DUNGEONS & LIARS - 迷宮が暴く君の嘘 -   作:日下部慎

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第93話『クラマ#15 - エピローグ』

 目覚めて最初に見えたのは、白い天幕だった。

 

 加えて、体に感じる継続的な揺れ。

 テントの中かな? 揺れてるように感じるのは体の不調か……?

 ……などと考えていると、すぐ傍から声が。

 

「あっ! クラマ!」

 

 目を向けるまでもなく分かる。

 聞き慣れた綺麗な声。

 

「パフィー」

 

「よかった! もう二日も寝てたのよ? 心配したんだから!」

 

 僕は折れてない方の腕をゆっくりと上げて、パフィーの頭に手のひらをポンと乗せた。

 

「おはよう、パフィー」

 

 僕がそう言うと、パフィーは満面の笑顔で返してくれた。

 

「うん! おはよう、クラマ!」

 

 

 

 

 

 ――その後、パフィーからこれまでの経緯を聞いた。

 

 ヒウゥースの配下たちは形勢が傾くや否や、一斉に散開して逃走したという。

 それからすぐ街に入ってきたラーウェイブ王国騎士団によって、治安の確保と負傷者の治療、瓦礫の撤去などが行われたらしい。

 

 庭に落ちた僕を最初に見つけたのはイクス。

 倒れた僕の周囲には、いくつもの折れた木の枝と、そして――

 

 

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 倒れたクラマのもとへ駆け寄るイクス。

 その傍には、思わぬ人物がいた。

 

「え……トゥニス……?」

 

 ダンジョン内のごたごたから行方知れずだったトゥニス。

 イクスとオルティの仲間……いや、元仲間であり、パーティーリーダーだった女戦士。

 その彼女が、ワイトピートの体を抱き上げて、そこに立っていた。

 

 イクスはトゥニスの背中に声をかける。

 

「トゥニス! オルティは……オルティは………」

 

 声をかけたはいいが、言葉に詰まるイクス。

 トゥニスは肩越しに振り向き、イクスに目を向けた。

 

「駄目だったのか?」

 

 尋ねるトゥニスに、イクスは首を横に振る。

 

「ううん……無事、いや、無事じゃない……」

 

「……そうか」

 

 いまいち判然としない曖昧な言葉。

 トゥニスはそれで、おおよその事情を察した。

 

「生きていれば大丈夫だろう。あいつは意外と土壇場で強いやつだ。できればしばらくお前が支えてやってくれ……などと、私が言える事ではなかったな」

 

 自嘲するトゥニス。

 それにイクスは答えた。

 

「わかった。トゥニスは……どうするの?」

 

「私は――この男の傍にいてやると決めた」

 

 トゥニスは腕の中にいる男に目を向けた。

 そして彼女はイクスに向けて言う。

 

「見逃せないというなら相手になるが――」

 

「べつにいい。でもひとつ聞かせて。どうしてそんなに、その男にこだわるの?」

 

 イクスにはトゥニスの心情が理解できなかった。

 仲間のために尽くす気持ちは分かる。

 しかしトゥニスとワイトピートの関係は、そういうものとは違って見える。

 

「……この男は、誰にも理解されない哀れな男だ。私にも理解できん。だから、まあ……そんな寂しい人生の傍に、誰かが居てやってもいいだろう」

 

 たとえ、その結果が身の破滅だったとしても。

 

「……わかんない」

 

 答えを聞いても、やはりイクスには理解できなかった。

 

 

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「そうかぁ……」

 

 今の話を聞いて、僕は理解した。

 あのオッサンもいい歳こいて、自分が求めるものがすぐ近くにあったことに気が付いてなかったわけだ。

 

 ……しかし……殺しきれなかったか。

 ひょっとしたら今ごろ死んでるかもしれないけど……さすがにそれは甘い期待か。

 今度は確実に殺せるように、しっかり準備しておかないとな。

 まあ……しばらくは現れないだろう。きっと。

 

「でも、クラマが無事だったのがなによりだわ!」

 

 パフィーの笑顔。

 癒される。

 

「そうだね……ありがとう。みんなには心配かけたね」

 

 僕はパフィーの頭に手を伸ばして、優しく撫でた。

 

「えへへ……」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせるパフィー。

 うーん癒される。

 このまま癒され続けたいところだけど、一応続きを聞いておこう。

 

「……で、その後はどうなったのかな?」

 

「ええ、そのあとは予定通りに正騎士の盾で映像を世界中に送って……」

 

 という、パフィーの言葉の途中。

 

「クラマ?」

 

 別方向から僕の名を呼ぶ声。

 見ればテントの出入口から、イエニアが顔を覗かせていた。

 彼女は僕の姿を認めると、安堵の表情でテントの中に足を踏み入れる。

 

「ようやく目を覚ましたんですね。……うん、大丈夫そうですね」

 

「えぇ~? 体中痛くて立ち上がれそうもないんだけど?」

 

「命があるだけでも御の字です。まったく、無茶をするんですから……次は無茶しなくてもいいように、動けるようになったらしっかり鍛えますよ」

 

「そうだね。もっと強くならないと……またお願いするよ。……ところでイエニア」

 

「なんですか?」

 

「なにかあった? なんだか表情が暗いように見えるからさ」

 

 僕の言葉に隣のパフィーも同意する。

 

「そうね。放送してるときは張り切りすぎて、あとから王様に怒られるくらいだったのに」

 

「え? そうなの?」

 

 なにそれ。

 詳しく聞きたい。

 僕はイエニアの顔を見る。

 

「いっ、いやっ、それは……!」

 

 急にしどろもどろになるイエニア。

 

「超見たいんだけど。録画ないの録画?」

 

「ろくが? あ、映像の再現ね。うぅん……できるかしら……」

 

「そ、そんな事はいいでしょう! それより、その……何かあったかですね!? はい! ありました!」

 

 強引に軌道を変えたイエニアから話を聞く。

 それによると、帝国との戦争が不可避になりそう……とのことだった。

 なんでも事件の首謀者としてヒウゥースの腹心を捕まえていたのだが、少し目を離した隙に殺されてしまったのだという。

 地下室へ身柄を引き取りに来た騎士が目にしたのは、すでに事切れて血の海に沈んだ男と、その傍で血に塗れた剣を手に半狂乱になった女の姿であった――と。

 

「………………」

 

 ヤイドゥークっていったかな、あの男の名前は。

 何があったか分からないけど……ともかく彼が死んでしまったせいで、今回の件では責任の所在が曖昧になり、四大国は力で強引に事態の収拾を図るだろう……。

 というのが、ラーウェイブの王様の見立てらしかった。

 戦争かあ。

 困るなぁ。経験ないし。

 

 まあ、今から心配してもしょうがない。

 なるようになるだろう。

 それより今は今のことだ。

 

「ふむふむ……その後は?」

 

「そこからはもう何もないわ! 冒険者と地球人の中から一緒に来る人を集めて、ラーウェイブに向けて出発! それがだいたい、まる一日前ね!」

 

「ってことは……進んでるんだ、今。ラーウェイブに」

 

「そうよ! 驚いた?」

 

 さっきから感じる揺れの原因が分かった。

 馬車か何かに乗ってたわけだ。

 

「それでは、私はお医者の先生を呼んで……いえ……あっちはあっちで忙しいようでしたから……こちらから向かいますか」

 

 そう言ってイエニアはひょいっと軽く僕を抱き上げた。

 わぁお。かっこいい。

 

 そうしてテントから出ると――

 

 

 

「なっ、なんじゃこりゃー!?」

 

 外に出た僕は驚愕の叫びをあげた。

 馬車なんかじゃなかった。

 僕らが乗ってたのは亀……のような巨大な生物の背中。

 その広くて平らな背中には、数十個の四角いテントが団地のようにずらりと並んでいた。

 大亀?は、ずりずりと這いずって荒野を進んでいる。

 

「うふふ! 驚いた、驚いた!」

 

 驚く僕を見て、パフィーは嬉しそうにはしゃいでいる。

 

「地球人はみんな驚いてたから、クラマに見せるのが楽しみだったのよ!」

 

「いやあ……こいつはたまげたね」

 

 まだまだ知らないことがたくさんあるなあ、この世界。

 そうしてイエニアに抱き上げられたまま少し進んでいくと、何処からともなく聞き覚えのある声が。

 

「おお! 起きたかお前!」

 

「……?」

 

 ベギゥフの声。

 しかし声はすれども姿は見えず。

 

「こっちだ、こっち!」

 

 声のした方に目を向けるとそこには……亀の甲羅の縁に手をかけ、体を外に投げ出す格好で懸垂しているベギゥフの姿が。

 

「……なにしてるの、そんなところで」

 

「リハビリだ! お前もやるか!?」

 

 それに対して、僕より先にパフィーが答える。

 

「だめよ、クラマ!」

 

「いや、さすがにやらないよ。僕をなんだと思っているのさ」

 

「まあ……落ちても周囲には馬に乗った騎士団がいますから、大丈夫かとは思いますが……」

 

 言われて外に目を向けると、確かにいた。

 ……に乗った人達が。

 …………………。

 いや、あのさ。

 

「……馬?」

 

「ええ、馬ですが。クラマは一度ダンジョンでも見ましたよね?」

 

 巨大な亀の傍を並走する、鎧を着込んだ騎士たち。

 彼らが跨っているのは……その……カバだった。

 正確にはカバじゃなく、カバに似た生き物だけど。

 いや、まあ、見たけどさあ……地下4階で。電撃くらわせて倒したカバ。

 

「彼らが乗っている馬は人の手で育てられていますから温厚ですけど、野生の馬はクラマも知っての通り、気性が荒く凶暴です。それを自分ひとりの手で捕まえ、自身の愛馬とするのが正騎士の試験のひとつでもあります。ふふ……あの時は大変でした」

 

「ははあ、そうですか」

 

 いやあ、なんともかんとも……。

 世界は広いなあ。

 奇妙な感慨に浸ってしまったよ僕は。

 

「んじゃあ、僕らはもう行くよ。ベギゥフはリハビリ頑張って」

 

「おう! ……ところで、そこの女。イエニアって言ったか?」

 

「ええ、何か?」

 

「いや……前にどこかで会わなかったか?」

 

 ……!

