世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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レヴェロフ-凝りて問う別理の終端

「お兄ちゃん、誰?」

「俺は……ワイニーという」

「聞いたこと、あるかも」

 

 そんなたどたどしい会話が交わされる地下室に帰ってきた。

 ワイニーは私を見るなり一瞬顔を顰めたが、直後には納得の表情を作る。

 

「リザか」

「うん。良く分かったね?」

「雰囲気でな。それで、この子は」

「知ってるでしょう。イヴだよ」

 

 言えば、更にまたも顔を顰めるワイニー。

 そういうことじゃない、とでも言いたげだ。

 

「そういうことじゃない。何故イヴがここにいるのかを聞いているんだ。先日言っていた一番目、というのが関係しているのか?」

「成り行きだったけどね。前の身体(メイズちゃん)が死んじゃったから、新しい身体が必要だったんだ。それで、丁度いい所に丁度いい身体があったから、乗っ取らせてもらった。ワイニーと一緒に旅をしていた方のマルケルは件の"英雄"に邪魔されて連れ帰ってこれなかったよ、ごめんね」

「……方の、という事は、ソイツも"マルケル"だったのか」

「うん。まぁ、感染してたね。私の方が菌なんかより掌握速度速いからこうして簡単に乗っ取れたんだけど」

 

 ボディスーツに包まれた身体。そこそこ存在する羞恥心の観点から言えば、今すぐにでも着替えたい所ではある。けどこの国の"英雄"の一人にこのボディスーツ姿を見られてしまったので、まぁこのままでいいだろう。

 自然再生でなく強制再起動をかけたマザーには違和感か興味を持たれている可能性がある。シンと対峙した時に咄嗟に出たのがアイズの口調でなくシエルの口調だったことが災いした。恐らくマザーの中では、アイズのゾンビ化細菌をシエルの脳が圧し切って打ち克った、みたいな考察が為されている事だろう。砂の状態でも思考力が衰えるわけではないから。

 

「乗っ取った、か。やはり人間ではないんだな、お前は」

「わかりきっていた事じゃない? マザーを作った、なんてヤツが人間だと思う?」

「マザーの、マザー。マザーを返して」

 

 ずっと黙っていたイヴが口を開く。

 難しい要求をするものだ。今ここで容姿を同じくするゴーレムを作ってはいどうぞ、じゃダメだろうか。

 

「マザーはこの国にいるよ。でも起きるのは明日の夕方くらいになると思う。それまでここで、ワイニーお兄ちゃんと一緒にいてくれないかな」

「嫌」

「……ワイニー、イヴに何かした? 凄く嫌われているみたいだけど」

「推測するに、嫌われているのはお前で、嫌いなお前の言う事を聞きたくないだけだと思うぞ」

 

 ワイニーは少年の姿をしているけど、中身はれっきとした大人である。反対にイヴは少女……女児と言っても良いだろう容姿で、精神も同じく幼子だ。

 子供は、一度でも嫌だと思ったものは、何が何でも嫌という生き物だ。困る。シンプルに困る。

 

「イヴ、イヴちゃん。どうして私の事が嫌いなのかな?」

「マザーのマザーは、マザーを捨てたから」

「うわぁ、そこまで記憶引き継いでるんだ……」

 

 となると、今稼働しているゾンビ……ウィニも同じように記憶を引き継ぎ、思い出している可能性がある。私の、というか私がゴーレムに移した人格及び記憶。記憶をレコードのように刻む菌を作る時、マザーは自身の集積回路を参考にしたはずだ。そこに焼き付いた私と、始まりのゴーレム記憶の一部を丸々再現して。

 更に菌そのものも私の一部を使っているだろうから、それはもうフラッシュバックが如く焼き付いている事だろう。あるいは、全ゾンビの脳裏に。

 この可能性は初めから見据えていた。ただ、そこまで完璧に覚えているとは思わなかった、というのが本音。確かに私はあのゴーレムを破棄したけれど、そんな直前の直前まで覚えているなんて考えるはずもない。

 

