焔がやってきた翌日、凛は彼女を連れて実家に顔を出した。時江と珠が焔を向かえ、四人は屋敷の居間で向かい合う形となって座った。
「お久しぶりです。時江様、珠様」
焔はびしっと背筋を伸ばした後、深々と頭を下げた。だが時江はそれに軽く肩を竦めると手をひらひらと振った。
「様付けなんてやめとくれ。もうそんな時代でもないんだ、好きに読んでくれて構わないよ」
「そうよ焔ちゃん。気軽にしていいから」
二人が言うと、焔は頭を上げて可愛らしく笑顔を作って二人に言った。
「それじゃあ、改めまして。久しぶり、時江ばーちゃんに珠さん」
「うん、やっぱりそっちの方がいいねぇ。それでどうだい? 凍のヤツは元気そうかい?」
「もちろん、凍姉はいっつも元気だよ。あ、そうだこれ……凍姉から皆にお土産だってさ」
焔は隣に置いておいた荷物から数箱のお土産を珠に手渡した。箱の形状からして和菓子のようだ。
「ありがとう、あとで皆でいただくわね。さて、今日はゆっくりできないんだったかしら? 凛」
「そうだね、この後事務所に行って色々手続きしたりがあるからね。まぁその後は零子さんから大まかな説明を受けたりして……結局ゆっくりできるのはもう少したってからかな」
「なら仕方がないね、今日はもう行きな。家には何時来たって構わないし、翠ちゃんも週二、三回は通っているわけだしね」
時江がそういうと、焔と凛は立ち上がり焔は静かに頭を下げた。
「じゃあ、これからよろしくお願いします!」
彼女の元気のよい言葉に二人が頷き、焔と凛はそれぞれ摩那と翠を呼んで、二人に軽く手を振りながら屋敷を出たあと、そのまま四人で事務所へと向かった。
四人が事務所に到着すると、すでに零子、夏世、杏夏、美冬が定位置についていた。そして、凛が焔をつれて、窓際の零子の机の前に立つ。
「零子さん、焔ちゃんを連れてきました」
「ん、ご苦労さん。さて……君が露木焔ちゃんか……随分とかわいらしい顔をしているな。まぁ十六歳なら当たり前か。私がこの黒崎民間警備会社社長、黒崎零子だ。好きに呼んでくれて構わない、但し呼び捨て以外はな。
社員の紹介は、あとで適当に受けてくれ。では、早速だが我が事務所の社訓を教えておこう。夏世ちゃん」
「はい」
零子が言うと隣に座っていた夏世が一枚の紙を焔に手渡した。焔がそれを受け取ると、零子が「読んでみろ」と彼女を促した。
「『黒崎民間警備会社社訓。
其の一、任務においては命を第一として考えよ。
其の二、仲間を見捨てること、傷つけてはならない。
其の三、任務からは必ず生きて帰るべし。』
……これは」
「読んでのとおりだ。うちの事務所は命を第一として考えている。間違っても刺違えてだとか自分が犠牲になって……というのは絶対に認めない。そして仲間を見捨てたり、仲間を攻撃したりするのも許さない。勿論、自分のイニシエーターであってもだ。最後の一つは……読んで字の如くだ。必ず生きて帰って来い、そういうことだ。ではこれ以外に何か質問はあるか?」
零子が手のひらを見せるように焔に問うと、焔は静かに首を振って零子に宣言した。
「いいえ、とてもわかりやすかったです。黒崎社長、私と私の相棒である翠をここで働かせてください」
「……ああ、勿論だ。というか最初から雇う気しかしていなかったんだがな。では君のデスクはっと……おや? 凛くんはどこに行った?」
「あ、凛先輩なら電話が来たみたいで外で話してるみたいです」
「そうか、それなら杏夏ちゃんと美冬ちゃんに夏世ちゃんは焔ちゃんに自己紹介でも済ませておけ、依頼も早急なものはないし今日は適当に過ごしていればいいさ。要請がなければね」
零子は肩を竦めるとタバコに火をつけ、紫煙を燻らせた。
「お待たせ、それで話したいことって何かな木更ちゃん」
事務所の外、階段の下にやってきた凛はスマホを耳に当てて相手である木更に問うた。
『その、話しづらいことなんですが……実はお見合いの話が私に来てるんです』
「お見合い……随分と突拍子もないね。いつだい?」
『明日です』
「これまた随分と急だね。相手は誰? 木更ちゃんも知ってる人?」
『はい。私とあと里見くんも知っています。名前は櫃間篤郎、私と里見くんが十一歳の頃に会った人で……私の、許婚だった人です。今回は紫垣さん経由で話が持ち上がったんです』
紫垣というのは紫垣仙一のことだろう。彼は木更が天童にいるときから使えていた執事であった人物だ。凛も何度か顔を合わせており面識はある。
……確か今は天童をやめて、バラニウム鉱山を掘り当ててから都内の一等地に邸宅を持ってるって噂だけど……恐らく木更ちゃんの雰囲気からすると、書類上の経営者が紫垣さんで、尚且つ二人の後見人もやっているって言うのが妥当かな。それで断るに断れないってことか。
