DUNGEONS & LIARS - 迷宮が暴く君の嘘 -   作:日下部慎

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第91話『クラマ#14 - 死闘』

 天井が崩れて空が開け、瓦礫にまみれた部屋。

 大きめの瓦礫に腰かけていたワイトピートは立ち上がって、僕の到来を歓迎した。

 

「おめでとう! この戦いはきみたちの勝利だ!」

 

 彼は両の手を打ち合わせる。

 ……が、自身の左手首から先がないのに気づいて肩をすくめた。

 それから彼は改めて口上を述べる。

 芝居がかった仕草で、大仰に。

 

「ダンジョン探索を餌に呼び寄せた冒険者! 強制的に召喚した地球人! 彼ら罪なき人々を、法の目の届かぬ地下深くで捕まえ、奴隷に仕立て上げる……このような悪辣な計画を指揮した稀代の大悪党が! ここにこうして成敗されたのであった……!」

 

 そう言って、ワイトピートはヒウゥースの生首をゴロリと床に転がした。

 サーダ自由共和国評議会議長ヒウゥース。

 この街で起きた事件の黒幕。

 彼が一体どのような顔で断末魔を迎えたのかは分からない。

 なぜなら、僕が床に転がった生首に目を向けていないからだ。

 ワイトピートから僕は目を逸らさない。

 

「どうしたのかね? 敵の大将首だよ。こいつを取りに来たのではないのかね?」

 

「そいつはもう必要ない。なんなら逃げられたって、べつによかった」

 

 僕がここに来たのはヒウゥースを捕らえるためじゃない。

 目的は目の前の男、ワイトピート。

 この男に会うために、わざわざ床をぶち抜いてやってきた。

 ワイトピートは僕の言葉に苦笑を返す。

 

「いやはや、つれない男だ。私もここまで相手にされなくて参ったよ。あれだけ冒険者がひしめく中に入り込まれては、さすがの私も手出しできないね」

 

 この男のやりたいことなら予想できる。

 そこから僕は先読みして、彼の行動をすべて潰してきた。

 

「しかし必要もないのに一人でここに来てくれたということは……ふむ。これは……私の誘いを受ける気になったと考えて良いのかな?」

 

 ワイトピートの期待の眼差し。

 僕はそれに答えよう。

 

「……この後、正騎士の盾の通信魔法を使って、ここで行われてた出来事を全世界に暴露する段取りになってる」

 

「ほう……!」

 

 そして提案する。

 

「その場で、このヒウゥースの死体を映して……ラーウェイブの侵略を受けたと報道したらどうなるだろう?」

 

 ワイトピートは嬉しそうな笑顔を見せた。

 

「ん! んんんんっ……悪くない! はは、悪くないな! それはいい! それはひどい裏切りだ!」

 

「楽しそうだろう? 逃げるのが大変だけど」

 

「ううむ、足さえ用意できれば……ああしまった、気球が壊れていなければなあ」

 

 彼はペシッと自分の頭に手を置いた。

 いや、壊れていなければ……って。

 

「え? 壊したの?」

 

「いやははは、違うんだよ。暇潰しに遊んでいたら壊れてしまってね……不良品を置いていたヒウゥースが悪い! こらっ、お前だぞ! 聞いているのか? このこのっ!」

 

 と言って彼は、床に転がった生首の傍にしゃがみ込んで、ゴツゴツと拳骨を打ちつけた。

 

「はは、しかしなんとかなるさ。きみと私の二人なら」

 

「ああ……残念だなあ。本当に(・・・・・・・・・)……本当に、残念だ(・・・・・・・)

 

「………………」

 

 ワイトピートはすっと立ち上がる。

 無邪気で楽しげな空気は、風に流されたように消え去っていた。

 

「……なるほど、心は決まっているようだね」

 

「迷っていたよ。……ついさっきまではね」

 

「そうか……」

 

 彼は嘆息して、物悲しげに空を見上げた。

 

「人にフラれたのは初めての経験だ。悲しいものだな」

 

「……………」

 

「脈はあると思ったんだがね。私の思い違いだったかな」

 

 ……ああ。

 本当のことを言うならば。

 僕はべつに、この男のことが嫌いじゃなかった。

 その堂々とした、うさんくさい語り。

 頼れる実力と存在感。

 好きになってしまいそうだから、反発した。

 嫌悪しようと努力した。

 

 僕は決別するように告げた。

 

「ああ、だから今日はお前を殺しに来た」

 

