朝早くから黒崎民間警備会社の社員は、全員がせわしなく動いていた。今日は引越しの日であるため、昨日詰め込んだ荷物を、司馬重工から拝借したトラックに運び入れているところなのだ。
「司馬重工ってなんでもありますねぇ」
「金を払えばその分よくしてくれるからな。まぁ私たちの場合は殆ど未織ちゃんの好意でやってもらってるが。待て樹くん、そのダンボールはこっちだ。凛くん、それは一番奥に置いてくれ」
「あいあいー」
「了解です」
樹と凛は持っていたダンボールを、それぞれ荷台の指定された場所へ置く。
そのままダンボールを運び入れること数十分、事務所の中にあるダンボール、及び、零子の自宅にあるダンボールは全て運びいれることが出来た。
「よし、では次に二台目のトラックに家財道具を入れるぞ。子供たちも手伝ってくれー」
呼びかけに対し、暇そうにしていた子供たちがやってくる。
「次は机とか本棚を積み込む。重いものだから、皆気をつけて運ぶように」
「棚には分解できるものもありますが、それは一度分解しますか?」
「そうだな、じゃあ子供たちは分解できる家具があったら分解してくれて構わない」
零子が夏世の問いに答えると、子供たち全員が返答した。
事務所に上がっていく子供たちを見やりつつ、凛達も再度動き始める。
「それじゃあ僕達は机とかを運びましょうか。あれは分解できませんし」
「せやな。ああいうんは男が運んだ方がええやろ」
凛の提案に樹は当たり前だというように頷いたが、凛はそれに苦笑を浮かべた。
その反応を怪訝に思ったのか、「せーのっ」で机を持ち上げたあと、問いを投げかけた。
「なんや、わいへんなこと言うたか?」
「ああいえ、変なことではないんですけど。ウチの女性陣は男手が足りなくても運べそうな人ばっかりですし。それに今も下ではすごいことになってますよ」
「すごいこと?」
「まぁ見ればわかりますよ」
凛は苦笑交じりに言ったが、樹は首をかしげて疑問符をあらわにした。
そして机を一階に運び出して、そのままトラックに積み込んで、さぁ二個目だと荷台を降りたときだった。
樹の視界に、一階の奥から出てくる女性陣の姿が入った。車庫が暗がりのため、いまいちよく見えないが、何かを抱えているようだ。
やがて日の光に照らされて出てきた女性陣が抱えて持ってきたのは、様々な種類の銃器だった。
零子はアサルトライフルやらライフル、杏夏はハンドガンやサブマシンガン、焔はショットガンに加え銃弾の入った木箱。凍に至っては木箱を片手で持ち上げ、グレネードまで持っているではないか。
「おぅ……」
「ホラね、言ったとおりでしょう? 特に凍姉さんはヤバイです」
「あぁ、せやな。あれ数十キロはあるやろ」
「基本的に物理で殴る人なので、力も尋常じゃないんです」
「誰の力が尋常じゃないって?」
どうやら凛の声は凍に聞こえていたらしく、凛はガッチリと頭をつかまれた。若干メシメシという音が聞こえるのは空耳だろうか。
「ちょっと待ってみよう凍姉さん! 頭が割れる!! 脳内でメシメシっていう聞いちゃいけない音が聞こえるよ!?」
「なによくあることだ」
「ないと思う! 僕はないと思うなぁ!!」
やがて凛はアイアンクローから解放されたものの、力なくその場に倒れこむ。
「まったく、変なこと言ってないで働け。まだまだ運ぶものはあるんだぞ」
「あい……」
片腕を上げて返答した凛であるが、そんな彼にすぐさま焔が駆け寄った。
「兄さん! 待っててください、傷は浅いです! あ、でも、もしもの時のために人工呼吸を!」
ぐへへと下品な笑みを浮かべる焔だが、彼女の行動はすぐに杏夏によって阻止された。
「はいはい、焔。まだまだ運ぶ荷物があるんだからこっち来てねー」
「キー! なにすんのよ杏夏! 私と兄さんの甘い時間をおおおおお!!」