木更の言葉はどこか震えていて若干の緊張も見え隠れしているため、凛がその答えにたどり着くのはそこまで難しいことではなかった。
「ところでこの事は蓮太郎くんには言ったの?」
『いえ……里見くんは、今ティナちゃんとガストレアが出現した東京タワーの近くに出動しています。里見くんには帰ってきたら話すつもりです』
「なるほどね。でも明日ってことはもう断れない状況にあるわけだ」
『はい、それで付添い人をお頼みしたんですけどいいでしょうか? 世話人の方は紫垣さんがやってくれるんですけどそれでも一人足りなくて……里見くんにお願いはしたいんですけど……彼、櫃間さんのことをあまりよく思っていないかもしれないので』
「僕はいいけど……うーん、この場合どうなんだろうねぇ。木更ちゃんと長く一緒に居たのは蓮太郎くんだし、どっちかって言うと彼の方が適任と言えば適任だと思うけど」
凛が言うと、木更は少しだけ答えに詰まった。恐らく凛の言うことも一理あると感じているのだろう。そして彼女は数秒考えた後、凛に告げた。
『わかりました、里見くんに話して彼の反応を見てから決めたいと思います。後でまた連絡します』
「了解。木更ちゃん、一つだけ君に聞いて欲しいことがある」
『なんですか?』
「うん、もし君が今回の縁談の話の中に少しでも不可解な点があるのなら……明日どんな話を持ちかけられても断った方がいい。もしかしたらそれが君のこれからを大きく左右するかもしれないからね。……突然ごめんね、でもそれだけは覚悟をしておいて欲しいんだ。それじゃあね」
『あ、はい……』
木更は凛が告げた忠告とも取れる言葉がよく理解できなかったのか、あいまいな言葉を返した。
しかし、凛はスマホをポケットにしまいこんでも眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
「それじゃあ今日はお疲れ様でしたー」
時刻は午後五時。段々と日が傾き東京エリア全体が朱色に染まる頃合に、事務所の入り口で焔が告げた。
「では、お先に失礼します零子さん」
「ん、お疲れさん。焔ちゃん、明日から頼むぞ」
「はい!」
零子の言葉に焔はビシッと敬礼すると、凛と摩那、翠と共に事務所を出て行った。後に残されたのはPCを操作して何かを計算している零子と、彼女を手伝っている夏世。
そして、自分のデスクにがっくりと突っ伏している杏夏と、彼女の姿を「やれやれ」といった様子で見ている美冬だった。
「杏夏……いつまでそうやって突っ伏しているつもりですの?」
「……」
帰ってきたのは沈黙だった。
なぜ彼女がこのような状態になっているかと言うと、数時間前に行われた自己紹介にある。
杏夏はいたって普通に自身の名前と、趣味やらなんやらそういったことを話した。焔もまたそれに習って自己紹介をしたのだが、その自己紹介が凄まじかったのだ。
その自己紹介というのがこうである。
『初めまして! 露木焔です! これからよろしくお願いします、杏夏先輩! あ、私の趣味は兄さんの人形を作ったり兄さんの観察をしたりすることです! あと、好きなものは兄さんです。嫌いなものは兄さんを邪魔するもの全てです。では、改めまして、これからよろしくお願いします!』
なんともサイコな自己紹介だったが、杏夏や美冬にも焔が凛のことを好きなのは十二分に理解できた。それもかなり猟奇的に好きなのだと。
それだけならまだよかった。しかし、杏夏をこんな状態にしたのは別の要因が関係している。
それは焔が凛の自宅で同居していると言うことだ。そのことを聞いてからというものの、杏夏は仕事に身が入らずずっと上の空で、結局今に至る。
普通ならこんな状態の相棒を気遣うのだろうが、美冬は違った。
「しょうがないじゃありませんの。焔は東京エリアに来て一日しか経っていないのですから、住まいが凛さんのところでも当たり前ですわ」
「そーだけどさー……焔の目を見てると、なんか今にも凛先輩を喰いに行くと言うかなんと言うか……すっごい肉食系の感じがするんだよね」
杏夏は言い切ると同時に頭をもたげて大きくため息をつくと、ゴンッ! デスクにおでこを打ち付けた。
「……痛い……」
「当たり前ですわ。……はぁ、零子さん、夏世。何か杏夏を立ち直させる方法ありませんの? このままだと家に帰るまで結構時間がかかりそうなんですが」
美冬はお手上げといった様子で手をぷらぷらと振りながら二人に問うた。すると、零子と夏世は顔を見合わせながら考え込んだ。
「いっそのこと凛さんのことをあきらめるとかはダメなんですか?」
「夏世ちゃん、それはさすがに酷過ぎだろう。でもこのままでいられるもの色々と面倒だな……いいか、杏夏ちゃん。焔ちゃんは確かに凛くんと同居しているが、何も二人がそういう関係だとは誰もいってないだろう?
