・ ・ ・ ・ ・ ・
過去の、いつかのヴァイガルド。
イーバーレーベン領主が愛娘のために建てた「別荘」の寝室。
2つのベッドを横に並べ、名実共にダブルベッドにして、並んで身を預けるウァサゴとアリアン。
ウァサゴ
「……それで、アリアン。急に甘えん坊になって、何がお望みですの?」
「ようやく個別のベッドも『当たり前』になったと言うのに、わざわざくっつけたがるなんて」
アリアン
「突然ごめんなさい、ウァサゴお姉さま。わがままを聞いて頂いて」
「お姉さまが、明日にはご実家にお帰りになると思うと、今宵は何だか、うら淋しくて……」
「でも、お姉さまもお嫌で無いみたいで、安心しました」
ウァサゴ
「とんでもない。幼き日の貴女の無茶が脳裏にぶり返して、目が冴えてしまいましてよ」
アリアン
「でもお姉さま、今もこうして、昔みたいに私の髪を撫でて下さってます」
ウァサゴ
「ハッ……!? こ、これは違います!」
言われて初めてウァサゴは、アリアンの毛先を弄んでいた自分の手に気づき、引っ込めた。
ベッドに入った時からウァサゴは、ごくナチュラルに側臥位の体勢でアリアンと向き合い髪を撫でくり回していたが、一連の動作は当たり前になりすぎてウァサゴ本人、「たった今、自分からそうした」という記憶すらない。
ウァサゴ
「む、昔は『寝かしつけさせられる』日々でしたから、手癖というか、無意識というか……!」
髪を撫でる事は止めても、互いに枕から身を外して自らベッドの境目に身を寄せ合っている状態には、疑問すら感じていない。
ウァサゴ
「まあ……たまに、こうしてあげるくらいなら、嫌とは言いませんが……」
「こ、今夜のような冷える晩なら、お互いに体を壊さないためにも良いかもしれませんし?」
建前を急造しながら、気恥ずかしくなって寝返りを打ち、背を向けるウァサゴ。
この日、一帯は雪が積もっていた。音が雪に吸われ、静かな夜だった。
寝室の窓先に植えられたミスミソウが、雪の下から青葉を覗かせている。
花開く時期は、まだ少し先の事だった。
アリアン
「私、お姉さまが私の髪に触れて下さる時間が大好きです。こうすると──」
アリアンが断りも無くウァサゴの背からその手を取り、自身の長い髪に触れさせた。
ウァサゴは驚きもせず、慣れた様子で手を好きにさせている。
アリアン
「髪を通して、お姉さまの指の滑らかさ、暖かさが、伝わって来るんです」
ウァサゴ
「(髪に感覚なんて……いえ、野暮ですわね)」
「だからって、昔みたいに『朝には枕にされてた』なんて、ご勘弁願いますわよ」
「頭を預かって差し上げるにはいい加減、貴女も小さくないのですから」
アリアン
「うふふ、大丈夫です。私だって、いつまでも子供じゃありませんから」
2人の背丈は、ウァサゴが回想した日々より、随分と伸びている。
ウァサゴに至っては、顔立ちに僅かなあどけなさを残す以外、現在とほぼ変わらない雰囲気を纏っていた。
アリアン
「……子供じゃ、ありませんから……」
ウァサゴ
「……?」
「(何だか、アリアンにしては急に声がしおらしく……?)」
思わず怪訝な顔を浮かべるウァサゴ。
自分のそんな表情をアリアンに見られるのが何となく格好悪いように思えて、振り向く事はしなかった。
逆に、顔を隠すようにほんの僅か、姿勢をうつ伏せ気味に丸めた。
アリアン
「新しく1つずつ誂えて頂いたベッドも、短い間に、少し手狭になってしまって……」
「……お姉さま。少し、私事をお聞き頂いても、よろしいでしょうか」
ウァサゴ
「今さら改まるまでも無いでしょう。寝付くまでは、聞くだけ聞いていて差し上げますわ」
アリアン
「ふふ、それもそうでしたね。では、その……」
「……私、お父様とお母様から、『お祝い』を頂きました。お姉さまがいらっしゃる少し前に」
ウァサゴ
「でしょうね。今年も、盛大な『誕生祝い』だったと聞き及んでいますわ」
「来年辺りには、我が家も久々に貴女の誕生日に合わせて──」
アリアン
「違うんです。誕生日より、もう少し後に『お祝い』を」
ウァサゴ
「誕生日よりも後……誕生日から私が来るまでの間? えっと……」
「……ごめんなさい。何か、ありましたかしら?」
2つ並んだベッドの上で、ウァサゴは小さな意地を張って、自分の腕を枕にしてアリアンに背を向け続けている。
アリアンは仰向けに天井を眺めていた。
2人の間は、指先と毛先とで繋がっていた。ウァサゴは全く無自覚に、アリアンの髪をいじくる作業を再開していた。
アリアン
「お父様もお母様も、家の皆さんも、大変に喜んでおられました」
「……子を成す準備が出来た、と」
ウァサゴ
「……」
数秒ほど、沈黙が流れた。ウァサゴの指も止まっていた。
ウァサゴ
「……そう。おめでとう」
「貴女もようやく、一人前のレディの仲間入りですわね」
顔を見せず後ろ向きのまま、月なみの祝福を唱えるウァサゴ。
アリアン
「……やっぱり、『はしたない』お話だったでしょうか?」
ウァサゴ
「まさか。大切な事ですわ。私で良ければ遠慮なく相談なさい」
「よしんば『はしたない』としたって、それこそ今更でしてよ」
アリアン
「小さい頃は、お姉さまに良く叱られましたね」