 この男を放っておくことはできない。

 たとえ今回は諦めて退いたとしても、いずれ必ず、最悪のタイミングを見計らって現れる。

 パーティーの皆のために、こいつはここで息の根を止めておかなければならない。

 

 僕がここに一人で来た理由はそれだ。

 この男は生かしておけないが……しかしあまりにゲリラ戦闘に通じすぎていて、まともにやったら捕まえられない。

 仲間を連れて来ると逃げられてしまう。

 だから一人で戦う必要がある。

 そして、決着をつけるのに都合のいい舞台が用意されている今この時が、この男を倒す唯一のチャンスだったのだ。

 

「ふたつ、疑問がある」

 

 ワイトピートは静かに口を開いて、僕に訊いた。

 

「きみの破滅を求める衝動はいつまでも抑えられるものでもない。それは、きみ自身も分かっているのではないか?」

 

 的確だ。

 この男の言葉は、いつでも僕の胸の内に突き刺さる。

 

「予言しよう。ここで私を消したとて、やがていずれは、きみ自身が私と同じ存在となるだろう」

 

 ああ……。

 そうだな。

 そう思うよ、僕も。

 だけど、それでも僕は――

 

「……僕は地下深くで、おかしな男と遭った」

 

「ほう、それは?」

 

「彼は魔法で体を乗り換えて、普通じゃ考えられないほどの永い時を生きてきた。そいつは僕らによく似ていたよ。自分以外の人間への共感が薄く、非道な行いにも罪悪感がない」

 

 “陽だまりの賢者”ヨールン。

 おそらくあれは、後天的に僕らのような人間に変わっていったものだ。

 僕はワイトピートの返事を待たずに、畳みかけるように言う。

 

「それに、僕の生まれた世界じゃ、この症状にもいくらか研究が進んでる。他者の感情への共感性の欠如……でもこれは、欠如といっても完全にゼロってわけじゃない。明確な線引きはない……健常者との違いなんて、程度の差でしかないんだ」

 

「ふむ……それで?」

 

 思案しているようなワイトピートの様子。

 僕はそれに向かって、まっすぐに告げた。

 

「だから僕も変われるはずだ。いや、変わってみせる」

 

 僕の出した結論。

 決意の言葉。

 これに対してワイトピートは……驚くほどの即答でもって返してきた。

 

「無理だ。人は変わらない」

 

 にべもなく否定される。

 僕はすかさず反論した。

 

「そんなはずはない。これまで僕はこの街で、いろんな人が変わるのを見てきた」

 

 自分の殻に閉じこもるのをやめて、前に進みだした三郎ことニシイーツ。

 親しい人を守るために自分から行動を起こせるようになったメグル。

 他人の価値観も考慮することを始めたディーザ。

 彼らだけじゃない。出会った時からすれば、皆それぞれに変わってきている。

 

 だが、ワイトピートはふるふると首を振った。

 

「では聞くが、きみはほんの少しでも罪悪感を抱いたことがあるのかね?」

 

「………………」

 

 答えられなかった。

 ワイトピートが吐く言葉のナイフは、やはり僕の胸に鋭く刺さる。

 

「人間の本質というものは、そう簡単に変化したりはしない。変わったように見えているのは、元からその人間が持っていた別の側面が顔を覗かせているだけだ」

 

 僕は返す言葉に詰まったまま、ワイトピートの講釈を聞く。

 

「きみが出会った男というのは、どれだけの時間をかけて変わった? きみはそんなに長生きするつもりかね?」

 

「……お前は変わろうとしたのか?」

 

 ようやくの思いで捻り出したこちらの返しに、ワイトピートは自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

 

「ふ……この私にも若い頃はあったということさ」

 

 意外だ。

 この男にも自分を変えようとした時期があったなんて。

 ……つまりはこれは、実体験からの忠告ということだ。

 今の僕のように自分を変えようとして、しかし変われなかったものが、目の前にいる男なのだと。

 

「……お前の言うことが、たぶん正しいんだろう」

 

 認める。

 実際、それは確かにそうだ。

 自分を変えたい、変わりたい……なんて。

 そんな簡単に変われるのなら苦労はしない。

 

 でも、たとえそうだとしても。

 

「僕とお前は違う」

 

 僕は強く断言した。

 これにはワイトピートも驚いたように目を剥く。

 

「ほう! 私には出来なかった事が、きみには出来るというのかね?」

 

「僕じゃない。お前と僕とじゃ、環境が違う」

 

