじろりと見ると何やら考え込むようなポーズを取る。

 

「そっちの隊長さんっぽい人の顔、なーんかどっかで見覚えがあるなあと思ってたんだけど。確か平城の代表として御前試合に出てた人だよねえ?ええと、いわ、岩なんだったかなあ?ああ、あたし一生の不覚!こんな可愛い美少女の名前を忘れるなんて!」

 

「平城学館中等部三年、岩倉早苗です」

 

 別に敵の疑問に親切に答えてやる義理などないのだが、早苗は生来の人の良さからつい反射的に名乗ってしまった。

 

「ああ、そうそう、岩倉さん!思い出した!そういや年上でしたね!あたしも御前試合出たかったから覚えていますとも!御前試合って出場して優勝すれば偉い人の目に留まって、出世間違いなーし、なんでしょう?でもあの頃のあたしの力じゃ、ちょーっと及ばなかったんだよね」

 

 敵を前にして暢気に世間話をするように語り続ける相手にその場の全員が得体の知れない不気味さを感じる。

 

「あの人の相手は私がするから。みんなは隙をみて負傷者の救出をお願い」

 

「隊長、一人では危険です!よくわからないけどあいつは絶対ヤバい!我々全員で対処するべきです!」

 

「危険だからだよ?あの人相手に全員でかかっても何人かは絶対にやられちゃう。今これ以上動ける刀使の数が減ればあの人に勝っても負傷者を助けられなくなっちゃうから」

 

 早苗はもう腹を括ったとばかりに副長の抗議を却下した。ここは敵陣の真っ只中、いつ荒魂に襲われるかわからない場所でいつまでも倒れた仲間を置いておくことはできない。

 

「……倒れている仲間を回収するには一度では手が足りません。仲間を安全なところまで届け次第すぐに戻ります」

 

「うん、ありがとう。それまでには決着を着けるから」

 

 断腸の思いで隊長の指示を受け入れた副長の肩に早苗はそっと手を置く。

 

「作戦は決まったかな?あたしとしては美少女たちに囲まれてハーレムな展開がいいんだけど」

 

 相変わらずの調子で喋る近衛刀使に早苗は答えず迅移を発動し、近衛刀使の側面、死角に回り込んで斬りかかった。

 

「はあぁっ!」

 

「おっとっと!」

 

 だが相手も然る者、早苗の振るう刃が面を捉える直前、緩慢だった動きが加速し、敵の時間が早苗の時間に追いついた。早苗の御刀は相手を捉えきれず虚しく空を斬る。

 

「ああん、いきなり斬りつけるなんて情熱的だなあ〜今のはヒヤッとしたよ」

 

 近衛刀使はそのまま後退し距離を取ると、今度は油断なく御刀を構えた。口調が楽しげなのに声色がどこか空虚に聞こえるのはノロを取り込んだ影響なのか。

 

「隊長、御武運を!」

 

 二人の戦闘が始まると同時に後方では岩倉隊の隊員たちが倒れている仲間を抱え、後退を開始した。

 

「あれれ?他のみんなは帰っちゃうの?」

 

「これ以上貴方にみんなを傷つけさせない」

 

「うふふ、岩倉さんみたいな素敵な人に独り占めされるならそれもいいと思います!」

 

「少し、黙ってっ!」

 

 二人はほぼ同時に迅移を発動し、正面から激突する。

 

「くぅっ!」

 

 冥加とSアーマーで二重に強化された近衛刀使の力は想像以上だった。そのうえに近衛刀使の太刀捌きは大して体格に恵まれているわけではないにもかかわらず、大太刀使いの刀使に儘ある八幡力に頼りきったものではない。

 大太刀は異能の剣士たる刀使にとっても扱いづらいものだ。なにせ刀使は皆年頃の少女、いくら八幡力で腕力が強化されているとはいえ体格が合わない。

 ゆえに文字通りの意味で自身の身の丈に合わない御刀に選ばれてしまった刀使は、愛刀に合うような戦い方を模索することを余儀なくされる。時には修める剣術の流派を鞍替えする者すらいるくらいだ。

