ブラック・ブレット『漆黒の剣』   作:炎狼

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七巻突入の前の話です。


第五章 世界変革の銃弾
第六十四話


「はーい、それじゃあ午前中の授業はここまで! 午後の授業の始まりには、ちゃーんと席についているように。わかったー?」

 

「はーい!」

 

 東京エリアの外周区に程近い純和風建築の日本家屋の中から子供達の大きな声が響いた。

 

 ここは断風凛の母親と祖母が経営する、『呪われた子供たちの為の教育施設』だ。いや、施設と言ってしまうといささか語弊がある。

 

 実際は母屋や離れ、そして道場を改装して出来た家と言っていいだろう。けれど、ここには、子供たちが安心して眠れる場所と、暖かい食事がある。

 

 そして今、凛の母である珠と、彼女の生徒である子供たちは午前中の授業を終えたところである。子供たちは、教科書代わりであるプリントや文房具をしまうと、談笑したりしながら母屋の方へと駆けて行く。

 

 授業が終わったので昼食をとりに行っているのだ。母屋では珠の義理の母である時江が子供たちの人数分の昼食を用意してくれている。

 

 珠も子供たちに続いて母屋に入ると、ちょうど時江がおにぎりを配っているところだった。

 

「お義母様、私も手伝いますよ」

 

「いんや、いいよ珠。アンタはさっきまで授業をしていたんだ。子供たちと一緒に座ってな」

 

 人のよさげな笑みを浮かべた時江に言われ、珠は頷いてからおにぎりを一個受け取り、縁側に出た。その後、全員におにぎりや漬物が行き渡ったところで、「いただきます」の挨拶をして昼食を取った。

 

 

 

 

 昼食を取り終えると、子供たちは一目散に庭へと駆け出して、それぞれ好きな遊びを始めた。けれど外に出ずに、室内でお絵描きやトランプ、花札などのゲームをしている子供たちの姿も見える。

 

 今の時間は食後の休み時間だ。普通の学校で言えば昼休みと言ったところだろうか。時間は多めで、一時間半ほど取っている。『よく学び、よく遊ぶ』のが断風家のモットーだからだ。

 

 少女達が遊ぶ姿を眺めながら、珠は隣で茶を飲んでいる時江に問うた。

 

「お義母様、食料の備蓄は大丈夫ですか?」

 

「ああ、心配しなさんな。少し前に凛がたくさん買っといてくれたからね、まだ余裕はあるよ。お金の方も劉蔵爺さんが溜めてくれとった遺産がまだまだ残っとる。食材の価格が変な風に高騰しなけりゃまだ大分持つさ」

 

「そうですか、なら安心ですね。……でもよかったです」

 

「何がだい?」

 

「お金のことですよ。今まではずっと凛の収入と剣星さんの遺産でやりくりしてたじゃないですか。御爺様の遺産が残っていることで、少しでも凛の負担が軽くなった様で、よかったって思ったんです」

 

「あぁ、なるほどね。うん、そりゃあそうだ」

 

 時江は納得したように頷いたが、少しだけ視線を下に落とした。

 

「しかし、凛には本当に申し訳ないことをしてしまったね。思ってみれば、昔からあの子には苦労ばかりをかけている。剣術の修行も然り、断風の宿命然り、そして民警としての仕事……私らは幾分かあの子に頼りすぎたねぇ」

 

「ええ、それは私も思っています。できれば凛にも人並みの人生を歩んで欲しかったですね」

 

「そうだね。けれど、そのうちきっとそんな日が来るさ。凛や、あの子達が幸せに暮らせる世界がね。だからそれまでは、私らがあの子達を優しく迎えてやらないといかんね」

 

「はい」

 

 頷いて返すと、時江は室内に戻って花札をしている少女達の元へ歩み寄っていった。

 

 珠も視線を戻し、外で遊ぶ子供たちを見やる。広い庭では縄跳びやサッカー、バドミントン、あとは簡易的なバレーボールをしている子供たちが見て取れた。

 

 けれど、そんな彼女らから少しだけ視線を外したところ。高い塀の近くに、数人の子供たちが半円を描くように集まっている。

 

 ……どうしたのかしら?

