【熊本ネタ】熊本が好きすぎた結果地元愛を拗らせた西住まほ 作:Mamama
黒森峰の会議室は静かでありながらも熱狂的な雰囲気に包まれていた。『あとぜき』と書かれた張り紙なんてものがなくたって、誰かが通り過ぎようとした時この会議室の扉が開いていたら閉めようとするだろう。出身地別に区分けされた其処には戦車道を履修する黒森峰の生徒達、計三十人が言葉を交わすまでも無く、既に戦いを繰り広げているのだ。
狂気とは伝播する。そのようなキャッチコピーを残した映画があったが―――情動感染とも言うソレは、会議室という密室空間において各々が抱く地元愛を極限までに肥大化させるに至っていた。
討論は既に始まっているのだが、目線による牽制のし合いによって膠着状態が保たれている。
「……このままじゃ話が進まないじゃない。あのねぇ、熊本の中心は熊本市で決まっているでしょう? 県庁所在地で一番栄えてるんだから」
肌が泡立つような異様な雰囲気の中、口火を切ったのは『熊本市出身』と書かれた紙の三角柱の前に陣取った逸見エリカその人である。
この場に置いても物怖じせず言い切ったのは一年生ながらティーガーⅢの車長を務めるに至った胆力と実力故だろう。そのエリカの隣で強引に引っ張ってこられた小梅が酸欠の魚の如くパクパク口呼吸をして必死に自分の存在を消そうと足掻いている。
かかった―――!
熊本市以外の出身者達はエリカの言葉をこそ待っていたのだ。熊本市出身者のグループは黒森峰の中において最大の勢力を誇るグループである。本日参加する三十人の中でも熊本市の出身者達は一番多い。
だからこそ、他の出身者達はまず熊本市グループを潰すという一手に出る。出身者数名の小競り合いなど、そこで局地的な勝利を得ても大きな渦に飲み込まれるしかないからだ。
故にまずは手を取る。業腹であるが、勝利の為ならば誇りすらも嚥下をしてみせよう。
同盟などという繋がりではない。利害が一致しただけの関係であるが、それゆえに強固である。
しかしエリカとてその事が分からないほど愚鈍ではない。それらを理解してなお、勝算があると見て先の発言に踏み切ったのだ。
先に述べた通り、熊本市グループは最大勢力である。であれば下手な小細工など不要。
策を弄すは格下の戦法である。正攻法で叩き潰せるだけの戦力があれば正面から打破すれば良い。そして、そこから得られる勝利は値千金である。
なによりも―――。
エリカは顔を動かさず、視線だけを奥にやった。
会議室の端にはオブザーバー達が数人座っている。西住姉妹と、数少ない他県出身者達だ。
そう、熊本市出身である西住姉妹だ。これは熊本市グループにとって大きな盾だ。幾ら基本的には介入しないと明言してあっても、やはりその存在感は無視できない。
「な、何よ! ちょっと栄えてるからって! 熊本市なんて合併繰り返して大きくなっただけじゃない! 言っておくけど山鹿市だってマックで待ち合わせくらい出来るんだからね! それに熊本市だってピンキリよ! 逸見さんはどこに住んでるのよ! まさか金峰山しかない西区だなんていわないでしょうね!?」
「チッ、素人が……」
思わず毒づく阿蘇市出身の上級生。都市の繁栄具合だけでいえば熊本市の一強なのは一目瞭然。であれば攻め方を変えなければならないのだ。山鹿市といえば藤崎宮例大祭と並ぶ山鹿灯篭祭りがあるし、八千代座だってあるだろう。文化方面から攻めていけばいいものを、一年生故か挑発に乗ってしまった。
―――いや、それすらも計算づくか。
「私の実家の住所? 中央区新屋敷だけど?」
「新屋敷だと―――!?」
途端に喧噪に包まれる会議室。
―――計算通り。
多くの生徒達が慄く姿にエリカはにやりと笑う。
「中央区新屋敷……! 熊本で最も栄えているというあの……!」
「高級で知られる中央区、その中でも最高ランクの場所だと……!?」
「逸見家は名家だという噂があったがまさかそこまでとは……!」
※熊本市の坪単価平均は約49万円、なお東京都中央区の坪単価平均は約2833万円(公示地価ランキング2020より)
「ふふ、中央区といえば熊本の中核。パル玉に鶴屋に熊本城―――。熊本の全てがここに詰まっているといっても過言ではないわ」
「ちょっと待ってくれ! 私の実家がある光の森周辺だって高級住宅街だ! 熊本市に引けは取らない!」
※菊陽町の坪単価平均は約18万円。
「そうよ! 山鹿だって田舎じゃない! オム〇ンの関連会社だってあるし、栄えているわ!」
