世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。 作:Htemelog / 応答個体
ゾンビがゾンビに噛まれても、感染するわけではない。
それは当たり前で、常識的な事実──だった。今までは。
突如現れた、自身をマルケルだと名乗る知性ゾンビ。之によって倒されたゾンビが、また自身をマルケルだと名乗る……新しい形のパンデミックが起きつつある。人間も、ゾンビも、
この呼称"マルケル"は感染直後に人間並みの知性を有し、軽薄な笑みと的確な攻撃手段で以て人間を殺しにかかる。彼に噛まれた者、怪我をさせられた者、口腔等の粘液に触れられた者は一日を待たずにゾンビ化し、同じくマルケルとなって他者に襲い掛かる。第二次パンデミックとしては、最悪の進化を遂げたゾンビであると言えるだろう。
これの出現により、戦場は混沌を極める事となった。
"マルケル"と"マルケル"は互いを認めず、争い合う。且つ人間にも勿論敵対し、"マルケル"でないゾンビが襲い掛かってくる事も変わらない。
その過程で"マルケル"の攻撃が他のゾンビに当たろうものなら、そのゾンビは"マルケル"となり……争いは激化する。
たとえ"英雄"がいたとしても、この激化は人類側にとって痛烈な打撃となった。
今までは一般人でも対策と対処を徹底して、複数人掛かりで押し返す事が出来ていたただのゾンビ達が、突然「見つけたら"英雄"の元にまで逃げろ」とされる要警戒対象の上位強化ゾンビ……幹部クラスと呼ばれるそれにまでステージが上がったのである。複数人の一般人程度で対処できるはずもなく、またそれらが感染し、新たな"マルケル"を生み……そのサイクルは、間違いなく人類の首を断つ刃となって襲い掛かってきていた。
"英雄"とて、"マルケル"の対処が完璧であるかと問われたら、そうではないというだろう。無論体躯の幼い子供ゾンビとしての"マルケル"ならどうにでもなろうが、大の大人が感染した"マルケル"は苦戦を強いられる。
そも、痛覚も疲労もないゾンビだ。その脅威度は人間の比ではなく、その上で人間並みの知能を持つというのは何の冗談だと、そう言うだろう。
事実、今までギリギリを保ってきた国のいくつかが均衡を保てなくなり崩壊し──その全てが"マルケル"になったという恐ろしい報告が上がっている。
地続きの隣国が
"マルケル"なる知性ゾンビに心当たりはない。だから、ウィニの後に生まれた……言葉を解すようになったゾンビなのだろうことは窺えた。ウィニが名付けられてすぐ、イースは島を出たのだから。
自国民にも"マルケル"となってしまった者……被害の報告が上がっており、その被害は甚大の一言。この国の民の練度でもそうなら、他国は恐ろしい事態になっているだろうことが伺えた。
そんな中で、"マルケル"を捕えたとの報があり、イースはそこへ……"マルケル"が捕まっている独房へ向かう事になる。
"英雄"故に問題ないと人間達を下がらせ、イースは"彼"を見た。
「……!」
「……君が、マルケルかい?」
轡を付けられた少年。肌の灰緑色や腹部の出血痕から、彼がそこを起点に感染し、ゾンビとなってしまった事が窺えた。
けれどその目は自身の停止に怯えるソレでも、こちらをかみ殺さんとする殺意でもなく──歓喜。
少年は、顎を突き出し、この轡を外せと仕草した。
「不要な動きをしたら殺す。……外すよ」
「はん、唾液が出ねえってのは、今更ながら変な感覚だよな。んじゃコレも外してくれよ、イース」
「流石にそれはできないかな……いや、待ってくれ。僕の事を知っているのか? ウィニの後に生まれたゾンビに会った覚えはないんだけど……」
「は? 何言ってんだ。俺だよ俺、アイズだ。あぁ、そうか。イースがいた頃は本名思い出してなかったからな。ま、どうでもいいだろ。アイズでもマルケルでも、俺は俺だぜ」
「……」
笑う。
それは"マルケル"から零れた軽薄なソレではない。
イースが我慢出来ずに噴出した──失笑の笑み。
