まえがき
『あまいかたち』第8話です。
ミキナが去ってから2週間ほど経った日の朝。
ごしゅじん 「応援なんて呼ぶから、犠牲が増えたんだ……」
ごしゅじんが、くやしそうにつぶやいた。
イエネコ 「またじけん?」
イエネコが、ごしゅじんの隣にやってきた。眠そうな顔だった。 *1
ごしゅじんは、黒い箱から壁に投影された映像を見ていた。
表示されていたのはニュースサイトで、動画が貼り付けてあった。
商品が散乱し、ガラス片だらけになった土産物店。ひっくり返って大破したバス。道路にいくつもの血だまり。現場を隠すブルーシート。救急車とパトカー。布で覆われた担架……。
ごしゅじん 「昨日の夜、ナイトサファリ帰りの客が、クマ科のビーストに襲われた。
ガイドと、駆けつけた警官も襲われたらしい。土産物屋に逃げ込んで……
死亡4名、心肺停止2名、身元不明の遺体1名、重軽傷不明……大暴れだ」
イエネコ 「なんでよ……ビースト、悪い子じゃないのに……」
ごしゅじん 「ビーストは……拳銃20発以上と、散弾銃を3発、
そのあと、特殊部隊の、自動小銃の一斉射撃 *2 を食らって……逃げたそうだ」
イエネコ 「じゅうって、なに? よくヒトが使ってるけど……」
ごしゅじん 「……小石をぶつけるようなものだ」
ごしゅじんが苦い顔をした。
イエネコ 「ばかじゃないの!! ビーストを怒らせたいの?!」
ごしゅじん 「ミキナさんの言う通りだ……逃げるしかない」
画面が更新され、別のニュースが表示された。
ごしゅじん 「おい嘘だろ……」
ごしゅじんは、いつになく動揺した。
イエネコ 「なに?」
ごしゅじん 「……ついさっき……ロッジで家族が襲われて、子供が意識不明の重体……
川に、遺体の一部が……」
イエネコ 「もういやぁ! 聞きたくない!」
イエネコは、頭を抱えた。
ごしゅじん 「警告じゃ済まなくなったんだ」 *3
ミキナが去ってから2か月ほど後の、冬の日。
ごしゅじん 「それはあんたらの仕事だ!! 俺たちを巻き込むな!!」
イエネコ 「っ!!」
イエネコが、ビクっと反応した。
ごしゅじんが、電話の相手に怒鳴っていた。
ごしゅじん 「なぜだっ!! どうして連れて行けないっ!!」
ごしゅじん 「保護なんて聞き飽きた!! なにも危険なんてないだろ!!」
しばらくやりとりがあった後、ご主人が電話を切った。
イエネコ 「どうしたの? なんか怖い……」
ごしゅじん 「だいじょうぶだ。気にするな」
数日後。ごしゅじんの部屋。
ごしゅじん 「ちょっと出かけてくる」
玄関に立って、振り返ったごしゅじんは、やさしい顔をしていた。
たたたっ、とイエネコがやってきた。
イエネコ 「すっごく……いやな感じがするわ……なんか隠してるでしょ……」
ごしゅじん 「なにもない……ちょっと出かけてくる! それだけだ」
ごしゅじんは、イエネコの頭をなでた。少し強めに。
イエネコ 「んんんっ……」
ごしゅじんが少しかがんで、イエネコにゆっくりと顔を近づけていった。
イエネコが目を閉じた。
イエネコは、目を閉じたまま、しばらく待った。
イエネコ 「ん?」
イエネコが目を開けた。
ごしゅじんは、イエネコに背を向け、玄関のドアノブを握ったところだった。
イエネコ 「ごしゅ……じん?」
ごしゅじんは、ふり返らずに玄関のドアを開け、出て行った。
イエネコは待ち続けたが、待っても待っても、ごしゅじんは帰ってこなかった。
最初の数日間はビデオ通話ができたが、ノイズだらけでまともに会話できず、すぐに通信不能になった。
いつの間にか、アパートの住人も全員いなくなっていた。
この町から……パークからヒトが消えた。フレンズを置いて、廃墟を残して。
ごしゅじんが出かけて、連絡が途絶えてから、ちょうど一か月が経った。
季節が変わり、暖かくなり始めていた。
イエネコが、すやすやとベッドで寝ていた。ごしゅじんのにおいが残った毛布を抱いて。
突然、黒い箱の電源ランプが灯った。
人工知能 「予定時刻ニなりマシタ。再生ヲ開始しマス」
イエネコ 「なに!?」
ごしゅじん 「……あー、あー…………れが再生されてるってことは、やばい状況だな……」
