メギド72オリスト「茨を駆ける十二宮」   作:水郷アコホ

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2-2前半「ダレカ劇場~深紺型豊導体シーウィード~」

 ライアに案内された『学舎』の一角。ライアと共に階段を登って移動している一行。

 内部は所々、窓が割れたり木の葉が落ちていたりしているが、元の整った内装と相まって、遺跡ともやや異なる幻想的な雰囲気を醸し出している。

 

 

ハーゲンティ

「ふぃ~……階段登るのはメギ……ゲフンゲフンッ!」

「お、同じような階段何度も登るのは慣れてるけど、やっぱ息が上がるぅ……」

 

ライア

「建物がでっかい分、階段の段数も実際多めなんですよねぇ~」

「でも大丈夫です、1週間もすれば慣れますし、連絡橋もアチコチあるんでぇ!」

 

ハーゲンティ

「(うし! 『メギドの塔』って言いかけたの誤魔化せた……あたい、やれば出来る子!)」

 

ハルファス

「連絡橋?」

 

ライア

「建物と建物の間にぃ、橋とか渡してるんですよぉ!」

「その橋にもぉ、ちょっと急ですけど、もっと早く上り下りできる階段とかもあるんでぇ!」

 

ザガン

「そういえば、遠くから見た時にも建物から何か伸びてるの見えてたね」

「あっちに行ったらこっちに出て……何だか冒険しがいがありそうだね。アジ……」

「じ、『地元』にそういうの好きな奴とか結構居たな~、アハハハ……」

「(私、身分隠す方が疲れるかも……)」

 

ハーゲンティ

「でもそもそも、あたい達、どこに向かってんの?」

 

ザガン

「玄関入ってすぐの所で待たされて、ライアが一旦離れて──」

「戻ってきたら早速移動……そういえば目的地とか聞いてないぞ?」

 

ライア

「え……? あ……い、言ってませんでしたそういえばぁ!」

 

ザガン

「あははっ、もう、気をつけてよ。あまり人のこと言えないけど……」

 

グレモリー

「無理も無い。詳細な目的地を話してしまえば、こうして『遠回り』も出来ないのだからな」

 

ハーゲンティ

「へぇ~そんな工夫が……あれ? 遠回り?」

 

ライア

「お……?」

 

グレモリー

「アブラクサスの地形、事前にある程度は覚えて来ている。『学舎』は『寮』を併設していたな」

 

ハーゲンティ

「りょお?」

 

グレモリー

「兵の宿舎のようなものだ。かつて、アブラクサスに留学に来た者たちが寝泊まりに使った」

「『入国』を済ませたなら、まずは居住地の確保。あてがうなら『寮』が妥当だろう」

「一旦、我々を屋内に移動させ、担当の者と我々の部屋の割当を協議。決定次第、案内という所か」

 

ハルファス

「私達の住む所が決まるまで、玄関の広間が待合室代わりになってたんだね」

 

グレモリー

「だが、内装の雰囲気からするに、我々はまだ『学舎』をうろついている」

「最初から『寮』に向かうと言っていたら、とっくに『いつになれば着くんだ』と声が出ていたろうな」

 

ザガン

「えっと……な、何言ってるの?」

「ライアが私達を『寮』に着かせないように、わざと遠回りさせてるって事?」

 

ライア

「いやぁ……お恥ずかしいんですが、実はもう、何度か普通に道を間違えてまして──」

 

グレモリー

「ライア……ジョーシヤナから、会えたらよろしく伝えるよう言付かっている」

 

ライア

「……」

 

 

 先頭に進みながら、申し訳なさそうに頭を掻いていたライアがピタリと止まった。

 

 

ハーゲンティ

「え……え?」

 

ザガン

「あれ……もしかして、まさか?」

 

ライア

「……ジョー……ジョーシヤ~……あ、思い出した!」

 

 

 真剣に考え始めた様子のライアが、振り向いてビシリとグレモリーを指差した。

 

 

ライア

「確か、私が子供の頃に川で溺れた時、助けてもらった人の名前ですよねぇ!?」

 

グレモリー

「来週にでも婚約するそうだ」

 

ザガン

「え、そ、そうだったの!? ていうか何で急にそんな話?」

 

ライア

「……」

「……いやぁ~、どうも『案内』する前からバレちゃってたっぽいですねぇ」

 

 

 バツが悪そうにしながら、ライアは階段の適当な場所に腰を降ろした。

 

 

ハーゲンティ

「ちょ、ちょっとちょっと!? 何が起きてはるんです!?」

 

グレモリー

「みな聞け。慣れない『隠蔽』は、この者の前では無用だ」

「このライアが、私達が潜入後、連携を取る段取りとなっている例の騎士だ」

「既にライアも我々の素性にアタリを付けていた……そうだな?」

 

ハーゲンティ

「おえぇ!?」

 

ライア

「いやはやぁ、おみそれしましたぁ」

「あ、この辺まで『遠回り』すれば、他に聞いてる人も居ないんで安心してくださぁい!」

 

ザガン

「ああ、私達が潜入組ぽかったから、さり気なく人気のない所まで……」

「でも、さっきの婚約とかってのは何?」

 

グレモリー

「『合言葉』だ。よろしく伝えるよう云々から、婚約のくだりまで全てな」

 

ライア

「本当に私と先輩が出会ったのはぁ、騎士団に入隊してからですしぃ」

「で……実際のとこ、どうなんです? ジョーシヤナ先輩」

 

グレモリー

「浮いた話にありつけんことを私にまで愚痴っていた」

 

ライア

「いやー良かった良かったぁ! おかわり無さそうでぇ!」

 

ザガン

「何もそんな身を挺した『合言葉』にしなくても……」

 

ハーゲンティ

「ていうかそもそも、味方の騎士が誰なのか教えてもらえてたら、こんな手間いらなかったんじゃないの……?」

「マムにまで『合言葉』で探させて情報ナシって、何か冷たくない……?」

 

グレモリー

「先入観を避けるためだ」

「予めライアが味方だと知ってしまったら、無意識にライアの前でだけ警戒を解きかねない」

 

ザガン

「それは、ありそうだね……私達、ライアとは赤の他人って筋書きで潜入してるわけだし」

「あのサイティとか、私達がライアと慣れなれしくしてたら怪しんでたかもしれない……」

 

ライア

「私も実はぁ、『合言葉』を言われるまでおくびにも出すなって言われてましたぁ!」

「そもそもどなたが味方に来るのか伝えようにもぉ、外との連絡手段は限られてますしぃ」

 

グレモリー

「たまたま全ての連絡手段が当日に潰れたりすれば計画が破綻する」

「だから誰が来ようと確認が取れるよう、先んじて『合言葉』だけ、確実に用意したという事だ」

 

ザガン

「でも『合言葉』だけじゃ、誰にそれを言えば良いのか分からなくならない?」

「普通は、言う相手の大体の外見とか、少しは伝えそうなものだけど」

 

グレモリー

「『合言葉』の用意だけでも十分という事は、『騎士』の方から帳尻を合わせられるということだ」

「向こうから新入りに接触し、しかもそれが怪しまれない立場にある」

 

ライア

「手始めに、私が入国審査担当の週に潜入してもらえるよう、調整したってわけですよぉ!」

 

グレモリー

「後は好意的に接してくる者に、『知人の知人かもしれない』というていで『合言葉』を言えばいい」

 

ザガン

「それでもリスクありそうだけど……隠し通す方が大事ってこと?」

 

グレモリー

「もう少し素人向けの合流手順も用意できたのかもしれないが……原因はサイティだな」

「シュラーの影響力を考えれば、サイティがシュラーの椅子を狙って一方的に喧嘩を売っている構図だろう」

「私たちの潜入以前からライアは、サイティが潜入の妨げになると王都に警告していたはずだ」

 

ハーゲンティ

「それで、何であたい達の潜入が難しくなるんです?」

 

グレモリー

「一方的な敵視を続けていると、精神が『ささくれる』」

「些細な事まで敵への憎悪に繋げようと考えたがり、誰彼構わず牙を剥くようになるものだ」

 

ザガン

「シュラーとの椅子取り合戦でピリピリしてるから、何でも疑ってかかっちゃうって感じ?」

 

グレモリー

「うむ。単に我々とライアが早くに打ち解けたというだけでも、奴らを刺激しかねない」

「ライアがサイティ派で無い以上、『まとめて敵につく』という懸念も湧くだろうからな」

 

ライア

「私って立場的にぃ、ややシュラー寄りって事になっちゃうのでぇ……」

 

ザガン

「あー……それは、気をつけて正解だったかもね」

 

ライア

「でもぉ……何で私、ソッコーで正体がバレちゃったんですかねぇ?」

「これでも一年以上も素性隠し通せてるのに、まさかこんなアッサリと……」

 

グレモリー

「1年経っても、騎士の心得を忘れていないのは良い事だ」

「行住坐臥、所作の1つ1つに、鎧と武器を常備する者特有のクセがある」

 

ライア

「えぇぇ!? マ、マジですかぁ……気をつけてたのにぃ」

 

ザガン

「よ、よく分かったね……」

 

グレモリー

「日頃から私兵どもと稽古を交わしていたからな。視点の違いだ」

「後は……個人的な勘か」

「私の経験上、『力』の無い者が、こういった場でライアのように振る舞うのは難しい」

 

ハーゲンティ

「こういったって……どういった?」

 

グレモリー

「老若男女で普遍に起こる事だが、悪目立ちする例は、女ばかり取り沙汰される印象がある」

「変化に乏しい日常、降りかかる不文律……要するに閉鎖的な環境においては──」

「ライアのような快活に振る舞う者ほど『浮く』んだ。とかくウケが悪い」

「影に日向に嫌がらせが降りかかり、露骨な集団暴力に発展する事も珍しくない」

 

ザガン

「そんなまさか……パッと見た感じ、ライアって人好きするタイプじゃない?」

「むしろそんな事する人の方が珍しいくらいじゃ──」

 

ライア

「……」

 

ザガン

「ラ、ライア……? な、何でそんなに目泳がせまくって……」

 

ライア

「は……あはは……な、なんでも無いんですよ……なんでも……」

 

ザガン

「(ほ、本当に何かあったっぽい……)」

 

ハーゲンティ

「はは……」

 

ザガン

「(ハーゲンティも!?)」

 

グレモリー

「特にここは、『悪化』しやすい環境が整っている」

「住民はシュラーに善悪を依存する事で、己の悪意を省みる判断力を衰えさせているし──」

「サイティが率先して出る杭を打ち、生き馬の目を抜いて空気を殺伐とさせてゆく」

「思い通りの立場を得る『力』が無ければ、ライアのようには生きてゆけん」

「あからさまな地位もなく『そうできる』という事は、溶け込むための『技術』を持つと考えたのだ」

 

ザガン

「敵地の潜入に選ばれた騎士だから、ギスギスした場所もやってこれたって事か……」

「一応、分かった。ちょっと、私には信じられない話だけど……」

 

グレモリー

「縁が無い話だったなら何よりだ。だが……少し話を逸らすぞ」

「例えばこんな時、何と答える?」

「ヴァイガルドとメギドラルの対立を知った、とある無関係のヴィータが居たとする」

「そのヴィータが、『残酷な殺し合いなど絶対にダメだ』と我々に抗議してきたら?」

 

ザガン

「それは……言いたい事には同感だけど、そうも言ってられない状況なわけで……」

 

グレモリー

「生きとし生ける物、誰も皆、手を取り合い語らえば笑顔で共存できる未来が必ず来ると言われたら?」

 

ザガン

「へ……い、いやいやいや」

「いくら何でも、それは流石に『無い』よ……誰だって『無理』なモノの1つや2つあるもんだし」

「本気で言ってるんだとしたら……も、物語とかお芝居の見すぎじゃないかなって思う」

 

グレモリー

「だがその物語や芝居……本来、ヴィータや世界の『あるべき』姿を伝える物が一般的だな」

「少なくとも、観賞者に夢見がちな嘘を吹き込み、他者の嘲笑を浴びるよう仕向けるためではない」

 

ザガン

「それは……そうだろうけど……け、結局、何が言いたいのさ!?」

 

グレモリー

「『如何ともし難い』と言いたい」

「貴様が信じ難いと評する者たちは、他者が『自分のように』薄汚れていない事が不愉快でならない」

「だから『純粋』を『愚か』としたがる。世界の真実を知らぬ、夢と現実も分からぬ幼稚な存在だとな」

「薄汚れた自分達こそ『正しく』、御伽噺の正義や幸福など欺瞞であって『くれねば』ならない」

「メギドラルの惨さも知らずに争いだけを糾弾するヴィータに貴様が思ったソレ……その先にある感情だ」

 

ザガン

「……」

「分かった……私にとって、どんなに信じられない事でも──」

「『私とは関係ない』って事は絶対ない……って言いたいんだよね?」

 

グレモリー

「よろしい。念頭に置く程の必要は無い。貴様の『猛進』は美点であり、『勝算』だからな」

「だが頭の隅には置いておけ。無用に『衝突』する前に、なすべき事を考える助けにはなるはずだ」

「ともすれば、アブラクサスの火の粉が図らずも私を飛び越え、いつ貴様らに降りかかるとも限らん……」

「貴様はこの中で、私に次いで年長者だ。その時は貴様が守れ……良いな?」

 

ザガン

「う、うん……」

「(グレモリー、怖がってる……? ううん、そんなのありえない)」

「(『何か』知ってるんだ。ここには『とんでもないもの』があるって)」

「(取り巻きの挑発なんて比じゃない、絶対に冷静でいられなくて、格好悪い選択しちゃうような──)」

「(それか、私達が巻き込まれたら、何か取り返しのつかなくなる罠とか……)」

「(多分、ガブリエル達が怪しい事とも関係ある)」

「(でなきゃ、流石にちょっと『変』だよ。ソロモンが居ないからって、こんなに私達を『心配』するなんて)」

 

グレモリー

「さて……ライア、話はひとまず切り上げだ」

「まずは最短経路で部屋まで案内しろ。その後、改めて任務について打ち合わせる」

 

ライア

「あ……は、はぁい!」

「いやぁ~気まずかったぁ……」

 

ハーゲンティ

「いやぁ~ほんとほんと……でも、あたい達もマムに負けないくらいちゃんと頑張んないとね!」

 

ザガン

「(立ち直り早いな2人とも! さっきまで古傷抉られたみたいになってたのに……)」

 

ハルファス

「ハーゲンティのああいう所が、ソロモンさんのよく言う『勝算』なのかな?」

 

ザガン

「ふふっ、そうかもね……」

「って、あれ、私、口に出しちゃってた!?」

 

ハルファス

「? なにを?」

 

ザガン

「あ……ああいや、何でもないよ。たまたま似たようなこと考えてたからつい……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 少しして、アブラクサス学生寮。

 個室が居並ぶ廊下は、突き当りにしか窓が無く薄暗い。

 一つ一つの個室の扉に、油性の塗料で通し番号が描かれている。

 

 

ライア

「ではぁ、ここからスタートしてぇ、1、2、3、4つ!」

「ギーメイさん、カリナさん、チータさん、サシヨンさんの順で、お使いくださぁい!」

「あ、基本的にお掃除とかはしてないんで、その辺は、せるふさ~びすでぇす!」

 

ザガン

「まあ、それは仕方ないか。廃墟をそのまま間借りしてるわけだし」

 

ハーゲンティ

「うーん、鍵は壊れちゃってるかぁ……まあ盗まれるような物なんて1つもないけどね!」

 

ライア

「鍵は敢えて付けて無いそうなので、そっちも、せるふせきゅりてぃ~でぇす!」

「鍵なんて残ってないってのもありますけど、古い場所なんで、もしもの大事故が1番怖いって事でぇ」

 

グレモリー

「だろうな。この環境では、搬送の必要な急病人が出る恐れも少なくあるまい」

「何より、粗末な鍵で密室が作られては、却って危険な場合もある」

 

ザガン

「(押し入ってきた強盗に中から鍵かけられたら逃げられないとか、かな……ゾッとするなあ)」

 

グレモリー

「住民の住居は、この『寮』に集約される形か?」

 

ライア

「いえぇ、他にも昔の宿屋とか、色んな施設の詰め所や宿直室とかぁ──」

「そういった住めそうな場所をリストにまとめて、その時々で割り当ててる感じですねぇ」

 

グレモリー

「わかった。では次、貴様に緊急の用件がある時はどうすれば良い?」

 

ライア

「私の個室はこの真上の階の廊下一番奥なのでぇ、直接で大丈夫でぇす!」

「しばらくは私が皆さんの生活補助を担当するので、その間は気軽に来てもらってお~け~でぇす!」

 

グレモリー

「(真っ直ぐにライアに会いに行っても、『相談』という体裁なら怪しまれないというわけか)」

 

ライア

「ただぁ、個室に居ない時は、別の方を見つけて取り次ぎお願いしまぁす」

「インフラ整備の手伝いで『給水棟』の方に籠もりっきりの時がありますのでぇ」

 

ハーゲンティ

「きゅーすいとー……」

 

グレモリー

「例の水路の流れ着く先だ。かつて水の分配を管理し、有事に備えて貯水槽も設けていた施設らしい」

 

ハーゲンティ

「なるほど! お水の確保は大事だもんね!」

 

ザガン

「じゃあ、その貯水槽の修理とかかな。騎……『仕事柄』、肉体労働は得意そうだもんね!」

「(あっぶな! ライアの素性言いかけちゃった……誰も聞いてない時でも気をつけないと)」

 

ライア

「いっえ~す! トンテンカントンの毎日でしてぇ」

 

ハルファス

「……?」

 

ハーゲンティ

「む! ハルちゃん、何か『意見』があると見た!」

「大丈夫、言っちゃって言っちゃって!」

 

ハルファス

「あ、うん。じゃあ、言うね」

「ライア……何だかソワソワしてる気がする」

 

ザガン

「ソワソワ?」

 

ライア

「あ……またまたバレちゃいましたねぇ」

 

グレモリー

「今度は私が見抜けなかったか。見る限り、ライアは普段から身振りが多いようだったからな」

 

ザガン

「なになに? 用事とか?」

 

ライア

「実は、この後ぉ、皆さんの生活を手解きする準備とかをまとめなくちゃでしてぇ……」

 

ザガン

「お、お仕事他にもあるなら早く行きなって! 気にしなくて大丈夫だから!」

 

ライア

「時間はまだあるんですけどぉ……『秘書』さまやサイティさまに報告とか必要で……」

 

ハーゲンティ

「あ~~……さっきのアレの後じゃ気まずい」

 

ライア

「それに『秘書』さまが、誰にでも手厳しい人で……お仕事届けるのが毎度、憂鬱なんですよぉ」

 

グレモリー

「『秘書』は上司として幼稚な部類のようだな。萎縮させるばかりでは人は育たんというのに」

 

ライア

「幼稚も何も……あいえ、愚痴なんて、らしくないですよねぇ!」

「それじゃあ、お言葉に甘えて行ってきまぁす! 他に質問とか無ければぁ!」

 

ザガン

「それでも、ちょっとでも先延ばしにしたいんだね……」

 

グレモリー

「では、最後に1つだけ、手短に聞いてやろう」

「ごくごく大まかで良い……貴様から見たアブラクサスの情勢、要点があれば話せ」

 

ライア

「う、う~~ん……要点、と言われましてもぉ……」

 

グレモリー

「膨大な情報を引き出す苦労は私にも分かるが──」

「サイティが踊ってくれたとはいえ、絞り込むには我々も知らぬ事が多すぎる」

「例えば……ここで『活動』するにあたって、最低限の注意事項などあれば頼む」

 

ライア

「では、そうですねぇ……」

 

 

 口の横に手を立てて、ヒソヒソ話の声になるライア。しかし音量は十分大きい。

 

 

ライア

「住民の方と『お付き合い』するためにも、『派閥』の事だけぇ」

 

ザガン

「『派閥』……サイティ派とシュラー派に別れてるっぽい話?」

 

ライア

「はい。それともう一つ、『中立派』……もっと言っちゃえば『事なかれ派』がいるんですよぉ」

 

ハーゲンティ

「事なかれ……平和っぽい感じ?」

 