「どう考えても甘くないよね! 下品な笑みを浮かべながらよだれを垂らす変態がいただけだよ!」
「変態じゃないわ。ただ兄さんとセッ」
「当身!」
「ぎゃん!!」
焔は凍によって瞬時に昏倒させられた。途中何かを言いかけていたが、詮索しない方がいいのだろう。
「まったく、我が妹ながら変態が過ぎるな。樹、今のは忘れろ」
「お、おう。まぁ気にしてへんけど、つか、凛は大丈夫なんか?」
樹は思いながら倒れていた凛に視線を向ける。すると、彼は何事もなかったかのように平然と立ち上がった。
「というように、凍姉さんをからかったりすると、こうなるので注意してください」
「……お前、ホンマに難儀なやっちゃなぁ」
「もう慣れてますよ」
アイアンクローを喰らった箇所を摩った凛は、二個目の机を運びに事務所に上がっていく。それを追い、樹も続く。
その後、凛と樹は解体することが出来ない家具をトラックに運び入れ、子供たちは、一度解体した家具を全てトラックに積み込み、零子たちは銃器系を乗せることが出来た。
「思いのほか作業が早く終わったな。まだお昼前か……」
荷物の積み込み作業が終わったあと、零子が時計を確認すると、時刻は午前十時半だった。まだお昼には早い。この調子では、新しい事務所でお昼を食べる可能性が濃厚だ。
引越し先はここから車で三十分ほど行ったところなので、到着する頃には十一時となる。
「よし、ではこうしよう。引越し先に到着したら、私達がお昼を買ってくる。凛くんと樹くん、子供たちは引越し作業を続けていてくれ。では、各自車に乗り込め」
指示に返答しつつ、それぞれが車に乗り込もうとする。
因みに、トラックに乗り込むのは、一台目に杏夏と美冬に樹、二台目に焔、凍、桜、翠が乗り込む形となっている。トラックもそれなりに人数が乗れる構造になっているので、問題はないはずだ。
そして先頭、愛車のアヴェンタドールに乗り込むのは勿論、零子に夏世だ。最後は凛がバイクに乗り、摩那がそれに乗るという形で移動する。
皆それぞれ忘れ物がないか、確認し、さぁ出発だという時だった。不意にこちらを呼ぶ、聞き覚えのある声が聞こえた。
「凛さん、皆!」
声のする方を見ると、蓮太郎に延珠、木更にティナの姿があった。しかし、昨日までいた火垂の姿が見えない。
「あら、蓮太郎くんに木更ちゃん。どうかした?」
「ちょっとやばい事にって、何してたんだ?」
「あぁ、これ。今から引越しなのよ。ちょうど出て行こうと思っていたところ。あとで二人にも連絡しようと思ってたんだけどね」
「引越し!? 随分と急だな……」
「里見くん、今はそれよりも」
蓮太郎が引越しの事実に驚いていたことを遮るように、木更が制した。
「随分と焦っている様子だけど、なにかあったの? 火垂ちゃんの姿も見えないし」
「ああ。問題はその火垂なんだ。実は、今朝起きたら家のちゃぶ台にこんな置手紙があったんだよ」
彼がズボンのポケットから出した手紙を見ると、そこには火垂の文字で『いままでありがとう。さようなら』と書かれていた。
「……失踪か」
「クソッ、何でだチクショウ! こんなんじゃ水原に顔向けが出来ねぇ……!」
「自分を責めないで、里見くん。それよりも今は火垂ちゃんを探さないと」
「木更ちゃんのいうとおりね。火垂ちゃんが行きそうなところは探したの?」
「水原の墓には行ってみたけど、いなかった。その他にも皆で行った場所とかも探してみたんだけど」
蓮太郎はやるせなささを出しながら首を振った。どれも空振りだったようだ。
「蓮太郎くんが起きたのは何時?」
「今日は非番だったから、九時ぐらいだ」
「その時には既に火垂ちゃんの姿はなかった、と。昨日の夜のことは覚えてる?」
問いを投げかけると、蓮太郎ではなく延珠が答えてきた。
「昨日、妾は夜中にトイレに起きたのだが、その時にはまだいたぞ。確か三時くらいだった気がする」