 

「えぇ~? ベギゥフこんなところでナンパ~?」

 

「ちっ、違うっ! これはそういう……うおおおおっ!?」

 

 あ、落ちた。

 殺してしまったか?

 おっ、カバに乗った騎士が近付いて……おー、ちゃんと回収された。よかったよかった。

 これにはイエニアとパフィーもほっと一息。

 それじゃあ、気を取りなおして進んでいこう。

 

 

 

 医務室として利用されてるテントに入ると、中では人々がせわしなく行き来していた。

 

「あら? クラマじゃない」

 

 はっ!

 この声は……レイフ!

 なっ、何っ!? これは……!

 ナース服!!

 ナースレイフだ!!

 

「あ、この衣装?」

 

 僕の視線に気づいたレイフが、色っぽく体をくねらせて、その衣装を……衣装をというか魅惑のボディラインを見せつけてくる。

 体のラインがしっかり出る薄い生地に、歩いてるだけで中が見えそうなほどに際どいマイクロミニのスカート。

 誰が仕掛け人かは分かってる。

 ダイモンジさんありがとー!

 

「これを着るとみんな元気になるって聞いて。どう、クラマ? 元気になった?」

 

「うん」

 

 元気になるのは下半身だけどね!

 っていうかレイフは分かってやってるよね。

 あ、にんまりと笑ってる。

 分かってるやつだこれ。

 

「んっふふ~、それなら良かったわ。さあて、お仕事しようかしら。お医者さんに診てもらうんでしょ? 案内するけど……今はちょうど他の人を診てるのよねぇ。ちょっと待っててね?」

 

 と、個室のようになってる仕切りの前で待たされる。

 中から漏れ聞こえてくる声。

 ニーオ先生と……これはイクスの声だ。

 

「ん~……完全に、っていうのは難しいけど……目立たない程度にならいけると思うわ。ただ、しっかりした施設と魔法使いの協力が必要。費用と、時間もね」

 

「あの、わたしたちお金は……」

 

「ああ、費用は大丈夫。クラマが出してくれるから」

 

 なんと。

 

「え、いくらくらい……?」

 

「そうね、だいたい……」

 

「えっ!? そんなに!?」

 

「大丈夫よ、全額クラマが負担してくれるから」

 

 なんですと。

 とんでもない話が仕切りの向こうで繰り広げられている。

 大丈夫かなあ。

 ティアの方からお金が出てくれればいいけど……。

 

「じゃあ、目薬と……眼帯。乾燥しないように、つけておいてね」

 

 そんな会話が行われた後、フードで顔を隠したオルティと、付き添いのイクスが中から出てきた。

 横を通る時にイクスが小さくこちらに頭を下げてくる。

 不愛想に見えて義理堅いんだよね、この子。

 

 さて。

 オルティの診察が終わって、次は僕の番。

 といっても、寝てる間に外傷の治療は終えているので、簡単な問診と触診で終わった。

 あとは一人で歩けるようにと、杖をもらう。

 僕は体中痛くてまともに動けないから、魔法で回復を早められないかと聞いてみたけど……。

 

「まあ不自由なのは分かるけどね……」

 

「だめよ! 代謝促進の魔法は体によくないの! ゆっくり治すのが一番なんだから!」

 

「……ってことなのよね」

 

 パフィーに止められてしまった。

 診察を終えたニーオ先生は、大きく息を吐いて伸びをした。

 

「さぁ~て、今日の営業終わりっ! みんなも戻っていいわよー」

 

 仕切りの外に声をかけるニーオ先生。

 はーい、と外から何人かの返事があがった。

 それからニーオ先生は足を組み、僕に向き直って言う。

 

「本当は安静にしてるのが一番いいけど……今回はそれほど後に残る怪我じゃないから、少しくらいなら出歩いてもいいわよ。あなたが起きるのを待ってた人もいるし、顔を見せてあげたら?」

 

 親切な指示である。

 

「そうですね。よっこらしょっ……と」

 

 僕は杖をついて椅子から立ち上がり、仕切りから出る。

 するとそこに……いきなりいた。

 

「あれ、メグル。いたんだ」

 

 しかもナース服で。

 

「いたわよ。まあ、することないし、手伝いでね」

 

 するとそこで、室内に並んでいるベッドのひとつが叫ぶ。

 

「えぇー!? 私の看病に来たって言ってたじゃないですかぁー!?」

 

 ケリケイラの声だ。

 彼女もなにか怪我をしたのか。

 いや、フォーセッテの誘導班は怪我をしない方が無理ってものか。

 むしろみんなよく生きてたなと感心する。

 

「あぁもう……大人しくしててよ、ケイラは。……とりあえずクラマ、お疲れ」

 

「うん、ありがとう」

 

 僕が笑顔を返すと、彼女は少し照れたように目をそらした。

 自主的に色々やるようになった彼女だけど、シャイなところは相変わらず。

 ふと、人は変わるんじゃなく別の一面が表に出てくるだけ……というワイトピートの言葉を思い出す。

 そういうことなんだろうなぁ。

 ……ま、いいか! 今はそんな辛気くさいのは!

 

「ああー! ぞんざいな扱いに心が痛くなってきましたー! だれか慰めてくださいー!」

 

「……はぁ。ケイラがうるさいから、もう行くね。じゃあ……あぁ、サクラも心配してたから、体当たりには気をつけて」

 

「それは役に立つアドバイスだね」

 

 役に立たないアドバイスしかしない賢者にも見習って欲しいね!

 

 

 

 そうして僕は医務室テントを出た。

 イクスはオルティを部屋に送り、イエニアは騎士団の仕事。レイフは後片付けと着替えとのことで、今はパフィーと二人きりだ。

 べつにレイフは着替えなくてもいいと思うんだけどね?

 それはともかく。

 

「じゃあ、案内するわね」

 

「うん。よろしくパフィー」

 

「ええ! クラマ、起きたばっかりでおなかすいてるでしょ? まずは食堂よね!」

 

 

 

 ……パフィーに先導されて足を踏み入れた場所は……

 

「酒場じゃん!」

 

「あれぇ……? 昨日までは普通の食堂のはずだったのだけど……」

 

 完全に酒場だった。

 昼間だというのに大勢の冒険者たちが集まって、お酒を酌み交わし、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをしている。

 

「おっ! クラマ!」

 

 しまった、気付かれた!

 その声に連鎖反応するように、次々と声があがる。

 

「なにぃ、クラマだと!?」

 

「おうおう! やっと起きやがったか!」

 

「いつもいつも寝てんじゃねーぞこの野郎!」

 

 う、うわあー!

 酔っぱらった冒険者たちの群れが襲いかかってきた!

 僕は髭と筋肉と酒の間でもみくちゃにされる!

 

「ぐわあー! あいだだだだ……!」

 

「だめだめだめー! クラマはケガしてるんだから! みんな離れてー!」

 

 ……パフィーの必死の活躍により、冒険者たちはそれぞれの酒席(テーブル)へと戻っていった。

 いやあ、人気者はつらいね。物理的につらい。

 

「はー、はー、はー……」

 

「おつかれパフィー。ジュース飲む?」

 

「うん……ぐっ、ぐっ……ぷぁ。ごめんなさいクラマ。こんなことになるとは思ってなくて」

 

「油断していたね。食堂を酒場に変える錬金術は、冒険者が持つ基本スキルだからね」

 

 酒あるところに冒険者あり、冒険者あるところに酒がある。

 彼らはきっとそういう生き物なのだ。

 

 隅っこのテーブルで僕らが一息ついていると、見知った顔が現れた。

 

「大丈夫ですか? いや、荒くれ達が失礼しました」

 

 冒険者らしからぬ落ち着いた物腰。

 教授だ。

 ウェイハ教授。

 彼はローストチキンの大皿をテーブルに置いて、僕の前に腰かける。

 

「ありがとうございます」

 

「いえ、皆が迷惑をかけたお詫びですよ」

 

「それもありますけど……ヒウゥース邸では、うまく皆を指揮してくれて助かりました」

 

「ああ……それですか。しかし大した事はしていませんよ。こちらに形勢が傾いた途端に、向こうが一斉に逃げ出しましたからね。いや、見事な逃げっぷりでした」

 

「そうなんだ」

 

 僕らは鳥料理をつつきながら語り合う。

 味は……なかなか悪くない!