グレモリー

「恐らく、平和というより『逃避』だな」

「両派閥の動向を見守るでもなく、折衷案を模索するでもなく、ただ興味がない……そんな所か」

 

ライア

「はいぃ。強いて『どっちか』と言えばシュラー派なんですけどねぇ」

「シュラー派が『シュラー様さえ居れば何でも大丈夫!』って人たちなんですがぁ──」

「『事なかれ』は、『亭主元気で留守が良い』と言うかぁ、そもそも指導者に興味無いと言うかぁ」

 

ザガン

「ん~……ダメとまでは言わないけど、感じ悪いなあ……」

「まあ、こんな所に落ち延びた人たちだから、生活で手一杯なのも無理ないけど」

 

ハーゲンティ

「え、か、感じ悪いっすか……?」

「あたい、お金とご飯が貰えれば、偉い人が誰かとかあんまり気にならないけど……」

 

ザガン

「だって今聞いた感じだと、ハルマゲドン目前でヴィータ皆で乗り越えなきゃってなった時──」

「『ハルマゲドンも嫌だけど、世界を守るのもそっちで上手くやっといて』って感じじゃない?」

 

ライア

「あ~それです、それ!」

 

グレモリー

「安定は欲しいが、有事に抗う気力は無し。そもそも『有事』そのものが疎ましい──」

「ザガンの肩を持ちたい所だが、『事なかれ』の思想こそが世間では『普通』だな」

「だが『安心感』を提供できればシュラーからも容易く引き離せる。味方にするならうってつけだ」

 

ライア

「はいぃ、そんなわけで一長一短って感じですねぇ」

「中には『サイティ派みたいな後ろ暗い事したくない』って人もいますしぃ」

 

グレモリー

「(……ん?)」

 

ライア

「それにシュラー派の中には、もっと消極的な人も居ますからねぇ」

「シュラーに頼りすぎておんぶに抱っこで、考える事もやめて完全に自立する気が無いって意味でぇ……」

 

ハーゲンティ

「うぅ……心当たりがある……」

「あたいも、お金持ちの家で食っちゃ寝するだけでお金がもらえる仕事が欲しい……!」

「でもそれだけは……それだけはダメなのよハーゲンティ!」

「終わっちゃう! ヴィータとしても、メギドとしても!!」

 

グレモリー

「最近、聞いたな……。どこぞの領主の息子が、親の脛を齧り続けて今年で3──」

 

ザガン

「と、とにかく、アブラクサスで合う人達は、その3種類のどれかって考えとけば良いんだね!?」

 

ライア

「はいぃ。それも、厄介事を避けて本心隠してる人も少なくないのでぇ──」

「『聞きたい事』がある時はぁ、デリケートな話題は気をつけるのが1番ですよぉ」

 

グレモリー

「実際にアブラクサスの内情を探るなら、まず信頼関係から築かねばならんという事だな」

「身分を偽り、咄嗟の演技も苦手なメンツで、ハナから期待などしていなかったが──」

「聞き込みでの調査は原則、下策か。皆も心しておけ」

 

ハーゲンティ

「イエッサー! 向こうから聞かれるまでシュラーの事とか考えずに居れば大丈夫ッす!」

 

ハルファス

「多分、大丈夫……かな? 何を話せば良いか、よく分からないし」

 

ザガン

「消極的だぁ……」

 

グレモリー

「さて……ひとまず十分だ。今度こそ、遅れる前に行ってこい」

 

ライア

「あうぅ……はいぃ、お達者でぇ~……」

 

 

 ふわふわした走り方で消極的に去っていくライア。

 

 

ザガン

「お仕事、大変そうだねえ……」

「お偉方も、サイティみたいな生活できてるんだろうし、もうちょっと丸くなったげても良いのにね」

 

グレモリー

「衣食を着飾っても、資源と『法益』の欠如は補いきれんものだ」

「どう足掻いても、ここの生活水準は寒村にさえ劣ってしまう。誰も皆、気が立っているのだろう」

「これが健全な共同体だったなら、シュラーを支えとした忍耐の時代だったろうがな」

 

ザガン

「シュラーじゃなくてバフォメットが来てたら幸せだったかな?」

 

グレモリー

「何とも言えんな。条件が違いすぎる」

「それに、ある意味バフォメットにも並ぶ才能が長に君臨しては居る……手段を選ばん長だがな」

 

ザガン

「それだけで何もかも台無しだねえ……」

 

ハーゲンティ

「うおっほーーーうっ!!!」

 

ザガン

「な、何だ何だ!?」

 

 

 ゴウケツのような雄叫びに振り向くと、辛抱たまらなくなったハーゲンティが、割り当てられた己の個室の扉を開け、室内に向かってガニ股で両腕を掲げていた。

 

 

ハーゲンティ

「アジトの個室よりベッド3つ分くらい広い! これがタダ!?」

 

ザガン

「いやいや、アジトの個室もタダだって」

 

グレモリー

「それにタダではない。恐らく明日明後日にでも、労務でもってアブラクサスに還元する事になる」

 

ザガン

「(領主様だけに指摘が細かい……!)」

 

グレモリー

「まあ、今はハーゲンティに倣い、目の前の事を片付けるのが先決か」

「まずは各々の部屋を確認しよう。最低限の点検はしてあるだろうが、万一という事もある」

「部屋の老朽化の程度、武器等の貴重品の保管場所、そして念の為、罠の類が無いか確かめておけ」

「ハルファスは、『わからない』事があればひとまず室内で待機だ」

 

ザガン

「じゃ、こっちの部屋の片付け終わったら、一緒に使い方考えてあげるからね、ハルファス」

 

ハルファス

「うん、分かった。待ってるね」

 

ザガン

「さーて、私の部屋は……」

「お、ハーゲンティの言う通り、広さだけならお高い宿屋にも負けてないんじゃない?」

 

 

 それぞれが個室に入り、扉越しに思い思いに反応する音を聞き届けるグレモリー。

 直ちに事件が起きることは無さそうだと確認し、扉の取っ手を握りながら、逡巡する。

 

 

グレモリー

「(考えすぎ……か?)」

「(ライアは『事なかれ』について、サイティ派のような後ろ暗い事は『したくない』と評した)」

「(正門広場で恫喝された取り巻きの怯えようからして、明らかにサイティは『している』──)」

「(『殺し』か、それに準ずる所業を容易く。逃げ場の無いこの地では、邪魔者は消すしか無いからな)」

「(だがあの時、『事なかれ』を説明するライアに気にかかる点は無かった)」

「(そう、『誇張』や『思い込み』も無い。自信をもって『したくない』の評価を下した)」

「(しかも、ライアの『している』という確信を『事なかれ』も理解しているニュアンスを感じた)」

「(……サイティが殺しを働いたと信じるに足る根拠があり、それを『事なかれ』も認知している?)」

 

 

 先のライアの言葉通りなら、事なかれ主義の中には、「サイティのような事はしたくない」という理由で、やや反サイティ側の人間も一定数居る事になる。

 そして、事なかれの一部が持つ「サイティのような事」……即ちサイティ派が殺人に類する犯罪に手を染めているという「情報」を、ライアはデマや思い込みではなく、事実だと結論している事になる。それは同時に、その確かな根拠、あるいは証拠をライアが握っている事をも意味する。

 

 

グレモリー

「(しかしそれなら本来、ライアはその事をさっきの時点で打ち明けていなければならない)」

「(いや、それどころか、この1年の手紙で報告しているはずだ。そうあるべきだ)」

「(王都の代表たる我らが、如何なる理由でも手を取り合ってはならぬ存在……犯罪者なのだから)」

「(しかし実際は、ライアからこれまで、サイティの犯行を断定する情報は出てきていない)」

「(思い過ごしでないとしたら……事が発覚し、サイティに抹殺される事をライアが恐れている……)」

「(あるいは……ライアに思惑があり、私達を『泳がせ』ようとしている……?)」

 

 

 目を閉じ、軽く深呼吸するグレモリー。改めて取っ手を握り直す。

 

 

グレモリー

「(無駄だな。勘が冴えた所で、私に頭脳派メギドらのような真似はできん)」

「(ソロモンの支援も無い……ならば取るべき選択は1つ)」

「(4人の力で、守り、突き進むだ、け……!?)」

 

 

 扉を引き開けようとして、固まるグレモリー。

 入り口が「ガタッ」と鳴って、何かに引っかかるように揺れただけだった。

 

 

グレモリー

「(開かない……? 鍵は無いと聞いたはずだが……)」

 

 

 もう一度、ザガン達がそうしたのと同じように、扉を引いた。逆に押してみた。結果は同じだった。

 

 

グレモリー

「(……いや待て、この手応えはもしや……!)」

 

 

 扉を手前では無く、横に引くグレモリー。

 ゴロゴロと音を立て、扉が壁の間に設けられた穴に収まっていく。

 

 

グレモリー

「フッ……やはり引き戸か」

 

 

 扉の装飾は他と変わりないのに、この部屋だけ勝手が違うようだ。

 お茶目な個室のベールを取り払い、グレモリーは何だか勝ち誇った顔になっていた。

 キリリと個室の内装を見渡し……グレモリーの表情が固まった。

 

 

グレモリー

「……しまった」

「扉の説明が無かった……つまり把握していなかったなら、当然の結果か……」

 

 

 部屋の窓は、真っ黒に劣化した板で目張りされていた。

 扉を開いた勢いで舞い上がった埃が、板の隙間から溢れる光でチラチラと輝いていた。

 部屋の隅に、殆ど棒だけになったモップと、まだ使えなくも無さそうな木のバケツが、忘れ去られたように立て掛けてあった。

 

 

グレモリー

「扉の違いから考えて、ここはかつての備品室……というより、用具入れだな」

 

 

 奇跡的にベッドが置いてあるのは、たまたま余った物が運び込まれたためと思われる。骨組みはともかく、マットもシーツも実用に耐えそうにない。

 

 

グレモリー

「明らかに、居住可能か確かめていないな。手違いか、サイティの根回しか……?」

「まあ、そんな事は取るに足らんが、しかし……」

 

 

 柄にもなく、尖らすように口を結んで、小さくため息をついた。

 室内は若干、カビ臭い。

 

 

グレモリー

「弱った……ここまでの大掃除は、アジトでも学んで来なかったな」

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 同日の昼下がり。一般の生活なら、茶でも飲みながら、もう幾らかで夕方と呼べそうかという頃合い。アブラクサス敷地内の一角。

 

 

ザガン

「そういえばさー」

「新入りが『入国』したら、初日は外出さえしてれば後は自由行動……ってのは分かるよ?」

「アブラクサスの雰囲気に慣れたり、こうやって歩けば土地勘付けたりもできるし」

 

 

 テレツク歩くザガン。

 高層建築の居並ぶアブラクサスにしては、だいぶ開けたのどかな光景。

 道の脇には開墾された畑が並んでいる。

 所々に木々を伐採した痕跡や、雑草混じりの土が見て取れる。本格的な農場ではなく、後から急造したもののようだ。

 

 

没個性な女

「そうよ。行きたい場所や道のりが気になったら、遠慮なく近くの人に聞いてね」

「こんな時間にブラついてる人なんて、ここじゃ病人と新入りしか……、あ、その次を右ね」

 

呑気な女

「ま、明日から早速お仕事探してもらう事になるんだけどね~」

 

生真面目な女

「でも、さっきも言いましたけど、入っちゃいけない所もありますからね。気をつけてください」

 

ザガン

「うん、ちゃんと聞いてたから大丈夫」

「でも……素直にありがたいとは思うんだけど、さ……」

 

 

 か細い用水路の支流と、その上を通る無意味そうな程に短い橋をヒョイと一足で跨ぐザガン。

 老農夫が引くラバのような足取りを止め、畑の間に植えられた低木から威嚇してくるカマキリと笑顔でにらめっこしていたザガンが、遠慮がちに振り向いた。

 

 

ザガン

「最初に見どころ情報教えてもらってから君たち……いつまでついてくる気?」

 

没個性な女

「あ、ごめんなさい。静かな方が良かった?」

 

呑気な女

「わかる~。散歩も昼寝も一人のほうが良いよねぇ」

 

生真面目な女

「そんな寂しい事してちゃいけません! 人は一人じゃ生きていけないんですよ?」

「やっぱり初対面で、この距離は馴れ馴れしかったんですよ。まずはちょっと離れて見守って──」

 

ザガン

「いや、迷惑じゃあないけどさ……何か、気まずいっていうか……」

「っていうか、質問に答えてよ。私についてきてるの? それとも道が同じなだけ?」

 

生真面目な女

「それも途中で説明したはず──」

「まさか……ちょっと、ふたりとも~~?」

 

没個性な女

「あ、ごめん。私たちのどっちかが説明する段取りだったっけ?」

 

呑気な女

「命令した方だって気付いてなかったんだしノーカンノーカン、はっはっは」

 

生真面目な女

「ああんもう! ちゃんと言われた通りに動いてよぉ! それに命令じゃない!」

「はぁ……ごめんなさい、私から説明します」

「私達、一言で言えば……カリナさんの『お目付け役』です」

 

ザガン(カリナ)

「お目付け役……?」

 

 

 疑問符を付けながらも、単語から3人娘の目的を何となく察するザガン。

 カマキリに手を差し出して十数秒後、カマキリがユラユラ擬態しながらザガンの掌に乗っかった。

 

 

生真面目な女

「こうして一緒に歩く事で、カリナさんと絆を深めるのが私達のお仕事なんです!」

 

呑気な女

「そんなん業務内容に書かれてないよ~?」

 

没個性な女

「新入りさんの道案内と、やっちゃマズイこと止めるのと、あと適当な話し相手でしょ?」

 

生真面目な女

「いいえ! そんなのは上辺です! 心細い新入りさんの救いの手となる尊いお仕事なんです!」

「辛い思いをしてきた女性同士、励まし合い、パートナーとなり、やがて世界に愛の輪を──!」

 

没個性な女

「ま、まあ、そういうわけだから。変な事しようってんじゃないから安心して?」

 

呑気な女

「鬱陶しかったら無視して大丈夫だよ~。道案内だってそのへんの人に適当に……ってさっき話したか」

 

生真面目な女

「こら! 今マジメな話してるんですよ!?」

 

没個性な女

「はいはい、私が聞いてあげるから……」

 

ザガン

「あ~……うん、だいたい分かったよ。ありがと」

「じゃあ、たまたま私が人に聞こうとしたタイミングで、君たちが合流した感じ?」

 

呑気な女

「うん。私は前にも新入りさんの『お目付け役』やった事あるけどね~」

「初日から女三人で近づいて来るのに、全然気にしなかったの、あなたが初めてだね~」

 

ザガン

「あ……あはは、いつだって真っ向勝負が私の取り柄だからね」

「(そういえば、アブラクサスに来る人って、大体は『ワケあり』なんだった)」

「(考えもしなかったけど、大勢でやってくるってだけで、怖くなっちゃう人も居るよね……)」

 

 

 そんな事を考えていたら、肩口が少しむず痒くなるザガン。

 カマキリが腕を登っているのをすっかり忘れていた。

 背中に回られると、見失った拍子にカマキリを危険に晒しかねないので、カマキリを胸元の方に誘導するザガン。何故だかレラジェとピーターを思い出した。

 

 

ザガン

「そういう事なら、遠慮なくこっちも頼らせてもらうよ」

「で……まあ、『見晴らしの良い所』って事で、『農場』に案内してもらったわけだけど」

 

呑気な女

「元は『自然公園』だったから、本場の農家みたいな立派なもんじゃないけどね~」

 

没個性な女

「そうでなくても、大地の恵みが無いから、こう……」

「パッと見ても『実りの感動』みたいなのも薄いのよねえ」

 

生真面目な女

「ですが、この私を始めとした女性達が慈母のように愛情込めて育ててますから大丈夫です」

 

ザガン

「今は、人っ子ひとり居ないみたいだけど?」

 

生真面目な女

「農作業班はこの時間、おやつ休憩中なんですよ」

 

没個性な女

「大地の恵みが無い食べ物じゃ、特に肉体労働は身が入りきらないからね。回数で補ってるの」

「ここは広いから、仕事場ごとに幾つか食堂作って、殆どの住民はそこで食事してるわ」

 

生真面目な女

「後で、最寄りの食堂にも案内しますから楽しみにしててください」

「甘い物もあるんですよ。『外』に比べれば、まだまだささやかなモノですけれど」

 

ザガン

「そうだった、ご飯は大事だね。ハー……『サシヨン』が特に気にしてたし」

「(う~……改めて他人相手にメギド仲間を偽名で呼ぶと、罪悪感が……)」

「(ハーゲンティは本名で呼んでも大丈夫な『筋書き』だけど、油断しちゃいけないし)」

「(こういうの、私に向いてないよな……いやいや、もう始まってるんだから、止まるな私!)」

 

呑気な女

「ふっふっふ……新入り恒例の『一口目の顔』が楽しみだよ~……」

 

ザガン

「一口目の顔……あー、食べ物も基本的にココで作ってるはずだもんねえ」

「おわっぷ……ははっ、このコってば中々恐れ知らずだなあ」

 

 

 カマキリがザガンの顔面を横断しながら山なりに反対側の肩へ移動していった。

 会話の合間に、ザガンは移動中のカマキリに指でちょっかいをかけていた。

 しかしカマキリは威嚇もせず、普通に指を避けて移動し続け、その末の経路だった。

 体に登った時点で敵でなく障害物として認識されているのがちょっと残念そうなザガン。

 

 

呑気な女

「何ていうかね~、『うっすい』んだよね~。味でも香りでも無く……『満足感』?」

 

生真面目な女

「心配ありませんよ。なんたって、ヴィータには『心』がありますから」

「『心』を込めれば何でもできるんです。いずれ野菜も私達に応えて自ら美味しくなります」

 

ザガン

「す、すごい熱意だね……」

「(ヴィータじゃなくても『心』くらいあると思うけど……言うだけ野暮だよね)」

 

没個性な女

「輸入品とかで、ちゃんとした食べ物も手に入ったりはするけど──」

「そういった『ごちそう』を私達が食べれるのは、今夜の『パーティー』とかくらいね」

 

ザガン

「パーティー?」

 

没個性な女

「シュラー様と私たちとの交流を深めるための『定例パーティ』よ」

「参加も途中退場も自由、そしてナマのシュラー様とお話したりダンスしたり……♪」

「もちろん、新入りのあなた達も即日参加オッケーよ!」

 

ザガン

「お、おお……(すごいウットリしてるな……)」

「(とにかく……早速シュラーに会うチャンス来た?)」

 

 

 カマキリを肩から外し、両手の甲を端から端へ継ぎ足して延々歩かせていたザガンが、手を止めて、ちょっと反応に困りながら笑顔で応えた。

 

 

ザガン

「で、でも良いのかな……パーティーって聞くと緊張しちゃうって言うか……」

「(グレモリーに警告されたばかりだし、慎重に考えた方が良いかもだしなあ)」

「(説明してくれてる時、顔がフルーレティの新作読んだアンドロマリウスみたいだったし)」

「(『シュラー様、万歳!』みたいなパーティーだったら、変に浮いたりして後が怖そう……)」

 

生真面目な女

「大丈夫ですよ、身構えなくても。別に何か決まりがあるとかじゃありませんから」

「誰だって、ろくに知りもしない方を崇めろなんて無理な話ですからね」

「『普段』よりは美味しいものを食べられるとかのつもりで、気軽に参加してください」

 

呑気な女

「うんうん、私も8割くらいご飯目当てだからね~」

 

生真面目な女

「あなたはもうちょっとシュラー様の愛に目覚めて」

 

没個性な女

「とにかく、そんな感じで特別な日にはマトモな食材にありつけるけど──」

「普段の私達は、野菜を育てる所から調理するまで、『こんな感じ』って事──」

 

 

 言いながら、没個性な女が歩き出す。

 向かったのは、道の端に立っている飼い葉桶に似た奇妙な石造りのオブジェ。簡素な木製の「ひさし」が設けられている。

 オブジェに被せられた木の蓋を取り、脇に積まれた同じく木製の椀を取り、オブジェの中に突っ込むと「ざぶり」と音を立てた。

 引き上げられた椀の中は、なみなみと水で満たされている。

 神社の手水場に近い構造の物体だが、ザガンの知る限り、ヴァイガルドで類似した物に覚えがない。

 椀を持って没個性な女が戻ってきて、ザガンに椀をずいと突き出した。

 ザガンは、カマキリが手の甲から進路を変えて腕に登り始めたのを再び手の甲に戻そうとして、しかしカマキリが己の足元に差し出される手の甲を避けまくるので悪戦苦闘していた所だった。

