世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。 作:Htemelog / 応答個体
ウィニにとって、"自身がゾンビである"という事実は何よりも耐え難きものであった。
生前、彼女はモデルをしていた。俳優業にも片足を突っ込んでいたから、世間の評価を見たら俳優と称されるのかもしれない。整った顔立ちと男性を惹きつける凹凸の魅力的な、世辞無しに美女と言える容姿をしていた。
かつてのウィニは、今となっては忌まわしき旅行──このリゾート島へ足を運ぶ事が何度もあった。この島そのものはそれなりに有名なリゾート島で、煩わしい小国の"格安ツアー"だとか"庶民が奮発して"なんて理由では来られない、まさにセレブ御用達な場所。
自身の財産もさることながら、ウィニはそういう"セレブたち"に覚えが良かったから、足を運ぶ……連れてきてもらう、ということが頻繁にあったのだ。
そういう意味では、エインとも生前から顔見知りであったと言えるだろう。オーナーと客という、互いに互いへ興味を示さぬ立場ではあったが。
このパンデミックが起きたのは、十四度目の旅行の日だった。
十四時三十三分。なぜか鮮明に覚えているその時刻に、けたたましい悲鳴が上がった。
所謂スイートルーム*1にいたウィニが窓の外を──眼下を見下ろすと、そこにあったのは紛れもない地獄。B級ホラー映画を彷彿とさせる血みどろの死体が闊歩し、あれほど綺麗だった砂浜を赤黒く染め上げ──その群れが、ホテルへ向かってきている。
初め、何かの撮影だと考えた。ここは景色が良いから、そういう作品に使いやすい。けれどもしそういう撮影があるのなら事前に伝達される。休暇に、旅行に来る者に対し、あまりにも身勝手すぎるサプライズはクレームの対象にしかならない。
だからその可能性はすぐに消した。
何より。
警備員だろう男性が死体へ向かって行って──何の細工もなく、胸を貫かれたところを見てしまったから。
先ほど聞こえた悲鳴も、そこから始まる阿鼻叫喚も、現実の事だと悟った。
ウィニが真っ先に行った事。それはドアを封ずる事だった。内線をかけるだとか、どこかへ助けを求めるだとか、ではない。まず真っ先にドアの前へ重い物を置いて、開かなくする。元々セキュリティは万全な電子ロックの扉だが、これで物理的にも開かなくなった。
もし、彼女がこの先を生き延びるつもりで、それこそ映画の様に"戦える誰か達"と合流するつもりだったとしたのなら、あるいは叶っていたのかもしれない。けれどそれが叶わない──適わない願いである事くらい、ウィニにはわかっていた。ウィニはどこまでも現実主義で、どこまでも楽観視をせず──どこまでも、自分を愛していたから。
もうすぐ死ぬ。それがわかったから、ウィニは
自身が死ぬ。そうして、あれらのように歩く死体となる。
その時、自身が
血を流し、臓物を溢し、四肢に欠損を受け、白目で歩き回る。映画の知識程度しかゾンビを知らぬウィニであるが、その時の姿が悲惨なものになる事だけは容易に想像できる。
だから、死んでも美しく。
化粧をして、いつも通りの身体づくりをして、全身のケアをして。差し迫った死に向けて、全力で臨む。生き延びるためにエネルギーを温存するだとか、音をたてないようにするだとか、そんなことは一切ない。何もかもを万全の状態にして──ウィニは、死んだ。
あれだけ必死に動かした家具類のバリケード等容易に突き破ってきたゾンビの群れに押し寄せられ、なんでもなく噛まれて死んだ。その恐怖も、ずっと鮮明に覚えている。死への恐怖は人並みにあったのだ。ちゃんと。
そうして死んだウィニは、少しばかり──五か月弱程の年月を経て自我を取り戻す。
久しぶりに目を覚ました時、目の前には女性がいた。その頃のウィニは生前の記憶を取り戻してはいなかったけれど、直感……女の勘、というのは生きていたらしい。
わかったのだ。
少なくとも
だからウィニは、早々に島を出た。
妙な仲間意識のある五人との会話や関係性の構築もそこそこに、島を出た。あの女の監視下、管理下にいてはいけないという警鐘と、何よりもあんな、
仲間意識があったから、島を離れる際に少しだけ助言を残した。あの女をマザーと慕う彼らに。
──"アレがマザー? よしてよ、気持ち悪い。アレは私達とは別の生き物なのよ?"
