世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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トケールセル-復活の章
トケールセル-ありがとう、と口にするために。


 土がバン、と弾けた。突き出てきたのは──腕。

 腕はグネグネとしながら土を掻き分けていく。乾燥した土地の土は些か硬い様子であったが、的確な動きと共に地に開いた穴は大きくなっていく。

 穴から突き出る腕が二本に増えた。掻き分けるスピードも上がる。

 そうして。

 

「──ッ、っはぁ! ……っはぁ、はぁ、げほっ」

 

 思い切り身体を押し上げ、出てきたのは──少年。痩せ細り、控えめに言って健康状態が良いとは言えない容姿の少年は、なんとか地中から全身を抜き出して、大の字に四肢を投げ出し、仰向けに倒れた。一息。

 満天の星空は綺麗と言えば綺麗だが、荒野であるせいで寒さが強い。寒さが強い。寒い。

 

「寒い……か。ふぅ、やっぱり、僕は」

 

 震える腕を持ち上げる少年。

 雲一つない空は月明かりを強く通し、彼の肌色をしっかりと映し出した。

 

 そこに灰緑色は存在しない。

 

「生き返った……か。はぁ、お腹が空いた」

 

 最後の記憶はメイズを探しに行ったあの日。路地裏で、砂を見つけた。その後、その後……。

 そこから記憶が存在しない。最後、何か声を聴いたような気がする。恐ろしい声。少年自身の名を呼ばれたような気がする。

 けど、気が付いたら暗い土の中だった。棺の類を用意する暇がなかったのか、本当に簡素な……穴をあけただけ、というような場所で目が覚めた。

 冷たい土の中であったが、全身に巻かれていた温かい布でなんとか寒さをしのいで、今だ。

 

「……生き返った、か。でもこれだと……死んじゃうなぁ」

 

 諦観の溜息を吐く。

 空腹はとうに限界値を超えている。脱水も危険域だ。筋肉痛も酷い。

 外傷らしい外傷はないけれど、もう、自ら食料や水場を探しに行くことなど出来そうにない。

 

 折角生き返った、けれど。

 もう、死にそう。彼女を幸福にできないという恐怖が身体を苛めど、もうどうする事も出来ない。

 

 少しずつ浸ってくる死に身体を委ね、眠ることくらいしかできない。

 はずだった。

 

「あ、いたぞ! おっさん、生存者だ!」

「すぐに行く」

 

 少し離れた所から聞こえてくる声。快活な少女の声だ。少しガサツな印象を受ける。

 声の主は足音と共に少年の方へ向かってきて、それに追随するように強い足音が地を鳴らす。

 首を傾ける事さえできない疲労は、しかし少年の顔を覗き込んだ少女によって無用となった。

 

「おーい、生きてるか? ……生きてるな! おっさん、水とスープ! ほらほら早く!」

「焦るな焦るな、健康状態によってはスープすらも劇物だ。……ん?」

「え……」

 

 少女。少女だが、その顔は。

 

「お前は、イース……か? "英雄"の」

「英雄? 何言ってんだおっさん。って、そんなことより震えてるぞ! 荷物に毛布持ってきてたか?」

「ここで温めるより拠点に戻った方が良いだろう。……話はそこで聞く。今は、自分の幸運に感謝してくれ」

 

 付いてきた方。巨漢が少年を担ぎ上げる。

 一切揺れる事のない運搬走法は少年に負担をかけることがない。冷たい風にさえ晒される事なく、少年はそこへ運ばれた。

 

 そこ──。

 荒野にポツンと輝く光。簡易なテントが建てられ、周囲には枝木で編まれた柵がある。

 入り口に立っていた男性が一瞬顔を顰めるが、二人の姿を見るなり警戒を解いた。どうやらこの場所では相当顔が利くらしい。

 周囲の情報をなんでもかんでも処理していく。ただ、あの頃よりキレがない、気がする。頭痛も激しい。情報過多、なのだろう。

 