 空腹だからなんでもおいしい。

 ただ……いつもの料理と比べると……

 

「そういえば、納骨亭のマスターは……」

 

「アギーバの街に残ったわ」

 

 そりゃそうか。

 この先の食生活に不安が残るけど……そのためにマスターから料理を習ったわけだしね。

 もう二度と会うことはないかもしれないけど……彼の遺志を継いで、僕も立派な料理人になってみせるよ!

 

 ……あれ? なんか違うな。

 べつに料理人になるのが目的ではなかったはずだ。

 

 僕がおかしな事を考えてる間にも、教授は話を続ける。

 

「騎士団と共にラーウェイブに向かっているのは、アギーバの街にいた冒険者の2割ほどですね。残りは人それぞれ……また別の街へと向かったようです」

 

 大半がどっか好きな場所に行ったわけだ。

 

「冒険者らしいね」

 

 見知らぬものを求めて東へ西への根無し草。

 ヒウゥースの政策で大勢の冒険者があの街に留まっていたけど……本来こういうのが、彼らのあるべき姿なんだろう。

 

「かくいう私も、本当はこの陸船に乗るつもりはありませんでしたが……ラーウェイブ国王に頼まれましてね」

 

「えっ?」

 

「王様から?」

 

 パフィーもびっくりしている。

 

「ええ。なんでもラーウェイブにある遺跡の調査依頼とのことですが……詳しい事は私も」

 

「へえ……」

 

「さて、私はこの辺で失礼しましょうか。お二人はゆっくりしていってください」

 

 そう言って教授は席を立った。

 それと入れ替わるようにして……

 

「いよーう! 飲んでるかァ? ギャーハハハハ!!」

 

「どうしたら飲んでるように見えるんだっつの! ア~ッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

 メグルのパーティーの、バコスとナメロトだ。

 楽しそうだなあ、相変わらず。

 

「みんなに付き合うのはまた今度だね~。怪我も治ってないし」

 

 パフィーの目も怖いし。

 ……しかし彼らも来てたんだね。

 彼らこそ典型的な冒険者だから、てっきり他の冒険者と一緒に行ってしまったかと。

 

「もったいねえなァ……こんないい酒を飲める機会、そうそうないってのによ。明日にはなくなっちまうぞォ?」

 

 バコスは四角いガラス製の酒瓶を傾け、直接口をつけて飲み下している。

 なんて豪快な飲みっぷり。

 っていうか、あの酒瓶。

 この世界でガラスの酒瓶は珍しい。たいていは木で作られた樽とかだ。

 そして、その形……ラベルには見覚えがある。

 

「それ、ヒウゥースの部屋にあったやつじゃない?」

 

 僕がそう指摘すると、バコスは悪びれもせずに笑っている。

 代わりに強く反応したのはパフィーだ。

 

「えぇっ!? それって火事場泥棒……」

 

「へへへ、役得よ役得。戦利品ってやつだ」

 

「他にいくらでもお高いモノがあったってのに、持ってくるのが酒だもんな」

 

「オメェもだろ!」

 

「ア~ッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

「ギャーハハハハ!!」

 

 パフィーは絶句している。

 ……うん。典型的な冒険者だ。

 イエニアが一緒に来なくて良かったね!

 

「まぁまぁ、おれらだって他人の家にまで行って盗ってったりはしねェさ」

 

「騎士団が来なかったら、やりそうな奴は多いけどな」

 

「断言するが、騎士団が来なかったら3~4パーティーはその辺の家に空き巣に入ってトンズラこいてたぜ」

 

「ア~ッヒャッヒャ!! 違いねぇ、違いねぇ!」

 

 どうやら思ったよりも騎士団の役割は大きかったらしい。

 暇があれば僕もやってただろうしね。

 ヒウゥース邸は探せば色々ありそうだったし。残念だ。

 

 

 

 そうして空腹を満たした僕らは、酒場――かつて食堂であったその地――を後にした。

 パフィーの案内で次に向かった先は、大亀の頭の方。

 そこはテントがなく、少し開けた広場のようになっている。

 なんかもう街みたいだねこの生き物の背中。すごい。

 

「お? ありゃクラマの旦那じゃねえっスか?」

 

 次郎さんが最初にこっちに気付く。

 そこにはサクラ、一郎さん、次郎さん、ニシイーツ三郎さんがいた。

 

「えっ!? あーっ! ホントだ! クラマーーーっ!!」

 

 サクラの助走をつけたタックル!

 僕は手を突き出して、その突進を受け止めた!

 

「わぶっ! な、なんで止めるのよぉ……」

 

「メグルの有り難い忠告に従ったのだ」

 

「……? どゆこと?」

 

 つまりは怪我人にタックルは良くないという事である。

 とりあえずサクラは置いといて、僕はみんなに声をかける。

 

「みんな、お疲れ」

 

「お疲れさんです! 旦那、もう起き上がって大丈夫なんですかい」

 

「うん、歩き回るくらいなら。このくらいで済んだのは、みんなが頑張ってくれたおかげだよ」

 

「いえ、アッシらはそんな……もったいねぇお言葉です」

 

 なんか一郎さんと話してると、自分がヤクザになったような気分になるね。

 ……あんまり間違ってないような気もする。

 政治家の息子なんだけどなぁ、これでも。

 

「ところでさぶ……ニシイーツさんは何してるの?」

 

 元三郎ことニシイーツ氏。

 彼はひとり、端っこの方で座禅を組んでいた。

 僕の疑問に次郎さんが答える。

 

「へえ。旦那が来るまで筋トレしてたんスけどね。いつの間にか瞑想してるっスね」

 

「ニシーね、なんか分かんないけどクラマを倒すって言ってるのよ。……ひょっとしてケンカしてるの?」

 

 へえ、それは……。

 僕はニシイーツさんを見る。

 瞑想してるようだけど、まぶたがピクピク動いてる。

 

「………………」

 

 ふふふ……彼にはもっと頑張って欲しいものだ。

 

「ケンカなんてしてないよ。ケンカとかしたことないしね、僕は」

 

「まあ、そうよね……でもなんていうか……うーん……」

 

 

「そいつを信用するなッ!!」

 

 

 な……なに……!?

 僕らの会話に突然割って入った声。

 こ、この声は……!

 

 僕は勢いよく振り向いた!

 

「ぐあ……!」

 

 激痛!!

 素早く動ける状態じゃなかった!

 痛みにふらつく体に力を入れて、顔を上げる。

 そこにいたのは……

 

「マザキ!!」

 

 そいつは僕のよく知る顔……というには、ちょっと変わっていた。

 黒い布を巻いて両目を隠している。

 でも、分かる。間違えるはずがない。

 地球人、真崎庵士(まざきあんじ)だ。

 

「誰? クラマ、知ってる人?」

 

 サクラが首をかしげてこちらを見る。

 そりゃあそうだ。誰も知らないだろう。

 僕もイクスの話を聞いて、ひょっとしたら彼もこっちに召喚されてるかも……と思ってただけで、誰にも話してはいない。

 ひとまず僕はサクラに答えた。

 

「うん。地球にいた頃の、僕の友達だよ」

 

「いや、友達じゃねーから。腐れ縁ってやつだろ」

 

 ははは、懐かしい。

 この突き放す感じ。

 

「……?」

 

 周りの皆は、いまいちよく分からないといった様子。

 皆が頭に疑問符を浮かべる中で、代表してサクラが口を開いた。

 

「……で、なんなの? さっき言ってた……クラマを信用するなって。どういう意味?」

 

「言葉通りの意味なんだが?」

 

 マザキは杖で足元を確認しながら近付いてくる。

 目をやられたんだな。

 僕も今は杖ついてるから、杖つき友達。ツエトモだな。

 

「コイツは人畜無害な顔して、今世紀最大のクソヤロウだからな。信用すると馬鹿を見るぞ。いや、どうせなら今のうちに外に投げ捨てておいた方がいい」

 

 突然現れて僕に対する熱い罵倒を始めるマザキ。

 ……彼を見る周囲の視線は冷たい。

 彼はこうやって、いつでも僕に対する注意を促しては、周囲から孤立してきた。

 嫌われ者のマザキ。

 ただひとり、僕が作る流れに取り込まれずに、僕を嫌って、僕と対等の立ち位置にいてくれる人。

 僕にとっての、唯一の友人だ。

 

「あいつは口は悪いけど、悪いやつじゃないんだよ。できればみんなも嫌わないでやって欲しいな」

 

 そして、こうして僕の心の広さアピールに協力してくれるわけだ。

 ありがたや、ありがたや。

 