 

 不思議に思い、そちらに駆け寄ると、数人の子供たちがこちらに気が付いて手招きをしてきた。

 

「タマ先生! こっちきてー!」

 

「どうしたの? こんなところに集まって」

 

 駆け寄りながら問うと、カールした栗毛が特徴的な少女、錦戸佳奈巳(にしきどかなみ)が、塀の近くにいる少女を指差して言ってきた。

 

「らんちゃんが塀の外から声がするっていってるんだ」

 

『らんちゃん』と言うのは、塀の近くで外に耳を傾けている少女、森川藍子(もりかわらんこ)のことであろう。確か彼女の身体の中に流れている因子は、犬の因子であった。だから彼女には珠が聞き取れない声を聞き取ることが出来る。なので、今回も塀の外で誰かが話す声を聞いたのだろう。

 

「らんちゃん。どんな声がしたの?」

 

 屈みながら藍子に問うと、彼女は少しだけ難しい表情をしながらも外から聞こえた声を伝えた。

 

「んとね、ちいさな声だったからはっきりききとれなかったんだけど、たぶん「助けてくれ」って言ってたと思うよ」

 

「助けてくれ!?」

 

 さすがに彼女が聞いたというこの声にはぎょっとした。『助けてくれ』と言う言葉を使うあたり、もしかすると何かの事件に巻き込まれているかもしれない。

 

 それか、塀の外でなにか野蛮な事件が起きているのかもわからない。

 

「らんちゃん、その「助けてくれ」って声以外には何か聞こえなかった? 他の人の声とか、音とか」

 

「ううん、それは聞こえなかったよ。聞こえてきたのは「助けてくれ」って声だけだよ」

 

「そっか……うん、分かったわ。それじゃあ私が様子を見てくるから、皆は中で待っていてね」

 

 言い残して門まで行くと、くぐり戸を潜って藍子が声を聞いたという塀の近くまで走る。その途中では特に人とすれ違ったり、車が通り過ぎたりすることもなかった。

 

 そもそものところ断風家にはあまり人が近づくことはない。理由としては、育てている子供たちが理由である。珠や時江からすればそんなもの大した問題ではないので、余り気にしていないが。

 

 やがて塀の近くまで来たところで、珠は視線の先に誰かが倒れているのが見えた。身体の大きさと服装からして男性と言うのはすぐに分かった。

 

 すぐさま男性のもとに駆け寄ると、珠は肩を叩いて反応を見る。

 

「大丈夫ですか!? 私の声、聞こえますか?」

 

 問いながら口元に手を当てると、息はしているようだ。外傷も特になく、血が出ているようなこともない。では、内臓的な問題だろうか。

 

 もしそうであったらここでは手におえない。大きな病院に連れて行かねばならないが……。

 

「やっぱり、救急車を呼んで……」

 

「……うっ」

 

 スマホを取り出して119番にかけようとしたところで、男性が小さな呻き声を漏らし、僅かに身体を震わせた。その際、かけているサングラスが少しだけずれた。露になった目元と顔を確認すると、凛々しい顔立ちの青年だ。

 

 歳は二十四、五歳と言ったところだろうか。けれど、無精ひげを生やしているのでもしかするとそれよりも低いかもしれない。

 

「お兄さん、大丈夫? どこか痛かったりする?」

 

 再び肩をトントンと叩きながら問うと、青年は眉間を小さく動かした。

 

「は、はら……が……」

 

「はら? お腹が痛いの?」

 

 首をかしげながら問うてみるものの、青年はそれに対して弱弱しく首をふって否定する。では、やはり何かの病気の発作なのかと考えていると、彼の腹部から『ぐぅ~……』と言う、なんともマヌケな音が聞こえてきた。

 

「え……?」

 

「は、はらが減って、死にそうなんや……」

 

 青年はげっそりとした顔を上げながら言い終えると、ガクッと頭を降ろしてしまった。その間にも彼の腹は、『ぐーぐー』と連続して鳴っていた。

 

 その様子を見ながら、珠はポカンとした表情を浮かべながら声を漏らす。

 

「えっと……これってつまり、行き倒れってやつなのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 断風家の母屋にある居間では、皿に盛ってあった料理が凄まじい勢いで消えていった。料理を凄まじいスピードで平らげているのは、先ほど珠に助けられた青年だった。

 

 あの後、珠は子供たちを数人呼んで彼を家に運び入れた。最初こそ得体の知れない人物を入れるのはどうかとも思ったが、流石に一度確認してしまったのだから、見捨てるわけにも行かない。

 

 後々子供たちに聞いてみたところ、彼は悪い人じゃないと皆口を揃えていっていた。子供と言うのは時に人間の本質を見抜くことを言うので、今回は彼女らの言葉にしたがってみることにした。