「う……暖かい」

「おう! とりあえず水飲め水。()()()()()()()は脱水で死にやすいんだ、水を飲め!」

「あんまり無理強いをするなよ……」

「うるせぇなぁ、わかってるよ、おっさん」

 

 気になる単語が聞こえてきた。けれど身体は、疑問の解消の前に命を繋ぐことを欲しているらしい。水といっても冷たいそれでなく、ぬるく温められたお湯──それを、ちびちびと飲む。

 雨に当たる事で得られる水分でなく、喉を通り抜ける命の液体に、活力というものを久しぶりに感じた。

 

 生き返った。

 強く強く、実感する。

 

「落ち着いたらスープもあるからな、チビ! 固形物は流石にキツいだろうから、スープだけだ! 我慢してくれ、お前のためなんだから!」

「ん、あぁ、大丈夫。僕の胃が限界まで縮んでいるだろう事はわかっているよ。恐らく、半固形物であろうとも消化できないってことも。お気遣いありがとう」

「お、おぉ……。おっさん、最近の子供ってすげーな……」

「最近の子供、ね」

 

 少女が少女らしく驚いているのに反して、少年を運んできた巨漢は懐疑的な目線を彼に向けている。

 少年にとってはどちらも知己であるはずの二人だが、片方は完全に忘れていて、片方はそのおかしさに気付いている、という所だろう。

 

「……ふぅ。あぁ、ありがとう。水を飲む、というのは……本当に、落ち着く」

「……おい、ちょっとあっち行ってろ。他の奴らの確認を頼む」

「そりゃいいけどよ、おっさん。アンタ自分の顔が怖いって気付いてるか? チビに詰め寄ったりすんなよ、泣かれても知らねえぞ」

「余計な世話だ」

 

 巨漢が少女を追い出す。

 話があって、尚且つそれを早期に解決したいのだろう。もし似たような立場にあったら、少年だって同じことをする。

 

 少女がテントを出て行ったことを確認し、さらに周囲に人がいない事も確認した巨漢は、神妙な顔つきで少年の前に座った。

 

「イース。あの国の、"英雄"……で、間違いないな」

「うん。間違いない。"英雄"ジョゼフ……あの日、君達二人と応対した"英雄"の片方だよ」

「そうか。……俺達が出て行った後、ゾンビになったのか?」

「まぁ、そんなところ。……さっき彼女が、生き返った奴ら、と言っていたけど」

 

 本当の事を言う必要はないと判断した。目の前の男は人の良い"英雄"であると、知っていたから。

 

「ああ。もう察しているだろうが、ここはかつてゾンビだった者達の集められた場所だ。ゾンビとなり、けれど人間に戻り、生き延びた者達の集う場所。俺をはじめとして、動ける奴らはそういう生き返った人間を探し、保護を行っている」

「生き返った……」

「数日前から、大陸を不可思議な波が覆った。その波は行動しているゾンビの全てを行動停止に追い込み、彼らを人間へと戻した。致命傷の無かった人間はその場で生き返り、しかしお前のように飢餓や脱水で倒れて行っている。……俺達だけじゃない、各地の"英雄"が似たような事をしていると聞いている」

「ゾンビの脅威は、去った。そういう事かな」

「……まだ、なんとも言えん」

 

 ランプの灯りが揺らめくテント。

 かつては荒野にいようものなら全方位から聞こえていた呻き声も、聞こえる事は無い。静かだ。静寂に包まれた冬の荒野。

 少年……イースは、自身の手を見た。

 顔料に偽られたソレではなく、しっかりと明るい色をした肌。

 

「マザーは?」

「……大陸を覆った不可思議な波。それを作り出したのが、お前達の言っていた砂人形だ。つまり、マザーと……そいつらの仲間だろう。奴らは夥しい数でもって数多のゾンビを活動停止させ、大陸の中心部に向かって消えていった」