「君が、アイズ? よしてくれ。僕の知ってるアイズはもっとじめじめしてて、悩み事が多くて、ゾンビなのに身体を鍛えるとか言い出して、乾くのは大敵なのに日光浴が気持ちいいとか言い出す……ちょっと天然で、真面目で、辛気臭いヤツだよ。君とは正反対だ」
「人の黒歴史を笑顔でほじくるとは良い度胸じゃねえかイース。が、まぁそうだな。アイズの時の記憶はあるが、もうマルケルとしての自我の方がつえーんだ。性格は仕方ねえと思ってくれ」
「……本当にアイズを名乗るんだね。それに……まだ死んでからかなり浅いように見えるのに、そこまでの自我を持ってる」
「ん? あぁ、それな。俺も不思議だったんだよ。俺は……ああ、元の俺な。アイズだった俺は殺された。人間の……まぁ、"英雄"ってヤツに。だからこれで終わりだ、って思ったんだが、気付けばガキの身体さ。意味がわからねえよな」
「アイズが、人間を相手にして死んだって? それこそ信じられない。彼は僕らナンバーゾンビで一番強かったんだ。……やっぱり君の話は夢物語にしか聞こえないよ。ゾンビは夢を見ないのにね」
「おいおい、俺は本当にアイズだっての! なんなら島での思い出でも話すか? いいぜ、とことん付き合ってやる。俺達に疲れは無ぇからな」
「結構だ。君と話していると頭がおかしくなりそうだからね。さようなら、"マルケル"君。新しく生まれた君には悪いけど……僕は人間についている。人間を救うためにここにいる。君のお仲間じゃあ、ないんだ」
「は? お、おい! 待てよ、イース! イー」
最後の言葉を発しきる前に、"マルケル"の頭部がぐちゃりと潰れた。この部屋は元は感染した可能性が見られる者を捕えて置く独房で、その兆候が見られた瞬間に殺す事が出来るよう設計されている。ゾンビを生かしておく理由はない。尋問を終えたら、"マルケル"を殺すのは決定事項だった。
どの道"マルケル"を名乗るゾンビは夥しい量が活動している。捕えた例は確かに希少だが、自分と言うゾンビがいる以上彼らの生態を聞き出す意味はなく、イース自身以上の情報は出せないだろうと踏んでの判断だ。だって、彼の言っている事は余りにちぐはぐだったから。
独房を出る。
何より──彼に一切の"仲間意識"を感じない事。
それが彼を偽物だと断じた理由だった。
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「……アイズ、か」
「知り合い?」
「多分ね……島にいた頃、比較的仲の良かったゾンビの……まぁ、兄、みたいな存在だった。結構辛気臭いとこがあって、一つのことでかなり悩むし、間違いがあったら一からやり直さないと気が済まない、みたいな頑固なところがあったりして……あんな、軽薄な性格、って感じじゃなかったから、コレは別人だとは思うんだけど」
イースは先ほど合った事をメイズに軽く説明する。彼にとって"マルケル"がアイズでない事は然程重要な事項ではないけれど、アイズの名そのものはそれなりに心に残るものだった。
「へぇ。この前話してた苦労人の人とは別?」
「ああ、そっちはエインっていうんだ。エインは……一応まとめ役だったから、苦労はしていたね。悲観的な人だったし……ああ、人っていうか、ゾンビなんだけど」
「いいよ、人で。話しやすいでしょ」
「ん。……初めの頃のみんなはイヴ以外、あんまり性格に差は無かったんだけどね、過ごしている内に段々違いが見えるようになって……僕が僕を思い出してからは、
「性格に差は無かったんだ」
「ああ、まぁ、似てる、程度だけどね。最初の頃は……それこそアイズの性格が一番似てるかも。みんな頑固で、一つを真実だと思ったらそれに突き進んで、間違ってたら一からやり直して……みたいな。だからだろうね。マザーの事をあんなにも妄信出来ていたのは」
イースが島を出る頃には、みんなそれなりに人間っぽくなっていたけど。イースが最も自我の獲得が早かったというだけで、彼らもそれなりの素質があったのかもしれない。
