世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。 作:Htemelog / 応答個体
人間が死ぬ理由はたくさんある。
食べるものが無くなれば死ぬ。喉が渇きすぎれば死ぬ。食べ過ぎても死ぬし、水を飲み過ぎても死ぬ。酸素が無くなれば死ぬし、酸素濃度が高くても死ぬし、空気が無くなっても勿論死ぬ。
ありすぎても、無さすぎても、生きていけない。地球という針の上に立つような繊細なバランスの環境下でなければこの生き物は生きていけない。あと少し気温が高かったら。あと少し気温が低かったら。人間はすぐにでも死に絶えて、今までの文明はそれを耐えた動植物たちによって蹂躙されるのだろう。
それは恐ろしい事だと、マザーは言った。
そしてそれだけでなく、人間は殺し合うし、自死を選ぶ。刺されて、突き落とされて、轢かれて、病気で、ショックで、恨みで、嫉妬で──。
元々死にやすい人間が、さらに自分たちを殺し合う。そしてそのリスクは日常に潜んでいて、いつだれがどこで死んでしまうかわからない。
だから私は死者の蘇生の研究をしているんだよ、とも言った。
理解の出来る話だった。
なんてことはない、ありきたりの、死とは怖いものである、という発想。エインをしても同じことを考える。それがもし適うのなら──その手段が自身の手元にあるのなら、死の淵に瀕す友人にそれを使うだろう……その友人との離別が、怖いから。死に別れる事というのがどれほど恐ろしく、どれほど恐ろしく、どれほど恐ろしいものかというのは、そこに存在する愛情にもよるだろうが、少なくともエインは十二分に理解しているつもりだった。
何の気負いも、特にしんみりした空気もなく見送ったアイズ。
唐突に訪れた彼との永遠の別れは文字通り身を引き裂くほどで。
だから、気になった。
マザーの気持ちが理解できたから、だから、気になって──聞いた。
「マザーは、蘇らせたい方がいる……ということですか?」
でも、その返答は。
「ううん、特にはいないかな。今の所はね」
やっぱり、理解のできないものだった。
в
とある島。
ゾンビが蔓延り、生まれ出でていたあのリゾート島から10km程離れた所に位置する無人島に、三人はいた。エイン、イヴ。そしてマザー。あるいは誰一人として"人"の単位で数えるべきではないのかもしれないが──彼女らは、そこにいた。
無人島。
リゾートホテルにあった宿泊客に貸し出す用のボートに乗ってこの島に来た時、その岩肌の強い見た目をして之を無人島と称した。マザーは否定しなかったし、イヴは興味が無かったから、そうなのだとエインは思った。
けれど。
「……こ、れは……」
「マザー? でも、あっちも、あっちも、マザー?」
木々無き岩肌の裏。明らかに人工物の扉を潜り抜けた先にあったのは──無数のヒトガタ。
それは老若男女人種様々な人間──否、それを模した、人形。時折年齢が前後するマザーの人形が散見され、しかし総数としては極一部に限り──その他すべての人形は、全く知らない容姿をしていた。
「全部、私だよ。性能は一緒。見た目は違うけど、それはラベルみたいなものだから」
なんでもないことかのように、マザーは恐ろしい事を言った。
今、目の前に広がっているのは──人形だ。けれどそれは、微動だにしないからそうと判別できるもので。もしこれが、たとえばそう……エインの横にいるマザーのように、人間らしい生活を送っていたのなら。受け答えが出来て、笑って、怒って、焦って……そういう"反応"を返す存在であったのなら。
わからない。
それが人形であるかなんて、絶対にわからない。
「こんなものが、こんなものがあるなら……」
「こんなものでしかないんだよ、エイン。アレらは私だから、私では出せない答えは出せない。雑談も出来るよ。言い争いだって出来る。けれど、行きつく先は同じ。私達はもう個になってしまったから、意味が無い。たとえこの内のどれかが活動停止したって悲しくない。嬉しくもないけどね」
「では、彼らは……いいえ、貴女はなんのために、ここに? これら人形は、何を目的に作られたのですか?」
