世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

14 / 26
排泄物に纏わる話があります。ご注意。



レッツノム-輝かしく、麗しく、黒い混沌

 そこはかつて、人間の国だった。

 ゾンビが湧いて出ても尚大国としての姿を他国へ示し続け、"英雄"を二人も擁す希望の国。ゾンビの対策は日々着実に研究され、洗練され、より堅固なものへと進化していく──そんな国。

 しかし今ここは、沢山の腐肉と、大量の砂が広がるばかりの廃墟となってしまっていた。

 その原因は、二つ。

 

 一つは"マルケル"の出現。そしてそれによる襲撃の激化と、"マルケル"同士の蟲毒。

 奇しくもすべての元凶たるマザーが行っていた同じゾンビ同士の蟲毒によるゾンビそのものの進化が、堅牢な守りを持つこの国の壁の内で再現され、ソレが成っていた。

 最後に残った一人の"マルケル"は早期に国を出たけれど、彼の後ろにあったのは"マルケル"の争いに巻き込まれた憐れな人類と、"マルケル"の闘争に敗けた哀れな腐肉の死骸だけ。"マルケル"は国を出た時点で全てを壊し尽くしていて、だからこの国にはもう、何も残っていなかった。

 

 ……なんてことはない。

 "マルケル"が、最後に残ったその一人が国を出たのは、この国に何もなくなったから、ではない。

 本当の理由は、殺しても死なない人間が──ゾンビになることも、死ぬことも無い何かが、大量に巣食っていたからである。

 

 それが原因の二つ目。

 この国の国民。そのおよそ半数が、砂と岩で出来た、見た目だけを繕った人形であったのだ。今まで友人と、家族と、同僚と……そうして人間との関係性を築き上げてきた者が、ただの砂人形。彼ら彼女らは"マルケル"にもゾンビにも抵抗せず、無造作に破壊され──けれど次の日には、元通りに戻って、"普段"を続けている。

 砂人形の判明から、"英雄"も国民も、争い合う"マルケル"とは別に、それら人形を恐怖する様になっていった。ゾンビを相手に戦う事もある。その戦いに殉ずる事もある。恋人を守ってその命を散らし、恋人の命を繋げる事もある。

 けれど、次の日には直っている。

 あれだけ感情的に離別をした。あれだけ絆を覚えていた。あれだけ縁に浸っていた。

 しかしそれがただの人形遊びなのだと気付くのに、そう時間は要さなかった。

 

 "マルケル"ゾンビは基本人類の敵であるが、考える事の出来るゾンビである。

 勿論自身を名乗る偽物の存在は許す事は出来ないが、目の前で繰り広げられるそんな異様な光景に対して思う所がゼロ、なんてことはない。

 効率が悪い、と思ったのもあるだろう。同胞を作らんとして多少の命の危険を賭した感染が、相手が砂人形だったことの判明で意味のないものとなる。恋人らしき男の方が砂人形だった。だから女の方を同胞にするため傷をつけたら、その傷口から砂が零れてきた、なんてことが一度や二度ではないのだ。

 民家を襲撃したら、その一家丸ごと砂人形だった、とか。

 マンションの住民の一人が砂人形で、それを異様な目で見つめる、あるいは化け物を見るような目で見る親に連れられ逃げる子供たちも、全員砂人形だった、とか。それに驚く親は人間で──その周囲にいた他の子の親は砂人形で。

 

 吐き気がする。気持ちが悪い。

 ゾンビには無い機能だが、しかし、この国の異様さを"マルケル"はその肌で感じ取った。

 

 ゾンビは人間よりも遥かに死のリスクの減った存在であるとはいえ、ノーリスク、というわけではない。人間を守るために、まるで決死が如く吶喊してくる砂人形。一人一人は"マルケル"の敵ではなくとも、その数が数だ。万が一もある。

 砂人形と人間は壊してみるまで見分けが付かず、砂人形は完全に破壊されるまで動き続ける。

 それはもう、ゾンビと何ら変わらない存在だろう。違いは人間に害があるか無いか。"マルケル"同士のソレでない限り、死に難い者同士の争いなんて不毛の一言に尽きる。敵が無尽蔵であるなら尚更だ。

 

