世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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レッツノム-生死と英雄と情報と背徳の章
レッツノム-愚かしく、美しく、儚き存在


 アイズから培養した菌を人間、あるいはゾンビに投与すると、アイズの記憶が形成される。

 ここで大事なのは引き継がれているわけではなく形成されているという所。世界五分前説なんてオカルトが流行った事もあったように思うけど、実験に使用し、アイズとなった人間はまさにそういう状態だ。今までのゾンビ化細菌とは比べ物にならない程の速度で脳の掌握を終え、その脳にアイズの記憶や人格を強制的に再現させる。

 細菌そのものに記憶が宿っているわけではない。細菌にアイズの記憶や人格はないし、細菌である間の事を覚えているなんてこともない。細菌はただの焼付装置で、対象の脳に偽記憶を植え付けるためだけの存在だ。

 

 今までのゾンビ化細菌は脳の掌握が遅く、焼付が上手く行ってなかった……なんてこともない。

 今までも同じプロセスだった。ただ、そこに刻まれていたものはアイズの人格ではなく──恐らく私、あるいはオリジナルか、オリジナルを作った誰かの人格だ。

 

 言葉を解すゾンビ。

 彼ら彼女らに対し、私は"言葉を教える"という行為をしていない。自然と私の話す言葉を解すようになったのだと考えていたが、それは些か知能が高すぎる。無論二年三年と年月を重ねていたのなら話は別だけど、ゾンビ達がゾンビとして生まれ出でてから数か月しか経っていないのだ。エインなんて、言葉を話すようになったのはゾンビになってひと月ほどの辺り。生前の使用言語が私と違う彼が、自我を獲得してすぐに私の言葉を解すようになるのは少しばかりきついものがある。

 だから、彼には焼き付いていたのだろう。彼だけでない、すべてのゾンビに焼き付いている──同じ誰かの人格が。その上で脳の掌握率が低いから、上手く言葉を話せないし、上手く思考が出来ない。

 そして脳の掌握率が高くなってくると、今度は焼き付きの行われていない、作り変えられていない部分の記憶や人格が台頭する。脳全体に比べてゾンビ化細菌は非常に小さいものだから、時間が経てば経つほど焼き付けられた部分を元の部分が上回って、元の人格を取り戻す。

 ただその際、元の人格と焼き付けられた人格が混ざる事もあるし、元の人格を不要だとする場合もあるだろう。それが特に顕著に表れていたのが型番を付けていたナンバーゾンビ、ということ。

 

 今回実験に使用したアイズのゾンビ化細菌は脳の掌握を最高効率で行える状態にあるものだから、知性無きゾンビは生まれ得ないだろう。正確には投与した直後の数瞬は知性無きゾンビとして、けれど数秒後には焼き付けられた人格であるアイズを形成している。

 アイズのゾンビ化細菌は以前のゾンビ化細菌より増殖のスピードが速いため、被験者が元の人格を取り戻すかどうかはまだ不明。脳全体をアイズのゾンビ化細菌で覆われてしまえばアイズと同一の人格になるだろうし、どこかで押し負けるか、あるいは菌側がその素体の記憶を新しいパターンとして変異したのなら、そこでアイズの人格は消え去るだろう。

 そうやってゾンビ化細菌は遅まきながら耐性、変異をつけていく。とはいえ私が故意に培養させない限りは大流行する程の量は得られない。そういう調整をしている。実は"全身にゾンビ化細菌を持っている状態"というのはゾンビになってすぐに得られるものではないのだ。

 結構、それなりの時間をかけてゾンビ化細菌は増殖していく。さらに言えば脳を掌握しているゾンビ化細菌と全身の粘膜、体液にあるゾンビ化細菌は微妙に種類が違うというか、種類は一緒なんだけど役割が違うというか、粘膜や体液に含まれている方のゾンビ化細菌は少々死に気味である、と考えてもらっていいだろう。ゾンビ化細菌の必要とする栄養は人間の脳付近にしか存在しないので、だから相手の体内に入った死に気味のゾンビ化細菌は相手の脳を目指すのだけど……と。

