世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。   作:Htemelog / 応答個体

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ラトロモイ-生死と英雄と精神の章
ラトロモイ-動き出す怪しい軍勢


 "英雄"を擁さない人間の国──。

 "英雄"は各地に現れたが、すべての国に現れたわけではない。むしろ"英雄"が現れた国の方が圧倒的に少なく、そういった国は、そのほとんどが"マザー"と取引をしていたから、"人類最後の希望"だなんて呼ばれていたから、その失墜は酷いものだった。

 "マザーの抗菌薬"の存在を希望に持った国民達によって、ゾンビへの対抗手段は積み上げられ、幾度とない失敗を繰り返しては一新され、効率化と安全性は出来得る限り確立してきた……そんな折り。

 マザーとの取引が終了した。各国に知らされたのは、マザーが死んだ、という事だけ。それも命からがら逃げかえってきたエージェントによる報告だけで、事の真偽はわからぬまま──ゾンビ達の大進撃が始まった。

 

 襲撃が激化したことで当然抗菌薬の需要も高まったが、その供給が途絶えてしまっている。

 "人類最後の希望"とそれら国が呼ばれていたのは抗菌薬の存在があったからであり、そしてマザーの存在を国民にひた隠しにして、それを自身らの科学者が作り出したものであると謳っていたのだから、当然その権威も、その威光も、地に落ちて失われてしまった、という話で。

 あるいはかつてマザーの言った愚かだという言葉が本当になる──国にとっては悪夢の中で悪夢を見るような、困窮極まる状況になってしまっていた。

 

 国がそうなら、その部下……エージェントもそうで。

 

「……はぁ」

 

 その女性は、名をシエルと言った。

 かつてはマザーのいる島から抗菌薬を取引して持ち帰るという命令を受けていたエージェントで、けれどマザーの死後は他の国民と同じくゾンビの襲撃を撃退し、国を守る一兵卒でしかなくなってしまった。

 任務の危険度から優先して回してもらえる……そういう契約だった。けれど任務遂行中に感染するほど無能ではなかったから結局その機会が訪れることなく、こうして契約満了によるお払い箱で、抗菌薬も遠のいてしまったのである。

 他のエージェントの中にはそのまま護衛として異動した者、起用された者もいたから、シエルは単に運が悪かった……あるいは覚えが悪かったが故のお払い箱。

 

 物言わぬ歩行ゾンビの首を掻っ切って、走り寄ってくるゾンビの足を散弾銃で撃ち抜いて、「タスケテ、タスケテ」と呟くばかりのゾンビの頭蓋を叩き割って……。

 "英雄"と呼ばれる者ほどのソレではないにせよ、脳の無い人間を殺すための手段くらいならば潤沢に取り揃えているのがエージェントだ。そして、"英雄"を擁する他国から齎された"ゾンビは脳さえ潰せば倒す事が出来る"、というその情報は何よりもありがたいもので、それによって知性無きゾンビはシエルにとって何の障害にもならなくなっていた。

 

 問題は、マザーの死後、数多く出てきた知性あるゾンビ。

 マザーのいた島にも数体、知性を持っているらしいゾンビは散見出来た。それよりかはいくらかダウングレードされた、けれど連携を交えて複数体で襲い掛かってくるゾンビが、もっとも大きな障害といえるだろう。

 ゾンビが学習する、など。どんな悪夢だと思う。

 

「マザーが死んだ、ねぇ」

 

 あれだけゾンビに囲まれた島で、ゾンビを作り出し続ける人類の敵。

 それの死因を考えるのなら、やはりゾンビの反乱になるのだろうか。自身らもマザーの命を狙っていたとはいえ、ゾンビの守護は相当なものだったはず。彼女が死ぬのなら身内の……ゾンビが反旗を翻したとしか思えない。

 それ以上に。

 

「……信じられない、というべきかしら。()()は、そう簡単に死ぬような……」

 

 タマではない、と言おうとして。

 いつの間にか周囲からゾンビがいなくなっていた事に気付くシエル。けれどそれはすべてを倒した、ということでなく──。

 

「こんばんは」

 

 前方の暗がり。

 見覚えのある白衣を纏った、一人の女性。

 

 シエルはすぐさま散弾銃を握り締めた。

 