「死んでない、ってことだね」

「そうだな。……これは、"マルケル"……マザーと共に行動していた、アイズと名乗るゾンビから齎された情報だが」

「……アイズ」

「マザーは新しいゾンビ化細菌を完成させていたらしい。それにより、既存のゾンビ化細菌は無用の長物となり、それに罹患した者たちも用済みとなった。故に人類を滅ぼしかねない既存のゾンビ化細菌保有者を停止して回っていたそうだ」

「それは……不味いね」

 

 ああ、と頷くジョゼフ。イースは思考を巡らせる。

 新しいゾンビ化細菌なるものがどういうものかはわからないが、これはただ、ゾンビの脅威が去ったと一概に言える事ではないのかもしれない。

 先ほどジョゼフの歯切れが悪かったのはそういう事だろう。

 

 既存のパンデミックは終わりに近づいている。単なるゾンビ化と、"マルケル"化。

 あるいはそれを第一期ゾンビと呼ぶのなら、イースを含むナンバーゾンビは全員第一期。その不可思議な波にイースも飲み込まれたのだろうか、それであんなところに埋められていたのだろうか。

 

「そうだ、あの少女……彼女も"マルケル"じゃなかったかい?」

「ん。まぁ、そうだな。アイツも"マルケル"で、アイツは自ら死にに行った。驚いたよ、アイツが倒れて、呆けていたら……突然息を吹き返すんだ。苦しみに喘ぐアイツを介抱してやったら、開口一番"誘拐か?"だ。殴らなかった俺を褒めて欲しい」

「記憶は、ない。そういう事かな」

「成程、そういう観点か。……そうだな、アイツに"マルケル"であった頃の記憶はないらしい。ただ、妙にアイツに似ているというか、アイツを彷彿とさせる行動を取る事がある。それが元の少女の性格であるのか、"マルケル"に影響されているのかまではわからん。アイツを元から知っていた、という事は無いからな」

「他の"マルケル"ゾンビは?」

「知らん。そいつが元々も"マルケル"ゾンビだったのか、はたまた他のゾンビであったかなんて俺に知る由もないだろう」

「それは……そうか。そうだね」

 

 いつもより思考速度が遅い。

 ジョゼフの話を信じるのなら、イースのゾンビ化細菌は完全に活動を停止している。イースの情報処理能力の高さはゾンビ化細菌あってのものだ。ゾンビ化細菌がもう一つの脳の役割を果たしていたからこそ、彼の知能は非常に高い領域にあると言えた。

 今の彼に残っているのは、当時の思考回路における"考え方"と"物の見方"くらいで、処理能力自体は子供の頃……生前にまで戻っていると言っていいだろう。

 

「……大陸中心部」

「ああ、そこに何かがあると俺も見ている。だが……」

「ここの人達を、放っておくわけにはいかないね」

 

 一瞬、元の国に頼む、という事も考えた。

 考えたが、あの国にはもう関わらない方がいいだろう、という結論に落ち着く。

 

 あの国はイースを神聖視しすぎていた。そこへ蘇っての帰国、など。

 ゾンビとして処理されるか、偽物として敵視されるか──聖なるものとして、崇められるか。

 なんにせよ、いい結果に終わるとは思えない。

 

「僕にはもう、"英雄"だった頃の力はない。ゾンビになって、全てを失ってしまったみたいだ」

「そうか」

「うん。けど、考える頭は残っているつもりだよ。……もしもの時の陣頭指揮は、まだ出来ると思う。避難誘導もね」

「そんなことをさせたら、アイツにどやされるな」

「使えるものは使うべきじゃないかい?」

「使う必要がないから言っているんだ。……ここにいる奴らは、生き返っただけの一般人が多い。だがな、立ち上がった奴はいっぱいいる。心の弱いヤツに年齢は関係ないが、それと同じくらい、今手にした希望をどうにか手に留めんと抗うヤツだって多いんだ。お前が思っているより、人間は強かだぞ」

