世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。 作:Htemelog / 応答個体
ゾンビは水分補給をしない。
なんというか当たり前だけど、結構大事な事で。
私の作ったゾンビ化する細菌は感染→脳へ到達→宿主の生命活動の一時停止→細菌も活動停止→再活性という順序でもって感染者をゾンビ化する。なので、このゾンビはゾンビウイルスが感染しているだけの人間、ではなく、正しく動く死体であるのだ。
だから食事は必要なく、水分も必要とせず、ただ目に入った生者を仲間に引き入れんと徘徊する。だから何もしなければ一週間で腐敗し崩れ落ちるし、知性無きゾンビではそれを恐れる事さえない。ただただ渇いていく体を受け入れ、いつしか自らの動く意思で崩れ去るのである。
だから、ゾンビは火に弱い。元々人間はそこそこ燃えやすい生き物だけど、ゾンビ化してから日が経っているゾンビ程火が付きやすいし燃えやすい。乾燥しているから。カラカラだから。
ただ知性無きゾンビはそんなことは知らないし、他の景色と炎の区別がついているワケでもないので、噴射された火炎放射器であろうと燃え盛るガソリンスタンドであろうと何の躊躇も無く突っ込んでいく。
だからゾンビ対策に火は有効──と、言う事も無かったりする。
火に弱いのは事実だ。燃えやすい。
だからといって、すぐに止まるかどうかと言われたら、別の話で。
痛覚の存在しないゾンビはたとえ自身の身体が燃えようが溶けようが崩れ落ちようが、一切の関心を持たずに生者を襲う。燃えたまま、だ。火に弱いのは人間も同じなのだから、火達磨のゾンビが襲ってくるというのは銃器以外を攻撃の手段として用いている人間にとっては余程恐ろしい事だろう。
初めの頃は恐らく創作物からだろう知識によって炎が用いられたが、現在においての使用頻度は激減している。どこかへ誘導して、人間に襲い掛かる事の出来ない穴などに落としてからの着火、はある。それは非常に有効だ。
だが対面した状態で火をつける事を選択肢に入れる人間はもうほぼほぼいなくなったと言えるだろう。
先人がそうして、燃え盛るゾンビに抱き着かれて燃え死んでいった姿を目に焼き付けているだろうから。
ゾンビの体内に水分はほとんどない。
傷口からはとめどなく血液が零れ、それを止める措置などするはずもないし、それを止める作用ももう機能していない。何もしていなくとも水分は空気に溶けていき、死ぬ直前ともなれば干物にも等しいゾンビが出来上がっている事だろう。
ただし、上述の干物ゾンビはあくまで知性無きゾンビの場合に限る。
知性を獲得したゾンビは、自身の崩壊を恐れるようになる。言葉を解すことなくともそれは顕著に表れ、一対多の状況においては人間を襲わなくなったり、炎というものを学習するようになったり。
そして体内の水分をどうにか保とうとするようになったり。
……水分補給はしない。
経口で水を飲む、という機能が失われているためだ。じゃあどうするか。
「マザー。周囲一帯の危険生物の排除、完了いたしました」
「うん。
「はい!」
答えは簡単、全身を水に漬ける、である。
もっと言えば入浴──あるいは入水。死んでいるから入水でもいいだろう。あるいは塩漬けか。
ここは島で、外は勿論海だ。なので、海で泳がせる。それが体の湿度を保つ手段。勿論海の無い場所……内陸にいるゾンビで知性を持つゾンビは湖や川の位置を覚えているし、どこまでも広がる荒野には近寄らない。知性無きゾンビは普通にいるから人間にとっての安全地帯にはなり難いけれど。
私の作り上げた菌は海中細菌程度には負けないため少し泳ぐ程度なら問題ない。が、海底堆積細菌までは対応できているかどうか怪しい。事実沈んでいったゾンビが上がってこなかった、という観察記録もあるため、浮袋のないゾンビが浮かんでこれないだけなのかゾンビ菌が負けて腐乱死体に戻っただけなのかの判別は付かないものの、それなりの注意を払うように指示はしてある。
