まえがき
『あまいかたち』第6話です。
ある夏の日。アパートの庭。
イエネコ 「虫がいっぱいだわぁ! えい! えい!」
イエネコが楽しそうに飛び跳ねて、飛び回る小さな虫の群れにネコパンチをした。*1
しゃがんで作業していたごしゅじんが立ち上がって、はしゃいでいるイエネコ見た。
ごしゅじん 「今年は大量発生だな……」 *2
イエネコ 「やだなにこれ! 赤くなってる! かゆいい!!」
庭の隅に、小さな石が二つ、寄り添うように置いてあった。大きめの石と小さな石。そのそばに、小さな花束があり、線香が立ててあった。
ごしゅじん 「部屋に戻るぞ」
ふたりが部屋に戻り、網戸を閉めた。
イエネコ 「かゆいかゆい!」
ごしゅじん 「掻くな。後で痛くなる」
ごしゅじんが、イエネコの腕にかゆみ止めを塗った。
ごしゅじん 「アニマルガールも蚊に刺されるのか……」 *3
ごしゅじん 「知りたいか? イエネコの母親のこと」
ふたりは、網戸越しに、庭の小さな墓を見た。
イエネコ 「知りたくない……けど、知りたいわ。すっごく」
ごしゅじん 「すごいネコだったんだ。おまえの母親は」
ごしゅじん 「ときどき、この庭に来ていた。きれいな三毛猫だった」
ごしゅじんは、近くに積んであったアルバムをパラパラとめくった。
三毛猫の写真が何枚もあった。理想的ともいえる色の配分、整った毛並み、プライドと気高さを感じさせる目。
イエネコ 「あたしに似て美人ね」
イエネコは、明るい声で言った。寂しさなどは見えなかった。
ごしゅじん 「くやしいが否定できん」
ごしゅじん 「保護団体が捕まえようとしたが、トラップにはかからないし、
明らかに人を見分けていて、捕まえようとする人の前には、
絶対に姿を見せなかった。足音で逃げてたんだろう。
オスネコも軽くあしらっていたらしい。一匹を除いては……」
イエネコ 「一匹をのぞいてって、だれのことよ?」
ごしゅじん 「おまえの父親だ」
イエネコがはっとした。
イエネコ 「おとうさん!」
ごしゅじん 「母親とは対照的で、のんびりしたやつだ。すぐ捕まったしな」 *4
イエネコの毛色は父親ゆずりだぞ。……あいつの写真は……」
ごしゅじんが、アルバムのページをめくった。
大柄で、温厚そうな顔の茶トラネコの写真があった。
イエネコ 「あれ? いつもあたしのなわばりに入って来るやつじゃない!!」
ごしゅじん 「なんだおまえ、気づかなかったのか」
イエネコ 「オスなのかメスなのかわからなくて、気づかなかったわ……
どうりで、なれなれしいわけだ……」
ごしゅじん 「……かわいそうに……」
ごしゅじんは、悲しげな声でつぶやいた。 *5
イエネコ 「ん?」
ごしゅじん 「おまえの父親には、何回かエサをねだられたが……」
ごしゅじん 「俺は、ノラネコには食べ物をやらない。
一度でも食べ物をあげたら、泥沼にはまって、おたがい不幸になる」 *6
イエネコ 「大嘘ね」
イエネコは、あきれたように言った
ごしゅじん 「ぐ……」
ごしゅじんが一瞬顔をしかめた。
ごしゅじん 「ある日、庭でにゃーにゃー声がしてな、見たらネコの親子だった。
三毛猫の母親と、子猫が4匹」
ごしゅじん 「ずるいよな……子連れで来られたら、食べものをあげないわけにいかない」
イエネコ 「それ、無視できたんじゃない? まあごしゅじんにはむりね」
ごしゅじん 「無理だった……さばぶしをぬらして、丸めてあげた。
塩分が体に良くないが、他になかったからな」
イエネコ 「さばぶし……」
ごしゅじん 「皿に乗せて差し出したら、母親が真っ先に食べた」
イエネコ 「子供が先じゃないの?」
