世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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完結になります。


トケールセル-ありがとう、さようなら、と。

 かつてゾンビであった者達が、人間として還ってきている──。

 その話は噂ではなく現実の事として、この国にも伝わっていた。どんな奇跡か、何の地獄か。

 もう感染の心配は無い──そう聞かされたとしても、はいそうですか、と受け入れる事は難しい。人間とは元より排他的な生き物である。一度危険性を見せた者に対し、歩み寄る事の出来る者がどれだけいるか。

 それでも。

 それでも、彼らを排除し、難民としてこの国に縋ってきた彼らを拒否する、というのは、出来なかった。

 "英雄"イース。彼は子供の身でありながら、死して尚この国を、果ては人類を守り通した伝説である。

 

 彼に顔向けの出来ない行為は出来ない。自身らの感情がどうであれ、そこだけは譲れない。

 

 それが国民の意思だった。

 

 だから、残された"英雄"シンはその受け入れを承認する事にしたのだ。

 

「……」

 

 その上で、悩む。

 あちらの代表から渡されたメンバーリスト。

 ヴェインから始まる数十名の最下部に書かれた、レヴェロフの文字。

 

「どうして、君がそこに……」

「どうかしたのかしら?」

「……シエル」

 

 あれから一応、この国の守護者としてこの国に住まう事となったシエル。"英雄"としての身体能力は十分で、ほとんどが討滅されたゾンビの残党退治でも申し分ない実力を見せつけた。元よりシンも他国の"英雄"である。滞在期間は違えど、立場は同じ。

 だからシンは、監視の意味も含めて、シエルを傍に置いていた。

 国民からはそこそこ受け入れられている様子、ではある。

 

「難民の受け入れリスト?」

「ああ。"英雄"ジョゼフを始めとした、各地の"英雄"によって生還者と呼ばれる人間が保護されている。彼ら難民を受け入れる、というのは、生き延びた国の義務でもあるだろう」

「……ふぅん。それで、そんなものを見て、何を悩んでいたの?」

「知った名前があった、というだけだ」

「へぇ」

 

 別に、同姓同名など珍しくは無い。響きこそシンに馴染みのないものだが、そんなことを言ったらこの国の民の名はすべて馴染み無いものだ。シエルやイース、ジョゼフなどの名も同じ。シンとセイの国が特殊な部類である、というのは勿論シンも理解している。

 だから同名の誰かである、とアタリを付けた。あの時にあった少年とこの難民は違うと。

 

「別に書面で決めつけないで、受け入れの時に確かめたらいいんじゃないかしら? どの道、現状この国の最高責任者は貴方で、貴方がチェックをしなければ、国民は安心できないでしょう」

「そうだな。……だが、どうしてだろう。妙な胸騒ぎがするんだ。俺はこの子に会ってはいけないような……」

「心配ならついていってあげましょうか?」

「ああ、頼む。この予感は、捨て置いてはいけない気がする」

 

 基本的には現実主義なシンだが、"英雄"としての直感は大事にする方だ。元々武人であるというのも大きいだろう。直感とはオカルティックなそれでなく、周囲の情報を限りなく収集した上での予測であると、彼は知っていたから。

 

「これから、こういう事は増えるだろう。……はじめの一歩だ。何事も無ければいいのだが」

 

 ここで躓けば、その後にも影響する。

 だから無事を願う。

 

 その願いは、果たして──。

 

 

 

 Я

 

 

 

 正午になった。

 門で一行を待つシンとシエルの前に、彼らは現れる。

 お世辞にも質が良いとは言えないローブを身に纏う集団。大人が多く、子供は少ない。集団の内の先頭を行く一人がローブを脱いで、シンの方へ手を差し出した。

 

「受け入れの承諾、感謝いたします。私はヴェイン。この一団でリーダーを務めている者です」

「俺はシンだ。"英雄"としてこの国の守護についている。難民の受け入れはこちらとしても必要だと思っての事。一応契約として、受け入れる人間の確認をさせて貰うが構わないか?」

「ええ、勿論です」

 

 どこか胡散臭さの残る男と共に、メンバーの確認を行う。名前を呼び、その者の顔を確かめていく。

 異常はない。事前情報通りだ。

 

 最後の一人を除いて、だが。

 