※山鹿市の坪単価平均は約4万5000円。
「ハッ! 路面電車はおろか鉄道すら走ってない山鹿市が何を言うかと思えば。可哀そうね、路面電車が絡む交差点の緊張感を味わうことが出来ないなんて」
「ハァ!? 鹿本鉄道があるんですけど!」
「……いや、流石にそれを持ち込むのは駄目でしょ。半世紀前には廃線になってるじゃない」
鹿本鉄道、後の山鹿温泉鉄道は大正時代に開通し1960年代には廃止されている。流石に半世紀も前のモノを持ち出すのは看過出来ずエリカも突っ込む。誰がどう聞いてもエリカの正論なのだが、頭に血が上った山鹿出身は更に逆上した。
「アーケード街が近いからって調子に乗って! 中央区の新屋敷なんて白川の氾濫で一番割を食う場所じゃない! それにセンタープラザだって……うッ!」
センタープラザの話題を出した時、オブザーバー席にいるまほから強烈なプレッシャーが放たれ、山鹿出身の下級生は口を閉口させた。まほにとってその話題は地雷だったようで、口出しこそしてこなかったが、それ以上は侮辱と取られたことだろう。
途端に静まり返る会議室の中で、阿蘇出身の上級生はため息を吐いて口火を切る。
「……皆、落ち着きましょう。今のは隊長が収めてくれたけど、感情が先行しては討論にはならないでしょう?」
阿蘇出身の上級生が穏やかな口調で述べた。彼女は弱小グループの将である。自らそれを理解した上で、彼女は乾いた口内を湿らせて朗々と述べた。
「逸見さん、確かに都市の発展具合で言えば熊本市が一番かもしれないわ。でもね、現代的な都市が形成されていれば一番と言えるのかしら。確かに阿蘇は夜間に懐中電灯が無いと出歩けないほどに田舎よ。風に乗って牛の香りがしてくるし」
でもね、と続ける。
「阿蘇のカルデラは世界一位(※諸説あります)だし、野焼きで合法的に放火が出来るし、ミルクロードはバイカー達の聖地。ほら、こうしてみれば阿蘇だってたくさんの魅力があるでしょう? 物事は多角的に見ないと。ねぇ?」
「ミルクロードでしたら私の地元の菊池から伸びています! ミルクロードを阿蘇の物のように言うのは控えて頂きたい!」
「例えよ、例え。……まぁ、こういう風に熊本の一番を名乗るからには都市の発展ぶりだけじゃ決められないということよ。自然や文化、食。そういうものを含めて総合的に判断するべきでしょう?」
「上等……! 熊本市が一番だって事を思い知らせてやるわ……!」
「あ、それなら天草もヒトデが美味しいことが有名で―――」
「「「ごめん、それは嘘」」」
「なんでですかぁ!?」
天草出身の下級生が我が意を得たりとばかりに発言したが、一瞬で否決された。涙目で訴える下級生に対して皆が皆気まずそうな視線を逸らす。
食文化を否定する気は更々ないが、流石にヒトデを全面に出すのはちょっと……と言わんばかりの態度だ。
「いや、天草の中でもごく一部しか食べられてないし……」
「私、上天草出身ですけど食べたことないですよ。というか、秘密のケン〇ンショーで初めて知ったくらいで」
「『熊本の人ってマジでヒトデ食うの?』って言われて複雑になる気持ち、アンタ考えたことあるの? 普通の県民は食べないわよ」
継続高校の生徒に『河豚の卵巣食って毒とか大丈夫なの?』と聞くようなものだ。周囲からフルボッコされた天草出身の下級生はしくしくと泣いた。
一先ず此処で前哨戦は終わりを告げる。山鹿出身の下級生も頭が冷えたのか、落ち着きを取り戻す。
「……どうだ。黒森峰の連中も面白いだろう」
あーだこーだと議論している生徒達を見ながら、まほは両隣に座る生徒に小声で話しかける。
「え、ええ。なんというか、本当に郷土愛が強い方なんですね……」
「郷土愛もここまでくれば立派なものだと思いますよ……」
女子生徒二人は顔を引き攣らせながら返事をした。黒森峰の新入生で唯一の東京出身者と福岡出身者だ。異様なまでの熱気に始終押されっぱなしだったのだが、ここに来てようやく慣れてきたようだ。
「若い身一つで熊本まで亡命してきたのだ。その心情、察するに余りあるが……」
「いや、心情も何も普通に引っ越してきただけですから。というか国内の引っ越しを亡命とは言わないです」
「別に私達は迫害されてきたとか、そういう事情はないですって」
「冗談だ。ただ、君達も見知らぬ土地で大分苦労しているだろう」
まほの言葉に二人は頷く。
「それはまあ、分かっていたことですが練習も大変ですし」
「友達とかもこっちに来たばかりなんでいませんしね」