ごしゅじん 「俺もそう思ったが、母親は少しだけ食べて、そのあと子供に食べさせたんだ。
安全なものか確かめたんだろうな。本当に頭のいいネコだった」
イエネコ 「思いだせない……」
ごしゅじん 「……3年前の今日……ひどい嵐の日だった……。
夜中にすごい声がした。ふつうの鳴き方じゃなかった」
ごしゅじん 「戸を開けたら、おまえたち親子がいた。……母親はぐったりと倒れてた」
イエネコ 「え……」
ごしゅじん 「そのとき、たしかに目が合ったんだ、母親と。そしたらすぐ意識を失った」
ごしゅじん 「ミキナさんに連絡とってもらって、獣医を叩き起こした」
イエネコ 「そんなときもキーナさんを頼るのね」
ごしゅじん 「仕方ないだろ? 真夜中で医者は休みだし、救急医療ネットワークなんてものが
あるとは知らなかったんだ」
ごしゅじん 「……病院に連れて行ったが……手遅れだった……」
ごしゅじん 「おまえのきょうだいの一匹は、すでに死んでいた」
ごしゅじん 「母親は、おなかより下が潰れていて……腰の骨が砕けていたそうだ」
イエネコ 「どうして……なにがあったのよ……」
ごしゅじん 「本当のところは分からないが、想像はつく」
ごしゅじん 「その日は風が強くてな……近くの工事現場の足場が崩れたんだ」
イエネコ 「こうじの、あしば?」
ごしゅじん 「大きくて重たいものが落ちたんだ」
ごしゅじん 「おまえたち親子は、それに巻き込まれたのかもな。
だが、あそこまで200メートルはある。体が半分潰れてる状態で、
どうやって4匹も運んだのか……しかも大雨の中……道路は水浸しだったのに」
イエネコ 「子猫をくわえて、前足だけで、びしょ濡れのからだを引きずって……
痛いなんてもんじゃないわ……なんで動けるのよ……」
ごしゅじん 「痛みは麻痺していたかもしれないって、医者が言ってた。
あまりに痛みが激しいと、感じなくなることもあるそうだ」
イエネコ 「やっぱり思いだせないよ……おかあさん……」
ごしゅじん 「俺のところに来たのは、あっちは人が住んでなかったからだろう」
イエネコ 「わかってたのよ。ごしゅじんならだいじょうぶ、って」
ごしゅじん 「どういうわけか、ネコには好かれるんだよな、俺。……人には嫌われるが」
イエネコ 「んふふ……あたしはごしゅじんのこと大嫌いよ?
……それに、ヒトにも好かれてるじゃない」
ごしゅじん 「そんなもの好きがいるかねぇ……」
イエネコ 「だからごしゅじんは天然とか言われるのよ? すぐ近くにいるじゃない」
ごしゅじん 「……ミキナさんか? いい人だな」
イエネコ 「美人で、なんでもできちゃう」
ごしゅじん 「いつも笑顔で、余裕がある大人。
急に怒り出す情緒不安定な誰かとは大違いだ」
イエネコ 「ま、そうねぇ……」
イエネコは少し不機嫌そうな顔をした。
ごしゅじん 「ん……あの人もモデルにしたいな」 *7
イエネコの眉がぴくっと動いた。
ごしゅじん 「紅葉とか似合いそうだ。秋になったら、いっしょに旅をしたい」
イエネコ 「いま、なんて?」
イエネコの声が、少し重いものに変わった。
ごしゅじん 「イエネコの服を着せたら、意外とかわいいかもな」
イエネコの目が、にらみつけるような鋭いものに変わった。
イエネコ 「あたしがいちばん似合うって、言ったわよねぇ……」
イエネコの目に涙が浮かんだ。ぎゅっとこぶしを握った。
ごしゅじん 「ギャップがあっていいんだ。あの人の恥ずかしがった顔、見てみたいし」
イエネコ 「…………」
イエネコがうつむいた、表情が見えなかった。