蟲毒による死でも人間との闘いによる死でもない、本当の意味で無意味な死を避けさせるのは当たり前である。
さて、そんな風に海水浴を楽しむゾンビ達であるが、その絵面は決して良いものではない。私はゾンビを作る研究者でゾンビの観察を長らく行ってきたが故になんとも思わないけれど、
「気分を害した?」
「……いやな、海とは続いているものだ。これらの浸った海水が我が国へも届いているのだと思うと、眩暈がするよ」
「そんなに遠くへは広まらない。そもそも海水を直で飲んだり浴びたりするような人間は、何か別の感染症に罹る」
「理屈ではわかっているさ。……いや、わかっていないのだろうな。私には博士がこんなことを……命を冒涜するような行いをしている理由も理屈も、欠片もわからぬのだから」
「うん。別に、それでいい」
某国のエージェント。前回来た女性とはまた違う国の人間である彼は、この島のゾンビを見ていきたい、と言った。前の女性の国は人類最後の希望と呼ばれる程の大国だったが、彼の国は小国も小国。さらに言えばゾンビ対策もお世辞にも良いとは言えず、だからこその願望なのだと之を了承。
ちょうどゾンビ達の渇き時だったため、最も安全な私の横での見学に相成った。
「貴女のような美しい女性が、彼らのような生ける屍を作っている……その理由。やはり教えてはくれないのだね」
「死んだ人間を生き返らせたい。初めからそう言っているけれど」
「それだけではないだろう。そして、そんなことは無理だとわかっているはずだ。賢い貴女なら」
「現に生き返った人間が、こうして蔓延っている」
「……そうだな。少なくともこの光景は、貴女にしか作り得なかった。貴女より賢い者がいなかったが故に」
腕組みをしたエージェントは溜息を吐く。
「いや、この光景を覆す事が出来ない事の方が、貴女より賢い者がいない証拠か」
「ゾンビの研究分野においては私が一番かもしれないけど、その他の分野なら一番じゃないと思うから、そういう単純な物差しは止めた方がいいと思うけど」
「……人類の存続、という観点では考えられなかったのかね。ヒトという種を繋げる分野で一番を取ろうとは思えなかったのか」
「うん。興味がないかな」
エージェントは腕を組み替える。
私は小首を傾げた。
「取引の続行を望むのなら、私は何も言わないよ」
「……一つだけ、いいかな。博士自身はゾンビではない──これは真実だね?」
「うん。私はゾンビじゃないよ」
ゾンビ達は海水浴に勤しんでいる。彼我の距離は30mはあるだろう。
それを確認しているのは、私ではなくエージェントの彼。
彼は腕組みを解いて──その腕に握っていたポケットピストルを此方へ向けた。その引き金に力を込め、今までの優男の顔を崩して叫ぶ。
「良かった……つまり、貴女自身は死ねば死ぬという事!」
パス、という軽い音が響く。
発射音は聞こえなかった。
けれどそれは、私が頭を吹き飛ばされたから、なんてことではなく。
「腕ッ……!?」
30m先の海。その更に5mは沖の海中から──樹脂を思わせる伸縮で伸びてきた、灰緑色の腕。それはポケットピストルを弾き飛ばし、勢いを伴って海中に戻る。軽い音は砂浜にポケットピストルが落ちた音だ。
私は何もしていない。強いて言えばもう一度、小首を傾げたくらいか。
「このっ!」
「取引はもう望まない、ということかな。悲しいけれど、取引先は君たちだけじゃないから」
「貴様さえ殺せば──」
その続きを発する事は適わなかった。
先ほどはピストルを弾き飛ばした灰緑色の腕が、今度はエージェントの彼の側頭へ貼り付いたからだ。それはもう、べちゃ、と。普段は殴るだけに終わる──今は水分たっぷりの腐肉が、彼の頭を掴む。
突然頭蓋を揺さぶられたせいだろう、目を白黒させている彼は抵抗する事も出来ず、腕に引かれるがまま海へ……腕の伸びてきた海中へと引き摺り込まれた。
あとはもう、お察し。