 

 人間、という言葉を使われて、イースは少しだけ身を固めた。

 ……確かにイースは、子供だ。大人を信じる前に大人に信じられた子供。失望とはまた違うけれど、期待をしているかどうかと言えば、わからない。同じく彼女も子供であったし──。

 

「そうだ、メイズ」

「ん」

「メイズ……僕と同じくらいの、小さな女の子を知らないかい?」

「保護はしていないな。……そもそも子供の生還者は少ないんだ。大抵はすぐに死んでしまう」

「そ、っか」

 

 メイズは砂人形ではない。

 メイズはただの小さな女の子だ。

 イースと同じくらい頭のいい、ゾンビ化細菌を失ったイースならば負けてしまうくらいの頭のいい女の子。

 あの日、行方不明になった彼女は、どこへ行ってしまったのか。

 

 見つかっていないなら、死んでいないかもしれない。

 

「……じゃあ僕は、これを希望にしようかな」

「そうか。それなら、早い所身体を健康に戻すといいぜ。さっきはああいったが、人手は足りねえんだ。健康になったらバリバリ働いてもらう」

「もちろんさ。……ここが落ち着いたら、ジョゼフ。貴方は……」

「……落ち着いたらな」

 

 消極的、にも見えるだろう。

 原因が、あるいは新たなる脅威を止められるかもしれない機会を前にして、"英雄"が。

 

 人類を救う──。"英雄"の使命。

 

「おっさん、ちょっと来てくれ! ちょっとこれは、()じゃわかんねぇ!」

「ん、今行く」

 

 ジョゼフがテントを出て行く。

 揺らめくランプ。毛布にくるまり、お湯を飲む。

 

 イース。この名はマザーに授かったものだ。

 ……けれど。

 

「生き返っても、生前の僕ではない。もう。それに……」

 

 メイズにまた、イースと呼んでもらいたいから。

 

 ──夜が過ぎていく。

 いずれ、生還者達のキャンプと呼ばれる保護団体の、始まりの一幕であった。

 

 

 

 Θ

 

 

 

 そこには、湖があった。

 静謐な湖だ。周囲には雄大な土地が広がり、連なる山々が荘厳に聳え立つ。

 荒野と称するには緑が多すぎるけれど、森と言うには背が低すぎる。

 草原だ。ただただ、草原。草の原。

 無数に揺らめく影は、しかしゾンビでなく、牛や馬。

 

 整備されていないユルタが未だぽつぽつと建ってはいるが、人の姿はない。

 

 波一つなく、風も吹いてはいない。

 "最後"という意味を持つその湖の畔。

 

 そこに一つ、影が出来た。

 今まで存在しなかった人影だ。

 

「悲願を、成す」

 

 一言。

 呟かれたたった一つの言葉で──草原から、それらは立ち上がる。

 あるいはゾンビのそれにも見えた事だろう。

 

 砂から形成される人影は地中より這い上がる幽鬼のようで、その光景は不気味の一言に尽きた。

 老若男女問わず、ヒトガタが形成されていく。人種や容姿もバラバラだ。まるで、今まで収集してきた人間という生物のパターンをランダマイズしているかのように。あるいはモンタージュしているかのように。

 誰一人として同じ見た目の者はいない。砂から作り出された人形。砂のゴーレム。

 

 それが全大陸中へ、放たれた。

 

 放たれようとした。

 

「ストップ」

 

 その声がしっかりと響き渡ったのは、聞き覚えのある声、だったからだろう。

 ズァ、と夥しい数の双眸が声の主を見つめる。

 

 そして、驚いた顔をした。

 

「……や、そんなに見つめられると照れるかも」

 

 個体名エタティミ。

 あるいは、マザーと。そう呼ばれる個体。

 一度は破壊され、しかし掘り起こされる事で再起動し、新たなる悲願達成の細菌を完成させた個体だ。

 とある国を最後に連絡の取れなくなっていた個体であるが、戻ってきていたのか。

 それにしては何故、彼らを止めたのか。

 