「環境?」

 

「ああ。ついさっき、聞いてみたんだ。僕の仲間にね。僕が裏切ったらどうする? ……って」

 

「……それで?」

 

 僕は一拍の後、答えた。

 

「それもいいかも……ってさ」

 

 その言葉にワイトピートの表情が目まぐるしく切り替わる。

 明らかな動揺。

 この男が演技でなく驚いた顔を見せるのは初めて見る。

 以前に僕が倒れ込みながら彼の足首を掴んだ時も、こんな顔をしていたのだろうか。

 しばらくして彼は普段通りの落ち着きを取り戻し……そして慎重に言葉を選ぶように、その口を開いた。

 

「ほう……それは……なんともそれは……………台無しだね」

 

「だろう? 参ったよ。こんなんじゃあ、彼女たちを裏切ったところで何も楽しくないからね」

 

「クッ……くく……ははは……そうか……うむ、そうかそうか。なるほどな……」

 

 ワイトピートの苦笑。

 それはとても苦々しい、本当に苦くて苦しそうな笑みだった。

 

「そうか……仕方があるまい。それでは私はきみを殺して、その首を晒すとしよう。たとえきみたちの計画が成就しようとも、きみが生きて戻れなければ、この街すべての者達にとっては悲劇となるだろう。フフ……悲劇の英雄として語り継がれるかもしれないね?」

 

 言い終えた彼は、どこか吹っ切れた様子だった。

 これで彼が僕を殺す理由も出来たかな?

 とはいえ、だからといって僕は殺されるわけにはいかない。

 死にはしない。

 殺すのが僕。

 死ぬのは奴だ。

 

「ついでに言えば、自分を変える方法にひとつアテもあるしね」

 

「そうか」

 

 素っ気なく返される。

 もはや他の出来事に関心はなさそうだった。

 後は殺し合うだけだと、彼の纏う気配が言っている。

 

「最後に、もうひとつの疑問を尋ねよう。きみは――私に勝てるつもりかね?」

 

「ああ、勝つよ」

 

「ふははッ! よく言った! ならば証明してみたまえ……今、ここで!」

 

 言われるまでもない。

 僕は槍を構えて突撃した!

 

 この男に対して、先手を許してはいけない。

 初動の気配を消す独特の技能。

 また、これまで数えきれないくらいに人を殺してきた経験による、戦術の引き出し。

 そんなものは僕には対応できない。

 なら、採れる対策はひとつ。

 先手必勝だ!

 

「ふっ――はあっ!」

 

 遠慮はしない。

 一撃で殺せる全力の突きを放つ!

 

「ふんっ!」

 

 弾かれる突き。

 ワイトピートが横に薙いだサーベルによって、僕の突きは流された。

 だが、まだだ。

 譲らない。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 弾かれたのを弾き返す!

 それで終わらない。

 すでにジャガーノートでの筋力強化は終えている。

 僕は息をつかずに動いた。

 切り上げ! 払い!

 そして――三段突き!

 

「ぬうおおおっ!? ノッているな今日は!」

 

 疾風怒濤の攻めだが、しかしまだワイトピートには届かない。

 未だ軽口を叩く余裕がある。

 なら――回転を上げろ!

 もっと速く!

 もっと強く!

 

「う、お――おおおおおおおおお!!!」

 

 奔る黒光!

 漆黒の宝槍は縦横無尽に駆け巡り、嵐のように荒れ狂った!

 

「ぐ、ぬ――!?」

 

 ワイトピートの顔から余裕がなくなる。

 まだだ!

 畳みかけろ!

 腕が千切れてもいい。

 止まれば負ける。

 僕の技量で打ち倒せるチャンスは、今、この時だけ。

 全身全霊、全ての力をもって攻め続けろ!

 

「は――あ――あああああああ――!!」

 

 三段突き、五段突き、さらには石突での叩き!

 イエニアとの稽古で培った、今の僕が持つありとあらゆる手段をもって、相手に主導権を譲らず攻め手を継続し続ける!

 

 過剰な筋肉の酷使。

 無理矢理な体捌き。

 肉体は悲鳴をあげている。

 筋肉はぶちぶちと裂ける。

 骨はびきびきと軋みをあげる。

 

 そんなのは知ったことじゃない!

 奔れ!

 回転を上げろ!

 もっと強く! 速く! 奔れ奔れ奔れ奔れ死ぬまで走れ!! 止まらずに走り続けろ!! 奴の息の根を止めるまで絶対に休むんじゃない!!!