彼女が猟奇的に凛くんが好きなのは十分わかっているが、あの凛くんが襲われると思うか? 襲われる前に撃退する絵しか私には見えないんだが」
「まぁ確かにそうですね。あの人はそういうのはしっかりしてますし」
夏世も同意するようにうんうんと頷いた。すると、それを聞いていた杏夏がゆっくりと立ち上がってぐっと手を握り締めた。
「そ、そうですよね! 凛先輩なら襲われても絶対に大丈夫なはずですし! 何よりあの凛先輩がそんなことを許すはずがないですもんね!」
若干無理をしているようにも見えたが、杏夏は力強く言い放った。美冬はそれを呆れた様子で眺めていたが、杏夏がそれなりに立ち直ったようなので安心した様子も見せていた。
零子と夏世もそれを見つつ小さくため息をついていたが、内心では出来れば彼女の恋が成就することを願うばかりであった。
事務所で四人がそんなことをしている時、凛達四人は揃って帰宅しそれぞれ家事にいそしんでいた。
摩那と翠はバスルームを掃除し、焔はベランダに干してある洗濯物を取り込み、凛はいつものとおりに夕食の準備を始めていた。
しかし焔はと言うと洗濯物を取り込む際、自分達の服を片付けた後凛の服を目の前にして鼻息を荒くしていた。
……はぅあ~、夢にまで見た兄さんの……兄さんの……パ・ン・ツ!! そして兄さんの匂いが満載のシャツ!! ……クンカクンカ……ふおおおおおお!! 身体の奥底から力がみなぎるぅぅぅぅぅ!!
凛の洗濯物に顔をうずめながらしきりに悶えていたが、不思議とその顔に苦しさはなく、ただただ幸福を噛み締めているようだった。
「も、もうちょっとだけ……ウヒヒ……」
欲望に染まりきった表情を浮かべながら凛のパンツに手を出した焔。だが、その瞬間彼女は後ろから声をかけられた。
「焔ちゃん」
ビクゥッ!! と焔は一瞬飛び上がったが、幸い凛はこちらを見ていなかったようで気づかれる事はなかった。
「は、はい? なんでしょうか兄さん?」
「洗濯物取り込み終わったらちょっとお手伝いに来てくれるかな? 少し野菜を切ってもらいたいから」
「わ、わかりましたー……ふぅ……気付かれなくてよかった……」
汗を拭うように額を摩った焔は安堵したように胸を撫で下ろした。
一方、凛は冷製のパスタを作るためにパスタの中でも極細のカッペリーニを茹でていた。
だが茹でると言ってもそこまで長い時間ではなく、ほんの二分ほどだ。しかし、二分茹でてしまうと麺がナヨッとしてしまい素麺のようになってしまうので、凛はいつも三十秒ほど早めに上げている。
「よし……っと」
タイマーを見ながらパスタを熱湯から取り出すと、そのまま氷水にいれ一気に冷やしにかかった。
ちょうどその時、凛のスマホにメールが届いた。
片手で麺を冷やしながら片手でメールを見ると、今日木更からあったお見合いの件の連絡だった。文面からすると、木更は凛に付添い人を頼みたいようだ。
凛はそれを確認すると木更に了解のメールを返した。すると、洗濯物を畳み終えた焔が凛の手伝いをしにやってきた。
「お待たせしましたー。何を切ればいいんですかね?」
「とりあえずトマトとナスを切ってくれるかな。小さめにね」
「わっかりました!」
焔は快活な笑みを浮かべると手を洗った後包丁を手にトマトを切り始めた。しかし、トマトを切り始めてから数十秒後、焔は凛に問うた。
「そういえば兄さん? さっきメールしてましたけど何かあったんですか?」
「ん? あぁ、明日ちょっとお見合いに行かなくちゃいけなくなってね」
瞬間、焔が今まで持っていたトマトを握りつぶした。彼女の手からはトマトの果肉と果汁がまるで血のように滴っており、しかももう片方の手には包丁を持っているためパッと見かなり恐ろしい。
「おみ……あい? 兄さんが……? だれとなんですか!?」
焔は必死の形相で凛に詰め寄りながら問うた。彼女の瞳には光が灯っておらずとてもうつろな目をしていた。だが、口元は三日月のように笑っているため、こちらもとても恐ろしかった。
「兄さん、答えてください……。誰とお見合いをされるんですか? 私とっても気になります」
「うんわかった、ちゃんと言うからさ焔ちゃん。お願いだから包丁を首に持ってこないで」
凛に言われ焔は少々落ち着きを取り戻したのか、包丁をまな板の上において凛の話を聞く態勢に入る。しかし、瞳は相変わらず虚ろだ。