 

 

没個性な女

「飲んでみて。お近づきの印に『予習』させてあげる」

 

ザガン

「えっ!? の、飲めって……」

「これ、作物に撒くための水じゃ……大丈夫なの?」

 

没個性な女

「と、思うでしょ? さっき水を汲んだアレは、昔からある公共の水飲み場なの」

「まあ残骸同然だったから、後から蓋とか『ひさし』とか作ったけど、水質だけは心配無用よ」

 

呑気な女

「アブラクサスはデッカい『水路』のお陰で、飲み水だけは困らないんだよね~」

 

ザガン

「そ、そう? じゃあ、まあ……」

 

 

 恐る恐る両手で椀を受け取るザガン。

 一杯に注がれた水が受け渡しの振動で溢れ、ザガンの手を濡らした。

 いざ飲もうとした所で、カマキリが腕を登っているのを思い出し、指でそっと捕獲してから椀の水を飲んだ。

 2,3口、喉を鳴らしたあたりで、萎れるように静かに椀から口を離した。

 

 

ザガン

「ふぅ……冷たくて気持ちいいけど……なんだこれ?」

「すごく……すごく、『物足りない』……」

「(夢の中で水のんだみたいな気分……)」

「(口も喉も潤ったはずなのに、むしろ渇きを実感させられてるみたいな……変な感じ)」

 

没個性な女

「ふふっ、でしょ? 水にも殆ど大地の恵みが溶け込んでないらしいの」

「でもすぐ慣れるわ。キレイな水には変わりないんだから」

 

呑気な女

「うんうん、これ味わって初めて私らの仲間ってとこまであるからね~」

 

ザガン

「あはは……確かに、そのくらいの驚きはあったかも……」

 

 

 手に移したカマキリは今度はじっとしている。

 ザガンの手に付いた水滴を飲んでいるようだ。

 衣装の手袋のお陰で、肉まで噛まれる心配は無さそうだ。

 

 

ザガン

「(ソロモンが、フォトンは足りない土地を補うように流れてくみたいな話してたっけ)」

「(って事は、フォトンの無い水が体に入って、体内のフォトンが水の方に『流れた』?)」

「(だから、水で潤っても、フォトン的には『渇いてる』感じがするのかも──)」

「(……あれ? でも待ってよ、そもそも──)」

 

 

 遠くの景色を見回すザガン。

 建物の空気の層の隙間から、潜入前にも見た例の水路を見つける。

 

 

ザガン

「ねえ、この水って、あの長~い『水路』から引いてるんだよね?」

 

没個性な女

「ええそうよ。その水を給水棟で受け取って、貯水槽に常に新しい水を貯めて──」

「貯水槽が一杯になってから、溢れる分をアブラクサスの上水道に供給してる感じ」

 

生真面目な女

「最初は上水道の清掃と修理からコツコツ初めて、今ではこれだけ住みよい場所になったんですよ」

「この偉業こそ、まさに人類愛! シュラー様の御心と私たちの善性を証明するものなのです……!」

 

ザガン

「へ……へえー、大地の恵みが無くても、何だかんだですごいスケールなんだね」

「(ダメだ……この人達には当たり前になりすぎてて、多分『気付けない』)」

 

 

 アブラクサスへ向かう道中を思い返すザガン。

 水を飲み終えたカマキリが、ザガンの手からワキワキと脱出している事にも気付いていない。

 

 

ザガン

「(水路の水は、うんと遠くの渓流から引いてるって聞いてる)」

「(私にだって分かるよ……それならフォトンは『含まれてる』はずじゃないか)」

「(私たちが馬車で移動する間でも、戦える程度にはフォトンが確保できてたんだから)」

「(もっと遠くの渓流にはアブラクサスの枯渇の影響なんてあるわけない)」

「(ちゃんと水も届いてるなら、地平線の向こうの水源に大きな変化は無いって事だ)」

「(つまり……どこかでフォトンだけ『抜き取られてる』? 後でグレモリーにも伝えないと)」

 

呑気な女

「? どしたの~、考え込んじゃ……プククッ!」

 

 

 怪訝そうな顔をしていた呑気な女が吹き出した。

 

 

没個性な女

「あ……ふふっ、カリナさん、頭、頭」

 

生真面目な女

「あらあら、格好いい事になってますね」

 

ザガン

「んぇ? 頭……?」

 

 

 我に返ったザガン。

 ザガンはまだ気付いていないが、慣れない思考を巡らせている内に、カマキリがザガンの肩へ、後頭部へと登りつめ、ハットの頂上に到達していた。

 何に対してなのか、両腕を掲げて威嚇しているカマキリ。

 反射的に頭の上を手で探ろうとした所でザガンもようやく事を察し、ハットを脱いでカマキリを確認した。

 

 

ザガン

「ありゃりゃ、こりゃあ一本取られちゃったねえ」

 

没個性な女

「うふふ……もう、いつの間に勝負なんかしてたのよ?」

 

生真面目な女

「そろそろ、食堂の方にも行ってみませんか?

「農作業班の皆さんも食事を終えて、食堂も落ち着いてる頃でしょうし」

 

ザガン

「うん、そうだね。長居してお仕事の邪魔しちゃ悪いし」

「君も、付き合ってくれてありがとね♪」

 

 

 カマキリを元いた低木に帰してやるザガン。

 ハットを被り直して移動を再開する。

 何気なくカマキリの方を振り向こうとした最中、ふと、風景に紛れた1枚の畑に目が留まるザガン。

 石畳に咲いた1輪の花のように、鮮やかな緑が際立っている。

 

 

ザガン

「あの、遠くの畑さ……他の畑より随分と育ちが良さそうな感じだけど、何を植えてるの?」

 

生真面目な女

「むむ! よくぞ気付いてくれました……!」

 

呑気な女

「あ~、避けてたのにスイッチ入っちゃった……」

 

ザガン

「え……?」

 

生真面目な女

「あの畑こそ、シュラー様の『奇跡』の象徴なのです!」

「行きましょう! さあさ行きましょう!!」

 

没個性な女

「こらこらこらこら、私たちはお目付け役でしょ、連れ回すんじゃないの!」

 

ザガン

「(あ……話させたら長くなるやつだこれ)」

「えっと、ちょ、ちょっと小腹も空いてきたしさ──」

「手短に……手短にだけ聞いて、続きはおやつの後にしたいかなーって……」

 

生真面目な女

「い~いですとも! 本番は英気を養ってからにしましょう!」

 

ザガン

「(英気が要るレベル……!?)」

 

呑気な女

「あそこね~、あそこだけ作物が『人並みに』育つんだよ~」

 

ザガン

「『人並みに』……大地の恵みがある場所くらいにって事?」

 

没個性な女

「そうそう。味も、食べた後の元気の入り具合も、王都の市場でも負けないんじゃないかってくらい」

 

生真面目な女

「この大地の恵みが失われた土地でですよ!?」

「それも作物の天敵たる潮風が吹き込む土壌で……これぞ『奇跡』!」

「ですからあの畑から採れる作物は日頃、我らがシュラー様にお召し頂いているのです」

 

ザガン

「へえ、やっぱ偉い人なら良いもの食べられるってわけだねえ」

 

生真面目な女

「そうではありません、私たち自ら、シュラー様たちに召し上がっていただくよう願ったのです」

 

ザガン

「えっとつまり、シュラー……さまは、最初はあの作物を食べようとしなかった?」

 

没個性な女

「そうなの。一口召し上がって気に入って下さったけど、すぐに春風のような笑顔で──」

「『皆さんの努力の賜物ですから、これは皆さんが分かち合うのに相応しい』……はぁ、素敵♪」

 

呑気な女

「とは言ってたんだけど、結局、畑一枚の作物を住民全員に分けるのも無理あるからね~」

「せっかく『奇跡』起こしてくれたんなら、隅から隅まで起こしてくれれば良いのにね~」

 

生真面目な女

「こら! そういった堕落した欲をもたらさないためにもシュラー様は──!」

 

呑気な女

「は~いはい、ちゃんと悔い改めま~す」

「まあそんなわけで、結果としちゃあ、さっきカリナさんが言った通り『偉い人へ』なんだけどね」

「住民の感謝の印って事で、シュラー様と、そのお側役とか……」

「あとまあ……アブラクサスがやってく上で欠かせない人とか、ね」

 

ザガン

「ああ、つまりサイティみたいな?」

 

女3人

「……」

 

 

 うまく誤魔化そうとしたいが何も手段が無い時の気まずさが漂う。

 

 

ザガン

「あ……ごめん。私もまあ、『審査』の時に色々言われたよ……」

 

呑気な女

「あ、ああうん、もうすっかり有名だよ~、お仲間のギーメイさんが大活躍だったって~」

 

生真面目な女

「力を盾にアブラクサスに根を張って……今にシュラー様が摘み取ってしまわれるわ……!」

 

没個性な女

「知恵も機転もきく人なんだけどねえ……出身のせいか、あればっかりはどうにも……」

 

 

ザガン

「(あ、閃いたかも……?)」

「(グレモリーにばっかり、感じ悪い仕事させたくないし……ここは当たってぶち抜く!)」

「ね、ねえ……嫌でなければなんだけど……サイティって、どんな人なのか聞いても……大丈夫?」

 

没個性な女

「ん……ん~~……」

 

呑気な女

「まあ大丈夫でしょ~、今は人も居ないし~」

「初日から『濃い』のにぶつかっちゃ、カリナさんも気になるだろうし~」

 

ザガン

「も、もちろん、絶対に秘密は守るから!(仲間には喋っちゃうつもりだけど……)」

 

生真面目な女

「……あれは金貸しの娘なんです」

 

 

 さっきまで純粋真っ直ぐに輝いていた生真面目な女の瞳が、今は打って変わって冷たく影を孕み、適当な地面へ投げかけられている。

 

 

ザガン

「金貸し……まあ、借金取りとか、あまり良いイメージは無いかも……」

 

呑気な女

「親御さんの経営自体は良心的だったよ~、利息も他所よりウンと優しいくらい」

「しかも貴族に負けない財産持てるくらいに大成功してて……一流商社って感じかな~」

「けど、この辺って昔から、銀行とか金融とか、直接お金が絡む仕事はイメージ悪くてさ~」

 

没個性な女

「お年寄りとかは、実績も人柄も良くても『金貸しだから裏があるに決まってる』なんて言って……」

「そういった環境のせいかしら、『まずは何でも下に敷く』みたいな性格に……」

 

呑気な女

「いやあ、元からの『才能』じゃないかな~」

「サイティ以外の兄弟姉妹は、かなりマトモな人たちだって聞いたし」

 

ザガン

「(そんな人がなんで今はアブラクサスなんかに住んでるのか、気になるけど……)」

「(『ヤなヤツが落ちぶれた話』なんて、絶対、みんな口が悪くなってくに決まってるし……)」

「(聞きたくない……ううっ、やっぱり私がこういう話についてくには、未熟だったかも……)」

 

没個性な女

「何にしても、あの性格だけが勿体ないわよねえ」

「結局、あの人のお陰でここまでやってこれたのも事実だし……」

 

ザガン

「お……お金貸しの娘さんが、アブラクサスにそんなに貢献できるのかな?」

「まずは掃除とか修理とか、力仕事が必要になりそうに思うけど」

「(情報になりそうな話が来た! すぐに悪口にもならなさそうな!)」

「(サイティがお金の事に詳しいって事は、何かあるのかも……)」

「(アブラクサスと周辺領の怪しい取引、サイティが上手くやったお陰だったとか……!)」

 

没個性な女

「あの人、とっても多芸で博識なのよ。料理に裁縫に園芸に、学者みたいな知識も沢山……」

 

呑気な女

「しかもちゃ~んと『正しい』からね~。アブラクサス一帯の情勢も詳しいし弁も立つし──」

「溝も沢山作ってるけど、今みたいな制度や仕事分担で回せるように皆をまとめ上げたのも確かでね~」

 

ザガン

「あ~、そっちかあ……」

 

呑気な女

「そっち?」

 

ザガン

「ああ、な、なんでもない、こっちの話……」

「(アブラクサスの復興ちゃんと頑張ってたのか……ちょっと意外)」

「(『功罪』って言うんだっけ? 実力もあったから、今あんなに偉そうにできてるって事かな……)」

「でも、なんでサイティってそんなに色々な事に詳しかったりしたんだろ?」

 

没個性な女

「そりゃあもう、『良いトコの娘』ですものねえ」

 

ザガン

「ん……?」

 

呑気な女

「『花嫁修行』だよ」

「立派な家ほど注目集めちゃうから~、『行き遅れ』になるとすぐに噂になって笑われちゃうし~」

 

没個性な女

「だから少しでも『付加価値』のある女の方が、『優秀な』お金持ちの方々も興味持つってわけ」

「家も任せられて、仕事が忙しければ手伝って、パーティーのマナーも心得てる──」

「もちろん顔も良くて誰もが羨む『完璧』な……ってね」

 

ザガン

「あれもこれも出来るのに……それが全部、お嫁さんになるためだけにって事!?」

 

没個性な女

「まあ、価値観は人それぞれだからねえ」

「でも、私もここに流れ着く前は、貰い手探して随分あせってたなあ……」

「サイティみたいに頭よく無いから、お化粧とか話し方とかで色々努力して……」

 

呑気な女

「まあ結局は私ら3人、生まれてこのかた彼氏の1人も無かったわけだけどね~、わっはっは」

「でも貴族とかお金持ちは、普通の人と違って頭数も限られてて、妥協しようも無いからさ~」

「お話なんかでも良くある『椅子取りゲーム』になっちゃうんだろうね~」

 

ザガン

「(……ゼパルとかなら、こういう話も納得できるのかな……)」

「(でも、私は、こんなのどうしても……それじゃあまるで──)」

「(勉強も、服もメイクも話し方も、生きてきた事も──)」

「(身につけたモノ全部、お嫁さんの『値段』に替える『ついで』にされてるみたいだ……)」

 

生真面目な女

「……ぶつぶつ……ぶつぶつ…………」

 

ザガン

「(って……な、なんか物凄い顔で俯いて……爪噛んでる?)」

 

 

 ザガンの面食らった視線に気付いたお目付け役の残り2人が、ハッとなった顔をした後、殊更に「楽しそう」な声を上げた。

 

 

没個性な女

「あ、い、いっけない忘れてたー!」

「これから食堂に行くんだったわね! 私ももうお腹ペコペコだったわ!」

「さ、さあ行きましょ皆、ねっ!?」

 

呑気な女

「い、いや~ほんとほんと~、1日5食は平らげるために生きてるようなもんだよね~」

 

ザガン

「え、あ、ああうん。ごめんね、私のせいで話し込んじゃって」

 

没個性な女

「良いの良いの! もう、あんな女の事なんて話したって誰も得しないってものよねえ!」

 

生真面目な女

「ぶつぶつぶつぶつ……」

 

呑気な女

「(ごめんね~カリナさん。あの子、色々あって、その……心が弱っててさ)」

「(あの子にとって、世界が全部『シュラー様』でないと、気が気で無いんだよ……怖くて)」

 

ザガン

「(ううん、私もごめん。ここに住んでるって事は、皆が事情あるって、分かってたのに……)」

「(でも……『怖い』って?)」

 

呑気な女

「(嫌な事が続いて、『実は世界がみんな自分の敵に回ってるんじゃないか』みたいに考えた事ない?)」

「(『世界は初めから私をいじめるように出来てるんだ』みたいな)」

 

ザガン

「(う~ん……子供の頃、親に勘違いで怒られた時、それっぽいこと考えた気がするかも?)」

 

呑気な女

「(あの子、本当に怖い目にあってね、今もその気持ちから抜け出せないんだよ)」

「(今のあの子は、自分が好きなモノが、100%『正しい』モノでないと、もう何も信じられないんだ)」

「(だから逆に、嫌いなモノは100%『悪い』モノで、『功』なんてあっちゃいけないんだよ)」

 

ザガン

「(じゃあ、今の『サイティに助けられた所もある』みたいな話は……)」

 

呑気な女

「(うん……昔、あの子、どれだけあの子にとって『おかしい』事か、こう言ってたよ)」

「(『家族を笑って殺した下手人に、跪いて感謝しろとでも言うの?』って……)」

 

ザガン

「(ぜ、全然話が違ってる……違ってるけど……つまり、それくらいに……)」

 

呑気な女

「(うん。あの子の中では『全く同じ事』なんだよ。多分、今も)」

「(それでも昔よりだいぶ元気になったし、途中までは話にも参加してたから、私たちも油断してた)」

 

ザガン

「(……ほんと、ごめん……)」

 

呑気な女

「(大丈夫。言っちゃなんだけど、『たまに』ああなる人が珍しくない所だから)」

「(ご飯食べて、適当にシュラー様を称える話に相槌打っときゃ、すぐ元通りだからさ)」

 

ザガン

「(わ、わかった……)」

 

 

 顔を上げると、没個性な女と生真面目な女が先を歩いている。

 没個性な女が精一杯の笑顔と冗談で生真面目な女の気を引いている。

 生真面目な女は、後ろからでも何をしているか丸わかりな程に背を丸めたままだ。

 

 

ザガン

「(多分、いま励ましてる人も、色々抱えてるんだろうな……)」

「(……本当に……本当に、いいのかな……)」

「(居場所がココじゃなかったら、1日だって安心できなさそうな人が、目の前に居るのに──)」

「(ココを壊して、住民を領主の人たちに預けて……それで本当に、『明日』を用意してあげられるの?)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 少し時間を戻し、アブラクサスの別の地点。

 

 

ハーゲンティ

「ほへ~……本当に広いなぁ~」

 

 

 アブラクサスの外周を囲う外壁伝いに、飛んだり走ったり歩いたり、冒険少年のように気ままにアブラクサスを見て回るハーゲンティ。

 自由行動と聞いて、グレモリーの解散の号令と同時に真っ先に飛び出していた。

 

 

ハーゲンティ

「『見せ場ならここしかない!』って、ノリで走り出しちゃったけどさ……」

「やっぱ、あそこでハルちゃん連れて歩くのが、あたいの役目ってトコあったよねえ」

「こんな広いんじゃハルちゃんで無くても『どこに行けばいいか分からない』ってなっちゃうって」

「でも、気付いて振り向いたら誰も居なかったし、どこをどう歩いたかも覚えてなかったし……」

「マム、ザガン姉さん……後は頼んます!」

 

 

 青空にグレモリーとザガンを思い描きながら、一抹の罪悪感も抜けるような空へぶん投げたハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「今のあたいの役目はただ1つ……そう!」

「探検じゃあ~~~! コンキスタドールじゃあ~~~~!」

 

 

 もう何度目かのダッシュを決めるハーゲンティ。

 ハーゲンティが沿って移動しながら、拾った木の枝でたまに引っ掻いてる外壁が「城」の一部であったなら、「城塞都市」と呼ぶに相応しい威容だが、アブラクサスに城郭は無い。

 入り組んだアブラクサスだけあって、外壁沿いにも高層建築がそびえ立ち、時に民家や店舗の面影を残す廃墟が立ち並び、時に建物と建物の間の薄暗闇で、忘れ去られた枯れ葉が積み重なっている。

 

 

ハーゲンティ

「ふぅっ、はぁっ……! はぁ~~~ちょっと休憩~!」

 

 

 幾らか走った所で速度を落とし、ゆったり歩くハーゲンティ。

 もうこんな事を、思い出せないほど繰り返し、すっかり汗だくになっている。

 

 

ハーゲンティ

「ふい~、今度は何か開けた感じのところに出たねー」

「低くて、木とかレンガで作った建物も多いし……あっ!」

 

 

 見たことのない動物を見つけた子供のように指差して、まだ少し荒い呼吸もむしろ楽しむかのように、小走りで一点へ向かうハーゲンティ。

 平屋建ての木造で、かなりの面積を有する分、扁平にも見える建物があった。

 その出入り口であろう場所でブレーキをかけるハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「ここあたい知ってる! えっとあの~~アレ……『厩舎』!」