「イースは変わったの? その、イースの……生前の性格からは」
「ううん、全然。僕は元からこんなんだったよ。多分だけど、イヴもね」
「ああ、妹みたいな子」
「そうそう。イヴは……もしかしたら、イヴが一番生前の記憶を取り戻すのが早かったのかもしれない。イヴは話すのが好きでね、色々な話をしてくれた。けど、よく考えたら、島にいては起こりようのない事も話していたから……彼女は最初から、記憶があったのかもしれない」
「可愛い子?」
「うん、良い子だった」
「ふぅん」
「……もしかしてメイズ、妬いてる?」
「別に」
少しだけ機嫌を損ねた様子のメイズに苦笑しつつ、イースはイヴを思い出す。
マザーに仇為す人間に容赦はしないけど、人間が嫌い、という事は無かったように思う。もしかしたら彼女ならイースの味方になってくれるかもしれない……と思いつつ、あの見た目を人間達に受け入れさせるのは多分無理だろうな、と頭を振る。
どの道ゾンビを全て滅ぼす気でいるイースだ。どうあれ彼女は敵。可哀想だとは思うけれど、殺さなくてはいけないだろう。
「イース」
「大丈夫だよ、メイズ。僕はちゃんとやれる」
「そうじゃなくて、イース──外が騒がしい」
え? と顔を上げる。
イースの菌に掌握された脳が高速で回転し、些細な音も、遠くの悲鳴も、全部処理して──子供でも持てる剣として選んだシミターを持ち、家の外に出る。
遠く、砂埃。──そして、蹴り上げられたか、人が舞っている。
「襲撃……あの規模、"マルケル"みたいだ。メイズ、行ってくるよ」
「うん。気を付けて」
返事はしなかった。
言葉を発する前に足が動いている。思考とは別部分に存在する脳の主導権が、彼の身体を事態解決のために動かしていた。
そんな彼を見送ったメイズが──ふらりと路地裏に入っていった事など、露知らず。
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第二次パンデミックの余波はリゾート島にも届いていた。
あの二人の同胞。彼らの争いに巻き込まれた知性アガリをした者達が、その後も争いを止めず……いつしか島中の同胞たちが争うようになってしまっているのだ。
それも、自身を"マルケル"だと言って、自身以外を偽物と決めつけ、それを殺さんとするような。
「マルケル、ね……どう思うかしら、ヴェイン」
「マルケルはアイズの生前の名前だ。……可能性として考える事があるとすれば、両断されたというアイズの死体を現地にいた同胞が食らい……アイズに乗っ取られたか。それほどアイズの意識が強いとすれば納得も行くだろう」
「行かないわよ、馬鹿。あのね、旧人類も私達も、記憶って言うのは脳にあるの。同胞化することで相手が自分と同じ性格になる、なんてのは……もう、オカルトなのよ。おかしいの。アイズの脳そのものが感染している、でもない限りあり得ないわ」
「……だが、そのあり得ない事が起きている。下で争っている者達の言動を聞いたか? 俺にはアイツが自我を取り戻してからの言動そのものにしか聞こえなかったぞ」
「だから悩んでるんじゃない……何より恐ろしい事も、見えているのだから」
「俺達も、か」
ゾンビはゾンビを感染させられない。
故にゾンビ同士のスキンシップや喧嘩があっても特に何が起こる事は無い。はずだった。
しかし、今。
ゾンビは"マルケル"によって再感染させられ、"マルケル"と化している。
ならば──知性アガリをしたウィニやヴェインも、"マルケル"に乗っ取られてしまうのではないか、という恐怖。それは生前にゾンビに対して感じていたものと全く同じ、死に対する恐怖だった。
「……この島から、出るか?」
「逃げ場はあるのかしらね。下にいる同胞一人一人がアイズの知能を持っているのよ? 海を渡るのも何ら問題なくて、その数は膨大に増えていく……。旧人類が私達に感じていたものと、全く同じよね」