 だから"マルケル"は逃げた。この人間の国……否、砂人形に飼われた人間の国から。

 

 "マルケル"が国を去った後、起こったのは内紛だ。

 隣人が砂人形である、という事実は、たとえ自身に害を為さずとも到底受け入れられるものではなかった。壊して見なければ砂人形かどうかはわからない──だから壊し合った。

 国民達は隣人に刃物を振りかざし、子を刻み、親に刃を突き立てる。

 初めは迷いがあった。倫理を侵す行為である。何より今の今まで大切に育ててきた我が子や、最愛の両親、恋人を傷つける行為に躊躇いはあった。そこまでは、確実に。

 

 けれど。

 腹を痛めて産んだはずの子供が砂人形だった。

 生まれた時から、病室にいた頃から幼馴染として育ってきた少年の親友が、砂人形だった。

 年老い、こんな時世でもと介護を頑張ってきた娘の老いた両親が、砂人形だった。

 

 巣食うという表現に一切の間違いはない。

 この国の半数はいつの間にか──あるいは最初から砂人形で形作られていて、身内が"そう"であると知った人々の理性のタガはいとも容易く外れる事となる。

 確認しなければ安心できない。壊さなければ理解できない。殺して、明日挨拶をしてこなければ人間だ。傷付けて、治らなければ人間だ。

 殴ったり、蹴ったり、叩いたりするだけではわからない。砂人形は一丁前に痛がるし、泣き喚くし、命乞いをするから。だから確実に殺さないと判別が出来ない。

 

 狂っている。狂気に陥っている。

 そんな事は誰もが分かっていたけれど、目に見える変化のあるゾンビより、目に見えない砂人形の方が、その這い寄る恐怖は大きかったのだ。

 そうして、この国の民は自分たちを傷つけ合った。砂人形たちを使えば安全にゾンビを退ける事も可能だっただろう。むしろその用途としてこれだけの数がこの国に置かれていたのではないかと考えることもできるだろう。殺しても死なない、次の日には再生する砂人形(ゴーレム)を使役して、ゾンビから身を守る。

 それをしてほしくて、砂人形を巣食わせた誰かはこの国にこれだけの砂人形を配置したのだろう。

 しかし、その意図を汲む人間は誰一人としていなかったし、その誰かも人間の心というものを理解していなさすぎた。すれ違いというのも烏滸がましい独り善がりの善意。

 

 結果。早期に"マルケル"ゾンビを国外へ追い出す事に成功したその国は、滅んだ。

 腐肉はゾンビの肉だけでなく、殺し合った国民同士の死骸。片付けられる事も無く放置された死体は腐り果て、ゾンビと同等になった。

 そして人間が居なくなったことで役目を終えた砂人形たちも、ただの砂に戻る。用途が無ければ、あるいは目的が無ければ動かない砂の人形。

 

 そこはかつて、人間の国だった。

 しかし今そこは、沢山の死体と、物言わぬの砂が広がるばかりの廃墟となっている──。

 

 

 

 π

 

 

 

 イースは他国から来たという"英雄"のその"思い出話"に対し、掛けるべき言葉を見つけられずにいた。

 生き残ってしまった二人の"英雄"。国は崩壊し、ゾンビの脅威も去った今、自身らに出来る事は他国の手助けだと思い立ち、この国を訪ねてきたという。

 戦力はありがたいと素直に思う。イースはすばしっこく、思考の範囲外による攻撃と情報処理能力に優れた"英雄"であるが、遠い西の街に聞く剣の一振りでビルを割断する"英雄"のような火力とでも呼ぶべき物を有していない。

 "マルケル"ゾンビが襲撃を繰り返してきている今、助太刀は素直にありがたい事だった。

 

 けれど。

 

「砂人形……国民が。はぁ、余計な不安を持って来ないで欲しかった……」

「すまない」

「申し訳ない」

 

 イースの率いるこの国は、彼に対する神聖視と信仰、つまり統率力でどうにかなっている現状にある。

 そこに、"隣人が砂人形かもしれない"なんていう疑惑の種は、正直害にしかならない。彼ら"英雄"の出身国の二の舞になる可能性だってあるのだ。

 今まで"マルケル"ゾンビを撃退してきた人間が砂人形だったという報告は聞いていないが、死なないように立ちまわっている可能性もゼロではない。そもそも砂人形とはなんなんだ、とイースは思う。ファンタジーじゃないかと。オカルトじゃないかと。