「それは難しい質問だね。一応私達にもオリジナルのゴーレムがいて、多分それはどこかで何かをしているんだけど、結局オリジナルとクローンの性能は同一だから、私がわからないなら、オリジナルも分からないと思う」
「わからない……? これだけの過剰な……異常な技術力と、生命への冒涜に長けたかのような科学力を有しておいて、その目的がないと、そういうのですか?」
「うん。多分、私達が作られた理由は、エイン達と同じだよ」
虚を突かれた。そう感じた。
エインは初めに考えた……笑えない、と棄き捨てようとしていたあの考えを口に出す。
「マザー……貴女が、我々を作ったのは」
「あれ、エインなら気付いていると思ったけど。うん。過程だよ。目的じゃない」
「やはり……そう、ですか」
否、口に出す前に肯定された。
だから、つまり。
「失敗作……何か別の……マザーであれば、死者の蘇生という大きな目的があって、その過程で生み出された……予定外の産物」
「多分だけどね。そういう目で見ると、私はエイン達の母親じゃなくて、お姉さんかも」
それこそ笑えない話だと、エインは苦笑する。
エイン達が難しい話を始めてしまったからか、イヴは微動だにしない人形たちを見て回っていて、だから気兼ねなくエインは口を開く。
「正直に言えば……理解はできません。貴女は今現在、蘇らせたい者はいないと言った。俺……私は生前、読書を趣味にしていましたから、その、当事者になって尚表現するのは奇妙な感覚ですが、『ゾンビ物』や『スリラー』というジャンルにも手を出していた。その中で、マザー。貴女のように特異な考えを持つ研究者がそれらを引き起こす……そういった創作も数多くありました」
「うん。私も読んだり見たりしてたかな、そういうのは」
「それは、意外ですね。……それで、そういう創作の中で、けれどそういう研究者達は"大切なヒトを失った"だとか"人間社会に大切な誰かを奪われた"だとか……何か喪ったヒトがいるから、そういう行動を起こしていた。フィクションはフィクションだ、とは、俺は思いません。あれらは人間が想像しうる限りの、"人間が行動する理由"を描いていると思うから……だから、理解できないのです。マザー、貴女は……何を理由に、死者の蘇生を願ったのですか」
熱を失った身体で。
何も送り出せない心臓で。
けれど今、エインは人間として、マザーに問いかけている。そんな気がした。
「悲しいのは、嫌。だからかな」
「悲しいのは嫌……?」
「うん。エインは嫌じゃない? 悲しい事。悲しいと思う事。ほら、さっきエインに脱がされそうになった時、恥ずかしいと思う心はある、って言ったでしょ?」
「いえ、その、あれはそういう理由では」
「うん。わかってるよ。でも、それでわかってくれないかな」
「……マザーはゴーレムで、自身が欠ける事には何の感慨も無い……しかし、心が無いわけじゃない、ということ、ですか?」
「うん。そう。私は悲しいのが嫌なの。悲しくなりたくない。改めて聞くけど、エインは悲しいの、嫌じゃない?」
悲しいのが、嫌。
悲劇を嫌う。悲しくなりたくない。そんなの。そんな事。
「嫌です。俺……私も、嫌です。友と引き剥がされるのも、家族と別れるのも……身内が死ぬのも、嫌だ。嫌です。悲しい事は悪い事ではないと書かれた創作もありました。悲しみとは得難き感情であり、なれば楽しむべきだと……」
けれど。
生前、それを読んだ時は、なるほど、と思った。そういう考え方もあるのかと。
けれど。
「嫌です。俺は、出来得るのなら、望めるのなら──悲しくは、なりたくない」
「うん。私もそう」
だから。マザーは口を開く。
「だから、これから仲良くなる誰かが死んでしまった時に、悲しくなりたくないから──また会うための研究をしてるの」
「──……それは」
それは、ここまで話してきて、だから──理解できて、しまった。
エインは理解できないつもりだった。その予測をしておくのは狂人だと、そんな事のために死者の蘇生を考えるのは狂っていると……そう言うつもりだった。