ウァサゴ
「今年の年明けに来た時にも言ったばかりですわ」
アリアン
「ふふっ……そうでしたかしら?」
ウァサゴ
「くすっ……貴女ったら、もう」
どこか台本を読み上げるかのように、笑い合うウァサゴとアリアン。
アリアン
「……私に、子育てなんて出来るのでしょうか。お父様やお母様みたいに」
ウァサゴ
「今から考える事ではございませんわ。お互いに、まだまだ早過ぎる話です」
アリアン
「……不思議ですね。準備だけなら、早過ぎる頃から始まってしまうなんて」
ウァサゴ
「……」
アリアン
「この『続き』は……今度は、いつの間に始まって、過ぎてゆくのでしょうね?」
ウァサゴ
「……さあ」
アリアン
「いつの間にか、恋を知って、まだ見ぬ殿方を愛し、夫婦となって、家を継いで──」
「子供を産んで、旦那様と子供を愛せるように……なるのでしょうか。『いつの間にか』」
ウァサゴ
「そ……」
「……かも、知れませんわね」
言いかけた、「それだけが人生ではない」という旨の言葉を呑み込むウァサゴ。
ウァサゴ
「(私達は、貴族の跡取りとして家を継ぐ身……遠からず、それぞれの人生を歩む定め)」
「(望みもせず、知る由も無かった『サロン』へ放たれ、順応し……いずれ、忘れてゆく)」
「(今日、馳せた思い……描いた未来……大人という現実の前に消え去ると、知っている)」
「(私達の両親が、幼い私達が己の運命を悟っているなどと、思いも寄らないように……)」
「(ヴィータは大人になり、人となり、幼き日には考えようも無かった私達へと高められる)」
「(そして……童の事を捨ててしまうのですから)」
アリアン
「……お姉さま」
ウァサゴ
「何かしら?」
アリアン
「……『エリザ』お姉さま」
ウァサゴ
「……何かしら?」
少しだけ柔らかい声で答え直すウァサゴ。
アリアン
「お姉さまは、いつまで、『エリザお姉さま』で居て下さいますか?」
ウァサゴ
「……」
「私は私ですわ。いつ、どこへ行こうとも」
予め用意していたかのように応えるウァサゴ。
アリアン
「……そうじゃ、無いんです」
ウァサゴ
「……」
「(……ええ。分かっていますとも。そんな事)」
アリアン
「お姉さま……」
ウァサゴ
「(この子は、どこまでお見通しなのでしょうね……いいえ。きっと全て……)」
「(私が、いずれ真に『メギドの大貴族ウァサゴ』としての生を選ぶつもりだと──)」
「(そしてそれが私にとって、時に己の命にも代えがたい『個』であるのだと……)」
「(いつか童を捨てて、誇りのために断頭台へも凛として歩む、『貴族』へ昇りつめる日)」
「(それは私が『ウァサゴ』として大人になる日……『エリザ』と決別する日)」
「(『ウァサゴ』が、『エリザ』を殺す日……アリアンの愛したヴィータを……)」
ウァサゴの手が動いた。
アリアンの髪を纏ったまま硬直していた手が、髪を伝うようにしてアリアンの手を探し当てた。
そっとアリアンの手を取って、ウァサゴが寝返りを打った。
アリアン
「わぷっ?」
流れるようにアリアンを胸に抱いた。己の顔を見せる間も与えずに。
慣れた手付きで、ゆったりしたリズムでアリアンの髪を撫でる。
ウァサゴ
「覚えていまして? アリアン」
「貴女のダンスに、私が夜通し付き合わされた日を」
アリアン
「……はい。覚えています」
「あの日もお姉さま、こうして私を寝かしつけて下さいました」
ウァサゴ
「じゃあ、私が話した事も、覚えているかしら?」
「『文句は、私がこうしてあげないと眠れないと言ったご自分に仰って』──と」
アリアン
「はい。それで私は、『では、いつごろ申し上げればよろしかったのですか』と」
ウァサゴ
「……今夜だけ、少しだけ『認めて』差し上げますわ」
アリアン
「?」
ウァサゴ
「この『別荘』では、いつも貴女の面倒を見てばかりでしたから──」
「貴女をこうしてあげている時が、一番安らぐ体になってしまいましたわ」
アリアン
「……くすっ」
ウァサゴ
「こぉら。笑うとは何事ですか。貴族が『譲って』差し上げたんですのよ?」
アリアン
「だって……ふふふ」
安らかに抗議するウァサゴと、ウァサゴの腕の中で慎ましく笑うアリアン。
一息、間が置かれる。
アリアン
「……やっぱり、イヤです」
ウァサゴ
「……」
低く、か弱く呟くアリアン。
ウァサゴはただ髪を撫で続ける。
アリアン
「嘘じゃなくても、誤魔化すお姉さまなんて、やっぱりイヤです……」
ウァサゴ
「いいえ。私には、とても大切な話ですわ」
アリアン
「でも──んムっ!?」
強く抱きしめ、アリアンを胸に押し付けて言葉を遮るウァサゴ。
腕の中の頭を、寝かしつけるような手付きで二度ほど軽く叩いてから解放した。
ウァサゴ
「……お聞きなさい」
ウァサゴはアリアンの顎に指を添えて、可能な限り互いの顔を近づけた。
月と雪だけが照らす中、アリアンの視力でも、輪郭だけでも捉えられるようにと。
ウァサゴ
「どうか、今この時のわたくしを……忘れないで」
「そして、2人で約束しましょう。貴女が、今日のわたくしと同じ年を迎えた頃──」
「いいえ、10年後も、20年後も……今までのように、貴女の望むステップを共に奏でると」