 

「イース。……あれ、お客さん? 邪魔かな」

「いや、大丈夫だよメイズ。こちらは他国の"英雄"のシンさんとセイさん。情報共有と助力にって駆け付けてくれたんだ」

「こんばんは、お嬢さん。私はシン。少し北の方にある国で"英雄"と担がれてきましたが、国を守るに至らず、こうしてこの国へ流れ着き、せめて人類を守る事に貢献しようとイース殿に相談をしておりました」

「セイです。シンと同じ国で"英雄"と呼ばれておりました。シンと同じく、好きに使ってください。私達にはもう、今無事である人類を守る以外の道が残されておりません」

「あ、えと、メイズです。よろしくお願いします」

 

 会議室に入ってきたメイズはいくつかの書類を手にしている。彼女はせめて自分に出来る事をと人間の兵から上げられた情報のまとめ上げや対抗手段などを発案を担っていて、どうしても戦地へ赴きがちなイースの確固たる支えとして日々を過ごしている。

 "英雄"シンとセイの目から見て、二人は年端も行かぬ子供……それもまだ十を数えるか数えないくらいかの容姿である。イースが"英雄"であると知ってはいても、その彼に寄り添う少女に庇護欲を掻き立てられるのは無理のない事だった。

 

 メイズが"英雄"達のいるテーブルにその書類を広げる。

 書かれているのは"マルケル"ゾンビの動向や生態、弱点といった重要なもの。シンとセイのいた国における最新鋭の情報より更にさきを行くそれに、二人は目を瞠る。

 

「これは……これは、素晴らしい。これほどまでに細かく、且つ的確な……」

「裏打ちはどのように……なるほど、膨大な試行回数ですか。相当な練度の兵をお持ちのようだ」

「まぁ、ウチは個の強さというより群の強さだからね。互いを互いでカバーしあって、出来るだけ被害が出ない様に、出来るだけ迅速に対処できるようにを心掛けてる。勿論それが出来るのはしっかり報告を上げてくれる兵と、その精査と統合をやってくれている彼女のおかげだよ」

 

 二人が"マルケル"ゾンビに関する書類を見ている内に、もう一つの束を手に取るイース。そこに綴られているのは、"とある筋"から齎されたという噂の一つ。

 

「……マザーが一度死んで、けれど生きていて、僕達の近くにいる可能性がある、か……全く、どうしてこう、悩みの種ばかり」

「ごめん」

「ああ、僕の方こそごめん。メイズに文句を言っているわけじゃないんだ。……ただ、少し驚いたな。今島は、たった三人しかいないのか。それにエインとイヴが……」

 

 イースは自身の口の中だけでぶつぶつと呟く。受け取った情報と自身の過去を照らし合わせ、その事にさらに頭を揉む。

 

「イース殿、私達に役割を与えてはいただけませんでしょうか。この国の守護は勿論ですが、兵の方々の連携を崩すのも悪い」

「シンは槍を、私は柳葉刀を用います。それぞれ、貴方の采配にお任せいたします」

「ああ、わかったよ。じゃあまずは……」

 

 突如手に入ったとびきりの戦力。先も述べたが、イースにとってそれそのものは素直に嬉しいのだ。砂人形も、ゾンビの様に害のあるそれでないのなら今は良い。今は良いものを考えるのは後だ。

 自分以外の"英雄"を運用するのは初めての事ではあるが、そこに憂いは無かった。二人と話し合いをしながら、防衛についてを詰めていく。

 

「イース、私は先に帰ってるね」

「うん、僕もすぐに帰るよ」

「あ、それでは私がメイズさんの護衛をいたします。シン、後程情報の共有を」

「死力を尽くせよ、セイ」

「ん……じゃあ、お願いするよ、セイさん」

「はい」

 

 それでは、と言って。

 セイは会議室を後にする。先を行くメイズに遅れぬよう歩を早めて──灯りの無い廊下を曲がった所で、ふと立ち止まった。

 

 

 

 н

 

 

 

