ヘリで自分の居場所へと戻っている中、俺はさっきまでの仕事のことを思い出す。
普段は自分の担当地域から離れない俺だが、今日は前線にいる指揮官のひとりから呼び出され、グリフィン社の赤い制服をきちっと着こなして相手の基地へ行っていた。
はじめは歓迎されたが、すぐに話の内容は変わった。
補給の相談から罵倒にだ。なんでも俺が後方にいるのが気にくわないらしい。
戦果をあげてないのに指揮官という立場にいるのが恥ずかしくないのか、安全なところでしか仕事ができない無能、歳を取っているだけの老害、前線への敬意と物資の融通が足りないんじゃないかと。
まとめると、会社に秘密で物資をよこせということだ。
大きくないとはいえ、後方の都市部で仕事をしている俺のことを、私財を貯めていると決めつけて脅迫された。
物資が足りないと、鉄血の人形や難民を抑えきれないという言葉付きで。
……まったくもって面倒だった。少しはこっそりと私財を増やしているが、それは緊急時のためで俺本人としては会社からの給料だけでつつましく生きている。
それに都市部の偉い人たちから渡された物資の多くは本社へと送っているのは調べれば分かるはずだ。
だというのに、強気だったのは知らないところでの派閥争いが激化していると理解してしまう。
いや、単に派閥関係なく俺へ恨みがあるだけということもあるが。
まったく人間は面倒だ。真面目に仕事をしているというのに面倒だけが増え、幸せな気分になる時間さえもないと思えてくる。
何度も繰り返したため息は、護衛として着いてきてもらった青色を基調とした服を着て、純白の光を浴びているみたいに白い髪が美しいマカロフに嫌な顔を向けられる。
落ち込んだ気分のまま、俺が配属されている基地のビル屋上へとヘリは着陸し、先に降りるマカロフ。
人間のパイロットへと軽く手をあげて感謝をしたあと、俺はヘリの巻き上げる風に髪をなびかせて待っているマカロフの後に続く。その時に赤いベレー帽をポケットへしまってから自分の黒髪が目に入らないよう、押えながらヘリを降りた。
そうして建物の中へ入ったあと、マカロフは銃の整備をしてくると言って途中で別れ、俺は疲れた精神を安らげるために休憩室に向かって歩いていく。
階段を降りていき、廊下を歩いて休憩室がある場所へ近づいていくと、ちょうど部屋の中からリラックスした雰囲気のM14が扉を開けて出てきた。
「おかえりなさい、指揮官!」
「ただいま、M14」
にこやかに笑みを浮かべて迎えてくれるM14に俺も笑みを浮かび返すが、疲れたためにぎこちない笑みを浮かべてしまう。
そんな俺の笑みに気づくとM14は俺の前まで近づいてくると、心配した様子で顔を見上げてくる。
「お疲れですか?」
「少しな。別に戦闘をしたわけでなく、話し合いをして精神が疲れただけだ」
普段なら軽く話をするか、髪を見つめるぐらいはするのだが疲れのあまりにそれらをする元気もない。
早く休むためにM14の横を通り過ぎたときに、俺は足を止めてしまった。
それは今までの疲れを忘れるほどに力強い急停止だ。
その原因は匂いだ。
昨日会ったときは髪から匂いなんてしなかった。でも今は匂いがする。
人間が使うような、シャンプーのフローラルな匂いが。
いや、シャンプーの匂いでなく、淡い髪の香りと言ったほうが正しいだろうか。
その香りは甘く、かといって甘すぎるものではない。普段から元気に動くM14によく似合う香りだ。
「この匂いはシャンプーを使ったのか?」
「はい! 指揮官があたしの髪を気に入ってくれたので、手入れしようかなと思ってシャンプーを使い始めたんです!」
明るく答えてくれる声に、俺は感激してしまう。
そう、俺のためだけにシャンプーを使ってくれただなんて。きっと時間をかけて考えたに違いない。
民生用の人形は普及してから、人形用のシャンプーの種類はあるものの、人間用のより少し高い。
俺の指揮下にいる戦術人形たちには少ないけれど、給料は渡してある。
その少ない給料の中でシャンプーを買ってくれたのは感激する。しないはずがない。
