世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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エルリアフ-たったこれだけで

 人間の国──。

 

 "英雄"イースを擁すこの国は、彼の現れた時と同じか、それ以上の危機に襲われていた。

 砂人形の発覚。

 他国から来た二人の"英雄"。その内の片方が人間でなく砂人形で、人間であった方の"英雄"がこれを処断、今なお尋問をしている。そんな、ともすれば御伽噺かと笑われてしまうだろう事実が、何の学び無く彼らの故郷と同じように不和を生み、今や国中の人間が疑心暗鬼に陥りかけていた。

 奇しくも裏切り者・ヴェインの画策した国家の瓦解が為されようとしている。それはイースにとって、頭を抱えるしかない事実である。

 

「……申し訳ございません」

「いや……いいよ、とは言い難いけどね。シンさんも……心中穏やかじゃないでしょ?」

「いえ、……いえ、はい。そう、ですね。アレが……妹だとは。本当の妹がアレに成り代わられていたのか、そもそも妹などいなかったのかさえ定かではない。……だが、それ以上に、この国は……」

 

 ゾンビの脅威が去ったわけではない。"マルケル"が数を減らしているのは確かでも、いなくなったわけではない。それに、普通のゾンビだっているのだ。"マルケル"ゾンビを優先して討伐していたためだろう、単純な腕部肥大や脚部強化型等のゾンビも増えてきている。

 それらに対抗するためには団結が必要で、けれど国民同士に生まれた不和はイースへの信仰心のみで打ち消し得るものではない。

 

 頼みの綱だったマザー……セイも抗菌薬について口を割る事は無く、あれからずっと、「彼女は何者だ」、「あんな奴は知らない」などとぼやくばかり。人間の様に痛む振舞いはするものの、一日も経てばどれほどの重傷を負っていようと完全に再生し、何事も無かったかのような顔で彼女──メイズに敵意を向けるものだから、放置する事も出来ぬ"邪魔者"となってしまっていた。

 心苦しいのはシンだ。この国を助けるために来たというのに、厄介事の種と厄介者を持ち込んでしまったその事実は、ちゃんと善人である彼の精神を蝕み行く。

 

「正直、厳しいのは事実だ。国民へのケアをしたい所だけど、どうケアをすればいいのかわからない。隣人が砂人形かもしれない……なんて。それは、あぁ、不安だろうね」

「私が身を粉にして防衛をいたします。ですから、今だけは、イース殿も外からの脅威ではなく内側へ目を向け、メイズ殿と共に民草へのお触れ等を──」

 

 シンが槍を、イースがシミターを掴んだのはほとんど同時だった。

 そしてそれを、会議室の入り口の方へ躊躇い無く叩き付ける。

 

 が。

 

「硬いッ!」

「くそ、いつの間に!」

 

 仮にも"英雄"二人の攻撃は、粗悪な金属片に阻まれる事となった。

 二人の攻撃を阻んだのは一人の巨漢。その背後から出てくるのは、見るからにゾンビな灰緑色の肌の少女。イースとシンは即座に後退。彼らの攻撃を防いだ巨漢がその金属片を担ぎなおし、鋭い目で二人を睨みつけた。

 一触即発、どころか次の瞬間には殺し合いが始まりそうな緊張感が走る。

 

 その緊張を破ったのは、ゾンビの少女。

 

「おいおいジョー、やっぱアポ無しじゃダメだったんだって! いやぁすまんねお二人さん! コイツ、考える頭とか無いもんでよ!」

「ぶった切るぞクソゾンビ」

 

 金属片が振り下ろされた。

 

 

 

 Н

 

 

 

 イースもシンも警戒は解いていない。当たり前だ、隣にゾンビがいる状況で警戒を解けるはずもない。

 その上で、話を聞くことにした。

 金属片……粗末な改造を施された鉄の剣によって右腕を斬り飛ばされたゾンビの少女が、「あ、何すんだてめぇまだくっつききってねぇのに!」なんて言いながら、けれど襲い掛かるようなことをしなかったから。少なくとも人間らしい男の方に主導権があり、何らかの事情があって生かしているのだと判断したからだ。加え、男の容姿──その得物に至るまで、二人には酷く心当たりがあったから、というのもある。

