まえがき
『あまいかたち』第9話です。急遽追加した話です。蛇足じゃなくて鼠尾です(?)。
ごしゅじんが出掛けてから半年ほどあと。
イエネコが、アパートの縁側で丸くなって寝ていた。
その耳が立ち上がり、くるっと動いた。
彼女は、起き上がり、ぴょんっとジャンプして、たたたたっと塀の上を走っていった。
イエネコは、上空を気にしながら、アパートの近くの公園(イズミ公園) *1 にやってきた。
バラララ……という音が響いていた。その音は、例の風船ドローンよりもはるかに大きく、ジェットエンジンのようなキーンっという音も混じっていた。
轟音をたてながら、一人乗りの超小型ヘリコプターが、ゆっくりと降下してきた。
それは、乗っている、というよりは、背負っているという感じのものだった。
2組の回転翼が縦に重なり、互いに逆方向に回転する、二重反転式ローターだった。 *2
ハツカネズミ「イエネコさーん! やっぱり来てくれましたかー!」
ヘリコプターを操縦していたのは、ハツカネズミだった。けもの耳付きの、ねずみ色のヘルメットをかぶっていた。
イエネコ 「うるさすぎよっ!! なんなのその恐ろしいモノは!!」
突然、びゅーっと風が強くなった。
ハツカネズミ「わわわ!!」
ヘリコプターが、地上3メートルほどのところで、傾いて横すべりした。
イエネコ 「あぶなっ!!」
ローターが木に接触しかけたが、ハツカネズミの必死の操縦により、ヘリコプターは風に逆らう方向に戻って、衝突は免れた。
その後もヘリコプターは風にあおられ、ふらつき続けた。
イエネコが、強烈なダウンウォッシュに逆らってジャンプし、ヘリコプターから斜めにのびる、長い棒状の脚をつかんだ。
ハツカネズミ「イエネコさん!! むちゃしないで!!」
イエネコ 「よっ! とぉ!!」
イエネコが着地し、脚を引っ張って強引に傾きを直し、横すべりを止めた。
ドスンっと、若干荒っぽくヘリコプターが着陸した。
ハツカネズミ「……ありがとうございますぅ。……でも、これ、すっごーくあぶないので、
あの上でぐるぐる回ってるのには絶対に近づかないでくださいね」
ハツカネズミは、ヘリコプターの二重反転式ローターを指差した。エンジンが止まって、回転が遅くなっていった。
イエネコ 「わかるわ。見るからに痛そうだもの」
ハツカネズミ「痛いのは一瞬だけですよ。すぐにバラバラのぐちゃぐちゃになっちゃいますから」
イエネコ 「……生々しい言いかたはやめなさい……」
ハツカネズミ「こっちが、ですよ?」
ハツカネズミは、ヘリコプターのローターブレードを指差した。*3 回転が止まった。
ハツカネズミが、5点式のシートベルトを外し、ヘリから降りた。
イエネコ 「引いちゃうくらいすっごいものつくったわねぇ……」
イエネコは、驚きとあきれが半々、という顔をしていた。
ハツカネズミがヘルメットを脱いで、自転車のサドルのような座席に引っかけた。
ハツカネズミ「いえ、これは、わたしひとり作ったのではなく、
整備工場のみんなで協力して、かたちにしたんですよ」 *4
ハツカネズミ「工場のヒトたちも、みんないなくなってしまいましたが、
これだけは……なんとしても飛ばしたかったんです。……わたしの手で」
ハツカネズミは、ヘリコプターを軽くなでた。
ハツカネズミ「工場の設備、修理中の乗り物、そして……これ。
わたしが守らなければいけません。……工場長代理として」
イエネコ 「イヌみたいに待ちつづけろって……あたしにはできないわ……」
ハツカネズミ「わたしは……待たないことにしました」
イエネコ 「待たない?」
ハツカネズミ「わたしは、自分の仕事、やりたいこと、やるべきことをしたいんです」