「まあ、クラマがそう言うなら……」

 

 渋々といった感じに頷いてくれる一同。

 なんてイージーミッションだ。

 

「お前またそのパターンかよ! おーい! 騙されるなお前ら! こいつは前に付き合ってた女に……ぅいっだぁ!?」

 

 マザキが悲鳴をあげて跳ねる。

 それと同時にマザキの背後から出てきたのは……イクス。

 

「なにやってるのアンジ」

 

「い、イクス。何をしてるもなにも、俺はただ、こいつの評判を落としたいだけなんだが? 邪魔をするならお前のスパッツぅぎゃあッ! つねるなぁ!」

 

「みんな、ごめん。ちょっと目を離した隙に……とりあえず、これはわたしが持ってくから……」

 

 そう言ってイクスはマザキを奥へと引っ張っていく。

 マザキはイクスに引きずられながら捨て台詞を吐いた。

 

「ちっ、命拾いしたな。次に会った時がお前の最後だ、ヒロ!」

 

「はいはい、わかったから行くよ」

 

「ちくしょう……イクスのスパッツでも触って寝るか……」

 

「触らせないから。なに言ってるのバカ」

 

「目が見えないから触るしかないんだが!? じゃあお前は触らずにどうしろと!?」

 

「それは、まあ…………………………いや、触らせないよ?」

 

「ちくしょう……」

 

 ……そんなコントを繰り広げて、ふたりは消えていった。

 いやあ、驚いたなあ。

 まさかマザキがいるとは。これから楽しくなりそうだ。

 でもワイトピートが生きてたから、真っ先に殺されそうなんだよね。

 彼には強く生きて欲しい。

 

 

 

 それから少しサクラたちと話してから、パフィーと僕は次の場所へと向かった。

 次なる目的地は、マユミさん達のテントだ。

 

「あ、クラマ。もう起きて大丈夫なんすか?」

 

 そこにはマユミさんが一人でいた。

 こんな時でも、いつものようにテーブルに向かって漫画を描いている。

 

「うん。僕は不死身だからね。ここだけの話、実は今まで一度も死んだことがないんだ」

 

「あははっ! なんすかそれ、も~」

 

 まずは小粋なジョークを挟んでテントの中に入る。

 するとマユミさんは改まった感じに、こちらに向き直って言う。

 

「いや、でもこの前は助けてくれて、ホントありがとうございました」

 

「僕としてはもっと早く助けたかったんだけどね……もっと早くあそこに踏み込んでたら、助けられた人もいるかもしれないし……」

 

「そ、そんな気に病まなくても……! 私は助けてもらって嬉しかったし……! 本当にかっこいい、ヒーローみたいだったんすよ! あの時の私にとっては……」

 

「そうよクラマ! 元気出して!」

 

「うん……ありがとう、二人とも」

 

 まあ、これっぽっちも気に病んではいないんだけど。

 僕が助けるのも、助けられないのも、いつも通りの事だし。

 ふと、そこでテーブルの上の原稿が目に入った。

 

「ところでマユミさん。どんなのを描いてるの?」

 

 僕は顔を出して覗き見る。

 

「うわわわっ! だっ、だめっすよ! あの、ま、まだ途中だからっ!」

 

 大慌てで隠そうとするマユミさん。

 彼女がいそいそと原稿を回収して仕舞いこんでいると、パフィーがぽそりと呟く。

 

「なんだかクラマって書いてあったけど……」

 

「あー! あーあー! みっ、見間違いじゃないすかね!? ええ! うん! あは、あはははは……」

 

 微塵も誤魔化せていない作り笑い。

 本人が隠そうとしてるものに突っ込んでいくなんて……パフィーはひどいことするなぁ。

 その点、僕は配慮できるからね。

 クラマって呼ばれてる男にマユミさんに似てる少女が助けられるシーンも、見なかったことにする優しさが僕にはある。

 

「完成が楽しみだね!」

 

「そ、そうすね。あはは~……」

 

 しばしの沈黙。

 マユミさんはとてもとても気まずそうな様子で、上目遣いにこちらを見た。

 

「あの……見てないですよね?」

 

「うん! クラマって呼ばれてる男にマユミさんに似てる少女が助けられるシーンなんて見てないから大丈夫!」

 

「うわああああーーー!! あがががが……」

 

 彼女は叫んだ後、頭を抱えてゴロゴロと転がった。

 しまった、つい。

 

 ――その後、テントの隅を向いて死にたい死にたいと連呼しつつ体育座りする彼女をなだめるのに、多少の時間を要した。

 

 

 

「ところで他の人は? ベギゥフはさっき見たけど」

 

 話せるまでに回復したマユミさんに、僕は尋ねた。

 

「セサイルはその辺にいると思いますけど。あー……そっか、気を失ってたから知らないんすね」

 

 ん?

 なんだろう。

 マユミさんはパフィーの方に目を向けた。

 パフィーはそれに頷きを返す。

 

「ええ、起きたばっかりだから、まだ話してないわ」

 

「んじゃ私から。ノウトニーはこの亀に乗らずに、別れました」

 

「あっ、そうなんだ」

 

 貴重な潜入要員が……。

 

「なんかクラマの活躍を歌にして広めるって言ってましたよ」

 

 吟遊詩人!

 

「うわあ恥ずかしい」

 

 でも各地を回って僕らの宣伝をしてくれるわけで、帝国との戦争になりそうな現状ではありがたいのかも?

 なんてことを考えてると、パフィーが横から言う。

 

「そういえば、去り際に気になることを言ってたわ」

 

「ノウトニーが?」

 

「ええ。ヒウゥースの腹心殺しの容疑者を見てね、『彼女は冤罪ですよ』って……」

 

「ふぅん……?」

 

 たしかに気になる。

 でも何のことか分からないから、考えてもしょうがないかな。

 

「それと、他にも誰かいなくなってましたよね。何でしたっけ、あの……すっごい悪役っぽいひと」

 

「ディーザ?」

 

「そうそう! そのひと! いつの間にかいなくなってたんすよね」

 

「そっか……残念だね」

 

 いなくなってしまったか。

 当然といえば当然か。ここは彼にとっては居心地が悪いだろう。

 今後いろいろと頼りになりそうだったから、いなくなるのは痛いけど。

 

「わたしも残念だわ。いろいろ聞きたいことあったのに……」

 

 パフィーもしょんぼりしてる。

 

「まあ、生きていればまたいつか会えるさ」

 

 って言っておいてなんだけど。

 ディーザはすぐ死にそうだな。大丈夫かな。

 どいつもこいつもすぐ死にそうで困る!

 この不死鳥クラマを見習って欲しい!

 

 

 

 ……すっかり話し込んでしまった。

 僕らはこの辺でいい感じに話を切り上げて、マユミ'sテントを後にした。

 

「さーて、あと見てないのは誰かなー?」

 

「無理に探すこともないと思うけど……あと行ってないのはこっちね」

 

 パフィーの後についていくと、果たしてそこには居た。

 セサイルとティア。

 ふたりは夕暮れ時の空を背にして、なにやら話し込んでいる。なんだろう。

 僕らはテントの裏に隠れて聞き耳をたてた。

 

「なんで隠れるの……?」

 

「しっ! 静かに……!」

 

 なぜって、付け入る隙を見せない二人からネタを引き出すチャンスだからね!

 耳を澄ませば、二人の会話が聞こえてくる……。

 

「……本当に、それだけでよろしいのですか?」

 

「おう。なんだ、不満でもあんのか? ここぞとばかりに無茶振りしてやった方が良かったか?」

 

「いえ、そういう事ではございませんが……分かりました。ラーウェイブ国内での、マユミ様の住居と職業の斡旋……たしかに承りました」

 

 これは例のあれか。

 ティアがセサイルに「何でもする」って言ったやつ。

 セサイルの要求は、まるっきり予想通りの内容だった!

 うーん、これじゃおど……話のネタにもならないぞ。

 何でもするっていうんだからスケベな要求をしなきゃ嘘だろ!

 

「……ああ、そうだな。それじゃあ、ついでにもう一ついいか?」

 

「はい、なんでもおっしゃってください」

 

 お?

 なにを言う気だ?