「この『わたくし』にかけて誓います。『ウァサゴ』でも、『エリザ』でも──」
「あるいはどちらでもなく……今、貴女の愛してくれる『わたくし』に誓って」
「……ね? アリアン」
アリアン
「……はい」
「でも……見えないんです。こんなに近くても、ぼやけてしまって」
ウァサゴ
「良いの。それで良いんですのよ。貴女の瞳に映すものは、姿形が全てではありません」
アリアン
「イヤです……!」
「お姉さまが『どこにいる』のか見えても、『どうされている』かが見えても──」
「『エリザお姉さまが見えない』のは……そんな私は、イヤなんです……!」
ウァサゴ
「……良いの。良いのよ。貴女も、私も、それで……だから、もう眠りましょう」
再びアリアンを胸に抱くウァサゴ。
いつかそうしたように、もうそんな歳でも無い少女を、稚児のように慈しむ。
そこからは、アリアンが何を言っても、もう答えなかった。
アリアンが眠りに落ちるまで、いつまでも指先でアリアンを慰めていた。
微かに香るのは、テーブルに飾られた蝋梅と紅い寒椿の切り枝か。東国の香を焚きしめる事を覚えたアリアンの髪か。
ウァサゴ
「(私は今、どんな顔をしているのかしら……)」
「(貴女と見つめ合う事を躊躇う私が居たなんて……今日まで、思いもしませんでしたわ)」
・ ・ ・ ・ ・ ・
現在の時系列、「別荘」にて。
寝室で目を覚ます19歳のウァサゴ。
しずしずと上半身を起こし、足元を見る。
ウァサゴ
「ここで眠ると、いつもあの日の夢……」
「(今日も、フットボードにつま先が届いている……)」
ベッドから出て、寝室のカーテンを開けると、蒼いアブラクサスが朝霧に隔てられ、普段より一層霞んで見える。
アブラクサスから海を辿れば、別荘のすぐ近く、いつかアリアンが星を追って駆け抜けたという浜辺に至る。
ウァサゴ
「(今では、寝室のベッドも1つきり……)」
「(あの夜の私もまた、幼く……今では、私の背丈には小さくなってしまって……)」
もう、かつてどちらが使っていたのかも分からない、取り残されたベッドに振り返るウァサゴ。
ウァサゴ
「おはよう、アリアン……」
「(……『違う』。あの日の夜は、まだ明けてない。あの日の私は、まだ朝を認めていない)」
心と体を裏腹に、寝具の手入れに取り掛かるアリアン。
ウァサゴ
「(あの日の翌朝、私は『はぐらかす』ように、いつも通りに両親と実家へ帰り……)」
「(そして程なく、アリアンが攫われたと、私どもの領地へも報せが……)」
「(マンショ様が事件の解決に勤しんだ2年間。幼かった私は、ただ無事を祈るばかり)」
「(アリアンが激流に消えた頃、ようやく身動きを得た私は、合間を縫っては『別荘』へ)」
「併せて4年、貴女を求めて……あの日の私より、貴女はもう、年上なのですわね……」
洗濯のため、ブランケットやクッションを取り外すウァサゴ。
ウァサゴ
「(マンショ様の苦悩を聞けた今、アリアンの思い出をお二人だけに『背負わせ』はしません)」
「(ご両親に代わって、私がこの家を管理し、守ってみせます)」
「(成してみせますわ。生家を出てから、水仕事だってすっかり手慣れましたもの)」
「(そう。高貴を志す、この私が……ふふ)」
「(これも、大人になったと言う事なのかしら……ねえ、アリアン)」
ふと手を止めて、シーツを撫でて物思いに耽るウァサゴ。
雨上がりの雫の音のように。香炉のごとく鼻打つ華を愛でるように。なよぶ髪毛を支えるように、純白のシーツの感触を確かめる。
ウァサゴ
「(『私の時』は、貴女のように冷静では居られませんでしたわ)」
「(ヴィータである事を、半生で最も憎んだと言っても過言ではなかった)」
「(あれは、魂を基盤とするメギドの『さが』か、それとも思春期ゆえの気の迷い……?)」
「(魂に沿って姿形を移ろうメギドの心に反し、肉体は余りに無遠慮で、我夢者羅で──)」
「(ましてや、獣のように繁殖するためなどと。誇りも心も置き去りに、無理矢理に……)」
ベッドの骨組み以外、全て新調されていると分かっていながら、シーツの手触りにアリアンの面影を探すウァサゴ。
ウァサゴ
「(貴女が『子を成せる』と口にした瞬間……最初に生まれた気持ちが、思い出せませんの)」
「(受け入れたように穏やかに語った貴女を、心から祝福できたのかしら。見直したのかしら)」
「(それとも、『所詮はヴィータ』と妬み、憤り、蔑みまでしたのやも……)」
一呼吸入れて頭を切り替え、手入れを再開した。
昨夜からあらかじめ、何も飾らないテーブルに籠を置いてあった。そこへ慣れた手付きでシーツを畳んで放り、メイキングシーツを剥がしにかかる。
ウァサゴ
「(あの夜の貴女への、率直な気持ち……その正体が良かれ悪しかれ──)」
「(向き合わない、向き合えない今の私が、情けなく……申し訳ないのです)」
「(私の『本性』が、若き日を『穢れ』と蔑み、覆い隠しているではないか、と……)」
「(これがさもしい自己嫌悪に過ぎぬとても……己の『弱さ』に、魂が濁る心地ですの)」
「(ここへ来るたび、同じ事を思い、我が身を裂いてでも魂の『穢れ』を見定めたくなる)」