「失敗だったね」

「人間への理解が足りていなかった。それに尽きる」

「人間は異形を排斥するものだから、迫害した私達を奴隷みたいにするか、他のゴーレムみたいに壁として使うとかすると思ったんだけど……まさか自分たちで殺し合うなんて」

「やはり、表面上だけでも血液が出る仕組みを追加するべきではないか? 血液……赤いだけの液体でも良い。精製の機能か、皮膚下に赤い液体を流す仕組みさえあれば、人間がああも狂乱する事は無かったはずだ」

「どうかな、直る時点でどうしようもないと思うけど。この機能だけは停止できないし」

「それは……そうだが」

 

 今までの人見知りを思わせる態度でも、庇護欲の湧いた少女に対する真摯な態度でもない。

 等しき間柄──あるいは、自分同士の会話。

 

「ちょっと不味いかな、って思ってる」

「人間の数が足りない、か」

「うん。そろそろ出来上がる頃だと思うから、今いるゾンビをすべて活動停止にさせるのもそう遠くないとは思うんだけど、人間が減りすぎたね。もう少し戦力あげて、過保護に守るくらいにしないと難しそう」

「安全が確保されさえすれば、人間と言うのは娯楽を求めるもの。娯楽少なきこの時世であれば、交尾に励んでくれると思いたいが」

「彼はどう? 好意を抱かれている感じ?」

「兄妹の倫理があるのだろうな、手は出してこないが、恐らく好意は向けられている」

「生殖機能を付けるのは難しいから、貰って、体外受精でなんとかするのが一番かな」

「わかった。そちらが羨ましくはあるな。ゾンビが相手だ、何の懸念も無い。どのタイミングで停止させるかによっては多少の被害も考えられそうだが」

「うん。まぁ適当なタイミングでやっておくよ。血液が出る仕組みは一応考えておく。血が通った生き物、ってだけで信用してくれる人間はたくさんいるからね」

「頼んだ」

 

 観察結果と対策手段。

 人間への理解度が足りなかったと話しておきながら、理解をする素振りを見せない。ただ全滅されるのが困るから、増やす手段を構築する。目的を遂行するために必要なものを機械的に選ぶ──まさに人形だ。

 遠隔での情報共有ができるわけではないため、こうして人間の様に口頭で会話をして、新たな目的を定め、次の瞬間には"英雄"に寄り添う少女と"英雄"と共に在る妹に戻る。

 そのままセイはメイズを家まで送り届け、また作戦会議室へと帰るのだった。

 

 "英雄"セイ。

 彼女は、"英雄"シンと共に在る役割を持った、砂人形の一体である。

 

 

 

 б

 

 

 

 シンに役割を与え、また一人になった会議室で、イースは一人書類と向き合っていた。

 先ほどメイズより渡された報告書の一つに書かれているのは、とある島に関する内部情報だ。先ほど声に出して整理したその情報を、改めて見る。

 

「……本当にアイズは死んで……世界に"マルケル"が流行った、か。じゃああの時僕が殺したのは……」

 

 詮無き事だ。あの時深く会話をしたのがあの一体だったというだけで、その後も、その前も、イースは沢山の"マルケル"ゾンビを殺している。

 あの時。何が起きているか判らない混迷の中、ようやく見つけられた知り合いにどれほど安堵していたのだろう、とか。

 明るく振舞っておきながら、実は結構焦っていて、だからこそのぶっきらぼうな感じだったのかもしれない、とか。

 

 そんなことは、考えなくていい事だ。

 既にイースはゾンビを裏切っていて、人間についている。初めから、同情なんてかけるべきじゃない。

 

「エインとイヴが行方不明。アイズは死に、パンデミックを引き起こした。僕は寝返り、ヴィィは"マルケル"に乗っ取られた……島に残っているのはウィニとヴェイン、そしてヴィィの身体を使うマルケルだけ」

 

 人間側も確かに壊滅的な状況だ。

 けれどゾンビ側も万全とは言えないな、と笑う。

 

 メイズと共に掲げたマザーを倒すという目標は、島に残ったゾンビ達によって叶えられたらしい。けれどその後もマザーの影が大陸中に見え、彼らはこれをまだ生きているのだと判断。それを探している間に第二次パンデミックが発生し、いつの間にかエインとイヴが消え、島のゾンビにも感染が広がり、ヴィィまで失われて……もう、散々だ。