「となると、いなくなったのは午前三時過ぎってことね。それで今までの時間を考えると七時間くらいか……」
七時間。大人であれば電車やらタクシーを乗り継いで移動できる。場合によっては、飛行機に乗って他エリアに行くことも可能だろう。
しかし、火垂は子供だ。パスポートもないだろう。なので、他エリアに行った可能性は必然的に消去。残るはタクシーと電車、または徒歩だ。
……待てよ。
火垂は子供たちの中では、夏世やティナに次いで頭が良い。なので、痕跡の残るタクシーや電車は使わないのではないだろうか。電車に乗れば、駅のホームに仕掛けられている監視カメラに移るだろうし、タクシーであっても、タクシー会社に問い合わせれば簡単に割り出せる。
なので、残った三つの選択しの内、前二つの線は少ないと言っていいだろう。
残るは徒歩か走るかだが、イニシエーターである彼女が走れば、それなりに速度が出る。目立つようなことはしないと考えれば、殆ど歩いて移動している可能性がある。
「子供の足だからね。考えてみれば、そこまで遠くには行っていないはず……」
「でも、一番可能性が高かった水原の墓にはいなかった。だったら、アイツは何処に行ったんだ」
蓮太郎が悩んでいると、ふと彼の服の袖を摩那が引っ張った。そして彼女は自身の鼻をツンツンと指差す。
「火垂を探すなら匂いで追った方がよくない?」
「そうか! 摩那の嗅覚なら追える!」
確かに、摩那の嗅覚はかなり発達している。以前もその嗅覚で延珠の居場所を特定した。なので、出来ないことはない。
ただ、七時間も経過しているので匂いがそこに留まっていない可能性もある。警察犬による捜査でもそうだが、匂いは途中で途切れる場合も充分にありえる。
特に東京エリアは内地に進むにしたがって、他の匂いも濃くなる。そうなると多くの匂いの中からピンポイントで探し出すのは、かなり時間がかかる。
「よし。それじゃあこうしましょう。摩那ちゃんは蓮太郎くん達と一緒に匂いを辿る。私と夏世ちゃんは蓮太郎くんのアパートから東方面、杏夏ちゃんと美冬ちゃんは西、焔ちゃんと翠ちゃんは北、凍と桜ちゃんは南、凛くんは南西、樹くんは北東。一応聞き込みも忘れないようにね」
振り返りながら零子が言うと、話を聞いていた皆が頷いた。
それを確認してから零子は司馬重工のトラックの運転手達に、ことのいきさつを伝え、荷物を一旦司馬重工の本社で預かってもらうことにした。
「では、それぞれ散開! 連絡は怠るなよ」
「まぁ社長に言われたとおり探しに出たはええものの……」
樹は零子に言われたとおり、火垂を一時的に預かっていたという里見蓮太郎のアパートの北東二kmの地点にいた。
「そもそものところ、ワイ、あんまし東京エリアの土地勘ないんやけどなぁ」
大阪エリアから出てきてそれなりの期間は経っているが、未だに明確な場所の把握が出来ない。今もマップアプリを使っている状態だ。
けれども、与えられた仕事はしっかりとこなさなければ。
手元には蓮太郎から預かった火垂の写真があるので、それと見合わせながら周囲を見る。
今の季節、小学校は二学期の授業が始まっている頃だろう。だとすれば、この時間帯、このあたりで小学生くらいの女の子が歩いていれば、割かし目立ちそうなものだが、残念ながらここには火垂の姿は見えない。
「とりあえずコンビ二とかでも聞いてみるか。もしかしたら、腹が減ってメシでもこうてるかもしれへんし」
出て行ったにしても、いずれは腹が減る。一日くらいは我慢できるかもしれないが、育ち盛りの子供が我慢をするのはないだろう。
樹はマップアプリを見ながら火垂の捜索を再開した。
しかし、それからしばらくしても、火垂の捜索は難航した。
通行人にも写真を見せて聞いたり、ファミレスやコンビニの店員に聞いてみたりと、思い当たる方法で探してみたが、一向に情報がない。