 

 ジャガーノートのおかげで痛みは感じない。

 体は動く。

 動かせる。

 動く。のだけれ、ど――

 

「は――は――ッ――く、あ――ああ――――」

 

 苦しい。

 苦しい!

 苦しい苦しい苦しい!!

 なんで魔法で苦しさは消せないんだ!!

 

 この苦しさには覚えがある。

 圧倒的に足りていないのに、むしろ逆に破裂して爆発しそうな苦しさ。

 酸欠だ。

 息が――呼吸がしたい。

 肺……肺が……爆発する……!

 

「あ――くお――――お――――!!」

 

「ぐぅ、ぬぅぅぅぅっ……!」

 

 もはや何度打ち込んだかも分からない。

 黒槍を振るい攻め続ける僕。

 サーベルで捌き続けるワイトピート。

 どちらの肉体がデッドラインを越えるかのマッチレース。

 いつまでも続くはずもない。

 まるで膨らみ続けた風船が臨界を迎えるように。

 前触れもなく、終わりの時は訪れた。

 先に根を上げたのは――

 

「ぬお!?」

 

 半分に折れたワイトピートの剣が宙を舞う。

 やはり。最初に使っていた剣とは違う。適当に調達した予備の剣では、この槍の重さは受け止めきれない。

 敵は武器を失った。

 この機を逃すはずもない。

 僕は最後の一撃を繰り出す!

 

「死ねっ―――!」

 

 ありったけの力を込めた突き刺し!

 いびつな黒い切っ先は、標的の肉を深々と刺し貫く!

 

 ……が、外した。

 貫いたのは相手がブロックするように掲げた左腕。

 これでは致命傷にはならない。

 

「ぐううっ!」

 

「ちいっ……!」

 

 最後の一撃は外した。

 ならどうする?

 もう一度だ!!

 何度でも刺し貫いて殺してやる!

 

「お――おおおおおおっ!!」

 

「くっ、ぬおおおおおぉぉっ!?」

 

 ワイトピートは倒れ込むように地面を転がって躱した。

 しぶとい……!

 いいかげんに死ね!

 

 ザグッ、と再び肉を抉る感触。

 刺し貫いたのは頭部!

 

「う……それ、は――」

 

 違う。

 頭は頭でも、それは――ヒウゥースの頭部。

 こいつ、地面に倒れ込んだのはこれを拾うため……!

 

 そこで僕の目は捉えた。

 槍の刺さったヒウゥースの頭の後ろ。

 にやりとほくそ笑む、ワイトピートの口元を……。

 

 まずい――!

 

 僕は槍を引き戻す。

 だが、もう遅い。

 真正面から忍び寄る歩法。

 死を運ぶステップで、青眼の死神はするりと間合いの内側に滑り込んでくる……!

 

 ワイトピートの手が伸びる。

 避けられない。

 打撃じゃない。組みつき……!

 

 僕の襟首を掴んだ瞬間、ギュルンと回転して僕の背後をとったワイトピート。

 絞め技!

 僕は腕を上げて首を絞められるのを防……いや違う!

 こいつはベギゥフじゃない!

 格闘家じゃない!

 瞬間的に僕の脳裏をかすめたのは、剣を首に突き刺され、ひねり込まれて胴体から首を切り離された大型獣の姿――

 

「う……ぉおあああああああッ!!!」

 

 防がず、跳んだ。

 全力で地を蹴って、背後へ。

 背中にいる男に向けて全力で。

 

「ぬう――ぐぅっ……!?」

 

 ワイトピートは踏ん張りきれず、背後の壁に激突!

 カラン、と金属が落ちる音が響いた。

 一瞬の機転で忍び寄る死を回避することができた。

 しかし後ろから耳元に届いてくるのは、余裕の声。

 

「ふ……やる、ねぇ……だが、それでどうなる?」

 

 ワイトピートは意に介さず、そのまま僕の首に手を回し、締め上げてくる!

 

「ぐ……あ……あ、ぁ、が……っ!」

 

 僕は首に回った腕を引き剥がそうとする。

 だが……だめだ、これは……!

 隙間が……ない。

 抜けられ……まずい、意識、が……………

 

 

 ……意識が薄れる。

 

 ……力が抜ける。

 

 だが、それがどうした?

