世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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レヴェロフ-廻りて解く哄笑の悔恨

 かつてのリゾート島。そこは今、無人島の名に相応しい様相を呈していた。

 至る所、あらゆるところに腐肉が転がっているものの、既にヒトの活動の痕跡は存在せず、最後まで残っていた彼女ですらもうここにはいない。

 波の打つ音と木々のざわめき。海猫や野生動物の鳴き声が響くことはあれど、言語と呼ばれるものが犇めくことは無い。

 

 そんな、静かな島で。

 

「……ア」

 

 彼は目覚めた。

 

 

 

 Λ

 

 

 

「コ、コハ……、ここ、は」

 

 上手く音の出せない喉。眩しい日差しに少しだけ眉を細めて、そして気付く。

 

「……シンデ、ない。死んでない」

 

 最後の記憶。身体が思うように動かせなくなって、口が勝手に開いて、けれどずっと、意識はあって。

 自分の身体を操るナニカが、みんなを殺して回った。ヤメロと叫んでも、トマレと嘆いても、身体は動かせず。ただただ、己の身体が生み出す圧倒的な暴力に屠られていく同胞を眺めるしか出来なかった。

 それを止めてくれたのは、一人の少女。

 不敵な笑みを浮かべるその少女は身体能力にかなりの差があるにもかかわらず、己を殺し切った。あの時、確かに首を飛ばされたはずだ。自身の腕が彼女の右腕を潰し飛ばすのと同時に、この首は確かに切り離されたはずだった。

 

 けれど、首をさすってもその痕跡はない。

 どころか。

 

「うで……」

 

 邪魔で仕方がなかった、自身の腕。()通りには動かせず、みんなと同じようには使う事の出来ないその巨腕が、今や普通のサイズにまで縮んでいる。

 ……違う。

 

「あれ……僕の、腕?」

 

 砂浜。波打つ岩間に転がっている、人間の腕をそのまま何倍もの大きさにしたような灰緑色の腕。肩口から切断されているアレは、紛う方なき己の腕だった。

 なればこの腕は、なんなのか。

 

 とりあえず立ち上がろうと、自身の背後に手をつこうとして、何かを掴んでしまった。ふにゃ、としたそれ。渇いたその感触におそるおそるそちらに振り返ってみれば──そこにあったのは。

 

「う、わっ!?」

 

 それは、頭部だった。

 ヒトの頭。灰緑色の首。

 この姿が嫌いで、だから鏡も水面もあまり見ようとしなかった自分でも、わかる。

 

 これは、己の首だと。

 

 恐る恐る、ソレを持つ。

 自分達にとっては大敵の渇き……その首からは水分が完全に失われていて、持ち上げた所からパラパラと壊れていくのがわかった。でも、そんなことはどうでもいい。

 あの時に斬り飛ばされた首だ。そんなの、自分でもわかる。

 言葉を紡ぐ能力のほとんどを喪っていた自分だけど、頭が悪かったわけじゃない。と、思う。

 だから、あの腕も、この首も。

 確実に自身から……あの時、あの少女によって斬り飛ばされた物だと判断できた。もっとも、腕は飛ばされた覚えが無いから、死後に隔離されたのだろうけど。

 

「僕は……普通、に?」

 

 悲しいかな、腕が縮んでも、言葉は上手く操れないらしい。

 他の四肢と同じくらいの大きさの、灰緑色の腕。叶うなら人間に戻りたかったけど、これでも十分だ。だってもう、自身は化け物じゃない。

 

「……ウィニと、ヴェインは」

 

 最後の最後まで一緒にいてくれた二人。エインとイヴがマザーについていってしまった事は知っている。イースがリザに捕まっている事も知っている。

 アイズが、"ああ"なってしまった事も知っている。

 

 自分のコトも、みんなのコトも、知っていた。わかっていた。

 けど、言葉にするチカラが無かったから、伝えられなかった。

 

「そう、だ。リザ。リザ。みんなに、ツタエナイと……!」

 

 あの日。あの夜。己はリザと相対し、全てを思い出した。少しくらいは思い出していた生前。けれど、自身の死因だけはずっと忘れていた。自分がなぜこんな風になってしまったのか、どうやって死んだのか。