「牛とか馬とか入れとく場所! うん、見た目もそれっぽいし干し草っぽいの落ちてるし間違いない!」

「いやー、あたいもよく、優しい農家の人に屋根と藁のお布団借りたな~」

 

 

 しみじみと、ハーゲンティ的に心温まる思い出を振り返る。

 ハーゲンティが浸っていると、眼前の扉が、風に吹かれたかのように力なくキイと開いた。

 建て付けが悪かったのでは無いようで、続けて女が1人、中から出てきた。

 平凡な品質だったろう婦人服を纏っているが、10年は毎日着回したかのように擦り切れて、酷く汚くみすぼらしい。少なくとも20過ぎだろうが、痩せて肌も髪も傷んで、30代にも40代にも見え、もっと老いていてもおかしくないと思わせる様相だった。

 女は、ハーゲンティの姿を見つけると、墓場を彷徨っている方が似合う足取りでハーゲンティに近付く。どうやら、先程のハーゲンティの実況が厩舎の中まで届いていたらしい。

 

 

みすぼらしい女

「……どなた?」

 

ハーゲンティ

「あ、こんちは! あたい、今日からアブラクサスに住む事になったハーゲンティです!」

 

 

 ビシっと片手を挙げ、行儀よく答えるハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「……あっ! ち、違った、えっと確か……サ、『サシヨン』です!」

「ああ! でも別にハーゲンティって呼んでも大丈夫なんだけど、お気持ち的なアレがアレで──!」

 

 名前を間違え、間違ってないけど筋書き的には間違いで、そういえば筋書き的に間違っていない事もなく、ハーゲンティはしどろもどろだ。

 ハーゲンティには、女の身なりに何か思う様子は全く無い。ハーゲンティの知る世界では、目の前の女くらいのヴィータは「一般人」の枠に優に収まる。

 ハチャメチャな身振りで残像を量産するハーゲンティに対し、女はぼんやりした目で見ているのかいないのか、ピクリともしない。

 少し間を置いてから、女が声を発した。

 

 

みすぼらしい女

「……はなれて」

 

ハーゲンティ

「いや~実は、あたい的にはどっちかと言えばハー……ほえ?」

 

みすぼらしい女

「ここ……よくないの……あぶない……きちゃ……だめよ……」

 

ハーゲンティ

「……(思考中)」

「あっ、なるほど! 素人が入っちゃマズイ的な!」

「ラッジャー! 入らず、騒がず、動かさず! あたい、色んな職場で沢山言われてるから大丈夫!」

 

 

 その場でランニングの姿勢で足踏みを始めるハーゲンティ。まだまだ体力は有り余っている。

 

 

ハーゲンティ

「そうだ、こういう時は先に言う事があるんだった!」

「危ないのに勝手に近づいちゃって失礼しました! そんじゃ、お仕事頑張ってね~!」

 

 

 手を振って走り去るハーゲンティ。

 立ち枯れた細木のような佇まいで、遠くなるハーゲンティを眺める女。

 

 

みすぼらしい女

「…………ふふ」

 

 

 微かに笑って、女は厩舎の中へ引き返した。

 

 

ハーゲンティ

「いやー失敗失敗……でも、あたいはメゲない! それがあたいの『勝算』だから!」

 

 

「反省」の遥か以前に「立ち直り」を差し込みながら走るハーゲンティ。

 厩舎が数多の建築物の陰に消えた頃、道行く先に人影が飛び出した。

 人影は、若い女性の声で絶叫した。

 

 

人影

「止まってーーーーーーっ!!」

 

ハーゲンティ

「お、おおおおほええええ!!??」

 

 

 制止を呼びかけるには両者の距離が近すぎた。しかも人影の背後には下り坂が続いている。

 ついでにブレーキをかけようとしたハーゲンティの足がもつれ、全速力の七転八倒のフォームで人影に激突した。

 

 

ハーゲンティ

「おああああああああーーーー!?」

 

人影

「あばばばばばおぼべっぽえべべべべれべれれれれ!?」

 

 

 坂道を転げ落ちていく女の塊。

 人影がハーゲンティを包む形となり、ただただ目を回すだけで済んでいるハーゲンティと比べて、聞いてるだけなら愉快な悲鳴をあげる人影。

 状況が飲み込めないハーゲンティの脳裏で、妙に丸っこいヒヨコ的な物体が群れをなしてピヨピヨ飛び交っている。

 団子同然となったハーゲンティ達が、道の出っ張りか何かに乗り上げてまとめて跳ね上がり、そのまま突き当りの柵を飛び越え、アブラクサス市街地を流れる広い用水路に水柱を立てて沈んだ。

 そして、その数分後……。

 

 

ハーゲンティ

「……っぶへぇ~~~ひどい目にあった……」

「あぁだだだ……どっか、多分どっかぶつけた……だ、だいじょぶ?」

 

人影

「え、ええなんとか……」

 

人影2

「用水路が深めに造られてたお陰で、水に勢いが吸われて助かったわ……」

 

人影3

「今が冬だったら不幸のどん底だったけどね……」

 

 

 どうにか用水路から上陸したハーゲンティ達。

 ここでようやく、自分を止めに入った人影が3人分だった事に気づくハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「えーっと……お姉さんたち、あたいに何か用だった?」

 

人影

「何かもなにも……」

 

人影2

「見つけたと思ったら走り出してるんだもの……」

 

人影3

「まあ、愚痴は一旦、置いといて……あなた、サシヨンちゃんで間違いないわよね?」

「アタシたち、あなたの『お目付け役』を任されたの」

「本当なら、『学舎』であなた達が解散する前に声かけて、一緒にお散歩してたって事」

 

ハーゲンティ

「なるほどー……」

「あれ? じゃあ何でお姉さんたち、こんな所に?」

 

人影トリオ

「「「あなたが声かける前に全力スタート決めちゃったから!」」」

 

ハーゲンティ

「あへへ、や、やっぱり……?」

「いやー、ゴメンゴメン。時は金なりって昔どっかで教わったもんで、ついつい」

 

人影

「しかもメチャクチャ速いし、スタミナも底知らずだし……まあ、追いつけたからもういいけど」

「ちょっと順番ずれたけど、自己紹介させてもらうわね。私の名前はフォロア」

 

人影2

「ワタシはワレミアよ」

「まあサシヨンちゃんだけのせいじゃないわ。事前に説明してないんだから無理もないもの」

 

人影3

「それで、アタシがミーナ」

「お目付け役の慣例なのよ。『ちゃんと助けてくれる人が居るのよ』って意味のサプライズで」

「『必要なら頼ってね』だと、声かけるの怖がって抱え込んじゃう子も多いから」

 

ハーゲンティ

「あたいソレ知ってる、『新入りへの洗礼』ってやつだね!」

 

ミーナ

「それ、ちょっと物騒な響きな気が……」

 

ついてきたフォロア

「まあ何にしても、こうして合流したからには、出来ればもうちょっと安全運転でお願いね」

 

ハーゲンティ

「イエッサー! 気をつけます!」

「そうだよねえ、さっきみたいに入っちゃダメな所に行かないように先輩方が居たほうが良いもんね」

 

お目付け役トリオ

「「「そう、ソレ!」」」

 

ハーゲンティ

「イキピッタリ!?」

 

フォロア

「いい? 今後のためにも、コレだけは守った方が良いわ」

「担当の人以外は絶対に『厩舎』には近づいちゃダメ。色々な意味で危ない所なんだから」

 

ミーナ

「ほんとビックリしたわよ……アタシたちも近づかないよう、『先回り』に作戦変更したくらいなの」

 

ワレミア

「ワタシなんか、まだ足腰が震えて……」

 

ハーゲンティ

「んんん……?」

「『厩舎』って、そんな怖い? 飼ってる動物とか入れとく場所じゃなかった?」

 

ミーナ

「怖いなんてもんじゃ──」

「でもそういうアタシもよく知らないや……何でだっけ?」

 

ワレミア

「それは原則、言っちゃいけない決まりなの」

 

フォロア

「仕事絡みってのもあるし……とにかく、あそこに出入りしてるってだけで変な噂されちゃうレベルよ」

 

ハーゲンティ

「(むむ……!?)」

「(これはもしや……怪しいポイント? 帰って皆に話せば、お役に立てる?)」

「(そしたら……謝礼が! 増える!?)」

「そ、その話もうちょっとくわ──!」

「くわ……し……くわっくしょいっ!!」

 

 

 盛大なクシャミを放つハーゲンティ。

 

 

ミーナ

「だ、大丈夫、サシヨンちゃん!?」

 

フォロア

「そういえば私たち、水浸しだったわね……」

「どこか、適当な所で火を借りましょう。風邪なんてひかせちゃお目付け役失格だわ」

 

ワレミア

「ワタシも……これ足腰だけじゃなくて体中が震えてたわ……」

 

ハーゲンティ

「それはマズイっすよ! 早く温かい所さがそう!」

 

ミーナ

「いやいやいや、サシヨンちゃんもだってば!」

 

フォロア

「『私たち全員』でしょ!」

 

 

 心配される自分よりも、お目付け役を心配するハーゲンティ。

 クシャミと同時に何を考えていたかも吹き飛ばしてしまったハーゲンティは、厩舎に話を戻す気が全く無い。

 

 

ハーゲンティ

「あたいはダイジョーブ! ちっとも寒くないし、鍛えてますから!」

「それに、さっきのクシャミは鼻に水が入っ……はひっくしっ!」

「ゔ~……ま゛だの゛ごっでる゛」

 

 

 顔を覆い、素手で鼻をかもうとするハーゲンティ。

 

 

フォロア

「あっ、こら、おてて鼻水まみれにしたらバッチイでしょ!」

 

ミーナ

「アタシ、ハンカチ持ってるから使って! いま絞るから!」

 

ワレミア

「わ、わだ、ワダジも持っで……は、はんげぢ……」

 

フォロア

「あんたは私が運ぶ! ミーナ、サシヨンちゃんお願い!」

 

 

 ドタバタと濡れ鼠の後始末を始める4人。

 

 ……十数分後、一同は居住施設の一室で暖炉に当たっていた。

 部屋の隅でゴソゴソしていたフォロアが暖炉の方に戻ってくる。

 

 

フォロア

「ワレミア、タオルってこれでいいの?」

 

ワレミア

「うん、それそれ……お陰で助かったわー」

 

ハーゲンティ

「ワレミア姉さんの住んでる所が近くにあって、ラッキーだったねー」

 

ミーナ

「サシヨンちゃんにとっても、よ……うん、そろそろ良いわね」

「はい、皆も飲んで。ただのお湯だけど、体あっためるにはこれが1番だから」

 

 

 ミーナが暖炉で沸かした白湯を煽る4人。

 

 

ハーゲンティ

「うおっ……何か、すごく『物足りない』!」

 

フォロア

「ぷっ……気持ちいいくらい正直に来たわね」

 

ワレミア

「ここの水は、これが普通なの。3日もすれば『馴染む』から」

 

ミーナ

「ああ、思い出すわぁ……アブラクサスに来た時も、こんな風にズブ濡れだったなあ」

「男に騙され、借金を押し付けられ、家も家財も差し押さえられて、着の身着のまま雨に降られて……」

「もう『死ぬしか無い』ないなんてアテも無く歩いてたのに、気付いたらココに来てて──」

「入国審査中に、こうしてもらった白湯が……ふふっ、も~『うっすい』の何のって」

 

ワレミア

「今となっちゃお互い、『最初に』ココ来た経緯なんて、些細な思い出話よねぇ……」

 

フォロア

「……」

「……っと、浸ってる場合じゃなかったわ」

「サシヨンちゃん、本当に大丈夫? 無理してない? そんな『薄着』でびしょ濡れで……」

 

ミーナ

「(おお……言い淀みもせず『薄着』って言った……)」

「(フォロア、お目付け役のベテランだから、『如何にも』な格好の人にも慣れてるなぁ)」

 

ハーゲンティ

「ホントに大丈夫! ありがとね」

「あたいがずぶ濡れで『ヤバい』ってなったのは、丸一日、井戸で素潜りした時くらいだから」

 

フォロア

「い……井戸で素潜り?」

 

ハーゲンティ

「昔ねー、デッカイデッカイお屋敷に雑用で働かせてもらった事あるんだよね」

「それはもうデッケーの何のって、井戸までデッカイし、その井戸で見物料取ってたくらいに」

 

ミーナ

「井戸で見物料……また突拍子もない組み合わせが来たわね」

 

ハーゲンティ

「端から端まで泳ぐのに30秒はかかるって言われてるくらい広かったからねー」

「梁も何本も通して釣瓶も沢山! 使用人さんが一斉に洗い物できるし、見てて羨ましかったー」

 

ワレミア

「それは……確かに、ちょっと見てみたいかも」

 

フォロア

「(羨ましいのは、見物料で稼ぐのが? それともそんな井戸を持ててるのが?)」

 

ハーゲンティ

「そんで深さも、もンの凄いの!」

「そこの土地って、深い所から湧いた水の方がキレイって言うからメッチャ深く掘ってね──」

「石ころ落として音が返ってくるまで3秒くらいかかるんだよ、お日さま出ても底なんて見えないし」

 

ミーナ

「あの……楽しそうに語ってるけど……そこで、素潜りしたの?」

 

ハーゲンティ

「うん、そう! いやーヤバかったよホント、流石にちょっと凹んだよネ!」

 

ミーナ

「『ネ』って……『ちょっと』って……」

 

フォロア

「雇い主の自慢の井戸なのに、なんでそんな事に?」

 

ハーゲンティ

「んっとねー、そのお屋敷で、あたいが何度失敗しても面倒見てくれた優しい先輩が居たんだけど──」

 

 

 ハーゲンティの回想。

 

 

 かつて働いたデッケエお屋敷の、ある日のこと。

 

 

ハーゲンティ

「ええぇーーーー!? せ、先輩が井戸に身投げをぉ!?」

 

使用人の女

「そうなの……今、屋敷の医務室に運ばれて、住み込みのお医者様が診ているそうよ」

 

ハーゲンティ

「お屋敷用のお医者さんに、お医者さん用の部屋も!? そんなのあったんスか!?」

 

使用人の女

「知らなかったの……? まあ、あなた風邪とかとも無縁そうだしね」

 

ハーゲンティ

「ほんとですよー、元気な体に生んでくれた両親に感謝ってもんですよ」

「……って、そうじゃなかった! 先輩のお見舞いに行かないと!」

 

使用人の女

「また近道だからって突っ切って物壊したりしちゃ──」

「……って、もう居ないじゃない!?」

「ああ……嫌な予感しかしない……」

 

 

 ハーゲンティは走った。ドジばかりの自分を暖かく指導してくれた先輩が心配でならなかった。

 玄関掃除中だったハーゲンティはお屋敷特注の箒を投げ捨てた。直後にドガシャーン的な音がした。それでも走った。

 お屋敷の前庭を一直線に駆け、お屋敷用に植樹した異界の香木を踏み倒し、お屋敷用に集めた紅水晶の原石を散りばめた特注花壇に泥だらけの足を載せ、花を踏まぬよう飛び越えて普通に失敗し、お屋敷用鎮魂の白百合をスライディングと尻もちの下に沈めても、ハーゲンティは止まらなかった。

 ハーゲンティは走った。お屋敷用黄金豆の畑を踏み固め、お屋敷用賢者のリンゴの木に激突して、幹にくっついていたお屋敷虫の抜け殻を粉砕し、お屋敷の主人が密かに蒐集するお屋敷獣の化石にドロップキックを炸裂させ、ゴールドお屋敷オイルの樽をひっくり返しても、ハーゲンティは先輩のため、必死に走った。

 

 一方、住み込みの私兵のためのお屋敷修練場にて。

 

 

住み込みの料理人

「おおーーーい、兵隊さんたちーーー、逃げろーーーっ!」

 

住み込みのベテラン兵士

「なにぃっ!?」

 

住み込みのマッチョな兵士

「我ら兵士に逃げろだとぉ!?」

 

住み込みの只者じゃなさそうな兵士

「我らこの場に10人、折しも新陣形、『ボウ&リング』の完成を見た所……」

 

住み込みの客員剣士

「面白い……何者だろうと、この無敗の剣士が剣の錆としてくれる!」

 

住み込みの料理人

「使用人の女の子が、軸回転しながら突っ込んでくるぞーーー!」

 

住み込みの兵士たち

「……は?」

 

軸回転するハーゲンティ

「せんぱぁーーーい!」

 

 

 ゴールドお屋敷オイル塗れのハーゲンティが、転んだか何かした姿勢のまま腹ばいで独楽のように回転し、怪獣映画さながらの有様で滑っていた。

 私兵が気付いた時には全てが遅かった。兵士がハーゲンティの声に振り向いた時、声の主は視線の先には居らず、唯一、無敗の客員剣士だけが、自分たちの足元でグルングルンしながら迫りくる少女の姿を見た。

 所で、お屋敷用の私兵制式甲冑は、伝説に語られる雷の騎士になぞらえて、白く流線型である。そして、首の赤いチョーカーと胸元の家紋がトレードマークだった。

 

 

ハーゲンティ

「せんぱぁーーーーい!!」

 

住み込みの兵士たち

「ぎああああぁぁぁ!?」

 

 

 黄金色の回転体に滑らかに弾かれ、陣形を整えた10人全員がカコーンと爽快に跳ねられた。

 ぶつかった衝撃のお陰か、バランスを取り直せたハーゲンティは再び立ち上がり、一直線に走り去っていく。

 

 

ハーゲンティ

「負けるもんかぁぁーーー! メギドの腕だって駆け上ったらぁぁーーー!」

 

 

 ハーゲンティは止まらない、振り向かない。胸には激情の炎が燃えていた。失うものなど、いつかの未来に還ってくれば良い。

 犬越え屋根越え、ハーゲンティは優しい先輩のため、走り続けた。

 明らかにハーゲンティは迷っていた。

 よく考えてみなくても、ハーゲンティは医務室の場所など聞いていない。

 

 

ハーゲンティ

「そうだ! まずはイムシツを探さないとだ!」

 

 

 ハーゲンティは、「馬鹿なことをしている暇は無い」と、急旋回で来た道を戻った。

 旋回地点の真横に設けられていた扉の上には、「医務室」の表札がかかっていた。

 1秒でも惜しいハーゲンティは、気がかりな部屋を見つけるたびに扉を開けっ広げては駆け抜けていった。

 

 

ハーゲンティ

「ここがイムシツ!?」

 

住み込みの着替え中の使用人

「ちょっと何すんの!? ここアンタも使ってる更衣室でしょ!」

 

 

 次の部屋に飛び込むハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「ここがイムシツ!?」

 

住み込みのナイスミドルな画家

「なな、何だお前!? こ、ここは宿舎の、しかも個室だろうが!」

 

住み込みの好青年な絵画モデル

「そ、そ、そそ、そうだそうだ!!」

 

 

 次の部屋に飛び込むハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「イムシツはどこ!?」

 

住み込みの庭師のじっちゃん

「いやああああああああああんっ!! ここは更衣室(男子)よおおおっ!!」

 

 

 一方その頃、医務室では、すすり泣く先輩と、カルテをしたためる医者。

 

 

住み込みの医者

「もう泣くのはおよしなさい。思い詰める前に、今はできる事を考えるべきです」

「まだまだこれからですよ。幸い、発見が早くて大した症状も無かった」

「雇用主とは、私も長い付き合いです。出来る限りの説得はしますから」

 

住み込みの先輩

「うっ……ぐす……でも……」

 

???