フィルターが変わった、と言えばいいのかもしれない。
今まで、どこか恐ろしく、何を考えているかわからない人、というフィルターを通していたマザーの言葉であれば、今まで通り理解出来ず、意味さえわからなかっただろう。
でも、そのフィルターが変わった。
悲しみたくない。悲しくなりたくない。そんな──エインの中で、理解できる感情のフィルターを通してしまえば。
「……それが貴女が、マザーが……死者を蘇らせたい、理由」
「うん。もう少しで、上手く行きそうなんだ。何度も試行錯誤を繰り返して、あと少し」
わかってしまった。わかってしまった。
だって、それは……エインとて、望むことだから。
それを、中身のない正義感を叩きつけて、根拠のない自信を貼り付けて糾弾しても、エインの中で勢いが崩れてしまう。悲しみたくない。別れたくない。これから先──誰かと仲良くなったとして。誰かと愛し合ったとして。その相手が死んでしまう悲しみを、背負いたくない。
我儘だ。そんなことは無理だ。
けれど無理ではない……無理でなくせる力が手にあるのなら。
「ああ……本当に、どうしたらいいのですかね。今……私は、ようやく貴女を理解した。理解してしまった。そうしたら、何故でしょうか。今までどう扱っていいかわからない存在だった貴女に、協力……いえ、応援したくなった、が正しいでしょうか。私は既に死んでいるのだから……ああ、奇妙な気持ちです」
おかしな気分だった。マザーの被創造物で失敗作であるエインが、その創造主たる彼女を応援したい、など。あるいは自身の否定にさえ繋がるのに。旧人類の破滅を、はたまた同胞たちの破滅をも願うことかもしれないのに。
理解できたから。
ただそれだけで、エインはマザーを、身内のラインに引き入れていた。
「マザー」
「イヴ?」
「私もね、悲しいの、嫌だよ。これからはずっと一緒にいて欲しい……だめ?」
「うん。いいよ。悲しいのは嫌だもんね」
今まで人形たちで遊んでいたイヴも、単語だけは聞いていたのだろう。
少しだけ緊張した面持ちでマザーへの想いを告げ、その返答に顔を輝かせた。
「……俺、生前はそこそこいい歳したおじさんだったんですけどね。年甲斐もなく悲しいのは嫌、なんて……はは、なんというか、恥ずかしいな」
「肉体の年齢は精神に影響しないよ。精神は老いないし若返りもしない。その人はその人だよ、ずっとね」
「マザーは……いえ、曲がりなりにも女性に」
「製造年でいえば、十二世紀頃になるかな」
「十二世紀……」
遥か過去だ。本当に。
その間、ずっと活動してきたというのか。
「エインもイヴも、それくらい活動する事になるんじゃないかな。地球から水が無くならない限り、もっともっと長い間」
「それは……」
エインは少しだけ身震いをした。
死は恐ろしい。離別は悲しい。
けれど。
けれど、いつか自分には──死が来て欲しい。
今すぐに死にたいわけじゃないけれど、すべてに飽いて、すべてに興味がなくなったら、大事な人達に囲まれて……死にたい。
なんて、自分勝手。
「死にたいと、思った事は無いのですか。マザーは……そんな長きにわたって生きていて」
「ないよ。だってまだ、研究は完成してない。ずっと研究してたんだよ。何も思い付きでゾンビ化細菌を作ったわけじゃない。製造されてから、クローンとして生み出されてから、何百年をずっと、ずーっと、研究してた。ようやく実験に乗り出せるようになったのが今だった、ってだけ」
「ああ、道半ば、なんですね。まだ、マザーは」
「うん。まだ完成してないし、まだやりたいことがあるし、だからまだ、死にたくはないかな」
それもまた理解できる言葉だった。
まだやりたいことがあるから死にたくない。
その通りだ。当たり前で、当たり前の価値観で
エインはそう再認識する。そしてそれは、自分たちもまた同様に。
「これから、どうするおつもりですか? 同胞……いえ、ゾンビ側は、ウィニやヴェインが人間を滅ぼそうとしていて、恐らくマザーの事も敵視しているでしょう。ヴィィは……あの様子では戦地に出てくるかはわかりませんが、少なくとも三人のゾンビと、十数億を超えるゾンビがいる。マザーは、人間を残しておきたい……んでしたよね。新しい命が欲しいから」