 こんな情報量を叩き付けられて、それを一晩で処理する、なんて。

 

「……でも、気になってくるのは……昔マザーが作っていた抗菌薬、かな。進行の遅かった頃の細菌の増殖を抑制し、更には滅菌にまで至る薬。あれは"マルケル"ゾンビに効くのかな。効かなかったとしても……どうにか、そのどこかにいるらしいマザーを捕えて作らせれば……世界は救える?」

「やはりお前も、その考えに至ったか」

「うん。……久しぶり」

 

 気付いていた足音だ。突然声を掛けられたとしても驚くことは無い。

 誰もいない作戦会議室の窓辺。

 そこに人影があった。

 

 スーツを着た、ガタイの良い男。

 

「ヴェイン」

「本当に久方ぶりだな、イース」

 

 裏切り者──ヴェインがそこにいた。

 

 

 

 ж

 

 

 

 そもそも彼が何故、裏切り者と呼ばれているのか。

 それは彼が、マザーへの反乱を起こす前から、人間の国との繋がりを持っていたためである。彼はゾンビの身でありながら人間達にゾンビの弱点を教え、その習性を教え、その地位を確かなものにしていた。彼が身だしなみや体臭を気にしていたのはそう言った理由で、未だ彼の事を謎多き情報屋であると認識している……人間であると認識している国も少なくはない。

 けれど、確固たる地位を築くことが出来たとしても、ゾンビである。金も、女も、食料も必要のない身体。わざわざ仲間の情報を売ってまで手に入れるものなど、ヴェインには無かったはずなのだ。

 

 だから彼は裏切り者と呼ばれている。

 

 何も要らないから、仲間の情報を売りたい。渡したい。

 組織に所属しているから、それを内側から崩したい。

 それがヴェインの行動理念だ。ゾンビとなった直後の、人格や記憶をほとんど失っていた時からその片鱗はあり、人格を取り戻してからは積極的に島の外へ行くようになった。かつて彼がマザーに対し報告を行った時、「イースは帰還を拒否した」と告げたように、その頃からイースとの交流があったし、行方不明と言っていたウィニとも勿論繋がっていた。

 勝てる方に付くわけでも、面白そうな方に付くわけでもない。

 

 ただ彼はリークをして、その秘密が崩れ去る様を見たいだけ。

 

「大丈夫だったの?」

「ああ、ウィニも俺も無事だ。あのお嬢さんに伝えた通り、ヴィィはやられてしまったが、知性アガリをした者にアレが感染するのかどうかを確かめるための必要な犠牲ではあっただろう」

「……まぁ、僕はヴィィに会った事ないから、何も言わないけど」

「そうか、それは楽でいい。それよりも本題に入ろう。アイズ……いや、マルケルを名乗る同胞についてだ」

「うん。さっきも言ったように、マザーが生きているなら、抗菌薬を作ってもらうのが一番だと思う。マザーは人間を絶滅させたい、とは言ってなかったよね。様子見で、残しておけ、って」

「そうだな。だからこそ、人間に手助けをする存在にはマザーの影があると俺は見ている。……心当たりはないか、イース」

「うん。マザーみたいな人がいたらすぐにわかるよ。あの人には独特の怖さ、みたいなものがあったし……」

「……はぁ」

 

 ヴェインは、人間みたいな溜息を吐いた。息をする機能のないゾンビ達だが、ナンバーゾンビの中にはこの行為を好んで行う者が幾人かいた。かくいうイースも、精神に疲労を感じた時は声で溜息を演出する程。

 けれど此度の溜息(それ)は、疲労ではなく……呆れによるものだと、イースにも伝わった。

 

「自身で気付いてくれたのなら、それが一番だったのだがな。いいか、イース。俺はずっと……疑っていた。だから調査もしていた。知っているか、イース。お前の家は、ここ数ヶ月……一度も下水に排泄物を放出していない」

「……流石にプライバシーの侵害過ぎない? 気持ち悪い事いうなぁ」

「なぁイース。あのお嬢さん──アレは、なんだ」

 

 イースの苦言を一切意に介さず、ヴェインは問うた。

 

 大切な子を"何"扱いされてイースはムッと来たけど、その一方で菌が情報の処理を始める。

 