「……――んぱぁーーーい……!」

 

住み込みの医者

「ん……またあの声か……何なんだあれは?」

 

住み込みの先輩

「あの声、やっぱり……」

 

 

 たちまち足音が近づいて来て、医務室全体を揺らさんばかりに扉が開かれた。

 

 

ハーゲンティ

「今度こそイムシツ!?」

 

住み込みの医者

「おわっ!? な、何だ君は急患か?」

「いったい何をどうしたらそこまでズタボロになれるのだね……」

 

ハーゲンティ

「居た! 先輩……せんぱぁーーーい!」

 

住み込みの医者

「あ、ちょっと、私の話を……!」

 

 

 医者を完全に無視して、先輩の懐に飛び込むハーゲンティ。

 

 

住み込みの先輩

「あなた……どうしてここに?」

 

ハーゲンティ

「だって、だって! 『井戸が先輩に』身投げしたって聞いて──!」

「あたい、居ても立ってもいれなくて!」

 

住み込みの先輩

「そう。私のために……ありがとう……逆だけど」

「でも……でも、私……もう、ダメなのよ……」

 

 

 嗚咽と共に顔を覆う先輩。

 

 

ハーゲンティ

「何でっすか!? ダメな事なんて死ぬまであるわけ無いよ! 絶対!」

 

住み込みの先輩

「だって……だって、『お皿』が……!」

 

ハーゲンティ

「お皿……?」

 

住み込みの先輩

「ご主人さまが何より大切にされてる10枚のお皿が……何度数えても1枚足りないのよぉ!」

「私が管理を任されてたのに、全然心当たりも無くって……」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、井戸に飛び込んだ理由って……」

 

住み込みの先輩

「ご主人さま、カンカンに起こって……酷い言葉もたくさん……きっと許して下さらないわ」

「お年を召され、独り過ごされるご主人さまに、静かにお仕えする事だけが私の幸せだったのに……」

「ご主人さまを悲しませてしまったら、もう私……生きていけないわぁ~~……!」

 

 

 真っ赤な目から再び涙を絞り、声を上げて泣く先輩。

 一方、ハーゲンティは何か考え込んでいる。

 

 

ハーゲンティ

「お皿……10枚のお皿……あれ?」

「そのお皿って、真っ白いお皿で、10枚とも青い色でお屋敷の絵が描いてあるやつ?」

 

住み込みの先輩

「ひっく……そうよ……東の果ての職人に依頼した特注品……同じ物は他に無いのに……」

 

ハーゲンティ

「……もしかして、無くなったのって、昨日?」

 

住み込みの先輩

「そ、そうだけど……何であなたがそれを?」

 

 

 先輩の手を取って笑顔で励ますハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「なら大丈夫だよ先輩! 割れた音はしてないから何とかなるよ!」

 

住み込みの先輩

「えっと……割れた音って?」

 

ハーゲンティ

「昨日あたい、お仕事でドジして食器洗い全部ひとりでする事になったじゃない?」

 

住み込みの先輩

「え、ええそうね。手伝おうとしたけど、あなたが『1人で大丈夫』って……」

 

ハーゲンティ

「そんであたいね、この失敗を埋め合わせるには、言われた事だけやるんじゃダメだと思ったの」

「言うじゃないっすか、言われた以上の成果を出してこそ『一流』だって!」

 

住み込みの先輩

「まあ、聞いた事はあるけれど、それって時と場合も──」

 

ハーゲンティ

「だからあたい、お屋敷中から見つけられるだけ食器集めて、全部ピカピカに洗って戻したんだよ!」

 

住み込みの先輩

「え……」

 

ハーゲンティ

「いやー、あたいの人生でも2つとない会心の出来だったよ」

「一個も割らず、一個も欠けさせず、先輩方みたいにキレイに、返す場所も間違えず!」

「でも、先輩の話聞いて思い出したんだよ。洗ってる最中に、1枚だけ井戸をお皿に落とした事」

 

住み込みの先輩

「ちょ……」

 

住み込みの医者

「あっ……」

 

ハーゲンティ

「『お屋敷っぽい絵のお皿だなー』って思ってたら落っことして、そのままジャポンって」

「『こんなに沢山あるんだし一枚くらい大丈夫』って気にしてなかったけど──」

「キレイに水に落ちてったし、水音も絶妙だったから、勢いで底にぶつかったりしてないはずだよ!」

「ちょっと暗いけど、皆で探せばすぐ見つかるよ、ネッ!」

 

住み込みの先輩

「……そっ」

 

 

 ハーゲンティは天使のような笑顔だった。

 先輩が俯き肩を震わせ、ハーゲンティの両肩に、そっと手を置いた。

 ヒューマンドラマのラストシーンのような顔で、ハーゲンティも先輩を抱き返す。

 

 

ハーゲンティ

「だから先輩……思い詰めちゃダメだよ、ヴィータは生きてこそなんだから」

 

住み込みの先輩

「そっ………………」

 

 

 先輩が、ハーゲンティの肩を持つ手に力を込めた。

 万力のように。

 

 

住み込みの先輩

「そっだらテメエが身ぃ投げて来いやぁーーーーーーッ!!!」

 

ハーゲンティ

「のえええええええええぇぇぇ!?」

 

 

 先輩が、ハーゲンティを投げた。

 咄嗟に止めに入るためにハーゲンティを掴んだ医者ごと、窓と言わず壁と言わず何もかもブチ抜いて飛んで行った。

 

 

 回想終わり。

 

 

ハーゲンティ

「んで、お屋敷のご主人さまにも大目玉食らって、『見つかるまで上がってくるなー』って」

 

お目付け役トリオ

「いやいやいやいやいやいやいや……」

 

ハーゲンティ

「あっ、もちろんちゃんと命綱も付けてもらったよ」

「『皆が使う井戸なのにダシが出ちゃ困る』って、反応なかったら引き上げる準備もしてくれてたし」

「あたいも、いよいよとなったら気絶したフリでもして一旦出してもらうつもりだったしね」

 

フォロア

「ソレ以前の問題だから!」

 

ワレミア

「泳ぎ切るのに30秒の大井戸でしょ……不慮の事故が起きたら絶望的じゃない」

「本気で井戸に投げ込んで、丸一日ほっとく雇い主って、どうかしてるんじゃあ……」

 

ミーナ

「雇い主の男、絶対に女性を馬鹿にしてるわ!」

 

ハーゲンティ

「え? お屋敷のご主人さまは女の人だったよ?」

 

ミーナ

「え、だって、今の話じゃあなたの先輩、明らかに……」

「……あ、ああ~、そうねそういう……って、男とか女とかはこの際どうでもいいの!」

 

フォロア

「(自分から棚にあげたぁ……)」

 

ワレミア

「で、でもサシヨンちゃんは、こうして元気って事は……ど、どうやって出してもらえたの?」

 

ハーゲンティ

「そりゃあ……ひたすら潜ってぇ、泳いでぇ、手探りでお皿を見つけてぇ、んで釣瓶に入れて……」

 

お目付け役トリオ

「正攻法!?」

 

ハーゲンティ

「そりゃ当然っすよ、あたいのミスで先輩もご主人さまも悲しい思いさせちゃったんだから!」

「どんなに貧乏で苦しくても、通さなきゃならないスジってモンが、あると思うんです!」

 

ワレミア

「も、文句のつけようもないけれど……」

 

ハーゲンティ

「まあ結局、あたいはクビになって文無しで叩き出されちゃったけど──」

「出ていく時は先輩も元気そうだったから結果オーライ!」

 

ミーナ

「ちょ、ちょっと待って、普通は何かやらかしても、お給料とか退職金とか出るはずだけど……?」

 

ハーゲンティ

「何か、先輩探してる間にあたいが色々壊しちゃったらしくて、弁償で全部飛んじゃった」

「とても払える額じゃないと思ったんだけど、井戸で他に色々拾ったから、その分でソーサイするって」

 

ワレミア

「お屋敷の物壊して、使用人の給料足しただけで相殺できるほどの拾い物……どんなの?」

 

ハーゲンティ

「使用人さんとかご主人さまとか、そのご先祖様が失くしたと思ってた思い出の物とか──」

「お屋敷が傾くくらいの強盗に遭った時に、返ってこなかった家宝とか──」

「後、石ころとか虫とかも間違って拾ったんだけど、それが歴史を覆す大発見……とかなんとか?」

 

お目付け役トリオ

「(それもしかして……物凄い『お釣り』来てない?)」

 

ハーゲンティ

「難しい事は覚えてないけど、お屋敷は前より繁盛してるって聞いた事あるから、あたいも一安心だよ」

 

ワレミア

「そ、それで良いの!? 日も差さない井戸の底で丸一日なんて、普通は死んでるわよ!?」

「長く水に浸かってると皮膚がふやけて剥がれて、そこから病の元が入るとも聞いた事あるのよ?」

 

ハーゲンティ

「う~ん……確かに、もしかして丸一日はちょっと大げさだったかも……」

「夜に井戸入って、『お昼ごはん食べたいなー』って思って、お皿見つけたら夜だったってだけで……」

 

ワレミア

「誤差ぁぁ!」

 

フォロア

「そういう問題じゃあ……サシヨンちゃん、本当は嫌だったり、逃げたかったんじゃないの?」

「世の中、『正しく』生きる事も大切だけど……辛い事は、少しくらい口に出しても良いのよ?」

 

ハーゲンティ

「……??」

 

ミーナ

「つ、通じてない……?」

 

ハーゲンティ

「だって、最初にあたい……『流石にヤバい』と思ったって、ちゃんと言ったような?」

 

フォロア

「そ……それで、辛いのは、全部なの……?」

 

ワレミア

「でも、寒くって、ご飯もなくて、真っ暗な中で足も付かない場所でアテも無くて……!」

 

ハーゲンティ

「うんうん、流石に探してる時は鼻水止まらないし、ちょっぴり泣いたし──」

「出てきたら、包帯だらけのお医者さんや兵士の人も『よくコレで生きてたな』って言ってたけど──」

「でも『その時』は『その時』だし、『今』は『今』じゃない?」

 

お目付け役トリオ

「!?」

 

ハーゲンティ

「そりゃあ、あたいだって『せんちめーとる』とか『死にたくない』って思う時もあるけどさ──」

 

フォロア

「(『センチメンタル』……?)」

 

ハーゲンティ

「あたいが今日も元気なら、昔の失敗より明日のお金!」

「あたいの先輩もそうだったけど、辛いなら、何か『辛くない』事しなくちゃ始まらないじゃない?」

 

ワレミア

「そ、そ……そう、なん、だけど……」

 

ミーナ

「すごい……」

 

フォロア

「でも、サシヨンちゃんには、まだまだ未来があるはずなのよ?」

「たった1つの命なんだから、無理するにも限度ってものが……」

 

ハーゲンティ

「命も大事だけど、世の中まずはお金が無くちゃ、やってけませんから!」

「人生コレお仕事! あたいにすりゃ、お金のために体張らなくて、いつ張るのってなモンだよ」

「お金と仕事と、一攫千金の夢のため、頑張れるあたいは今日もエライ!」

 

お目付け役トリオ

「(ま……まぶしい!)」

 

 

 ハーゲンティから金銀財宝にも勝る輝きが放たれた錯覚を覚えるお目付け役たち。

 

 

ハーゲンティ

「(この空気、なんだか……あたい今、良い事言ってる気がする……!?)」

 

 

 お目付け役たちが無意識に手やら肩やら目頭を震わせている。

 

 

憐れむワレミア

「(こんな……こんなに健気で立派な子が、こんな所に来るほど報われないだなんて……!)」

 

涙ぐむミーナ

「(アタシ、ちょっと路頭に迷ったぐらいで自棄になってた自分が恥ずかしくなってきた……)」

 

ついていく事を決意するフォロア

「(この子は……この子は私が幸せにしてあげないと! せめて、アブラクサスでくらいは!)」

 

ハーゲンティ

「(あいや、でもなんか空気が重いような……どっかでスベった? ニバせなかった?)」

 

 

 お目付役たちが、ほぼ3人同時に、ハーゲンティの手を強く包み込んだ。

 

 

お目付役トリオ

「「「サシヨンちゃん!」」」

 

ハーゲンティ

「お、おハイ?」

 

フォロア

「色々言いたいことはあるけど……!」

「ひとまず……お茶にしない?」

 

ワレミア

「ちょっと歩いた所に食堂があるのよ」

 

ミーナ

「大したものじゃないけど、おやつも出るわ。もちろんタダ」

 

ハーゲンティ

「タダ!? 無料!? 行きます!!」

 

 

 服もだいぶ渇いたので、再び外に出る4人。

 ハーゲンティを中心にして歩くお目付け役たちは終始、やたらめったら慈しみに満ちた笑顔だった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 再び時間を遡り場所を移し、アブラクサスの一角。

 学舎にも引けを取らない巨大な施設……だったろう廃墟の前。

 アブラクサスの建築センスはエルプシャフト的にかなり独特であり、しかも半壊した姿からでは、これが何のために存在したかは判断しかねる。

 グレモリーは少しの間、施設を見上げると、河原のように不揃いの瓦礫が敷かれた道を進み、施設へ入っていく。

 

 

グレモリー

「土木工事は、流石に女手だけでは困難と見えるな」

 

 

 独り言のように口にすると、食い気味に返事が帰る。

 

 

バーズレー

「そーなのよねー、ここは繊細でお淑やかな女ばっかりだから、暴力しか能のない女は珍しいのよ」

 

レディス

「すっ転んだ拍子にケツで地震とか起こさないでよ? あくまで『未開拓地区』なんだから」

 

アマーチ

「クスッ……」

 

 

 サイティの取り巻きたちが、グレモリーの背後3方向に立って、追い込み漁のようにして後に続いている。

 

 

グレモリー

「ああ、気を付けよう。貴様らも、私に『叩き潰され』ないよう、気を配っておけ」

 

レディス

「ブフッ……アハッハッハッハ、あんたサイコーだわ! アァーハハヒヒヒヒ、ゲッホゲホ!」

 

 

 グレモリーを指差し、手を叩いて爆笑し、笑いすぎて咳き込むレディス。

 

 

バーズレー

「プッ……笑いすぎよバーカ♪」

 

アマーチ

「この調子じゃ、今に大地震起こすわね」

 

グレモリー

「(まともに言い返すだけ無駄だろうからな。まあこの程度は仕事柄、慣れたものだ)」

「(アマーチは……まだ覇気に欠けるが、立ち直りつつあるな。黙りこくるよりは扱いやすい)」

「(そして、他の2人が囃し立てているのは、罵倒と嘲笑以外の『戦い』を知らぬから……)」

「(少なくともアマーチを励ます気は毛頭なく、眼中にすら無い)」

「(サイティの不興を買えば明日さえ知れず、『落ちる』者には目もくれない……稚拙な『軍団』だな)」

「……む?」

 

 

 ふと、廃墟の一角に目を向けるグレモリー。

 かつて敷地の庭でもあったのか、雑草と低木が鬱蒼と足場を覆い隠している。

 

 

バーズレー

「なによオバサン、急に突っ立って……ボケた?」

 

 

 グレモリーは足元の小石サイズの瓦礫を拾うと、茂みに向かって鋭く石を投げつけた。

 草木をかき分ける音の後、コンと軽い音が返った。

 少し間を置いて、手前の低木と奥の低木との間に立て掛けてられていたのか、何かが倒れて姿を現した。

 

 

グレモリー

「人……ではないな。何だアレは……?」

 

バーズレー

「うっわ、またあのキモいガラクタ出てきた」

 

グレモリー

「木彫りの民芸品のようにも見えるが……馴染みの物か?」

 

 

 現れたのは、グレモリーが表現した通り、魚の姿を象った木製の像だった。

 長く、丸みが少なく、長方形を思わせるフォルムの大型の魚で、頭周りだけ兜で覆ったか、それとも骨がむき出しになったかのように、硬質な質感に彫り込まれている。

 要するにシーラカンスだった。

 

 

バーズレー

「なーんか掘り返すとたまに出てくるのよ。アブラクサスっぽくも無い、ああいうダサいの」

「たまにアレの絵が描かれたブリキの塊とかも出てくるし」

 

レディス

「何か中に入ってそうなんだけど、開ける所も見当たらないのよね」

 

バーズレー

「つかオバサン何したかったの? バカなの?」

 

グレモリー

「茂みの陰に不自然な何かが潜んでいる気配があったのでな。まあ、取り越し苦労だったようだ」

 

バーズレー

「うわダッセエの、格好つけてるけど魚にビビっただけじゃん」

 

レディス

「プハッ、ダッセ」

 

 

 我先に押しかけるようにこぞってグレモリーを嘲る取り巻き。

 

 

グレモリー

「ああ、そうだな。全く『無様』なものだ」

「(何にせよ、こいつらの目を私一人に向けている間は心配あるまい)」

「(気がかりがあるとすれば……ハルファスが面倒に巻き込まれていないかどうか、か)」

 

 

 回想するグレモリー。

 アブラクサス学舎前。自由行動を言い渡されたすぐ後。

 学舎前に佇むグレモリーとハルファス。

 

 

ハルファス

「……ハーゲンティもザガンも、もう見えなくなっちゃったね」

 

グレモリー

「ハーゲンティは大方、任務の成果欲しさに先走ったのだろうな」

 

ハルファス

「私はどうしたらいいかな、グレモリー?」

 

グレモリー

「うむ。ライアが居れば案内を頼めたが、まだまだ仕事に追われているようだしな」

「この広さだ。大方、貴様にはどこに行けば良いかも『わからない』だろう」

「ならば、ここは私と組んで散策といこう。目の付け所は多いに越したことはない」

 

ハルファス

「なら、ザガンも一緒の方が良かったんじゃないかな?」

 

グレモリー

「ザガンは少し性質が違うからな。ハーゲンティにも同じ事が言えるが──」

「やつらは自分のペースで動いてこそ、最も良い結果を出せるタイプだ。今は単独行動が適当だろう」

 

ハルファス

「そっか。じゃあ、私はグレモリーと一緒に、何を探したら良い?」

 

グレモリー

「そうだな、ひとまずは……む?」

 

 

 グレモリーは視界の端に、それも遠方に動く人影を見出し、横目で確認した。

 すっかり記憶に焼き付いている、サイティの取り巻き3人に違いなかった。

 

 

グレモリー

「……」

 

 

 限られた視界で確認する限り、取り巻きたちは雑談を交わしながら、この地に敵などいないとばかりにダラダラと、こちらに歩いて来ている。

 グレモリーは暫し考えてから、取り巻きに気付いていないような素振りでハルファスに振り向き、耳打ちした。

 

 

グレモリー

「ハルファス……いや、『チータ』。作戦変更だ」

「大まかな方針を伝える。貴様はそれに基づいて単独行動だ」

 

ハルファス

「え?」

 

バーズレー

「おっばちゃーーーーん!!」

 

レディス

「ブッハ! やめえや、どうせ自覚なんてネんだから」

 

 

 取り巻きたちは、グレモリーの存在を意識するなり足取りを早めた。

 それを気配で感じ取るグレモリー。

 

 

グレモリー

「(まともに歩き出した……通りすがりではなく、私に用があってココまで来たという事だ)」

「ハルファス。『高い建物』、『装飾が明らかに凝っていると感じる建物』。この2つを探せ」

「シュラーは崇拝されている。ならば相応に『格』のある建物を住居にしているはずだからな」

 

ハルファス

「『高い』か、『凝ってる』建物はシュラーに関係あるかもしれないって事?」

「でも私、どっちに歩き出したら良いかも分からない……」

 

グレモリー

「ならば、まずはここから見える中で1番『高い』建物を目指して歩け」

「道中で条件に合う建物があってもひとまず無視だ。1番最初に見つけた目標にまっすぐ向かえ」

「着いたら、辺りに貴様を止める者が居なければ中を見て回れ。歩ける所を一周するだけで良い」

 

ハルファス

「近くに1番『高い』建物へ行って、中を一周すれば良いの? じゃあ、その後は?」

 

グレモリー

「同じように建物を探せ。まず一際目立つ『凝った』建物が無いか」

「無ければもう一度、見える範囲で調査済みでない『高い』建物だ」

 

ハルファス

「わかった。やってみるけど、私にちゃんと出来るかな……あ」

 

 

 言いかけて、ハルファスが一瞬、グレモリーの横に視線を向けた。

 

 

バーズレー

「ギーメイさーん? 話があるんだけどー?」

 

 

 取り巻きたちが、既にグレモリーのすぐ隣まで来ていた。

 

 

レディス

「呼んでんだからコッチ見てくんない? それとも耳まで遠くなるお年頃ぉ?」

 

グレモリー

「『チータ』。『分からない』時は、ひとまずここまで戻ってこい、良いな?」

 