 僕は期待に胸を躍らせて見守る。

 セサイルは剣の柄に手を添えて言った。

 

「オレと立ち会ってくれ」

 

 ……まじか、この男。

 セサイルは獰猛な目でティアを見つめている。

 今にも襲いかかりそう。

 別の意味で野獣のような男だ。

 さすがのティアも戸惑っているようで、即答できず思案している模様。

 

「……それでは、近く行われる御前試合への出場を王に推薦いたします。本来、正騎士にしか出場は許されませんが……」

 

「おいおいおい、そんなこと頼んでねえぞ」

 

「優勝すれば、前回の優勝者であるわたくしと戦う資格が与えられます」

 

 ティアの提案。

 セサイルはそれに不満を露わにする。

 

「ちょっと待て、何でもするって言ったろ。なんでそんな条件ついてんだ?」

 

 もっともである。

 それに対してティアは……

 

「あら、先ほど確認したではありませんか。マユミ様の生活保障をご要求された時に……本当に、それだけで(・・・・・・・・・)よろしいのですか(・・・・・・・・)……と」

 

「あ……?」

 

「セサイル様も同意なさいましたよね?」

 

 にっこりと笑うティア。

 おお……あんな顔もできたのか。

 

「……………………」

 

 セサイルは何とも言えない悔しそうな顔をしている……。

 そのままセサイルはぐぐっと喉の奥に言葉を溜め込んで……ハァ~っと溜め息に変換して吐き出した。

 

「ちっ! やってやるよ、しょうがねえ。だが、それならこっちからもひとつ条件だ。オレとやる時は手ェ抜くんじゃねえぞ」

 

「ふふっ。ええ、約束いたします。楽しみにしていますね」

 

 朗らかに笑うティアと、翻弄されて苛立つセサイル。

 なんだぁ、この二人は……。

 なぜこんないい感じの雰囲気に……。

 この空気、なんとかして壊せないものか。

 

 そんなことを考えていると、突然セサイルの怒鳴り声が飛ぶ。

 

「おい、そこの! いつまで隠れて見てやがんだ! 出てこいッ!」

 

 ……!

 

「わわっ」

 

 慌てるパフィー。

 しまった、邪念が漏れたか……!?

 仕方ない……ここは観念して……

 

 と、出ていこうとした時だった。

 

「あら、ばれてしまいましたか」

 

 僕らとは別の場所から現れたのは……ヤエナ?

 すっかり忘れていた。というか忘れたかった。

 パフィーと同じくらいの幼い少女でありながら、賢者ヨールンの弟子にして恋人。

 寝取らせプレイに目覚めた賢者の要望を汲んで、僕に抱かれようとしている。しかしながら嫌がるでもなく受け入れているという、奇矯な少女だが……。

 

 セサイルとティアの前に歩み出た彼女は、おかしなことを言った。

 

「久しぶりですね、セサイル」

 

 ……ん?

 なんて?

 まさか……この二人、知り合い?

 僕はセサイルの顔を見た。

 彼は……呆然と、いや愕然としている。

 

「どうしました、セサイル? 私を忘れてしまいましたか?」

 

「あ、ああ、いや……………」

 

 亡霊でも見たかのような、とはこういう顔だろうか。

 セサイルはたどたどしく呟いた。

 

「生きてた、のか。それは良かった。……なあ、その……アフティーのことは……」

 

「お兄様ですか? 息災ですよ。今も私のことを見てくれています」

 

「………………………………」

 

 今度こそセサイルは沈黙した。

 彫像のように固まったセサイルに代わって、ヤエナは踊るように歩きだす。

 

「ふふっ、女性との逢瀬を邪魔してはいけませんね。だから顔を出さないでいたんですけど……後でまた話しましょうね、セサイル」

 

 そう言ってヤエナはセサイルらに背を向けて立ち去る――

 ……って!

 こっち来てるんだけど!

 隠れる場所は……ない!

 

 僕の前に現れたヤエナは、歩みを止めずに軽く微笑んだ。

 そして横を通り過ぎざま――

 

「――今夜、お待ちしてますから」

 

 僕の耳元に囁いた。

 

 

 ……………………。

 

 いやあ、参ったね。

 さてさて、どうしたもんだか。

 

 

 

 

 

 ……ということで。

 ひととおり回って、日も暮れてきたので、僕とパフィーは自分らのテントに戻ってきた。

 

「思ったより遅くなっちゃったなぁ」

 

 思った以上に、この亀の背中が広すぎた。

 

「ごめんなさい、途中で戻るべきだったわ。クラマ、疲れたでしょ?」

 

「ははは、大丈夫……と言いたいところだけど……たしかに疲れたね」

 

「じゃあ、わたしは晩ごはんをこっちに持ってくるわ! クラマは中でゆっくり休んでてね!」

 

「そうだね、お言葉に甘えるよ。ありがとう、パフィー」

 

「ええ! じゃあ待っててね!」

 

 ぱたぱたと駆けていくパフィー。

 うーん、見てるだけで元気を貰えるようだ。

 かいがいしく世話をしてくれるし、本当にありがたい。

 さて、それじゃあ立ってるのもしんどいので、テントに入って寝転がって待っていよう。

 

 そうして垂れ幕をめくって中に入る。

 するとそこにいた。

 毛布くらいしか置いていない殺風景のテントの中に、ひとり。

 僕の帰りを待っている人が。

 

 彼女……レイフは、暖かな夕日のような笑顔を僕に向けて、言った。

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 感情が胸の奥から溢れてくる。

 言いたいことは山ほどあった。

 僕はそれらすべての思いをひとつにまとめて、口に出した。

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 …………………………。

 

 パフィーがトレイに食器を乗せて戻ってきた。

 ……が、テントに入ってきたところで、彼女は僕らを見て固まってしまった。

 

「な……なにしてるの? ふたりとも……」

 

 何をしていると言われても。

 ……いや、その反応は誤解を招く。

 なにも僕らはいかがわしい行為に及んでいるわけじゃあない。

 ただ、足を伸ばして座ったレイフの前から、同じ姿勢で重なるように僕が背中を預けているだけである。

 ちょうどレイフのおっぱいが僕の後頭部に当たるように。

 むしろ柔らかなふくらみで僕の頭を挟むように。

 レイフに体を預けて密着して、豊満なおっぱいの感触を堪能していたのだけれど、べつにいかがわしいことをしていたわけではない。

 

「パフィー、ひょっとして何かいやらしい事をしてると思ってる?」

 

「えっ? ち、違うの……?」

 

「それは誤解だよ。僕はそんないやらしい男じゃないからね」

 

「うそ。だってクラマは、すけべえだもの」

 

 うっ……!

 なぜそこは確定したかのように語られるんだ!?

 返事に詰まった僕に代わって、レイフが話す。

 

「パフィー、よく見て。私たちの格好、いつもクラマとパフィーがしてるのと一緒じゃない?」

 

「え……?」

 

 パフィーはこちらをまじまじと見る。

 なるほど確かに、パフィーはよく僕の膝の上に乗ってくる。

 違いといえば、おっぱいの有無だけだ。

 

「そうそう、この格好がリラックスできるんだよなぁー」

 

「で、でも……!」

 

「パフィー」

 

 僕はポンポンと太腿のあたりを叩く。

 こっちにおいでというジェスチャーだ。

 

「え、ええー……?」

 

 パフィーは戸惑い、躊躇っている。

 

「いやらしい事じゃないって、やってみれば分かるさ。ね?」

 

「ううーん……」

 

「ほらほら、パフィー。おいで?」

 

「わ、わかったわ……」

 

 ついに根負けしたパフィーはトレイを置いて、僕の伸ばした足の間におそるおそるしゃがみ込む。

 その小さな背中が僕の胸に触れる。

 

「あっ、クラマ怪我してるでしょ? 大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だよ。右腕と足首あたりに触らなければ」

 

「そ、そう……それじゃあ……んしょ」

 

 パフィーはゆっくりと体重を預けてくる。

 華奢で軽い体。

 パフィーの背中が僕の体にしっかり密着したところで、僕は優しくパフィーの頭を撫でた。

 

「ん……」

 

 気持ち良さそうに目を細めるパフィー。

 僕の後ろからレイフが言った。

 

「ね? 落ち着くでしょ、パフィー?」

 

 パフィーはすっかり力を抜いて答える。

 

「うん……えへへ……」

 

 と、僕の腕の中で幸せそうに頬を緩める。

 かわいい!

 小動物のような愛らしさ。

 僕の方も幸せな気持ちになる。

 

「ふふっ、よかったわね」

 

 背後からレイフの柔らかな声。

 幸せな空気がテントの中に満ちて広がった。

 

 そんなハピネスな空間であったが……。

 そこに現れる。

 

「……何をしているんですか」

 

 気付けば、イエニアがなんとも言えない表情でこちらを見下ろしていた。

 ……ふむ。

 僕は慌てず騒がず、提案した。

 

「よし、イエニアも一緒に! カモン!」

 

「カモンじゃないですよ。もう入れる場所がどこにも……いや、そうじゃなくて」

 

「あら、じゃあ私と代わる?」

 

 レイフの新たな提案。

 ……いや、それはさすがに?

 マシュマロから鋼鉄に枕が変わるのはつらい。

 イエニアも困っている。

 

「なっ、なな……なにを言ってるんですか! クラマ相手にそんなこと……」

 

「でも、もう鎧で体を隠す理由もないでしょう? イエニアのふりをする必要もないんだし」

 

 そっか。

 彼女がいつも鎧を着込んでたのは、影武者なのがばれないようにするためだったんだ。

 お風呂の中で脱いだこともあったけど……。

 そういうことなら僕も興味があります。

 

「それはそうですが……」

 

「とりあえず着替えたら? 外は騎士団の人たちが守ってくれてるんだから、夜襲に備える必要もないでしょ。ほら、そこに着替えあるわよ」

 

 言って、レイフはテントの隅にある荷袋を指す。

 

「いえ、鎧を脱ぐにしても、わざわざ着替える必要は……」

 

「ふたりも見たいでしょ? イエニアが普通の服を着てるところ」

 

「見たいね」

 

「そうね、せっかくだから見てみたいわ!」

 

「うっ……うう……!」

 

 結託した三人による総攻撃で、イエニアは追い詰められる。

 

「ほらほら、クラマの目は塞いでおくから」

 

 レイフは後ろから手を回して、僕の両目を塞ぐ。

 目の前が真っ暗で何も見えなくなった。

 しばらく無言の時間が続いたが……やがて観念したような溜め息が。

 

「はぁ……もう。仕方ありませんね」

 

 よし!