戦術人形でシャンプーを使う個体がいるのはM14が初めてだ。前線、本部の人形ですらシャンプーを使っているのはいない。
もしいたら、まっさきに俺が気づいているから正しいはずだ。
しかし、それにしてもだ。
シャンプーは実にいい。人工毛が前に見たときよりも輝いて見える。
揺れ動く髪はよりなめらかに動き、まるで川の流れのように自然に動いている。
さわりたい。すごくさわりたいが、人通りがある廊下で、仕事中の相手に無理強いするのはよくないと心の中で泣きながら我慢をする。
「あの、指揮官?」
「ん、あぁ……いや、なんでもない。これからは市内の見回りだったな?」
「そうですけど、えっと、その、……行く前にあたしの髪、さわります?」
「さわる」
恥ずかしそうに目を伏せつつ、最後のほうでは上目遣いで聞いてきたM14の魅力的な提案に俺は即答した。
前にさわった時とどう違うか大変興味があり、好奇心を抑えたままなのは精神衛生上、非常によくない。
人間、我慢を続けるとストレスで胃が痛くなって大変だから俺の行動は当然のことおだ。
俺はM14に後ろを向いてもらうと「さわるぞ」と声をかけてツインテールの上部に右手を軽くあてて下へと下げる。
それは絹のようなサラサラとした気持ちいいものだった。
上から下へ。そのさわる動作を何度も繰り返していくうちに、嫌な気持ちは忘れて平穏な心へ戻っていく。
そうしたあとは手の平でツインテールの先端を持ち上げるようにし、髪の毛が水のように手から流れ落ちていくのは感動する。
M14の髪は、こんなにも俺の心を揺れ動かすものかと驚くばかりだ。
「よければ、なんですけど。仕事先で嫌なことがあったんですか?」
「少しな。今日会った前線の指揮官が、俺より優秀だと言ってきたんだ」
「どんな内容です?」
「まとめると、年若い僕のほうが功績が上で結婚をして幸せだ。お前は35にもなって独身。出世欲もなく、これといった趣味もないようじゃないか。君、幸せはいらないのかい? と言われたな」
M14が俺へと振り返り聞いてきたことについて今日の出来事を思い出し、嫌な気分になりながらも髪をさわることで中和しつつ伝えていく。
今日あった男の話を思い出していると、幸せとはどういうものかと疑問を覚える。
人より偉いと思いたいのは幸せなのだろうか。
出世欲と言うやる気、自分の興味あることをやる趣味。それらは絶対的に必要か?
特に結婚だ。興味がなければ、どんなに年齢を重ねてもいいじゃないのかと思う。
それらをしないと幸せになれないのだろうか。
幸せとはどういうものかが俺にはわからないが。
髪をさわる手を止めて幸せについて考え始めると、M14が俺へと体を向けてきて、正面から見つめあう態勢となった。
「……すまない。つまらんことを言ったな」
「いいえ。いいえ、そんなことはありません!」
愚痴を言ったことに後悔し謝るも、M14は力強い声で俺の言葉を否定し、俺の両手を掴むと胸元に引き寄せて握ってくる。
「幸せは無理に作り出すものではないと思います。幸せとは人それぞれ違うものですし、指揮官には指揮官だけの幸せがあるはずです」
「焦っても良いことはないということか」
「そうです! それに嫌なことがあった時は忘れればいいんです。AK47さんと朝までお酒を飲む、銃を撃ちまくる。そうして嫌なことは忘れませんと」
ストレス解消の方法を聞き、そういうのは今の場所で仕事を始めてから全然やったことがないと気づく。
本部にいた頃は、ヘリアントスさんやM16と酒を飲んで愚痴を言い合ってすっきりしていたというのに。
今となってはコーヒーを飲むぐらいか。
……いや、あった。今までの人生で最高のストレス解消方法が。
そう、女性の髪をさわって心ゆくまで楽しむということを。問題としては女性の髪をさわるのは失礼にあたることが多く、さわるのを許してくれるのは今のところM14しかいないのが問題ではあるが。
「言ってくれなかったら、そういうストレス解消法に気づけなかった。M14の場合は嫌なことを忘れたいときはどうするんだ?