「ああ、ゾンビじゃないよ、私は。そもそも死んでいない、というのが正しいかな」

「……貴女がゾンビであるかどうかなんて関係ないのです、博士。貴女は私達の敵。それが島から出たというのなら、武器を向けざるを得ませんのよ」

「うん、それはそうだね。けど、それは私に関係のない事情かな」

 

 破裂音。

 音源は手元で、自身の散弾銃から。何の警告も無く、何の躊躇も無く発砲したのは──恐怖から、かもしれない。

 

「……!」

 

 その散弾は目の前の女性を確実に殺した。白衣には無数の穴が空き、余裕ある表情から色が失われ、うつ伏せに倒れる。

 

「大丈夫。痛く無い針を使ってるん」

 

 三回連続の発砲。別方向から聞こえた声に、姿を視認することなく散弾を撃つ。

 

「"英雄"じゃダメ

「そのままの人間で

「そのままの人間じゃないと

「ダメなんだ。だから、貴女

「大丈夫だよ──成功すれば、貴女から死は無くなるのだから」

 

 発砲、発砲。離脱しようとした。実際にした。

 けれど、逃げても逃げても、その声が聞こえる。暗がりの数m先に、必ずいる。殺している。殺している。殺している。

 ゾンビの様に死なないのではない。生きていないのではない。

 来る。いくら殺しても、来る。

 同じ人間が。同じ存在が。

 人間──人間?

 

「た──助けて」

「うん。そのつもり」

 

 その声は背後から聞こえた。

 首元、すぐ近く。

 

 シエルは全力で身を捩り──逃げる。もう攻撃は考えない。生きるために全力で逃げる。

 

 纏わりつくように寄ってくる"マザー"を全て振り切って、ようやく自国へ着いて──シエルは、ようやく一息を吐いた。

 一息を吐いて、絶望した。

 

「……嘘」

 

 見えるところにいる、すべての国民。

 老若男女、知らぬ者知り合い見た事がある程度の者。

 それらが全員、シエルを見ている。シエルをじっと見て、近づいてくる。

 

「ゾンビの方がまだマシ……!?」

 

 背後から、"マザー"の群れが追い縋ってきた音を感じる。

 八方塞がり。

 

「嫌、嫌──助けて!」

「うん。だから。そのつもり」

 

 その声は首元。

 息が吹きかかる程の距離で聞こえた。

 

 そして。

 

 

 э

 

 

「……」

「あの、マザー?」

 

 岩肌の無人島──。

 

 帰ってきてから難しい顔をしたままのマザーに、エインは困惑していた。

 リゾート島で幾度か見かけたエージェントの女性。今回のターゲットだと言っていたその女性を担いで帰ってきたマザーは、すぐに施設の奥……リゾート島の方にもあったような実験室へと籠り、その後机に向かって何かをつらつら書き連ねて、タブレットに何かを入力して、試験管を照らしたり、合わせたりをしながら悩ましい顔をしてため息を吐いて……とにかく悩んでいるようで。

 あれだけ意気揚々だったのだ。研究は九割がた完成していて、あとは実験だけだと、心なしか嬉しそうに出発したマザーが、これだ。

 

 流石に声を掛けたくなるというか、エインはもう、おろおろしていた。

 

「……失敗だった」

「そ……そうですか。それではあの女性は……」

「生き返りはしたし、死んでいるが出来ているし、初めから知性もある……けど」

「けど……?」

「うん。失敗」

 

 失敗。らしい。

 ちなみにイヴは体の水分の補充に外に出ていて、だからエインは間を持たせることが出来なくて、それが苦しかった。

 しかしその苦しみは、とある叫び声によって中断される。

 

 ──"は──はぁ!? なんだ、これ……! くそ、やっぱり夢じゃ……"

 

 その声は奥の部屋から聞こえてきた。

 声色は女性のもの。恐らくはあのエージェントの女性だろう。随分と荒っぽい口調だが、そういうこともあるかもしれない。初めから知性があるという言葉に偽りはないようで、確かにこれはエインらと同じナンバーゾンビ並みの知能があるようだ、と分析。

 

 その声の持ち主は何やらどたどたと物音を立て、そして、こちらの部屋に繋がるドアを開けた。

 

 担がれてきた女性。

 目をかっぴらいて、エインと、マザーを見て。

 