 連携の勝利だ。

 すぐにガチャガチャと金具を外す音。続いてゴト、ゴト、っと鎧が床に落ちる音が響いた。

 僕は真っ暗な視界の中で待つ。

 まだかなー。

 まだかなー?

 

 ……金具の音が、衣擦れに変わった頃。

 

 不意に光が差した。

 僕の目を覆ったレイフの指が、わずかに開かれている……。

 

 指の隙間から見えたのは、着替え中のイエニア。

 

 うおおおおおおお!!

 さっすがレイフ!

 わかってる!

 

 イエニアはこちらに背を向けている。

 その身につけているのは下着のみだ。

 引き締まった健康的な肢体。

 美しい。

 一度見たことはあったが、改めて見て、美しいの一言に尽きる。

 よく見れば所々に小さな傷跡もあるけど、それもまた彼女の戦士としての歩みが感じられて、その美しさを飾りたてている。

 

 ……あれ?

 そこで気付いた。

 イエニアの下着……前に見たのと違うな。

 以前ダンジョン内で、レイフの悪ふざけでイエニアが脱がされた事があった。

 そのときに見たイエニアの下着は、野暮ったいというかオバちゃんっぽいというか、短パンみたいな色気のないもので……あれはあれで……とにかく、そういった代物だったが。

 今の彼女が穿いているのは標準的な形の、僕ら日本人がよく知るタイプのショーツ。

 色は白。

 部分的にレースがあしらわれており、可愛くて上品な感じだ。

 ブラの方も同じようなもので合わせている。

 スポーツブラじゃなくていいのかな? と思ったけど、動きの邪魔になるほどの大きさはなかったね。彼女の胸は。

 

 そこで突然、イエニアが振り返る。

 ……!?

 イエニアはこちらに強く声をあげた。

 

「待ってくださいレイフ! なんでこれがここに……他の服はなかったんですか!?」

 

 レイフに向かって抗議。

 ふう……びっくりした。

 また邪念に気付かれたかと思った。

 そこでレイフの指が閉じられ、再び視界が真っ暗になる。

 

「あら、そういえば他の服は洗ってたんだったわ。でも早く着替えないと、私の手でクラマを押さえるのも限界よ。ああ、手がずれてきちゃう……」

 

 そんなことを言いながら、レイフは少しずつ僕の目を押さえる手をずらしていく。

 

「ちょっ! ちょちょちょっと! 何してるんですか! そんなわけないでしょう! ちょっと待っ……ううっ、分かりましたよ、着ればいいんでしょう! もう!」

 

 ……ばたばたと急いで着替える音が聞こえる……。

 その後はそう待つこともなく、着替えを終えたイエニアから声がかかる。

 

「あの……終わりました、けど……」

 

 レイフの手が取り払われる。

 開ける視界。

 そこに立っていたのは――メイド服に身を包んだイエニアだった!

 

「わあ! かわいいわ!」

 

「んん~、やっぱり服が変わるだけで全然印象が違ってくるわねぇ」

 

「お、覚えておいてくださいよ……レイフ……」

 

「あはは、まあまあ……で。どうかしら、クラマ? 感想は?」

 

 イエニアが僕の顔を見て反応を窺っている。

 僕はまっすぐに見つめ返して、率直な感想を伝えた。

 

「うん。綺麗だよ、イエニア」

 

「っ……! なっ、ななななっ……なにを言うんですか! そんな……!」

 

「なにって、イエニアを見た感想だよ。かわいいし、かっこいいけど、そういう服を着てると綺麗だなって思う」

 

「ぅ……ぅあ……あ、あの、わかりました。もう……もういいですから……」

 

 イエニアは恥ずかしがって顔を覆ってしまう。

 

「うふふ! イエニアったら、お顔真っ赤よ?」

 

「いいわねー、若いって。いいもの見せてもらっちゃった♪」

 

「レイフ……貴女は後でホントに……いや、ひとついいですか? これ……スカート短くないですか?」

 

 たしかに。

 実はこのメイド服を着ているイエニアの姿は、既に見たことがある。

 ヒウゥース邸に侵入した時の変装だ。

 しかし今、イエニアが着ているものは……あの時よりもかなりスカートの丈が短く、また所々にフリルが付け加えられている。

 

「ダイモンジって人に預けたら、そうなっちゃったのよね」

 

 ダイモンジさんか……。

 ……………メイド服のスカートの丈に関しては、賛否ある。

 僕も言いたいことがないわけじゃない。

 でも今に限って言えば、別にいいかな!

 丈の短さを気にして、スカートを下に伸ばすように押さえて恥じらうイエニアの姿が見られたからね!

 

「さあ~て! それじゃあ綺麗で可憐なメイド騎士さんには~……」

 

「なんですか。また私を辱めるつもりですか」

 

 イエニアがやさぐれている。

 しかしレイフは止まらない。

 ここぞとばかりに自分のペースで場を回していく。

 

「メイドさんなんだから、ご奉仕しなきゃ。というわけで~……クラマにご飯を食べさせてあげましょう!」

 

 ふたりの視線の先には、パフィーが持ってきた夕食があった。

 

「た、食べさせる……?」

 

「クラマもお腹すいたでしょ?」

 

「うん。おなかすいたねー」

 

 僕は迷わず便乗した。

 

「え、ちょっと待ってください。食べさせるって、私がクラマの口まで食事を運ぶということですか……?」

 

「そそ。あ、それとも私がやる? その場合、イエニアには私の場所に入ってもらって……私はどっちでもいいけど」

 

「なぜそれが二択になってるんですか!?」

 

 なんでだろうね。

 いや、レイフはこう見えて元シスター。

 僕らは自由なようでいて、その実、この手で掴み取れる選択肢は多くないという深い教えがあるのかもしれない。

 

「なんでって……その方が面白そうだから? かしら?」

 

 もちろんそんな深い教えはなかった。

 イエニアはがっくりと肩を落として息を吐く。

 

「はぁ~……もういいです。分かりました。やればいいんでしょう、やれば」

 

 諦めたようにイエニアは食器を手に取る。

 そして僕の隣に膝をついた。

 

「ほら、クラマ。口を開けてください」

 

 そうして、イエニアは一口サイズのお肉を差し出してくる。

 

 うーん、いやぁ改めてすごい状況だ。

 後ろにはレイフ、前にはパフィー。

 そして隣には料理を口に運んでくれるイエニア。

 ここは天国かな?

 

 僕はお肉と幸せを噛みしめるために、口を開けた。

 

「あーーん」

 

「あ、あーんとか言わなくていいです」

 

 ソースのたっぷり乗ったお肉が、僕の口の中に差し入れられる。

 

「もぐ……んぐ………おいしい!」

 

 おいしいっていうか楽しい!

 味は普通だけど……なんだかおいしいような気がする!

 

「そうですか、それは良かったです。じゃあスープも……」

 

「あー! ずるいわ! イエニア、わたしにもちょうだい! わたしがお料理を運んできたんだもの、いいわよね?」

 

 僕を見て羨ましくなったのか、パフィーも食事を所望する。

 

「はいはい、分かりましたよパフィー。はい、お口を開けて……」

 

「はーい。あむ……」

 

 イエニアに食べさせてもらったパフィーは、にっこりと微笑んだ。

 

「……ふふっ! 楽しいわね、こういうの!」

 

 パフィーは心から嬉しそうだ。

 続いて、後ろからも声が。

 

「それじゃあ次は私もー……」

 

「レイフはダメです」

 

「えぇ!? そんなぁー」

 

 ――テントの中に笑い声が響いた。

 そんなこんなで、わいわい、がやがやしながら、僕らは楽しく食事をした。

 食事の後は、お風呂の代わりに濡れタオルで体を拭いてもらったり。

 毛布にくるまって横になって、色んなことをお喋りしたり。

 お喋りの時間はパフィーが眠ってしまうまで続いた。

 

 こうして、幸せな夜が更けていく――

 

 

 

 

 

 皆が寝静まったところで、僕はひとりテントを抜け出した。

 さて、待っているとは言われたけれど。

 とりあえず夕方に彼女と出会った場所に行ってみよう。

 

 果たして、そこには居た。

 夜の(とばり)を背景にして、ヤエナが佇んでいる。

 

「こんばんは、クラマさん」

 

「やあやあ、こんなところで何をしてるのかな? ひょっとして……強くて誠実なイケメンでも待ってたのかな?」

 

 なんてね! HAHAHA! イッツァジョーク!