 ……他の皆は、多分、"同胞"達に"同胞"にされたんだろう。相槌も反応も出来なかったけど、近くにいたエインやアイズがそういう話をしているのを聞いた事がある。

 

 けど、自分は違う。

 

「あの──寄生虫を、殺す方法を」

 

 明瞭な言葉が出る。

 己は、捨てられた。元リザの宿主──それが、ヴィィの過去だ。

 

 

 

 Ω

 

 

 

「あ、いたいた」

 

 軽い言葉で、その場は仲裁される。マザーを殺したと思い込んだイヴと、彼女の猛攻を凌ぐ二人の"マルケル"。悲痛な叫びを上げるイヴの腕は的確に二人の命を刈り取らんとし、強化ゾンビであっても肥大ゾンビではない二人はリーチ差に圧倒され、防戦一方だった。

 アイズにとって、イースとイヴはかわいい弟や妹のような存在だったから、というのもあるだろう。"マルケル"になった所でそれは変わらない。仲間意識こそ湧かないイヴであるが、その精神性が本当に幼き少女のソレである事などわかりきっている。

 防戦一方であっても劣勢ではなかったのが要因の一つと言えるだろう。奇襲に長けたイヴは、正面からの攻撃が上手いわけではない。本来は夜闇に乗じて一人ずつを貪っていくイヴのスタイルは、方やエージェント、方や生存能力に特化した"マルケル"を相手に攻め切る事が出来ないでいたのだ。

 

 そんな折に、そんな声がかかった。そんな、軽い声が。

 

「誰だ、お前」

「ん? あぁ、君に用は無いよ。用があるのはソッチの君だけ。イヴちゃんには多少思う所があるけれど、あの子達の管理ミスまで責任を背負うつもりはないかな」

「……俺に、何の用だ。名を名乗れよ」

 

 ピタリと止んだイヴの腕に警戒を弱めず、けれど新しく現れた少女に対しても警戒を強める。

 知らぬ顔だった。ゾンビではない。どこか雰囲気がマザーに似ている。

 

「私はリザ。ワイニーを保護しててね、君がマルケルでしょ?」

「ワイニーの? ……待て、リザ? リザだと!?」

 

 もう一人の"マルケル"であるアイズが「俺がマルケルだ」と言おうとしたのを遮って、その名を少女マルケルが叫ぶ。その名。然して珍しい名ではないものの、ジョゼフと少女マルケルがワイニー探しを始めた理由の一つであるリザという名。それがこんな場所に現れたのだ。

 こんな、ゾンビとゾンビが互いに争い、少し離れた所では"英雄"とゾンビが激しい戦いを繰り広げているような、そんな場所に。

 

「うん。もしかして、どこかで会った事あるかな?」

「会った事は、ねぇな。だが会いたいとずっと思ってた。ワイニーの奴がアンタの名を知っていたんだ。アイツがアンタの名を呟いてから、ミザリーちゃんも、ワイニー自身もおかしくなった。アンタ一体何者だ?」

「全部私のせいにするのは酷いなぁ。それで、何者、かぁ。うーん、うーん」

「……誰なんだ、コイツ」

「……」

 

 恐らくこの場で、誰よりも──イヴよりも──知識の少ないアイズの疑問に答えてくれる者はいない。答えられないというのもあるだろうが、()()()()()に構っていられる暇がなかった、というのが大きいだろう。

 少女マルケルにとっては、恐らく諸悪の根源を担う存在として。

 そしてイヴにとっては。

 

()()()()()()()

「へぇ」

 

 にっこりと笑うリザ。イヴが一歩、後退った。

 

「マザーのマザー? マザーを産んだヤツ、って事か?」

「……つまり、ミザリーちゃんみたいな……砂人形とかいうのを、作ったヤツか」

「うんうん、その認識であってるよ。ミザリーを作ったのは私じゃなくてマザーだと思うけど」

「じゃあ、この……世界がゾンビだらけになった話の、原因がアンタ、ってことでいいんだな」

「え? それは違うよ、それはマザーの仕業。さっきも言ったけど、なんでもかんでも責任を押し付けるのはやめてほしいな。月並みな話だけど、ナイフで殺人を行った犯人がいたとして、そのナイフを作った職人にまで罪の所在を押し付けるのは違うでしょ?」