「うん。ごめんね、毒されちゃった」

 

 理解が出来なかった。

 彼らは同じである。オリジナルを含め、あらゆる個体が、総てのゴーレムが同等の性能を持っている。

 そして辿り着く結論(さき)も、見る事の出来る未来(さき)も、同じなはずだ。

 

 凡そ九世紀の間、そうだった。

 それが、どうして。

 

「他の個体は──フィードバックしてはいけないって、自ら尻尾になったんだろうね。自ら尻尾になって、自ら離脱した。だから私達は今まで、私達であり続ける事が出来た。確かにこれは毒で、私達の根幹に関わる。悲願は変わらない。悲しみたくない、という思いは今でも変わっていない」

 

 けど、と。

 マザーは言う。

 

「ごめんね。私が毒された答えに、みんなを巻き込むよ」

 

 突然、周囲にいた人形たちの身体が崩れ出す。

 破壊された時とも、自壊を選んだ時とも違う。ぴしぴしと音を立てて、崩壊していく。

 

「単純でごめんね。ただの言葉なんかに惑わされてごめんね。今まで自壊を選んで、私達を生かそうとしてくれた子達も、私達の悲願を何が何でも果たそうとしてくれた貴方達も、自らの役割を十全に果たしてくれたあの子達も……みんなに、ごめんねを言うよ」

 

 その崩壊は、しかしマザーには届いていない。

 恐ろしい数のゴーレム達だけが、苦しみの声を上げることなく崩れ落ちていく。

 

 何故だ、と誰かが声を上げた。

 どうして、と誰かが声を上げた。マザーを睨みつけて、崩れて、それでもまだ崩れていない誰かが声を上げる。糾弾する。

 

「私達は頑固で、一か百しかないような性格で、思い込んだらそれが真実と誤認してしまうくらい、弱い精神をしている。私はもう、思い込んでしまった。本当なら記憶の一部消去で済んだことなのに──あの時に現れた製作者が、私を再起動してしまった。インストールされた毒素は全身に回ってしまったの。もう、だめだった」

 

 大きく鼓動が鳴った事を、果たしてどれほどの人数が気付けた事だろうか。

 近くにいた者でも気付かない者はいただろうし、遠くにいた者でも気付いた者はいただろう。

 

 マザーから、鼓動が。

 それはあり得ない。だって彼女も、砂人形だ。

 

「出来る事があるから──出来る事がありすぎるから、全力を賭せない。人間の方を変える、なんて邪法を思いついてしまう。私はそれを答えと見定めた」

 

 ──"自分の心が壊れないよう全力を賭して、最期に感謝を伝えられるような"

 ──"死後の息災を、願えるような"

 

「私は悲しみを得たくはない。私は未来の誰かと仲良くなって、未来の誰かと愛し合うかもしれない。その時、出来る事があり過ぎたら、困る。だから、私にとって、ただ私という個体にとって手足である貴方達を──停める」

 

 あまりにも独善的。それまでが同個体であったとは思えない、恐ろしい程に自分勝手な結論。

 砂人形の一体とは到底思えない。人間のために作られたゴーレム。その複製体。どうしてそれが、そんな身勝手な答えに至る事が出来るのか。

 

「もしかしたら、荒野の風に吹かれるミザリーの砂を取り込んだのかもしれないね。そんなことまでは、わからないけれど──うん」

 

 不便を楽しむ。不理解を楽しむ。出来ない事を、出来ないと受け止める。

 届く手の範囲が狭いのなら、届く範囲だけを死守しよう。広げてしまえば悲しくなる。遠くを見ては悲しくなる。

 

 マザーは、笑った。

 

「私は、未来に親しくなる誰かが死した時、悲しみたくないから──今いる貴方達を、殺します」

 