 

「いえ、お兄様を待っていたわけではありません。クラマさんを待っていました」

 

 Oh...そう来るか。

 僕の小粋なジョークを軽くいなされてしまった。

 この娘、やはり相当のやり手。

 

「でも、だいぶ前から待っていたから体が冷えてしまいました。私のテントに行きましょう?」

 

 そう言って彼女は僕の手を取る。

 そして囁いた。

 

「大丈夫……私が動きますから。上に乗ってするのは得意なんです」

 

 少女のものとは思えぬ妖しい声色が、僕の耳孔をくすぐった。

 彼女の手が僕を引く。

 ……僕はその手を引き戻した。

 

「いや、ここでいい」

 

「え? ここで……ですか? さ、最初から外でなんて……思ったより過激なんですね」

 

「そうじゃない。僕はきみを抱かない」

 

 僕の言葉に、ヤエナの動きがぴたりと止まる。

 その顔から表情が消え失せていた。

 ……観察……されている。

 

 彼女は静かに口を開いた。

 

「それは……前に約束したのは、嘘だったということですか?」

 

 無機質な紫の瞳が僕を見据える。

 ここからの返答は、間違えれば即死もありそうな気配がする。

 それでも僕は迷わず踏み込んだ。

 

「ああ、嘘だ。僕は嘘つきだからね。あれはきみを動かすための嘘だよ。だって、僕がきみを抱く意味がないからね」

 

「意味がない……というのは、何故?」

 

「ヨールンは何百年だか何千年だか分からないけど、信じられないほど長く生きてるんだろう。なら、女性を悦ばせる事にかけては、僕がヨールンに及ぶはずがない。僕がきみを抱くのは、きみを寝取るという主旨に沿わないんだよ」

 

 ヤエナは目を閉じて少し思案する。

 

「……なるほど、それは分かりました。でも、それなら……私を寝取る気はあるという事ですね?」

 

「そうだね。そっちは嘘じゃない」

 

「そうですか……それでは、どうするつもりですか?」

 

「ああ……どうもしないよ」

 

 僕はヤエナの目を見て、答えた。

 微塵の気後れもなく、堂々と。

 

「傍で僕を見ていてくれ。僕の生き様を、きみに魅せよう」

 

 対してヤエナの反応は――驚き、懐疑、殺意、思案――瞬間的にいくつも表情が切り替わっていき、そうして最後には、いつも通りの顔に落ち着いた。

 

「分かりました。ただ……私の貴方への心象は、マイナスからの開始ですけれど」

 

 充分だ。

 

「それでは戻りますね。失礼します」

 

 それだけ言って、ヤエナは近くのテントの中に消えていった。

 

「……ふぅーっ……」

 

 なんとかこの場は凌げたようだ。

 ……おそらく、だけど。

 好きな人がいるから抱けない……などと本当の事を言っていたら、今ごろ僕はいくつかに分割されて大亀の外に放り出されていた事だろう。

 一抹の不安はあるけど……。

 ひとまず今は、みんなのもとに戻るとしよう。

 

 

 

 

 

 ――それから数日後。

 今はテントの中でパフィーと二人きり。

 僕はパフィーの太腿を枕にして、気持ちよく寝そべっていた。

 

「――そうして魔法使い相互扶助組合は魔法使いを守るために生まれたのだけど……結果として今は、魔法使いを監視して罰するのが仕事になってしまっているわね」

 

「へえー、なるほどなあ」

 

 僕はこうして暇さえあれば、この世界での知識を埋めるため、パフィーから色々な話を聞いていた。

 

「それじゃあ……今さらだけど、禁止されてるオノウェ隠蔽をやらせたのは危なかったんだなぁ」

 

「そうね。あの街に調査に来る魔法使いの精度次第だけど……わたしたちを責める材料になる……っていうのはあるかも」

 

「ごめんね、いろいろ無理させちゃって」

 

「ううん、いいのよ! 自分で納得してやった事だもの。……それじゃあ、次は何を話そうかしら?」

 

 周りに人はいない。

 これはチャンスだ。

 僕は慎重に言葉を繋げた。

 

「うーん、そうだなぁ……あっ、そうだ。知性・人格を操る第七次元魔法って、禁止されてないの?」

 

「禁止されてるわ。ただ、第七次元魔法を使える人は限られてて……みんな高名な魔法使いなの。だから彼らが使っても、組合から罰せられる事がないのよね」

 

 なんという権威主義。

 

「わたしもまだ、ごく簡単なものしか成功したことがないの。先生もまだ早いって言って、あんまり教えてくれないし」

 

 やはり“イードの森の魔女”グンシーか。

 僕はこの話の流れに沿って言った。

 あくまで自然に。

 さりげなく。

 

「人の人格を変えられたりするんだよね? それってさ、一時的なものじゃなくって……一度変えたら戻らないようなものなの?」

 

「だめよ?」

 

「……え?」

 

 なんて?

 僕は頭の向きをずらして、パフィーの顔を見た。

 笑顔。

 彼女は僕に笑顔を向けて、もう一度言った。

 

「だめよ? クラマ」

 

「……………………」

 

 ……いや、参ったな。

 世の中、そう簡単にはいかないみたいだ。

 今さらだけどパフィーって、優しいように見えて厳しい子だよねぇ。

 

 ――と、そこで何やら外が騒がしくなってるのに気が付いた。

 

「……なんだろ?」

 

「なにかしら?」

 

 小首をかしげるパフィー。

 僕らはテントの外に顔を出した。

 外ではなにやら騎士、それに冒険者たちが大勢集まっていた。

 

「あっ、クラマ!」

 

 イエニア?

 ……の、横にいるのは……?

 

「おお! 会いたかったぞクラマ!」

 

 と、なんだか親しげに僕を呼ぶおじさん。

 おじいさんと言ってもいい歳かな?

 しかし歳のわりに若々しい雰囲気をしている、やけに意匠を凝らした鎧に身を包んでいる男性。

 この人は……あれだ。

 初めて見るけど、あれだ。間違いない。

 

「父上、クラマ様がお困りですよ。彼は貴方のことをご存じないのですから」

 

 ティアもいた。

 ティアに言われて、おじいさんはバツが悪そうに頭を掻いた。

 

「おおっと! これは失敗したな! こちらは正騎士の盾で毎日のように諸君らを見ていたのでね……いや、てっきり昔からの知り合いのように感じてしまった! はは、許してくれ!」

 

 ははあ、なるほど。

 テレビやネット配信に映ってる有名人に馴れ馴れしく話しかけちゃうあれだ?

 

 でも向こうの方がずっと有名人なんだよね。

 なんたって王様だもの。

 騎士王国ラーウェイブの王にして、ティアの父親。

 パウィダ・ヴォウ=ウェイチェ。

 

 僕は王の前に立って口を開いた。

 

「こちらこそ杖をつきながらで失礼します。お会いできて光栄です、ウェイチェ王」

 

 そう言って深々と頭を下げた。

 僕の隣ではパフィーも綺麗なお辞儀をしている。

 うちのパーティーって、みんなこういうの得意だね。レイフ以外は。

 

「はは、そんなに畏まらないでくれ。これでは私だけ駄目な奴のような……いやエイトがいたか! ん? どうしたエイト?」

 

 ウェイチェ王はイエニアの顔を覗き見る。

 エイトはイエニアの本名だね。ややこしいね。

 それはさておき、彼女は何故だか浮かない顔をしていた。

 

「え、いえ……彼……クラマには、正騎士の盾で我々の活動が見られている事を秘密にしていましたので……その、申し訳ないといいますか……」

 

「大丈夫だよ、僕は気にしてないから」

 

「はい。ありがとうございます、クラマ」

 

 正騎士の盾で映像を送れるって分かった時点で、そのあたりは予想できてたしね。

 ……そんな僕らのやりとりを、ウェイチェ王は珍しいものを観察するように、しげしげと見ていた。

 

「ふうむ……あのエイトが……今まで映像越しに見ていたが……こう、目の前で見るとまた妙な感慨があるな」

 

「どういうことでしょうか?」

 

 僕は王に尋ねた。

 王は非常に楽しそうな様子で答える。

 

「ああ! エイトはこう見えて相当なじゃじゃ馬でなぁ! こいつが私以外の者に敬語を使うなど、国では見たことが――」

 

「お、王! そのようなことを言いに来たのではないでしょう! クラマに用件があるのですよね!?」

 

 慌てて王の言葉を遮るイエニア。

 へぇ~、これは意外。是非とも聞きたい話だ。

 

「国王陛下直々にご足労頂き、恐縮です。どういったお話でしょうか? 彼女の話は後日、詳しくお聞かせください」

 

「く、クラマ! 後日もないです!」

 

 すごい慌てようだ。

 王と僕の話を遮る不敬にも気付かない動揺っぷり。

 一体どんなだったんだろう、昔のイエニアは……。

 

 ウェイチェ王は僕に頷いてみせる。

 そして改めて僕に向き直り、正面からこちらを見据えて言った。

 

「うむ。これはまだ正式な話ではないのだが……貴殿に我が軍を任せようと思っている」

 

 ……なんだって?