寝具をまとめ終えたウァサゴ。
自らの思考を邪魔するように、独り言を挟む。
ウァサゴ
「……後は、朝食を済ませて、寝具を洗って──」
「(だから……だからこそ、私自身のためにも、貴女を見つけ出さねばならない)」
「(『傷』と『穢れ』に侵された貴女にとっても、私が変わらず『天使』であるために……)」
「(もし、『本性』が私にも有るのなら、私の『本性』は、私が打ち払ってみせる……!)」
テーブルの籠を抱え上げ、窓の景色を見上げるウァサゴ。
その瞳には、ヴィータの「弱さ」など己の内に欠片も残させはしないという、確信と決意の光を湛えていた。
思いの是非を省みる事など無いだろうほど、真っ直ぐに。
・ ・ ・ ・ ・ ・
僅かに時間を遡る。
ウァサゴが起床した瞬間と、ほぼ同時刻。
アブラクサス近郊の森。騎士団が設営したゲルの1つにて。
簡易な寝床で、休息していたソロモンが目を覚ました。
ソロモン
「……む」
「ふあ~ぁ……何か、いつもの野営よりもよく眠れたような……」
ガブリエル
「でしょうね」
ソロモン
「おわっ!?」
すぐ枕元で直立していたガブリエルに驚き飛び退くソロモン。
ソロモン
「な、何で俺たちのゲルにガブリエルが!? それに……バルバトスも居ない!?」
ガブリエル
「いい加減、起こすべきかと立ち寄った所です。バルバトスは先に起きています」
ソロモン
「ああ、そりゃありがとう……騎士団じゃなく、ガブリエルがわざわざ起こしに?」
ガブリエル
「ちょうど手が空いた所でしたし、通りがかりだったので」
「昨日も説明した通り、ここは最小限の人員で回していますから」
ソロモン
「そっか、雑用だろうと、立場に関係なくやれる人が取り掛かるのか……」
「何か、ちょっと俺たちのアジトみたいだな。ハハッ」
ガブリエル
「寝ぼけるのはそのくらいにしてください」
「自力で覚醒されたなら、体力も充分に回復されたでしょう。まずは外へ」
ソロモン
「あ、ああ……」
ゲルから出たソロモンとガブリエル。
薄暗い森の中、ちぎったような頼りない木漏れ日だけでは太陽の位置も判然としない。
ソロモン
「そういえばガブリエル、『いい加減起こすべき』って言ってたけど、いま何時くらいだ?」
ガブリエル
「時計が手元に無く、先程まで『作業中』だった身なので大まかになりますが──」
「もう3時間ほどで、騎士団が昼休憩を挟むはずです」
ソロモン
「あと3時間で昼食って事は……はぁっ!?」
???
「はあああーーーーっ!!??」
ソロモン
「!?」
ソロモンが出てきたゲルに近い、別のゲルから、吹き飛ばさんばかりの大声が轟いた。
ソロモン
「い、今の声……エリゴス?」
ガブリエル
「丁度、ジョーシヤナがエリゴスを起こしに向かっていましたからね」
間もなく、ゲルから転がり出るようにしてエリゴスが現れ、ソロモン達へ駆け寄った。あるいは詰め寄った。
エリゴス
「お、おいソロモン! 何で起こしてくんなかったんだよ!?」
ソロモン
「いや、俺も今起こされたばかりで……!」
エリゴス
「なら……聞いたか!? 今の時間!」
ソロモン
「あ、うん。俺たちが野営してたら、どんなに遅くても、もう2時間は早く──」
エリゴス
「だよなあ!? クソッ、野宿にしちゃ頭がスッキリしてると思ったら道理で……!」
ソロモン
「えっと……ガブリエル。寝てる間に被害が無かったなら、何よりではあるけど……」
「一応、俺達が寝坊しちゃった原因とか、説明してもらえると……」
ガブリエル
「寝坊でも遅刻でもありません。予定通りの、然るべき『充分な休息』です」
「メギド72には、夜間の見張りや食料調達などの雑事を任せないと昨夜、決定しましたね?」
ソロモン
「あ、ああ。俺たちが戦闘と体力の温存に専念できるようにって……」
エリゴス
「昨夜に襲ってきた『影』がメギドなら、あたしらでヤり合うのが無難って、あの話か?」
ガブリエル
「はい。そのため、敢えてあなた達の起床に余裕を持たせるよう取り計らいました」
「世間一般での休日程度の時間を設ければ、疲労を溜め込むリスクも抑えられるだろう、と」
エリゴス
「気持ちはありがてえけど、随分思い切ったなオイ」
「あたしらが寝てる内に『影』が来たら、あの素早さだろ? 起こす間も無く『一撃』だぜ」
ガブリエル
「『影』の特徴からして、昨夜の奇襲から休息に至るまで、再来の機会など幾らでもありました」
「それが無かったという事は……」
ソロモン
「あの奇襲、俺たちが『退けた』んじゃなく、『影』が目的を達して、『撤収』した……?」
エリゴス
「あたしらに『粉かける』のが本命だったって?」
ガブリエル
「我々と、ヴィータほど睡眠を必要としないサルガタナスを交えての結論では」
エリゴス
「ああ、ゲルにサルガタナスが居ないと思ったら」
ガブリエル
「昨夜、バルバトスが発見した『葉』について、夜の内に我々で調査しましたが──」
「あの『葉』も恐らく、『影』の戦術の一環だった公算が強いだろう、と」
ソロモン
「どういうことだ?」
ガブリエル
「『葉』と逃走の痕跡は、森を抜け、アブラクサスへの道中にまで発見されました」