ウィニは自身がゾンビであると認めていない。認めたくない。屈辱だ、そんなのは。だから自分たちを"同胞"なんて呼び方をしたし、頑なにゾンビという呼称を嫌った。
そう、生前の記憶がない頃であるにも関わらず、ウィニは自身を人間として定めていて、その上で彼の研究者を"別の生き物"と称したのである。
生前の記憶をウィニが取り戻した時、その時の記憶は一度最奥に仕舞われた。アイズのように生前の記憶を優先したわけでも、イースのように折り合いをつけて生前は生前として割り切ったわけでもなく、ウィニはゾンビになってからの記憶を一部封印したのだ。
それは恐らく、自己防衛本能だったのだろう。少しでも自身がゾンビと共に戯れていた事実を、あるいはあの研究者の元にいたという事実を消したかった。それは自己研鑽に邪魔になるから。
けれど今、この島にたった一人になって……ウィニはその記憶を取り戻す事に決めた。
必要になる、と判断したのである。記憶を取り戻すと言っても、考えないようにしてきたことを考えるというだけ。忘れるように、見ない様に努めてきたことを直視するだけ。
そうして。
ウィニは一つの真実に辿り着くことになる。
Й
その記憶は、歪なものだった。
暗い街。街灯が最新のものでない。どころか、とても古いガス灯。その街で日夜行われる研究と実験は、お世辞にも倫理に適ったとは言えないもの。人体実験だろうか、死体も、病人も、そして子供も。等しく"使われ"、"捨てられて"いく。
……こんな記憶は、勿論ウィニには無い。ウィニの記憶ではない。ずっと思い出さないようにしてきた──彼女の洗練された自己暗示があったからこそできた芸当であるそれが、だからこそ改めて鮮明に記憶を映し出す。
悲鳴。怒号。断末魔。
麻酔という物を知らないのだろうか。あるいは、使っても超えてしまう痛みなのか。
実験に用いられた老若男女は必ず耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げて、死んでいく。上げないのは死した者──初めから死体であった者くらいで、やっぱりそこに倫理というものは存在しなかった。
何年も続く研究。打ち切られたものが幾つあったのか。袋小路に嵌ってしまったものがいくつあったのか。時間だけが過ぎていく。その中で、身体が老いていく。
思い出す。その研究の名は、不老不死の研究。そして死者蘇生の研究だ。
様々なアプローチが試された。
砂と岩で作り上げられたゴーレム。
初めは武骨だったソレは何度も何度も生成を繰り返されるうちに人型に近づき──
ウィニの記憶には無い少女の姿。けれどその雰囲気は、どことなくあの女に似ている。
記憶にある少女のゴーレムは完全凍結という形で打ち捨てられ、主観は新たなアプローチを組み始める。
自らの赤子に自らの脳を移植する悍ましい発想。他人の脳に自らの脳を侵食させ、自身を増やす身勝手な手法。
記憶の断絶こそを最も恐れ、記憶さえ続いていれば肉体は不要と断じた記憶の持ち主は、それらを実行した。自らの胎に子を宿し──その子供として、新たな生を受ける。生きたまま、生まれ出でる前に乗っ取られた赤子の身体で新たな研究を始め、元の身体……自身であった母親は何の感慨もなく捨てた。
かつて凍結したゴーレムを用いて身の回りを整え、記憶の持ち主は不老不死の研究を続けていく。
端的に評して、狂気の沙汰であった。
──その記憶の終わりは、自身の世話をしたゴーレムへ向き合っている所。
記憶の持ち主は言う。「じゃあ、あとはお願いね」と。
ゴーレムは頷いた。彼女の前には、項垂れたまま車椅子に座る老婆の姿。その老婆は勿論、記憶の持ち主の元の身体だ。死なず、知性無きままに成長を続けた"女性"は、甲斐甲斐しくゴーレムに世話を焼かれ、その処分をも任された。
その離別。そこを以て、記憶は途切れている。これ以上先は思い出せない。
生前の記憶を取り戻していない時のウィニが、この記憶をも明確に思い出せていないウィニが。
ただ漠然と、あの女を別の生き物と称したのは、紛れもなくこれが原因なのだろう。
悍ましき錬金術師の作り上げたゴーレム。
それが"マザー"。そして。
「……これ、元凶は……まだ生きてる、ってことよね、多分」
取り戻した記憶が一体いつの事なのかはわからない。
けれど、このような手法を確立した者が簡単に死ぬはずがないと──あるいは、一分でも本人の記憶を思い出したウィニは確信していた。