……これほど探してもおらへんちゅうことは、こっちの方角やないかもしれへんなぁ。
ひとまず今までの捜索で、特に成果が上がらなかったことを零子に報告しようと、スマホを取り出す。
その時、手の中にあるスマホが鳴った。画面を見ると、零子からの連絡のようだ。
『もしもし、樹くん?』
「あぁ。なんか進展でもあったんかいな、社長」
『ええ。ちょうど今ね。夏世ちゃんが火垂ちゃんと話している時に、水原くんとの思い出の場所を聞いたらしくてね。それがちょうど今君がいる場所の近くだから、連絡したのよ』
「そらぁ行ってみる価値ありやな。そんで、そこどこや?」
『今いる道をそのまま真っ直ぐ進んで、四つ目の信号機を右へしばらく行った所に、小さな教会があるの。そこに行ってもらえる?』
「教会か。了解や。あとでこっちから連絡するわ」
樹は通話をやめてから、零子に言われた道を小走りに駆け始めた。
「出来ればおってくれよ、火垂」
東京エリアの一角にある、小さな教会。
内装は全体的にゴシック調を意識しているのか、天井はリブ・ヴォールト天井を採用している。
左右から差し込むのは、ステンドグラスを通して差し込む色付けされた陽光。
全体的に暖かで神秘的な雰囲気がある教会の一席に、火垂は膝を抱え、額を膝に当てて座っていた。
蓮太郎のアパートから出てきたあと、火垂はどこか行くあてがあるわけでもなく、東京エリアを歩き回っていた。
最初に足が向かったのは、必然的に鬼八の墓であった。そこで一時間以上座りながら、眠る鬼八に思い出話や蓮太郎達のことを話した。
けれども、返ってくるのは虚しい沈黙だけ。当たり前だ、死者が話すことなんてないのだから。
やがて火垂は墓を出て、再び東京エリアを歩き回った。基本的に行った場所は、鬼八との思い出が色濃く残る場所。そこに行くたびに、涙が溢れた。
そのままずっと歩き回って、最終的にやってきたのがこの教会だ。
この教会は、鬼八が自分の過去を話してくれた場所で、火垂にとっては、彼と家族になったような場所である。
鬼八と組むようになってからと言うものの、彼には本当に大切にしてもらった。だが、そんな中でも火垂は自分に注がれる愛情染みたものが、自分本人に向けられているものではない気がしていたのだ。
そして、鬼八と組んで一ヶ月ちょっと、ここにやって来たときに彼は、自分の過去を話してくれた。
鬼八には妹がいたらしい。けれど、彼女は火垂達と同じ、『呪われた子供たち』であった。それが原因だったのだろう。彼の父親は妹を銃殺したという。
そんな過去の話を聞かされたとき、鬼八は吐露した。
『俺はお前を死んだ妹に照らし合わせてしまっていた』と。
別にそれが悪いとか、嫌とかそういうのはなかった。誰しも、過去のトラウマと言うのはあるだろう。それを払拭したいがために、誰かに頼るのも無理はない。
鬼八は続けた。
『けど、今、俺が大切に思うべきなのは、死んだ妹じゃなくて、紅露火垂っていう俺の大切な相棒だ。だから、火垂、これからも俺と一緒に闘ってくれるか?』
火垂はこの言葉に勿論と答えた。
そしてこの日を境に、鬼八は、それまで以上に愛情を注いでくれた。
その愛情は火垂と照らし合わせた妹へ向けられたものではなく、火垂自身へ向けられたものであった。
「……鬼八さん……」
嗚咽交じりの声。
火垂の目尻には涙が浮かんでいた。アレだけ愛情を注いでくれた彼に、もう二度と会えないことが、悲しくて悲しくて、心が押し潰されてしまいそうでたまらなかった。
殺された当初は、犯人に対する憤りでいっぱいだったため、悲しさを感じなかった。が、怒りをぶつける対象がいなくなった今、心にあるのは半身を失ったような喪失感と、悲しさだけだ。
……このまま死んでしまえば、悲しい思いをしなくても済むのかな?