「パークの乗り物は整備が必要です。本格的なオーバーホールができるのは、
このあたりでは、あの工場だけなんですよ」
ハツカネズミ「そして、それができるフレンズは、わたしだけです」
ハツカネズミは、少しだけ誇らしげに言った。
ハツカネズミ「今のところは、ですけどね……」
イエネコ 「みんなに教えるのね」
ハツカネズミ「ええ。わたしは、機械をいじることと、ちょろちょろ逃げ回ることしか
能がないですから、みんなの役に立てるなら、これしかないって思って……」
イエネコ 「すごいわねぇ、ハツカネズミは……ひとりでそんなおっきいこと……」
イエネコは心底感心したようだった。
ハツカネズミ「さすがにひとりじゃ無理ですよ! 工場のおともだちもいます!」
ハツカネズミ「……後輩に技術を伝えてるんです。ちょっときびしくしちゃってますけど、
わたしの寿命は短いですから」 *5
ハツカネズミは、遠い目をした。
イエネコ 「じゅ!」
イエネコは、出かかった言葉を飲み込んだ。
イエネコ 「…………やっぱりすごいわ、あんた」
ハツカネズミ「……ほんとは、もっと大切な使命があったんですが、投げだしちゃって……」
ハツカネズミは、ヘリコプターの各部を見て、さわりながら言った。
イエネコ 「大切な使命?」
ハツカネズミが、血の色の目で、イエネコの顔を見た。
ハツカネズミ「……ほかの子には言わないでくださいね。
みんな引いちゃって、気まずくなってしまうので」
ハツカネズミは、苦笑いした。
イエネコ 「あたしは気まずくなってもいいの?」
ハツカネズミ「いえいえ。イエネコさんなら受け止めてくれるかな、って思ったので」
イエネコ 「なんでよ?」
ハツカネズミ「イエネコさんは、痛みを知っていますから……」
ハツカネズミが、少しうつむいた。はにかむような、微妙な表情だった。
イエネコ 「ま……そうねぇ……」
イエネコは、少し遠い目をした。大人びた雰囲気があった。
ハツカネズミ「……わたしは……実験動物でした」
イエネコ 「じっけんする動物?」
ハツカネズミ「実験は、知ってますよね?」
イエネコ 「ハツカネズミが、いつも失敗してるやつね」
ハツカネズミ「たまには成功もします!
ってそうじゃなくて……動物を使った実験があるんです」
イエネコ 「……すっごく、嫌な予感がするわ……」
ハツカネズミ「動物実験は、とっても種類が多いんですよ。中には楽しいものもありますが、
すっごく痛い、苦しいものが多くて……
よくあるのは……怪我をしたり、病気になったり、死んでしまうような実験を、
わたしたち実験動物が、ヒトの代わりに受ける……というものです」
イエネコ 「……なにそれ……」
イエネコは、あぜんとした。
ハツカネズミ「例えば……毒になるか薬になるかわからないものを注射して、
どうなるか調べるとか……もっと残酷なのもありますが……やめておきますね」
イエネコ 「…………」
イエネコは、何も言えなかった。
ハツカネズミ「ひどいって思いますよね。でも、誰かがやらなければいけないんですよ」
イエネコ 「それを大切な使命って……違うでしょ!」
ハツカネズミ「わたしは……実験されるために生まれたんです」
イエネコ 「え?」
ハツカネズミ「……実験で産まれた……というほうが正しいでしょうか……
だから、使命。わたしのさだめですね」
イエネコ 「そんなの気にしないで、好きに生きればいいのよ」
ハツカネズミ「嫌だったら気にしなればいいんですが、よろこびもあって……」
イエネコ 「そんなひどいことされて、なにがうれしいのよ?」
ハツカネズミ「嫌われものが、誰かの役に立てるって、とってもうれしいから……」