 

「やはり、貴方は音に聞く"英雄"ジョゼフ……!」

「剣の一振りで街を割り、百のゾンビを一瞬で殲滅したっていう、あの……?」

「なんかめっちゃ有名人なんだなジョー。当たり前か、なんせこの俺を殺したわけだし!」

「……話の尾ひれが凄いな」

 

 "英雄"ジョゼフ。

 各地に現れた"英雄"という存在において、自身のいる地域のゾンビの殲滅という、もっとも分かり易い功績を持つ、いっそ清々しいまでに"英雄"らしい"英雄"である。ゾンビ発生から比較的初期の頃に現れた"英雄"であるというのも大きいだろう。

 ともすれば化け物だのと罵られかねない身体能力を持つ者達が"英雄"として人々に受け入れられたのも、ジョゼフがその強さを示していたから、という所が大きい。最も大きな戦績は上述のゾンビ殲滅だが、それ以前から各地に出向いては無傷でゾンビを葬っていく姿を確認されている。

 彼の強さはどこまでも分かり易く、希望になりやすい光を持っていた。

 

「しかし、そんな貴方が、このような遠き地にいる、ということは……」

「あぁ、俺の故郷はもう廃墟だよ。ゾンビはいるのかもしれねぇが、人間はもういない。守るモンがいねぇんだ、出て行くしかないだろ」

「そう、ですか……」

 

 それほど強き存在でも、である。

 希望は──しかし、翳りを見せている。強さにも、表情にも。

 

「それで、この国に何用なのかな。そっちのゾンビとの関係も聞きたい。どうしてゾンビなんか連れているんだい?」

「ゾンビなんかとはなんだゾンビなんかとは! っとうわっ、あぶねえ! 折角縫ったのにまた斬る気かよジョー!」

「心の底から黙っていてくれ、と願っているのがわからないのか?」

「おいおい、俺とお前の仲だろ。言葉にしなきゃ思いは伝わらないゼ」

「そうか。黙っていてくれ」

「へーい」

 

 長年の仲を感じられるそのノリに、イースは少し思う所があった。けれど、その所感を完全に無視してジョゼフに続きを促す。

 

「コイツはまぁ、俺の目的に必要……でもないんだが、まぁ、なんだ。人間を襲う気はない、と言っている。実際、道中にいたゾンビを殺すのに躊躇もなければ容赦もなかった。その上で、襲われていたキャラバンの人間を助ける、なんてこともしたくらいだ。警戒を解けとは言わんが……コイツは特に何でもない奴だよ」

「しかし、ゾンビはゾンビで……いえ、やめておきましょう。貴方程の手練れが管理下に置いている。それはつまり、いつでも……ということでしょう。違っても、そういう事だと思っておきます。……私が糾弾できた身ではありませんからね」

「……わかった。僕も、気にしないことにするよ。ただ、この国の人間にゾンビを無視しろ、なんて無理な話だと思うから、人に見つからないようにするか、顔料を塗ってもらうかしてほしい所だけど」

「んぁ、いいよいいよ、俺もコイツもちょいと聞きたい事あるだけでさ、それ聞いたらすぐにでもどっか行くからよ」

「聞きたい事……?」

 

 黙っていてくれ、と言ったんだが……とでも言いたげな視線をゾンビの少女に向けつつ、ジョゼフが背負っていた麻の袋を机の上に置いた。それなりの重量がある袋。

 彼は袋の口を少しだけ開け、二人に中身を見せる。

 

「これは……砂?」

「砂……」

 

 砂だ。

 直近で嫌な思い出があるだけに、二人は顔を顰めた。

 

「俺の恋人だ」

「……」

「……」

 