「それこそ、足跡のように点々と」
エリゴス
「アブラクサスに住み着いてる『影』が『葉っぱ』落としながら帰ってったって寸法だな」
ガブリエル
「しかし『影』の襲撃時、『影』が消えたのはアブラクサスと真逆の方角だった」
エリゴス
「え……あれ?」
ソロモン
「影はバルバトスを通り過ぎて、背後の森の中へ消えた。けど──」
「そっちはアブラクサスと逆で、でも『葉』はアブラクサスへ……何かおかしいぞ?」
ガブリエル
「ええ。人為的に折られた木の枝、地面に刻まれた例の靴跡などから経路を図った結果──」
「『影』はわざわざ、森の中を反対の方角へ半周し、アブラクサスへ去っています」
エリゴス
「わざわざ障害物だらけの森の中を大回りして、痕跡残してったってか……」
ソロモン
「一度、森の外に出れば、ここらはキャラバンも通るから例の靴跡も目立たなくできたはず……」
「あくまで『方角を修正してアブラクサスに帰還する』事が目的だったなら──」
エリゴス
「あの速さだ。森を出てから回り込んでも大して面倒じゃねぇはずだ」
「それこそ騎士団が追っかけようもねぇほど、ウンと遠くからでもな」
ソロモン
「アブラクサス帰還直前まで、体に付いた葉を気にしないのも不自然すぎる」
「こうして『葉』を辿られるし、住民の目についたら間違いなく怪しまれる」
エリゴス
「って事は、相手が余程のドジでも無きゃあ……あたしら誘われてる?」
ガブリエル
「恐らくは」
「我々の『読み』が浅かろうと深すぎようと、一点だけ見落とさせないための『目印』として」
エリゴス
「『敵はアブラクサスにあり』か……」
ガブリエル
「あの奇襲はなにか、『懸念』を確かめるための威力偵察であったと推測しています」
「そしてその『懸念』が……恐らくは『取るに足らない』と判断したため、『撤収』した」
エリゴス
「ハルマゲドンの危機は『ついで』ってか。メギドラルらしい話だぜ……」
ソロモン
「じゃあ、向こうには何か『勝算』があると考えるべきか……」
ガブリエル
「あの奇襲の裏に隠された真意が完全には読めない以上、守りに入らざるを得ません」
「これはあくまで私見ですが……相当に『好戦的』な相手のようですから」
エリゴス
「好戦的? 直接戦わないで『仕込み』で敵をオタつかせてる相手がか?」
ソロモン
「いや、言われてみれば、そう考える事もできる」
「奇襲の時、多少のダメージを覚悟すれば、護界憲章を失効できたって事なんだ」
「それに、こんな土地で、アブラクサス以外に『影』の隠れ家があるとは思えない」
ガブリエル
「ええ。たった1つの拠点を晒し、後に攻め込まれるリスクも辞さない態度と受け取れます」
「それに、ヴァイガルドの防衛にハルマが介入している事実……知らずとも想定はできるはず」
エリゴス
「そうかエンカウンター!」
「ハルマ狙うって事は、エンカウンターで返り討ちもらうのも覚悟してるって事か」
「王都襲撃の時にもカマエルがメギドに使ったらしいし……」
ガブリエル
「一応、あの一件でエンカウンターの情報が漏れた可能性は極めて低いと考えられます」
「依然として、不意の侵略に対する『秘密兵器』としての立場を保っているはずですが……」
ソロモン
「万一って事もあるもんな。それにそもそも──」
「エンカウンター覚悟で襲撃したって点は、余り関係ないかもしれない」
エリゴス
「ってーと?」
ソロモン
「例えば、『影』は自分が襲った相手をハルマだと知らなかったとする」
「あるいは正体が幻獣だったりして、黒幕に送り込まれたにしても──」
「『影』……あるいはシュラーは、襲ってきた自分の居場所を明かしてるんだ」
「あの場で皆殺しにも出来たかも知れないのに、誰も傷つけず──」
「それでいて、アブラクサスに『いつでも攻め込んでこい』って」
エリゴス
「言われてみりゃあ、自分から煽って、こっちに準備する余裕まで与えてやがるわけか……」
「考え無しの戦争バカでも同じ事するだろうが、そんなオチ期待する方が筋金入りのバカだしな」
ガブリエル
「シュラーが十中八九メギドである以上、根城であるアブラクサスを囮にする理由も乏しい」
「我々が何者だろうと、一人残らず確実に迎え撃つ、確固たる根拠があると考えるべきでしょう」
「よって、あなた達には有事の備えと、森に出没する幻獣の調査に専念してもらう事としました」
エリゴス
「純正メギドのサルガタナスはともかく、あたしらは念入りにってわけか」
ガブリエル
「提案が出た頃には既にあなた達は休んでいましたので。事後承諾の非礼は謹んでお詫びします」
ソロモン
「いや、気遣ってくれたなら、こっちも気にしないよ」
「(ただ……)」
無意識に腕組みして、少し考え始めるソロモン。
ソロモン
「(……王都の時からの『怪しさ』が、また出てきた気がするんだよな)」
「(俺たちに万全を期して欲しいのは分かるけど……少し慎重過ぎる)」
「(さっきの話、『影の正体はメギドだ』って分かってるような印象だった。それに──)」
「(理由があって休ませるなら昨夜、一度起こして報告してくれても問題なかったはずだ)」
「(まるで俺たちの行動を『狭めよう』としてるみたいな……今は考えても仕方ないか)」