 

 それに失神していたとはいえ、今現在このようにおいしそうに料理にがっつく青年が悪い人間とはとても思えない。

 

「それだけ美味そうに食べてもらえると、こっちも作った甲斐があるねぇ。味はいいかい? 若いの」

 

「ムグムグ……ング! あぁ、ばっちりやでおばあはん。特にこの煮物なんか最高や。しっかり味がしみてて、これぞお袋の味ってヤツやな」

 

「ならよかったよ。けど感謝するのはこの珠と、そこにいる藍子にしとくれ。二人が見つけてくれなかったらどうなってたかわかりゃしないよ?」

 

「せやな。ホンマおおきに。お姉はんに嬢ちゃん」

 

 青年は珠と藍子に軽く頭を下げると、再び食べることに戻った。この食べっぷりから見るに、相当腹を空かせていたのだろう。

 

 やがて青年は全ての皿を空にしてパン、と両手を打ち鳴らすと食後の挨拶をした。

 

「ご馳走さん。美味かったで、おばあはん」

 

「口にあったようでよかったよ。それで、そろそろアンタの名前を聞かせてはくれないかね」

 

「あー、そういえば自己紹介をまだしとらんかったね。わいは、大神樹(おおがみいつき)。話し方で分かると思うけど、大阪の出身や」

 

 樹は「以後お見知りおきを」と締めると、珠と時江にふかぶかと頭を下げた。そして彼に続き、時江が自己紹介を始める。

 

「私は断風時江だ。好きに呼びな。それでこっちは」

 

「断風珠です。この家で子供たちに勉強を教えてます」

 

「時江ばあはんに、珠姐はんか。よろしゅうな。でも、ホンマに助けてくれてありがとう。あのままやったら餓死してまうところやったわ」

 

「確かに……それだけの勢いはありましたね。でも、どうして行き倒れていたんですか? それに大阪出身らしいですけど……」

 

 珠は率直が疑問を彼に投げかけた。それに対し樹は「あー、それなぁ」と少しだけ悩んだようだったが、しばらくすると一度頷いて話し始めた。

 

「えっと、わいが東京エリアに出てきた理由はな、大阪エリアに残しとるガキ共を養うためなんや」

 

「ようは出稼ぎかい?」

 

「せや。知っての通り大阪エリアは斉武の独裁政権のせいで、東京エリアほど恵まれておらん。雇用も少なくて、どれも安月給なんよ。せやからもうちょい稼ぐために、東京エリアに来たんや」

 

「ガキ共ってことは、ご兄弟がたくさんいたり?」

 

「いんや、皆わいが拾ってきた孤児たちや、勿論そんなかには、ここにいる子達みたいな子達もぎょうさんおるで」

 

 顎をしゃくって縁側でこちらを見ている子供たちを指した樹。どうやら彼にはわかっていたらしい。

 

「それじゃあ、貴方は彼女達のことを特になんとも?」

 

「思ってへんよ。ちゅうか、そんなこと気にしとったらガキ共養うために出稼ぎになんて来てへんて。まぁなんちゅーか、あの子らはホンマ難儀な子達やで……」

 

 大きなため息をつきながら言った樹は複雑な表情を浮かべた。

 

 だが、珠はそんな彼の表情をみて内心でほっとした。このような考えを持っている人物が他エリアにもいることを再確認できたからだ。無論、すべての人が彼のような人物ではないと分かっているが、それでも彼のような考えを持っている人がいることがわかって嬉しかったのだ。

 

「じゃあ外で行き倒れていたのはなんで? 出稼ぎがうまくいかなかったの?」

 

「あー、まぁそんなとこやなぁ。やっぱり人を疑うのは東京も大阪も変われへんみたいで、わいのような得体の知れん男を雇う酔狂なトコはなかなか見つからへんのや。で、手持ちの金も尽きてもうて、飯食う金もなくて、最終的にこの家の外でぶっ倒れていたっちゅうわけや。いやー、恥ずかしいなぁ」

 

 照れ隠しに頭をかいた樹は苦笑いを浮かべていた。しかし、彼の言うことも分からなくはない。

 

「でも働けてなかったら仕送りも出来てないんじゃないのかい?」

 

「そのへんは一応問題ナシや。出てくるときにある程度の貯金は預けてきたんで、なんとかなっとると思う」

 

「なんだかかなり危なっかしいですね……」

 