 この近衛刀使もそうして自身の御刀に合わせ体捌きを覚えた口なのであろう。強力なドーピングを受けた熟練剣士、まともに正面から打ち合っても勝機は薄い。

 

「はっ、はっ、そおれっ!」

 

「ふっ、くっ、はあぁっ!」

 

 次々と繰り出される大太刀の連撃をかわし、いなしていく。捌いた大太刀の一撃が地面を叩くとアスファルト舗装された道路が割れて破片が周囲に飛び散る。視界の端でその破片がいまだ道路上に倒れている刀使たちの方にも飛んでいくのが見てとれた。

 

(ここで戦ったら巻き込んじゃう。なんとか離れないと)

 

 早苗は迅移で加速しながら後退し、なんとかその場から離れようとする。だが敵がそれを見逃すはずもない。合わせて迅移で追撃を仕掛けてくる。勢いに乗って攻めかかってくる側と周囲を気にしつつ退きながら防戦する側、前者が優位になるのは明白だ。

 

(落ち着いて、私……。受けて返すのは得意でしょ!)

 

 打ちかかる相手を正眼で牽制して勢いを止め、距離を取ってなんとか仕切り直しをかけようとする。

 だが次の瞬間、それまでその長大な得物を支える為、地面に根を下ろすように腰を落としていた敵の体躯が――跳んだ!

 

「!?」

 

 近衛刀使は空中で体を捻りながら御刀を斜めに打ち下ろす。

 

「いやああっっ!!」

 

(これは打ち合っちゃだめ、躱さな……ッ!)

 

 だが回避が間に合わない。咄嗟に相手の太刀筋に合わせて御刀を振うが、直後御刀を握る腕から先に強烈な衝撃が走った。早苗は全身に伝わる衝撃を堪えきれず、地面に転がる。

 

「ぐふっ!!うぅぅ……っ!」

 

 痛みを堪えて目を開け、感覚を失った利き手を見やる。なんとか御刀は保持しているが、腕はあらぬ方向に曲がっている。

 

「……っ!」

 

 すぐさま写シを張り直し、立ち上がって敵の方を向いて構え直す。

 

「ふふっ、まずは一本ってところかな?あたしとしては一発で決めたかったんですけど」

 

 不敵に笑うその目が次はないぞと言っている。焦りが募る。ここで早苗が敗れれば自分の命が危険に晒されるだけではすまない。こんなところで倒れていては目の前の彼女にとどめを刺す意思がなくとも仲間たちともども通りかかった荒魂に襲われるだろう。

 そうなれば次は先に後退を見送った隊員たちや自衛隊の人たちも危ない。自分の肩に沢山の命が懸かっているのだ。

 

(落ち着いて、私!ここからが勝負所っ!)

 

 呼吸を整え、心から弱気の虫を追い出す。

 次に状況確認。周りと相手と自分の状況を整理し、自分のやるべきことを考える。

 幸い仲間たちが倒れている位置からは十分に離れることができた。もう背中に気を取られる必要はない。これは良いことだ。

 相手を打ち破るうえで脅威なのはこちらに勝る相手のリーチ、そしてパワー。敵の強みはシンプルだ。ならば対応策も難しく考える必要はない。

 早苗は相手を真っ直ぐ見据えて念流の独特の構えである体中剣の姿勢を取る。足を根のように地面に張り、身体を木の幹に見立てて刀をそこから生える一本の枝のごとく突き出す。

 

「んっ、もう逃げないのかな?なら終わりにしちゃいますよ?」

 

 近衛刀使は、念流の剣士と対峙したのは初めてであったために、この構えの意図するところはわからなかった。だが重心を後ろに置いて前屈みのようになったこの姿勢では大きく後方に退くことはできない。それだけはわかったし、それで十分だった。

 

「逃げてなんかないよ。私は最初からみんなを守るために戦ってるだけだから!」

 

「くぅ~健気すぎて私、泣けてきたっ、なぁっとぉっ!!」

 