 

 そんな感じで、何故記憶がそうなったのか、というのはわかった。

 で、ここからだ。

 

 私の作りたいものは決して不老不死の人間なんかではなく、死者蘇生の法である。

 私達のオリジナルやオリジナルを作った誰かの悲願がそうであったのかもしれないけど、私達は私達として生まれ、思考し、行動している。その過程で得た悲しみという情報。それを感じたくないがためのこの研究において、死なない人間は微妙に目的が違う。

 私が創りたいのは死んでも終わらない人間だ。死は単なる行事に成り下がり、生きて様々を経て、想い、関り、交わり、新しいものを生み出して──死ぬ。けれどそこで終わりではなく、その本人として生き返り、そこからも続いていく。

 それが目指すところ。

 

 以前のゾンビ化細菌もアイズのゾンビ化細菌も、見た目と結果だけ生き返ったように見えていたけれど、死者の蘇生が適ったわけではなかった。焼き付けられた人格で、再現された誰かであっただけだ。その後も同じ、前の人格を取り戻しても、それは生き返ったのではなく前の人格の再現をしているだけ。

 再現は蘇生と程遠い。再現でいいなら記憶をメモリーチップなんかの媒体に込めて、それを再生すればいいだけの話だ。再生媒体を蘇生と呼ぶ存在があるのなら、私はそれを最大限に侮蔑する。

 まぁ、つい先日までの私はそれを行っていたわけだけど。

 

 再現ではなく蘇生をしたい。じゃあ今までのゾンビ化細菌は軒並みダメ……なんてこともない。

 注目したのは四番目のゾンビ、IV(イヴ)だった。

 

 初めから私に"お話"をしてくるイヴ。今まではその話に何ら興味は無かったけど、今改めて聞き返してみると、最初期の頃から異常な言動が見られる事がわかる。それは島外の情報……否、生前の情報だ。彼女は生前の情報を、あたかも地続きであるかのように話す。夜に眠ったら、ここにいた、と。

 けれど、それはおかしな話だ。他のゾンビには等しく焼き付いていた"誰か"の人格が彼女には焼き付いていない。腕部肥大型という典型的な肥大ゾンビの特徴を持っていながら、脳だけがゾンビ化細菌の影響を受けていない、なんてことがあり得るだろうか。

 

 あり得ない。が、アイズ化細菌の件もあり得ないと否定した事が、そのプロセスは違ったけれど真実に辿り着く足掛かりとなってくれた。そもそも研究者として目の前に存在する事実をあり得ないと否定するのはナンセンスだ。思い込みが激しいのは私の欠点だと本当に思う。

 

 それはさておき、イヴのゾンビ化細菌の観察結果に戻ろう。

 

 色々と調べてみた結果。

 驚くことに、イヴのゾンビ化細菌は退化している、という事が分かった。アイズのゾンビ化細菌が効率を高め、新しい形質を獲得するという進化をしたのに対し、イヴのゾンビ化細菌はイヴの脳の掌握を止め、どころか彼女の脳に併合されつつある……吸収されつつある事が分かったのだ。

 あくまで細菌、それも外部からの侵入者で、生命活動の停止を企てる確実な悪性菌。それをイヴの脳は自身の一部として認めようとしていた。自身の一部として吸収し、菌側も大人しく食われている。それによっておこるのは、イヴの脳によるゾンビ化細菌の管理である。彼女の脳は停止した心臓に変わる新たなエネルギー源としてゾンビ化細菌を選び、それに適合した。