 もしくは始まりのゴーレムに、余程の怨恨があったか、だけど。

 

「うーん、どうしよう。流石にこの見た目のイヴちゃんを外に出すと、一瞬で討伐対象になるし……」

「イヴ。ここで俺と遊ぼう。何、いつまでも出さないと言っているわけではない。一日だけ、共にいよう。初めましてだからな、沢山お話をしよう」

「……わかった」

「えぇ……物分かりいいなぁ」

 

 意外や意外、ワイニーが助け舟を出してくれた。

 なんというか、彼は私が困っていようが静観する性質だと思っていたんだけど。

 

「何、保護の目的であるというのなら、協力くらいするさ。子供をむざむざ殺させる程、俺の心は余裕がないわけではない」

「へぇ、それは余裕が出来たから、かもね。あぁ、そうそう。ワイニーはもうゾンビ化細菌への感染リスクはないから、イヴと接触しても問題ないよ」

「そうか」

 

 彼女の長い腕で接触しない様に過ごす、というのは無理がある。そういう点で、ワイニーは適役だ。ゾンビ化細菌に罹患する事も、イヴが力加減を誤って傷つけてしまったとしても死なぬ存在。

 イヴもイヴでゾンビ化細菌を抑え込んだ人間であるから、対称的な表裏一体、という感じなのかもしれない。まぁ彼女と人間を接触させたら普通に感染するんだけど。

 

 じゃあ、お願いね、と言って、部屋を出る。

 階段に続く扉を閉め、階段を上る。長い階段だ。一本道のように見えて、幾つも分岐がある。色々な所に繋がっているから、色々な所から出る事が出来る。あの扉を開けられないとどこから入ってきても詰むんだけど。

 その内の一つから身を出した。周囲に人がいない事は確認済み。メイズの身体に比べ、身体能力も視覚聴覚などの感知能力も桁違いに高い。快適な身体だ。

 

「"英雄"シン。……まぁ、次、かしらね」

 

 シエルに戻して、笑う。

 さぁ、そろそろ終幕だ。

 

 

 

 К

 

 

 

 世界各地で、ソレは起こっていた。

 ゾンビの活動停止──。

 渇きによるものでなく、ただ倒れ、灰緑色の肌が薄れ──人間に戻る、という現象。人間に戻った後、生き残る事が出来るかは運次第だ。致命傷を負っていればその場で苦しみ、もがき死ぬし、そうでなく、奇跡的に生き残ったとしても栄養失調脱水症状などの要素で死んでいく。

 ちょうど水場が近くにあって、ちょうど食料が近くにあって、内外共に傷を負っておらず、他、何のリスクにも遭遇しなかった者だけが──長い長い眠りから目覚め、死の淵のギリギリで踏みとどまる事が出来る。

 

 歩行ゾンビ。走行ゾンビ。強化ゾンビ。肥大ゾンビ。そして、"マルケル"ゾンビ。

 無差別だった。どの段階にあっても、どれほど知能を有していても、活動停止に追い込まれる。そしてどの段階にあったとしても──必ず、人間に戻る。一瞬だけは、絶対に。

 上空から観察すれば、波のように見えただろう。大陸各地から中心へ向かって押し寄せる波。ジョゼフとマルケルの故郷も、シンとセイの出身国も、シエルが雇われていた大国も──全てが、不可視の波に飲み込まれていく。

 

 その先端。波を作り出す先頭に、人型と何かがいる。気付くことの出来た者がいただろうか。上空から見ても、あるいはその場で見たとしても、わからなかったかもしれない。

 人海戦術。航空機やヘリコプター等で薬品を散布するのではなく、老若男女様々、人種も国籍も何もかもが異なるヒトガタが、その手に持つ注射器でゾンビを停止させていっている。余りにも非効率。余りにも非合理。

 しかし、初めにゾンビが現れた時の感染速度より遥かに短い時間で、その波は大陸中を覆い始めていた。

 

 ヒトガタ。たまにゾンビの反撃を受け、壊されるソレから漏れ出でるのは──砂。

 砂だ。砂。

 砂人形が、ゾンビを消していっている。

 