ハルファス

「あ、うん」

 

グレモリー

「空が夕方になるか、『決められない』と感じたら、学舎の玄関広間で待機だ」

「『近く』まで行ってすぐ帰るだけでもいい。後は広間で休憩し、皆の帰りを待て」

 

ハルファス

「分かった。どうしたら良いか分からなかったら、ここで待てば良いのね」

 

レディス

「ちょっと? オバさん聞こえてる? マジで」

 

グレモリー

「よし。では行ってこい『チータ』。まずは向こうの辺りが『手頃』だろう」

 

 

 取り巻きを完全に無視して、遠方を指差すグレモリー。

 グレモリーが示した先には、アブラクサスのどこからでも見えそうな程に一際高い塔が聳えている。

 

 

ハルファス

「うん。じゃあ、後でね、グレ──」

 

グレモリー

「『チータ』。道中、気をつけるんだぞ」

 

ハルファス

「あ……う、うん」

 

 

 本名で呼びかけたハルファスの言葉を遮るグレモリー。

 即座にミスに気付き、ちょっと自信なさげにそそくさと去っていくハルファス。

 見送るグレモリーの背後で、取り巻きの1人がラウムのような顔で舌打ちし、地面に唾を吐いた。

 

 

レディス

「ッオイてめ、ナメてんのかオオンッ!?」

 

 

 レディスがグレモリーを強引に振り向かせようと、殴る勢いでグレモリーの髪に掴みかかる。

 が、髪に触れる直前でグレモリーがスルリと振り向き、その手が大きく空振りした。

 

 

レディス

「とわっ、た、わ、ひっ!?」

 

 

 バランスを崩して転びかけたレディスを、グレモリーが片手で受け止めて立たせ直した。

 

 

グレモリー

「どうした、そんなに『取り乱して』。私に構ってもらえんのがそんなに心細かったか?」

「まさか、まとめ役として仲間に気を配っている最中と分からんほど、目が霞む歳でもあるまい?」

 

バーズレー

「(こいつ、最初から聞こえてて……!)」

 

アマーチ

「チッ……ムカつく」

 

 

 グレモリーは、立たせたレディスの服の埃を払い、タイが曲がってる程度のちょっとした乱れを直してやっている。

 

 

レディス

「テ……ン、メェ……!」

 

グレモリー

「言ったろう、『怖がる』事は無いと。サイティ共々、『仲良く』しようじゃないか」

 

 

 レディスの身だしなみを整え、顔を合わせて不敵に微笑むグレモリー。

 

 

アマーチ

「(何が『仲良く』よ、ふざけやがって! サイティ様の『下』で媚びる気が無いなら──)」

「(サイティ様の『上』に立って踏み躙るつもり以外にありえないじゃないの!)」

 

レディス

「いっぺん……アテのツバでも飲ましたろかワレァァァッ!!」

 

 

 訛りのかかった怒声と共にレディスがグレモリーの肩を掴み、拳を無駄に大きく引き絞って、一直線に顔面へ突き込んだ。さながら往年のプロレスラーを思わせるほどに、見栄えだけは上等だった。

 しかし、グレモリーがレディスの手からまたもスルリと抜け出た。

 

 

グレモリー

「さて、それはそれとしてだ」

 

レディス

「ほはっ!?」

 

 

 グレモリーがそのままレディスの脇を抜けて、レディスがただ突っ立っていただけかのように、後ろの2人へと歩み出た。

 予備動作の多すぎるパンチに全重心を預けていたレディスは、先程よりも更に大きく前のめり、やはり再び、グレモリーが伸ばした手に支えられて転倒から助けられた。

 

 

グレモリー

「入国審査から、そう経っても居ないのに早速の挨拶とは恐れ入る」

「何か用があるなら、喜んで聞くぞ」

 

レディス

「ぐ……ち、ぎ、しょぉ~~~……」

 

アマーチ

「レディス、抑えて。お互い、これ以上サイティ様の顔に泥を塗るのはイヤでしょ?」

 

レディス

「う……」

 

アマーチ

「で……私たちは『お目付け役』よ、ギーメイさん」

 

バーズレー

「新入りは好きに出歩いて良いって言ったって、最低限のルールってものがあるのよ」

「それに『自分だけ正しくて他は全部バカ』とか言いそうな勘違い女が勝手な所に入らないようにね」

 

グレモリー

「なるほど、案内役という事か。気遣いに感謝しよう」

「なら早速、先導してもらおうか。ひと気のない……もとい、復興途上の場所があれば見てみたい」

 

レディス

「あぁ~~~ん? 聞っこえないわねぇ~~?」

 

 

 さっきまでの訛りを引っ込めたレディスが、一転して一際甲高い声で、耳の遠い老人のような身振りで挑発してきた。

 それを見てバーズレーが小さく吹き出した。

 

 

バーズレー

「教えてあげても良いけど、人にモノ聞くなら相応の態度ってのが有るんじゃないの?」

 

グレモリー

「礼は十分に尽くしたつもりだ。場所に心当たりが無いなら、好きに探すまでだ」

 

 

 取り巻きたちが来た方角へ歩き出すグレモリー。

 

 

バーズレー

「ちょっと待ちなさいよ! 勝手に歩くなって言ってんでしょ!?」

 

グレモリー

「それは妙だな。新入りの初日は自由行動が慣例だと聞いている。勝手で然るべきだろう」

 

レディス

「そういう意味じゃ……オイちょっと止まれっての!」

 

 

 取り巻きに目もくれず、気ままに歩き続けるグレモリー。ついてくる者にだけ返事をしてやると言わんばかりだった。

 

 

グレモリー

「大方、私には肉体労働を充てがわれるだろうからな。ある程度の下見はしておきたい」

「具体的な復興の業前を見ておけば、今後の見通しも立てやすい……まあ独り言だがな」

 

レディス

「この……止っまれ!!」

 

 

 レディスが背後からグレモリーの腰に組み付いた。

 グレモリーは直立歩行のまま、レディスをズリズリ引きずって歩き続ける。

 レディスは縋り付くようにグレモリーに両腕を回し、腰を突き出して地面に踵を立てて踏ん張るも、気休めにもなっていない。

 

 

レディス

「ぐおおおおぉぉぉ何だこの馬鹿力ぁ!?」

 

バーズレー

「くっ……」

「(こうなったら、本当に好き勝手される前に、こいつの希望に合わせてやるしかない……!)」

「(ま……まあ良いわ。『ひと気のない』、『復興途上』の場所……)」

「(最初から、『案内』してやるつもりで来たんだから……!)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想終わり。

 廃墟の奥、陽の光が所々で遮られた薄暗い通路を進むグレモリーと取り巻きたち。

 

 

グレモリー

「(こいつらの話では、『未開拓地区』は復興を予定……あるいは無期限に保留している区画)」

「(……この施設は保留対象だな。歩くだけで床材が細かく砕けて削れていく)」

「(到底、再利用には値せず、しかし取り壊すには道具も人員も瓦礫の捨て場も無い)」

 

バーズレー

「もうちょっと遠慮して歩いたら? 筋肉モリモリなら大砲みたいな体重してんでしょうから」

 

レディス

「そうよそうよ、踏み抜いて大穴空けて私らまで落っことさないでよ?」

「この辺は立ち入り禁止の場所もあって本当に危ないんだから」

 

アマーチ

「この施設、地下階もあるから、落ちたら深いわよ?」

「真っ暗闇の中で、無様にのたうち回って死んじゃうかもね、ククク……」

 

グレモリー

「(先程、瓦礫に紛れて真新しい『標識』の類いが取り壊され、打ち捨てられていた)」

「(恐らく『標識』の正体は……崩落等の危険から、土木担当以外の侵入者を遠ざけるためのもの)」

「(つまり、既に立ち入り禁止の中に入っている……全員が、な)」

「フッ……」

 

バーズレー

「な~にが『フッ』よ。とりあえずカッコ付けてりゃ良いとか思ってんの? ウケる」

 

 

 隙あらば蔑みにかかる取り巻きたちを歯牙にもかけず進むグレモリー。

 進むほどに通路は暗くなり、かつて扉が嵌っていただろう横穴の先は、3歩先の床が視認できれば良い方だった。

 それでもグレモリーは、涼しい顔で奥へ奥へと進んでいく。

 背後の取り巻き達が、後退を許さないとばかりに陣形を組んで後に続いている事を気配で察しながら。

 

 

レディス

「(……よし! 『例の部屋』を通り過ぎた!)」

 

バーズレー

「(フフッ、オバサン何も気付いてないわ。やるわよ、アマーチ)」

 

アマーチ

「(ええ……!)」

 

 

 取り巻きがグレモリーとの間の距離を詰めた。

 アマーチが陣形から外れ、今しがたグレモリーが通り過ぎた、他と変哲のない暗黒の部屋を覗き込む。

 

 

アマーチ

「(スゥーーー……)」

「っっあーーーーーっ!! 何よこれはぁ!?」

 

 

 腹の底一杯から、憤慨したような声を上げるアマーチ。

 きびきびと他の取り巻き2人もアマーチに駆け寄り、何もない部屋を覗き込んでは大仰に顔をしかめる。

 

 

バーズレー

「なになに、どうしたの……ちょっと何これ、ひどい!」

 

レディス

「おい逃げんなよオバサン! ちょっと通り過ぎただけの振りして、何しでかしたのよアンタ!?」

 

グレモリー

「む?」

 

 

 止まって振り向くグレモリー。

 取り巻きは寄り集まって、部屋の中を指差して口々に非難してくる。

 

 

グレモリー

「見ていた通り、通り過ぎただけだが。どうかしたのか」

 

バーズレー

「デタラメ言わないでよ、ならこの部屋のコレは誰がやったっていうのよ!?」

 

レディス

「滅多に人が通る場所じゃないのよ? たった今、ここを通ったアンタ以外に出来るわけないでしょうが!」

 

グレモリー

「何を言っているのか全く要領を得ないな。その原型も分からんほど廃れた部屋がどうした?」

 

バーズレー

「しらばっくれないで! 突っ立ってないで見てみなさいよ、言い逃れ出来ると思ってんの!?」

 

 

 取り巻き2人は部屋の前から一歩も動かず怒鳴り散らし、最初に声を上げたアマーチがズンズンと歩み出て、グレモリーの腕を取った。

 

 

アマーチ

「とにかく、揉め事には話つけなきゃいけないのよ。言い訳は見てからにして」

 

グレモリー

「やれやれ。まあ良いだろう」

 

 

 アマーチに引っ張られて、くだんの部屋を覗き込むグレモリー。

 石造りの床が一歩分。そこから先は、粗末な木板が打ち込まれている。

 木板は前方に伸びて、中程で暗闇に飲まれて先が見えない。

 それ以外は目に留まるものすら無い、廃墟らしいただの部屋だった。

 

 

グレモリー

「で、どれがおかしいと言うのだ? まさかこの部屋が崩れているのが私のせいとは言うまい」

 

レディス

「下よ下ぁ! 歳で見えないならもっと近づいてみなさいよ!」

 

グレモリー

「ほう」

 

 

 取り巻きの怒声はグレモリーの真後ろから飛び、不自然に数歩分の距離がある。

 それを分かった上で、言われた通りに僅かにしゃがむ動作を見せるグレモリー。

 

 

取り巻きトリオ

「(せー……っの!)」

 

 

 そのグレモリーの背中に、取り巻き3人が一斉に体当たりをかました。

 成人女性3人分の体重と加速を一身に受けて、グレモリーの体は部屋の中へと投げ出され……なかった。

 

 

レディス

「ぐ……おぉ!?」

 

アマーチ

「う、動かな……!」

 

バーズレー

「お・も・いぃぃ……!」

 

 

 必死に踏ん張ってグレモリーに押し出しを試みる3人だが、グレモリーは、直立から上体をやや屈ませた、ぶつかられる直前の姿勢から微動だにしていない。

 ようやく少し冷静になったアマーチがグレモリーの姿を確認する。

 グレモリーは、片手を上に上げ、かつて扉が嵌っていた、その上枠部分に指を置いている。

 女三人の突撃を、片腕と両の足だけで完全に押し返していた。

 追放メギド特有の高い上限を持つ肉体を、鎧を着込んだ私兵の男ども相手に鍛え続けているからこその離れ業だった。

 

 

アマーチ

「こ、こいつ天井に手ぇ引っ掛けてる!」

 

グレモリー

「やれやれ……あからさますぎて、合わせてやる自分が情けなくなるほどだったというのに──」

「結局これが『とっておき』なのだろう? つくづく人を落胆させるのが上手い連中だ」

 

 

 姿勢を崩さず、リラックスした声で挑発するグレモリー。

 つまり、腹筋に力を入れる事すらせず、まさしく足裏の摩擦と腕力だけで留まっていた。

 実力差は歴然だったが、取り巻き達はグレモリーが抵抗していると分かるや、ほくそ笑んだ。

 

 

バーズレー

「こんなになっても『カッコ付けて』んじゃ──」

 

レディス

「いい歳こいて『無様に足掻いて』んじゃ──」

 

バーズレー&レディス

「無いわ……よぉっ!!」

 

 

 取り巻き3人同時に、殴るようにグレモリーの背をひと押しすると同時に反動で一歩離れ、レディスとバーズレーが正確に、グレモリーの膝裏に蹴りを入れた。

 膝カックンの要領で支えを失わせ、追撃で突き飛ばす算段なのは明白だった。

 が、2人の蹴りが伸び切った時には、狙った場所にグレモリーの足など影も形も無かった。

 

 

バーズレー&レディス

「はあっ!?」

 

 

 グレモリーは上枠を手で挟み込み、片手懸垂で体を持ち上げて蹴りを回避していた。

 更に宙に持ち上げた足を後方へ振って、バーズレーとレディスの背後に着地。

 2人の背中をトンと突き飛ばした。

 

 

バーズレー

「あ……」

 

レディス

「ひあっ……」

 

 

 押されるままに室内に踏み込んだ2人は、床に打ち付けられた木板の上に乗り、その瞬間、木板が音を立てて石の床から剥がれた。

 そして2人は、木板と共に「下」へと消えてゆく。

 が、すんでの所でグレモリーが2人の服を掴んで持ち上げ、落下から助けた。

 

 

バーズレー&レディス

「うひっ……ひぃぃぃぃ!」

 

グレモリー

「ふむ……木板は形だけ床と貼り合わせて、足場が続いているように見せかけていたわけだな」

「のこのこ踏み入れば、到底ヴィータなど支えられん木板ごと、崩落で出来た穴の底へと転落……」

「ところで貴様ら、私の利き腕がどっちだったか、覚えているか?」

 

バーズレー

「み、みミギィ! 右利ヒりゃったぁ!」

 

レディス

「う、ううそつけぇ! ひだ、左で剣持ってたぁ!」

 

グレモリー

「ハァ……そのくらい覚える程度にも他者を顧みないから、こうなるのだ。それと──」

「無駄だぞ、アマーチ」

 

 

 振り向かずに背後のアマーチに語りかけるグレモリー。

 蹴りに参加せず難を逃れたアマーチは、ナイフを抜いてグレモリーを睨みつけていた。

 

 

アマーチ

「強がってんじゃないわよ……!」

 

グレモリー

「何故、道中で私が茂みに石など投げたと思う?」

「あの時点からもう臭って仕方なかったからだ。死臭がな。何を『仕掛けて』くるかと思ったが──」

「死臭はこの下から漂っている。これ『だけ』が貴様らの『武力』だったと言う事だ」

「直視せずとも丸わかりだ。料理にさえ刃物を扱ったためしもない素人の『構え』だ。策は尽きている」

 

アマーチ

「だから何よ! 『お荷物』2つもぶら下げといて!」

 

グレモリー

「私を無力化するなら、その短刀を深く、命に届くほど突き立てるしかないぞ」

「だが、そうすれば死体は『3つ』出る事になる」

「サイティの『持ち物』を勝手に減らして、果たして私1人の命で帳消しに出来ると思うか?」

 

バーズレー

「や、や、やめなさいアマーチ……い、い、今このオバサン、さ、刺したら……」

 

レディス

「お、落ちる! アテエらまとめて……!」

 

アマーチ

「……!」

 

 

 数秒、鼻息荒く考えたアマーチは、引きつった笑みを浮かべた。

 

 

アマーチ

「駆け引きしてくるって事は……本気でやられちゃ、どうしようも無いって事よねえ……?」

 

グレモリー

「ほう……中々の意気だ」

 

バーズレー&レディス

「ア……アマーチ!?!?!?」

 

アマーチ

「下っ端はねえ! いつだって、ヤらなきゃ後が無いのよおおおお!!」

 

 

 ナイフを握った手首を、祈るように反対の手で握りしめ、真っ直ぐに駆け込むアマーチ。

 グレモリーは、取り巻き2人をぶら下げたままゆっくりと振り向き、投げ渡すように2人を前方に突き出した。

 

 

アマーチ

「んなっ……!?」

 

バーズレー&サイティ

「ひいいっ!?」

 

 

 全て計算づくだったかのように、投げ込まれた2人は、アマーチの素人丸出しに怒らせた両肩に激突し、アマーチは空気以外に切る物無く、衝撃でナイフを取り落した。

 

 

アマーチ

「うあっ!?」

 

バーズレー

「いぢっ!?」

 

レディス

「オぬぅぅぅ!!」

 

 

 アマーチは2人に激突された衝撃に負け、押し倒されるようにその場にしゃがみこんだ。

 バーズレーは何歩目かで着地に失敗し、足首を少々極端な方向に曲げながら地面に倒れた。

 レディスはよろめきながらもバランスを取り直して、グレモリーに振り向こうとしたが、踏みとどまり切れずに、尖った瓦礫の上に全体重で尻もちを突いた。

 

 

バーズレー

「い……いだぁい~~! 足挫いたぁも~ヤダ~~!」

 

レディス

「シ……シリガ……アテノシリガァー……」

 

アマーチ

「……」

 

グレモリー

「言っただろう? 『叩き潰され』ないよう気を配れと」

「敵を罠に陥れるなら、その過程こそが『戦い』だ。貴様らは自分の策を隠そうともしなかった」

「しかも学舎前からここまで、わざわざ幾度も力量の差を見せてやったというのに──」

 

 

 グレモリーがゆっくりとアマーチに歩み寄る。

 未だに大きなダメージの無いアマーチだけは、強くグレモリーを睨み返している。

 

 

グレモリー

「貴様らは、なおも私を面白おかしく扱き下ろす事しか考えなかった。呆れを通り越して哀れだな」

「反撃も考えず、兵も控えさせず、のこのこ自分たちから孤立しに行くとは──」

「『尻に敷かれる』ために挑みかかったも同然だ。『弱さ』という力に酔うからそうなる」

 

 

 アマーチが飛びかかるようにして、地面に転がったナイフを拾い上げようとしたが、先んじてグレモリーに取り上げられた。

 まるでグレモリーの足元に跪くかのような位置関係になっても、アマーチは唸り声が聞こえそうな顔でグレモリーを見上げている。

 

 

グレモリー

「しかも貴様らのために『穏便』に持ちかけてみれば、『弱み』と勘違いして食らいつく」

「私が相手で実に幸運だったな。貴様らのような手合は、幾らでも社会の『食い物』になるだろうよ」

 

アマーチ

「偉そうに……『持ってる』ヤツの理屈で説教垂れてんじゃ無いわよ!」

「何もかも平気で片付けて歩く反則の塊のクセに、『ザコ』に通じる言葉なんて1つもありゃしない!」

 

バーズレー

「わ……私たちにこんな怪我させて、タダで済むと思わない事ね!」

「アンタはサイティ様の腹心の私たちに傷を付けたんだから!」

 

レディス

「シリガ……」

 

グレモリー

「良いとも。その『転んで』出来た傷を、足と尻ごとサイティの前に突き出して遠慮なく言え」

「『お陰で三人まとめて無様に逃げ帰ってきました』とな」

 

バーズレー

「ぐっ……うぅ~~……何なのよ! アンタが! アンタが悪いクセにぃ!!」

 

グレモリー

「話にならんな。さて……後は貴様だけだ」

 

アマーチ

「く……むぐっ!?」

 

 

