すっかりと日は落ち、海鳥の声も止んだが波の音は静まる気配を見せない。今日一日ずっと新鮮な体験だったのだろうか、シャーロットは疲れたようにベッドに腰掛けている。ちなみに彼女と合室はエストだけで、マーレボルジェはアルベルトと合室である。
「いやー、久しぶりにリフレッシュできたわね」
シャワーを浴びて寝巻きに着替えたエストは、ハルバードを壁に立てかけると何とはなしに言葉を紡ぐ。シャーロットは曖昧に返事を返すだけだ。もう眠いのだろう。
だが、シャーロットははっとした様にリュックサックから日記帳を取り出し、ページを開く。旅の記録として何らかの役に立てばと思い立ったものだが、朦朧とする意識の中ではうまい事は書けそうにない。
エストは興味本位から日記帳を覗きこむ。もちろん文字をすべて読んだりはしないが、驚いたように声を漏らした。
「へぇ、昨日テントで何か書いてると思ったら旅の日記だったのね」
シャーロットは不意に掛けられた言葉に、耳まで真っ赤にして日記帳を胸に抱える。そして口をパクパクと動かし、なにやら言葉を紡ごうとしているが言葉は出ない。眠気は完全に吹きとんだようだ。
「ごめんごめん、そんなに驚くとは思わなかったから。私も日記を書いた事はあるんだけど、二日で書かなくなったのよね」
けらけらと笑いながら、エストは背を伸ばす。シャーロットはようやく頭が働くようになったのか、言葉を吐き出した。
「み、み、み、見ないでくださいよ!!」
「本当ごめんって、もう見たりしないわよ」
肩で息をしながらシャーロットは憤慨したような表情を浮かべ、そして日記帳に文字を並べ始める。エストはほほえましげにそんな様子を見つめ、そしてベッドに大の字になって軽く目を閉じた。
――――
一振りの剣が鞘ごとベッドに放り投げられていた。アルベルトはそれを気にする様子はなく、どっかりと床に胡坐をかくと目を瞑って瞑想の体制をつくる。
「おーい、そろそろツッコミのタイミングじゃぞ?」
「なぜ私の部屋になったのだ?」
「うん、ちょっとはしゃいだらこうなった。不束者ですがどうかよろしくお願いします」
アルベルトは大きく息を吐いてマーレボルジェに視線を向ける。情報収集を終えて宿に帰ったらマーレボルジェがベッドの上に放り投げられていたのだが、彼は特段突っ込みを入れる事無かったために自分から喋りだしたマーレボルジェは先ほどから強く出られないでいる。
「まあ気楽にしてくれや、儂はもはやおなごでは無いしのう」
マーレボルジェの言葉に反応は示さず、アルベルトはマーレボルジェをチェストの上に乗せると、ベッドにもぐりこんだ。
「おうおう、まだ眠るのには早いぞ、あの娘っ子がおらぬうちに聞きたい事がごまんとある」
声色を低くしたマーレボルジェがアルベルトに言葉を投げる。アルベルトは目を瞑ったままだ。
「主は何者じゃ? 人間でありながらあの凶暴性、それにあの武術は『知って』おる。確かオルヴィスティの近接格闘法であったか」
マーレボルジェは悪戯っぽい声色でそのように言葉を呟くと、アルベルトはベッドに寝転んだまま回答を導いた。
「いかにも、わが故国オルヴィスティの格闘術だ。魔物と戦うために必死で身に付けた技法だ」
くだらないとでも言うように、アルベルトは言葉を切る。
「それにしては珍妙ぞ、オルヴィスティが陥落してから十数年、主はいつから修羅道に身を落とした?」
いつもの冗談の混じった声ではなく、至極真面目な声色でマーレボルジェは言葉を紡ぐ。
「……私の過去など、特に面白い事は無い」
アルベルトは明かりを消すと、それっきり、マーレボルジェに背を向けた。おそらく本格的に眠るのだろう。
「なぜかのう、主を見ておると興味がわいてしょうがないのじゃ」
