灰色のレンガが道に敷き詰められている教会前広場に、大勢の人間が集合していた。その人ごみの中心には、「服に着られている」小柄な少女がいる。
淡い緑色の冒険服に身を包んでいる少女の年はまだ幼い。10代の前半から、半ばといったところだろうか。左腰に真新しい鞘と剣を差し、背中には体に似合わない大きな革のリュックサックを背負っている。金色の髪が風になびき、黒の瞳が風の行方を見つめていた。
ガヤガヤ賑わしい広場へ、一人の男性が歩み出る。白い僧服に身を包んだ初老の男だ。おそらく、神父であろう。
「『勇者』、シャーロット。君のような子供に……少女に、戦いを強いる我らを許してほしい」
「いえ、良いんです。これも神の御意志。であれば、私はこの骨の最後の一片までも戦います」
その言葉に、広場からは嘆息とすすり泣きが聞こえる。
「光栄です。私、こうして世界の為に戦うことができるんですから」
にっこりと少女は笑みを浮かべ、神父に向き直った。
「召喚契約を、お願いします」
少女の表情に多少驚いたようだが、神父は努めて冷静に、両手を広げ、二言三言をつぶやくと、たちまち虚空に青白く光る門のようなものが出現し、それは少女の目の前へと降りてゆく。
「汝は何ぞや?」
神父が汗を浮かべながら尋ねる。
「我は勇者なり」
勇者も汗を浮かべ、応える。
「勇者、汝の役目はなんぞや?」
「我の役目は、我が主の御意志に背きしものを――」
青白い門から一人の男が現れた。否、「吹き飛んできた」。
あまりの唐突な光景に周りの者はおろか、神父でさえ大口を開けて男を見つめている。通常ならば勇者と神父の問答の後にしかるべき手順を踏んでから「旅の仲間」が召喚されるのだ。
本来ならば、あってはならない。ましてや、「勇者の役目」を述べてもいないのに召喚されるということは、それすなわち「勇者の意思に従うならどんなことでも行う」という仲間なのだ。それがたとえ犯罪でも、味方を殺す事であっても、ためらい無く行うという人間なのだ。
神父と群衆が汗を浮かべる中、現れた男はゆっくりと起き上がる。
ところどころ赤黒く汚れた、しかし傷の無い胴着を纏った男、服の上からでも、その下に隠された肉体がわかる男。短い黒髪と黒い瞳が、周囲の状況と自らの状況を照らし合わせているようだ。周囲の物音も、風すらもやんでしばらく経った頃、男はゆっくりと息を吸い込んだ。
「……召喚された、か」
心地よく鼓膜を震わせる穏やかなその声に、周囲の人間は呆けたように男を見つめる。てっきり、この世の最下層の毒沼が吹きあがったような声だろうと思っていたのだから。
「私を召喚したのは、誰かね?」
男がゆっくりと周囲を見渡すと、一人の少女が男に近づく。
「わ、私です! この村の、勇者です!!」
ふるふると足が小刻みに震えている少女は、懸命に男を――身長差が40センチはあろうかという男の顔を見上げる。
ほう、と男が小さく息を吐いた。
「よし、良し。ならば良し」
何か気に入る点でもあったのだろうか、満足げに男は首を縦に振る。しかし、神父は、はっとしたように言葉を紡いだ。
「ま、またれよ!! 汝の名はなんという!?」
「アルベルト・ウェンディ」
男は短くそれだけをつぶやく。すると、群衆の中の一人が奇妙な一言を発した。
「アルベルト……あの『全身凶器』のアルベルト?」
全身凶器、という言葉に、あるものは嘆息を漏らし、あるものは恐怖を浮かべる。だが、当のアルベルトは気にした様子はなく、さらりとその質問に答えた。
「そうだ」
簡潔な、肯定の言葉であった。ざわざわと群衆がにぎやかになる中、青白く光る門を閉じた神父が口を開いた。
「静粛に! これより契約を行います!!」
――――
「問おう、汝はなんぞや?」
「我は武器。我は盾。我は我」
神父の問いかけに、アルベルトはそのような言葉を紡ぐ。
「問おう、汝の目的は?」
「我が目的は……我が主マスターの敵を、一片の骨肉をも残さずに屠りさることなり」
まるで凶暴な肉食獣の前にいるかのような威圧感が広場を包む。その源は、アルベルトその人であった。
「ならば最後に問おう、汝が道を外れたとき、その時はどうする?」
「我が道を外れし時は……その時は己の首を鉄縄に結び、自ら鉄縄を引こう」
あまりにも真っ直ぐな答えに、神父の顔から汗が流れる。アルベルトの宣言は、神に対する誓い、それすなわち、破った時はそれをされても問題ない、ということなのだ。
神父はふぅと息を吐き、シャーロットを見つめた。
「終わりましたよ、『勇者さま』」
にっこりと神父がほほ笑むと、群衆の中で父母と語っていた少女は複雑な顔で神父に向き直る。
「ええ、ありがとうございます。神父様」
そして少女は自らの親に向き直った。
「征いってきます。父さま、母さま」
「ええ。行ってらっしゃい。シャーロット」
「体に気をつけて、無理をせずに、な。アルベルトさま。なにとぞ、御無事で」
その言葉に、アルベルトは薄く笑みを浮かべ、ただ一言だけをつぶやいた。
「勿論だとも」