たとえ海水浴を楽しんでいようがゾンビはゾンビだ。生者が近くに来れば、同族にせしめんと群がる。
時間にして二分ほど。次に彼の姿が見えた時には、物言わぬゾンビと化していた。
「知性は無い、か。うーん、ままならないなぁ」
加えてもう一つ。
遠くの海……3km程離れた場所にあった船が沈んだようで。
本当、過保護だなぁ、って。
Б
「不要、でしたでしょうか?」
「ううん。ありがとう、
「はい!」
笑顔で返事をするのは、飴色の髪を持つ少女だ。勿論ゾンビ。型番通り四番目に自我を獲得し言葉を解すようになったゾンビで、身長130cmの小柄さと地面まで着くほどに長い腕が特徴。先述した特定の部位が発達したゾンビの典型例で、腕が伸び、さらに伸縮性まで獲得したハイエンドゾンビの一体である。
身だしなみを気にするゾンビこと
私に対する危害を許さないゾンビ筆頭であり、彼女の目の届くところで私へ凶器を向けようものなら"ああ"なるのが関の山。それでも初めは武器の無効化で済ませてくれる辺りが彼女の優しさを現わしているように思う。ナンバー持ちのゾンビの中には問答無用で殺しにかかるやつもいるワケだし。
ナンバーゾンビの最年少……という表現があっているのかはわからない。死んでるから年齢もなにもないわけだし。まぁ素体が最年少ということもあってか仲間意識の強いゾンビたちの中でも守られている側である彼女だが、その攻撃手段はホラーの一言だろう。
自在に伸び縮みする腕は奇襲に向いている。先ほどの様に海中から、森の中のような暗がりから、視覚外から。人間と言うものは服を着る生物であるから、真っ暗闇の中焚火を囲む人間の輪でも、誰か一人が服を引っ張られたような気がして振り向いて、声を発する間も無く闇へと引き摺り込まれる……みたいな。
服でなくともでっぱりの多い人間は掴みやすいだろう。そうして一人一人、場合によっては二人ずつ引き摺り込まれていく様は多分ホラーだ。ゾンビらしいといえばゾンビらしいかな。いや、ゾンビはスリラーだっけ。
「マザー、それでね、それでね」
「うん。うん」
イヴはよく、面白かった事や楽しかった事なんかを私に話す。島内でしか行動しない割には話の種を多く持っていて、まるで話す事が楽しい、とでもいうかのように口を動かし続けるのである。折角溜めた水分が飛びそうだな、とか思ったり。しないでもなかったり。
内容については正直、あまり興味がない。ゾンビの全行動はカメラによって記録されているし、知性無きゾンビがどういう行動を取った所でそれはすべて偶然の産物。知性あるゾンビの失敗談に目新しいものはなく、しいて言えば海中の危険生物……ゾンビの肉を食らって突然変異した生物の話くらいは、聞くに値するな、という所感。
一時間くらいぶっ通しで喋り続けた彼女は、その辺りでようやく時計を見る。
「あ、もうこんな時間! ん、こほん。それではマザー、失礼いたします」
「うん。頑張って」
「はい!」
時計を見るだとか、公私を使い分けるだとか、本当に人間らしい"らしさ"を獲得している。が、元の記憶を引き継いでいるわけではない。あくまでゾンビになってから獲得したものであって、なれば私の興味の対象ではない。
地面に着くほどの腕を自らの胴に巻き付けて部屋を出て行く彼女を見送って、一息。
あ、そうだ。
あのエージェントの所属国に、取引終了のお知らせ入れないとだった。
続行を希望するなら、それはそれで。
χ
各国でゾンビ相手に抗戦を続けている人間の姿は、カメラを取り付けたゾンビ達によって記録され、研究室へ送信されている。こちらで作り上げた人間のゾンビ化だけでは取り得ないサンプルが世界には広がっていて、その一つが今視聴しているものだった。
──"フロウス、無事か!"
──"片腕くれてやったがまぁ無事だよ。噛まれる前に切り落としたんだ。血は焼いて止めた。クソ程痛ぇがよ、これは無事だよな?"
──"ああ無事だ。紛う方なき無事だろうよ。それで、奴らは?"