 

 そんな、普通の……まるで正論のような事をいうリザ。

 マザーには感じた得体の知れないナニカが、リザからは感じ取れない。それが一層不気味だった。

 

「まぁ私の事はどうでもいいからさ、マルケルちゃん。ワイニーが待ってるから、おいでよ」

「とりあえずその呼び方はやめろ。怖気が走る」

「うん、マルケル。どうする? あっちの"英雄"に挨拶をしていく?」

「ついていく、なんて言った覚えはねぇ。アンタがマザーを作り出したヤツだっていうんなら、何をされるかわかったもんじゃねえからな」

「そう? じゃあ」

 

 そこで飛び退く、という判断をしたのは、流石の生存能力と言えるだろう。百点満点だ。

 ただ無意味である、という事実を除けば。

 

「オイ、どうした……」

 

 アイズから発された言葉を、少女マルケルは背後に聞いていた。

 ほとんど同じ位置で、イヴにもリザにも背中合わせに対峙していたはずなのに。随分と、遠くに。

 

 そこでようやく、少女マルケルは自身が歩き出している事に気付く。

 先ほど飛び退いたのも……後ろに飛び退いたつもりだったのに、前に出ている。自然と、にっこりと笑うリザの方へ歩が進む。

 

「身体が……いう事を聞かねえ」

「はぁ? ……なんだこれ、俺も動けねえじゃねえか」

「う……」

 

 面倒臭そうに彼女を止めようとしたアイズもまた、その場から動くことが出来ない。イヴも同様であるようだった。

 手招きをするリザに誘われるまま、少女マルケルが歩いていく。

 

「ゾンビ化細菌。あの子達は一から作ったと思っているだろうけど、根幹部分は私の細胞を使っているからね。少なくともゾンビは操れるよ。イヴちゃんには効き目が薄いんだけど、逆に弛緩剤は効果が高いのが救いかな」

「……」

「ウイルスだったら、勝手に変異しちゃってた可能性があるけど……ちゃんとそのまま使ってくれてて安心したよ」

 

 少女マルケルが、リザの下に辿り着く。辿り着いてしまう。

 アイズにとっては、あの少女マルケル……自身に罹患した少女の事などどうでもいい話だ。"英雄"と共に同胞殺しを敢行していたようだし、マザーに敵対するという利害の一致はあったものの、本質的に仲間ではない。自身を差し置いてマルケルを名乗る少女に忌避感さえある。

 

 けれど、残念ながら、アイズは……"マルケル"は、良いヤツだった。

 

「頼む!」

 

 ただ一言。

 体は違う。声も違う。先ほどまでは敵対していたし、この先も仲良しこよしなんてするつもりはない。

 それでも彼は"マルケル"の相棒である。あちらがどう思っているかなど、アイズは考えない。どこまでも信じている。どこまでも頼っている。"英雄"と呼ばれぬ頃から、彼を信頼している。

 その返事は、斬撃だった。

 

「え」

 

 速度。威力。切断力。

 そのどれもが物理法則に適わぬ飛ぶ斬撃。

 それが、寸分違わず──リザを両断する。両断だ。すぐ近くにいた少女マルケルのそばを掠め、地を抉り、その斬撃はリザという少女を上から下まで真っ二つに割断した。

 

 数瞬遅れ、噴き出る血液。

 腹部肥大のゾンビでさえ一太刀の元に切り裂けるその威力の前では、少女の躰など一溜りもない。悲鳴を上げる暇さえなく、ただ一瞬の疑問を浮かべた垣間の時間で──リザは絶命した。

 

 絶命した。

 

「……化け物かよ」

 

 助けられた少女マルケルも、彼を呼んだアイズも、胸中は同じ。

 未だ戦闘の終わっていないらしい轟音を響かせる方向を見て、そう呟いた。

 

 

 

 Ι

 

 

 

 数分後、動くようになった体をほぐす二人。イヴはまだ弛緩剤とやらが効いているようで、動くことが出来ないらしい。

 そんなイヴを小脇に抱え、アイズが言う。

 