エリゴス
「そう言えばよお、バルバトスは今、どうしてんだ?」
ガブリエル
「バルバトスには急遽『別件』が入ったため、お二人より早くに動いてもらいました」
ソロモン
「別件?」
ガブリエル
「ええ。内容としては……まず、場所が場所なので、『手紙』の受け取りは早朝に行われます」
ソロモン
「『手紙』? ……ああ、潜入組のグレモリー達からか?」
ガブリエル
「はい。潜入組を送り出してから説明した通りに、滞りなく」
エリゴス
「いや、何で説明の初手が『手紙』なんだよ。バルバトスと何か関係あるのか?」
ガブリエル
「先程まで、私が『編集』を担当していました。バルバトスは恐らく今も『解読』を……」
ソロモン
「『編集』に、『解読』……? 何の話だかさっぱり……」
エリゴス
「何か、急に疲れたみたいな顔になってるぜ、ガブリエル?」
ガブリエル
「実は──」
言いかけた所で、騎士が1人、話の輪に飛び込んできた。
騎士ヒラリマン
「ソロモン王、ガブリエル様! 幻獣発見の報が!」
「サルガタナス様は既に準備を整えられていますので、お早く!」
ソロモン
「おっと……分かった、すぐ行く!」
エリゴス
「どこ行っても幻獣ってヤツは話の腰折るのがうめえなあ」
ガブリエル
「こちらの意思疎通など、幻獣の知った事ではありませんからね」
「このための休息でもあります。よろしく頼みましたよ」
「それと、バルバトスはまだ重大な仕事の最中ですので──」
ソロモン
「分かってる。行くぞエリゴス!」
エリゴス
「ああ、任せな。どうせ昨夜と同じネズミ幻獣だろ? 朝飯前で片付けてやるぜ!」
ダレカA
「ここからあとがき?」
ダレカB
「テケテッ、テーレッテ、テッテッテーン♪」
ダレカA
「あいきぇぁ~っち……」
アブラクサス。定例パーティ後の深夜。某所にて。
両手を繋いで向かい合う、シュラーと「秘書」。傍らで「儚げな女」がピアノを弾いている。
儚げな女の牧歌的な旋律に合わせて、シュラーと秘書はオクラホマミキサー的な簡単なダンスを踊っている。
シュラーの手足が、気遣うように優しく秘書を導いている。傍目には、秘書がシュラーにダンスの手解きを受けているような構図だった。
秘書
「あの者たちが、随分とお気に召されたようで?」
シュラー
「ふっ……やはり、君の目は誤魔化せないみたいだ」
秘書
「女の勘とは、恐ろしいものですから」
シュラー
「そのようだね」
「彼女たちは、どうやら特別な『力』と意思を持って、ここを訪れている」
秘書
「だから、どこの馬の骨とも知れない初日の女を受け入れ、戯れたと?」
シュラー
「私から拒む事は無いよ。これまでも、これからも」
「思惑も立場も超えて、私達はアブラクサスの一部なのだから」
秘書
「あなたは……あなたはお優しすぎます」
「女は弱く、故に醜く安寧を貪るのです」
「男という『脅威』を見せつけられ、共存を強いられる限り、決して逃れ得ぬ呪縛なのです」
「あの者たちが隠し持つモノは、必ずやあなたを苛みます」
シュラー
「アブラクサスの友となるか、敵となるかは、これから次第だよ」
「それとも……それも女の勘かな?」
秘書
「勘などと、とても……これは確信ですよ」
「入国審査から、ずっと『見極め』てきたのですから」
「あの中に、確実に1人……居るのです」
「あなたの毒になれど、決して薬にならない、一利も持たぬ女が……!」
シュラー
「……恐れる事はないよ」
秘書
「シュラー様の御元で、恐れるものなどありません」
シュラー
「それは違う。君は今、私を恐れている」
秘書
「何を……!? そんなはずは──」
心外を表すようにビクリとダンスを止める秘書。
ほぼ同時にシュラーがひざまずき、秘書に目線を合わせながら肩を抱く。
ピアノと向き合っていた儚げな女が、背後の光景が見えているかのように演奏を止めた。
シュラー
「君への気持ちは、決して変わることは無い」
秘書
「シュラー様……!」
シュラーを抱き返して応じる秘書。
シュラー
「……疲れたかい?」
秘書
「いいえ。ぜひ、ぜひもう一曲……!」
すかさずピアノが再開される。
立ち上がって再び秘書と緩やかに踊るシュラー。
ダレカA
「ズンチャッチャー、ズンチャッチャー、ズンチャッチャッチャー♪」
ダレカB
「むかーしぃむかーしぃー、ある所にー、お姫様が居ったそうなー」
「お姫様はー、身も心もー、世界の誰よりもー、美しかったそうなー」
「そーんなお姫様はー、それはそれは素敵な王子様と婚約していたそうなー」
ダレカA
「ある日の事、お姫様の元にその王子様が訪れたのでした……ンォッホン」
「おお~愛する姫君よ、今日は貴女に相応しい美しきバラを届けに参った!」
ダレカB
「まあ、私のフィアンセ! この嬉しさを、どうすれば言葉に例えられましょう!」
「なんて美しいバラなのかしら。トゲに触れただけで私の指など崩れ落ちてしまいそう!」
ダレカA
「フッ、とんでもない。貴女の前ではこのバラも、バター塗り忘れた食パンみたいなもの」
ダレカB
「ああ、私のフィアンセ。私をいと高く認めて下さる素敵な人……」