ふと、脳裏に『自殺』という言葉がよぎる。
けれども火垂はそれをすぐさま振り払う。
……だめ、それだけは絶対にだめ。この命は簡単に捨てられない。鬼八さんやみんなが守ってくれた命だもの。
そうだ。この命だけは決して投げ出してはいけない。いいや、投げ出せない。
「でも……これ以上蓮太郎や皆に迷惑は……」
呟いた時、教会の扉が大きな音を立てて開けられた。いや、実際は、教会の内部に反響して大きく聞こえただけかもしれないが。
しかし、この教会に人が来るなど珍しい。鬼八と来た時も、あまり人気はなかった。今だって、火垂以外に人の姿はない。たまに神父やシスターが礼拝をするだけだ。
コツコツと靴底と身廊が響く音が教会内に響く。音からして革靴だろうか。だとするならサラリーマン、お昼休みに礼拝をしにきたのかもしれない。
ふと、足音が、火垂のすぐ隣で止まる。火垂は疑問に思い、視線だけを向けようとしたが、それよりも先に、隣の席に足音の主と思われる人物が座った。
椅子はガラガラだというのに、なぜ自身のすぐ隣に座ったのか、火垂は不信に思い、席を移動しようとした。
「まてーや、嬢ちゃん」
呼び止められた。
声の低さからして成人した男性の声であることはわかった。火垂は恐る恐る声の主を見やる。
そこにいたのは、無精ひげを少しだけたくわえた、長身の男性だった。黒のサングラスも特徴的だ。無精ひげも特に汚さはなく、綺麗に整えられている印象だ。
「お前さん、紅露火垂やろ?」
男性は懐から火垂の写真を出して問うてきた。
「……そうだけど、貴方は?」
「わいは、大神樹や。凛とかから聞いてへんか?」
「大神……あぁ、それじゃあ貴方が……」
「せや。お前さんの新しいプロモーター……いや、プロモーター候補言うたほうがええか」
樹は人の良さげな笑みを浮かべた。しかし、火垂はそれを突き放すように告げる。
「残念だけど、私はもうプロモーターは取らないわ。だから貴方とも組まない。どうせ蓮太郎達も探しているのだろうけど、私はもうあの人たちとは無関係よ。偶々利害が一致しただけのつき合いだもの」
「せやったら、なんでさっさと出ていかなかったんや?」
「それは……」
言葉に詰まる。
それはそうだ。今の言葉は全部嘘なのだから。本当は蓮太郎達には感謝しているし、無関係と思っていない。彼だって自分のことを仲間と呼んでくれた。
「なぁ、火垂。強がるのもええけど、もう無理すんなや。ホンマは誰かにすがりたくてたまらんのやろ?」
「……」
「誰かに自分の心の中のものを全部吐き出して、それを受け止めて欲しいんやろ」
「そんなこと、ない、わ」
火垂は自分でもビックリするほどかすれた声が出たことに驚いた。鼻筋が熱くなり、目尻もかすかに濡れ始める。けれど、火垂はそれを否定する。
「そんなことないわけないやん。そんな泣きそうな顔で言うて、説得力ないで?」
「これは、違うわ。ただ、目にゴミが入っただけよ……!」
下手ないいわけだと思う。なにせそんなことなわけがないのだから。
樹の言っていたころは、殆ど当たっていた。本当は誰かに自分の気持ちをぶちまけたかった。悲しさも何もかも、全てを。
けれど、蓮太郎のところで世話になっているときは決して辛い表情は見せなかった。いいや、見せたくなかった。それがきっと彼への負担になってしまうからと、感情を押さえつけ、無理に笑っていた。
