アビス・カラー・デイズ   作:たこ輔

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情報屋のファニーはある日、恋人を殺した犯人を捜してほしいという依頼を受ける。
なんでも頭が半分つぶれてしまうという凄惨なもの。しかし警察は事故として終わらせてしまったらしい。
その猟奇的な死に、ファニーは『アビス』が関係していると考えた。
そこに幼い少女、クルーエルも加わって調査に向かうと……


愉快の少女と残酷の少女:3

「もう、どこまで行くんですか」

 

 先を歩くクルーエルにファニーは尋ねた。しかし言葉は返ってこない。スタスタと歩いていく。

 幼い少女の歩幅についていくことはなんてことないのだが、ずっと歩きっぱなしでファニーとしては飽きてきた。

 

「……あの、これ。さっきから同じところグルグル回っていません?」

 

 彼女は辺りを見回しながら困惑の表情を浮かべる。

 人目が絶対につかないであろう路地裏の深く。どうにも先ほどからクルーエルは同じところを歩いている。見える景色が変わらない。

 

 目的をもってというよりは、ただ悪戯にさまよっているという表現が似合う。

 なぜ彼女はこんなにも無駄なことをしているのか、ファニーには理解できない。

 その真意を問おうにも答えてはくれず、ただ後ろをついていくことしかできなかった。

 

「……『来る』って、どういうことなんでしょうね」

 

 クルーエルが口にした言葉を反芻させる。

 まるで猟奇的な死の犯人が……『アビス』が向こうからやってくるような言い方。どんな根拠を持ってクルーエルは言ったのか。

 

 もちろんただの勘である可能性もあるが、ファニーとしてはどちらでもよかった。

 クルーエルが愉しいことを見せてくれる予感があったから。

 

「いずれにしても、ついていきますけどね。ただ……これは明日、確実に筋肉痛ですね」

 

 脚に溜まっていく疲労。ファニーは翌日来るであろう痛みを確信し、苦笑する。

 そして彼女の予感もまた、確信に変わる。

 唐突に、クルーエルは歩みを止めた。合わせてファニーも立ち止まる。

 

「来た……」

 

 呟くクルーエルの視線の先、街灯の明かりが届かない夜闇の向こう。何かがやってくるのが見える。全体のシルエット、重い足音から察するに、かなり大きい。

 それはやがて、明かりが照らす場所までやってきて、その姿を露にした。

 

「うわ、なんですかあれ……」

 

 視線の先にいるモノを目の当たりにして、ファニーは思わず顔をしかめてしまう。

 一言で表すなら、気持ち悪いくらいに肥大した人であった。いや、人と表現していいのだろうか。

 物語に出てくるトロールにその見た目は似ていた。もっと言ってしまえば今にも破裂しそうな風船。もしくは今にも溶けだしてしまいそうな、腐った肉の塊。

 

 濃い赤紫のぶよぶよとした肌は焼けただれたように荒れている。どこが間接だかわからないほど厚い肉をその身にまとっており、浮かび上がった血管は別の生き物のように脈動を繰り返す。

 一目で異質だということが分かるほど醜い肉塊。ふらふらとおぼつかない足取りでこちらへと近づいてきた。

 

「あれが……そうだっていうんですか? クルーエルさんが探して……いた」

 

 冷や汗を垂らすファニー。間違いなく『アビス』である。だが、まさかあんな醜悪なものが出てくるとは思わなかった。

 彼女の問いかけにクルーエルは頷いた。

 腕が丸太のように膨れ上がっており、確かにあんなもので殴られれば人の頭はスイカのように簡単に割れてしまうだろう。

 

 被害者の男性なんか、抵抗する間もなく潰されてしまったことが容易に想像できる。

 間違いなく、あの『アビス』が今回の猟奇的な死の犯人。

 だが、ファニーはまだ何かあるような気がしてならなかった。現場で見つけたゲソ……『アビス』の痕跡と、あの肥大した肉体の関連性の説明がつかない。

 肉塊とゲソでは肉の性質がまるで違う。となれば別の『アビス』の可能性もあるが……

 しかしファニーがこの思考をまとめるには、目の前の肉塊があまりに脅威。落ち着いて考える余裕はなかった。

 

「『アビス』に遭遇できたのは嬉しいのですが……。あいつ、意思とか感情が読み取れませんね。話が通じるとは、到底思えませんよ」

 

 苦笑を浮かべながら、ファニーは肉塊から距離を取ろうと後ずさり。

 『アビス』と遭遇して、普通の人間がかなうはずがない。彼女は隙を見て逃げるための算段を考える。

 一方のクルーエルはファニーとは逆方向。肉塊に一歩近寄った。

 