 近衛刀使の目がおどけた態度から一瞬で剣士のそれに切り替わり、大太刀が閃く。

 早苗はもう下がらない。逆に一歩踏み込んで相手の懐に入り込み、相手の上段からの打ち込みをこちらも上段から振り下ろして外す。

 

「やぁっ!」

 

「むぅっ!?」

 

 念流は後ろ足に重心を置き、基本的に送り足を使わない。上体を浮かさず後ろ足から一気に踏み込んできた早苗に近衛刀使は間合いを狂わされ、一瞬戸惑う。

 慌てて次撃を打ち込むが、早苗はそれが来るのがわかっていたかのようにまたしても外した。

 

(常に相手の[[rb:心 > しん]]をとれ)

 

 早苗は心の中で念流の基本の教えを唱える。追い込まれた時こそ人間は基本を忘れがちだ。焦って奇手に賭けたところで血路は開けない。

 相手は呼吸が乱れている。呼吸が乱れれば必然動作の隙が大きくなる。そうなれば相手の手を読むのはたやすい。

 

「いやぁっ!」

 

「ぐぅ……っ!」

 

 とはいえ身体能力は向こうが圧倒的に上。早苗は近衛刀使の重たい一撃を歯を食いしばりながら受け流し続ける。

 

(重い……痛い……怖い……。でもっ!ここで下がっちゃ、だめだっ!)

 

 相手がリーチに優れるのなら懐に飛び込んで接近戦を仕掛けるのが定石。幸い近距離での攻防は得意とするところだ。

 だが敵も自身の弱みなど当然心得ている。こちらが間合いを詰めれば柄を短く持ち替え、コンパクトに刀を振って打ち合い、接近戦に対応してくる。

 たとえ小振りになってもその一撃は重い。だから早苗のやることは変わらない。決して下がらず、捌き、捌き、躱す。粘り強く立ち回って勝機を手繰る。

 

「むぅ、可愛い顔して、なんて肝っ玉!」

 

「どうっ、いたしましてっ!!」

 

 一瞬の隙を突き、早苗はついに近衛刀使に一太刀浴びせた。

 

「ぐぅ……っ!」

 

 だが浅い。胸部に斬り下ろした一撃は致命傷には届かない。

 

「このぉ、よくもぉっ!」

 

 近衛刀使は激昂し、写シを張り直しながら反撃に出る。追い込んでいたはずの鼠に噛みつかれて感情的になっている。

 

(今ならいける……っ!)

 

 早苗は体中剣の姿勢から刀を右斜めに下げ、無構えになる。こうなれば腰を低く屈めているため胴は狙えず、小手も容易く返される。相手は必然無防備に見える面を狙ってくる。

 

「せやあぁっ!!」

 

 予想通り上段に斬りかかってきた敵に対して早苗は即座に頭と前足を退いて頭上からの一撃を流し、逆にこちらも上段から打ち下ろす。

 

「いやぁぁっ!!」

 

「ぐあぁっ!?」

 

 早苗の太刀が近衛刀使の面を叩いた。

 

「岩倉隊心得その三、『好機は見逃さないこと』、だよ」

 

 近衛刀使の写シが解け、そのままアスファルトの地面に頭から倒れ込んだ。

 

「あ……っ」

 

 兜を被っているとはいえ打ちどころが悪ければ危険だ。早苗は息を吐いて緊張を解きつつ、倒れた彼女を心配して手を伸ばそうとしたところで――

 近衛刀使の腕がピクリと動いた。早苗は悪寒を感じてさっと飛び退く。

 

「はぁ~。岩倉さんたらひどいなあ〜そんなに慌てて逃げなくても」

 

 近衛刀使がゆらりと立ち上がる。

 

「あたしの打たれ強さとスタミナ、舐めないでくださいね」

 

 近衛刀使がニヤリと笑うとその体が再び写シに置き換わり、倒れた拍子に割れたバイザーの隙間から覗く瞳には荒魂の力の証である紅い輝きが灯る。

 

 

 ────────

 

 