「私はそんなあなたを、世界の誰より愛していますわ」
ダレカA
「そーんなお姫様の国はー、お隣の国とピリピリした雰囲気だったそうなー」
「そしてある夜、お隣の国の王子が、お姫様の部屋の窓辺まで忍び込んできたそうなー」
「ンォッホン……ああ、かつて未来を誓いあった幼馴染よ! どうか無礼を許してくれ!」
ダレカB
「まあ、隣国の王子様! 今宵も私のために、危険を冒してこちらまで?」
ダレカA
「ああボクだ。かつて盃を交わしあった両国も、今や争い合う無常の世……だがしかし!」
「幼き頃、共に駆けた野原を、あの花冠の香りを、私は決して忘れはしない!」
「許されぬ愛となろうとも、世界を敵に回しても、ボクは身も心も君に捧げてみせる!」
ダレカB
「ああっ、何て強く一途なお人……!」
「『好き』を諦めないあなたを、私は世界の誰より愛していますわ」
ダレカA
「しかーし、その日の夜は、隣国の王子との逢瀬を聞いてしまった人が居たそうなー」
「その正体はお姫様に使える執事! ちなみにモチ、イケメン!」
「そんな執事がある日、お姫様の前で……ンォッホン」
「ああ、姫様……何て哀れな一輪の花……!」
ダレカB
「まあ、突然どうなされましたの? 哀しい事など1つもありませんわ」
ダレカA
「良いのです、無理にお隠しにならずとも!」
「世界で誰より愛されているのは、間を引き裂かれた隣国の幼馴染……」
「なのに姫様は、ご両親の決められた国の王子と、望まぬ契りを結ぶ運命なのですね!」
「そんな姫様のお立場を思うと、わたくしの心も哀しみで張り裂けそうで……うぅっ」
「姫様! せめてわたくし、より一層の忠誠を誓います!」
「例え身の程に余るお望みとても、身命を賭して叶えて見せましょう!」
ダレカB
「まあ……私の事を、そんなに思ってくださるなんて……!」
「ありがとう、どうか泣くのはおよしになって。私なら大丈夫」
「私のために涙まで流してくれるあなたを、私は世界の誰よりも愛していますから」
ダレカA
「ん、え……? えっと……ハイ」
「ンォッホン……だーがしかっしー? そんな現場にもう1人……」
「陰からこっそり見ちゃった人物が! 今度はメイドの女の子!」
「『ごく普通の』従者なのにまつ毛フワフワな主人公フェイス!」
「自称ブサイクでもソバカスくらいしか減点要素ないとかのあるあるタイプ!」
「おリボンとか花とか夢とか似合いそうなそんなメイドが立ち聞きしちゃってさあ大変!」
ダレカB
「あらあら、どうしたのかしらそこのあなた?」
ダレカA
「ンォッホン……姫様、あたくし感動しました!」
「姫様が本当に愛していたのは、あの執事だったのですね!」
「許されぬ身分差、それでも打ち明けられた告白、愛に応える姫様……フオまぶしっ」
「こんな卑しいメイドに過ぎない私ですが、何のお力にもなれないあたくしですが……」
「せめて、せめて心の底から、精一杯応援しています! どうか負けないで、姫様!」
ダレカB
「まあ、どうもありがとう、とっても嬉しいわ!」
「精一杯に思ってくれるその健気な心に、どうしたら答えてあげられるのかしら……」
ダレカA
「そんな! 畏れ多いことです姫様!」
「こうしてお仕えして、少しでも姫様の助けになれれば、私は幸せです!」
ダレカB
「ああ、本当に清らかな人……私、あなたを世界の誰よりも愛しています」
ダレカA
「ええっ!? あ、じ、実は私も……い、いいえ何でもありませーん!」
「ンォッホン……と、メイドが去ってった所で、最後の1人がのっそり登場!」
「最初っから最後までずぇんぶ見ていたネットリメタボなおっさんがエントリー!」
「ンォッホン……ぐぇ~っへっへっへぇ! 見ちまったぜ~姫様よぉ!」
ダレカB
「あら、あなたは、いつも庭を手入れしてくださる庭師さんですわね」
「この部屋から見える花園を毎日お世話してくださるお優しいお方」
ダレカA
「ぶひょっひょっひょ~! 誰が優しいもんかよぉ」
「俺様はお前を脅しに来たタダのロクデナシさ。お前と同じクズだでよぉ!」
「お前ほど言葉の薄っぺらい尻軽女は、こんな俺様ですら見た事ねぇ!」
ダレカB
「あらあら、わたくしったら、まだまだ言葉遣いが不躾でしたかしら……」
ダレカA
「未熟も何も、バカの一つ覚えみてぇに同じセリフの繰り返しじゃねえか!」
「どいつもこいつも片っ端から『世界の誰より愛してる』なんて誑かして!」
「さっきの奴らにバラしたら、あいつらがどんな顔するか見ものだぜ!」
「ぐぇっへっへ、バラされたくなけりゃおとなしく──」
ダレカB
「まあ、私の愛する人たちとお話に? ぜひ、歓迎致しますわ♪」
ダレカA
「へ?」
ダレカB
「今日はもう夜も遅いですから、明日にでも私から皆さんにご紹介します!」
ダレカA
「お、おいおい姫様、話きいてたのかよ!?」
「俺様がお前のセリフを言いふらしても良いってのか?」
ダレカB
「ええ。どんなお話でも、あなたの心のままに打ち明けるのが一番です」
ダレカA
「ひぇ~、どうかしてるぜこの姫様……」
「もしかしてお前、ただ見境ないだけじゃないのか?」
「脅しに来た俺にまで『愛してる』とか抜かすつもりじゃないだろうな?」