「……」

「ああ、すみません。この子はギリギリで目覚めたため、事前にお伝えしたリストには記載出来ておらず……」

「そこは問題ない。受け入れ枠はまだ余裕があるからな。それは問題ない、が」

「……が?」

「ヴェイン、俺はこの人と面識があるんだ。この人……シンはそれが気にかかっているんだと思う」

「ほう?」

「やはり、君なのか、レヴェロフ」

「ああ、あの朝出会ったレヴェロフであってるよ、シン」

 

 息を吐くシン。流石にそれは看過できないと、首を横に振った。

 そして近くの兵士に難民の誘導を言い渡す。彼らは大丈夫だ、"英雄()"が保証する、と。

 

 ヴェインを含め、兵士に保護用の建物へと案内されていく難民を余所に、シンはレヴェロフを止まらせた。

 

「……生還者とは、ゾンビから人間に還った者達であると聞いている。君はいつゾンビになったんだ?」

「さぁ、気付いたら、としか言えんな。少なくともあの朝は人間だったよ。俺が家に帰る事はなかったが」

「……そうか」

 

 それで、わかってしまう。

 彼の身に何が起きたのか。国内にいたのならそれはあり得ない事であるが、現実なって、還ってきているのだ。そこを否定する要素をシンは有していない。

 

「なぁ、同情するなら、少しついてきてくれないか?」

「どこへ?」

「墓だよ。両親の墓」

 

 もっともらしい誘い。

 シンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼の提案に頷いた。

 胸騒ぎはまだ、収まっていない。

 

 

 

 国を出て、十分ほど歩いただろうか。

 この国の周辺は荒野であるが、ところどころに亀裂のような崖がある。実を隠すには十分な崖が。

 

「ここだ」

「……」

 

 案内されたそこには、確かに墓があった。

 簡素な墓だ。盛り土と十字架。その十字架とて、枝木を組み合わせただけのもの。

 

「レヴェロフ、君の両親は、何故ここに?」

「俺に両親なんていないさ」

 

 その言葉と、シンが背負っていた槍を掴むのはほぼ同時だった。準備していた、というのもあるかもしれない。そんなわけがないと、心のどこかで悟っていた。

 しかし、それと同じくらいシンの行動を予測していたのがレヴェロフだ。

 彼の利き腕、その手頸を掴み、更に全身で彼に抱き着く。槍は達人が持てば取り回しの利く武器に化けるが、そもそも超至近距離に弱い、というのは技術でカバーのしようがない。ここまで密着されてしまえば、素の身体能力で引っぺがす以外の選択肢が無い。

 

 そしてその隙は、十分な時間。

 

「イヴ!」

「ん」

 

 レヴェロフが声を上げると、崖裏から灰緑色の腕が伸びてくるのがわかった。

 灰緑色だ。紛う方なき──ゾンビの肌色。

 

「レヴェロフ、君は……!」

 

 なんとか彼を振り払おうとするシン。

 そのシンの真横を、掠めるようにして腕が伸びていく。

 狙いはシンではない。察し、結論付け、叫ぶ。

 

「シエルっ」

「つかまえた!」

 

 "英雄"の動体視力をして、速いと言わしめるだろう速度で伸ばされた腕が、シンとレヴェロフを尾行していた彼女を掴み上げる。灰緑色の腕は彼女の胴にぐるりと巻き付き、大きく空へと持ち上げた。

 

「ヴィィ、どうだ!?」

「いる、よ……確実に、中にいる! リザがいる!」

 

 また違う声。伸びる腕の持ち主とたどたどしい口調の青年。一体どれだけ、仲間がいるのか。

 "英雄"の膂力をして、レヴェロフは剥がし得ない。子供の腕力ではない。だが、彼の身体の損傷を無視したのなら、槍を振るう事は出来る。

 

「っ、ヴィィ、避けろ!」

「え」

 

 声のした方向に槍を投擲する。背後だ。だから、穂先でなく柄の方での攻撃に成ってしまうが、速度と角度さえ合っていれば十分な威力は出る。

 事実、投擲後に背後でした轟音……己が槍が地に突き刺さる音で、その手ごたえを得た。その直前に聞こえた、肉を突き破る音と共に。

 

「あまり俺をなめるなよ、ゾンビ共──」

「僕、はいいから、リザを殺して、みんな!」

 