「ちょ、クルーエルさん。何しているんですか?」

 

 彼女の行動が全く理解できないと、ファニーは焦りの声。あんな巨漢に指一本でも触れられたら、華奢なクルーエルの身体は簡単に折れてしまう。

 しかしクルーエルは耳を貸す様子は全く見せない。いつもと変わらない、ぼんやりとした瞳で肉塊を見据えていた。

 

 それどころか彼女は自身のスカートをたくし上げた。その行為に恥じらいの感情は一切見えてこない。

 露になる彼女の下半身。病的なほどに白く細い脚。下着と……枝のような太ももに巻き付けられた革製のバンド。

 そしてバンドにはナイフが一本ぶら下がっていた。

 

 クルーエルはナイフを引き抜く。幼い少女が持つにはあまりに武骨な鈍い鋼。

 彼女はどこからか取り出した白いホッケーマスクを被り、その顔を隠す。

 瞬間、そこにいた少女は、少女の形をした得体のしれない何かに雰囲気を変えた。

 

「………」

 

 固唾を飲むファニー。

 街灯がぼんやりと照らす夜の路地裏。吹く風がクルーエルのワンピースの裾をはためかせる。それと共に彼女の胸元、そこに刻まれたⅩⅢの文字が見え隠れした。

 

「クルーエルさん、危険ですよ。あんなの、親指姫とトロールの体格差ですからね」

 

 クルーエルはファニーの忠告を聞き入れる様子は見せない。

 彼女はナイフを逆手に持ち、そして……構えるでもなくただそこに立つ。それだけだった。

 見るからに隙だらけ、無防備な姿。

 

「え……何もしないんですか!?」

 

 何をする様子を見せないクルーエルに焦るファニー。そうこうしているうちに肉塊は容赦なくこちらへと近づいてきた。

 距離はもうすぐそこ。数歩の位置まで来ている。

 距離が縮まる度、その醜悪さがより鮮明に。否が応でも顔をそむけたくなる。

 

「ん~……」

 

 しかしファニーは目を細めて異形を凝視した。気になることがあった。

 醜く膨らんだその顔だが、どこか見覚えがある。しかもつい最近だ。

 だが彼女がその引っ掛かりを解消するよりも前に、肉塊が目の前に。

 肉塊の視線はクルーエルの方へ向く。

 

「クルーエルさん、来ます!」

 

 ファニーが叫ぶのと同時に、肉塊はクルーエルに手を伸ばした。彼女につかみかかろうと勢いよく、ウインナーのような五本の指を広げて。

 しかしクルーエルがナイフを持つその手を振り上げることで、肉塊の腕を振り払った。……いや、切り払った。

 

 たかがナイフ一本。それを持つのは小さな少女。だが、彼女の一振りは肉塊の腕を深く傷つけた。

 ボタボタと腕から流れ出る黒い血はまるで漏れ出したオイルのよう。ドロドロと滴り地面を汚していく。

 

 あんな見た目ではあるが、ちゃんと痛覚はあるらしい。腕を抑え、痛みに呻く肉塊の咆哮。

身体の芯まで揺さぶるような重低音に、たまらずファニーは耳を抑える。

 

 しかしクルーエルの方はまるで音なんか聞こえないと言わんばかり。平然な様子でそこに立っていた。

 よろめき後ずさりをする肉塊。小さな少女からの予想外の反撃に身の危険を感じたのか、距離を取ろうとする。

 クルーエルは体制を低くし、苦しみに悶える肉塊に向かって駆けだした。そして……跳ねた。

 

 クルーエルと肉塊の体格差は天と地ほど。彼女が背伸びをして手を伸ばしたところで肉塊の頭には届かない。

 しかしクルーエルの跳躍は、肉塊の頭上をはるかに超えるもの。羽のように軽やかに、高く。

 異常な身体能力を見せつけるクルーエル。跳躍の頂点に達した時、彼女はまるで祈るように手を組み、ナイフの切っ先を地面に向けるよう握りなおす。

 

 跳躍の勢いがなくなった彼女は自然の摂理に従い地面へと落下。しかしその先は地面ではなく……肉塊の頭部。

そして……落下の勢いを乗せたまま、肉塊のうなじに辺りにナイフを突き立てた。

 短い悲鳴を上げる肉塊。

 