 動くのをやめる理由にはならないはずだ。

 駄目でもあがけ。

 僕にはできる。

 僕はこれまでもそうしてきたし……これからもそうあり続ける。

 あがいて、あがいて、あがき続ける。

 命の灯が消える、その瞬間が訪れるまで。

 

 

「ぐ、ぬぅぅぅ……っ!?」

 

 その苦悶が微かに耳に届いた。

 ……気付けば首の拘束が緩んでいる。

 僕は残った力を掻き集めて、ワイトピートの拘束を振り切った!

 

「っ、がはっ……! ぜ……ゼヒュっ……ふ、は、はあぁぁぁーーーーーーーっ……!!」

 

 倒れ込んだ僕は、無我夢中で呼吸する。

 とにかく思いきり息を吸って、思いきり吐いた。

 酸素が血流に乗って全身に行き渡る。

 脳を覆った煙が吹き飛ばされて、霞んでいた思考が澄み渡っていく。

 

「はーーーーっ、はぁぁああーーー……はーーーー、はーーーー……」

 

 全力で呼吸を整えながら、僕は横顔を上げて覗き見る。

 ワイトピートは?

 どうしている?

 なぜ何もしてこない?

 

 答えはすぐに分かった。

 ワイトピートは先程の場所から動かず片膝をついて、額いっぱいに脂汗を滲ませ、苦悶の表情を浮かべている。

 その手は、胸のあたりを押さえていた。

 

 理由は分からない。

 分からないが……奴はおそらく、僕がここに来る前から胸にダメージを受けていた。

 暴れた僕の肘か何かが、その上に重なったんだろう。

 

「く、う……ぬぅんっ……!」

 

 それでもワイトピートは立ち上がる。

 まずい。

 こっちはまだ息が整ってない。

 時間を稼がないと……!

 

 僕は近くに落ちていたヒウゥースの頭をワイトピートに投げつけた!

 

「ふんっ!」

 

 裏拳で叩き落とされた。

 まだだ。どんどん投げつけろ!

 

「そらっ! くらえ!」

 

「むおっ!? くっ……!」

 

 瓦礫、食器、壊れた金具……。

 手近にあるものを手当たり次第に投げつける!

 

 古来より、投擲というものは戦場において最も戦果を挙げてきた攻撃手段だった。

 質量がそのまま威力に変わるために、防ぎにくい。

 戦場では避ける場所もない。

 そして今、ワイトピートは起き上がるのにも苦労してる状態。回避はできない。

 

 投げる! 投げる! 投げる!

 僕の狙い通り、ワイトピートはその場に釘付けになる。

 腕を上げて防いでいるが、その腕にもダメージは蓄積していく。

 ……が、手元に投げられるものが尽きてしまった。

 

 ワイトピートはその隙をついてきた!

 

「おおおおおおおっ!」

 

 駆けてくる!

 一直線に!

 もう走れるのか!?

 

 どうする?

 相手の走る速度は遅い。

 迎え撃つか?

 ……いや!

 

 僕は下がった。

 下がりながら場所を移して、投擲を継続!

 ワイトピートの手を逃れた僕は、その辺にある調度品を掴み取って、投げつけ続ける!

 

 間違ってないはずだ。

 こいつに攻撃の機会を与えるという選択は有り得ない!

 それに向こうは左腕を槍で貫かれてる。

 投擲を防ぐのにも右手しか使っていない。

 応急処置をしなければ、奴の腕からは血は流れ続ける。

 つまり今、この状況では、時間をかけるほどにこちらが有利になる――!

 

 僕はそのまましばらくの間、ワイトピートから距離を取りながら投擲を続け……

 

「……?」

 

 なんだ?

 おかしい。

 なにか……おかしいぞ。

 

 僕は違和感の正体を探る。

 目を凝らしてワイトピートを見る。

 これは……いや……いや、まさか……。

 

 僕は投擲を止めて、口を開いた。

 

「血が……止まってるのか?」

 

 にやりと、ワイトピートは口元を歪ませた。

 

 こいつ――!

 

「ははは、バレてしまったかね。そう、こうして脇を締めて力を込めると……血管を閉じる事が出来るのだよ。なかなかコツが要るがね。隠れて止血剤をつけていたのも、気付かなかったようだね?」

 

 そう言ってワイトピートは、両手を広げて肩をすくめてみせた。

 し、しまった……!

 気付くのが遅れた理由は明白。

 床、そしてワイトピートの服が最初から血まみれだったからだ。

 おそらくヒウゥースのものであろう血痕。

 元から真っ赤に染まっていたから、腕から血が滴り落ちてない事に気がつけなかった。

 

 まずいぞ。

 回復する時間を与えてしまった……!

