なんでも頭が半分つぶれてしまうという凄惨なもの。しかし警察は事故として終わらせてしまったらしい。
その猟奇的な死に、ファニーは『アビス』が関係していると考えた。
そこに幼い少女、クルーエルも加わって調査に向かうと……
「はぁ、あたしは情報屋であって探偵じゃないんですけど……。たかが人が死んだくらいで頼られても困りますよ」
夕暮れ時の喫茶店。カウンターで頬杖をつきながら、ファニーという少女はぼやいた。
いつもは人を小バカにしたような笑みを浮かべている彼女だが、今は顔をしかめて大きなため息。
情報屋を営む彼女は先ほどまで、この店の奥でとある女性と話をしていた。
その内容は女性が望む情報を提供してほしいというもの。つまりは仕事の依頼だ。
しかし受けたはいいものの、ファニーとしてはあまり気が乗らないと言った様子。それが一目でわかるくらい、カウンター席に戻ってきた彼女は仕方なくの雰囲気を醸し出していた。
「そう言うなよ。依頼しに来たってことは、ファニーにしか頼めないってことだろ?」
男性が宥めるような口調でカウンター越しに声をかけてきた。彼はこの喫茶店のマスター。
ファニーとは顔なじみ……というよりは腐れ縁に近い。
彼の言葉に、ココアを飲みながらファニーは肩をすくめる。
「それはそうなんですけどね……。どうにも面白そうな話じゃないので。正直やりたくないです」
「お前、最低だな」
マスターの冷ややかな視線を気にする様子も見せず、ファニーは生意気に笑った。
「そりゃあたし、ファニー(愉快)ですから」
彼女は名前の通り、愉快なことが大好き。常に楽しいことを求め、楽しいことを優先に行動。退屈なことはノーサンキューを信条に生きている。
「じゃあなんで受けたんだ。断ればよかっただろ」
「それはもちろん、前金としてここの支払い分いただいてしまっているので」
そう言ってファニーはテーブルの傍らに置かれた封筒を指さす。彼女が依頼主の女性から受け取ったという前金。
「お前、最低だな」
再び冷ややかな視線。ファニーは気にする様子もなくサンドイッチをつまんでいた。これももちろん、支払いは依頼主。
「まあいいや。それで、どんな依頼だったんだ」
何を言っても意味がないと、諦めの雰囲気を含んだため息を吐くマスター。彼はファニーに問いかける。
ファニーは手に持った一枚の紙をペラリ、見せびらかすように揺らした。依頼主と交わした契約の内容が書かれたもの。
守秘義務も何もあったものではないが、この二人にとってはいつものこと。
加えて逢魔が時特有の茜紫の光に包まれた店内は他に客もいないため、ファニーは抵抗なく口を開く。
「恋人を殺した犯人を捜してほしいって話です」
「なるほど、それは確かに探偵……もっと言えば警察の仕事だな」
「はい。ですが依頼主が言うには、恋人さんの死を警察は事故として処理してしまったみたいですね」
「なんでまた?」
首を傾げるマスター。
ファニーは紙に視線を落とし、いつもと変わらない調子の声で要約した内容を読み上げた。
「死因は頭部に強い衝撃を受けてとのことです」
「そうなると撲殺か転落が原因と言ったところだが……」
「そうですね。ですが状況的に不可能と判断されたようですよ」
どこからかファニーは封筒を取り出す。開封して、中に入っていた数枚の紙を広げた。
「これ、警察の捜査記録なんですけど」
そう前置きを口にする彼女。
「相変わらず、どうやってそんなもの仕入れてきたのか……」
「情報屋ですので」
感心半分、呆れ半分なマスターの言葉に自信満々な笑顔で答えるファニー。彼女は手の紙に視線を向けながら言葉を続ける。
「――まず、事が起こったのは数日前の深夜。日付が変わってすぐですね。現場は路地裏です。人どおりはそれほど多くはありません。数時間に一人か二人通るくらいです。ですが、建物一つ挟んだすぐ隣には大きな道があります。昼間ほどではないですが、人の通りは確かにある場所です。こんな場所で人が死ぬようなことが起きればさほど時間を空けずに騒ぎになるはず。ですが実際発見されたのは夜が明けてから。しかも目撃者が誰一人としていませんでした。なにより……落ちて死に至るような建物が周りにはありません」