 虚を突かれた顔になる二人。ジョゼフの後ろで少女ゾンビが「あちゃー」と額に手を当てている。

 一瞬思考が白んだ二人だったが、すぐに思考を巡らせ──一つの解に辿り着く。

 

「まさか、砂人形?」

「──やはり、心当たりがあるのか。聞きたい事はそれなんだ。風の噂で聞いた。この国にいる"英雄"の一人が砂と化す病に罹り──その病は国民にも伝染している可能性がある、と」

「そんな噂が……」

「俺の恋人は、幼少からの幼馴染だった。ずっと一緒に成長してきて、愛していると声を大にして言える存在だ。だが先日、彼女は砂となってしまった。頼む、何か知っているなら、教えて欲しい。彼女を……ミザリーを生き返らせる術を、教えて欲しい」

 

 懇願。

 "英雄"が砂人形であった、という事実は曖昧な噂として伝わっていたらしい。砂と化す病。そんなものが流行り病となっていて、国民もそれに怯えている、と。

 あるいはイースへの信仰心が為した恐怖の緩和だろうか。"英雄"が引き込んだ"英雄"が悪しき者であるわけがない、という現実逃避だろうか。なんにせよ、その認識が国全体に広がっているのなら、多少はありがたい話であると言えた。

 

 同時に、この場においては申し訳なさすら立つ話になる。

 

「……シンさん。君の国の話を……彼に」

「ッ、ですが、イース殿」

「頼む、どんなに残酷な真実でも良い。構わない。教えてくれ」

 

 頭を下げるジョゼフに弱った顔をするシン。その傍らで、名を呼ばれたイースをまじまじと見つめる少女ゾンビ。彼女が口を開く──直前で、イースが言葉を発した。

 

「シンさんと話している間……ジョゼフさん、少し彼女を借りて良いかな。彼女に聞きたい事があるんだ」

「ああ、構わない。粗相をしたら殺してくれていい」

「ひっでぇー……。ま、いいや。行こうぜ、イース」

 

 話があるのはあちらも同じ。

 シンが言葉を選び悩んでいるのを尻目に、二人は部屋を出た。

 

 

 

 π

 

 

 

「で? お前、人間のフリなんかしてたのか。ぱっと見気付かなかったぜ」

「君こそ、ぱっと見ではわからないよ。……君は、"マルケル"だね?」

「おう。……が、お前と会ってた頃のアイズじゃない。俺はマルケルさ。その辺も分かった上で、俺はマルケルだ。否定してくれていいぜ、俺が信じてる」

「否定しないよ。君、というか君たちは、全員"マルケル"だ。負い目も罪悪感も、仲間意識を覚えない事もちゃんと受け止める事にした。ごめんね、僕は君を、何度も殺したよ」

「何謝ってんだ? 俺だって死ぬほど殺したぜ?」

「……本当に、アイズとは正反対の性格だね、君」

 

 テーブルを挟んで、胡坐をかいて椅子に座る少女と行儀よく座る少年。

 その距離は人間に対してであれば近すぎる距離だ。もし本当にイースが人間なら、あと二メートル以上は距離を取らなければいけない。それほど──親しい者といるかのような距離。

 

「島には帰らなかったんだ」

「いや、帰ったよ。ウィニにも会った。……だが、ゾンビ側はもう無理だな。ナンバーゾンビで残ってるのはIII(お前)V(ヴェイン)VI(ウィニ)だけ。俺は、まぁ、もう違う。あの島にいた俺達じゃねえゾンビは全滅したよ。ヴィィも含めてな」

「……そっか。なんだろう、僕は早々にゾンビ側を裏切ったけど……なんだか、悲しいや」

「はン、どの立場にいたって家族の死は悲しいだろ。俺も……エインやイヴがいなくなったのは、正直、多少はキてる。特にエインだな。アイツ、なんだかんだ死なねえ奴だと思ってただけに……んー、なんだかなぁ」