イエネコ 「は!」
黒い箱に付いたレンズから、緑がかった立体映像が投影された。
イエネコ 「ごしゅじん!」
イエネコが飛び起きた。
ごしゅじん 「……これを見ているのが、俺が知っているイエネコ以外の誰かなら……
お願いです。再生を止めて、この記録を、イエネコに見せてやってください」
イエネコ 「ごしゅじん! いまどこにいるのっ!?」
イエネコは、とても嬉しそうに、立体映像に話しかけた。
ごしゅじん 「おーい! イエネコ! 元気か? ひさしぶりだな……たぶん」
イエネコ 「もう! どんだけ待たせんのよっ!!」
イエネコは、立体映像のごしゅじんにネコパンチをしたが、その手は映像をすり抜けた。
ごしゅじん 「連絡が途絶えて、一か月も経ってるんだよな? ごめんな、話ができなくて」
映像は、一方的に流れるだけで、会話できなかった。
ごしゅじん 「厄介なことになってて、しばらく帰れない。どのぐらい先になるかわからんが、
必ず帰るから、待っててくれ」
イエネコ 「…………」
ごしゅじん 「俺の部屋はおまえに預ける。好きに使っていい。ただ、写真は荒らさないで
くれよ。えっと……雨の日は窓を閉めておけ」
イエネコ 「……わかってるわよ……この前、ぬれちゃったけど……」
イエネコは、ひとりごとのようにつぶやいた。
ごしゅじん 「ジャパリマートの食べものは……まだ残ってるよな?」
ジャパリマート(コンビニ)には店員がおらず、棚もスカスカだった。
ごしゅじん 「管理室に非常食があるはずだ。鍵がかかってるが、壊してもいい。
困ったら、遠慮なくまわりのやつを頼れ。人見知りするんじゃないぞ。
ガイドロボットも動いてるはずだから、助けてくれるだろう」
ごしゅじん 「友達は少なくていい。頼れるやつがひとりでもいれば」
イエネコ 「……ばっかじゃないの……たよれるのは、ごしゅじんだけなのに……」
イエネコは、暗い表情でつぐやいた。
ごしゅじん 「……イエネコと……子猫のときから、何年だったか……」
ごしゅじんは、強面を崩して、やさしい顔をしていた。
ごしゅじん 「すっげえ楽しかった」
イエネコ 「な、なによ、いまさら……」
イエネコはおびえていた。次に来る言葉に。
ごしゅじん 「俺の人生の中で、一番の時間だ」
イエネコ 「……いやぁ!! ……やめなさいよっ!! お別れみたいじゃないっ!!」
イエネコの声は、悲鳴のようだった
ごしゅじん 「…………イエネコ……」
ごしゅじんが視線を下げた。
息を止めたような、緊張した間があった。
ごしゅじんが、カメラを、イエネコをまっすぐに見た。
ごしゅじん 「愛してる」
イエネコ 「……は?」
ごしゅじん 「はぁ……」
ごしゅじんは、気が抜けたように息をついた。
イエネコ 「…………う……うそだ……こんなのうそだぁ…………」
イエネコは、うろたえて、かすれた声を出して、ふらっと床に崩れ落ち、床にぺたんと座った。
イエネコ 「ごしゅじん、あいしてるなんて言わないもん!!」
イエネコは、全てを拒んで否定するように、ぎゅっと目を閉じた。涙がこぼれた。
ごしゅじん 「それから……あのチョコ、冷蔵庫の下の段、一番奥に残ってる。だが……」
ごしゅじん 「それは絶対に食べるなよ。……毒だからな」
イエネコ 「へ?」
イエネコが、気の抜けた声を出した。
ごしゅじん 「食べたら死ぬ猛毒だ」
イエネコ 「なんで……意味わかんない……」
ごしゅじん 「……じゃ…………な…また…………」
立体映像が乱れて、ぷつんっと消えた。
イエネコ 「…………」
イエネコは、ぺたんと床に座ったまま、しばらく放心していた。
それからの数日間、イエネコは、一日のほとんどの時間を、ベッドで寝て過ごした。
起きて、ほんの少しさばぶしを食べて、また眠った。
ベッドの、ごしゅじんのにおいも消えたころ。
イエネコが、小さな冷蔵庫を開けた。
隠すように置いてあった小皿に、銀紙に包まれた大粒のチョコレートが一個だけ乗っていた。
イエネコは、チョコをつまみ上げて、しばらく、ぼんやりと見つめた。
しばらく見つめたあと、ぺりぺりと銀紙をはがした。