添えられた現場写真にファニーは見覚えがあった。
何度か通ったことはあるが、確かに背の高い建物はほとんどない。高くて四階建ての建物しかなかった。
「打ち所が悪ければ死ぬな。一応……自殺、他殺、事故。どの可能性もあるが……」
考察を口にするマスター。そこまではファニーも同じことを考えた。
しかし問題は次の情報。
「ですが転落も撲殺もあり得ないと判断されました。あー、これは……でしょうね」
ファニーは一枚めくる。次の紙にはいくつかの写真が添付されていた。目にした瞬間あっけないと言わんばかりの表情をして、言葉を続ける。
「なんせ頭の半分がつぶれてしまっていますから」
写真には被害者の状態が写されていた。
とてもじゃないが見て気分のいいものではなかった。男性の頭部がまるで高所から落としたスイカのように砕け、破裂している。種のように飛び散る脳漿。容量の開いた頭蓋の中までしっかりと見えてしまっていた。
地面に広がる赤黒い血だまりと、崩れていながらもしっかりと伝わってくる男性の苦悶に歪む表情が不快感をより煽る。
「これは酷いですね。確かに人の力でどうにかできるもんじゃないですよ。顔の判別なんてほとんどできなくなってるじゃないですか。これ目撃した人は本当にご愁傷様ですよ」
しかしファニーはまるでさほど興味のない……悪趣味な現代アートを見ているかのような調子で写真の内容を語った。口端もやや吊り上がっていて意地が悪いことこの上ない。
そんな彼女にマスターは顔を思いっきりしかめ、嫌悪を示す。
「お前、よくそんなこと平然と話せるな」
「マスターも写真、見ますか?」
「いい。というか見せるな。ここは飲食店だぞ」
カウンター越しに手を伸ばし、ファニーの持つ写真を抑え、直視しないように目を逸らすマスター。
彼の様子をイジワルそうに、そして心底楽し気な笑みを浮かべるファニー。彼女の反応に対し、さらに嫌な顔をするマスター。
猟奇的な死について話す彼女たち。マスターが薄暗くなる店内の明かりをつける。人の影が一つ、二つ、三つ。できた。
マスターと、ファニーと、あと……。
「……なに、見てるの?」
いつからそこにいたのか。まるで最初からそこにいたかのような雰囲気で幼い少女がカウンター席に座っている。
唐突な登場。しかしファニーは驚くどころか嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「おや、クルーエルさん」
ファニーの隣に座る白いワンピースの少女、クルーエル。
よく言えば無垢、悪く言えば何を考えているのかわからない、ぼんやりとした表情でファニーたちのやり取りを不思議そうに眺めていた。
「今、人が死んだから依頼を受けたっていう話をしていたんです。被害者の写真もありますよ。見ますか?」
「見るな見せるな。クルーエル、いつものやつ出してやるから向こうに行ってろ」
マスターはファニーの手から写真を奪う。その際、一瞬写真の中身を目にしてしまったようで、顔をしかめていた。
マスターの言う通りに、クルーエルはファニーたちからやや離れた席に座りなおす。
「お優しいことで」
そう口にするファニーの表情は実に愉快そう。マスターが写真を見た反応があまりにも面白かったということは口にしなくてもわかるぐらい。
マスターは無視して、クルーエルの前に山盛りのクレープを出した。
クルーエルは無表情で黙々とクレープを食べる。
「……で、どうやっても人間の力で殺すことは不可能というのが警察の見解みたいです」
マスターが戻ってくるのと同時に話を再開させるファニー。彼女は最後の紙を読み終えると、テーブルに放るようにして置いた。
「言いたいことはわかるが、それを事故扱いで終わらせるのはどうなんだか……」
「仕方ないですよ。彼らは人間の領域のことしかわからないんですから」
ファニーは言いながら笑いを浮かべる。明らかに警察を下に見ている、小ばかにしたような笑み。
しかしその言葉を聞いたマスターの反応は違った。それまで呆れた様子だった彼の表情は、一瞬にして渋いものになった。
警戒、という言葉が似合うほど、露骨に姿勢を構える。
「おいそれってもしかして……」
「はい、『アビス』が絡んでいると思います」