幸いと言うべきなのか、蓮太郎達にはそれを勘繰られずにいた。だが、夜になって誰とも話さなくなったとき、途端に涙が溢れてきた。押さえつけた感情が堰を切ったように流れ出してしまうのだ。
「まぁ泣く理由はなんでもええけどな。せやけど、お前、やっぱり勘違いしとるわ」
「勘違い?」
「お前、大方、里見やらあの木更っちゅう嬢ちゃんやら、凛達に自分の感情をぶちまけるのが、迷惑だと思うとんのやろ。それが勘違いや」
「どういうことよ」
震える声で問い返す。
樹はこちらを見て、小さく笑みを浮かべる。
「あんな、アイツ等がそないなことを迷惑に思うタマか? 昨日今日入った新人のワイが言うのもあれやけどな、アイツ等はそないなことを迷惑になんか思わへん、超がつくほどのお人よしやで? お前の感情ぐらい全部受け止めてくれるやろ」
「そんなの……あなたの勝手な、想像でしかないじゃない……!! 私はもう、これ以上蓮太郎達に迷惑をかけたくないの! だから、誰にも見つからないようにいなくなったのに、なんで探したのよ! もう私のことは放っておいてよ!」
涙が溢れた。
頬を伝うのは大粒の涙。制御しようとしても、もうとめられなかった。
しかし、樹から返ってきたのは小さな溜息であった。
「なによ……」
「いんや、探して欲しくないとか、放っておけとか、色々言うてるけど、そんならなんで置手紙なんか残したんや?」
「だって、蓮太郎にはお世話になっていたし……」
「ちゃうな。それはちゃうで火垂。お前さん、本当は見つけてほしかったんや。自分のことを見つけて、自分が抱えているものを理解してほしかったんや。せやからこんなことをした。ホンマに探して欲しくないなら、何も置かんと出て行くやろ」
「ちが、う。そんなこと、私はおもってなんか……」
言葉が上手く出ない。
動揺しているのがよくわかった。自分では思っていないつもりでも、あの行動はそう取られてしまっても無理はないのかもしれない。
けれど、火垂はまだ拒む。もうこれ以上誰にも迷惑をかけたくないから、拒絶する。
「じゃあ……だったらさぁ!! 貴方は、私のこの気持ちを受け止めてくれるの? 鬼八さんとの思い出にすがって、前にも進めないで、皆に心配をかけるような、こんな、お荷物の私の全てを受け止めてくれるのッ!?」
「……」
樹から返答は返ってこなかった。しかし、これでいい。こうすることで、もう自分のせいで誰かに迷惑がかかることはなくなった。
樹だってこのことを蓮太郎達に伝えることだろう。そうだ、これでいい。これで全て解決したのだ。
火垂は荷物を持ち、涙を拭い教会を出て行こうとする。
しかし、背後で樹が吠えた。
「わかった! ワイが全部受け止めたる!!」
「え?」
「聞こえんかったか! せやったら、両耳かっぽじってよぉ聞け! ワイがお前の全部を受け止めたる! 嬉しさも、怒りも、哀しみも、楽しさも、お前が思ったこと、お前が感じたこと、みんなみんな、全部!! 全部まとめて受け止めたるッ!!!! それがワイの覚悟や!」
「本気、なの……?」
「本気やなかったらこないなこと、こないなデカイ声でいうかい! ええか、火垂!! お前はまだガキや。イニシエーターやろうが、なかろうが、ガキであることに変わりはあらへん! ガキはガキらしく、大人に迷惑をかければええんや!!」
樹の瞳はまっすぐに火垂を見据えており、その奥には覚悟の灯火が見え、本気だということがうかがえる。