「……見逃してやる」

「こっちの台詞だ、と言いたい所だが、お言葉に甘えてますよっと。……だがアレが終わらんことにはな」

「エインの奴。強い強いとは思ってたが、あんなに打ち合えるとは思ってなかった。……正直、ジョーに喧嘩売った時点で……今生の別れまで見えていたんだがな」

「だなぁ。争いごとが嫌いなくせに、見ろよあの顔。活き活きとしてやがる」

「ストレス、溜まってたんだろうな。ウィニもヴェインも最終的に信頼できるヤツじゃねえ。あの島であの二人に囲まれてんだ、ストレスはそりゃすげぇことになってただろ」

「あー、確かになぁ」

「俺と一緒に来てからは……どうだろうな。俺から見て、それなりに楽しそうだったが。アイツはアイツで身体動かせねえストレスがあったんだろう。俺だってそうだったくらいだ。走行強化型の気持ちが完全にわかるわけじゃないが……走り回れないストレスってのは、ちゃんとあるんだろうさ」

「ジョーの奴も似た感じかもしれねぇなぁ。アイツとまともに打ち合えるゾンビなんかいねぇし、基本一撃で終わるんだ、こんなに長い間戦ってるのは初めてみるよ」

 

 腕を胴体に巻き付かせたイヴを持ちながら、二人の"マルケル"が会話をする。ボディスーツの妙齢の女性と、カジュアルでポップな、年頃らしいパーカーを纏う少女。もし肌が灰緑色でなければ、親子にさえ捉えられたかもしれない。

 その気の合い方は、自分同士だと知らなければ、長年の親友に思えるだろう。

 

「……お前は、どうする気なんだ」

「ん? どうするって?」

「現状だよ。正直言って、人間はもう詰みだろう。だが俺達も俺達で問題が多すぎる。これまでの道中、マザーは俺達を……ああ、もういいか。ゾンビをな、停止させてきたんだ」

「停止させてきた?」

「俺達が菌で動いてる、って事はわかってるよな。その菌を、停止させる薬。マザーは道中出会うゾンビの全てを止めてきた。大陸南西部にゃ、文字通り物言わぬ死体がわんさか転がってるぜ」

「へぇ。……あん? なんでマザーがそんなことしてんだ」

「新しいゾンビ化細菌が完成したんだとよ。だから、現行のゾンビ……つまり第一期のゾンビは失敗作として片付けられてるのさ」

「……勝手なヤツだな、本当に」

「違いねえ」

 

 これだけの人の命を弄んで、新しいものが出来たから古い物はいらない、と。

 そんな勝手が許されるものか。

 ゾンビに与するつもりのなくなっていた少女マルケルでさえ、その憤りはあった。

 

「……多分、マザーは死んでねえ」

「何?」

「砂人形ってな、世界中にうじゃうじゃいるんだと。イースから聞いたんだ。砂人形に巣食われてた国の話。その国だけじゃなく、色んな所に、色んなヤツの姿をして、マザーみてぇな砂人形はいる」

「……気色の悪い話だな」

「で、全部が全部マザーみてぇに薬を創れるらしい」

「それは」

「ああ。あのマザーが、ゾンビ達を止めて回るようなことをしてたんだ。もしかしたら今、世界各国で、色んな所で……それが起きてるかもしれねえ」

「……まぁ、そうだろうな。大陸は広い。マザーがたった一人でカバーできるような面積じゃねえ。現行のゾンビを片付けようってんだ。そんなにいるなら、それだけ動くか」

 

 アイズと少女マルケル。

 二人はアイコンタクトさえなく、同時に立ち上がった。

 

「ジョー!」

「エイン!」

 

 響いていた戦闘の残音が、止まる。

 錆剣と拳。その打ち合いは既に千二千を超えている。超えているというのに、疲弊の色は見えなかった。エインはゾンビ故、当たり前だが。

 

「……」

「……」

 

 二人は警戒を緩めない。

 無言で、向かい合って。

 

「どうやら、終わりのようだ。"英雄"ジョゼフ」

「みてぇだな。アンタ、強かったぜ、エイン」

 

 言って。

 

 ──エインが、崩れ落ちた。

 

「え、おいエイン!?」

 

 駆け寄るはアイズ。思わずと言った風に放り投げられたイヴを少女マルケルがキャッチして、二人を見守る。彼とて駆け付けたい意思はあったが、その役目は()()()だろうと判断した。