「エインとイヴは死んだのかい? 行方不明と聞いていたけど……」

「んや、行方不明であってるよ。だがあの島でどうやって行方不明になるってんだ……と、言いたい所なんだが」

 

 テーブルに肘をついて、手のひらに顎を乗せて。

 マルケルは蠱惑的な笑みでイースを見る。

 無反応のイース。

 

「えー! お前、リアクション無しかよ! 見た目結構いいと思うんだけどよ、この身体! お前くらいの年齢のガキはこれくらいの歳の女に見つめられたらドキっとするもんだろ!」

「うーん、僕は特になんとも思わないかな。その、心に決めたヒトがいるからね」

「え!? は!? え、え!? お前、マジで女作ってたのか!? 島にいた頃エインと噂話くらいはしてたけど、え、マジでか!? おお、おお! 今度会わせてくれよ!」

「会わせるワケないでしょ。人間だよ、彼女は」

「えー……お前、それ……悲恋一直線じゃねえか。くぁー、ガキの癖にそんな恋してやがんのか……。つか、なんでこう俺の周囲は結ばれない奴ばっかり……一組で良いから幸せに結ばれて終わる奴出てこいっての」

「それで? 言いたい所なんだけど、何?」

 

 なんだか妙な落ち込み方をしているマルケルに、イースは問う。最初に抱いていた警戒等欠片も無い。あるいは昔、イースが島を出る前、エインとアイズとイースの三人でとりとめのない話をしていた頃に戻ったかのような感覚。あの頃のような仲間意識は一切感じないものの、久しく覚えていない親近感がそこにあった。

 

「ん、ああ。いやな、エインとイヴが行方不明になったあの島に行ったのは俺だけじゃねえのよ。俺と、ワイニーっていうお前と同じくらいガキのゾンビと一緒に行ったワケ。で、島について早々襲い掛かってきたゾンビと戦って、そいつをぶちのめしたんだがよ、隠れてろ、って言っといたワイニーの奴がどこにもいなくなってたんだ。ウィニに聞いても、実験室を見に行ったきり戻ってないの一点張り。実験室だぜ? 研究室から廊下歩いてすぐのトコにある実験室。ヴィィの奴に破壊されたまんまのそこに、勿論だがワイニーの奴はいなくてよ。あ、ついでに抗菌薬も無かったぜ。ってことで、エインとイヴに続いてワイニーまでもが行方不明と来たもんさ」

「君、理路整然と話す、という事を知らないのかな」

「なんだよ、聞き取れなかったか?」

「ううん、筋道は通っていたし、おかしなところも無かったよ。ただ一息で喋りすぎだね。紙面に書いてくれたら理解もしやすかったんだけど。それで、ワイニーという子について、僕達に聞きに来た、という事かな」

「いや? 知らねえだろ、流石に。ちなみにワイニーはお前並みに頭いい奴だ。知性強化型。加えて──マザーについても、何か知ってる」

「……なるほど」

 

 先ほどの蠱惑的なソレとは違う、ニヤっというねちっこい笑み。アイズの浮かべていた皮肉交じりの笑みに少しだけ似ているけれど、圧倒的にいやらしさが違う。

 目の前の相手は多分、馬鹿なのだろう。頭が悪いのだろう。

 けれど考え無しではないし──こちらの興味の引き方を、ちゃんと分かっている。

 

「アッチでジョーの奴が説明してると思うが、アイツのツレがな、砂になっちまったんだよ。意味わかんねえが、お前らは心当たりがあるな?」

「……うん。マザーが、実は砂人形で……各地に存在していた。シンさん。さっきの彼の国の人間は、その半分が砂人形だったくらいには、人類に巣食っている存在だ。ジョゼフさんの恋人も、多分、そうなんだと思う」