実に楽しそうな……悪魔のような笑みを浮かべながら頷くファニー。
彼女の言葉にマスターは大きくため息を吐いた。とても沈痛な面持ちで額を抑える。
「それでか……。『アビス』が絡むとなれば確かにこれはお前向きの案件だ。依頼主は意図していないだろうけど、なんだかんだお前が受けたのも納得だよ」
『アビス』。それは人知を超えた力の総称。見た目、特徴、持っている力。中には生きているものいるなど、その存在は様々。しかし一つだけ共通していることがあった。
――『アビス』は人を狂わせる。
ファニーは主に『アビス』に関する情報を扱う。そして同時に『アビス』に至上の愉しみを見出していた。
しかし『アビス』が絡む時間だというのに、ファニーはあまりやる気を出しているように見えない。ぼんやりとあくびをしながら、暇つぶしのように警察の情報を読み直している。
その様子にはマスターも気になっていたようだ。意外という言葉がぴったりな表情。
「お前が興味を示さないのは珍しいな。『アビス』と聞けば真っ先に飛びつくイメージなのに」
「どうせ大したことないですからね。こんな事件になってようやくあたしに情報がくるぐらいですから。もうちょっと派手な『アビス』がいいですよ」
「『アビス』に大したことないって言えるのはお前くらいだ」
ファニーの物言いに困惑した表情を浮かべるマスター。
ファニーは薄く笑って肩をすくめる。
「ま、ちゃんとやりますけどね。今月も厳しいですから」
「お前はいつも金欠だな」
両手を開いて財布すら持っていないアピールをするファニー。呆れたようにマスターはため息を吐く。
彼の反応をクスクス笑いながら、ファニーはデザートのティラミスを口にした。自分の物ではないお金で食べるデザートはとてもおいしい。
マスターの軽蔑した表情なんてもはや見飽きて気にならない。
「……この人、死んだの? ファニー」
彼女たちにとっていつも通りのやり取りをしていると、あの山盛りだったクレープを食べ終えたクルーエルが再び会話に入ってきた。
彼女はカウンターの上に放置されていた写真を拾い上げる。
「クルーエルさん。やっぱり興味がおありなんですね」
クルーエルが食いついたことに目を輝かせるファニー。
彼女は『アビス』と同じくらい、クルーエルに興味を抱いていた。底が知れない彼女はきっと、とても面白い人材に違いないと。
一方でクルーエルが写真を見てしまったことに、しまったという表情で頭を抱えるマスター。
「あー……クルーエル、その写真は置こうな」
マスターに言われた通り、クルーエルは写真を置く。彼女は写真の中身を見たというのに、顔色一つ変わっていない。
ファニーは楽しそうに頷く。
「そうですね。あたしはこれから調べに行きます」
「そう。……ねえ、痛かった、かな?」
「そりゃ、痛いでしょうね」
クルーエルの問いに、なんでそんなことを思いながらもファニーは答えた。
「愛は……あった?」
「いや、ないと思いますけど……」
クルーエルの妙な質問に今度は困惑を示すファニー。逆に、愛のある痛みなんて存在するのかと、ファニーは心の中で疑問を浮かべた。
「そう……」
途端にクルーエルの興味が薄れているのを感じた。
それではつまらない。席に戻ろうとする彼女を引き留めるため、ファニーはすかさず提案。
「それなら、確かめに行きます?」
クルーエルは動きを止め、再びファニーの方を向く。その瞳には相変わらずどのような感情を宿しているのかわからない。
それでも興味を抱いてくれたことは確か。これでもっと彼女のことを見れる。愉しいものを見せてくれる。
「おい、あんまりあの子を引き込もうとするな」
ファニーの思惑に難色を示すマスター。
クルーエルを『アビス』に関わらせることはしたくないという彼の気持ちはわかるが、ファニーは軽く笑い飛ばした。
「過保護ですね。別にあたしは無理強いしていないですよ。どうするかは彼女の意思です」
「それでも……」
食い下がるマスターを無視して、ファニーはニッコリと笑顔を浮かべてクルーエルの方を向く。店内の明かりが彼女の顔に影を作った。
「それじゃあ行きましょう、クルーエルさん」
影に隠れたクルーエルは小さく頷いた。