「ふぅ……えっとね、僕がお見合いをするんじゃなくて、僕の知り合いの子がお見合いをするらしいんだ。それでその子の付添い人になってくれって頼まれたんだよ」
凛がそう説明すると、焔の瞳にスッと光が戻り先ほどのような笑顔が戻った。
「なぁんだ……それならよかったです。それでお見合いをするって言う兄さんの知り合いって誰なんですか?」
「あれ? 話したことなかったっけ? ホラ、天童家の木更ちゃん。前に一回話したと思うんだけど」
「あー、そういえば話してましたね。確か東京での妹分的な子でしたっけ?」
「そうだよ、その子も別の子に頼もうかと思ってたみたいだけど、生憎断られちゃったみたいでね。それで僕が行くことになったんだ。
ということでこの話はお終い。焔ちゃん、握りつぶしたトマトは無駄にしないようにミキサーに入れといてトマトソースを作るから」
凛に言われ焔はハッとした後、自身の手の中でグチャグチャになっているトマトをミキサーの中に入れた。
その後、氷水で冷やしたパスタの水気をしっかりと切り、トマトソースとトマトとナスを上からかけた冷製トマトパスタが出来上がった。
夕食後、女子三人がお風呂に入っている中、凛はリビングで適当なバラエティ番組を見ていた。
そのとき、またしても凛のスマホが鳴動した。
木更かと思いながらスマホの画面を見ると、彼女ではなく凍の名前が出ていた。
「もしもし?」
『よう、凛。焔は元気でやってるか?』
「うん、翠ちゃんともすぐに仲良くなったし。調子もよさそうだったよ、ただ時折目から光が消えるときが怖いけど」
『あぁ、あれな。まぁ……大目に見てやってくれ、勝手だとは思うけどな。それよりもいい相棒を見つけられたようでよかったよ。そうだ、お前に焔が得意なことを話しておくべきだな』
「得意なこと?」
凛は小首をかしげながら彼女に問うた。すると、凍はそれに静かに答える。
『ああ。アイツは戦闘能力は私ほどではないにしろそれなりにはある。しかし、それよりもアイツにには秀でたところがあってな。焔はこと隠密行動に関してはオレを凌駕するんだ。だから、ばれないように調べ物をしたりだとか少し何処かに潜入することにはめっぽう強いぞ』
「隠密……」
『ああ見えて『露木隠密術』もしっかり会得しているしな。まっ、焔に頼みたいことがあったらそっち方面でやってみるのもいいと思うぞ。
とりあえずはそんな感じだ。また何かあったら連絡する。こちらも少々きな臭いことになってきたからな』
「何かあったの?」
『ああ、斉武が最近妙な活動をしているらしくてな。まぁこちらから手は出さないが、とりあえずそれだけ言っておく』
斉武の名が出た瞬間、凛の表情が強張った。理由は昨日読んだ劉蔵からの手紙だろう。
「凍姉さん、くれぐれも気をつけてね」
『なんだ? オレの心配をしてくれるのか? 安心しろ、オレは関わっていないからオレが狙われる事はない。だが、そちらもそちらでいろいろ気をつけろよ』
「うん、わかった。それじゃあね」
『ああ』
凍の返答を聞いた後、凛はスマホを置いて天井を仰ぎながら大きくため息をついた。
少々更新が遅れてしまいましたねw
申し訳ない。
今回は少し原作と違う点を出してみました。
それは木更さんのお見合いに蓮太郎ではなく凛がついて行くことになったことです。
まぁ多少原作と違う点を出さないと丸ぱくりと何ら変わらないですからね……ややまんまなところもありますが……
しかし、なぜ私がこんなことをしたかというと、櫃間が気に入らないからです。まったく、人の弱みに付け込んで木更さんを取り入れようなんて……男のすることではありませんねw
だが、原作のようには行かないぜ櫃間さんw
と言うか思ったことがあるんですが、櫃間と保脇ってなんか似てる気がしてしまうんですよねw
ネチッこいところと言うか、表の顔はよくても裏の顔は超最悪とか……
まぁそんな話は置いておいて。
最後の方でなんか凍姉さんに死亡フラグ的なものがビンビンですが、死なないからね? 結構お気に入りなキャラですしおすし。
そして最後のお知らせです。
友人作のキャラ絵ですが、友人が忙しくなってしまったようでもう少々時間がかかるとのことです。しばしお待ちください。
では感想などあればよろしくお願いします。