 珠は目の前でお茶を啜る青年を見てなんともいえない不安感を覚えた。なんというか、動きに計画性がないのだ。なんとも行き当たりばったりな彼の行動は、今は亡き夫、剣星を見ているようだ。

 

 剣星の行動も実に行き当たりばったりで、かなり適当な感じであった。その点は本当に凛に受け継がれなくてもよかったと思う。まぁ凛も時折かなり無茶をしているようであったが。

 

「ねぇ、おじさーん! このおっきいのなぁにー?」

 

 考えていると、縁側からこちらを見ていた子供たちが塀に立てかけてある巨大な白い包みを指差していた。アレは樹を家に運ぶ時に、塀に立てかけられていたものだ。重量はかなりあって、自分で持つことが出来なかったので樹共々子供たちに運んでもらったのだ。

 

「それはわいの商売道具やでー。あと、おじさんはやめーや。これでもまだ二十代やからな、お兄さんにしてくれへんか?」

 

 樹が肩を竦めながら言うと子供たちは「はーい」と返事をした。そして大きな包みに興味がなくなったのか、庭に駆けて行った。

 

「商売道具って言ってましたけど、随分大きいですね」

 

「まぁなぁ。実際のところ就職先もアレを使える就職先を中心に探しとるし」

 

「あんな大きなものをかい? 大神、あんた一体なんの仕事をしたいんだい?」

 

 流石に時江も疑問に思ったのか、彼に問う。確かにアレだけ巨大なものを使うとなれば、やれる仕事は限られてくる。そもそものところこちらはまだアレがなんなのかわかっていないのだが。

 

 樹もその質問には若干答えるか否か迷ったようだったが、出稼ぎに来た理由を話す時のように頷くと、塀に立て掛けられている包みを持ってきた。

 

 ガシャリという金属音がしたので、包みの中身は金属製のなにかのようだ。

 

「それの説明はこいつを生で見てもらった方がわかりやすいんで、見せながら説明さしてもらうわ」

 

 言い終えると彼は白い包みを解いた。バサリとたなびいた白い布が床に落ちると、包みの中のものが露になった。

 

 白い包みの中に入っていたものの最初の情報は『黒い』という情報だった。次に頭に入ってきた情報は、人間の背丈ほどもあるという情報だ。

 

 その後、改めてその黒くて巨大な物体を見ると、それは盾のようであった。盾と言ってもスクトゥムのような長方形の盾ではない。一番近しいのは剣盾の盾であろうか。それを中心に、十字架と合体したようなデザインとなっている。

 

 だが、これを見てもう一つ分かったことがある。それはこの大盾が武器であるということだ。パッと見は十字架のような盾であるが、雰囲気が明らかに武器のそれであった。

 

 なので珠は思い切って聞いてみることにした。

 

「それは、武器?」

 

「察しがええな、珠姉はん。その通り、こいつはわいの武器や。名前はフェンリル言うてな。この通り馬鹿でっかい盾みたいやけど、後ろを見ると……」

 

 樹はフェンリルを回転させると、裏面を見せた。裏の盾の中心には銃のトリガーを思わせるものが見えた。ではこの大盾は銃……いや、機関砲なのだろうか?

 

 疑問に思っていると、樹がフェンリルをいじり始めた。そして何かが外れるような「カチャリ」という音がしたかと思うと、十字架の長いほうの先端が開き、その中から黒い杭のようなものが顔をのぞかせた。

 

「まぁここまでみれば分かると思うけど、これは所謂パイルバンカーって武器なんや。この中心にあるトリガーを引くと、先端からその杭がバシュッと出るってわけやな。ほんで、色でもうとっくにわかっとると思うけど、フェンリルは全部バラニウムで出来とる。せやから、わいが探してる仕事ってのは……もうわかるわな」

 

 確かに、バラニウムという単語まで出されてしまえば、もう仕事というのは簡単だろう。そう、彼が探している仕事と言うのは……。

 

「民警」

 

 珠の言葉に樹は静かに頷くと、再びフェンリルに向き直って先ほどいじっていた箇所と同じ箇所を操作して、杭を戻して白い包みを巻きつけた。

 

「なるほど、民警か……」

 

「ああ。この通りライセンスも持っとるで」

 

 彼は言うと懐から手帳のようなものを取り出す。それを覗き込むと、確かに凛が持っているものと同じ民警ライセンスだった。

 

「まぁ嘘を言っているとは到底思っていないけどねぇ。それにしたってアンタ、民警て言ってもイニシエーターはどうしたんだい?」

 