「ああ、アイツは認めたくない話だと思うが、俺は納得でよ。つーのも、俺が……元の肉体の俺が死ぬ前、俺はとんでもねぇもんを見てるんだ。走行強化ゾンビ十体以上に追われて傷一つ負ってないアイツのツレ。異常だろ? でも、マザーだったってんなら理解はできる。アイツにゃ悪いが、俺はそんなにショックを覚えてねえのさ」

「……ヴェインが言ってた。"英雄"の傍にいる人間を疑え、って。事実、シンさんの傍らにいたもう一人の"英雄"セイさんは砂人形だった。ジョゼフさんの恋人が砂人形だったというのも、そういう事なんだろう」

 

 砂人形。最近になって存在を知ったけれど、どうにも、イースの考える以上に数がいる。広域に、膨大な数が。"英雄"に関わる砂人形の存在は、確かに懸念事項だ。

 

「お前は、心当たりはねぇのか」

「それもヴェインに言われた。僕にも、さっき言った好きな人がいるから。けれどこの間彼女の指に針を刺して、血液が流れ出るのを確認したよ。彼女は砂人形じゃない。……不謹慎だけど、少しだけ安心しているんだ」

「まぁ、お前の場合はお前が人間じゃねえからな」

「多分、そういうことなんだろうね。……マザーの抗菌薬。僕らにはそれが必要だ。それで……マザーについて、何かを知っているというワイニー」

「おう」

「見た目はわかるかい? 哨戒に出る人間の兵士たちに伝えるよ。僕やシンさんもこの国周辺であれば目を光らせて置く。多分、その子がカギだ」

「そう言ってくれると思ってたぜ! そして、これがアイツの似顔絵だ!」

 

 出された紙には、意外や意外、なんとも精巧な少年の像が結ばれていた。

 もっと下手なそれが出てくると予想していただけに、その"ちゃんとした"画力に目を瞠る。

 

「……あれ、君、絵は苦手、と言っていなかったっけ」

「んー、いやまぁそうなんだけどよ、この身体になってから思うように筆が動く動く。この身体は美術系の勉強でもしてたんじゃねえかなぁ」

「ふぅん……。うん、わかった。これを伝えておくね」

「頼むぜ。そんで」

「うん、マザーについて、だよね」

 

 ワイニーの情報も、マザーについての話ではある。

 けれどもっと込み入った事情だ。

 

「さっきも行ったけど、セイさんは砂人形だった。彼女は抗菌薬の作り方は知っているけど、役割が違うから作らない、って言って聞かない」

「役割か。それ、アイツのツレも言ってたな。ミザリーって名前なんだけどよ、私は"英雄"を作成するための存在で、"英雄"に恋をするのはもっと先、だとかなんとか。んで、俺の話を聞いた途端、砂になって崩れちまった」

「"英雄"を作る、か……。……え? 待って、ミザリーという女性は、人間が居なくなったから、とか、砂人形だってバレたから、って理由で砂になったわけじゃないのかい?」

「おう。俺の話を聞いたらサラッサラになっちまった」

「……どういう話をしたのか、詳しく聞かせて欲しい」

 

 丁度一人、厄介な砂人形を抱えているから。

 その言葉は飲み込まれたが、マルケルには透けている事だろう。冷たい目のイースを少しだけ嗤うマルケル。ジョゼフといいイースといい、目的のためには信念も矜持も倫理観も捨てるのだから、ああ、面白いものだと嗤う。

 どうしてこうも、どうしようもないのかと。

 

「語るのはこっぱずかしいんだがな、いいぜ──」

 

 だから、少しだけ。

 少しだけ、マルケルは──得体の知れぬ彼女に同情をする事にした。

 リザの名を持つ、彼女に。

 

 

 

 т

 

 

 

「……」

「どしたよ、エイン。今更怖気づいたか?」

「いや……やはりマザーは、畏怖に値するな、と再認しただけだ」

 

 大陸西部──。

 長身の男、長身の女、腕の長い少女と浮世離れした女性という異質な四人組がそこを歩いていた。

 それら四人に対し、しかし周囲のゾンビは見向きもしない。3/4がゾンビで、一人が人間ではないと来たものだから、興味が無いのだろう。基本視界ベースで獲物を襲うゾンビだが、島にあった頃から女性──マザーを襲うゾンビはいなかった。