 周囲のギャラリーがどよめく。

 イエニアも知らされていなかったようで、驚いた顔をしてる。

 

 これは大きい話だ。

 どう答えたものだろう。

 僕はパーティーのみんなの顔を見る。

 パフィー、イエニアは、僕が顔を見ると頷き返す。僕に任せる、と。

 後は……あっ、いた。

 レイフはギャラリーの奥。笑顔でひらひらと手を振っている。

 ……まったく、あの人は。

 

 僕は苦笑を押さえて、王に返答した。

 

「もし正式な辞令が下れば、謹んでお受けしたいと思います」

 

 僕がそう答えると、周りの冒険者から歓声があがった。

 王も満面の笑みを見せる。

 

「うむ、そう言ってくれるか! ありがたい! それでは冒険者諸君、邪魔をしたな! 我がラーウェイブはもう目と鼻の先だ! 改めて諸君らを、我が王国の客人として歓迎しよう!」

 

 今度は騎士も混ざって、大きな大きな歓声が、緑色の草原に響き渡った。

 

 

 

 

 

 ウェイチェ王が立ち去った後、当然のように僕は冒険者たちにもみくちゃにされて、やはり当然のように盛大な酒宴と相成った。

 無限に酒を精製してくるね、この人らは本当に。

 

 飲まされすぎてダウンしてる僕のもとへ、イエニアが訪れる。

 

「大丈夫ですか? クラマ」

 

「うぇーい……もうだめぽよー」

 

「……お酒もそうですけど、軍の指揮も……」

 

「ん……」

 

 不安そうなイエニアの声。

 ……たしかに僕にはそういう経験はない。

 でも、予感があった。

 多分だけど。

 おそらく、僕よりもうまく戦争ができるやつは、この世界に存在しない。

 

 そこに、もうひとりの声。

 

「大丈夫でしょう、クラマ様なら」

 

「……ティア。いや、もうイエニアって呼んだ方がいいのかな?」

 

 格好はかつらをつけてメイド服のままだけど。

 でも、ラーウェイブに入ったら、このままじゃ混乱するよねぇ。

 

「そうですね。クラマには馴染んだ呼び名を変えるのは抵抗があるかもしれませんが……」

 

「ふむ。ティアのフルネームって、パウィダ・ヴォウ=イエニアだよね?」

 

「そうです。ミドルネームは王族であることを現しています」

 

 西洋っぽい響きだけど、苗字が前で名前が後。

 日本と同じ形だね。

 

「イエニアのフルネームって?」

 

「あ、私には苗字はありません。ただのエイトです」

 

 そういえば、この世界は苗字を持たない人が多いって聞いたことがあるな。

 ……って事は。

 僕はそこで閃いたね。

 

「じゃあ、苗字をイエニアにすればいいんじゃない?」

 

「え……?」

 

 イエニア=エイト。

 現代日本じゃ馴染みがないけれど、実際、他人の名前を自分の名前にくっつけていくっていうのは、昔からよくある事だったりする。

 

 イエニアは戸惑いつつ、ティアの顔を見る。

 

「……それは考えつきませんでした。わたくしは構いませんよ」

 

「え、いいの? あっ、いや、いいのですか?」

 

 なんか今、一瞬出たね。

 

「ええ。そうすると、わたくしは名前を増やして……パウィダ・ヴォウ・ティア=イエニアですね」

 

「……なんだか妙な感じですね。そうだ、ついでに聞いておきましょう。髪の方はどうしたらいいでしょう?」

 

 名前だけじゃなく、そっちの問題もあった。

 イエニアとティアはかつらを被っている。

 

「さすがにわたくしはラーウェイブに着いたら外しますが……」

 

 まあ、ティアはそうだよね。公の場に出る王族だし。

 ……って、それを言えばイエニアもか。

 騎士団の代表者である正騎士。

 人前に立つのに、姿を偽るのはいただけないだろう。

 うーん、でもなー……

 

「僕は髪が長い方が好きなんだけどなー」

 

「分かりました。では、伸びるまでこのままで」

 

「え?」

 

 なんか即答されたよ?

 なにげなく言った僕の一言に。

 

 イエニアを見ると、なんだか嬉しそうな顔で頭のかつらを押さえている。

 

「ふふ……二人とも、ありがとうございました。それでは、私は一足先に下に戻って、街に入る準備をしてきます」

 

「ああ、うん……」

 

 僕は呆気にとられて見送る。

 ううーん、それでいいのか正騎士……。

 

「わたくしも失礼いたします。昔の彼女に関する話は、落ち着いたらわたくしからもお教えしますね」

 

「うん、期待してる」

 

 ぺこりとお辞儀をして、ティアは去っていった。

 

 

 

 ……さて。

 周囲は未だ冒険者達のどんちゃん騒ぎ。

 僕はふらつく足で立ち上がって、周囲の景色を見渡した。

 

 空は青く、どこまでも青く広がっている。

 周り一帯は草原。一面の瑞々しい緑の海。

 大亀の進む先には、畑と城塞。まだ少し遠いけれど、僕らの目指す街が目に見える場所にある。

 

 綺麗な光景。

 僕は素直にそう思った。

 こうして改めて眺めてみて……この世界が、とても愛おしく感じる。

 騒がしい冒険者たちの騒音も含めて。

 

 

 突然この世界に召喚されて、これまでに色々あったけど……本当に来てよかった。

 そういう意味じゃ、ヒウゥースやディーザに感謝かな?

 とにかく、僕の胸の内には、地球から来た他のみんなにも、この美しい世界を教えたいという気持ちと――

 その上で、この世界を壊したいという気持ちがある。

 

 しかしそう悲観的な感じはしていない。

 僕には仲間がいる。

 不安の種は尽きないけれど、きっとなんとかなる。

 そう信じて、進んでいこう。

 

 

「おつかれさま。大活躍だったね」

 

 不意に声をかけられ、僕は後ろを振り返った。

 目の前には見覚えのない、緑の髪と目をした少女。

 冒険者だろうか? この大亀に乗ってる冒険者の顔は、みんな覚えたと思ってたけど……。

 

「ありがとう。ええと……どこかで会った?」

 

 彼女は首を振った。

 

「ううん、ぼくが一方的に知ってるだけ」

 

 僕も有名になったものだ。

 中性的で、どこか不思議な雰囲気のある少女は、ふふっと悪戯っぽく笑った。

 

「ほんとは声かけるつもりなかったんだけどね。応援したくなっちゃって」

 

「それは嬉しいね。……きみの名前を聞いてもいいかな?」

 

 だが彼女はそれに答えない。

 代わりに、にこっと笑った。

 

「できればこのまま進んで……みんなみんな、壊して欲しいな。そうすれば、あいつらも出て来るしかなくなるし」

 

「え……」

 

「そのためにも、ぼくの子供たちも大事にしてね? じゃあ――」

 

 ――強い風が吹いた。

 この世界では珍しい強風。

 僕は思わず目を瞑り、そして……

 目を開けた時、先ほどまでそこにいた少女の姿が消えていた。

 

「ウェェェェェェイ」

 

 僕は足元を見る。

 そこには、フォーセッテの子供がいた。

 

「ウェイ! ウェイ! ヴェオッ!」

 

 そして僕の足をつつきだす!

 

「あだだだだだ!」

 

 僕は緑の狂鳥をむんずと掴みあげた!

 

「こいつ……」

 

「あーっ! そんなところに!」

 

 響くパフィーの声。

 パフィーはぱたぱたとこちらに走り寄り、僕の手からフォーセッテを奪い取った。

 

「もう! 今度は勝手にいなくなっちゃだめよ?」

 

「ウェェェェェェイ」

 

 むうう、こうして見れば微笑ましいと言えなくもないが……。

 

 ……………。

 僕はパフィーに声をかけた。

 

「パフィー、聞いていい?」

 

「なあに、クラマ?」

 

「緑の目をした人って、いる?」

 

「生まれた時には緑の子はいるわ。でも、物心つくと同時に改宗するから、赤ん坊だけね。緑は風来の神の色だけど、風来の神は自らが神であることを捨てたから……信仰しても心量を得られないの」

 

「……なるほど」

 

「うん。……わわっ! 暴れちゃだめ~! そ、そっか、ここ地球人が多いから……しょうがないわね。ちょっとこの子の籠を作ってくるわね?」

 

 そう言ってパフィーはテントの方へ走り去っていった。

 

 その場に残った僕はひとり考える。

 ………………………ま、いっか。

 考えてもしょうがない。

 僕が生きていれば、きっといつか分かる日も来るんだろう。

 

 そんな遠い先のことを考えるのはやめにして。

 それより気になることが目の前にある。

 酒盛りしてる冒険者たちの中。

 そこにはお酒を片手に手招きをしている、レイフの姿。

 うん。今の僕にはこっちの方が遥かに大事なもので。

 

 僕は苦笑しながら、歩き出した。

 


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