──"手足切り落としたのが三体、俺の腕をくれてやったやつが一体残ってる。ジョー、お前の方は逃げてきた、とか言わねえだろうな"
──"安心しろ、七体全員ぶっ殺してきたさ"
──"相変わらずバケモンだな、ジョー"
引き起こしておいてなんだけど、ゾンビ物の映画を見ているみたいだな、と思う。
それもウェスタンな……古き良き、って感じの。
左腕の肘から先を失くした男性と、五体満足な男性が話し合っている。片方は快活に、片方は額に脂汗を浮かべて。粗末な衣服と、車の板バネだろうか、工作しました感の強い棒……ああいや、剣を持っている。
五体満足な男性の方は銃器無しで七体のゾンビを倒したらしい。凄まじい、と言える。あんな粗末な剣でよく……と。
──"そろそろ移動しよう。もう少し先の廃ビルの二階にいい感じのスペースを見つけたんだ"
──"ああ……ジョー、わかってるな"
──"馬鹿だな、フロウス。俺は見捨てやしないさ。現にこうして、助けに来ただろ"
──"……ああ"
移動する、と言った彼ら。
それに合わせてカメラも移動する。つまり、彼らのすぐそばにゾンビはいて、けれど気付いていないという事。見下ろしたアングルである辺り、周囲の廃ビルのどこかから撮影しているのだろう。時折激しく揺れる映像。ゾンビがビルの間を飛んだり跳ねたりしているのだ。見れば周囲にも同じような影があり、彼らが既に包囲され切っている事が伺えた。
──"……走れるか?"
──"無理だ、つったら死ぬだけだろ"
──"三つカウントするぞ……1……2……"
──"……"
──"3!"
二人が駆け出す。囲まれている事には気付いたようで、だから駆け抜ける事を選んだ。
途端、カメラ映像が激しくぶれる。カメラを取り付けたゾンビもこの狩りに参加したのだろう、地面と景色と、時折映る人間がチカチカと移り変わりながら──唐突に。
ガシャ、という音と共に、カメラ映像が途絶えた。
……途絶えたと言ってもカメラや記録メディアが壊れたわけではないようで、真っ暗な映像が続く。早送りしてその部分を飛ばしていくと、またある点から唐突にカメラ映像が復活しているのが分かった。その五分前辺りを指定して、再生。
──"……"
──"……これは、マザーの"
──"周囲に両断された同胞が十体……ふむ、そこそこできる奴がいるのか"
──"カメラの操作……知らんなぁ。いや、自動送信だとか言っていたような言ってなかったような"
──"とりあえず持っていくとしようか"
そこで、区切り。
カメラが録画を自動的に区切って送信に切り替えたのだ。
伸びをする。
「あのジョー、って人……いい感じ。もしまだ生きているなら、取っておきたいかも」
「承知いたしました」
「うん、お願い」
先ほどの映像で、最後に聞こえた声と同じそれが、背後から響く。
座ればいいものを律儀に突っ立っていたゾンビ……
「フロウスって呼ばれてた人間は?」
「申し訳ございません、私が見つけた時には既に同胞に」
「そう。うん、わかった」
「ただ、その同胞を含め、かの地周辺の計30を超える同胞が頭頂から胴へと体を両断されています。あのジョーと呼ばれていた人間……相当、かと」
「へえ。すごい」
それが事実だとすれば、とんでもない怪物だ。
「強化種もいた?」
「はい。腕部肥大、脚部肥大、腹部肥大の同胞が同じく割断され、活動を停止していました」
「へぇー……それはすごい。もうちょっと様子を見て、完璧に記録が出来る状態にしてから殺そう」
「承知いたしました。その通りに手筈を整えさせていただきます」
知性あるゾンビが十体に、強化ゾンビが三体。加えて十七体の知性無きゾンビを単身で屠ったというのか。
それはもう、十二分に恐ろしい化け物である。
「……」
「うん? どうしたの?」
「いえ、この人間に相対した場合の動きを考えておりました。……失礼いたします」
「うん。頑張って」
もしかしたら、ナンバリングされたゾンビで初の死者……死者? が出るかもしれないな、とか思いつつ。
握りしめた自身の手を見つめるアイズを見送った。