 

 ワイトピートは半身になって構える。

 

「フフ……さあ、ここからは楽しい時間の始まりだ」

 

 ――来る!

 と思った瞬間、すでに目の前まで踏み込んできていた。

 拳が視界いっぱいに広がる!

 激しい衝撃!

 突き出された拳に顔面を打ち抜かれた。

 

「くっ、ぁ……おぐっ!」

 

 続いて腹部に衝撃!

 強烈な膝蹴り!

 だ、駄目だ……見えない。

 こいつの攻撃は反応できない。

 なら無理にでも行くしかない……!

 

「ふ――」

 

 まず裏拳で距離を離す!

 当然これはスウェーで躱される。

 

「はああっ!」

 

 ……からの後ろ回し蹴り!

 上体がのけぞっている今、これを躱すことは――

 

 だが、躱された。

 あまつさえ、避ける動作と同時に、カウンターの蹴り上げが飛んでくる!

 

「が……!」

 

 意識が飛ぶのだけは、かろうじて押し留めた。

 しかしそれで終わらない。

 烈火のごとき怒涛の連撃が襲い来る!

 僕は両手のガードを上げて、亀のようになって耐える……!

 

「く……ぁ……っ……!」

 

 つ……強い。

 休みのない連打なのに、どの一撃も重く、体の芯に響いてくる。

 それでいて隙も見せない。

 さっきからガードの奥から反撃の機会を窺っているが……こちらの正面を向く瞬間が極端に少ない。

 分かっているからだ。僕が狙うとしたら、奴の痛めた胸部しかないと。

 半身に構えたのもそういうこと。

 そして、さっきから打撃しかしてこないのもそうだ。

 掴まれてグラウンド勝負に引きずり込まれるのを避けている。

 こっちの手が届かない距離で戦い、確実に勝つ算段だ。

 おかげで僕は未だに立っていられるが……このままでは、じわじわとなぶり殺しにされてしまう。

 

 ……実は反撃のチャンスは、すでに見つけている。

 向こうは左腕を使えない。

 だから連携の中で、左手を使うべき所で次の攻撃が遅れる。

 

 じゃあ、その一瞬の隙をついて攻めに転じる?

 ……いや、そんな事は向こうも分かってる。

 おそらく……そこに踏み込んだ時が、僕が死ぬ時だ。

 動ける瞬間に僕がするべきこと。

 それは……

 

「……?」

 

 ぴたりと。

 不意にワイトピートの攻撃が止んだ。

 ……なんだ?

 打ち疲れたのか?

 

 見ると、ワイトピートはこちらと間合いを外して、正面からこちらを見て立っている。

 奴は余裕の笑みを浮かべて言った。

 

「いやはや、大した反応だ。どうやらこちらの初動は見えていないようだが……すべてポイントをずらして、直撃を避けている。あの時、私の突きを金属片で受け止めたのも……まぐれではなかったわけだ」

 

 たしかに、攻撃を受ける直前だが、向こうの攻撃は見えている。

 それにジャガーノートの筋力強化が合わさって、ぎりぎりで反応できていた。

 

「それだけ見えているのなら……当然、私の隙も見えているだろう。それでも反撃して来ないのは……」

 

 そう言って、奴は悠々と部屋の中を歩いていく。

 こいつ……まさか……!

 

「フッ……きみの狙いは、これだね?」

 

 ワイトピートが拾い上げたもの。

 それは――ティアの黒槍。

 気付かれた……いや。

 見られたのだ。こちらの目の動きを。

 

 ワイトピートは手にしたそれを振りかぶり……

 

「ふんっ!」

 

 大きく外へ放り投げた!

 黒槍は壁を飛び越え、崩れた天井から敷地の庭へと消えていった。

 

 ――今だ。

 今しかない。

 

「むっ……!?」

 

 僕は駆けた!

 奴が槍を放り投げた隙に、一直線に……

 

 

 出口へと。

 

 

「なにッ!? まさか逃げるつもりかね!?」

 

 背後から聞こえてくる驚きの声。

 僕はそれを振り切ってひた走る!

 ワイトピートを倒せるチャンスは失われた。

 ならばもう、こうするしかない。

 

 部屋を出て通路へ。

 人の姿は見えない。

 遠くから人々の争う喧噪が聞こえる。

 ――そして、後ろの方からは死神の足音も。

 

「ははははははッ!! きみは本当に笑わせてくれる! よォし、追いかけっこだッ!!」

 

 走りながら後ろを見る。

 ……速い!