「……本当に、夢じゃないのか。ここは……いや、地獄か? 確かに俺は」

「おはよう、新しい同胞。……否、もう同胞という言葉は間違いなのやもしれんな。俺達は既にあちらから離脱し……マザーの下で、真なる目的を追求しているのだから」

「はぁ? 何言ってんだエイン。また小難しい事考えてんのか? ……マザーがいるのは、まぁ、俺は驚かねえがよ。それくらいはする奴だって思ってたからな」

「何……?」

 

 女性は。

 ぴっちりとしたボディスーツが目に余る、背の高い女性は。

 どこか懐かしい口調で──エインを小馬鹿にしたように嗤う。軽薄に。しかし根は真面目そうに。

 

「ただいまー、マザー!」

「おぉ、元気なイヴは久しぶりに見たな。まぁガキは元気なのが一番だよ」

「……だれ?」

 

 エインの手が、指が、震える。

 無いはずの心臓が──心が。脈打っている。

 

「おはよう、VIII(ワイニー)……と呼びたかったんだけど、違うよね。残念」

「ん──」

 

 不機嫌そうな顔を隠そうともせず、マザーは言った。

 

「おはよう、アイズ」

「……ああ」

 

 彼女()に、そう。

 

 

 

 и

 

 

 

「はぁ、なるほどねぇ。それでお前はマザー側(こっち)に付いたと。イヴはまぁ納得するけどよ、お前がそんなに頭の柔らかい奴だとは思ってなかったよ」

「固いさ……今でもな。ずっと固い。だが、それを崩す程の憧れのようなものがマザーにあったから、あぁ、折れてしまったよ」

「悲しくなりたくないから、ねぇ。ガキみたいな言い分だ」

「……」

「だがまぁ、わかるさ。……少なくとも、俺を殺したアイツが……俺が勝てなかったアイツが強い理由は、ソレだろうからな」

 

 話しかけないで欲しい、という雰囲気たっぷりのマザーを余所に、施設の中の別の部屋でエインとアイズは話していた。見た目はエージェントの女性。しかし、その口調も、話す内容も、軽薄に受け取られがちな言葉の裏に潜む真面目さも、間違いなくアイズのもので。

 マザーが彼をアイズと呼んだことも相俟って、エインは彼女をアイズであると確信していた。確信できていた。

 

「しかし……失敗、ね」

「ああ。マザーの目的としては、その女性をその女性のままに蘇らせたかったのだろう。しかし、人格として宿ったのはアイズだった。だから失敗だ」

「おう、本人を目の前に随分と言うようになったな。マザーに毒されたか?」

「あ、すまない……。自身が失敗作であると気づいてから、望まれて生まれたわけではないと気づいてから……ああ、配慮をする、という心が欠けていたかもしれん」

「馬鹿野郎、悩めって言ってんじゃねえよ。成長した事を褒めたんだ、わかれよ馬鹿」

「……あぁ」

 

 少し、笑ってしまう。

 アイズだった。アイズだ。

 今確実に、エインは──死者の蘇生を喜んでいる。

 

「それで?」

「……俺は、ここに残るよ。マザーの行く末を見届けたい。なんというか、変な気持ちなんだけどな。俺はあの人を、応援したいと思ってる」

「へぇ。なるほど、応援ね。確かに確かに、俺もまぁあっちじゃ全人類の同胞化、なんて張り切っちゃいたが……なんでだろうな、今はそんな気分じゃねえんだ。ジョーの奴に負けて、すっきりしたってのもあるだろうが……うん、なんだろうな。別にどうでもいいんだ、旧人類なんか」

「そう、なのか。その……その身体になったことが、何か関係があるのか?」

「弱くなったな、という感覚はあるぜ。随分と弱くなった。生前……ああ、前の前な。その頃と同じくらいか、少し弱いくらいだ。女の身体。ヘンな感じは消えねえがな」

 

 快活に笑うアイズ。

 エインも少し笑って、そういえば、と思い出したように問う。

 

「あー……アイズ。確かお前、マルケル……だったよな、本名」

「ん? あぁ、そうだが……んー、流石にこの見た目にマルケルは似合わねえよな」

「いや、その、う、まぁ……そうだな」

「ああ、ならアイズでいいよ。マザーはワイニーとか言ってたっけ? そっちでもいいが」

「アイズの方が口馴染みがいい。俺の事も、今まで通りエインで頼むよ」

「おう」

 

 拳をぶつけ合う。

 前は同じくらいの大きさだったそれが、今は少しだけアイズの方が小さくて。

 