ダレカB
「当然ですわ。愛を込めて育てるからこそ、花は美しく育つと聞きます」
「日々か弱い花々を守り、私に見せてくれる景色こそがあなたの心……」
「あなたの美しく、そして健気な心を、私は世界の誰よりも愛しています」
ダレカA
「えぇい、ウソこくでねぇ! 誰にも同じこと言ってるクセに!」
「お前で無くたって、誰でも花くらい褒めそやすさ! けどなぁ!」
「その脇に俺様が立ってるだけで、途端に皆『くっさい』顔しやがるのさ!」
「親も俺様みたいな家族はイヤだって、金を払ってまで俺様を捨てやがった!」
「お前は花しか見てねえから、ンな『うっすい』事が言えるんだ!」
「良いトコ育ちの姫様の目には、身も心も醜い俺様なんか映らねぇんだよ!」
ダレカB
「そんな事はありません。わたくしには、愛するあなたが確かに見えています」
ダレカA
「『愛してる』なんて簡単に言うんでねぇ!」
「だったらお前、愛する俺様が『この場で裸になれ』って言ったら脱ぐか!?」
ダレカB
「はい。わたくしを恋のお相手に認めて下さるなんて、とても嬉しい事です」
「情熱的なお心には、同じく誠意ある情熱で……(あヌ~ギヌ~ギ)」
ダレカA
「うわっ、おい、やめろってバカ! 人に見られたら俺様の首が飛んじまう!」
「くそ、マジでイカレてるぜ、この女……おい、だったらよお!」
「『誰より』ってのはどういう事だよ? 誰にでも『誰より』とか言いやがって」
「誰でも『誰より』愛してるなら、その『誰より』ってダレカはどこに居んだ?」
ダレカB
「それはもちろん、この世界中のあらゆるダレカですわ」
「生きとし生ける全ては気高く美しく、私は全てを心から愛しているのです」
ダレカA
「おいおい、真顔で何言ってんだ、俺様もう笑えば良いのか怖がりゃ良いのか……」
「全部を誰より愛してるなんて、そいつぁもう、全部を──」
秘書
「ピーチクうっせんだよ磨り潰されてぇかぁッ!?」
突如、秘書が部屋の物陰に向かって恫喝を投げた。
その容姿に似合わず甲高く、しかしドスを効かせに効かせた、場末のチンピラさながらの声音だった。
一緒に踊っていたシュラーも恫喝の先……取り立てて何もない空間に視線を向けた。
シュラー
「どうかしたかい?」
秘書
「い……いいえ、急に声が聞こえたものですから」
シュラー
「そうかい? 私には何も」
秘書
「シュラー様が仰るなら、きっとただの幻聴でございます」
「まだ……まだ私の心の傷は、癒えていないのでしょう」
シュラーへ歩み寄り、しなだれかかる秘書。
秘書
「やはり、今宵の私は疲れているのかもしれません」
「ここ数日、あなた様と『離れて』ばかり……胸が痛むばかりです。どうか今日こそは……」
シュラー
「……分かった」
シュラーが囁くように答えるのとほぼ同時、儚げな女がピアノから立ち上がり、歩き出す。
円形の間取りの内周に、段差1つを隔てた扉……昼頃に秘書がハルファスを諌めた時に立っていた、例の扉へと向かう。
シュラー
「では、今日はもう休もう」
秘書の手を雛鳥のように包み、エスコートするシュラー。
儚げな女が2人の道筋を先導する。
シュラー
「けれど、くれぐれも忘れないで欲しい。『のめり込む』事は君のためにならない」
「かつて、私は君の心を繋ぎ止めるために『そうした』」
「だが、『これ』はきっと、本来なら君には──」
秘書
「どうか、仰らないで」
秘書が、自らの手を引くシュラーの腕を抱きしめ、体重を預けた。
上等なクラシックに浸るように目を閉じて、恍惚と語る。
秘書
「女は……女は弱く、醜く、恐れを消し去る事だけ求めて生きるのです」
「歳も、力も、同じ女だろうと関係ありません。あなた様のような方なくしては……」
シュラー
「……そうだね」
「無粋な心配だった。不安にさせて、済まなかった」
秘書
「とんでもない。私はただ、ただ一言だけ……」
「『いつも』のように、『あの言葉』を、聞かせて下さればそれで……」
シュラー
「もちろん」
儚げな女が先に扉を開け、二人の入室を迎えた。
扉の向こうでは、いっそ悪趣味なほどに「いかにも」なヴェールや装飾を施された上等なダブルベッドと、ベッドの向こうの壁にかかる肖像画が目を引く。
二人が立ち入る事を「お見通し」だったかのように桃とも紫ともつかないアロマが焚かれ、燭台を色付きの薄絹で隔てるようにして、柔らかく妖艶な間接照明が部屋を照らしている。
王宮に掲げるような巨大な肖像画には、人の心に染み込むような艶めく笑みを浮かべたシュラーが描かれていた。描き手の心血が滲むような、観る者に生々しく妖しいまでの迫力を覚えさせる怪作だった。
そして何より、部屋一面、装飾と備品と足の踏み場以外、全てを耽美で覆い隠さんとばかりにバラが生い茂っていた。
扉の敷居を、シュラーと秘書が二人並んで同時に跨いだ。
それと同時、シュラーは腕の中の秘書を少し強く抱き寄せ、その耳元へ吐息をたっぷり含ませて、囁いた。
シュラー
「……『君は美しい』」
二人の入室を見届けた儚げな女が、扉に慎ましく手をかけ直した。
儚げな女
「では、ごゆるりと」
撫でるように静かに扉が閉じられ、夜の世界が隔てられた。