 体の動かないイヴを抱えたまま、ジョゼフの元へ寄る。

 

「エイン、おい! 返事しろ!」

 

 膝を突いたエイン。疲労の色は無かったはずだ。けれど、今の彼は──まるで人間のように、人間が死ぬときの様に、その瞳を閉じようとしていた。

 

「……ふ、ふふ」

「エイン?」

 

 零れたのは笑み。笑い。

 嘲りのようなそれでも、皮肉めいたそれでもない──満足の笑み。

 

「……闘争など、無縁だと思っていたんだがな。……存外、楽しかった。アイズ。お前の気持ちが、ようやくわかった。生存を賭して、争う。ふふ……これは、楽しいな」

「ゾンビが何言ってんだ、おいエイン!」

「渇けば死ぬ。脳が潰されたら死ぬ。……そう、聞かされた。初めだ。誰もいない時、俺とマザーだけしかいない時、そう聞かされた」

 

 急速に力の抜けていくエインの身体。

 その様を、東洋の言葉に倣って表すのなら。

 

「それだけでは、なかったらしい。ふふふ……マザーよ、貴女に、朗報がある」

 

 この場にいない事を知らないのだろうか。

 もう目も、耳も、機能していないのだろうか。

 

「──満足だ。この世との、離別は──あぁ」

 

 成仏した、と。

 

「アイズ、少しでもお前の事がわかった。俺は、それが──何より」

 

 嬉しかったんだ。今までありがとう。

 

 言って。

 

「……」

 

 彼は、死んだ。

 ゾンビの死。渇きによる崩壊でなく、ただ満足して。アイズとの語らいでも、何かを成し得たわけでも、啓発があったわけでも気付きがあったわけでもない。

 ただ、親友の気持ちが、少しだけわかったから、なんて理由で。

 

 エインは、永遠の眠りについた。

 

 

 

 Δ

 

 

 

 エインの墓標。

 彼の宗教圏に倣い、十字架の建てられた簡素な墓。

 requiescat in paceの文字の刻まれたその墓の前にはもう、誰もいない。

 

 朝方にあった決着の後、ジョゼフと少女マルケル、アイズと、彼に再度抱えられたイヴは別れた。お互いの為すべきことをしよう。今この場では、これ以上の死を振り撒かぬように。

 そう言って、四人はこの場を後にした。

 だから今、ここには誰もいない。

 

「……満足して死、かぁ。それは結構、予想外だったな。ゾンビなんてレコードに刻まれた影法師でしかないはずなんだけど……死途の川を、自力で渡りきるなんて」

 

 いないはずだった。

 

 照らす太陽が、その姿を映す。蜃気楼が如くぼやけてはいるが、確かに。

 そこには──アイズの、姿が。

 

「最初に生まれた、くらいのラベルしか持っていないゾンビ。ううん、もう少し興味を持っておくべきだったかも。それに、健康優良児だったメイズちゃんが殺されちゃったのも痛いなぁ。ワイニーからの情報で浮かれすぎた」

 

 先ほどまでの口調の影はどこにもない。

 一人でぶつぶつと自戒を呟く様に、アイズらしさも、マルケルらしさも存在しない。否、初期のアイズであれば、少しくらいは似ていたやもしれないが。

 かつてシエルという名を持っていた女性。彼女の肌から、少しずつ、少しずつ……灰緑色が消えていく。

 

「流石に今からメイズちゃんの人形を作るのは時間が足りないし……。うん、ちょっと早いけど、イースには──消えてもらおうかな」

 

 女性はお腹をさする。

 ボディスーツに包まれた、メリハリのある体。その肌は元の色味を取り戻し、活力の光を放つ。

 

 蜃気楼に揺られ、その姿が掻き消えるまで、女性は。

 自身のお腹を、とても大切そうに、とても大事そうに、撫でさすっていた。

 

 

 

 Μ

 

 

 

「シンさん!」

「……ダメでした」

「そ、……そう。そうか……」

 

 或る人間の国。

 そこに、走り回る二人の"英雄"の姿があった。

 