 鋭い風切り音がビュンビュンと吹き、金属がぶつかる音が鳴り、火花が散る。

 二人の攻防はなおも続いていた。時折近衛刀使は不意を突こうと迅移を交えた攻撃を行うが元より奇策より正面から力で捩じ伏せることに長けた剣だ。早苗は惑わされず同じく迅移ですべて対応してみせる。

 見かけ上はほぼ互角。そう見かけ上は。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 驚異的なスタミナで大太刀をブンブン振り抜く近衛刀使に対して、早苗の方は、すでに息は切れかけ、御刀を握る手は小刻みに震えている。神力も随分消費した。これ以上消耗しては迅移が使えなくなる。

 

「岩倉さん、いい加減疲れちゃいましたよね?苦労して面を割ったと思ったのにあたしはまだまだピンピンしてるんだもん」

 

 それまで休みなく攻めかかっていた近衛刀使が不意に手を止めて早苗に挑発的に語りかける。

 

「何が言いたいの?」

 

「そろそろ諦めよう?可愛い女の子が苦しそうな顔するのはあたしも見てて心が苦しいよ」

 

 諦める。早苗にとっては耳の痛い言葉だ。

 半年前、突然自分の隣から去ったあの人を、早苗はひとり信じて帰りを待ち続けた。自分だけでも信じ続ければ希望は繋がる、そう思ったからだ。

 だが本当にそうか?自分にできることは待つことだけだと決めつけて諦めていたのではないか?本当に諦めていないのなら自分は彼女を助けるためにもっと何かできることがあったのではないか?

 実際平城に戻ることが決まった日、似た立場にあった美濃関のあの子はきっとまだ親友の為にできることがあるはずと模索していたはずだ。

 

(あの時の私にもう少し勇気があれば!思い出せ、あの時の悔しさを!同じ後悔を繰り返さないために!あの人にもう一度胸を張って顔を合わせられるように!)

 

 想いは力だ。悔恨が手の震えを止め、決意が心を奮い立たせ、早苗の目に再び強い意思が宿る。

 

「諦めない!タギツヒメは十条さんたちが何とかしてくれるって信じてるから!だったら私たちが後ろを守らないで誰が守るの!」

 

「残念だけど、その十条さんもヒメ様に取り込まれて結構経つし今頃消化されてたりして?」

 

 言葉で揺さぶりをかける近衛刀使は今度こそこれで心が折れるだろうとにやりと笑う。

 ……だがそれは、早苗の逆鱗に触れるものだった。

 

「――が古い」

 

「うん?」

 

「情報が、古いっ!!」

 

 敵の軽口を一喝すると同時に早苗は迅移を使って踏み込み、強烈な一撃を上段に見舞う。

 

「ぐぅぅ……っ!」

 

「十条さんなら突入部隊のみんなが無事救出したってさっき相楽学長から連絡があったから!」

 

「相楽学長!?なんで学長がそちら側に!?」

 

 近衛刀使はなんとか早苗の一撃を受け止めたが、早苗の言葉に動揺した隙を突いてさらにもう一撃が襲いかかる!

 

「岩倉隊心得その八、『常に仲間との情報共有を密にすること』!」

「くぃぃ……っ!その情報が、今なんの役に立つのっ!」

 

「だから私は戦えるっ!」

 

(一気に気迫が増したっ!?)

 

 押されている。力で勝るはずの自分が、冥加とS装備で強化されたはずの自分の剛剣が、押されている!

 剣は気迫だ。気迫で相手に呑まれれば本来の力量差が覆ることもある。

 

(パワーで今のあたしが負けるはずないっ!絶対にっ!)

「くぅっ、舐めるなぁっ!!」

 

 近衛刀使の眼が紅く煌めく。同時に彼女は連続迅移で強引に距離を離し、彼女の必殺の間合いを取る。

 太刀筋で円を描くように体を一回転させて追撃を図る相手を牽制し、回転の勢いを使って大太刀を掴んだ片手を後ろに大きく振りかぶり、その姿勢のままありったけの八幡力を込めた脚力で、跳んだっ!