熊本どうこうの前に縁も所縁もない場所に単身で越してきたのだ。慣れない環境での新しい生活だ。苦労など幾らでもあるだろう。
黒森峰に入学した県外出身者は他にもいるが、まほがこの二人を敢えて連れてきたのには理由がある。どうにも気後れしてしているのか、上手く黒森峰にまだ馴染めていない二人だからだ。
「そうだな。これから三年間、黒森峰で戦車道を学ぶんだ。だから、熊本の事を知ってほしいと思った。それに……黒森峰の練習は確かに厳しいが、それだけではないところを見せてやりたかった」
二人は地元の事を熱く語り合う黒森峰の隊員達を見る。練習の時には鬼のように厳しくなる上級生に、同じ学年なのに自分達よりも遥かに優秀な下級生。劣等感と、そして県外出身故の疎外感があった。しかし今はどうだろうか。ぎゃあぎゃあと騒ぐ姿はある意味とても女子高生らしい。話の内容は置いておくとして、その光景だけを見ていればどうでも良い話題で盛り上がる自分達と大差ない。
「気後れする必要はどこにもない。君達と彼女達は同じだ。……そうだな、注目!」
まほの一声でまたしてもエキサイトしつつあった会議室は静まり、全ての視線がまほの方を向く。
「それぞれの熱い思いは分かった! しかし主観的になってしまうのも良くないだろう。ここは県外出身者の者に客観的な意見を求めてみてはどうだろう!」
まほの提案に顔を見合わせる生徒達。
「……そうね。確かにこのままじゃ結論が出ないし」
「客観的な意見を聞きましょう。というか、いい加減疲れてきたし」
「……だ、そうだ。二人とも行ってくると良い」
まほに背中を押され、困惑しながらも前に出る二人を、熊本出身者達が取り囲む。
「アンタは確か……福岡出身だったわね。どう? やっぱり熊本市が頭一つ抜けて発展してるわよね? 熊本市がナンバーワンよね?」
「逸見、お前にそのつもりがなくてもそれじゃ恫喝と変わらんぞ。それはそれとしてやはり荒尾市が一番だろう。福岡と県境でもあるしな。そうだと言え」
「落ち着け。この子が落ち着いて喋れないだろう。……というか、熊本市以外の場所を知っているのか?」
「あ、私は高校に入って初めて熊本に来たので……」
「やはりそうか。……ではどうだ? 福岡と比べて熊本は? 忌憚ない意見を聞かせてくれ」
「……あー、都市の発展具合だけならやっぱり福岡の方が」
福岡出身者として素直に意見述べたつもりだ。見下すではなく、博多に住んでいたので単純にそう思っただけだ。決して悪意はないし、人口密度やビルの数からしてもそれは客観的な事実だ。
しかし時に正論とは人を傷つけるものである。福岡が目の上のたん瘤だと無意識の内に感じている熊本県民達のプライドをいたく傷つけた。
「ハァ!? 九州ヒエラルキーで一位だからって熊本見下してんじゃないわよ!」
「福岡は確かに都会のイメージだが……。見識が狭いと言わざるを得ないな」
次々と攻撃を受け、福岡出身の女子生徒は苛立った。九州のトップは福岡であることは動かない。有象無象共が二位以下でどんぐりの背比べをしている中で悠々と一位なのだ。不動の一位にある福岡に何故熊本如きに逆らっているのか、という考えが浮かぶ。
そしてそれは福岡出身者同様に質問攻めにあっている東京出身の女子生徒も同様だった。
彼女から見れば熊本など未開の地である。原住民風情が一丁前に東京に反抗するなど許されない行いだ。誰が日本のGDPを引っ張っていると思っている。弁えろ。
「やっぱり熊本は田舎ですよ。自然は豊かですけど都市の発展具合なら福岡の方が上です」
「日本の首都たる東京に勝てるとお思いで? いきなり団子の食べ過ぎで頭までサツマイモが詰まっているのですか?」
「き、貴様等ァ……!」
そこから始まるのは熾烈な煽り合いだ。下級生も上級生もレギュラーメンバーも、なんの意味もなさない。
「熊本空港はアクセスが悪すぎるんですよ! 公共交通機関がバスしかないってどういうことですか!? せめて空港に鉄道繋げてから都会を名乗って下さいよ! 空港周辺は何もないし! 道中のスプーンカーブは狭くて怖いし!」
「あァ!? 奥ゆかしい県民性を体現した良い空港だろうが!」
「そうよ!東京出身だからって偉そうに! 大体私は前から気に食わなかったのよ! 前に東京に遊びに行った時にジョイ〇ルに行くっていうから付いていったらホームセンターだったし!」
「それは先輩の勘違いでしょう!?」
東京出身の女子生徒が上級生達とやり合っている一方、福岡出身者の女子生徒はエリカと睨み合いをしていた。