マーレボルジェの呟きに返事をかえさないまま、アルベルトは規則正しい寝息を立て始めた。マーレボルジェはやれやれ、と呟いたきり、言葉を紡ぐ事は無かった。
――――
翌日、三人と一本は宿のロビーで作戦会議を行っていた。周囲には観光客や冒険者と思わしき人間の姿も確認でき、誰も彼も船が出ない事に困っているようだ。
「とりあえず、情報の整理をしよう。シュナウファー、書記を頼む」
アルベルトの言葉に、シャーロットは待ってましたとばかりに紙とペンを取り出し、アルベルトの言葉に耳を傾けている。そんな様子にエストは苦笑するが、アルベルトはそれを意に介さずに言葉を切り出した。
「メモはまだ取らなくて良いぞ。まずは、酒場で聞いた情報からだ。この宿にも冒険者らしい人物が結構な数滞在しているのには気付いたか?」
その言葉にシャーロットは首を傾けるが、エストは首を縦に振る。どうやら、彼女は気付いていたようだ。
「ん、廊下ですれ違った人が何人か冒険者の格好をしてたわ。それも、皆して焦った様子だったわね」
その言葉に、アルベルトは大きく首を立てに振り、言葉を紡いだ。
「酒場の店主に尋ねたのだが、どうやら魔物のせいで船が出せないらしい」
その言葉にエストは合点がいったように息を吐き、シャーロットは何かをメモした。
「そして不幸な事に、この街には治安維持の兵隊はいるが魔物討伐専用に組織された部隊は存在しない。加えて魔物の正体は不明だそうだ」
シャーロットが要点をメモにまとめる間に、エストは眉間を指で押さえながら考えをめぐらせる。シャーロットが顔を上げたのを見計らって、エストは言葉を切り出した。
「ヴァルコラキに連絡が行っているのなら、たぶん数日で到着すると思うわ。でも、それもいつになるか分からないから不安になるのも当然、か」
「そうだ、だからこの街の領主邸で詳しい事を聞こうと思ったのだが、私一人で入って話が聞けるような場所ではない。他にもいろいろと聞き込みをしたのだが、めぼしい情報らしい情報と言えば、剣も魔法も網も砲撃も効かず、魔物が出現する直前には深い霧が立ち込めるという事だけだ」
エストは複雑な表情で天井を見上げる剣も魔法も効かないのであれば、魔物を討伐して進むと言う事ができない。なんらかの手順を踏んで魔物を退けるか、はたまた一度自らの身でその魔物と戦闘してその本質を確かめるしかない。
「つまり、今日は領主に詳しい話を聞いて、それからアクションを起こすって事で良いのね?」
「ああ、そのつもりだ」
シャーロットはメモに細かい注釈をつけながら紙を整え、そしてペンを置く。今まで沈黙を貫いていたマーレボルジェは、ここになって初めて言葉を発した。
「ふむ、奇妙じゃのう。生のあるものならば必ず死は訪れるはずであるが」
その言葉に、エストが苦笑いを浮かべながら反論を行う。
「あなたがそれを言うの?」
無理も無い、マーレボルジェ自身が「何年生きているか分からない」と答えたのだから。だが、マーレボルジェはからからと笑いながらその言葉にも反論をした。
「儂はただ生命力が強いだけじゃ。しかるべき手順を踏めば儂は造作も無く死んでしまうじゃろうよ」
この答えはエストも予想外だったのか、驚愕の表情を浮かべている。
「ともかく、行動の目標は決まりましたから、その通りに行動しましょう。領主邸でお話を聞いて、一刻も早く魔物を退治しないと」
勇者としての使命感からか、シャーロットはそう呟くと勢い良く立ち上がった。それに釣られるようにエストとアルベルトも立ち上がり、顔を見合わせて軽く頷く。太陽が高く上ろうとしている時間ではあるが、三人と一本は宿屋を発ち、領主邸へと歩き出していた。