イエネコ 「たぶん脱いでもきれいだ。シュッとしてて、イエネコと違うタイプ……」
イエネコが、ハンターの顔になって、ヒュッ!と、見えない爪をごしゅじんのあごに当てた。
イエネコ 「切り裂かれたいの?」
鋭さの中に笑顔が混じった、恐ろしい顔だった。
ごしゅじん 「……悪くない死に方だ。嫉妬で狂った大好きなひとに、殺されるなんて」
ごしゅじんは、皮肉っぽく笑った。
イエネコ 「……ば……ばっかじゃないの……」
イエネコは素に戻って、ごしゅじんから顔をそらしてうつむき、真っ赤になった。
イエネコ 「ごしゅじんの言う通りだわ……泥沼にはまっちゃった。
いけないことしたから、かみさまに怒られたのね」
ごしゅじん 「たしかに、エサを与えすぎたな」
イエネコが、ごしゅじんにやわらかく抱き着いて、耳元でささやいた。少し背伸びをして、色っぽいふりをした声で。
イエネコ 「……苦しくて、さいっこーに気持ちいい底なし沼に、
あたしとごしゅじんが、はだかで抱き合ったまま沈んでいって……
息ができなくなって、深ーいところで、死んじゃうのよ」
ごしゅじん 「それは不幸になってない」
ごしゅじんが、イエネコの頭をなでた。
イエネコ 「いっしょに死んでくれる?」
イエネコが、ごしゅじんに笑顔を向けた。
ごしゅじん 「……努力する」
イエネコ 「そういえば、あたしのきょうだいはどうなったの?」
ごしゅじん 「死んだ子以外の2匹は、別の家へ行った。……よかったら会わせてやる」
イエネコ 「そのうち、でいいわ」
ごしゅじん 「……そして、残りの1匹は逃げた」
イエネコ 「え?」
ごしゅじん 「半分ノラになった。ここには、食べものをもらいに来るだけで、
『俺がごしゅじんだぞ』って言っても聞かなかった」
ごしゅじんは、庭を見つめた。
イエネコ 「そりゃネコだもの!」
ごしゅじん 「そいつがある日突然、アニマルガールになって縁側で寝てたんだ。
正直、厄介なことになったって思った」
イエネコ 「やっかいじゃなかったでしょ?」
イエネコが、横からごしゅじんの顔をのぞき込んだ。
ごしゅじん 「そうだな。死ぬほどめんどくさいだけだった」
ごしゅじん 「そうだ……もう一つ、衝撃の事実がある」
イエネコ 「しょうげき?」
ごしゅじん 「…………ちょっとまて……たしかこのあたり……」
ごしゅじんは、両親のものとは別に積んであったアルバム、その下の方にあったもの取り出して、をパラパラとめくった。
イエネコ 「これはあたしね………やめなさいはずかし……」
クリームトラの子猫が、カメラにおしりを向けて、しっぽを上げている写真があった。
イエネコ 「……え?」
イエネコが、一瞬目を見開き……
ごしゅじん 「おまえは……オスだったんだ」
……とてつもない悲劇を見たような顔をした。
イエネコ 「……うそだぁーーー!!」
子猫の股間に、ω型の丸いものがついていて、ピントはそこに合っていた。*8
ごしゅじん 「かわいいだろ?」
イエネコ 「…………しばらく……ひとりにさせて……」
イエネコは、ずーんっと暗い表情で立ち上がり、網戸を開けた。
そして、縁側に出て座った。
ごしゅじん 「…………学習しないな……」
イエネコ 「いやあぁ!! ネコの血はおいしくないわよー!!」
つづく
次の話では、ミキナさんが大変なことに……。
ミキナ 「大変でしょうけど、生きていれば、なんとかなりますよ」
次話 第7話「おでかけは、じょうほうせん」
これが、『性転換』タグを付けた理由です。
あとがき
読んでいただきありがとうございます。
『めんどくさいこ』は、『免毒サイコ』でも『Men 独裁虎』でもありません。