なんでも頭が半分つぶれてしまうという凄惨なもの。しかし警察は事故として終わらせてしまったらしい。
その猟奇的な死に、ファニーは『アビス』が関係していると考えた。
そこに幼い少女、クルーエルも加わって調査に向かうと……
「ここが現場みたいですね」
ファニーたちは情報にあった現場までやってきた。
すっかり日が暮れてしまい、照らしてくれる明かりは近くの街灯からのみ。現場散策には向かない条件ではあるが、ファニーは気にしていない。
事前の情報で知っていた通り、背が高いとは言えない建物に囲まれた路地裏。すぐそばからは大きな道を行きかう人々の喧騒。漏れ出すネオンの明かりがこちらにまで届く。
数日前に人が死んだという痕跡がほとんど感じることなく、すっかり日常の風景を取り戻している。
「誰もいない……」
「もう撤収してしまったようですね。ま、これなら調べ放題なので好都合です」
口にしながら、ファニーは辺りを物色する。彼女が求めるのは『アビス』の痕跡。人の領域外の力は必ずその足跡を残す。
街灯しかない夜道での探し物は面倒極まりないが、人目につかないことを考えれば文句は言えない。
「うーん。今回の話を聞く限り、残る痕跡のタイプとしては……」
可能性を口にしながら地面に視線を向けるファニー。
クルーエルも彼女をマネして辺りをうろうろ。目についたものを気まぐれに呟いていた。
「赤……」
「血の跡ですね。広がり具合から、かなり惨憺な光景だったのでしょう」
舗装された地面に残る赤いシミ。消しきれなかった血の跡。
しかしこれからは『アビス』の痕跡を見つけることはできなかった。
ファニーは興味がないと、大して見向きもしなかった。
「お、これは……被害者の肉片ですかね?」
道の隅に落ちていた、黒くなった何か。ぶよぶよとして柔らかいそれはおそらく飛び散った脳漿の一かけら。
『アビス』の痕跡かはまだわからないが、重要な手がかりだ。全部警察に回収されなくてよかった。
彼女は肉片を小瓶に入れる。
「これは何?」
再びクルーエルが呟く。今度は何か持ってきた。
彼女が持ってきたのは何かの肉片だった。しかしファニーが見つけたものとは違い、つるっとした表面に細長い。まるでゲソのようなフォルム。
しかもただの肉片ではない。わずかながら蠢いていた。まだ、生命の反応が残っているかのように。
明らかに不気味な代物。それを手にするクルーエルは顔色一つ変えることない。
それどころかファニーに至っては満面の笑みを浮かべていた。それもそのはず。
「あ、これですね。『アビス』の痕跡。どこにあったんですか?」
「いつの間にか……足元にあった」
「そうなんですね。警察はこんなの見逃すなんて……いえ、意図的に見えないフリをしたんでしょう」
彼女はクルーエルから『アビス』の痕跡というゲソを受け取ると肉片と同じ小瓶に入れた。
すると先に中に入っていた肉片が、少し動いた……ような気がした。
「んー……」
ファニーは目を細めてビンの中を凝視する。しかし肉片が再び動く様子はなかった。
「今は気にしないでおきましょう」
ファニーは小瓶をしまう。
その後も痕跡探しをしたが、最終的に『アビス』の痕跡として見つかったのはゲソ一つ。しかしこれさえあれば十分。
小さな情報を積み重ねていけばやがて大きな情報になる。情報とはそういうものだ。
「ま、こんなことはどうだっていいんです。些細とはいえアビスの痕跡を見つけることができたので、後はその筋の人を当たれば誰が使ったかはすぐにわかります。ホント、簡単なお仕事で愉しくないですね」
依頼完了の目途が立ち、ファニーは大きく背伸び。もうここに興味はないと言わんばかりに立ち去ろうとする。
しかし彼女の歩みをクルーエルが止めた。
「ねえ、わかったらどうするの?」
クルーエルから投げかけられた疑問。彼女からの感情は相変わらず何もわからない。
ファニーは躊躇うことなく答えた。
「もちろん依頼者に教えますよ」
「その人は……どうするの?」
「さあ? そこまでは興味ないので。でも、警察を頼ったところで相手にはされないでしょう。だからあたしに依頼が来たわけですし。依頼主的には復讐、でも考えているんじゃないですか?」
まるで興味のない調子で答えていくファニー。
自分の仕事は情報を教えることで、その情報を使って何をするかには全く興味がない。だって、面白くないから。
ファニーの態度に構わず、クルーエルは質問を続けてきた。
「死んじゃう?」
「仮にあたしの言った通りだったとしたら、そうなるでしょうね。『アビス』に普通の人がかなうはずありませんから。それこそ被害者と同じことになるだけだと思いますよ」
ファニーの言葉に、重みは全くない。ただ結論を淡々と述べているだけ。
クルーエルの質問はそこで止まってしまった。ファニーの言葉に不満がある様子もなく、ただ黙っている。
「さ、帰りましょう」
再び立ち去ろうとするファニー。ネオンが漏れ出す大通りの方へ。
「……たぶん、近くにくる」
しかしクルーエルはそう呟くと、ファニーが向かおうとしていたのは真逆。人通りが多い道とは反対の、路地裏の更に深くへと歩いていってしまった。
「え?」
あまりに唐突な行動に、呆気にとられるファニー。彼女の言葉に気になる点がいくつもあった。
しかしそれを確認する前にクルーエルは歩いて行ってしまう。街灯の明かりが届かない、夜の暗さに紛れていこうとする。
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
彼女は慌てて深い夜闇に消えていくクルーエルを追いかけた。