 クルーエルは肉塊の肩を踏み台にもう一度跳躍。その勢いでナイフを引き抜いた。

 同時に重油が噴き出したかと思うほど、真っ黒な液体が噴き出した。

 肉塊は声を上げることなく、その鈍重な身体を地面へと、小さな地響きと共に倒れ伏す。

 

「……お見事」

 

 軽やかに着地をするクルーエルに、ファニーはそうとしか言えなかった。

 振り向くクルーエルは仮面を外す。その表情はいつもと変わらず、どこを見ているのかわからないぼんやりとしたもの。およそ今しがた生き物を殺したとはとても思えない。

 

「クルーエル(残酷)の名前の通りですね」

 

 地面に転がる文字通り肉塊に視線を向けながら、ファニーは小声でつぶやく。

 『アビス』を相手にしたというのに返り血一つ浴びていない、白いままのクルーエル。少女としてその力はあまりに異質であり、そのためらいのない心はあまりに残酷。

 

 だからこそファニーは彼女に興味を持つ。

 もっと彼女のことを見ていたいが、今は優先順位が違う。

 

「……で、これが今回の『アビス』ですか」

 

 ファニーは肉塊を確認する。ブクブクに膨らんだその姿はまるで水死体のようにも思えた。異臭はしないはずなのに、醜さのあまり腐臭が漂っているように錯覚してしまう。

 彼女は顔をしかめながら、つま先で肉塊の頭部を小突く。

 

 原型が分からないくらいに肥大した顔をもう一度よく見る。先ほどから感じる引っ掛かりの正体を探ろうとして……。

 その正体はすぐに分かった。

 

「あ、この顔。被害者の男性です」

 

 ファニーは声を上げると同時に、ポケットにしまってあった写真を取り出す。依頼主の恋人、猟奇的な死の被害者である男性が、頭を潰されて死んでいる写真。

 肉塊も写真の男性も顔が別々の意味で崩れてしまっているが、重ね合わせてみてみれば一つ一つのパーツの作りがよく似ていた。特に目の形なんかは未だに面影が残っている。

 偶然として片付けてしまうにはあまりにそっくり。

 

「どうしてこんなことが……双子とか、兄弟というには……ちょっと無理がありますね」

 

 ファニーは顎に手を当て思考を巡らせた。しかも彼女の疑問はそれだけではない。

 

「それからもう一つ、コイツが犯人だとしても、やはり『アビス』の痕跡とは結び付かないんですよね……」

 

 小瓶に入った、未だ蠢くゲソと肉塊を見比べる。双方『アビス』が絡んでいることは明らかだが、別物にしか思えない。

 

「ちょっと、詳しい人に確認を取ったほうがいいかもしれま――」

 

 しかし、ファニーの言葉は途中で止まった。

 肉塊の頭が蠢いたのだ。まるで内側に何かいるかのように。

 

「……!」

 

 反射的にファニーは飛び退いた。

 肉塊の頭部の蠢きは徐々に大きくなり……爆ぜた。飛び散る肉片。ビチビチと水揚げされたばかりの魚の群れのように。赤紫色が辺り一面に散らばる。

 なにより、写真で見た男性の猟奇的な死の写真とそっくりな光景が、目の前に広がった。

 

 それと同時に、ファニーが抱いていたそれまでの疑問のほとんどが、まるでくみ上げたパズルが一枚の絵を示すかのように解消されていくのを感じる。

 

「なるほど、前提が違いましたか」

 

 ファニーの口元は笑顔を浮かべていたが、額に冷や汗が垂れる。

 

「てっきり外部からの力によって潰されていたと思っていたのですが、まさか内部からの破裂とは……」

 

 目の前の光景を目の当たりにして、ファニーは顔をしかめる。

 男性の猟奇的な死は、目の前の肉塊が男性の頭部を潰したせいだと思っていたが、本当は違った。男性の内側にいた『アビス』が、外に出てきたため爆ぜたせいだったのだ。

 

「で、これが今回の『アビス』。その本体……ですか」

 

 肉塊の頭部から這い出てきたのは人の形をしていた。

 しかし血と粘液にまみれたその身体は人というにはあまりに不完全。黒い瞳だけの目、血管の透けた毛が一本も生えていない皮膚。小さな身体に対して異様に発達した頭部。何となく胎児を彷彿とさせる見た目だった。

 

 しかしファニーは瞬時にその胎児が『アビス』としていかに危険かを悟る。身体の芯が一瞬にして凍るような寒気。

 

「なんか呟いて……いますね」

 