イエネコ 「嫌われもの? なんであんたみたいないい子が?」
ハツカネズミ「病気を運ぶ、食べものを食い荒らす、ものをかじって壊す……
だから、ネズミは、ヒトに嫌われていたんです。
そんな中で、ヒトがネズミを求めるとき……ネズミがヒトのお役に立てること……
ヒトにとって、ネズミは疫病をもたらす害獣ですが、
いのちを救う実験動物でもあるんです。
研究施設のヒトたちは、とってもやさしいんですよ」 *6
イエネコ 「だまされてるわ! そんなの都合よく利用されてるだけじゃない!」
ハツカネズミ「わかっています。わかったうえで、わたしはこの役目を誇りに思っているんです。
でも、とっても臆病なわたしは、大切な使命から逃げてしまいました」
イエネコ 「あんたは悪くないわよ。死にたくないのは、けものの本能だもの」
ハツカネズミ「わたしは、箱のすき間を抜けて、研究施設から逃げ出すことができました」
「わたし、手術で頭の中いじられて、ちょっとかしこくなったんですよ」
ハツカネズミが、人差し指で自分の頭をつんつんした。
イエネコ 「わかるわ。それだけ覚えてるんだもの」
ハツカネズミ「でも、その代わりに、いのちが削られてしまったみたいで……」
ハツカネズミは、はにかむような、微妙な苦笑いをした。
イエネコ 「え?」
イエネコは、信じられない、のではなく、聞こえていないふりをした。
ハツカネズミ「ネズミのちいさな頭に、ヒト並みのものを詰めこんだら、壊れますよね。 *7
頭が切りきざまれるみたいに痛くなって……
たぶん、逃げ出した時にはもう、いのちが残りわずかだったんです」
イエネコ 「そんな!」
ハツカネズミ「逃げ出してすぐ、頭がふわっと軽くなって、からだが動かなくなりました。
意識が消えていって、やっと楽になれる……逃げる意味なんてなかった……
って、思ったとき、サンドスターがふってきて……」
イエネコ 「それで助かったのね」
ハツカネズミ「はい」
イエネコ 「皮肉なものだわ……」
ハツカネズミ「わたしは、おばけみたいなものなんですよ。だから……」
「サンドスターがなくなったら、さようならです!」
ハツカネズミが、イエネコに笑顔を向けた。
イエネコ 「もう! なんでそこで笑えるのよぅ!」
ハツカネズミ「いろんなこと、すっごーく悩みました、わたし。
動物実験って、なんのためにするのか。
救われたいのちのこと、これから救われるいのちのこと。
なにが正しくて、なにが間違っているのか」
ハツカネズミ「イエネコさんとの関係も、ずいぶん悩んだんですよ?」
イエネコ 「ふふ……あたしも同じ」
ふたりは笑い合った。
イエネコ 「……あたしの、『ネズミをつかまえて食べたい』っていう気持ちと、
ハツカネズミの、『ネコが怖くて逃げたい』っていう気持ち、消せないのかしら」
ハツカネズミ「頭の奥の、深ーいところにあるので、消せないでしょうね」
イエネコ 「そこだけ、削り取っちゃいたいわ」
ハツカネズミ「むりやり切り取っちゃうと……けものではなくなってしまいますよ?」
イエネコ 「そういうものかしら?」
ハツカネズミ「……そういう子、見たことあるので……」
ふっ、と、ハツカネズミが寂しそうな顔をした。
ハツカネズミ「痛みも恐怖も感じない、脱けがらみたいになって、すぐに死んじゃいました」
イエネコ 「……ごめん……思い出させちゃって……」
ハツカネズミ「仲間がたくさん死んでるのに、逃げてよかったのか……
……どうして、わたしがサンドスターに選ばれたの?
死ぬまでに、わたしは、なにをすればいいの?
フレンズってなに? ヒトってなに? いのちってなに?