 メイン電源よりサブ電源の方が優秀だったからそっちを選んだ。ただそれだけの事。

 なるほど、これなら彼女が元の人格を忘れる事は無いし、誰かの人格に侵されることも無い。彼女はゾンビであるけど、他のゾンビの様に菌が制御した脳による再現をしているわけではなく、あくまで脳主体で菌を制御している……いわば、ゾンビの性質を持った人間である。

 

 イヴがちょうど手元にいてくれて助かった。

 彼女がアイズのゾンビ化細菌に感染するようなIFがあったかもしれないのだ、そんな恐ろしい事は無い。軽率に第二次パンデミックを起こしたことは反省する。リスクマネジメントの出来ない研究者は唾棄に値する。反省、猛省しよう。

 けれどこれで研究が進む。

 良いインスピレーションだと思う。陳腐な考えから死者蘇生とはゾンビであると考えこの細菌を作り上げたが、そうでなく、人間にゾンビという機能を付け加える細菌を作ればいいのだ。菌によって殺し、それを操り人形が如く制御するのではなく、あくまで死は外部による刺激で、それが来た時にゾンビ化する。良性の、人間が取り込んでいいものだと認識する菌だ。悪性だと認識されない菌だ。感染直後は無症状で、死の刺激によってのみ励起する細菌。

 

 ……症状的にウイルスだなぁ、って。んー。いや、もう少し頑張ってみよう。

 

 まだまだ、時間はたくさんあるわけだし。

 

 

 

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 人間の国は、そのほとんどが壊滅したといって良いだろう。

 未だ"英雄"を擁すいくつかの国が抗戦を続けているが、そうでない国はほぼすべてが崩壊した。

 数が多く、増える速度も高く、戦闘力に長け、考えて行動するゾンビ。加えて言葉を解す事実が今までゾンビを殺す事の出来ていた人間に僅かながらの躊躇を与え、しかしその僅かさは"マルケル"ゾンビにとっての盛大な隙。

 そうして……気付けば人間は、絶滅の危機に瀕していたのだった。

 

 ジョーことジョゼフのいる街もそれは同じ。

 最初の"マルケル"の襲撃時点で半壊に近かったこの街は、"マルケル"ゾンビの出現によって全壊を迎える事となる。

 "英雄"は強い。人知を超えて、人間を超えて、強い。

 けれど一人だ。何より彼には誰よりも大切な人があって、そちらを優先する。

 

 あの日、"マルケル"を名乗る母子の戦いを仲裁した彼は、争いを止めることの無い、襲い掛かってくる二人を殺し、ミザリーを探し回った。

 幸いなことにミザリーは数人の避難民たちと共にほど近いビルの中に身を隠していて、再会の叶った時は、二人して喜びを分かち合ったものだ。

 しかし彼女が無事でも、()()()()はダメだった。

 ジョーとミザリーが合流してすぐ、避難民たちの様子が豹変する。元々俯いて膝を抱えていた彼ら彼女らが突然顔を上げ、周囲を確認し──一斉に、「よぉ、ジョーじゃねえか!」と言ったのだ。

 

 彼らが自身以外を認識する──その前に、ジョーはミザリーを連れてその場を離脱した。

 背後で聞こえる殺し合いの声。否、背後だけではない。屋上から屋上を飛び移っていくジョーの周囲、後ろも前も眼下も全て、すべてで元相棒のような口調の"誰か達"が争い合っている。

 地獄だった。

 恐らくミザリーにはジョーの腕が震えている事を悟られてしまっただろう。怖かったのか、悲しかったのか、怒りが抑えられなかったのか。

 

 この廃街を捨て、"マルケル"の追ってこない場所を見つけるに至るまで、ずっと。

 ジョーの腕は震えていた。

 

 

 生まれ育った街を捨ててから数日。

 ジョーはもう、一週間飲まず食わず寝ずでも活動できるくらいには()()()()()()()けれど、ミザリーはそうではない。ゾンビが食料や野生動物に興味を持たぬ事は幸いであったと言えるだろう。空き家や野山で食料を得て、今まで通りとは行かずとも、なんとか生活水準を保つことが出来ていた──その矢先。