 この国を支える"英雄"と、一人の参謀。頭脳たるその少女の姿が今朝から見えないのだ。

 レヴェロフという名の少年との対話の後、ゾンビを処理して戻ってきたシンが見たのは、いつになく焦燥したイースの姿。

 イースにとって少女……メイズはかけがえのない存在。シンの目から見ても、彼が彼女に依存している事はわかりきっていた。たまにふらっといなくなることはあるが、これほどの長時間姿を見せない事は今までなかったという。

 現時刻は正午過ぎ。朝、イースが家を出た時にはいたはずなのに、そこからずっと、メイズは姿を見せていない。

 

 国のどの兵士たちも、国民も、誰も彼女の行方を知らなかった。外壁より外を見張る兵士も同じで、国内を警邏する者達も同じく見ていない。商売をする者、それを購入する者、子供たち。誰も彼もがメイズの事を知っているのに、誰も彼もがそれを知らない、なんて。

 

「セイ、さんは」

「ええ、私もそれを考えました。ですが、妹の柳葉刀に血液は付いておらず、何より監視の者はひと時足りとて目を離していないとのこと」

「……メイズ」

 

 セイは未だ、メイズに敵意を抱いている。

 故の犯行かと考えた。敢え無く打ち砕かれたが。

 

 メイズの行動範囲はあの家と、作戦会議室、それに兵士たちの詰め所くらいである。

 それ以外に彼女が行くところなんて。

 

「──あの路地裏」

「路地裏?」

「僕と、彼女が出会った路地裏。そういえばあそこに彼女が来た理由を僕は知らない」

 

 イースはメイズとの記憶を全て覚えている。それを全て精査して、彼女が訪れた事のある場所を洗った。洗って、思い出す。あの場所。はじまりの場所。

 確か国の、北側に位置する住宅街の、アパートとアパートの間にある暗い暗い路地裏だ。

 

 駆けだす。イースにとって、メイズはあらゆることよりも最優先事項として処理される存在だ。故に制止をかけるシンの声も聞こえぬまま、最短距離を最速で行く。

 屋根の上を駆け、直線で、そこへ。

 

 イースより速度の出るシンではあるが、目的地のわからぬシンでは先行するという事も出来ない。

 だから、彼を追いかける形で、少しだけゆっくりと屋根を伝っていった。だからこそ、見つける事が出来た。

 見張りの目を掻い潜り、何やらこそこそと外壁を昇り、この国へ侵入してくる女性の存在を。

 遠目で人間だという事はわかる。だが、マザーやセイの例もある。

 明らかに平常心ではないイースを追いかける事と、あの女性の対処をする事。

 

 シンの天秤は、後者に傾いた。

 

 

 

 Σ

 

 

 

「この国にどのような用向きですか、お嬢さん」

「あら、とっても目が良いのね。今はとっても迷惑」

 

 その一言で、敵だと判断する。

 突き出す槍は神速の名をほしいままにするだろう。それを間一髪で躱した女性に、警戒レベルを一気に吊り上げる。

 

「私はシエル。他の国で"英雄"をしていたのよ」

「ほう。それは、納得の身体能力です。無断でこの国へ侵入した理由をお聞かせ願います」

「国から逃げてきた亡命者の行動としては妥当じゃないかしら?」

「亡命者? "英雄"が?」

「ええ、扱き使われるのはもう勘弁願いたいのよね。私は元からお金で雇われていた身だもの、お金が払われないのなら、あそこにいる意味はない」

「成程」

 

 今度は更に力を強めて。空気を叩く轟音が遅れて響く。また、外した。

 

「もしかして言葉の意味が伝わらなかったかしら? 東洋の言葉は苦手なの、ごめんなさいね」

「いえいえ、十全に伝わっていますよ。嘘吐きの気配が、ね!」

 

 三度目。穂先が掠った。

 シエルと名乗った女性の腕に一閃、赤い筋が流れる。少なくとも砂人形ではなく、人間らしい。それでもシンは強く槍を握って離さない。

 

「酷いのね、女性に手を上げるなんて。紳士的な対応を希望するわ」

「それは申し訳ございません。ですが、今この国は緊急事態でして。お帰り願います。また後日、正式な手続きを経てこの国を訪れてください。そんなことが可能なら、ですが」

「ふふ、面倒くさい人」

 