「……前々から気に食わなかったのよ。福岡出身だからといって優越感に浸っているアンタがね」
「被害妄想ですね。もしあったとして、それは福岡が上と思っている証拠ですよ? 熊本が世界の中心なんですよね? 逸見さんも心のどこかで福岡に負けてるって思ってたんじゃないですか?」
「言わせておけば……!」
「言いますよ。レギュラーメンバーだからと反抗されないと思ったんですか? ……話を聞いていましたが、なんですかパル玉って。あんな通販で買えるようなものをありがたがる神経が理解できませんね。あと天神じゃ待ち合わせは角マックみたいな芋臭い場所じゃなくて大画面前なんで」
遠慮がちだった二人の姿はもうない。慣れない環境に厳しい練習。過度な熊本愛を語る黒峰守隊員達。フラストレーションが溜まる原因はいくらでもあったのだ。それがここに来て爆発した。
けれど、二人にとってここまで大きな声を出すのも本音で話すのも久しぶりのことだった。
「……」
その光景を見たまほはひっそりと席を立って何も言わずに退出した。
「お姉ちゃん」
退出したまほをみほは追いかけた。
「みほも着いてきたのか」
「着いてきたっていうか。あの、放っておいて大丈夫なの? あの二人、凄いもみくちゃにされてたけど……」
「ああ、あれで良い。県外出身者の中での特にあの二人は浮いていたからな。馴染める切っ掛けになるだろう」
「うん、それは私も話を聞いていて思ったんだけど。でも、なんでこんな方法を? ……良くない言い方になるけど、あの二人はレギュラーでもないんだから、こんな荒療治じゃなくてもっと時間を掛けた穏当な方法があったんじゃない?」
「……確かにそうかもしれない。だが、私がいる間に出来る事をしたかった」
まほはそこで初めて振り向いてみほの方を向いた。
「もしかしたら、次の大会が黒森峰の隊長としての最後の大会になるかもしれない」
「どういうこと」
まほはまだ高校二年生だ。次の大会が終わっても、高校三年生の大会がまだ残っている。僅かに硬さを孕んだ声のみほにまほは声を小さくして言う。
「まだ正式なものではないが、国際強化選手としてドイツに来ないかという話が来た」
「……それって留学ってこと?」
「そうなる。まだ時期も未定だ。三年生まで残れる可能性もあるだろう。だが、場合によっては私が二年の内にドイツに旅経つことになるかもしれない」
名誉な話だ。尊敬する姉がその力を認められて世界に羽ばたく。それはとても素晴らしいことだ。だが、いきなりそんな話を聞かされたみほの心中も穏やかではいられない。
何せ外国だ。気軽に行き来が出来る場所ではない。半年、もしかすると一年以上会えなくなるかもしれない。
「まだ私も迷っている最中だ。熊本から離れることにもなるし」
「そ、そうだよ! ドイツに行ったらちくわサラダも太平燕無いんだよ。お姉ちゃん我慢出来るの?」
「そうだな。だが地元を離れることによってまた見えてくるものがあると思っている。……どの道を選ぶにせよ、まだ先の話だ。他の部員達には内密に」
「う、うん……」
まほに言われずとも、こんな話は他の隊員達に聞かせられない。隊全体の士気に関わることだ。顔を俯かせて並んで歩く。大会が近く多忙ということもあり、こうやって並んで歩くことが久しぶりの事だ。
「……そう不安がるな。まだずっと先の話だし、私自身まだ葛藤がある」
「……うん。でももし本当にドイツに行ったら中々帰ってこれなくなるよ。お姉ちゃんは本当に大丈夫なの?」
「いや、数週間に一度くらいは帰ろうと思っている。直行便で二時間も掛からないし」
「……ん?」
みほも詳しいフライト時間を把握しているわけではないが、流石に数時間でドイツに行けないことくらいは分かる。そもそも熊本ドイツ間の直行便などない。
「あの、お姉ちゃん。確認するけど留学先はドイツだよね?」
「当然だ。先ほどそう言っただろう」
「……正式名称で言ってもらえるかな。もしかしたら私の勘違いかもしれないから」
「東京ドイツ村だ。……テレ〇タの録画分を見ないといけないから私は先に帰るぞ」
まほはいそいそと足早に去っていった。これからちくわサラダとノンアルビールで一杯やりながらテレ〇タを眺めるのだろう。最近のまほの日課だ。
まほの後ろ姿を眺めながら一人取り残されるみほ。
「……お姉ちゃん、そこは千葉県だよ……」
残念ながらその声はまほには届かなかった。
これにて完結。
全然やってなかった感想返しとか明日からやっていきます。