でも、悩んでも悩んでも……答えは出ませんでした。
図書館にこもったこともありましたが、答えなんてどこにもなくて……」
イエネコ 「どこにも答えなんて落ちてないわ。答えは自分で作るものよ」
ハツカネズミ「そうですよね……」
イエネコ 「あんたは、もう、いーっぱい作ってるわよ。答え」
イエネコが、ヘリコプターをぽんぽんっと叩いた。
ハツカネズミ「あ……」
ハツカネズミがはっとして、明るい顔になった。
ハツカネズミ「でも……」
「イエネコさん、困ったら、みんなを頼っていいんですよ?」
「わたしも、イエネコさんの力になれるなら、なんだってします。
手伝えるのは、短いあいだだけですけど……」
イエネコ 「いいわ。わたしはひとりで生きていく。そういうけものだから」
「どうしようもないときは、寝ればいいのよ。
……悪いネコほどよく眠る、ってね」
イエネコが微笑んだ。晴れやかな顔だった。
ハツカネズミ「イエネコさんらしいですね」
イエネコ 「……ハツカネズミ……ひとつだけ、おねがいがあるわ」
ハツカネズミ「なんでしょう?」
イエネコ 「ぎゅーって抱きしめてくれる?」
ハツカネズミ「えと、はい!」
ハツカネズミは、ゆっくりとやさしく、イエネコを抱きしめた。
イエネコ 「ん……ありがと」
ふたりは、強く抱き合った。
ハツカネズミ「奇跡じゃないですか? ネコとネズミが抱き合うなんて」 *8
イエネコ 「ちがうわ! なるべくしてなったのよ!」
互いの感触、体温、においを忘れないために。
イエネコ 「……あとどのくらい生きられるの? ハツカネズミ」
イエネコは、つぶやくように言った。けだるい声だった。
ハツカネズミ「わかりません。一週間かもしれないですし、三か月くらいもつかもしれません」
ハツカネズミは、いつも通りの、やわらかくてやさしい声で答えた。
ハツカネズミ「意外としぶといでしょう?」
ハツカネズミが笑った。
イエネコ 「あたしのサンドスターあげるから……」
イエネコの腕に、ぐっと力がこもった。涙をこらえた声だった。
ハツカネズミ「もらっても、むだにしちゃいますよ。お気持ちだけいただいておきます。
……一滴のいのちで、だましだましやってきましたが、つかれました。
『おわりが近い』って、わかるんです」 *9
イエネコ 「……なんで……なんでみんな、いなくなっちゃうのよぉ……」
イエネコは嗚咽まじりの声を出して、ぎゅーっとハツカネズミを抱きしめた。
ハツカネズミ「あうぅ……ちょっと、痛いですよイエネコさん」
イエネコ 「ごめん……」
ハツカネズミ「 死ぬ、というのは、すべてのけものに与えられる、おくりものです。
いのちとおんなじくらい、大切なものですよ」
イエネコ 「そりゃあたりまえだけど……心臓がつぶされるみたいに痛いのよ……」
「おねがいだから……あたしより長く生きなさい! ハツカネズミ」
あたたかい間があった。
ハツカネズミが震え始めた。
イエネコ 「…………なんであんたが泣いてるのよ!」
ハツカネズミ「……す、すびませっ……そんな言葉もらったの、はじめてなのでっ……」
ハツカネズミは、かすれた涙声で答えた。
おわり
ヒトはネズミを嫌っていますが、ペットとして飼うこともあります。実際かわいいですからね。
あとがき
読んでいただきありがとうございます。
本編はこれにておしまい……のはずです。
この後に、あとがきと設定(第10話)を投稿します。
「……なんで……なんでみんな、いなくなっちゃうのよぉ……」
というセリフは、筆者自身の感想です。どうしてこんなことに……。ごめんなさい。書いていたら『いやな流れ』が生じてしまったんです。逆らわずに流されたらこうなったというか……。
前話のイエネコがかわいそうだったため、救いを書こう、と思って書いたのに……。
イエネコとハツカネズミは、あくまでも親友です。百合な関係ではありません。たぶん。