 槍が逸らされる。外壁に穴をあける前に柄を引いて、再度。今度は地面に逸らされた。ので、膝で槍を突き上げ、シエルの方へ向かって穂先を弾き上げる。

 二本のナイフで止められた。膂力は女性のそれではない。一般人のそれでもない。"英雄"というのはあながち嘘ではないのかもしれない。

 

「いいのかしら?」

「何が、でしょうか」

「早く行ってあげないと──イースが、そろそろ死んじゃうよ?」

 

 突然雰囲気の変わったシエルが、人間とは思えない動きでその場を離脱せんとする。

 追撃は可能だ。そこまで速力を持っていない。

 だが。

 

「……イース殿!」

 

 あの言葉はブラフだと思えなかった。

 "英雄"シンの直感が、そう告げていたのだ。

 

 

 

 Ψ

 

 

 

 イースの辿り着いた路地裏。

 あの頃と変わらぬ湿ったそこに、ソレはあった。

 

「……砂?」

 

 砂。良い思い出の存在しないソレが、ひと塊。

 そこに積もっている。

 

「まさかメイズが……違う、彼女は人間だ。……そうだ」

 

 一瞬過ぎった嫌な考えを振り払う。ヴェインの言葉は信じるに足らない。

 それに、確認したのだ、イース自身が。

 彼女に流れる赤い血を。

 

「……ここに、いないとなると」

 

 ここには何もないと判断し、イースは路地裏から目を離す。

 直後──()()()()()()()

 

「イース」

 

 彼の脳に巣食うゾンビ化細菌が、彼の思考よりも早く身体を動かす。

 携えたシミターを勢いよく振り抜き、その声の主を切り伏せんとして。

 

 とす、と。

 後頭部。頭蓋骨を貫通し、脳髄へ──その針が、突き刺される。

 彼のシミターはしっかり届いた。けれどその刃先は彼女に飲み込まれ、分解されてしまう。

 

「イース殿!」

 

 速度という点において、シンに落ち度は一つだって無かった。判断力も洞察力も完璧だった。

 だから、ちょっと運が悪かっただけ。

 ちょっと、間に合わなかっただけ。

 

 シンの目に映る──顔の半分をシミターに切り裂かれ、しかしすでに再生の始まっている女性の姿。その傷口から漏れ出でるは、砂。

 判断材料はそれで十分。恐ろしい速度で突き出された槍は女性の中心を捉え、上半身の全てを貫き飛ばす。まるで風船の弾けたように上半身を失くした女性はパタりと倒れた。残っていた下半身が砂に戻っていく。

 そんな些事よりも前に、イースだ。

 彼は何か──注射器を後頭部に突き刺されて以降、ピクリとも動かない。

 

「イース殿、イース殿!?」

 

 腕を背後に振り切ったまま、口を「あ」の形に開いたまま、イースは動かない。

 

 シンはイースに駆け寄ろうとして──止められた。

 

「お兄さん、近づかない方が良いわ」

「っ!」

 

 槍を構え直し、それに対峙する。

 先ほどの女性だ。いつの間に近づいたのか。気配を消す能力に長けているらしい。

 

「……何用ですか。先ほどの続きをお望みであるのなら」

「忠告をしにきたのよ。()()、ゾンビよ?」

「何、を……?」

 

 イースの身体が、ぐらりと倒れる。動かない。死んだように、動かない。

 その体に、何か液体をかけるシエル。制止をかける暇もなくかけられた液体が──ソレを落とす。

 

「……この、肌色、は」

「ゾンビの特徴、灰緑色、よねぇ? 見て、これ。このゾンビはずっと、肌に顔料を塗っていたみたい。この液体は顔料を分解するものなのよ。どうして私がこの国にこそこそと潜入したか、わかるかしら」

「……」

「ゾンビが支配している国に、おめおめと姿を現わせるわけないでしょう? わかるかしら?」

 

 イースの腕に掛けられた液体は、彼の体表にあった厚い粉のベールを剥がした。 

 その下から出てきた灰緑色は、紛れもなくゾンビのもの。動かず、物言わぬイースに女性はあらん限りの言葉をかけていく。

 