 シエルの胴体に巻き付いた灰緑色の腕。

 今までは彼女の身体を空に引っ張り上げていたその腕が、今度は地面に叩きつけんと急降下を始める。あの速度で頭部から叩き付けられたら、流石の"英雄"も一溜りもないだろう。シエルは頑強な"英雄"ではないのだから。

 故に彼女を助けるためには灰緑色の腕を斬り、彼女を受け止める必要がある。

 

 ポキ、という軽い音が鳴った。

 子供の骨が折れる音だ。

 

「ぐぅっ……!」

「痛むフリはよせ、ゾンビ」

「……ふふ、俺はゾンビではないさ、シン」

「何?」

 

 無理矢理レヴェロフの拘束を振り切って、背後のゾンビの腹に突き刺さる槍を引き抜いた。

 そしてそれを、そのまま投擲する。予備動作は存在しない。レヴェロフに妨害される事を懸念し、威力よりも発射速度を優先した彼の槍は、寸分違わず灰緑色の腕を貫き、引き千切った。

 それにより、元の速度はそのままに落下を始めるシエル。

 

「化け物め……!」

「シエル!」

 

 正直今のシンに、彼女への思い入れなどほとんど存在しない。

 けれど彼は"英雄"で、人助けのために全力を尽くす事の出来る性質で。

 

 レヴェロフに張り付かれたまま、彼はシエルの落下地点に間に合う事に成功した。

 

「ウィニ!」

 

 それも、わかっていた。

 もう一人仲間がいる事くらい。シンの足止めをするレヴェロフ。何かしらの確認を行う背後のゾンビ。シエルの拘束を行う長い腕を持つゾンビ。

 決定打となる者が足りない。

 だからそれが、どこかに隠れている事くらい、わかっていた。

 

 もう彼の手に槍は存在しない。

 しかし彼は"英雄"で、投擲に長けた存在だ。足元の小石でゾンビの頭を打ち抜くことに、何の障害もない。

 レヴェロフが呼びかけた方向。そちらに見える──見えた輪郭の一筋を認識した瞬間、そこへ小石を飛ばした。銃弾もたるや、という速度で飛来する小石は、寸分違わず最後の一人の頭部に着弾する。

 

 する、はずだった。

 

「きゃ!?」

 

 短い悲鳴。女のもの。けれどそれは、頭部が破壊されたことによるものではなく、何か想定外のアクシデントがあったからのように思える悲鳴。

 そのアクシデントで身がよろけたのか、小石が頭部に当たる事は無く。

 

「死んで!」

 

 直後現れた、もう一本の灰緑色の腕が、シエルを弾き飛ばし、シンの届かない地面へと叩きつけた。

 

 

 

 Ъ

 

 

 

「よいしょ、と」

 

 ──その軽い声は、どれだけの絶望を振り撒いたことだろう。

 一瞬時間が止まっていたかのように彼女の死を見るしかなかったシンさえも驚いた顔をする。明らかに死ぬ速度で、角度で地面と衝突したシエルが、なんでもないかのように、皆を見る。

 見て、言った。

 

「甘いわぁ、どこまでも。その程度で殺し得ると思っているのなら大間違い」

「大丈、夫……なのか、シエル」

「私は"英雄"よ? これくらいの怪我で死んでしまうようなら、今ここにいる事は無いわ」

 

 シエルは胴体に巻き付いた腕を解く。ゾンビの腕だ。すぐにでも洗い流さなければ、万一が考えられる。

 

「さ、シン。とっととこのゾンビ達を……最後のゾンビ達を、討伐してしまいましょう」

「あ、ああ……」

 

 言い淀みながらも、シンは身体に張り付くレヴェロフに手を掛けた。

 骨が折れ、筋肉が千切れる嫌な音を立てながら、少年は剥がされていく。

 

「……諦めろ、レヴェロフ。君がどうしてゾンビに与しているのかは知らないが、もう無理だ」

「──十二分、さ」

 

 それはまさしく埒外の攻撃と言えただろう。

 完全な知覚外。シンの優れた気配察知能力にも、シエルの人外染みた周囲観察能力にも引っかからない、あまりにも遠方からの攻撃。

 

 飛ぶ斬撃。

 

 "英雄"ジョゼフの代名詞が、シエルの身体を確実に切り裂いた。

 

「な──」

「ヴィィ、イヴ、ウィニ! 逃すなよ!」

「う、わ、わかってる」

「うん!」

「ふぅ、一時はどうなる事かと思ったけど」

 