 その様子を、少し高い山の上から眺める者が二人。

 

「どう思うよ、ジョー。アレは」

「願ったり叶ったり、だが……」

 

 巨漢と少女──ジョゼフとマルケルだ。

 

 二人は気付くことが出来た者で、だからこそここにいる。

 突如始まった砂人形の侵攻を、しかし事前に知っていた、というのも大きいだろう。あの時もう一人の"マルケル"から齎された情報。マザーが大規模なお片付けをしている、という話。

 揺らめく黒影が倒れ伏していく荒野を眺め、確かに"お片付け"だと嘲る。

 

「……俺も、行った方がいいのかね、ってさ」

「死ぬ気か?」

「死んでんだよ、元から。……人間にちょっかいをかける気はもう無ぇからよ、どっか山奥とか、それこそあの島とか……適当な所で過ごして、いい感じの所で乾いて砕けようと思っちゃいたんだが……今が潮時なんじゃねえかなぁって」

「そうか」

「そうか、って。冷てぇ野郎だなぁ。ん? それともなんだ、悲しいのを照れ隠ししてんのか?」

「さぁ、どうだろうな。俺にも分らん。お前がマルケルなのはもう疑わねぇが、あの時マルケルの奴が一般人を優先して死んだ事も、俺が自分の手でマルケルを叩き切った事も……覚えてんだ。お前が自分の死に時を見失ってる、っていうんなら、そうなんだと思うぜ」

「だよなぁ。ワイニーの奴も……なんか、どこぞで保護されてるらしいし。んじゃ世界中探し回ったって意味がねえ。あの怪しい嬢ちゃんは死んだわけで、まぁワイニーの奴なら自力で脱出するだろ。とすれば、心残りは無ぇわけだ」

 

 丁度、手頃な距離に砂人形がいる。老人の姿のソレは、しかし歳を感じさせない動きでゾンビの反撃を掻い潜り、その後頭部に薬品を注入しているのが見て取れた。

 

「ゾンビが一()でも残ってたら、人類は安心できねぇよな」

「……そうだな」

「こういう流行り病ってな根絶がベストだ。妥協するしかねぇなら対抗手段を、けど根絶する手段があるってんなら……やるしかねぇ」

「そう、だな」

「──なんだよジョー。やっぱり寂しいか? 俺がいなくなったら」

 

 どうにも歯切れの悪いジョゼフにマルケルは軽口を叩く。

 軽口を叩いて、彼の方を振り返る。すると、そこには。

 

「……おいおい、本当に寂しそうな顔してんじゃねえよ、馬鹿。どんだけ人が好いんだテメェ」

「人の事を言えた義理か」

 

 何度も殺してきた。何度も何度も、何度も何度も。その度に呪いを吐かれ──無事を祈られてきたジョゼフだ。その彼が、ようやく。

 久方ぶりに、殺さなくてもいい"相棒"が出来た、というのに。 

 その"相棒"が、人類のために死のうとしている。

 

 その心境は。

 

「俺は、ミザリーと約束した。勝手に約束したんだ。人類を救うって」

「おう」

「だから……お前を止める事は出来ない。ゾンビを根絶するためには、お前も死ななければ……今までの奴に、申し訳が立たない」

「死んだ奴の責任まで負ってんのかお前。相変わらず馬鹿だな、本当に」

「お前に感染させる(その)つもりがなくとも、お前が間違って触れてしまった人間が、あるいはお前に間違って触れてしまった誰かが感染して、またパンデミックが起きるかもしれない。……そんな"かもしれない"なんてあやふやな言葉でお前を殺す。殺すんだ。見殺しにする」

「……」

「すまねぇ、マルケル。俺はお前を、助けてやれないみたいだ」

「おう」

 

 返事をした。沈黙でなく、返事をした。

 マルケルは、その施しを──手が差し伸べられない事実を、快く了承した。

 

「一生そこで、悔やんでいろよ、ジョー。枕元に立って死ぬまで怨み言を囁いてやる」

「……あぁ、頼む」

「けっ」

 