 最後に、meth.と呟いて。

 

 今まで吹いていなかった風が強く吹いた。

 淡水の湖に波を立て、砂山の砂が大きく空へ舞う。

 

 それを見送って、彼女は踵を返す。

 

 暗がりへと身を落とし──そうして。

 大陸の中心部。最後の名を持つ湖には、もう。

 

 誰もいない。誰もいない。

 誰も、いなくなった。

 

 

 

 χ

 

 

 

 リザを殺す方法。

 それは酷く単純なものだった。

 

 彼女はゾンビ化細菌と違い、あくまで単一の生き物だ。

 他者の脳へ自身を侵入させ、乗っ取る生態。その際、元の宿主は捨てられる。

 だから、その乗っ取りの瞬間に出てくる本体を殺す。ただそれだけ。

 

 ワイニーやイヴの証言から、リザの今の姿がわかった。ヴィィが以前会った姿からは変わっていたので、そこで移動が起きたのだろう。

 リザは宿主を乗っ取るが、宿主が死んだ所で彼女が死ぬわけではない。

 前の宿主は何かしらの要因で死んだと思われる。それで、近くにいた人間に寄生した。

 

 なら、今の宿主を殺し、そこから這い出てくるリザをワイニー達四人で殺してしまえば、終わり。

 

 そう結論付けた。

 

「問題は」

「どうやって誘い出すか、どうやっておびき出すか……そもそも、どうやって殺すか」

 

 あの地下室で、帰ってくるリザを待つ、というのも手の一つであると言えただろう。

 けれど、あそこはリザの胎の中も同じだ。ウィニの記憶にある様相からはかなり変化しているし、ワイニーもイヴもすべての機能を知っているわけではない。

 もし、抗菌薬の類を簡単に噴射出来る機能があったとしたら、ワイニーとイヴは無事でもウィニとヴィィは停止してしまうだろう。それは、単純に勝率を下げる結果となる。

 

 故に今、四人はヴィィの迷い込んだとある林の中にいた。

 

「恐らくだが、リザはあの国にいる。人間の国だ。そこには"英雄"が一人いて、そいつは控えめに言葉を選んでも化け物といって差し支えない。もう一人"英雄"がいて、そいつはまぁ、イースなんだが……」

「イース。これまた随分と懐かしい名前ね」

「正直、協力を仰ぐのは難しいと思う。アイツは人間に与しているからな。ともすれば、俺達は討伐対象として追い掛け回される未来しか見えん」

「イース……」

 

 ヴィィは会った事がないナンバーゾンビだ。イヴにとっては、一応お兄ちゃん、ではある。

 

「そうだ、イヴ。エインはどうしたんだ? 一緒に行動していたんじゃないのか」

「わかんない」

「……そうか。ウィニ」

「ヴェインの行方なんか知らないわよ、私」

「そうか」

 

 正直手詰まりだ。

 解決法はわかったが、手段が無い。

 あるいはやはり、地下室に戻って待ち伏せか。その勝算の無い賭けに出るしかないのか。

 

「やぁ諸君、お困りのようだね」

 

 噂をすれば影が差すし、悪魔の話をしたら悪魔が来るものだ。

 四人の内二人はその声に顔を顰めた。

 

「あぁ、近づかれると困るので、声だけ送らせてもらうよ。私はしがない情報屋のフュンフだ」

「ヴェイン、何の用?」

「気持ちの悪い演技は止めろ、ヴェイン」

「……ウィニに言われるのならともかく、そこな見知らぬ少年に言われる筋合いは無いのだが」

 

 姿を見せることなく苦言を呈すはヴェインだ。

 裏切り者、ヴェイン。ウィニからすれば、勝手にどこかへいって、帰ってこなくなったヤツ。ウィニもワイニーもヴェインが何かしらで役に立つとは思っていないから放っておいたけれど、今更何の用だというのか。

 