 べちゃ、と音を立てて倒れるシエルの身体に、先ほどから対峙していたのだろうゾンビ共が群がり始めた。まさか彼女をゾンビにする気かとシンが奮い立つも、どうしてか、身体が動かない。

 レヴェロフの拘束ではない。

 見ればいつの間にか、足に砂が絡みついていた。

 

「まぁ、大人しく見ていてくれ。俺達が何をしたかったのか」

「……人殺しの先に、何があるというのだ。そこから得られるものなど……」

 

 どさ、と。

 レヴェロフが力尽きたように地に落ちる。彼の四肢、関節、その他諸々の骨や健はバラバラに折れ曲がり、千切れ果てている事だろう。

 額に脂汗を浮かべ、しかし笑うレヴェロフ。その視線の先で、それは起こった。

 

「ぁ、カ……う──」

 

 胴体を斜めに一閃されたシエル。故に傷なく残っている肩より上……その表情が、苦しみに歪み始めたのだ。誰がどう見ても、もう死んでいるというのに。

 シエルは舌を突き出し、何かに喘ぐ。苦しみか、それとも──吐き気か。

 

 ぐじゅり、と音がした。

 水音だ。

 彼女の中から、ぎゅる、ぎゅる、じゅるり、ぐじゅ、と……凡そどのような者が聞いても不快に思うだろう肉と水の混じり合う音が周囲に響く。

 

 そして。

 

「なんだ、あれは……」

 

 シエルの口から、耳から。あるいは切断された食道から、鼻から、断面の見える肺から。

 白く、ウネウネとしたものが出てきたではないか。

 

「み、んな! リザ、だよ、間違いない! リザを殺さないと──殺さないと!」

 

 白いウネウネはシエルの身体から這いずり出すと、そのまま身を伸ばし、蛇のような動きで移動を開始した。しかし、行く先々でそのウネウネを潰さんとするゾンビ達に阻まれ、次第に逃げ場を失くしていく。

 素早い動きだ。避ける避ける避ける避ける。

 

 シンは、先ほど投げた槍が足元に置かれている事に気付いた。

 足に纏わりついていた砂が無くなっている。

 

「……レヴェロフ」

「俺の本当の名は、ワイニーという」

「成程──マザーについて知る者。すべての鍵となる者。彼らの探していた──ゾンビの少年」

 

 槍を掴み、それを投擲した。

 速すぎる動作を誰も追う事は出来ず──それに着弾する。

 

 他の何を傷つける事も、何に阻まれる事も無く、白いウネウネとした……寄生虫を、一擲で。

 

 ソレは槍に突き刺された瞬間、ビクんと大きく跳ね……そして、動かなくなった。

 染み行くシエルの血液が、当たりを真っ赤に染めていく。

 

「ふぅ……」

 

 呼吸は必要ないだろうに、一息を吐くゾンビ達の方へ向かうシン。

 動かなくなった寄生虫から槍を引き抜き。

 

「──え」

 

 一閃した。

 水平に、ぐるりと。

 

 ぽーん、とボールのように飛ぶ頭が二つ。

 ヴィィと、ウィニ。

 何が起きたのかわからない、という表情のままの二人の頭部は、神速の突きによって完全に潰された。

 

「あ、え、……あ」

 

 その冷たい眼光がイヴを見る。

 何の差別なく、何の区別もなく。

 

 シンはイヴへ向けて槍を突き出し──。

 

 

 

 П

 

 

 

 その日を境に、ゾンビによるパンデミックは終了を告げた。

 新しいパンデミックが起きる事も、生還者がゾンビ化を再発する事も無く──真実、平和が訪れた。

 

 後日"英雄"ジョゼフが訪れた大陸の中心部にも何があるという事は無く、あれだけ大量にいた砂人形も、そして各国に残されていた砂そのものも、忽然と姿を消してしまっていた。

 残された傷跡は大きい。

 人類はその数を大きく減らし、国家もまたほとんどが残っていない。残された国で国家としての形を保っている場所も極僅かで、絶望に身を窶す民も少なくは無い。

 

 あとはもう、人間がどれだけ足掻けるか、の問題だろう。

 彼らに手を出す存在はもういない。不幸と困難を退けた人類に、どれだけの未来を築くことが出来るのか。

 

 その未来にはもう、彼女は存在しない。

 