各地に蔓延る"マザー"を含むゴーレム達。
そして──錬金術師、リザ。
「リザ、ね」
名前だ。
一瞬でも気を抜けば、自身の名であると勘違いしてしまいそうになる程濃密な過去を持つその名を、声に出して──侮蔑する。
ウィニは自己研鑽の塊である。
なれば、己が身を捨ててまで生き永らえるなどと言う手段を取ったリザを、最大限に軽蔑しよう。磨くべきは己が身だ。それはたとえ、死したとしても変わらない。
もう一度、その名前を口にする。
そしてウィニは立ち上がった。
島を出るのである。
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私とクローンに然したる差はない。
私が作り上げたゴーレムは人間の域を超えないように設計していて、だから参考にしたのは私の身体データだ。彼女らは原材料が砂だから容姿はいくらでも変更できるけど、最終的なステータスは私と同等になる。……と言いたい所だけど、ゴーレムのオリジナルとゴーレムのクローンが同等のステータスを有していたとしても、私はその限りではない。
というのも、私は当時の私とは違う肉体を持っているためだ。そして残念ながら、成長も劣化もしないゴーレムより、努力しなければ成長せず、歳を取るごとに劣化して行く人間の身体はどうしても総合的に劣る。
単純な"知性を持つ不老不死の人形"という意味ではゴーレム達は紛れもない完成品で、人間の範疇とか面倒なことを考えなければ文句なしの傑作であることを忘れてはならない。
「大陸南西部のゾンビが減少している?」
「うん。これを見て」
「……うわ」
いつも通りの作戦会議室。
セイの破壊こそ出来なかったものの、幾分かの行動停止が狙える手法は確立された。これにより、人間の兵士がその停止手段を定期的に行う事で、無力化が可能となった。
それにより、イースやシンが揃って作戦会議の出来る時間が増えたのである。
今回コルクボードに貼り付けた資料は、先述したようにゾンビの減少に関するレポート。
大陸南西部……"英雄"ジョゼフのいた街の南の方にある地域で、恐ろしい勢いの活動停止ゾンビが確認されたことを示すものだ。
「これは……。これが本当なら、確実な希望に成り得る。けれど、どうしてこんな遠方の資料を?」
「この間来たジョゼフさんの依頼でね、ワイニーというゾンビを探しているんだ。その一環で、遠征部隊を何度か出していて、その一部隊が持ち帰った資料になる」
「うん。"マルケル"ゾンビが減ってきたから、出来る事」
「成程」
大陸全土を用いて行われた蟲毒により、"マルケル"は二十体くらいにまで減少した。そのどれもが強力な個体となっているようだけど、ジョゼフを始めとした各地の"英雄"が一念発起して、"マルケル"ゾンビを盛大に潰しまわっているらしい。
遠征部隊も何度か"英雄"に遭遇し、助けられたとのことで、これ以上人間が減りすぎる事を危惧していた身としては心強い限りである。
そんな遠征の最中、ある部隊がそれを見つけた。
「それにしても……頭を潰されていないにもかかわらず、完全に動かなくなった死体の河、ですか」
「肌が灰緑色だったから、ゾンビである事には間違いない。けど、近づいても、刺したり斬ったりしても、動くことは無かったって。そういう死体が南西部の広域にあって、その地域にはゾンビが一匹もいなかったみたい」
「ゾンビ側にも何かが起きている、と見ていいだろうね。"マルケル"ゾンビといい、今回といい」
「喜ばしい事ですが、少し不気味ですね」
推測、そろそろあの子達が新しいゾンビ化細菌を完成させた頃だと思う。だから
自分であれだけ散らかしたのだ、後始末は付けなければいけないだろう。
「この広がり方だと、もうすぐこの国にも届くかも」
「南西方向の監視を強化しましょう。遠征部隊が生きて帰った事から人間に害は無い事象だと思いたいですが、万が一もある」
「うん。それと、これも見て欲しい」
もう一枚資料を貼る。
それは、国民調査……とでも言えばいいか、不安の募っていた国民達を集め、何がどう不安なのかとか、今困っている事は何かとか、少し歪曲して流布した"砂人病"についてどう思うかとか、そういうのを纏めたものだ。
我ながら頑張った方だと思う。
「メイズ、君は……これを、こんな短期間で?」