 耳を澄ませれば聞こえる。呻くように低く、それでいて賛美歌のように高い呟きの声。

 知らない言語体系の言葉を延々と口にし続ける胎児。

何を言っているかはわからないが、単語を紡ぐ速度が以上に早い。それに呼応するかのように胎児の頭上の空間が歪んでいった。

 

「えー……あたしの想像と全然違ったんですけど。だいぶやばいですね、コレ」

 

 歪みは徐々に大きくなり、空間に黒よりも深い穴をあけてく。このままいったらどうなってしまうのか。ファニーの背中に冷たい汗が流れる。

 

「どうしますクルーエルさん。逃げます?」

 

 どうにか平常心を保とうと、のんきな口調で隣にいるクルーエルにファニーは問いかけた。

 

「だめ」

 

 しかしクルーエルは断りの言葉を口にすると同時に、前に駆け出していた。再び仮面を付ける。

 

「あ、クルーエルさん!」

 

 ファニーが制止する間もなく、クルーエルは胎児に肉薄。首筋めがけてナイフを握る手を伸ばした。

 しかしすんでのところでクルーエルはその手をひっこめる。すぐさま後ろに飛び退き、胎児との距離をとった。

 胎児が歪めた空間から、何かが飛び出してきたのだ。

 それはゲソのように細長い触手だった。

 

「これですか、『アビス』の痕跡として残っていたものの正体は」

 

 ファニーは叫んだ。彼女が小瓶の中に入れた『アビス』の痕跡と特徴が一致している。

 あの胎児が呼び出したものだったようだ。

 空間から伸びる触手は鞭のようにしなり、クルーエルへと伸びる。

 

 クルーエルは姿勢を低くし、触手を右へ、左へと避ける。空振り、触手が地面を叩くとその場所に小さくひび割れができていた。

 不規則な触手の動きに怯む様子もなく、クルーエルは再び胎児へと接近。

 もう一度、クルーエルは胎児めがけて腕を伸ばした。抵抗するかのように、触手も彼女へと鋭く向かう。

 

 しかしクルーエルのナイフの方が一瞬早い。触手が彼女の目の前で動きを止めた。わずかに、クルーエルの髪が切れ、落ちた。

 胎児の首にナイフはあっさりと突き刺さる。声を上げる間もなく数回痙攣したのちに胎児は動かなくなった。

 それと共に頭上にあった空間の歪みは急速に収束していく。触手もまた、空間の歪みに呑まれ消える。

 

 クルーエルはナイフを引き抜き、振り払う。ナイフについた血が半円状に飛び散り、地面に弧を描いた。

 とどめと言わんばかりにクルーエルが胎児の頭を踏み潰すと同時に、歪みは完全に消失。何もないが残る。

 

「うわ、容赦ないですね」

 

 クルーエルの念いりっぷりに苦笑を浮かべるファニー。

 言われたクルーエルは気にする様子を見せない。仮面を外しナイフと共にしまっている。

 スタスタとファニーの方に歩いてきて、

 

「終わった……」

「お怪我は?」

「痛くない」

 

 ファニーの問いかけにそうとだけ答えるクルーエル。

 彼女の身体には本当に傷一つついていない。『アビス』を相手にして、まずありえない結果。

 

「ねえファニー。わたしは、生きてる?」

 

 自身の身体を見回しながら質問するクルーエルに、ファニーは笑顔で答えた。

 

「ええ、ぴんぴんしてますよ」

「そう……」

 

 なぜか残念そうなクルーエル。

 そう言えば彼女は痛みを求めていることをファニーは思い出した。しかもただの痛みではなく、『愛のある痛み』。

 なんだそれはと首を傾げたくなるような曖昧なものを求める少女、クルーエル。

 ああ、だから彼女は最初、猟奇的な死に『愛のある痛み』があるか聞いてきたのか。

 ファニーは納得したと同時に、肩をすくめる。

 

「相変わらず変わった人です。ま、あたしが言えた口じゃないんですが」

 

 胎児の返り血で汚れたワンピース。赤黒く染まったそれを眺めている。その顔は生き物を殺した罪悪感というよりは、遊んでいたら服を汚してしまい、悲しむ子供のように思えた。

 本当に何を考えているのかわからない。だから彼女は愉しいのだ。

 

「帰る……」

 

 汚れた身体のままクルーエルは街灯が照らす夜闇の中を歩く。

 ファニーもついていこうと一歩踏み出したが、立ち止まった。

 振り返って、

 

「さて、この状況。どうやって誤魔化しましょう」

 

 血と肉塊が散乱する辺り一面を見回して、ファニーは大いに苦笑した。

 

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