 これじゃすぐに追いつかれる!

 

「そんなに遅いのでは、すぐに追いついてしまうぞォ~!? 頑張りたまえよ、我が友よ!」

 

「うるさい! 友達じゃない!」

 

 僕は腰から銀の鞭を抜いて、走りながら後ろに向けて振るう!

 ……が、それは難なくキャッチされてしまった。

 

「んん~? これは私へのプレゼントかな?」

 

「くっ……!」

 

 銀の鞭を手放し、走る!

 全速力で走る。が……

 

 曲がり角まであと数歩というところ。

 一瞬だけ背後に目を向けた僕の視界に広がったのは――宙を舞う男、その靴の裏。

 飛び蹴り――!

 

「ぐあっ!!」

 

 避けることもできずに、僕は強烈な跳び蹴りを受けて吹き飛ばされた!

 吹っ飛び、壁に叩きつけられる!

 

「あ……が、ぁっ……!」

 

 全身がバラバラになったような激痛。

 僕はのたうち回りたい気持ちを押さえて、必死に立ち上がろうとする。

 そこにワイトピートの声が届いた。

 

「――ふむ。ひとつ尋ねるが」

 

 なんだ。

 こんな時に。

 僕は痛みで返事もできない。

 

「きみは、身体強化の魔法が切れているね?」

 

「―――――――――」

 

 気付かれた……か。

 この……土壇場で………。

 

「フフ、それは分かるさ。走るスピードが遅すぎたからね。……ああ、苦しいだろうから答えずともいいよ。魔法で抑えていた痛みも、戻ってきたのだろう?」

 

 くそ。

 ああ、ご明察だ。

 無理に酷使した上、全身を強く打ちつけられて、もはや僕の体は全身痛覚発生装置になってる。

 あまりの痛みに今にもゲロ吐きそうなくらいだ。

 

「はーーーーーーー、はーーーーーーーー……はぁぁぁぁーーっ……!」

 

 それでも立ち上がる。

 立ち上がらないと。

 痛みは無視する。無視しよう。

 できる。

 僕ならできる。絶対に。

 

 

 

 

 

 ここが最後だ。

 

 最後の最後の終着点。

 

 動けないなんて泣き言をいうな。

 

 帰ったらレイフの胸に抱きついて甘えよう。

 

 パフィーに添い寝と看病をしてもらうんだ。

 

 無事に帰ればイエニアもお風呂で洗いっこしてくれるはず。

 

 ……だから動いてくれよ? 僕の体。

 

 

 

 

 

「オクシオ・イテナウィウェ……」

 

 呟いた。

 ぼそりと小さく、ジャガーノートの詠唱を。

 

 ――ここだ!

 

 僕はありったけの力を大腿筋に注いで、思いきり前に踏み出した!

 顔を上げれば、目の前には驚愕に目を見開いたワイトピートの顔があった。

 

 そう、僕には奴の攻撃が来る時が分からない。

 ならどうするか?

 答えは先手を取る。あるいは――

 絶対に向こうが攻撃をしてくる時を作り出す。

 

 そして決まった。

 完全に虚を突くタイミング。

 奴は僕の詠唱を聞いて向かってきた。

 そこを狙い撃った、誘い込みのカウンター!

 

「くらえっ――!!」

 

 ワイトピートの胴体。

 その中心へ向けて、まっすぐに拳を打ち出す!!

 カウンターの直拳は吸い込まれるように標的へ向かい――

 

 

「取った。と、思ったのかね?」

 

 

 耳元に聞こえる、その囁き。

 僕の放った拳は……届いていなかった。

 肘のあたりを掴まれ、止められている。

 

「悪くはない。悪くはなかったが……それをやってきた者は、過去に何人もいたよ」

 

 優しい声色が響く。

 そして同じように優しい手つきで。

 ごきり、と。

 僕の腕が折り曲げられた。

 

「あ――が、ぁぁああっ……!!」

 

 激痛。

 悲鳴。

 その結果。

 自分の手で作り出した結末に、男は満面の笑みを浮かべる。

 

 

 だが、その顔が凍りつく。

 

 

「――なに?」

 

 僕の、もうひとつの手が彼の襟首を掴んでいる。

 折られている間も痛みを無視して歩を進め、体は密着している。

 押し当てた膝が、相手の胸に触れている。

 

 まずは膝を押し込んだ。

 

「ぐむっ……!?」

 

 痛みを受けて、相手の体は頭を下げて丸まったように硬直する。

 ……ここだ。

 僕は回転し、巻き込むように相手を背負い込む――!