 

 

 

 

 И

 

 

 

 

 

 

「っぷはぁ!」

 

 久方ぶりの呼吸に、ぜぇぜぇと息を荒げるのは、ワイニーだ。

 その隣にはイヴもいる。

 そして彼ら二人の前には──マザーの姿があった。

 

「……ここは」

「私の、もう一つの拠点」

「マザー……マザー!」

「ん、ただいま、イヴ」

 

 切断された右腕も気にせずにマザーへ抱き着くイヴ。そのイヴを、確と彼女は抱き留めた。

 その目でワイニーも見遣る。

 

「いや、俺は良いが……何が起きた?」

「私の身体の砂を使って二人を運んだんだよ。地中に引き摺り込んで、ずりずりとね。あのままあそこにいたら、あの"英雄"に殺されてたと思うからね」

「……リザは?」

「製造者なら、死んだよ。多分ね。私もアレが製造者だ、なんて思えないから何とも言えないけど、少なくともあのうねうねした奴は死んだ」

「……ウィニと、ヴィィも、か」

「うん。二人も助けてあげたかったんだけど、"英雄"が強すぎたね。一度ウィニの足を引っ張って回避させることはできたんだけど……」

「成程、あの時のあれはマザーだったのか」

 

 岸壁に囲まれた、岩肌の島。

 リゾート島とは比べ物にならない無人島だ。

 

「マザー、会いたかった……」

「頑張ったね、イヴ。腕は後で治してあげる」

「ん……」

 

 波の打ち付ける音が響く。

 

 ようやく落ち着けた、と言って良いのだろうか。

 

「そうだ、ジョーの奴……あんな簡素な手紙だけでちゃんと役割を果たしてくれたんだ、礼でも言っておかないと」

「そうだね。そういうのも大事だと思う。けど」

 

 響く。

 波の打ち付ける音だ。けれどそれに掻き消される事なく──マザーの声は、ワイニーの耳朶を打つ。

 

「最後の最後に、答え合わせをしようよ、ワイニー。ううん」

 

 その一瞬の静寂に、言葉は差し込まれた。

 

「マザー。私達の、大事なヒト」

 

 

 

 Ю

 

 

 

「大事なヒト、といっても、私は憶えていないんだけどね」

 

 ぽつぽつと話し始めるマザーに、ワイニーは諦観を覚えていた。

 時折あったことだ。

 自分の記憶にないリザという名を、初めに口に出した時。

 抗菌薬を探しに行く際に、じゃあな、という言葉を口にした時。

 

 極め付きの事柄は、シンと出会ったあの日の直前。ほとんど記憶にない中で、自身は誰かと話していたような気がするあの時間。

 

 ワイニーは"マルケル"だ。ワイニーと名乗っているだけ。レヴェロフと名乗っているだけの、"マルケル"ゾンビの一人に過ぎない。その性格は、その人格は、ゾンビ化細菌の持つレコードの溝で、この少年本来の人格ではない。

 ワイニーと共に行動していた少女マルケルは、少女の頃の自分を思い出しているような行動をする事があった。絵が得意になった事はその最たる例だろう。

 それと同じで、ワイニーのこれら行動は少年本来の自分を思い出している結果なのではないかと推測した。特に何の変哲もない、ありふれた結論だ。

 

 しかしそうなると、この乞食のような少年は、あまりにもすべての根幹を担っているように思う。担い過ぎているように思う。

 リザの名。自身がまるで、ゾンビでなくなる事を知っているかのような物言い。

 それらがどこの知識から来ていたものなのか。

 

「マザーは、車椅子に乗ったお婆さんだった。製造者の母親だから、マザー。私、じゃないけど、オリジナルはそう呼んでいたみたい。私達ゴーレムが製造者の悲願である不老不死の研究には適さないと分かって、マザーとオリジナルは破棄された。正確にはオリジナルを破棄するついでに、マザーも放棄した、という感じかな」

 

 彼女の言うオリジナルは、マザーの世話を任されていた。

 "こんなのになってしまっても一応大切な私の身体だから"──そんな、外道染みた言葉を吐いていたのを覚えている。けれどその時は口答えをする、という気さえ起きる事は無く、粛々と従った。

 ワイニーに、"マルケル"に、そんな記憶は無い。

 苦笑する。

 