 時江の言うとおりである。民警というのはプロモーターとイニシエーターのツーマンセルのことを指す。

 

 時江の最もな質問に、樹は「うっ」と言葉に詰まってしまった。しばらく沈黙が流れたが、彼は頬をポリポリと掻きながら呟いた。

 

「それが……一回IISOに行ったんやけど、どのガキんちょとも粗利が合わなくてなぁ。せやからそのまま誰とも組まずに東京に出てきたんや」

 

「ということは樹くんは最近民警になったばかりなの?」

 

「いや、民警になったのは一年くらい前なんや。その間いろんなガキんちょと組んでは解消を繰り返しててな。結局そのまま来てもうて、確定したイニシエーターがいない状況なんや。あ、因みにわいのIP序列は一〇一〇やで」

 

 確かに彼の言うとおりのやり方で来ていればイニシエーターがいないのも頷ける。だが、珠はイニシエーターがいないことで就職にありつけていないのではないかと考えた。

 

「多分だけど、民間警備会社に就職ができないのは、やっぱりイニシエーターがいないからじゃないかしら?」

 

「珠の言うとおり、十中八九そうだろうね。相棒のいないプロモーターなんぞ就職させても後々組ませるのが面倒だろうし、金もかかるからねぇ」

 

「やっぱりそうかぁ……。あぁうすうす気付いてはいたんやで? でも、あーやっぱりそうかぁ。ほんならどないしたらええかな?」

 

 樹は腕を組み、こちらに何か案の提供を求めてくる。そんな彼の視線に対し、珠と時江は互いに視線を交錯させると、樹に断って彼から少し離れた所で相談することにした。

 

「どうします? 一応就職口紹介してあげますか? 二つ候補がありますけど……」

 

「零子さんとこと木更ちゃんのとこか……。でも、木更ちゃんのところはもう一組雇ってる余裕なんてないだろう。家計は火の車だって聞くよ」

 

「じゃあやっぱり黒崎民間警備会社ですかね?」

 

「消去法で行けばそうなるね。しかし、あっちもあっちでもう四組も雇ってるからねぇ。どうしたものか……」

 

 時江は「むぅ……」と呻ると、扇子を閉じて顎に当てる。珠も考え込むが、やはり最終的に黒崎民間警備会社を紹介する以外の手が思い浮かんでしまう。

 

「あ、そういえば、この前の事件の時に蓮太郎くんのところに一人、プロモーターをなくしてしまった女の子がいましたよね。名前は確か紅露火垂ちゃん」

 

「この前の事件ってぇと……あぁ、蓮太郎くんが指名手配された時のやつだね。ふーむ、だとすればやっぱり木更ちゃんのところかねぇ。でも家計がねぇ……」

 

「まぁ悩んでいてもしょうがないので、一応零子さんに電話してみましょうか。彼、悪い人ではないみたいですし」

 

 珠が樹の方を見やると、彼は今子供たちに誘われてトランプをしている。子供たちの懐き方から見ても、彼が悪人ではないことは明らかだ。それにしゃべってみても分かったが、彼の言葉に後ろめたいものは一切なかった。簡単に人を信じすぎかもしれないが、彼は悪い人間ではないと思う。

 

「それじゃあ少し連絡してきます。樹くんには御義母様が話しておいて下さい」

 

「はいよ。まぁ、零子さんだったらすぐに受け入れそうなもんだがね」

 

 時江は肩を竦めると、樹に報告するために彼の元へ歩んでいった。

 

 残された珠は今から出てスマホを取り出して零子に電話をかける。

 

『もしもし、黒崎ですが? どうかしましたか、珠さん』

 

「いきなりのお電話すみません、零子さん。すこし、お話いいですか?」

 

『はい、構いませんけど。なにかありましたか?」

 

「うーん、何かあったというよりも、現在進行形であるんですけど、じゃあとりあえず説明するので返答をください」

 

 珠は言うと、そのまま今日あった出来事を彼女に話した、そして最後に樹のことを話し終えると、電話の向こうで零子が「ふむ……」と小さく息をもらすのが聞こえた。

 

「それで、どうですか? 彼、悪い人間ではなさそうなんで大丈夫だとは思うんですけど、雇ってあげることって出来ます?」

 

『出来ますよ。面接はしますけど』

 

 即答であった。それはもう間髪入れない返答であった。

 

「え、そんなに簡単に? でもさっき『ふむ』って息もらしてませんでした?」

 