「勿論兵士の人達にも協力してもらったよ」
「いえ、たとえそうだとしても、これほどの情報量をこれほど分かり易くまとめるのにどれだけの時間がかかる事か……。流石はイース殿の参謀、ですね」
「うん。ありがとう」
元々膨大なデータを纏めたり捻出したりだのなんだのするのは性に合っているというか、得意だから出来た事ではある。研究者だし。それくらいはね。
ついでに向精神薬とでもいえばいいか、少しだけ気分が安らぐ薬品を国中に撒いてきたので、"砂人病"に関する不安は結構拭えた方だと思う。
「砂人病。やっぱり砂人形の件はそういう形で落ち着いたのか。……病名までついて」
「他国にまで広まってしまっているのは厄介と言えば厄介ですが、安心でもあります。これら不安事項に関しては、それらしい予防手段の流布で対処しましょう。いえ、決して褒められた行為ではありませんが、嘘は時として不安を拭い、心を守ります」
「メイズ、お願いしても良いかな」
「うん。いいよ」
私の撒いた向精神薬は多少の興奮剤も含んでいる。かつてイースが"英雄"となった時に撒いたものと似た成分で、耳に入った言葉への信憑性だとか信頼性だとかを無意識に上げる……まぁ聞こえの悪い言葉を使うなら、洗脳に用いるような薬である。自白剤みたいなものだから平気平気。
この国は"人類最後の希望"である。かつては結構な数があった"人類最後の希望"も、今や三ヶ国くらいしか残っていない。その中でも最も規模の大きい国がここで、しかも"英雄"が二人いる。
十分だ。
十分、この国は──前を向いていける。
たとえイースや私が、いなくなったとしても。
н
覚醒した。
起きた、という意味だ。
「眠っていた……? ゾンビが? ぬ、ぐ……」
湧き上がる疑問を捩じ伏せるようにして、身体が痛む。全身筋肉痛。それに、腹も減った。
「……ここは」
喉が渇いた。水分が必要だ。
……。
なんだ、その欲求は。
まるで生きている、みたいな欲求は。
「……肌が、明るい。そんな、まさか」
着苦しいスーツを脱ぐ。野外であるが、どうせ誰も見ていない。
確認する。肌は、肌に──灰緑色は存在しない。
「生き、かえった……?」
その気付きに、数瞬遅れて──周囲から夥しい断末魔が響いた。
どれもが、痛みを訴えるもの。どれもが、苦しみに喘ぐもの。
周囲を見渡す。
様々な場所に老若男女が倒れている。皆一様にしてはだけた衣服と汚泥や血液に塗れた格好をしているが、その肌は明るい。無論人種的な色の差異はあれど、少なくとも灰緑色ではない。
ただ、喘いでいる。痛い痛い、苦しい苦しい、助けてくれと。
喚いている。騒いでいる。叫んでいる。
そうして──一人、また一人と事切れていく。
それはそうだろう。腹に穴が開いている者。腕や足の無い者。脳が半分露出している者。
そんな状態の人間が、生きていられるはずもない。
「……これは、アレか。見た目を気にして……死後の傷を治していた私への褒美か、神よ」
人間の国と交渉するために、ボロボロな見た目は無理があった。だからしっかり人間らしい治療を施して、縫合して、ゾンビでありながら見た目だけでも綺麗にした。その甲斐があった。
身だしなみを気にする個体、としてマザーに覚えられていた事は知っている。それがまさか、こんなところで役に立とうとは。
「生き返った。生き返ったのか。私は」
空腹を訴える腹も、渇水を叫ぶ喉も、苦痛ではあるが心地良い。久方ぶりの生だ。
幾分か不便になったが、なるほど、やはり肉体である方が気分が良い。
周囲、事切れていくばかりの"生き返ってしまった死体"達を見遣る。もう少し、まともなカタチをしていれば、生き残る事が出来たやも知れないのに。可哀想だとは思うが、ゾンビの頃のような仲間意識は一切湧かない。
ただまぁ、ゾンビの灰緑色の肌より、やはり人間の肌の方が美しいな、なんて事くらいは思う。衣服のはだけた女性を見て、思う。勿論紳士なので手は出さない。思うだけだ。
「……ふむ、さて。この状態の私は、果たして」
改めてスーツを着直す。このスーツもどこかで洗うか、新調しなければいけないな、なんて考えつつ、荒野をしっかりと踏みしめた。
「ヴェインと──そう名乗っていいのかどうか。生前の名……ふむ、どれを使うかな」
大陸南西部。
ゾンビ化細菌を強制停止させられたとある男が、誰に見られる事も無く、新しい生を謳歌しようとしていた。