「この国は、ずっと、ずぅーっと、ゾンビに騙されていたのよ。ゾンビの対策を練る傍らで、このゾンビだけが自身の安全を固めていた。人間の兵に神聖視されて、"英雄"なんて持て囃されて……さぞかし気分が良かったでしょうね。でも、それも今日で終わり」

「イース殿は、死んだ、のか」

「死んでいた、のよ。このゾンビの後頭部に刺さってる注射器。その中身。私は見覚えがあるわ。これはかつて、私の国がとある研究者と取引をしていた抗菌薬」

「っ、それは、マザーの!」

「あら、知っていたの? なら話は早いわ。マザーの抗菌薬はとても強力でねぇ、一度ゾンビ化細菌に罹患した人間でも、抗菌薬さえ摂れば全身の菌を抑制、さらには滅菌にまで至る優れものだったのよ」

「滅菌……」

 

 死人に口なし、とはまさにこの事だろう。

 そしてその全てが嘘ではないというのが悪い冗談だ。イースの肌は確かに灰緑色で、抗菌薬を投与された彼は、動かなくなった。彼の中のゾンビ化細菌が死滅したが故、だろう。シエルの話が、その知識が本当なら、という前提条件こそあれど……イースがゾンビである、という事実は変わらない。

 

「そんなゾンビと、一緒に過ごしていた少女。あの子も怪しいわよねぇ?」

「っ、メイズ殿の事を知っているとは、どういうことだ」

「言ったでしょう? 私は亡命者。この国に密入国する隙を狙っていたのよ。当然、この国の事は調べてあるわ」

「……"英雄"らしからぬな」

「色々な"英雄"がいるのよ、お兄さん」

 

 その呼称に顔を顰めるシン。どうやら、彼の妹の事まで知られているらしい。

 

「……もし、仮に……メイズ殿が、ゾンビ、あるいはそれに与する者だったとして」

「彼女に今なお敵意を向けているんですってね、貴方の妹さん」

「そう、なのか……? セイ、お前は」

 

 まるで何か、希望でも得たかのような表情で、シンはぼやく。

 満足気に笑うシエルにも気が付かずに。

 

「……などと、希望を持つほど愚かではないさ」

 

 彼が笑みを浮かべたのと、シエルが笑みを消したのは同時だった。

 

「あら」

「まぁ、貴女の言いたい事はわかった。メイズ殿が怪しくて、イース殿がゾンビであるというのも、そうなのだろう。思えば心当たりは沢山ある。彼は私達の前で決して食事をしなかったし、水を飲んでいる所も見たことが無い。他の"英雄"は皆大人であるというのに、彼だけが子供なのもゾンビ故と思えばまぁ納得がいこう。ゾンビは身体能力に長けるからな」

「へぇ、それで、どうして貴方は笑みを浮かべているのかしら」

「関係がないからだ。イース殿がゾンビでも、ヒトをここまで育て上げたのは事実。この国はもう十分にゾンビと戦える。イース殿の胸中がどうであれ、彼がこの国を、自らを自らで守れる段階にまで引き上げたかった、というのは伝わっている。短期間共に過ごした。それだけで、十分に」

「他者を信頼しすぎじゃないかしら。そんなだから、妹さんも"ああ"なってしまったのではないの?」

「はは、痛い所を突くものだ。だがな、そんなことを貴女に言われる筋合いは無い」

 

 シンは上着を脱ぎ、イースの身体へと巻き付ける。

 その体に触れぬよう極力気を付けながら、彼の身体を担ぎ上げた。

 

「私とイース殿の間にあった縁……その責任の所在は、私にある。彼を私は信じた。その時点で私の負けだ。私は彼を、勝手に背負う権利がある」

「横暴ねぇ。それに、独善的。自己中心的っていうのよ、それ」

「構わないだろう。私は"人間"らしいからな」

 

 人間なんて、その程度のものだ。

 そう、シエルに告げて。

 

「民に、下手なことはするなよ、シエル。私は彼を埋葬してくる。……次は殺すぞ」

「はいはい。お人好しねぇ、"英雄"サマは」

 

 屋根を伝い、外壁を飛び越え。

 シンはその姿を消した。

 

 わざとらしく額の汗を拭うシエルに見送られて。


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