 

 二人は、二人と出会う。

 

 

 

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 初めにあったのは斬撃だった。

 問答無用の攻撃。有無を言わせぬ殺意の塊は、少女が少年を抱きながら避けた事で躱される。

 一撃で仕留めきれなかった事に舌を撃ちつつ、ジョーはもう一度スクラップの剣を振りかぶった。

 

「お、おいワイニー! あれ多分見た目的に知り合いなんだけど、どうみてもやばいよな、人間じゃないよな、俺アイツに殺されたんだぜこれで馬鹿にできねえだろなぁワイニー!」

「馬鹿、喋る暇があったら避ける事に集中しろ。普通に死ぬぞ、あんなの」

「お前抱えられてる身で何を悠長な、うわっ、あぶねえ!」

 

 もう一度振り下ろす。飛ぶ斬撃──"マルケル"に化け物と称されたそれは、ジョー自身もそう思う威力を有している。押し出された真空の刃が地を割るなど、常識においてあってはならぬことだ。

 けれど、それがミザリーを守るためになるのなら、使う。

 

「おいおいジョー、俺はっ、ま、まぁいいけど、ガキを殺すのはよしとけ、あとで辛いぞ! 泣くぞ!」

「人間にとって、ゾンビはゾンビだろう。それと、お前には干からびて死んでほしいと思った事が幾度となくあるが、今死なれると困る。俺に身を守る力は無いのだからな」

「おおなんだなんだ死の淵に瀕してデレたか? 馬鹿野郎もっと安全なときにデレろよ反応に困るだろ!」

「やっぱり今死ね」

 

 今までのゾンビと同じ、ジョーに親し気に話しかけてくる知らない少女のゾンビ。名を名乗ってはいないが、少女も"マルケル"なのだろう。少年の方は違うようだが、それがどうしたという話。ゾンビは人間の敵だ。人間に悪意しか持たず、害意しかない。

 ならば先に殺す。

 

「おいジョー! お前、もっとユーモアある人間だっただろ! 戦う時笑って、生きているのが楽しい、みたいなお前はどこいったんだよ!」

「マルケル、一つ良い事を教えてやろう。人間は死を恐れる生き物だ。死の縁で笑っている奴は狂人なんだよ。俺達だって渇きに渇いている状況で笑っていられないだろう」

「そりゃそうだ、笑ったら水分飛ぶからな! はっはっは!」

 

 やはり少女の方は"マルケル"らしい。その感染力の事を考え、少女の方に狙いを定める。

 

「なぁワイニー、アイツ、俺に熱い視線送ってるんだが。もしかして()()に惚れたか? クソ、ミザリーちゃんなんて可愛い子侍らせておいて、許せねえアイツ!」

「俺には殺意が向いているようにしか見えないよ、マルケル。出来れば降ろしてくれないか、俺は死にたくない」

「馬鹿、一蓮托生だよ! お前は俺と一緒に死ぬんだ、死にたかないけどな!」

「悪魔に魂を売ったつもりは無いんだがなぁ……」

 

 そうして──剣を振り下ろす。

 既のことで、止められた。

 

 ミザリーだ。彼女がジョーの前に立ったのである。

 

「……ミザリー、危ないから下がっててくれ。もしあいつらが……喋る、という事に、知性がある事に同情をしたのなら……それは勘違いだ。ダメなんだよ、ミザリー」

「あの二人は、何か違う気がする」

「おお、いいぞミザリーちゃん! そうだ、言ってやってくれ! 俺達は人間を襲うつもりなんてないし、なんならゾンビを倒してきたんだ! いや人間に協力するつもりもないんだがよ、少なくともお前と敵対するつもりはないんだよ、ジョー!」