「もう壊しちゃったけど、この島には沢山の私達がいたんだ。大陸中にもね。でも、その中にオリジナルはいなかった。オリジナルだけがどこにもいなかった。性能が同一だと言っても、経験までは共有していない。だから誰がオリジナルなのかはわからなくて、オリジナルが自らだと名乗り上げる事も無かった。当然だよね、私達の中には本当に、オリジナルはいなかったんだから」

 

 マザーの世話を任されたオリジナルは、マザーが死に行くことを処理しきれなかった。処理しきれず、寿命を理解できず──守るのなら、手足があればいいと判断し、自身のクローンを作り上げた。けれど当然、マザーの延命処置には成らず、マザーは死んだ。

 オリジナルは自身のクローンを解放し、死したマザーと二人、クローン達の元から消えた。

 

「……俺はマザーの遺骸の傍で、何世紀もの間静かに過ごした。製造者の目に付かないよう、そしてクローン達にも見つからないよう、ひっそりと、な。マザーの遺骸が腐り果て、無くなってしまう事に耐えられず、自身の体内に取り込んで保管した。狂気的だよ、本当に」

「そして私が、パンデミックを引き起こす。九世紀の間を経て引き起こされたこのパンデミックに、貴方はどうする事も出来なかった」

「せめて砂人形のままでいりゃ良かったのに、俺は、この寂寥を……マザーを想う心を、クローン達に奪われたくなくて、自壊を選んだ。俺の砂を失い、壊れていくマザーの死骸。……そこに噛みついた"マルケル(馬鹿)"がいやがったんだ。いてくれた、というべきかな」

「貴方がマザーの脳までもを大事に保管していたから出来た事だよ。完全な形とは言えない、元の老婆とは似ても似つかない程壊れてしまっていたマザーの身体だけど、唯一無事だった……完璧に守られていた脳に、アイズのゾンビ化細菌が侵入した」

「そうして生まれたのが、俺だ」

 

 ゾンビの身体は、痛みを感じない。

 如何様にも動くし、どれほど骨や筋肉が千切れていても動き得る。

 完膚なきまでに壊れていたマザーの身体を、"マルケル"は十全に動かす事が出来た。

 

 そうしてオリジナル()は、リザの実験の果てに不死となった。

 生き返りを果たした事でリザは俺の身体を治療し、完全に新しい命として生き返ったわけだ。

 

「リザは、一度は捨てたマザーを、自分で治したんだ。皮肉だよな」

「でも、悲願は為された。貴方は完全な不老不死となり──その肉体が、あるいは脳髄がマザーであるのなら、オリジナルが何よりも優先したマザーと共にいたい、という願いは、完遂されたんだと思う」

「同じ人間になって、か? ……皮肉だよ、本当に。だって人格は俺のままなんだぜ」

「研究とは、実験とは、膨大な数を試し、そこから得られた"もっとも妥協できる作品"を研究結果として出すもの、だよ。考え得る限りの最適解がワイニーなら、それで満足するよりない。貴方には、自分の生が望まれたものであることを喜んで欲しいかな」

 

 はは、と笑って──崩れ落ちる。

 

「限界だ。休ませてくれ、マザー」

「うん。骨、ボキボキのバラバラだもんね」

「生きているというのは……不便で仕方がない。だが、あぁ」

 

 マザーに抱き着いたまま、難しい話は知らないとばかりに何も言わないイヴを見るワイニー。

 その腕を見て、もう一度息を吐いた。

 

「痛みは、生を実感するよ、本当に。……おやすみ、マザー」

「うん。おやすみ。イヴも寝る?」

「ううん。もうちょっと、ぎゅーする」

「そっか」

 

 波の打ち付ける音が響く。

 ただただ、静かな音が、響いていた。

 

 

 

 Э

 

 

 

「……」

 

 青年は起き上がる。

 周囲に人影は無い。

 

「……甘い、なぁ」

 

 死体は焼かないと。

 ゾンビを相手にするなら、常識。

 

「さて──」

 

 あまり特徴のない身体から、唯一の特徴であった灰緑色が抜けていく。

 腕が太いわけでも、脚力に優れているわけでもない。

 

 ただ、()()()()()()()()()()という特異性のあった、強化型。

 

 にっこりと笑う。

 

「まだまだ、完成には程遠いし」

 

 人影が暗闇に消えていく。

 青年は楽し気に、未来の事を考えて。


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