「アイズが故意にやっているとは考えたくないがな。お前は同胞を自分にしてしまう性質を持っているから、この島から出ないでくれと頼めば……」
「大陸から連れてきた同胞から始まったパンデミックよ? ……大陸の同胞はもう、全てアイズになってるんじゃないかしら。ぞっとするわね」
そうして、うだうだと悩んでいる内に──それは、来た。
封鎖された実験室を背後にした、研究室の中。ここが最も安全だと逃げ込んだこの部屋のドアを、叩く存在が。
「おい、いるんだろ、ウィニ! ヴェインも! 変な話だがよ、俺は生き返ったんだ。ちょいと……あー、腕が欠けてんだ、ドア開けてくれねぇか?」
「……」
「……」
ウィニもヴェインも、自身らが旧人類に対して行う"同胞化"──つまり感染の手法は理解している。
相手に噛みつくのは、それが最も相手の粘膜に接触しやすいからだ。全身に感染のためのソレを持ち、それが相手の粘膜に触れる事で感染を完了とする。
故に──アイズの腕が欠けている、なんてことは。その後に必ず発生する処置を想えば──彼に接触しない、なんてことができるはずもなく。
「ウィニ? ヴェイン?」
「……」
「……」
「……何かあったのか? おい、大丈夫か? ……蹴破るぞ」
ゴガッ、と大きな音がした。二度、三度。そして、四度。
四度目で──鋼鉄の扉が凹み、破られる。
そこにいたのは、かつてのアイズよりも脚部が肥大強化された見知らぬ同胞の姿。
そいつは無い腕を肘だけ上げて、よぉ、なんて言って。
「なんだ、無事じゃねえか。心配させんなよ」
「……ええ、久しぶりね、アイズ。その腕はどうしたの? それに……見た目も随分、変わったようだけれど」
「そうなんだよ聞いてくれ。俺は確かに死んだんだ。二度目の死ってのかな、ジョー……あぁ、俺が死ぬ前に殺しに行った"英雄"サマに返り討ちにされて、確実に死んだ。けど蘇ったのさ。違う身体だったが、意識ははっきりしてる。この腕は道中でやっちまった。自分の事をマルケルだ、とかいう奴らが襲い掛かってきたんだ。気持ち悪いったらありゃしねぇ。流石の俺もあんだけの数の同胞に群がられちゃ無傷とは行かなくてな、このザマさ」
「では、島にいた同胞はすべて……?」
「向かってきた奴は全員殺しちまった。すまねえとは思うが、俺も殺されるわけにゃいかないからな。……後で供養しようとは思ってる」
「そう。……まぁ、おかえり、と言っておくわ。今はあの女……"マザー"の脅威に対する作戦を練っていたの。交ざる? それとも休憩する?」
「んー、今は頭使うのはなんだかな。つか、マザー? マザーが生きてたのか?」
「みたいね。大陸各地にあの女の影があるわ。貴方も見かけなかった? "英雄"の傍に、違和感のある人間」
「……知能強化と走行強化二十体に追い掛け回されて傷一つ負ってねえ女なら見たな。ジョーの幼馴染の子だから、マザーじゃねえと思うがよ」
「ふむ。調べて置く。アイズ、先に休んでいるといい。まぁ我らに疲労と言う概念は無いが……」
「ん、そうさせてもらうよ」
なんとか。
なんとか、やり切ったと……ウィニとヴェインはアイコンタクトを交わした。
どちらも嘘を吐くのは成れている。ウィニは生前俳優として、ヴェインは裏切り者として。だから自然な流れで、アイズを遠のける事に成功した。
そう、思った。
「──ガ」
研究室を一歩出た──見知らぬ同胞の姿をしたアイズが、突如見えなくなる。
轟音。ドアの向こうに見えるのは、一面の灰緑色のみ。
否、あれは。
「──よぉ、ウィニ、ヴェイン。久しぶりだな。俺の偽物になにかされなかったか?」
その灰緑色を……引き戻し、それが、拳であると、腕であるとわかる頃。
今度はよく知った声が聞こえた。普段はカタコトでしか喋る事が出来ないはずの、兄妹という概念はないにせよ──末っ子の立ち位置である彼の、流暢な言葉が。
その巨腕を引き摺って、入ってくる。
「あぁ、見た目が違うからわからねえよな。どことなく
その巨大でない方の腕で、肩を竦めるように嗤って。
「……
彼は、そこに立っていた。