 

「これでぇ、沈めぇっっ!!!」

 

 眼下には体中剣を構えてこちらを真っ直ぐに見据える早苗。だが関係ない。どんな手を打ってこようとこの一撃を止めることなどできはしない。

 

(その構えごと真っ二つにしてやる!)

 

 早苗の面をめがけて大太刀を振り下ろす。斬った――近衛刀使は打ち込んだ瞬間確かにそう思った。だが、得物に手応えがない。そして振り下ろす瞬間まで目の前にいたはずの敵の姿もない。

 

「ッ!?」

 

 早苗は消えたのではない。攻めかかる敵をギリギリまで動かずに引きつけ、打ち込まれる直前に迅移を重ねつつ足回りの最小限の動きだけで側面に回っていたのだ。

 

「いやあぁぁっ!!」

 

 勇ましい掛け声が耳をつんざく。近衛刀使が何が起きたのかを理解する前に、早苗の太刀が再び近衛刀使の面を叩き割った。

 

 

 

「ん……」

 

 目が覚めて一番に目に入ったのは自分を倒した強敵の小さな背中だった。

 

「あ、目が覚めた?早かったね」

 

 自分を背負う早苗が首を回してちらりとこちらを見て言った。

 

「うん」

 

 周囲を見回すと彼女の仲間と思われる刀使たちが早苗と同じように気を失っている仲間を背負って並走している。

 

「あ、暴れちゃだめだよ?」

 

「しませんよ、そんなこと。もう負けちゃったんだし」

 

 そうだ、自分は彼女に敗れたのだ。そして意識を失って……。

 目覚めきっていなかった頭がようやく現状を理解する。ずいぶん長いこと頭の中が赤熱したようにぼーっとしていた気がする。なのに今はやたら意識がクリアに感じる。

 彼女は知る由もないことだったが、体内のノロを通じて彼女たち近衛隊をマインドコントロールしていたタギツヒメが現世から隠世に移動したことで、彼女の精神は既にその影響から脱していた。

 冷静になった頭に代わりに湧き出るのはどうして荒魂に協力するような馬鹿な真似をしてしまったのかという罪悪感とすべて失くしてしまったという喪失感だった。

 もはや査定が下がるどころの話ではない。相楽学長に見限られたうえに敗軍に回ってこの様だ。学長に限って自校の生徒を見捨てるようなことはありえないと思いたいが、罪を犯した自分に汚名はあれど将来の上がり目など残っているはずもない。

 だからかつい自棄気味に彼女に当たってしまう。

 

「置いていけばよかったのに……。なんで助けたんですか?あたしは貴方と貴方の仲間にひどいことしたんですよ」

 

「なんでって……。うーん、そうだ!岩倉隊心得その一、『守ると決めた相手は必ず守り抜くこと』。私の中では一番大事な心得だから」

 

 そう言って屈託もなく微笑む彼女に返す言葉を失った。敵わないはずだ。彼女の「守る」には戦った相手のことまで入っていたわけだ。

 

「はい、これ。さっきの戦いで勢いよく倒れたでしょう?肩を擦り剥いてたから血がつかないよう念のために預かってたんだ。大事なものなんでしょ?」

 

 そう言って早苗が手渡したのはいつも肩に巻き付けている黄色のハンカチ。そう、自分にとって何より大切なものだった。

 

「はい……。ありがとうございます……」

 

 渡されたハンカチを頬に当て、これをくれた大切な人の顔を思い出す。

 

(守る、か……。なんで忘れちゃってたかな……。私にも守りたいものあったのにな……)

 

 大切なことを思い出させてくれた恩人にもう一度礼を言おうとして気がつく。早苗はしきりに背後を、タギツヒメがいた場所――この都心を覆う異変の中心を気にかけている。

 ふと先ほどの戦いの中で早苗が信じていると口にした人の名前を思い出し、そこでようやく彼女の一番守りたい人はあそこにいるのだと気がついた。

 最後まで信じると言い張った瞳は、それでも大切な人を案じ続けていた。



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