「んじゃ、俺もここで世話になるわ。あっちじゃ働き詰めだったからな……金が出てたわけじゃねえが」

「ああ、そうするといい。イヴも……アイズなら、喜ぶだろう」

「ん、まぁ相手するのは別に構わねえが」

 

 ウィニもヴェインも、あまりイヴを相手にしなかったから。

 アイズは基本島外にいたからイヴと関わる機会が少なかったけど、そもそもが気の良い奴である。イヴもすぐに懐く事だろう。

 マザーがあの様子だ。さしものイヴも気を遣うだろうから。

 

「マザーは」

「ん?」

「何人もいる、ん……だったか?」

「ああ、ゴーレムで、クローンらしい。ファンタジーな話だがな。俺達がゾンビである以上、何も言えんだろう」

「……なるほど、()()()()はそういう事ね」

「あぁ、だからといって服の下を見せろとか、砂になってみろ、とか言うなよ? あれでも女性だ。恥じらいの心もあるらしい」

「お前、俺の事なんだと思ってやがんだ」

「上半身裸で歩き回る変態、だろう」

「……てめぇ」

 

 実際、ウィニやヴェインは苦言を呈していた。折角考える知能が戻ったのだから、服を着る事くらい覚えろと。裸同然で過ごすのは知能無き頃のゾンビだけだと。

 一応エインもその側である。ホテルの経営者だった頃の常識が、彼に服を着ないという選択肢を削がせている。

 

「そうだ、今は女の身体なワケだが」

「そういう事を思いつくところが変態だと言っているんだ」

 

 軽口を叩いて。からかって、窘め合って。

 ああ、やっぱり。

 

 アイズが帰ってきたと──エインは、その喜びを噛み締めたのだった。

 

 

 

 п

 

 

 

 上手く行かなかった。

 

 アイズから培養した脳掌握率最大状態のゾンビ化細菌。勿論それをそのまま使用したのではなく、培養に培養を重ね、元の菌ではない部分を用いての投薬実験だった──にも関わらず、あのエージェントの女性……確か名をシエルと言った彼女に彼女としての自我が戻る事は無く、代わりに何故か、アイズとしての記憶と人格が宿ったのである。

 これは由々しき事態だ。恐ろしい事態であった。

 

 だって、今まで、今の今まで、記憶も人格も脳にあると思っていた。

 実際今までの九世紀程はその通りの研究結果が得られていたし、ゾンビ化についても同様……同様じゃないから、この結果なんだけど。

 菌が脳を掌握して、掌握が終われば人格と記憶を取り戻す。それが観察記録だったはずだった。

 

 けれど、今回のアイズのケースはどうしようもない。

 どうしたって説明が付かない。

 

 被験者Aの脳に付着した、侵入した菌を採取して、それを培養したものを被験者Bの脳に侵入させて、被験者Bの人格が被験者Aのものになる、なんて……おかしい。あり得ない。もしそれが成立するのなら、私の作ったゾンビ化細菌に記憶が宿っている事になる。細菌なんていう単細胞生物に、記憶? ううん、確かに記憶というか、記録が出来る単細胞生物は発見されていた……けど、人間の脳クラスの記憶容量を保てる程のものではない。

 どこかで変異した? 何か耐性をつけた?

 それなら採取した時に気付く。今こうして様々な投薬実験を試している限りでは、大本部分の菌の構造は変化していない。ならばなぜ? どうして?

 意味が分からないのだ。あるいはシエルという彼女が瞬時にそれら演技をしている、という事も考えたが、アイズの記憶を再現できるわけもなし。どこからアイズの記憶や人格が来たのか……わからない。意味が分からない。

 

 もう一人、誰か人間にこの培養細菌を罹患させてみるべきだろう。それで、それもアイズになったら……すべての研究がやり直しになる。

 ……それが目的のためになるのなら、仕方がない。

 

「マザー、お出かけ?」

「うん。行ってくるね」

「いってらっしゃい!」

 

 記憶がどこにあるのか。精神は何に宿るのか。

 脳でなければなんだというのか。心臓? まさか、アレにポンプ以上の役割は無い。内臓? 血液? 何? なんだというのか。

 ……もう一人、なんて言わず、サンプルを沢山用意する必要がある。

 

 うん。

 パンデミックは、第二次へ、かな。多分。


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