11月最後の日から俺を夫と定義付けしたG36のお世話をされ始めてから10日が経つ。
そのあいだ、俺は実に健康的に過ごした。いや、過ごしてしまった。
元メイド経験があるためか、俺の身だしなみを整えてくるし、寝る前には子守歌を歌おうとし、本来の仕事に余裕があるときは食事を作ってくる。それも俺だけの分じゃなく、マカロフの分まで。
俺とマカロフを"家族"として扱い、俺と同じように丁寧な対応をしてもらっているマカロフはとても満足そうにしている。
……このままだとジャンクフードが食べられなくなってしまう。マカロフを味方につけたG36は、もはや敵なしだ。
10日で健康になった俺は普段からやる気が出るようになったため、このままでいいのか悪いのか複雑な気持ちで仕事をしている。
午前11時現在、窓から差し込む太陽のまぶしい日差しとエアコンの煖房でよく暖まっている事務室に1人こもって椅子に座り、机に向かってはパソコンでデータ確認をしている。
自分でマグカップに淹れたコーヒーを飲みつつ、コーヒーのいい匂いが広がる部屋で静かに仕事をするのは集中できていい。
今やっているのは、先日UMP45に頼まれた弾薬や装備の管理状況の確認だ。
昨日になって、ようやく渡されたリストの物が全部集まった。
特に手間取ったのはG11という銃のケースレス弾だ。流通も少なく、値段も高いために苦労したものだ。
UMP45に頼まれるまま集めたものの、彼女の仕事がなんなのかはわからない。ただ、弾薬や装備から見ると彼女が少人数の、弾薬の種類から見て4人の部隊に所属しているのは推測できるんだが。
マカロフよりも長い、2年ほどの付き合いだが分かってないのが多いなと改めて理解する。
ヘリアントスさんがUMP45に対して慎重かつ対等な扱いをしているから、なんらかの特殊な部隊だと思うのだが。装備試験や人に紛れての諜報活動などを。
必要なこと以外は調べないほうがいいか。彼女は人へ危害を与えないリミッターがないから、深い事情を知ってしまったら知人とはいえ殺されてしまいそうだ。
と、先日ナイフを首に突きつけられたことを思い出して背筋が寒くなる。
そう思っていたとき、不意にドアがノックされて驚きのあまりにビクリと体が大きく震えた。
タイミング的にUMP45が来たのかと焦ったものの、その軽いノック音は4回で聞き慣れている。
パソコンを通して部屋の電子錠を開けると、扉を開けて入ったのは親友である戦術人形のM16だった。
20歳はじめ頃の若さで美しい顔立ち。右目を黒い眼帯で覆っているM16はまぶしく思えるほどの明るい笑みを俺へと向けてくれている。
そんな彼女の髪は、腰まである輝くような黒色の髪を三つ編みにして、その前髪の右側にある一房の髪は鮮やかな黄色で染められている。
黄色のワイシャツを着て黒ネクタイを結んでいる。そのワイシャツの上には前開きにした黒いパーカーを雑に羽織っているのが、なんだかおしゃれだ。
スカートは太ももまでの黒のミニスカだ。脚にはニーハイとニーパッド、靴はブーツと黒で統一されている。
「よぉ! 元気だったか?」
「あぁ、元気にされてるよ」
2か月ぶりにあったM16は片手をあげてテンション高く挨拶してくるが、俺はそれにため息をついて返事をしてしまう。
俺の返事に不思議そうな顔をしながら、机越しにすぐ目の前までやってくると腕を組む。
じっと俺の顔を見つめたあと、上から下まで服を見てくる。
「肌のツヤもよく、服も綺麗なのになんで不機嫌なんだ? お前の世話をするもの好きなのはマカロフぐらいだろう?」
「マカロフじゃなく、別の人形だ。奉仕しなきゃ落ち着かない性格らしい」
G36が俺のために色々と頑張ってくれるのは嬉しく思うため、はっきりと断ることができない。本人も俺の世話をしてくれるのは楽しいと言っているし。ただ、風呂場で背中を流してこようとするのは止めた。
裸を見られると指揮官としての威厳がなくなってしまうと同時に、そこまで受けいれてしまうと人形たちに依存してしまいそうだったからだ。
複雑な気持ちになり、その気分転換をするためにM16へと来た目的を聞く。