 かつては彼らも持っていたはずの仲間意識が、知性が無いゾンビである分強く働いているのかもしれない。

 

 そんな異質な四人組の先頭を行くマザーは、怪しげな薬瓶や注射器を持って、道行くゾンビ達を次々に倒していっている。

 比喩でなく、文字通り、だ。

 

「こうやってみると、俺達が本当に菌なんてものに生かされているんだって事に気付かされるよな」

「ああ……人間であった頃は、心臓と脳と血肉と骨と筋肉と……とにかく様々なものが綿密な働き合いの元に動いていたはずの肉体だが、本当にああして、たったアレだけの量の薬を注入されただけで活動停止させられるとは」

「恐ろしい話さ。ちゃんとな。結局俺達は、マザーの作品でしかないってワケだ」

 

 首筋に突き立てられた注射針。そこから押し出される数滴の液体が、ゾンビ達の自由を奪う。歩行ゾンビ、走行ゾンビ、強化ゾンビ肥大ゾンビ──そして、"マルケル"ゾンビまでも。

 

「大丈夫か」

「正直キツくはある。自分がああやって増やされて、流行ってる、なんて……考えたくもない。だがこの目で見せられて納得しないわけにもいかねぇだろ。どこまで行っても俺達はただの菌類で、元の人間じゃねえ。今の俺も、エインも、イヴの奴も……脳みそン所の菌を培養されて世に放たれたら新しいパンデミックが起きる。ぞっとしねぇな、本当に」

「ゾンビを作った科学者、か……。誰もが成し得なかった死者蘇生。それを実現させようとしているんだ。俺達で彼女を御す、なんて、出来るはずも無かったな」

「ウィニの奴、今頃頭抱えてんじゃねえか? 厄介なのに喧嘩売ったってよ」

 

 マザーの動きは俊敏だ。脚部強化型のエインや腕部肥大型のイヴの攻撃に劣らぬ速度でゾンビ達を無力化して行っている。曰く、殺しているわけではないとのことだが、一行の後ろには数多のゾンビの屍が河川が如く並んでいる。

 まさしくゾンビの親玉、マザーの名に恥じぬ災害だった。

 

「それにしても、イヴは健気だなぁ。人間の頃であれば目頭が熱くなっていたぞ」

「うわ、おっさん臭ぇ事言うなよ」

「十分おっさんだろう……。イヴも、それにイースも。子供は……もっと伸び伸びと生きるべきだというのに」

「うわー、ウザいおっさんだ……」

「アイズ。今のお前の容姿は若い娘なんだぞ。あまり直接的な言葉を使うな。傷付くだろう」

「なんだやっぱり発情してんのか?」

「……はぁ」

 

 胸を持ち上げ、押し付けてくるアイズに盛大な溜息を吐くエイン。

 イヴの教育に悪い、と思いつつ、マザーのお手伝いとして周囲のゾンビを伸びる腕で掻き集めている彼女はこちらになんて興味もないだろうと少しばかりの安堵をする。マザーの役に立つ。マザーの隣にいる。それが彼女にとっては、何よりも嬉しいらしい。

 結果や過程がなんであれ、子供が笑顔なのは良い事だとエインは独り言ちた。

 

「しかし……マザーはどこへ向かっているのだろうか。まさかこのまま、大陸中の同胞に抗菌薬の投与を?」

「そりゃ流石に……効率ってものを知らな過ぎるだろ。……まさかな?」

「……いや、マザーの事だ。何か崇高な考えがあるに違いない」

「キモ」

「容姿を考えろと言っているんだ……!」

 

 中身がアイズだと思っていても、案外クるものだとエインは思う。

 この一行は、まだ。

 まだ──平和の最中にあると言えた。

 

 

 

 


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