「一応かつての仲間として、耳寄りな情報を届けに来たのだ」

「……私達がここにいる事を知っている、というのがどれほど貴方を怪しむ理由となっているのか、わからないわけでもないでしょう」

「それについてはなんとも言えんな。むやみやたらに情報ソースを明かす程、私は愚かではないのでね」

「聞くだけ聞いて、自分で判断しろ、というんだろう。しかしその情報は俺達にとってクリティカルで、真偽がどうあれ動かなければならない……そういう話しかしない。お前はそういうヤツだよ、ヴェイン」

「ふむ。その話し口、もしやお前はアイズか? あるいは"マルケル"か」

「ワイニーだ。アイズはかつての名だな」

「そうか。ふふ、おかしなものだ。我らナンバーゾンビが、ここに五人も集まっている。あの島は無人となったというのに」

 

 ヴェインはくつくつと笑って、何かを放って寄越した。

 そちらの方向にいるのかとイヴが腕を伸ばすけれど、何もいない。単純な好意で伸ばされたその腕であるが、今のヴェインにとっては致命的だ。多少、驚いたに違いない。

 

「私は今、生還者を補助する活動を行っていてな。難民の保護を求め、かの国に向かう手続きを終えた所だ」

「……アンタ、人間に戻ったのね」

「察しが早くて助かる」

「ニンゲン、……戻る、方法。ある、の?」

「故意に戻ったわけではない。いつの間にか戻っていた、が正しい。下手人がマザーなのか、はたまた別の何かなのかは知らん。だが、私はもう人間だ。故にゾンビ諸君とは仲良く出来ないのだよ」

「はいはい、その自慢はどうでもいいから。これは、何。何かのメンバーリストのようだけど」

「難民の名を署名する紙さ。まだ枠が余っている。君達の目的は、あのシエルという名のエージェントだろう?」

 

 その名を聞いて、ワイニーだけがようやく得心の行ったように頷いた。

 

 彼には覚えがあったのだ。

 シエル。その名を持ち、あの容姿を持つ──かつて島に来ていた、エージェントを。

 

「成程、成程。ヴェインもよく島にいたから、覚えていたか。だからこそ気付いた。あの女性は某国のエージェントだが、この国に属する者ではなかったからな」

「彼女は今"英雄"を名乗り、もう一人の"英雄"と共にいる。あそこまで怪しい存在はそうそうおるまいよ。そしてそれが、我々()()の、最後の脅威となるのだろう?」

「あまり強調しない方が良いわ。仲間意識の向かない今の貴方なら、殺したところで罪悪感が湧くことはない。いいのよ? その生還者を襲って、またパンデミックを起こしても」

「それは勘弁願おうか。折角人類は持ち直し始めたのだから……と、お遊びはここまでにしておこう。名前を書くと良い。そして、こちらの用意した顔料を肌に塗るんだ。残念だがイヴだけは行くことが出来ないが……」

「なんで?」

「君は、特徴的だからな」

 

 それは彼なりの優しさなのだろうか。

 この場において、イヴだけが特異な見た目をしている事に対しての。あるいは、作戦の成功率を考えた上で、適切にあしらっただけなのかもしれないが。

 

「……いや、俺だけが行く」

「ほう?」

「俺はリザにも、そして"英雄"シンにも顔が割れている。難民として行けば、必ず怪しまれるはずだ。"英雄"シンは専守防衛気味だからな、来るとしたらリザの方だ。おびき出すにはもってこい、だろう」

「そうか。ただそうなると、名は別である方が良いな。偽名を使いたまえ」

「ああ、そうさせてもらう」

「それじゃ、待ち伏せの場所や罠についても話し合っておきましょう。ヴェイン、その受け入れはいつなの?」

「明日の正午だ」

「……ま、なんとかなるでしょう」

 

 リザを殺す、その方法。

 ゾンビと、人間と、人間でもゾンビでもない者達の議論は、夜更け過ぎまで続いた──。


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