「今日来たのはなんだ? 酒なら帰りに渡そう」
「それはありがたいね。でも目的はそれだけじゃなく査察をしてこいってヘリアンさんに言われて」
「ヘリアントスさんが?」
何か問題でも起こしたかと記憶を探っていると、M16は俺の背後へやってくるとおぶさるようにして、腕を回して肩へと頭を乗せてくる。
この肩にかかる重さがなんだか安心し、本部にいたときもこういう姿勢が多かったなと懐かしむも以前とは違う感覚があった。背中にあたる胸の感触が成長したとかそういうのではない。
匂いがするのだ。この匂いは体臭アンプルではなく、髪だ。
それも女性向けのシャンプーではなく、爽やかな柑橘系だから男性向けのを使っているのかもしれない。
「いい匂いがするな」
「だろう? 今じゃ本部では人形たちが髪に匂いを付けるのが流行でな。その流行元はUMP45なんだが、なんでそうなったか知っているか?」
「UMP45なら2週間前に来たが、どうもうちの人形たちの影響を受けたと言っていた」
「へぇ、あいつはお前のところでシャンプーを使うことを学んだのか」
俺のところから学んだということに対して少し感心したふうに言いながら、M16は俺がパソコン上に表示されているデータを指差して違うのを求める。
元から出ていた保管庫の弾薬量から、次は宿舎の整備や人形の装備品。
M16が見せろと言ってくるのはUMP45関連のものばかりだ。すぐそばにいい匂いを感じられるのは素敵なことだが、知らないうちに悪いことでもしたのかと緊張する。
知らない間に派閥抗争にでも巻き込まれたのだろうか。UMP45のことはあまり知らないことが多く、今回のことだってどこの部隊かもわからない。
緊張した気持ちを落ち着かせるため、俺はM16へと話しかける。
「本部では体臭アンプルはあまり人気じゃないのか?」
「体臭? 人間の体から出る匂いの奴か?」
「そうだ。俺のところではG36がきっかけで使う人形が増えてきているんだ」
「お前の人形たちはずいぶん変わっているなぁ。私はとても驚いているよ」
あきれて言うM16は俺から離れていき、俺は椅子を回して体をM16へと向ける。
M16は自身の匂いを嗅いでは、じっと俺を見つめてくる。
真顔で見つめられると反応に困る。
「あー……それで査察は終わりか?」
「ん、あぁ。帰りにそのデータを渡してくれ。なに、悪いことに使うわけじゃない。404の動きを把握しておきたいだけだ」
「404?」
「404小隊のことだが知らなかったか。特殊部隊でUMP45が隊長だ。ここまでなら無理なく教えれるが、もっと知りたいか?」
初めて聞く単語に眉をひそめると、M16はそのことについて教えてくれると言った。
だが、その目はこれ以上聞くなと警告するような鋭い目つきだ。
情報を知るのは大事だが、知りすぎることもよくない。その警告に素直に従うことにした。
「いや、いらない。それだけわかるなら安心だ。これ以上聞くと俺に悪いことが起きたり、原因でUMP45が悪い状況になったら夢見が悪い」
「そうか。それでだが、お前はどういう体臭が好きなんだ?」
「……なに?」
話の唐突な話題転換に着いていけず、どういう意図なのかわからない。
いや、仕事の私はもう終わりという合図か。
「私も今度使ってみようかと思ってな。それなら親友のお前が好きな匂いがいいだろう?」
俺が納得した気配を感じたのか、気持ちのいい爽やかな笑みを浮かべてそんなことを言ってくる。
別に俺が匂いフェチというわけではないが、そう言ってくれるのは嬉しく思う。
前から俺のために色々としてくれた。指揮官を目指す、と言ったときには銃の撃ち方や野外訓練にも付き合ってくれたのは感謝している。
その恩を返すには、指揮官になった今だと贈られた酒を渡すぐらいだ。
「よし、倉庫に貯まっている酒をあげよう」
「よっしゃ! さすが指揮官だ! で、どういう匂いがお前の好みなんだ?」
嬉しそうにバンバンと肩を叩いてくる力強さに耐えつつ、俺はM16を眺める。
この見た目で似合うのはアメリカ人の匂いだろうか。その匂いをM14がつけていたから、すぐに想像できる。