火垂は、再び自身の目尻から熱いものが流れるのを感じた。しかし、この涙は哀しみとかそういった後ろ向きな感情から来たものではない。これは、嬉しさから来たものだ。
膝から力が抜け、火垂はその場に座り込む。瞳から大粒の涙が止め処なく溢れ、膝をぬらしていく。
ふと、樹が目の前にやってきて、片膝をつく形で前に座った。そして火垂は彼の胸に引き寄せられる。
そして彼は告げてきた。
「火垂。ワイは絶対にお前を一人にはせぇへん。決していなくならへん。寂しい思いもさせへんよ」
「……うん」
「ワイが、お前のプロモーターになってもええか?」
「……ええ」
答えると、樹は頭をわしゃわしゃと撫でてきた。途端、火垂は声を上げて泣いてしまった。
今まで押し殺してきた寂しさ、悲しさを全て彼の胸にぶつけるように、火垂はただただ泣きじゃくった。
その姿に普段の冷静な火垂の影はなく、あったのは、ただただ涙を流す少女の姿であった。
数十分後、教会にやって来た凛達が発見したのは、樹に寄りかかって寝息を立てる火垂の姿だった。
深夜。新黒崎民間警備会社の四階にある宿泊部屋には、樹と火垂の姿があった。
とりあえずの一件落着となったあの後、黒崎民間警備会社では、新たな事務所に荷物を運び入れる作業が行われた。
蓮太郎達の手伝いもあり、引越し作業は予定よりも少しだけオーバーする形で終わった。そして時間的も遅いと言うこともあり、今日は一旦解散し、再び明日集まって新事務所創設祝いと、火垂と樹入社祝いのバーベキューパーティを行うこととなった。
無論、その際は蓮太郎達も一緒で、なにやらほかの知り合いも呼ぶらしい。嬉しいことである。
「コホン……。昼間は情けないところ見せてしまったわ」
「あぁ気にすんなて。ワイも小恥ずかしいこと叫んどったし、お互いそれは忘れようや」
「いいえ、忘れないわ。だって貴方言ったじゃない。私の全部を受け止めてくれるって。それとも、あれは嘘だったのかしら?」
「いや、嘘やないけども……」
「だったらお互い覚えていようじゃない。幸いなことにあの時のことは誰にも見られていないわけだし」
「まぁお前がええならええけど」
樹が頷くと、火垂も微笑を見せた。昼間出会ったばかりの硬い表情とはえらい違いである。
「とりあえず今日はもう休みましょう。樹も私を探して疲れたでしょうし」
「せやな。その後引越しもあったし。そんなら、今日はもう寝るかぁ」
蛍光灯とのリモコンを押して電源を切る。
けれど、真っ暗になることはない。今日は月が出ていて、月光が窓から差し込んでいるのだ。
だから布団に入って寝転がる二人も、お互いの姿が見えている。
「ねぇ、樹」
ふと火垂が樹を呼んだ。
「んー?」
「……ありがとう」
火垂は小さな声で樹に礼を言った。それに対し、樹は特に声で答えることはなかったが、軽く手を上げて答えた。
はい、お疲れ様です。
今回はまぁ樹がんばったね回ですかね。
なんかどっかの死後の世界で見たような気もしないではないけどそれは気のせいだろう。
……最近、凛の活躍を見ていない気がする。今回だってなんか最初のほうでギャグキャラ化していた気もするし……。
次回は凛メインで書きたいけど、まだ樹と火垂の話をしたい……
とりあえず後の展開は考えてあるので、八巻を待ちましょう。
では、感想などありましたらよろしくお願いします。