 グレモリーがアマーチの顔下半分を掴み、そのまま腕力だけで立ち上がらせる。

 更にそのまま持って歩いて壁に押し付けた。

 

 

グレモリー

「『お近づきの印』として、教えてやろう」

「短刀は……こうやって『刺す』ものだ」

 

アマーチ

「ぷはっ! へっ……?」

 

 

 拘束を解かれたアマーチだが、逃げることも防ぐことも出来なかった。

 本物の「圧」に射抜かれたアマーチは、全てが終わるまで、「身動き」という発想すら浮かばないほどに思考が停止していた。

 素人目にも確かに堂に入った「構え」のグレモリーが、自分めがけて刃先を突き出すまでの僅かな時間を、アマーチの体感は100年に引き伸ばし、その脳は100分の1秒に押し縮めた。

 その場に悲鳴の1つも上がらなかった。傍で見ているだけのバーズレーとレディスも同じような状態だった。

 

 

アマーチ

「……あ……え……?」

 

 

 ズルズルと崩れ落ちてからアマーチは我に返り、ようやく自分が無傷な事に気付いた。

 自分の顔が存在した位置のすぐ隣で、ナイフが石の壁に根本まで完全に埋まっていた。

 例えば、破損から風化が急速に進んだ内壁が蝋石のように脆くなっていたのかもとか、そういった可能性を考慮する余裕は、今の取り巻き達には無かった。

 

 

バーズレー

「ほ、本物の……『化け物』……!」

 

グレモリー

「『ヴィータ』さ。時に情けなくなるほどにな」

 

 

 ゆっくりバーズレーに振り向くグレモリー。

 

 

グレモリー

「『ギーメイ』は、開けた場所や人目の多い場所ばかりを希望していた」

「『未開拓地区』など行きたがらず、誘導しようにも取り付く島も無く、手出しできなかった……」

「貴様らは、ただ『仲良く』、私と散歩を共にした」

「…… そ う だ な ?」

 

バーズレー

「ひっ……は、はいっ、はいぃ!」

 

グレモリー

「よろしい。そして……」

 

 

 足元にへたり込んだままのアマーチの顎をクイと持ち上げるグレモリー。

 屈んでアマーチの瞳を覗き込む。

 

 

アマーチ

「!?」

 

グレモリー

「恐らく、貴様の言う通りだろう。真に持たざる者の世界を、私に見通す事はできない」

「例えどんなに希求してもだ。故に、貴様の言葉の真偽すら私に判定する資格はない」

「よくぞ吠えてくれた……心から感謝する。肝に銘じよう」

 

アマーチ

「……へ?」

 

グレモリー

「また『交流を深め』に来い。いつでも歓迎する準備は出来ている」

「貴様が私を飽きさせる事が無ければ……だがな」

 

アマーチ

「……」

 

 

 アマーチを解放し、悠々と来た道を戻って、未開拓地区の外へと去っていくグレモリー。

 置き去りにされた取り巻きの内、バーズレーがいち早く我に返り、挫いた足を庇いながら仲間たちの元へヒョコヒョコと駆け寄る。

 

 

バーズレー

「あ……あンのババア、絶対、本気で私たちを穴に落とす気だった……!」

「アマーチが刺しに来て、ビビって私たちを投げ捨てなきゃ皆殺しだった……そうに決まってる!」

「ねえそうでしょ!? 何が元・私兵よ、血も涙もないド外道女よ! 社会のゴミでしかないわ!」

 

アマーチ

「……」

 

レディス

「……シリィ……」

 

 

 バーズレーが2人に駆け寄ったのは心配とかではなく、愚痴に同意する相手を求めての事だった。

 が、アマーチはグレモリーが去っていった方を呆然と眺めるだけで返事がない。

 レディスは瓦礫が相当絶妙に点穴を穿ったらしく、まだ情けなく蹲って震えている。

 

 

バーズレー

「聞きなさいよ私の話ィっ!!」

 

レディス

「イヤ・ダッテ・シリガ……」

 

アマーチ

「あ……」

 

バーズレー

「アマーチも、いつまで腑抜けてるのよ、オバサン見失ったらそれこそサイティ様に何言われるか──」

 

アマーチ

「……アネさぁん……」

 

バーズレー&レディス

「……は?」

 

 

 もう見えなくなったグレモリーを遠い目で見つめながら、湿った吐息と共にアマーチがぼんやりと呟いた。

 薄暗闇の中で気づくものは居なかったが、手は胸元でキュッと組み合わせられ、アマーチの細められた瞳は潤み、顔は仄かに朱に染まっていた。

 

 

グレモリー

「ふぅ……もう昼下がりか。適当に人だかりを歩いて体裁を整えたら、学舎に戻るとしよう」

 

 

 一方、手早く廃墟の外まで出たグレモリー。暗闇に慣れた目に飛び込む陽光に軽く眉を寄せた。

 お目付け役を完全に引き離してしまわないよう、速度を調整しながら歩き出すと共に、グレモリーは今後の取り巻きたちへの対策について考えた。

 

 

グレモリー

「(アマーチだけは、私という驚異に『抗う』事を選んだ……悪くは無いが、注意せねばな)」

「(私の見立てが正解なら、アマーチは他の2人が折れても、単独で私の失墜を狙うだろう)」

「(戦士としてはそのような者こそ好ましいが、下手を打てば矛先は仲間にまで向く……)」

「(アマーチは特に私に執心させるよう、うまく誘い込まねばならんな)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 三度、巻き戻して場所を変え、最後にハルファス。

 グレモリーが指し示した通りの場所に到着し、アブラクサスでも一際高い建造物を見上げている。

 

 

ハルファス

「着いた……私1人で来れちゃった。自分でも、ちょっとびっくりかも」

「えっと、私を止める人が居なければ、中に入って一周してくる……だったよね」

 

 

 小動物のような仕草で周囲を確認するハルファス。

 

 

ハルファス

「……誰も居ない」

「なら、入って良いのかな? ……どうしよう、本当に入っても良いのかな?」

「でも、グレモリーに頼まれてるし……大きな建物だけど……空き家かな?」

 

女A?

「ブッブーーー! 実はちゃーんとお客さんが住んでたりするんですよねー」

 

女B?

「昔は『天文観測塔』って名前でねー、何でもお空に光る星の正体を調べようとしてたんだってさ」

「てなわけで、景品の『さっきそこで拾った紫色の抜け殻』は……没・収・です!」

 

女A?

「そんな! あんまりだあ! あたしのアルバはどうなるの!?」

 

ハルファス

「そうなんだ。そういえば星って、空で光ってるって事以外、よく知らない」

 

女A?

「ま、んなこた良いから入った入った!」

「見張りも立て看板も無いんだから、ちょっとくらい大丈夫よん♪」

「それにぃ、それで怒られたら『監督不行き届き』って魔法の言葉があるんですぜ?」

「オトナの世界は先に責任おっかぶせたモンが勝つのよゲブェッフェッフェ~……」

 

女B?

「まいどーごめーわくおかけっしゃーす、あんぜっだいーちでー、入り口までウカイしてくっさーい」

 

女A?

「ンガガガッ、ピー、ピー、バックシマス!」

 

ハルファス

「よくわからないけど、あっちの大きい門から入ればいいの?」

 

女B?

「アイそっすー、見た目ごっついっすけどー、普通に押すだけで開くんでー、よろっしゃーす」

 

女A?

「ピー、ピー、バックシマス!」

 

 

 塔の正面に回り、純白の滑らかな石で象られた門を開くハルファス。

 中に入り、グレモリーの依頼を遂行すべく、ひとまず内装を見渡す。

 

 

ハルファス

「広くて……真ん中に柱と、壁に長い階段?」

 

女A?

「そうそう、壁伝いに螺旋階段になってて、昔の人は頂上の部屋でお空を眺めたりしたのよ」

 

女B?

「そうそう、たっかい所で空を見るって実は結構、肉体労働なのよー」

「うっかり後始末とか忘れると、夏の太陽がもンの凄くてマジで蒸し焼きになるレベル」

 

ハルファス

「ふーん。取り敢えず、まずは1階を見て回らないと」

「……あれ? あっちの床、周りとちょっと作りが違う?」

 

女A?

「チッチッチィ! 建もの探訪の極意ってモンがなっちゃねえぜベイビー」

「どんなにちっぽけでもきっといつも見えてないとヤってくらい甘ちゃんですわよ!」

 

女B?

「そっちゃーいわゆるデッケエ床下収納になっておりまーす」

「先に下で体力使っちゃったら、階段昇るのがますますしんどくなっちゃうのよ、コラえてコラえて」

 

女A?

「しかも今なら、途中に障害物も無いから、階段から見下ろしながら1階を見ておけるチャンス!」

「しかも天井に着くまで何度でも眺め直し可能! こりゃ回さ……らなきゃ損ですぜダンナ!」

 

ハルファス

「分かった。先に上から一周すれば良いのね?」

 

 

 見上げるだけでうんざりするような螺旋階段を、気にすること無くテクテク昇り始めるハルファス。

 2~3分ほど、ハルファスの足音だけが塔に反響する。

 

 

女B?

「ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~♪」

 

女A?

「海~苔が~採れ~まくるし景~色も良い~♪」

 

女B?

「ほっほーほ♪」

 

女A?

「ア~ブラ~クサ~ス♪」

 

女B?

「ほっほーほ♪」

 

女A?

「え~えト~コぞ~~♪」

 

女B?

「ほっほーほウホホイウホホホーン!」

 

女A?

「だぁぁもーあだすやってらんねぇべさぁ!」

「来る日も来る日も磯くっせ海苔ばっか潜って毟って潜って毟って、も~~ヤんだ!」

「こんなビンボっくせ漁村ば産まれたんが、あだすの最大の不幸だべな!」

 

女B?

「はぁん! いっちょめえに色気付いてんでねぇど!」

「『あぶらぐさす』ばオメ、オラん爺っちゃ婆っちゃの頃からず~~っと海苔さ採って暮らスで来たんだ」

「そんにホリェ、海苔ばっかでねぇど、こっただ魚も穫れんべよぉ?」

 

女A?

「こっただめんこぐもネ、味さ『うっすい』だげの魚が何だってんだぁ!」

「後生大事に油っ漬けにしてブリキの器さ詰めて封して、そんクセ何年も食わねで!」

「あ~~くっせくっせ、あだす漁なんかもうヤんだ! あだすはオカで花さ愛でて暮らすんだ!」

 

女B?

「こンのバチ当たりが! 花なんざハァ腹の足しにもならんべさ!」

「スかも花いうたらオメ、あの棘だらけの忌々しい花しかここらに無かんべよ?」

「やめとげやめとげ、あんなもんヴィータの土地さブン捕るだけで迷惑にしかならん!」

「肥やしになるだけまぁだババクソん方がよっぽどマシだぁ」

 

女A?

「きったね言葉さ使うでね! おっ父もおっ母もでえっキレエだぁ!」

「ウホ~ン、ウホホォォ~~ン……!(号泣)」

 

女B?

「なーんて事があったか無かった知んないけど、それはそれは辺鄙な村だったアブラクサス──」

「それなのにまあ、金持ちって人たちゃ物好きなもんで、ある時、な~んも無いこの村に来たわけよ」

 

女A?

「ま~ぁ奥様みてみて、貧乏人よ、貧乏人が蠢いてますわ♪」

 

女B?

「あぁらヤダか~わ~い~い~♪」

 

女A?

「んま~ぁ奥様ったら見た目以上に業が深いご趣味ですこと♪」

 

女B?

「なぁ~に仰ってますの奥様、こんなに見事な薔薇ですのよ?」

 

女A?

「は? え? ……あ、あ~らホント!」

「こんな磯くっさい所になんてキレイな薔薇が咲いてるのかしら、不思議ね~!」

 

女B?

「ところで今、『見た目以上』って言った?」

 

女A?

「……」

「な、なんて事があったか知らんけど!」

 

女B?

「ねえ、今──」

 

女A?

「たまたまアブラクサスに生えてた薔薇が大ヒットッ!!!」

「こぞって金持ちが薔薇を欲しがったけど、好き放題摘み取って絶滅させちゃあ本末転倒──」

「金持ち同士でバチバチ睨み合って、採って良い数とか色々協定作ったワケなのよ」

 

女B?

「でもでもー? 噂を聞いて欲しがるお金持ちは増えるばっかり……」

「確実に薔薇を手に入れたきゃ……お金しか無いわよね~?」

「てなわけで花一輪のために金で金をジャブジャブ洗う見栄っ張り競争が始まり始まりー」

「もちろん、1番得したのはアブラクサス。村中一生かけても拝めないようなお金がジャブジャブと……」

 

女A?

「ウッホホンウホホォォ~~ンヌ……!(快哉)」

「やっぱりあだすは花さ愛でるために生まれためんごい乙女だったんだべよお!」

「こんだけジェニさあれば服だって指輪だって『いげめん』だって買えるっぺや!」

 

女B?

「んだっからオメは世間っちゅうモンが狭ぇんだべや」

「この銭でオラが地元を、世界中が羨むような『とれんでい』な都会さすっぺよ」

「そスたら服でも指輪でもハァ向こうから嫌ンなるほどやってくるだ」

「こン花ぁ貧しく生ぎてきたオラへの、光の造り主様からの贈り物に違ぇねえだよ」

「オラぁ最初っからぜぇ~んぶ分がってただ、ンだから花ン事ぁオラが決めるっぺ」

 

女A?

「ほざけぇ! 花なんざクソの役にも立たねえ言うてたでねえか!」

 

女B?

「うっせうっせ! 子ぉが見つけたモンは親ぁのモンだぁ!」

「どーせ金目なモンの置き場さえ無え村だで、土地さ広げなきゃ話になんねえべよ!」

 

女A?

「なーんて事があったか知んないけ・ど・も」

 

女B?

「えーオッホン、何と今日はー、アブラクサスの皆さんにー、偉い人達からお便りが届いてまーす」

 

女A&B?

「あっざーす」

 

女B?

「ペンネーム、『学者一同With自然を愛する領主サマーズ』からのお便り」

「アブラクサスの都市開発は、自然の形が変わって、動物にも植物にも大変良くないです」

「特に工事で出たゴミを海に捨てるから、海の生き物がどんどん死んじゃってクソウゼェです」

「自分たちの事ばかり考えず、同じ生き物同士、仲良くすることも考えましょうネ(はあと)」

 

女A?

「はぁ~~ん!? 何知った風な口聞いてンだ、これだから金持ちは人情ちゅうモンが分かんねえだ!」

 

女B?

「んだんだもっと言ったれい! オラ達ゃこンきったねえ村でず~~っと我慢サしてたんだ!」

「くっせえ海苔もうっすい魚も好き放題生きてきたでねえが! 苦しんでたのはオラ達だけだ!」

「こン金も花もオラ達のモンだ! オラ達の幸せサ使うためにあるんだ! ガタガタ抜かすでねえ!」

「ほ~りぇ埋めろ埋めろ、海苔も魚も大地に還って、オラ達を見上げて悔しがってりゃええだ!」

「ウッホホォ~ンウホホホォ~~ン!(勝鬨)」

 

女A?

「そんなこんなで反対する学者のお口にゴルドとか詰めて、アブラクサスは美しい国になったので~した」

 

女B?

「そしてある日……あ~~エッヘンオッホン!」

「ひょうっ、しょうっ、じょうっ♪ アブラクサス……殿!」

「あなたはとっても頑張って、くっさい村から楽園のような街に様変わりしました」

「まるで、くっさい角出す芋虫が蝶になったように! そんなあなたを讃えて──」

「あなたに、『国家変態賞』を……以下同文! ご苦労!」

 

女A?

「はい! あたくし、もっともっと、頑張ります!」

「あぁ、こんなに光栄な事は……ズビビッ、チ~~ン!(擤鼻)」

「あたくし、ノロマな芋虫や、目も耳も無い蛹なんかじゃ終わりません!」

「もっともっと、変態します! ド変態してみせます!」

 

女B?

「なんて事があったか知んないけど、多分そんな感じで出来上がったのが今のアブラクサス」

「だもんでこの塔にしたって、ルックス重視で本当は不便でしょうがないのよねー」

「今やこの長~い階段を地道にエッサホイサしなきゃテッペンに行けないってんだからもう」

 

女A?

「フッ……なんたって、『国家変態賞』なのよン?」

「私なんて毎日だって駆け上がりたかったけど、いい加減ぎっくり腰が怖いのよぼよぼ」

 

女B?

「実はねー、あの真ん中に生えてる柱、あの中に機械の箱が入ってるのよ」

「昔はあの箱で下からテッペンまで一直線だったんだけど、流石にガタが来ちゃってねえ」

「もちろん非常階段とかそんなダッサイ物も付いてないし」

 

女A?

「なぜなら……」

 

女B?

「そう……」

 

女A&B?

「『国家変態賞』だからね……!」

 

ハルファス

「……」

「あ、もう返事しても大丈夫そう?」

「とりあえず、とっても詳しいんだね」

 

女A?

「お~っほっほっほ、生き字引きとお呼びなさ~い♪」

 

女B?

「詳しいと言えば、ほら、窓の外の『アレ』、見てみて?」

 

ハルファス

「『アレ』?」

 

 

 ガラスも雨戸の類もない、穴だけの窓が進路上の壁に設けられていた。

 窓から身を乗り出して、眼下に広がるアブラクサスを眺めるハルファス。

 

 

ハルファス

「わあ。結構、高い所まで昇ってたんだね」

「皆と最初に入った正門は……建物の陰で見えないね」

 

女A?

「惜っしい! 見て欲しいのは『学舎』の方なのよ」

 

女B?

「学舎の前、人が居るでしょ?」

 

ハルファス

「学舎の前……あ、本当だ」

「凄くちっちゃいけど、3人くらい……かな?」

 

女A?

「そうそう、3人共、今はあなたを探してワタワタしてるのよ」

 

ハルファス

「そんな事まで分かるんだ、本当に何でも知ってるのね」

「でも、何で私を探してるの?」

 

女B?