「マルケル、お前言わなくていい事をいくつか言ったという自覚はあるか? 無ければ死ぬと良い。潔く斬られろ。ちなみに俺は助けてくれると助かる。人間に協力するつもりもあるからな」

「あ、てめぇ! おい、いいのかジョー! コイツ生かしておくと絶対ミザリーちゃんにセクハラするぞ! 今までの道中もな、コイツ、俺の胸を触りたくて触りたくて仕方ないとか」

「言ってない。加えて黙っていろ。俺達がうるさくすると、俺達の死亡確率も上がる」

 

 ジョーは真剣な面持ちを崩さない。守るべき彼女を──しかし、キツイ目で睨みつける。

 でも、ミザリーもそれは同じだった。愛すべきジョゼフを、真摯な瞳で見つめ返す。

 無言の時間。

 

 折れたのは、ジョーだった。

 

「……わかった。じゃあ、今すぐここを離れよう。こいつらは見逃す。それでいいか」

「……あの二人と、話してみたい」

「ミザリー……」

 

 それは承服しかねる"我儘"だ。見逃す事はまだいい。今襲い掛かってこないものを殺さない。あとで襲い掛かってくるときに殺せばいいから、それはいい。

 だが、話す、なんて。

 ……なんて。

 

「はぁ……わかった。わかった、ミザリー。だが、危険を感じたらすぐにでも離脱するし、すぐにでもこいつらを殺す。いいな?」

「うん。大丈夫だと思うから」

 

 そう言って、ミザリーは……二人の方へ振り向いた。

 振りかぶった剣を下ろしたジョーは、しかし臨戦態勢である事には変わらない。

 だというのに。

 

 だというのに、ゾンビ二人はその警戒を解いた。そして、少女の方は人間らしく溜息を吐く。

 

「お前のその癖、なんとかならないのか。俺達に呼吸は必要ない。お前のソレは、体内の腐臭を周囲にまき散らしているだけだぞ」

「おいおい年頃の娘に対して腐臭とかいうなよ。一応その辺で見つけたミントを口の中でもごもごやったりしてるんだぜ?」

「そうか。死ね」

「さっきあんなにデレたのになぁ~」

 

 少女と少年。

 彼女らに向いて、ミザリーは口を開いた。

 

「初めまして、ゾンビさん。あ、そっちの……ちっちゃい子の方」

 

 

 

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「おっと、それ以上近づくな。お前、人間だろう。感染する危険性がある。そこからでも声は届くんだ、そこでストップしろ」

 

 ワイニー、と呼ばれた少年。

 人間に友好的であるというのは偽りでないと言いたいのか、ソイツはミザリーに向かってそんな事を宣った。自身がゾンビである事を自覚し、故に人間の安全を第一に考える。

 あり得ないな、と思う自分がいた。

 選ばれなかった事で口を尖らせている少女ゾンビが、少年ゾンビを冷やかすように肩を竦める。

 

「うん。わかったよ。ええと、ワイニー、と呼べばいい?」

「ああ、構わない。こっちの色ボケはマルケルだ。一応、俺は現状のゾンビ達に起きている事をある程度理解しているつもりだ。その上でアイツはマルケルだ。そう呼んでやって欲しい。そう思わなくてもな」

「了解」

 

 アイツらしい軽薄さと適当さを全面に押し出した少女の方と違い、この少年ゾンビは随分と理知的で、常識を持った存在であるらしかった。「そう呼んでやって欲しい」の所で俺の目を見る辺り、俺とアイツの関係がどういうものであるかも知っているらしい。どうせ口の軽いアイツがべらべらと話したのだろう。

 

「私は、ミザリー。こっちのでっかいのがジョゼフ」

「話には聞いているよ。アイツの相棒、だったか。さぞかし苦労したことだろう。俺も道中、何百、何千回とアイツに死んでほしいと思った事か」

「仲、いいんだね」

「仲が良い……とは、違う気もするが。利害の一致という奴だ。些か助けられてばかりな気もするが、アイツが納得しているのならそれでいいだろう」

「うん。伝わってくる」

 