「人と違い、人形であるあたしは自分の意思で忘れる、記憶データを消去することはできないので覚えたままです。消すときはそれが必要じゃなくなったときだけ」
握っていた俺の手を離し、M14は困ったような寂しげな表情を浮かべる。
その表情を見て、俺は気づいた。
俺のような人間は時間の経過で悪い記憶は段々と忘れることができる。
でも戦術人形である彼女たちは戦友の死やテロリストに殺された人間を覚えたままだ。消すこともあるが、その時の戦闘データを蓄積していけば役に立つため、I.O.P社でメンテナンスした時も消されることはない。
その苦しみが戦いに必要となるならば、覚えていかなければならない。
そう考えると、忘れることができる人間はすごい生き物じゃないかと思えてしまう。
忘れることができない。それは機械の体を持つ戦術人形共通の物。
だが、それは幸せなことを覚え続けることができるのではとも思う。
「M14が考える幸せとはなんだ? 俺じゃなくお前の幸せだぞ?」
暗い顔をしていたM14に問いかけると、口元に手をあて天井を見ながら考え始め、すぐに終わったのか俺へと向き直る。
「あたしが幸せと思うことは、体の故障がなくバッテリーや予備パーツに困らなくて、指揮官である、あなたのそばにいることですね」
恥ずかしがりもせず、まっすぐに言ってくる言葉。人間と違う幸せの基準になんだか寂しく思えてしまう。彼女たちには味覚や嗅覚があるのに、それを味わうことは幸せにはならないのかと考えて。
人間はおいしい物を食べれば幸せを感じることが多い。だが、人形たちは自分が問題なく稼働できることを最優先している。
その考え方は人形として間違ってはいないが寂しくなる。これは人形だからこその固定された思考なのだろうか。
そして最後あたりの言葉で俺は恥ずかしくなってしまう。
なんだ、俺といたいって。
「それが幸せということは理解できるが、俺のそばにいることが幸せになるのか?」
少し恥ずかしくなったが深呼吸して落ち着いてから疑問に思ったことを聞くと、M14の体は硬直して機能停止したかと間違えそうなほどに止まっている。
……今の一瞬でフリーズするほどCPUを使う行動はしてないんだが。それにメンタルモデルがある個体は走っているプログラムを停止して処理落ちなどを避けるようできているはず。
「M14?」
「あ、はい。えっと返事ですけど、信頼できる人と一緒なら損傷する心配がありませんし、プログラムのバグやバッテリー切れで動作停止しても指揮官なら置いていかないという、信頼している意味でそばにいたいんですよ!?」
声をかけてから手をバタバタと動かしながら大きめな声で早口の説明に圧倒されるが、信頼の意味での幸せなら納得だ。
でもそういったM14は落ち着かない様子が続いているのがわからないが。
何か別な意味があるのかと、M14の目をじっと見つめると向こうも静かになって同じく見つめ返してくる。
……見つめあっていると、なんだか恥ずかしさが来る。M14の目をうるんできているし。思春期でもないんだし、なんだか緊張してしまう。
そうしてお互いに動けないでいると、コツコツと廊下に響く足音が聞こえる。
その音の方向から聞こえたのはブーツの足音。さっきまで一緒にいたマカロフの姿が見える。
マカロフは俺とM14に冷たい目を向けて、『こんな廊下で何いちゃついているの?』というような目を向けながら休憩室へ無言で入っていった。
休憩室のドアが閉じる音でM14は慌てて俺から離れると「格闘訓練に行ってきます!と言って廊下を早足で歩いて去っていった。
ひとり残された俺は動けない状況から解放されたことに安心し、同時に寂しいという感情が出てくる。
なんで寂しくなる要素はないのに、と自分の感情を不思議がりながら俺は本来の目的であった休憩のために休憩室へと入っていく。
部屋ではマカロフから、嫌がらせをしたのかと不審な目つきと共に聞かれたので、髪をさわったことや相談に乗ってもらっただけだということで不審な目つきは終わった。
代わりに好奇心たっぷりな表情を浮かべ、どんなことをしたのかを聞いてきたが。
説明をしてマカロフと一緒にコーヒーを飲んでゆっくりした時間を過ごしているうちに、今日の嫌なことは自然と忘れていた。
戦術人形は戦闘目的で作られたものだが、M14やマカロフを見ていると精神が楽になる。
人形たちが美人やかわいい子たちなのもあるが、なによりも人間でないという意識があるから人間相手とは違う気持ちになれるからなのだろう。