 言って、降りる。

 山を駆け下り──凄惨な笑みを以て砂人形に接近するマルケル。その様子を、ジョーはひと時も目を離さずに見つめる。

 

 彼は老人の前に出て、何かを叫んだ。マルケルと老人が交差する。

 倒れたのは、勿論マルケル。

 

 老人はそのまま大陸の中央部へ向かって行く。

 あっさりしたものだ。酷く簡素で、酷く簡易。その死は壮絶でも、感動的でも、満足の行くものでもなく。ただただ、処理されるモノ、として。

 

 マルケルは終了した。

 少女マルケルは、ただの少女へと戻ったのだ。

 

 

 

 Б

 

 

 

「ここ、どこ、だろう……」

 

 彼──ヴィィは迷子だった。

 迷子だ。深い森の中で、迷子。前は入る事の出来なかった狭い隙間、岩間、林の中などに興味本位で入ってしまったのが運の尽き。リザのいた国へは一直線に行けたはずなのに、その寄り道で完璧な迷子の出来上がり。

 腕部肥大強化型であったヴィィから肥大した腕部を取ってしまえば、そこに残るのは言葉のたどたどしい青年が一人。強化型と称される"同胞"よりも弱いかもしれない。食料は必要ないし、近くは湿度の高い森で乾くことはそうそうない。

 野生動物は"同胞"を襲うことが無く、だからこそヴィィはずっと同じ場所をぐるぐると彷徨っている。もし狼や猪辺りが彼を襲ってくれたのなら、彼は一目散に逃げて森を抜ける事が出来ただろうに。

 

 ただ、彼にはどうにも悪運があるようだった。

 

「……これ、なに?」

 

 ヴィィはソレを見つける。

 他の樹木より一回り大きい幹を持つ枯れ木。その洞。

 そこの先に、暗く暗く──広い空間がある。周りの地面と見比べてみても、明らかに広い空間。

 

 ヴィィの腕は、もう細い。

 

「はいれる」

 

 それで迷ってきた事など、彼の頭にはもう無かった。

 頭が悪いわけではない、というのが彼の自負だが──そんなことは、ないのかもしれない。

 

 とにかく、彼は洞に入る。

 そこは階段になっているようで、奥へ奥へ、森の零れ陽さえ届かぬ暗がりへ繋がっているらしい。

 あるいは人間の頃であれば感じた恐怖。今のヴィィには、好奇心の方が勝る。

 

 降りていく。静かに、静かに。

 当初の目的も忘れて──その先を、その先を知りたくて。

 

 降りて、下りて、おりて。

 

 彼は辿り着いた。

 真っ白な壁に。

 

「……いき、どま、り?」

 

 恐る恐る壁を触る。無機質で滑らかな材質のソレ。コツコツ、と萎びた拳で叩いてみても、ビクともしない。

 それこそ邪魔な腕があった頃なら、この程度の壁はぶち破れたかもしれない。そんなものがあったらここには入ってこられなかったが。

 

 好奇心が打ち砕かれた事で多少萎えていたヴィィだったが、その壁の向こうから微かにコンコン、と音が響いたことに驚いた。

 

「だ、だれか、いるの?」

 

 十分な時間差を以て返されたそのノックに、先ほどより声量を大きくして問いかける。

 

 少しの静寂。

 

「……お前は誰だ」

 

 知らない声だ。けれど、会話の出来る存在が向こうにいる、という事はわかった。

 だからこの邪魔な壁をぶち破ろうとして──自分の腕がしぼんでいる事を思い出す。先ほど思い出したはずなのに、忘れていた。

 

「僕は、ヴィィ」

「何?」

 

 壁はそこまで厚くないらしい。あちらの声の主も壁に近づいたためだろう、先ほどよりはっきりと声が聞こえる。

 ヴィィよりももっと幼い子供の声だ。男の子。ヴィィが目覚める前に島から出てしまったというイースも少年だったらしい。そんな偶然を、期待した。

 

「ヴィィ?」

「え、声、その、声。イヴ?」

「ん」

 