 

 ……合気道や古武道では「当身7分に投げ3分」という言葉がある。

 投げを決めるために最も重要な事は、相手の重心を崩す事。

 そして崩しの基本というのは、当て身――すなわち打撃である。

 打撃からの投げは柔道の世界では禁止されているが……そんなことは知ったこっちゃない!

 

「おおおおおおおおっ!!」

 

「ぬおおおおおおおおおおお!!?」

 

 完璧な一本背負いが決まる!

 ワイトピートの足は地面を離れ、その体は宙に浮き、飛び、そして……窓の外へ。

 窓にガラスは張られていない。

 ワイトピートはそのまま窓の外へと落ちていき――

 

「……え?」

 

 思わず呆けた声が出た。

 窓枠から飛び出たワイトピート。

 その手。

 手が……僕の襟首を掴んでいる。

 

「っ、お、あ、っああ……!?」

 

 もはや体のどこにも力が入らない。

 僕の体はそのまま、ワイトピートと一緒に窓の外へと引きずり出された。

 

 

 

 

 

 …………………………。

 

「ふー……ふぅ…………はは、まさかこんなことになるとはね……」

 

 僕らふたりは窓の外。

 ワイトピートは右手の指二本を窓枠に引っ掛けてぶら下がり……僕はというと、そのワイトピートの背中にしがみついていた。

 ふたりとも片腕が使えない。

 そしてここは三階。

 三階だが……普通の家屋と違って、ヒウゥース邸は城のように大きい。

 普通の建物なら五階から六階程度の高さはある。

 

「ふふ……こうなってしまえば仕方あるまい。戻るまで一時休戦、と……ま、待て待て待て! 何をしているのかね……!?」

 

 おまえの首を絞めている。

 ……でも駄目だ。

 片腕じゃあ、しっかり圧迫できない。

 

 だから唱えた。

 

「オクシオ・イテナウィウェ……ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ――ジャガーノート」

 

 

> クラマ 心量:97 → 72(-25)

 

 

 心筋収縮力上昇。

 血流増大。

 気道拡張。

 運動機能向上。

 筋肉のリミッター解除。

 

 力が漲る。

 体が燃える。

 

 強化された筋力をもって、僕はワイトピートの首を力の限り締め上げる!

 

「ぐ、正気かっ……!? 私はまだしも、きみはこの高さでは助かるまい……!」

 

「どうかな……試して……みようかぁ……!」

 

「く、お、ぉぉぉおおおっ……!」

 

 確かにワイトピートなら、うまく着地すれば死にはしないだろう。

 なら、うまく着地できなくしてやればいい……!

 僕は残る力のすべてを右腕に集める!

 ワイトピートの顔に血が溜まり、みるみる赤くなっていく。

 

「ぐぅぅぅぅぅお……!」

 

 そのとき、右足に痛みが走った。

 目を向ける。

 そこでは、ワイトピートの靴の踵から刃物が飛び出していた。

 ザク、ザクッと、何度も何度も僕の足に刃を突き刺してくる!

 ジャガーノートに陳情句は入れていない。

 痛みは緩和されていない。

 刺されるたびに、鋭い痛みが走り抜ける……!

 

 ……それがどうした!

 そんなもんで緩めるわけがあるかっ!!

 

「う、お、おおおおおおおおおっ!!」

 

「ぐううううぅぅぅぅぅっ……!!」

 

 力を込めて絞める!

 さらに強く!

 もっと……もっと強く!

 

「落ちろ……死ねっ……!!」

 

「く、が――――ぁ―――――か―――――」

 

 そうして、ついに。

 ワイトピートの手が窓枠を離れた。

 

 

 落下する。

 二人そろって。

 全身に感じる風圧。

 心地いい。

 飛び降りがこんなに気持ちいいものだったなんて。

 

 ……でも今はそんなに浸ってる時間はない。

 最後の博打。

 ここから先は運次第。

 さあ、唱えよう。

 

「エグゼ・ディケ。庭の植木に引っかかりますように――」

 

 

> クラマ 運量:201 → 0/10000(-201)

 

 

 このあたりに木が植わってたのは分かってる。

 上手くいくかどうかは……五分五分かな。

 

 これで僕のやるべき事は終わり。

 後は……そう。

 体に受ける、この風の心地良さに身を任せよう――

 

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