 ふん、と鼻を鳴らす。子供にまでこんな扱いをされている奴に同情を隠せない。自業自得だ。

 

「それで、ミザリー。俺に何を聞きたいんだ?」

「あ、うん。聞きたいというか、話してみたかったんだ。言葉を操れるゾンビさん。貴方の今と、前の話」

「前というと……生前か。すまないな、生憎生前の事は憶えていないんだ。まぁ、この通り子供だ、大した記憶は持っていなかっただろうさ」

「そうかな。子供の頃の記憶は、大人になっても忘れないものだよ」

「一生大人になることの無い俺には関係のない話だな……あ、すまない。機嫌を損ねたわけではないんだ。こういう……湿っぽい皮肉が、どうにも染みついていてな。生前の俺はかなり暗い性格だったのやもしれん」

「冗談の言える性格が暗い、なんて嘘だよ。それに、ジョーも結構皮肉を言う方だよ? 彼の性格が暗いように見える?」

「少なくとも今は暗いんじゃないか。先ほどなんて、殺人マシーンでも相手にしているかのようだったぞ」

 

 睨みつける。すると、後ろの少女と同じように肩を竦める少年。容姿は全く違うが、まるで血の繋がった姉弟のような事をする者だと思う。

 ……認めよう。既に俺の中で、この二人に対する警戒心は薄れつつある。元々懐柔されやすい方だという自覚はあるが、もっとしっかりしないとミザリーが守れないだろう。

 

「今の話も聞きたいな。二人はどうして出会って、どこに向かっているの?」

「ふむ。まぁさっきも言った通り、アイツ自身の事は置いておく、というのを前提にして聞いてほしいんだが」

「うん」

「今、ゾンビ達はそのほとんどがアイツの偽物になりつつあるのは、恐らく知っていると思う。これほど流行している……俺達ゾンビが言えた話じゃないが、俺達ゾンビさえも巻き込んだパンデミックが起きている。そんなパンデミックの被害者……まぁ感染者だな。アイツを名乗る偽物の感染者に俺が襲われていて、そこを助けたのがアイツだ。それで、アイツはこのパンデミックの原因を探るのと、まぁ諸々を調べるためにゾンビの本拠地に向かおうとしている。俺はその付き添いだ」

「待て、本拠地だと? ……あのマザーとかいう女のいる島、とかいう場所か?」

 

 思わず口を出してしまう。

 少年ゾンビは……ワイニーは、然して気にした風もなく、ああ、と答えた。

 

「ここから南……海岸線から更に距離を置いたところにあるリゾート島。そこがゾンビの本拠地だ。と、聞いた。俺は行ったことが無いからな、全部アイツの情報によるものだという事を念頭に置け」

「リゾート島……あそこか」

「人間の方がそういう娯楽施設には聡いか。そこにゾンビの本拠地がある。だが、アイツの話ではマザーは死んでいるとのことだ。故に原因がマザー以外にあるものだと推測している」

「死んでいる? ……まぁ、それはいい。その島にはどうやって行くつもりだ。船があるのか?」

「泳いでいく。俺達ゾンビは疲労も呼吸も必要ないからな。人間より移動範囲は広いんだ」

「成程……そこにパンデミックの原因がいる、と思って良いんだな?」

「恐らく、だ。確実じゃない。俺達がそこへいくのも、それを確認するためだ」

 

 逡巡する。

 天秤。

 

「ついていく、とか言うんじゃねえかと思ってるぜ、俺は」

「……」

 

 今まさに言おうとしていた事を、後方……少女ゾンビが遮った。

 ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて、少女ゾンビは馬鹿にしたように嗤う。

 