 偶然に偶然が重なる。

 こちらは島を出ていなかった少女のイヴ。エインと共に島を出たのは知っていたけど、こんなところに閉じ込められていたなんて。

 ヴィィはこの壁をぶち破ろうとして──自分の腕がしぼんでいる事に気付いた。

 

「閉じ込め、られてるの?」

「閉じ込められているわけではない。この部屋の主が帰ってくるのを待っているだけだ」

「うー、マザーのマザー、帰ってこなくていい」

「帰ってこないと出られないぞ?」

 

 出られない。

 その言葉だけで十分だった。

 ヴィィは拳を振りかぶる。そして、その腕が細いにも関わらず、壁をぶん殴った。

 

 ぶん殴ろうと、した。

 

「アンタ、素のままでもそこまで知能高くないのね。知らなかったわ」

 

 パシ、と。背後から腕を掴まれる。

 邪魔をするな、と言おうとして……そちらを見て、驚いた。

 

「ウィニ!」

「あら嬉しそう。私、貴方に嬉しがられるような事したかしら?」

 

 最後まで島に残ってくれていた"同胞"のウィニが、そこにいた。

 

 

 

 Р

 

 

 

 ウィニが壁の一部に手を添えて、指を動かす。

 すると、壁は左右に割れ、開いた。壁ではなく扉、だったらしい。

 

 光の強い壁の向こうには二人の男女。

 イヴと──人間の、少年。

 

「ニンゲン──!」

「おお、待て待て。俺は正確には人間じゃない。ゾンビ化細菌も持ってる。早まるのは止めてくれ、ヴィィ」

「へぇ、アイズ。小さくなってイヴとおままごと? 可愛らしくなったものねぇ貴方も」

「うるさい。そして俺はもうアイズじゃない。ワイニーと呼べ、ウィニ」

「はいはい」

「ウ、アイズ?」

 

 ヴィィは少年を見る。

 どこをどう見ても、アイズではない。

 けれど、頭のいいウィニがそう言っているのだから、そうなのだろう。

 

「ワイニーと呼んでくれ、ヴィィ」

「……わかった。ワイニー」

「ん。それで? 二人は何故ここに?」

 

 部屋にあったソファに腰を掛けたウィニ。なんだか隣に座るのは忍びなかったので、ヴィィは床に座る。

 イヴとワイニーはスケッチブックに何か絵を描いていたようで、イヴの長い長い腕がぐねぐねとのたうち回っている。当の絵はそんなぐねぐねの腕でも描けているようだけど、苦戦しているのが見て取れた。

 同じ腕部肥大型。さらには腕のせいで不便をしているということもあって、ヴィィは勝手にイヴへと親近感を抱いている。今ヴィィの腕は肥大していないけれど。

 

「色々、思い出した事があったのよ。それで、記憶にある隠れ家への入り口を使ったら、ヴィィとばったり」

「僕は、迷った」

「そうか。部屋主は今いないんだが、まぁゆっくりしてくれ。そういえばウィニ、そこの扉はどうやって開けたんだ?」

「開け方を覚えていただけよ」

 

 随分と懐かしさを感じる部屋だった。

 ヴィィの記憶にある、彼が彼女であった時の部屋も、こんなレイアウトだった気がする。

 

「そうだ、イヴ。さっき、マザーのマザー、って」

「うー? マザーのマザー、嫌い」

「僕も嫌い、だよ」

「何? ヴィィもリザの事を知っているのか?」

 

 その名が出た瞬間、部屋の温度が少し下がったような錯覚を覚える。尤も温度を感じる事が出来るのはワイニーただ一人だけなのだが。

 

「リザに用があるのよ、私は」

「僕も、そう。そう、そうだ。伝えないと、って」

「リザが帰ってくるのはもう少し先だぞ。あ、おいおいイヴ、床にはみ出してるぞ」

「ワイニー、紙が狭くて難しい」

「そこも含めて練習だ」

 

 明らかに不機嫌になったウィニに辟易しながら、ヴィィも言葉を紡ぐ。

 相変わらずしっかり動いてくれない口を懸命に動かして、三人に警鐘を鳴らした。

 