「排泄物が無い? ……それは、その、メイズがしてない、ってこと?」

「そうとしか考えられん。いいか、イース。島の研究室を覚えているか。実験室……マザーがいたあの施設だ。俺達が生まれた場所」

「明確に覚えているわけじゃないけど、まぁ覚えているよ」

「あそこにはトイレがない。シャワー室もない」

「……島の外は海だ。そんなものがなくたって」

「施設の外に出るマザーから監視の目を外したことがあったか? 無論あの時は護衛の意味を持つものだったが、そう言った素振りをした、との記録は無い。既に俺はウィニと結託していたからな、マザーの隙となるものを探っていたが……無かったよ。彼女は食事をしていなければ排泄もしていない」

「でも、メイズは食事をするよ。何度も見てきた」

「では何故排泄をしないんだ。人間だぞ。俺もお前も、人間であった頃の事は思い出しているはずだ」

「でも……」

 

 イースは必死に思考を巡らせる。否定材料だ。下水の調査をしたのはヴェインなのだから、嘘を吐いている可能性もある。裏切り者だから、イースとメイズの仲を引き裂き、この国を瓦解させるために嘘を吐いている可能性はゼロじゃない。

 

「今日来た二人の"英雄"。彼らの国の末路は聞いたか?」

「……砂人形と、人間同士の殺し合いの話? ……まさか」

「イース、彼女が傷を負ったのを見た事は?」

「……無いよ。僕が守っているから……傷なんか、負わせないようにしているから」

「別にあの国のように殺し合え、と言っているわけではない。ただ指先にだけでもいい、傷をつけて見ろ。それで……すべてが分かる。俺はあの子がマザーだと睨んでいる。あの子であれば、少なくともこのふざけた第二次パンデミックに終止符を打ち得ると」

 

 守るべき少女に、傷をつけろ。

 そんなこと聞けるわけがない。どうせこれも彼の趣味の範疇だ。

 そう断じる事が出来たら良かったのに、イースは少しだけ、ある事を思い出してしまった。

 

 いつか上げられた、国外にメイズがいたという報告。

 齢十を数えるか数えないかの少女が国外にいて、保護しようとしたら蜃気楼に包まれるようにして消えてしまったという、不思議な話。

 あれが幻覚でなく、本当にいたのだとしたら。何故彼女はゾンビに襲われずにいたのか。どのようにして彼女はそこに行き、どのようにして帰ってきたのか。

 彼女はそこで、何をしていたのか。

 

 この国の兵は虚偽の報告も適当な報告もしない。出来ない。あまりにイースを神聖視しすぎて、出来ない。

 だからそれは、やっぱり見間違いなんかじゃなく。

 

「確認、する。けど、違ったら潔く手を引いてほしい。あまりこの国をうろちょろするようなら──殺すよ、ヴェイン」

「凄むな、俺はお前を心配して……ああ、わかった、わかった。あの子がマザーや砂人形じゃなかったら、俺は潔くこの国から出るよ。もうこの国に近づかないと約束する。それでいいか?」

「うん。……ウィニは、この話を知っているの?」

「まさか。あの女に知らせたら、疑わしきは死よ、とか言って何が何でも殺しに来るに決まってる。俺はああいう極端なやり方は嫌いなんだ。しっかり裏取りと証拠を揃えて、少しずつ突き崩すのがいいというのに」

「僕にはどっちも理解できないよ。あと……エインとイヴに関してだけど」

「それについては本当に情報がない。特に何があったわけでもなく、いつの間にか消えていた。あまりマザーのせいにばかりするものではないとわかっているが……」

「それも、か」

 

 知性無きゾンビでもない限り、海で溺れるなんてことはほぼあり得ない。

 ならやはり、連れ去られたとみるべきだろう。

 

「決行は明日……ううん、早い方がいいか。今日の夜……メイズが眠った時に、試してみるよ」

「一応、人間だった場合、粘膜に触れないよう気を付けろよ。その子を同胞にしたいわけではないんだろう?」

「うん。気を付ける」

 

 どうしても湧いてしまうヴェインへの仲間意識に、彼を信じすぎないように気を付けながら、イースは頷いた。

 

 裏切り者。

 はたして、どちらが──誰が。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。