イエネコは、チョコを口に入れようとした。意を決したのではなく、ごく自然に。
人工知能 「ケイコク! 警告!」
突然、黒い箱の人工知能が声を発した。
イエネコ 「っ!」
イエネコが、ビクッと反応した。
人工知能 「そのチョコレートヲ無許可で食ベルことハ、マスターにヨリ禁止サレて……」
イエネコは、人工知能の警告を無視し、チョコを口に入れた。
唇や、ちらっと見えた舌に、艶っぽい雰囲気があった。
イエネコ 「むぐむぐ……」
溶かして、噛んで、少しずつ味わった。
イエネコ 「……うっ!」
イエネコがビクッとなり、ぱたっと力なく倒れた。
イエネコ 「…………くぅ……」
イエネコが、ぎゅっと苦しげに目をつぶった。
イエネコ 「……うそつきっ! うそつき! ……ごしゅじんの、うそつきぃ……」
「……んうぅ……」
耐えきれなくなって、涙がこぼれた。
イエネコ 「おいしいじゃないっ! ……んく……めちゃくちゃ、おいしいじゃないのぉ……」
人工知能 「メッセージを再生シマス」
ぷつっと、ごしゅじんの映像が投影された。
イエネコ 「はっ!」
ごしゅじんの両手が、画面に向かってのびて、カメラをいじっている様子が映った。
ごしゅじん 「……うまくやってくれ……頼んだ……」
イエネコ 「ごしゅじっ! ごしゅじん!……う……ううぅ……ぐす……」
イエネコは、床を這うようにして、立体映像のもとへ向かった。
ごしゅじん 「食べたのか? 言いつけは、守らなきゃだめだろ?」
ごしゅじんは、努めてやさしい声をしていた。
イエネコ 「そりゃたべるわよぅ! ……ぐす……だって、だってぇ…………
いっしょに、ひっ……死んでくれるって…………」
床に、ぽたぽたっと、しずくが落ちた。
ごしゅじん 「……えーっとな……それ、そのチョコは……」
ごしゅじんが、カメラから目をそらした。
一呼吸あった。
ごしゅじん 「 また会えるまで、絶対に死ねない毒なんだ 」
イエネコ 「…………」
イエネコは何かを言おうとしたが、言葉が出ず、放心した。
ごしゅじんが、大粒のチョコレートを、カメラに近づけた。
ごしゅじん 「イエネコが食べたのと、おんなじチョコだ」
そして、ぎこちない笑顔を見せた。
イエネコ 「なにを……」
ごしゅじんは、チョコレートを食べようと、口を開いた。
イエネコ 「 やめてぇっ!! 」
イエネコが悲鳴をあげた。
ごしゅじん 「んむ……」
ごしゅじんが、チョコレートを口に入れた。
ごしゅじん 「ん……うまい」
イエネコ 「 ばかぁーーーっ!!! 最っ低ーーーー!!! 」
イエネコは叫んだ。力の限り。
イエネコ 「ぐっ! けほっけほっ!! けほっ!!」
喉をやられて、むせた。
イエネコ 「……ばか、ばかぁ……ううぅ…………こんなの、いやぁ……ひっ……ひどいぃ……」
イエネコがうつむいて涙をぬぐった。だがすぐに濡れてしまう……無意味な行為だった。
イエネコ 「へんな期待させないでっ!! もう二度と会えないって! 言いなさいよっ!!」
涙がだらだらあふれ続けて、止まらなくなった。
イエネコ 「こほっ! ……だったら、あだしっ……死ねたのにぃぃ…………」
イエネコは、くたっと横になり、体を丸めて自分を抱いた。激痛に耐えるように震えながら。
イエネコ 「……ひぅっ……んうう……ぐすっ……ごしゅじ…んぅ、かえってきっ……え……」
子供のように泣きじゃくった。
「……えぐっ……ぐしゅ……ううっ! う、うあぁーっ!! けほっ! けほっ!
はぁっ……ぐっ……ごしゅじん! ごしゅじーん! けほっ……ぅ…う゛うぅ……」
ボロボロになったイエネコに追い打ちをかけるように、ごしゅじんの声が響いた。
ごしゅじん 「頼むから、元気でいてくれ……イエネコ」
イエネコ 「ひぐっ!! ……うああぁーーーっ!!!」
遠い遠い未来へとつづく……
次話では、ハツカネズミが、過去のこと、未来のこと、今のことを語ります。
ハツカネズミ「わたしは……待たないことにしました」
次話 第9話「おともだちと、こたえあわせ」
あとがき
読んでいただきありがとうございます。
本作は、ここでおわりのはずだったのですが、もう1話あります。ハツカネズミ回です。