「リザは、寄生虫だから、ちゃんと殺さないと、ダメ」

「……」

 

 言えた。ちゃんと言えた。

 ……どうしてみんな、黙っているのだろうか。ヴィィは怖くなって謝罪の言葉を口にしようとする。

 

「ご、ごめ」

「成程。成程な? そう言う事か。他人の身体を乗っ取る……寄生虫ねぇ」

「酷い言い草だけど、そういう見方も出来るわね。いい? アイツは大本は私達と同じなのよ。相手の体内に侵入して、脳に取りついて、それを掌握して、支配下に置く。私達の場合はそれが明確な意思を持たない菌だったけど、あの女は寄生虫。虫よ。言い得て妙ね、気に入ったわ」

「え、あ、え、ありが、とう?」

 

 好感触だったらしい。

 ヴィィが彼自身として他人と接していた期間など数える程しかない。だから、他人とのコミュニケーションが怖い。そういう所が彼にはある。

 

「それで、どうすればいい? 寄生虫を殺す……殺虫剤でもかけるか?」

「あら、部屋主、とか言っておきながら、殺す気満々なのね」

「一応リザは俺の恩人だが、俺はもう一人で生きていける。アイツの庇護下に拘る必要はないだろう」

「こ、殺す。方法。知ってる。聞いて、ほしい」

 

 一斉に三対の目がヴィィを向いた。ワイニーとウィニだけじゃない。

 イヴもだ。

 

「あ、え、ああ、えっと、その」

「落ち着きなさい、ヴィィ。誰も急かしていないわ」

「すまんな、視線が怖いのか。大丈夫、ゆっくり話してくれたらいい」

「マザーのマザー、殺す。教えて」

 

 ずい、と詰め寄ってくるイヴは置いておいて、二人は優しかった。

 優しい人は好きである。ヴィィには今やコンプレックスの存在もほとんどないから、嫌いにならなくて済む。嫌いにならなくて済むなら、優しい人は好きだ。

 だから安心できる。

 

「リザ。リザを、殺すには──」

 

 この二人なら、あるいは。

 そう希望を込めて、ヴィィはその方法を口にした。

 

 

 

 З

 

 

 

 "英雄"イースとメイズの死。

 その悲報は痛烈な打撃として人間の国を叩いた。誰もが神聖視し、誰もが頼り切っていた二人の最期はゾンビの親玉との相打ちとして報せられ、メイズもまたイースを最期まで支え切ったとして描かれた。

 伴うようにして起こったゾンビの一斉活動停止。それは"ゾンビの親玉との相打ち"という伝説に拍車をかけ、元々洗脳されやすい精神状態にあった国民はこれを事実と受け止める。若き"英雄"の死を誰もが祈り、幼き少女の冥福と、二人が死後も寄り添える事を何よりも願った。

 報せを出した"英雄"シンは一層の警備の強化を命じる。まだゾンビの残党はいる。完全にいなくなったわけではない。イース殿が命を賭して守り抜いたこの国を、たったひと時の油断で無為にしないでほしい、と。

 

 イースの死は、彼への信仰心が欠ける結末には至らなかった。

 活動停止を免れたゾンビを確実に殺し切り、自国を守り通す最硬の兵士団。彼らの脳裏には常に二人がいる。

 

 この国はもう、大丈夫だと。

 誰かが言っていた。

 

 

 

「お疲れ様、と言ってあげましょうか?」

「……シエルか」

「ええ、昨日ぶりね?」

 

 思いつめた顔で、シンはそこにいた。

 セイの捕まっている独房だ。セイはメイズの死を聞いた瞬間から動かなくなり、あれだけむき出しにしていた敵意も、鎖を引き千切らんという勢いで暴れていた身体も完全に停止させて、今はだらんとその身を投げ出している。

 シエルがどのようにしてここに入ってきたか、など。問うまでもない。彼女が"英雄"だというなら、それも可能だろう。

 