「うん。だから、それは止めなきゃいけない」
「ですが、我々が手を下さずとも、人間側が……"英雄"と呼ばれる者達が十二分に人間を守り切る戦力を有しています。その内の一人はイースですが……」
「特にどうもしないでもいいかな、って思ってる。だから再生しても何もせずにあそこにいたわけだし」
「ああ、言われてみれば……」
墓を掘り起こしたのはエインで、エインがそうしなければ、マザーは永遠にあそこにいたことだろう。あるいはゾンビ側に軍配が傾いた時だけ這い出てくるつもりだったのやもしれないが。
「マザーの、その、死者の蘇生に纏わる研究というのは、どれほどの所まで来ているのでしょうか」
「九割がた、かな。エイン達のサンプルでどういう状況でどういう耐性を、どういう可能性に長けた菌が死者をそのままの状態で……つまり、記憶や性格を引き継いで蘇生させられるか、というのはわかったから、あとは投与の実験と、経過観察だけ」
「その対象は、どう選出されるおつもりで」
「ちょっと悩み中。丁度良さそうな人間……えーと、"英雄"って言ったっけ。がいたんだけど、うーん、観察した限り、あれは人間を超えてしまっているから、あんまりなぁ、って」
「超えてしまっている?」
「うん。私も、さっき見せた通り
「それを言うなら死なない事も人間では出来ない事なのでは……」
「うーん、死なない事は、再生するだとか、心臓が動きなおすだとか、そういうことじゃないんだよね。それはエインが一番わかってるんじゃないかな。死なない事は、生きていない事」
だから、それは人間でも出来る。
「……」
「人間は生きていない事が出来る生き物だよ。ビルを割ったり、コンクリートの壁を殴って貫通させたり、言葉一つで大勢を洗脳したり、なんてことは……人間に出来る事じゃない。だから"英雄"は人間じゃない」
「"英雄"は人間ではない……」
「だからまぁ、人間を探したい所だよね。ゾンビでも、"英雄"でも、ゴーレムでもないありのままの人間。失敗したら悲しいから、仲良くはならないで、投薬実験だけして」
「それで、それが死んで、すぐに知性を……記憶や自我を取り戻したら、成功、ですか」
「うん。アタリは付いているんだ。ほら、エインもよく見ていたでしょ?」
島に来ていた人間……エージェント、とかいう人達を。
イヴの頭を撫でて、エインに微笑みかけて。
マザーはそう、可愛らしく笑った。
т
リゾート島の片隅。
深い森に囲まれた森の奥の巨木の洞。
そこにヴィィはいた。
ヴィィは腕部肥大強化型と呼ばれるゾンビで、他のゾンビ達より身体能力に優れている。代わりに思考能力と言語能力の一部が弱くて、考える事は出来てもそれを言葉にして伝える事が難しい。
そんなヴィィは人間が嫌いだった。
だって、ズルいから。
ヴィィはこんなのになってしまったのに、人間はなっていない。
だから、ズルい。
だから、嫌い。
単純明快、ヴィィが人間を嫌う理由はたったそれだけだ。ヴィィだって元は普通だったのに、ヴィィだけがこんなのになってしまったのが辛くて、嫌で、憎くて、妬ましくてたまらない。
だから、ヴィィをこんなのにしたマザーも、嫌い。
……嫌いだった。はずだった。
「ウ、ウゥ……」
一度殺した。その時の手応えに違和感があったけれど、それを言葉として伝える能力がヴィィには欠けていた。
また会った。その時に感じた恐怖に覚えがあったけれど、それを言葉として伝える能力がヴィィには無かった。
そしてその時、思い出した。
自身の死因。自身の過去。
自分たちが何を、敵に回しているのか。
「ウウウウウ」
だからそれは恐怖だったけれど、警告でもあった。
少なくとも同胞に……
ホントは嫌いになんかなりたくない、嫌いなんて感情を持ちたくない、本当のホントは、心優しかったはずのヴィィの、最後の欠片。
「ニンゲン……人間……
ウィニやヴェインに"使い物にならない"と言われているなど欠片も考えずに、彼は唸り続ける。
「リザ!」
あの夜に会った、恐ろしいモノの名前を。