『あぁ、今のはその、大神樹くん? を雇うのに際してそろそろ事務所が手狭になってきたなって考えたんですよ。だから、彼を雇うのに特に問題はありませんよ。面接は行いますが』

 

「それじゃあ、彼にこのことを伝えても?」

 

『ええ、構いません。日時は……そうですね、三日後の午前十一時と伝えておいて下さい。あぁそれと、いかなる理由があっても遅刻した場合は落とすとお伝えください。では』

 

 零子は言い残すと通話を切った。電話を終えた珠は今に戻り、樹の前に座る。樹はかなり気になっていたようで、真剣な面持ちでこちらを見ていた。

 

「そ、それで珠姉はん。その、黒崎社長はなんていっとった?」

 

「雇うことは確定してないけど、面接はしてあげるってさ。それで面接は三日後の午前十一時。遅刻したらその時点で落とすって。場所はあとで教えてあげる」

 

「三日後の午前十一時やな……。わかった、ホンマおおきに! なにからなにまで世話になってもうて、感謝しきれんわ」

 

「困った時はおたがい様さね。ただ、私達が困った時は……」

 

「わかっとる。真っ先に助けにくるで! ほんなら、場所を教えてもらってええか?」

 

 樹は若干興奮した様子でこちらに問うてきた。どうやら希望が見えてきたようで興奮しているようだ。まぁ東京に出てきて初の就職口かもしれないのでうれしくてたまらないだろう。

 

 彼の様子に苦笑しつつも珠はエリアの地図のコピーを持ってきて黒崎民間警備会社の場所を教えた。

 

 その後、樹は自分が食べた分の皿を洗って子供たちと遊んだ後、「泊って行かないか?」という誘いを断って出て行ってしまった。彼曰く、「これ以上頼れへん」らしい。

 

 夕日が照らす東京エリアに消えていった青年の後姿を見送りながら珠は口を開いた。

 

「樹くん、受かるといいですね」

 

「まぁその辺は大丈夫じゃないかねぇ。不安なところは多々あるが、根はしっかりしてるいい子だと思うよ」

 

「あとは彼のがんばり次第ですね。さてっと、それじゃあ今日の分の夕飯を作りましょう。確か今日はカレーでしたっけ」

 

「ああ、仕込みは昼のうちに済ませてるからそんなに時間もかからないだろうさ」

 

 二人は今日の夕食のことを話し合いながら家に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 断風家を出た樹はフェンリルを背中に背負い、宿はどうするかと悩んでいた。

 

「そういやぁ、荷物の中に大阪のおばちゃんが入れてくれたもんがあったなぁ」

 

 思い出し、大型のバッグを開けて中をまさぐると、小さな収納の中に巾着袋のようなものが入っていた。

 

 その中に手をつっこんでみると、カサリとした感触が伝わってきた。だが、この感触が何であるか、樹はすぐに想像がついた。

 

「これはもしやお金か……? やっぱり、おばちゃんはわかっとるなぁ、いざって時のために使えってことやな。よぉし、なら早速使わせてもらうで!」

 

 言いながら勢いよく巾着袋からお札を取り出すと、指先にあったのは、二つ折りにされた一万円札だけであった。

 

 夏風にたなびくそれをみた樹は先ほどまでのテンションは何処へやら。途端に静かになって小さく呟いた。

 

「……おばちゃん、一万円一枚じゃカプセルホテルもとまれへんて……」

 

 この瞬間、樹の野宿が確定したのである。

 

 後々彼は思った、素直に時江や珠の申し出を受け入れていればよかったと。




はい、今回もお疲れ様でした。

言っていた新キャラ登場です!
大神樹くん……さてさて、元ネタは分かるでしょうか?
まぁ鋭い人であれば簡単でしょう。そうでしょう。ええ、あの人です。

今回はこれでもかと言うほど凛の影がありませんでしたね。次回からはありますので大丈夫です。
また、この大神くん、七巻の内容だけに出てくる一発キャラかと思いきや、なんと普通に続投します。しかもかなり重要なキャラです。物語にとっても、そして凛にとっても。彼のことについてもちゃんと触れていくので、どうかゆっくりと見守っていただけると幸いです。

本当に面白いキャラですからね。この子。
あとは火垂との絡みですが……火垂は気難しそうですねえ。「私は鬼八さん以外はプロモーターと認めない」とか言いそうです。でも組んでもらいます、ねじ込みます。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。

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