「嘘を吐くのは、それほどまでに辛いのかしら」

「ああ……胸が引き裂かれるようだ。嘘を吐くことが、ではない。……沢山の人の誇りを踏みにじった。この国の兵も、民も……イース殿も、メイズ殿も」

「こうでもしなければこの国は折れていたでしょう。最高指導者がゾンビだった、なんて事実をそのままに伝えたら、こうも活気づくことは無かった。貴方の行いは正しいわ、"英雄"さん」

「慰めはいらん。……それより、お前は自分の国へ帰ったらどうだ。このゾンビの活動停止現象……この国の周辺だけではあるまい」

「そのようねぇ。世界各地でどんどんゾンビが減って行っている。この速度なら、一週間も経てば世界からゾンビはいなくなっているんじゃないかしら」

「我々の足掻きを嘲笑うかのような速度だな」

「結果の伴わない努力と、結果の得られた近道。どちらが褒め称えられるかしらね」

「勿論後者だろう。どれほど過程に美しきものが詰まっていても、人類が絶滅していたら意味が無かった。……歯痒く、悔しい話ではあるがな。だが、俺も"英雄"の一人として……この結果を評価する」

 

 シエルはその答えに、にっこりと微笑んだ。

 そして、その身をシンへと寄せる。

 

 突然の行為に額を顰めるシン。

 

「何のつもりだ」

「私、強い人が好きなのよ。貴方は十二分。身体能力も、心の強さも。ねぇ──結婚しない?」

「……ふざけるのも大概にしてくれ」

「あら? ふざけているわけではないのよ。一応この国の事も考えての事。ほら、この国は今"英雄"と参謀を喪って、彼らを思い、彼らに突き動かされる事で奮い立っているでしょう? けれど、いつまでも続くものではないわ。ゾンビの脅威だけでなく、この先、この国が生き残り続ける……そのためには希望が必要だと思うのよ」

「希望」

「ええ、そう。私達はこの国の人間ではないけれど、"英雄"よ。"英雄"と"英雄"の子供……ね、十分な希望になると思わない?」

 

 "英雄"が遺伝するかどうかはわからない。ゾンビが発生して、伴って"英雄"が発生してからまだ一年と経っていないのだ。"英雄"の法則性などわからない。

 けれど、そんな短期間に幾つもの国が死滅し、数多くの人間が命を落としたのだ。人々は不安だろう。もしそこへ、"英雄"同士の子が生まれ、その子供が驚異的な身体能力を見せたら。"英雄"の素質を、欠片でも見せてくれたら。

 

 それは確かに、希望となる。

 

「だが、私には妹を見届けるという義務が……」

「それも、問題ないようだけれど」

「!」

 

 鎖に繋がれ、身を投げ出していたセイ。

 その体が──砂に戻っていく。足先、指先、髪の先から、サラサラと、砂に。

 あまりにタイミングが良過ぎるその"自壊"に、けれど前例を知らぬシンは気付けない。

 

「セイ……」

「砂人形はゾンビに対抗するために配置されたものよ。貴方の国でもそうだったでしょう? 私の国にも幾体かいたわ、砂人形が。彼ら彼女らに尋問をした事があったの。砂人形は、自分達は人類を減らし過ぎないようにするための措置で、その役目が終わればただの砂に戻る、と言っていたわ」

「……」

「ゾンビの脅威は人間に対処できる程度にまで弱まって、メイズという目に見えぬ敵も消えた。ああ、敵というのは、妹さん視点の話よ。だからそう怒らないでくれる?」

「セイは……妹は、役目を終えた、という事か」

「恐らくは、だけどね」

 

 砂になっていくセイ。当然四肢を繋いでいた鎖も外れ、カラン、と音を立てる。

 一度は己が槍で潰した彼女の四肢。砂となり、再生したソレがまた崩れていく様は。

 

「……安らかに眠れ、セイ。俺はもう少し、やるべき事をやってから……そちらに行く」

 

 裏切られていようと、本当の兄妹でなかろうと。

 その眠りを、祈るくらいは。

 

 イース。メイズ。セイ。

 どうか安らかに、と。シンは祈りを捧げた。


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