「あなたに会いに行くつもりだったのに、そこに誰も居ませんでしたからねー」

 

ダレカA

「ダレカそこに居れば良かったんですけどねー」

 

ダレカB

「本当なら、あなたの道案内やお話相手になるダレカは、あの人達だったんですよねー」

 

ハルファス

「えっ?」

「じゃあ、あなた達は……ダレ?」

 

 

 窓から振り向くハルファス。

 広く高い天文観測塔に、ハルファスの声の残響だけが、小さくハルファス自身の耳へと帰った。

 上下左右をゆったり確認するハルファス。気にかかるモノは何もない。

 

 

ハルファス

「……誰も居ない?」

「……どうしよう。学舎の前に居る人たちに会いに戻った方が良いかな?」

「もしかしたら、ここは本当は入っちゃダメな場所だったかもしれないし……」

「でも、グレモリーが言ってたから、ちゃんと一回りした方が良いのかもしれない……」

 

 

 動けなくなったハルファス。

 数秒ほど固まっていると、上の方から、階段を移動する足音が反響しながら届いた。

 見上げるハルファス。足音は段々と遠くなっていく。

 

 

ハルファス

「あっ、誰か居るみたい」

「……うん。上にいる人に、どうしたら良いか決めてもらおう」

「一回りしながら、入って良い場所なのか確かめられるし、その後の事も選んでもらえる」

「よかった。全部できるなら……私でも選べる」

 

 

 何か重要な部分がすっぽ抜けている節がある「選択」ながらも、それに気付かず、「自分が選ぶことが出来た」とホッとするハルファス。

 階段を昇るハルファスだが、少しして首をかしげる。

 足音に代わって、穏やかな曲が聞こえてくる。

 

 

ハルファス

「……ピアノの音?」

「でも、足音は私が気付いた少し後から、ずっと止まってる……」

「足音が階段を昇るのを止めてから、ピアノを鳴らすまで何の音もしてないから……」

「頂上の部屋の出入り口にピアノが置いてある……のかな?」

「それとも、部屋一面に絨毯が敷いてあって、足音が聞こえなかった……やっぱり分からないや」

 

 

 最上段まで到着するハルファス。

 周辺は最低限の空間しか無く、石壁が通路となって細く続く。

 長さもごく僅かな通路の先に両開きの扉があり、これが頂上である観測室への出入り口だと分かる。

 

 

 

ハルファス

「着いた……でも、やっぱりおかしいかも」

「扉……ちょっと隙間が空いてるけど、人が通るには狭い気がする。封筒1枚くらい?」

「でも、扉を開く音とかしなかったから、さっきの足音の人は……」

「足音の人も消えちゃったのかな?」

「それとも、聞こえてたのは、さっきの2人のどっちかの足音だったのかな?」

「……」

「ピアノが扉の向こうから聞こえるから、人が居るって事だよね。中の人に聞いてみよう」

 

 

 そっと扉を開くハルファス。

 質素な見た目に反して、王城の一室のように上品な摩擦音と共に蝶番が回った。

 観測室に一歩、足を踏み入れたハルファス。

 

 内装をひと目見て、いつかメフィストがアジトに持ち込んだルーレット盤がハルファスの脳裏をよぎった。

 ハルファスが出てきた位置が、円形に造られた観測室の外縁部。

 長さ約3m、幅数十cmほどの石造りの通路がハルファスの足元から外縁部に沿って伸びており、通路から内側に広がる観測室の床は段差1つぶん低い。

 床は中心の、例の1階から伸びる柱を基点にして放射状に、仕切りのような線が広がって床を幾つかの区画に等分している。

 区画1つ1つに、点を線で繋いだような模様が描かれているようだった。ハルファスの最も近くにある模様は、大小の点の集まりから、少し離れた位置に並ぶ2つの点に、カタツムリのように2本の線が伸びているのが印象的だった。

 よく見ると、模様のすぐ近くに文字のような物も擦り切れ気味に描かれている。「カタツムリの模様」が無ければ、それを文字の類とは思わず、ハルファス的には「大きなリボンを付けたヴィータの頭」とでも思ったかもしれない。

 

 

(※文章で分かりにくい時は以下に大体のイメージ)

 

【挿絵表示】

 

 

 

ハルファス

「(ピアノの音は……柱の向こうかな)」

 

 

 扉を開けてから、ピアノの音色は明らかに同じ部屋の中で聞こえていると確信できるほど、ハッキリしたものとなった。

 室内に反響する音色を耳で辿ると、それはハルファスの居る位置から、ほぼ対角線上の先から奏でられていると考えられた。柱の死角以外に楽器も人影も見当たらない事から、ほぼ間違いない。

 ドーム状の天井は骨組みと窓のみで構成され、窓一枚一枚にどのような機構かシャッターが設けられ、今は数枚の窓が開かれて、木漏れ日のように観測室に日光を注いでいる。

 通路から観測室の床に降り立つハルファス。カツーンと、靴音が官能的なまでに反響した。

 

 

ハルファス

「(あ、……足音、ピアノの邪魔になってないかな?)」

 

 

 同時に、足元の感触は石に近い事や、その割に経年劣化や人足によるすり減りがほとんど無い事、これも当時のアブラクサスが実現した技術の結晶なのかと大小の感想が湧いてくるが……ハルファスが何より意識したのは、自身が演奏者の迷惑になっていないかという事だった。

 思わず立ち尽くして、柱の向こうを気にするハルファス。

 ピアノの演奏には些かの乱れも無い。

 

 

ハルファス

「(……大丈夫、なのかな。でも、この靴だと、歩く度に足音しちゃいそうだし……)」

「(でも……何でだろう)」

「(音楽、余り聞いたりしないのに……この曲、ちょっと『気になる』)」

 

 

 無意識に、柱の向こう側へと歩き出している自分に気付いていないハルファス。

 

 

ハルファス

「(何だか、よくわからない気持ちになる)」

「(何となく、安心する曲なのに、安心するものが欲しくなるみたいな)」

「(なのに、やっぱり安心するものは要らないみたいな……何か、自分でも何を言ってるのか分からない)」

「(それに……アジトで仲間が音楽を演奏してる時より、『物足りない』?)」

 

 

 柱を回り込んで、目に飛び込んできた景色に、ようやく我に返るハルファス。

 

 

ハルファス

「あっ……薔薇が、たくさん……」

「……あれ? 私、いつの間に……」

 

???

「……ご機嫌よう、可憐な人」

 

ハルファス

「!?」

 

 

 最初に見えてきたのは、1区画の壁を埋め尽くす程の、麗しい蔓バラの茂み。

 次に、無意識に移動していた自分。

 そして、それらに当惑している間に声をかけられた事で、蔓バラの手前に佇むグランドピアノと、ピアノ前の座席に座る一人の人影に気付く。

 

 

ハルファス

「あ、私、えっと……」

 

???

「ようこそ。遠慮はいりません。心から歓迎しますよ」

 

 

 人影は見た所、ハルファスと歳の近い少女だった。

 その紳士を思わせる中性的な装いを考えれば、ハルファスより若く声の高い少年と見れなくもないが、男子禁制のアブラクサスでは考えにくい。

 清水を浴びた羽のような、麗らかな笑顔と共に、少女がハルファスに向けて右手を差し出した。

 

 

中性的な少女

「差し支えなければ、どうぞこちらへ。少しだけ、手伝って欲しい事があるんです」

 

ハルファス

「あ、うん。私に出来る事なら──」

 

 

 向こうから自身の行動を提案され、普段どおりに従うハルファス。

 伸ばされた少女の手に、ハルファスも何気なく右手を差し出すと、少女はふわりと手を取って席から立ち上がった。

 少女が座っていた椅子は横に長く、ハルファスを隣に座らせると、少女も再び座り直した。

 

 

中性的な少女

「そちらの低音の鍵盤を、少しの間、奏でてもらいたいんです」

 

ハルファス

「でも私、ピアノを弾いた事ないけど……」

 

中性的な少女

「難しい運指では無いので、安心して下さい。少し、お手を失礼」

 

 

 少女はハルファスの片手を取り、指紋1つ付ける事さえ惜しむような繊細な手付きで、ハルファスに叩くべき鍵盤の位置を教える。

 

 

中性的な少女

「まず、ココを。次に少し離れて……ココです。位置さえ合っていれば、指は楽な形で大丈夫」

 

ハルファス

「ココと……ココを、こう?」

 

中性的な少女

「ええ。とても良いですよ。では次は、私が鍵盤を叩くタイミングに合わせてみてください」

 

 

 少女が適当な鍵盤を等間隔で叩く。言われるまま、指示された音を交互に奏でるハルファス。

 

 

中性的な少女

「そうです。そのまま……とても無垢な音色だ」

 

ハルファス

「あ、ありがとう?」

「でも……本当に、これだけで良いの? これなら一人でも両手で出来そうだけど」

 

中性的な少女

「ええ。普通ならば、一人でも演奏できる簡単な曲です。しかし──」

「少し前に、左手を痛めてしまいまして。何でも、『関節が増えている』とかで」

 

 

 左手にだけ着けた白手袋を外す少女。

 手の甲から手首にかけてアザが残り、伸ばした指の薬指だけが歪んで長さも若干足りない。

 

 

ハルファス

「あ……ご、ごめんなさい?」

 

中性的な少女

「いいえ、初対面の方にお見苦しいものを……私も不注意でした」

「お詫び……にはなりませんが……テンポを崩さないで」

 

 

 ハルファスの機械的な演奏に合わせて、少女の右手が主旋律を奏でていく。

 

 

ハルファス

「わあ……」

「(これ、さっきの曲だ)」

「(今度は『物足りない』感じが無い。さっきのは、低い音が無かったからかな)」

「(でも……よく分からない気持ちは、もっと強くなった気がする?)」

 

中性的な少女

「少し、お話しても?」

 

ハルファス

「あ、うん。多分、大丈夫……かも?」

 

中性的な少女

「ありがとう。難しく感じたら、気にせず手を止めてください」

「さて……今日、新たに訪れた方々について、少ないながらも伺っています」

「貴女は恐らく、その中の『チータ』さん……あるいはハルファスさんで、合ってましたか?」

 

ハルファス

「うん。今日はお仕事が無いから、アブラクサスを見て回れって……」

「(私の本名でも大丈夫って『筋書き』だから、『うん』って答えて大丈夫……だよね?)」

 

中性的な少女

「ああ、やっぱり。こうしてお会いできて、とても嬉しく思います」

「すっかり遅くなってしまいましたが……初めまして。これから宜しくお願いします」

 

ハルファス

「えっと、こちらこそ?」

「そう言えば、ピアノはお仕事じゃなさそうだから……あなたは偉い人?」

 

中性的な少女

「ええ、まあ。微力ながら、アブラクサスをもり立てるお手伝いを」

「ですが、身分のようなものは気になさらないで下さい。私に関しては殆ど形ばかりのものです」

「それに、ここで暮らす人たちは皆、対等に協力しあう仲間ですから」

 

ハルファス

「それで大丈夫なら、言われた通りに、気にしないようにしてみる」

「私、マナーとかよく分からなくて、自信ないし」

 

中性的な少女

「ここでは珍しくありません。貴女も気兼ねなく──」

 

???

「ナニをよろしくやってんだい、オマエは」

 

 

 小枝に並んだ小鳥のような語らいに、つい数時間前に聞いた覚えのある濁声が割り込んだ。

 演奏を中断して振り向くハルファスと少女。

 2人のほぼ真後ろの壁に、ハルファスが入ってきた出入り口と同様、石の段差と扉があった。ただし、こちらの扉は両開きではなく、ごく一般的なサイズの木戸。

 開かれたその扉の前に、入国審査の時に出会った「秘書」が立っていた。

 2人が気付いたのを確認すると、「秘書」は後ろ手に扉を閉め、ツカツカと2人に歩み寄った。

 

 

秘書

「フンッ、断りもなくこんな所まで入ってくるなんてね」

「すっとぼけた顔ブラ下げといて、随分と厚かましい女じゃないか」

 

ハルファス

「ご、ごめんなさい……私、えっと──」

 

中性的な少女

「しかし、天文観測塔は初日の自由行動でも、立ち入り禁止では無かったはずでは?」

 

秘書

「ぬ、ぅ……」

「お、オマエがねぇ、お目付け役も連れないでノコノコやって来たのがどうかしてるって言ってんだよ」

 

 

 一瞬、少女の方に目をやってたじろいだ秘書だが、すぐさまハルファスを睨み直す「秘書」。

 そのまま、2人のどちらが口を開くよりも早く詰め寄り、ハルファスの手を乱暴に掴む「秘書」。

 一連の動作の間に、如何にも機嫌悪そうに、何度も鼻を鳴らしている。

 

 

秘書

「ほらっ、ダラダラしてないで、他の所もその目で見て回りな」

「オマエらにアブラクサスの土地勘を養わせるための自由行動なんだ、楽してんじゃないよ」

 

ハルファス

「でも私、どこへ行ったら良いか……あああ」

 

 

 寄り道しようとした犬を飼い主が引き戻すように、階段側出入り口へと断続的に引っ張られていくハルファス。

 

 

中性的な少女

「……『ハルファス』さん」

 

ハルファス

「あ、な、なに?」

 

中性的な少女

「すみません。彼女はアブラクサスの風紀に携わる方なので……厳しくなくてはならないんです」

「また、近々お会いしましょう。今度は、ご一緒にお茶でも」

 

ハルファス

「う、うん、わかっ──」

 

秘書

「遊びの話なんざいつでも出来んだろうが」

 

ハルファス

「わわっ」

 

秘書

「フンッ……フンッ」

 

 

 背後の少女に応えながら、予告なしに前方の「秘書」に引っ張られ、転びそうになるハルファス。

 その後も、「秘書」は鼻を鳴らす度にハルファスの手を乱暴に引っ張り直し続けた。

 

 そして観測室を出て、長い長い階段を降りていく「秘書」とハルファス。

 

 

秘書

「フンッ、全く……これが十も半ば過ぎた女のやる事かと思うと、うんざりしてくるね」

 

ハルファス

「ごめんなさい……」

 

秘書

「大体、何が『剣闘士のチータ』だ。ふざけたご身分のたまいやがって」

 

ハルファス

「えっ? そ、それは、えっと……」

「(これって、『筋書き』の事、疑われちゃってる?)」

「(どうしよう、どこで怪しまれちゃったのか、全然分からない……)」

 

秘書

「どうせ本当は、イーバーレーベンか何処か近所の領にでも住んでたんだろう」

「それもクソみたいな家族の下でチンタラ生きてたロクデナシなんだろう、ええ?」

 

ハルファス

「え……ううん、違う」

「お父さんもお母さんも、『イラーネ』も皆、私の大切な家族だよ」

 

秘書

「『イラーネ』ぇ?」

 

ハルファス

「あ、うん、妹の名前なの」

 

秘書

「フンッ、闘技場で生まれた天涯孤独の剣闘士じゃなかったのかい?」

 

ハルファス

「あっ……!」

 

秘書

「フンッ、まあ今更、出自を隠して入国するヤツなんざ、増えすぎてどうでもよくなっちまったがね」

 

ハルファス

「(ば……バレちゃった)」

「(これ、『カマをかけられた』って言うんだっけ?)」

「(……取り敢えず、今日はもう、学舎で皆の帰りを待った方が良いかも)」

「(怒られちゃったし……これ以上、私じゃどうしたら良いか決められない)」

 

 

 そのまま会話が途切れ、気まずい沈黙と共に階段を下るハルファスと「秘書」。

 そして2人が観測室から十分に離れた頃、観測室へ通じる扉の前に人影が現れた。

 

 

ライア

「……ふう」

 

 

 観測室への扉前には、蝶番や扉の縁をメンテナンスするために左右にそれなりの空間が設けられていた。

 それでいながら構造的に日光が届かないという、見た目重視による片手落ちの暗闇から、潜んでいたライアがそろりと出てきた。階下の2人がライアに気付く様子が無いのを確認した上で、観測室の扉を開いた。

 

 

ライア

「失礼しまぁす」

 

 

 潜入組の前では発した事のない、人並の声量で入室の挨拶をするライア。

 慣れた様子でスタスタと柱を回り込む。

 ライアの目に少女が見えてきた辺りで、少女は再び片手でピアノを奏で始めた。

 

 

ライア

「復興計画の報告、お届けに参りましたぁ」

 

中性的な少女

「期待には、沿えたかい?」

 

ライア

「はいぃ?」

 

 

 ピアノの傍らには、ハルファスが来た時には居なかった人影が立っていた。

 腕に何かを抱いた、幽霊のように朧で儚げな雰囲気の女だった。

 ライアも少女も、儚げな女などそこに居ないかのように語らう。

 

 

中性的な少女

「君が最初にココに入ろうとした時、丁度、階下に来客があった」

「君は来客の正体を確認すると、すぐさま身を隠した」

「そして来客が不意に階段の途中で立ち止まると、君はわざと音を立てて来客を誘い込んだ」

 

ライア

「い、いやはや……まあ、ほら、一応はお上に届ける情報持ち歩いてたわけですしぃ?」

 

中性的な少女

「君の期待通り、私は彼女と会ってみた」

「彼女は『チータ』と言う名への意識が非常に軽く、『ハルファス』と言う名への反応が大きかった」

「恐らく、『チータ』の名は実感も持てないほど、ごく最近になって得た物」

「彼女の古くからの名前は、自らの妄想から生まれたとされる『ハルファス』の方……」

「そういった事を知る事が出来たが、これは君にとって十分なものだったろうか」

 

ライア

「……ちょっとくらい建前に話合わせてくれても良いじゃないですかぁ」

 

中性的な少女

「君がそれを望んでいないようだからね」

「そして結果は、『思っていた通りに不満』……合ってるかな?」

 

ライア

「むぅ……兎に角、報告だけ済ませますよぉ?」

「ここ、観測塔の地下にある避難シェルターですけどぉ、居住区にしようって動きがあるみたいでぇす」

 

中性的な少女

「ああ、それなら、もう『彼女』から聞いてるよ」

 

ライア

「あらら……相変わらず『お見通し』でぇ」

 

儚げな女

「……」

 

 

 そこでようやくライアは、『彼女』こと儚げな女の方を見て、少し砕けたニヘっとした笑みで会釈した。

 儚げな女は、風に散らされる砂の城のような笑みを僅かに浮かべ、深々と頭を下げて返礼した。

 

 

ライア

「今日も元気に物静かでいらっしゃって何より──」

「って、それは今は置いといて、もう聞いてるなら話が早いですよぉ」

「前々から言ってますけどぉ、私としては早々に取り壊すか埋め立てるかするべきだと思いまぁす」

 

中性的な少女

「老朽化が酷く、いずれ1階の床を巻き込んで崩落しかねない……だったね」

 

ライア

「でぇす。しかも今回、居住区の案を出したのがサイティ傘下って裏も取れてまぁす」

「いつペッシャンコになるかも分からないタコ部屋として使うのは目に見えてるんでぇ」

「蹴落とされた人のために死者の国を再現しようなんて計画に何の得も無いですしぃ」

 

中性的な少女

「そうだね……」

 

ライア

「『そうだね……』じゃ無くってですねぇ……」

 

中性的な少女

「建築と牧畜の人材不足がアブラクサスのネックだからね。立場上、安全への配慮だよ」

「現状でもシェルター内は立ち入り禁止、それに天文観測塔に人が大挙する可能性も当分は無い」

 

ライア

「女の子達が見合って見合ってパチパチ言わすほどすぱ~きんぐしてるお陰ですけどねぇ」

「ひとまず、素人の集まりでも被害を最小限にする解体計画を模索する……って事でよろしいですかぁ?」

 

中性的な少女

「今の所はね。刺激的に立ち回るには、アブラクサスも少し大人になりすぎた」

 

ライア

「そればっかりは、まぁ同感ですねぇ」

「でも本当に急いで下さいよぉ? 実務の実権はサイティ派の方が上なんですから」

 

中性的な少女

「そして何より……『来たる日』の、君自身のためにも?」

 

ライア

「そんな先の事はノーコメントでぇす、あいあむびずぃねすう~まんなのでぇ」

「それでは、失礼しましたぁ」

 

 

 ペコリと適当なお辞儀をして、踵を返すライア。

 一度、振り返ってヒラヒラと手をふるライアと、それに応えて恭しくお辞儀する儚げな女。

 少女は最初から最後まで、涼しい顔でピアノを奏で続けていた。

 観測室を出たライアは、遥か下方のもう誰も居ない1階地面を覗き込むように見下ろして、次に真っ暗な石の天井を見上げて、小さくため息をついた。

 

 

ライア

「(はぁ……やっぱり『そういう事』なのかしら……)」

「(掌の上で踊らされてるみたいでシャクだけど……急がなくっちゃマズイかな)」

「(それにしても……『チータ』ちゃんの『あの言葉』、どういう事かしら)」

「(足音の人『も』消えちゃったって……あの子、『最初から一人で昇ってた』わよね?)」

「(他に侵入者が隠れて……いや、だったらそもそもバレないはずが無いわ)」

「(なんたって、最上階には『彼女』がずっと居たんだから)」

 

 

 何事か考え込みながら、ライアはとぼとぼと階段を下っていった。

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

・今回の尺について

 イベントクエストでは、全5部(5章?)大体3チャプターずつで、次の部に移る度にステージが変わったり明確に時間が経過したりしています。

 そこを踏まえて話のペース配分を数え直した所、薄々分かっていた事とはいえ、やはり尺が足りません。

 とはいえ、この形で発車して、書き換えるというのもなんなので、強引にでもこのままで進めようと思います
 そんなわけで、前2作の書き方なら何話かに分けているだろう文量を1話に詰め込んでいます。
 この後の話も所々、1チャプターあたりにかなり詰め込む事になりそうです。

 原作がいかにプロの(以下略)
 まあ、1番の原因は構想当初、5部編成までは考えていたのに、3チャプター枠の事をすっかり忘れていたせいかもしれません。

 二次創作だし原作と違って映像的な表現も見込めないしで「細かい事は良いんだよ」といきたい所ですが、書くからには構成力とかそういったものも養っていきたいので。
 多少の不格好は教訓ということで、枠組みに収める努力を続けながら、以降の作品に生かしていきたいと思います。
「描写」のために字数を詰め込むならともかく、尺に見合わない「イベント」を好きに詰め込んでの長文は、中だるみを招いたりで余りよろしくない事でしょうし。

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