「お前、ミザリーちゃんどうする気だよ。おいていけねぇだろ。船を入手する? 都合よくそんなものがあるかね、あっても動くかね。行った所でどうする。あの島はゾンビの巣窟だ。うじゃうじゃいるぜ、嫌になる程な。更に幹部クラスが五人いる。前の俺クラスの戦闘力持ってる奴らだ。お前一人ならなんとかなるかもしれねぇが、ミザリーちゃん守りながらじゃ無理だろ」

「……」

「まぁ、俺達に任せて置け、人間。お前達は弱いんだ。すぐに死ぬ。一応他のゾンビの擁護をしておくと、俺達はすぐに死ぬ人間が怖かったのさ。だから死ななくしたかった。ま、そのやり方が合ってるとは俺は言わん。人間が人間らしく生きて、その先で死んで──それこそが美しいという理念も、理解できなくはない。俺は自身のエゴより、個人の意見を尊重するよ。だからこそ、お前らを連れていく気はない。人間は人間らしく短命に生きて、そしてどこかで幸せに死ね。パートナーと寄り添って、花にでも囲まれて死ね」

 

 何故か、そこにマルケルを幻視した。

 少女の方より、少年の方に。ワイニーと呼ばれた彼の方に、根は真面目なマルケルを重ねる。ならば軽薄な少女と真面目なワイニーを合わせて、丁度一人のマルケルだ。

 

「ミザリー、お話はここまでにしよう。どうせこれ以上の手札は俺に無い。お前らの話は聞いても面白くはないだろう。どうせ惚気話しかないだろうからな」

「ワイニー……」

「君は良い人だな。こんな短時間の、それもゾンビとの別れを惜しんでくれるのか。ふん、ジョゼフといったか、お前……大事にしろよ、彼女を」

「言われるまでもねぇ」

 

 少女の方が近づいてきて、ワイニーの頭にぽんと手を乗せた。

 俺は俺で、ミザリーの肩を抱く。

 

「今生の別れだ」

 

 拳を突き出す少女。

 

「すでに死んでいるがな。まぁ、言いたい事はわかる。じゃあな、ジョゼフ、ミザリー」

「うん。また。元気でね、ワイニー」

「あれ、俺は?」

 

 ばいばい、と手を振る彼女に……ふぅ、と息を吐いた。

 そして言う。口を開く。

 

「じゃあな、マルケル。次こそ、会う時は地獄だ。ここじゃない地獄で酒を飲もう」

「馬鹿野郎、お前が行くのは上だよ上。彼女を大事にして、人類に貢献しろ。"英雄"サマ、だろ」

 

 中指を立てて、マルケルは言う。はしたないから止めろ、とその手を下ろさせるワイニーとじゃれつきながら、二人は海の方へ歩き出す。

 ミザリーの肩をもう一度強く抱いて──ふと、ワイニーが振り返ったのが見えた。夕日に逆光で、けれどその目が俺を見る。

 

 

「一つ、思い出した事がある」

 

 その声は決して大きくはないのに、何故か届いた。耳に響く。

 

「リザ、という名が──多分、どこかに」

 

 それだけ。

 それだけ言って、ワイニーはマルケルに抱きかかえられ、駆け出し──その姿を光に溶かしていった。

 

 リザ。

 

「誰だ? ミザリー、知り合いにいるか……って、どうした、ミザリー!?」

 

 震えている。ミザリーが、震えている。

 けれどそれは恐怖ではない。顔は真っ青どころか──真っ赤だ。上気した頬で、恍惚の笑みを浮かべて。

 

「ミ、ミザリー……?」

「ううん……大丈夫。大丈夫。ちょっと、あることを思い出しただけだから」

「そうか……体調が悪いとかでは、ないんだな?」

「うん。大丈夫。ありがとう、ジョゼフ」

 

 その笑みを浮かべたのはそれっきりで。

 けれど俺はリザという名を忘れぬ事を誓った。彼女にとって、何かあるのは間違いないだろうから。

 

 

 日が沈む──。

 

 

 

 


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