その体臭と今の髪の匂いも悪くはない。だが待って欲しい。意外性を持ってベトナム人というのもありかもしれない。
理由としてはM16という銃の史実的にベトナムでよく使われた銃だからだ。
でもそれは銃のことで人形であるM16とは別だ。
純度の高い黒髪を見ていると、日本かとも思う。
以前、本部にいたときに友人から日本人の髪はいいものだぞと言われたし、日系の人間を見たときは美しい黒髪に心を奪われたものだ。その時と同じぐらいにM16は綺麗だ。
「好みというか、M16に似合うのは日本人かなと思う」
「日本人? 私がか?」
「M16の黒髪は本当に綺麗なんだ。それで黒髪と言えば、日本人が一番だと聞いたから」
「ほぅ。なるほど、なるほど。お前さんは私が綺麗だと」
「黒髪がな」
「なら、次会うときにはそうしておこう」
嬉しそうな笑みを浮かべたM16は俺から離れると、机を回って机越しで目の前へと立つ。
そしてスカートのポケットから1枚の小さな紙のメモを置く。
その紙にはヘリアントスさんの字でメッセージが書いてあり、最近の戦線やグリフィン社での勢力争いに関することが書いてあった。だが一番大事なのはそれじゃない。
それらの文章を飛ばして、最後あたりに書いてあるのは『いい酒を送ってくれ』というものだった。
これは祝い酒をくれというのだろうか
「なぁ、ヘリアントスさんは恋人ができたか?」
「いいや。つい2日前も合コンに失敗した。今年もクリスマスは独り身だなぁ」
やれやれと言った様子で肩をすくめるM16。
酒をくれというのはヤケ酒の意味だったか。
しかし、いまだ恋人ができていないのか。あの人は仕事熱心なところと料理や掃除ができないのを隠しつつ、獲物を狙う肉食獣的な目を抑えれば恋人はできると思うのだが。
恋人ができたとしても、維持できるかが非常に怪しいところだが。
「ヘリアントスさんにクリスマスプレゼントと言って酒の他に宝石の原石でも送るとしよう」
「それよりもお前さんが付き合えばいいのに。幼馴染だからお互いにいいところも悪いところも知っているんだろう?」
「以前付き合ったことはある。だが、俺との恋人関係は面白くないと言われて4日で終わったんだ」
「12歳の頃に恋人がいたと言ったときには嘘だと思っていたけど、お前がそうだったのか!」
目を少し見開き、からかおうとしたのか口を開くもすぐに閉じてしまった。
「……なんで別れたかを聞いても?」
「単に俺が恋愛感情を持っていなかったというだけだ」
「幼馴染でも恋愛がうまくいかないとは。人間とは複雑なもんだ。単純に子作りしたいか、したくないかで恋人を作ればいいのにねぇ」
その合理的というか、人形らしい思考にそういう考えもありだなと納得をする。人は恋愛感情があっても理性という意識が他のことを考え、この人と付き合ったらどういう損得があるかを考える。
好きだけでいかない恋愛というのは実に面倒だ。
椅子の背もたれに深く背中を預け、ため息をついては天井を見上げる。
「人の理性がもう少し減ってくれれば、今頃は人間の人口が減るということもなかったのにな」
「だが理性が弱まれば、俺は人形たちを性的な意味で襲ってしまっているぞ? 愛がない関係なんてのは嫌だろ」
「私は構わないけど?」
唐突に驚く言葉を聞かされ、飛び起きるようにM16の顔をまじまじと見る。
その表情はからかうわけでもなく、嘘を言うようには見えない。
M16のなにげなく言った言葉に、少しだけドキドキしてしまう。それを深呼吸を一度して心を落ち着かせる。
真実に聞こえたが、きっと嘘に違いないと思う。
「嘘はやめてくれ。いまだ独り身の俺には心臓に悪い」
そう言った途端、M16は机へと片膝をついて上に上がると、片手を俺の首へと回して近寄せてくる。
M16の淡いピンク色をした唇が俺の唇とくっつき、お互いに目を開いているためにM16の綺麗な顔がすぐ目の前まで迫っている。
こんな距離に近づいたのは初めてで、近くで見るほど美人だなと思う。
そう現実逃避している間にもM16からのキスは続き、窒息して倒れる寸前にまで離れてくれずキスは続いた。
M16が俺から顔を離すも、以前としてすぐ目の前から離れてくれない。俺は酸素を求めて荒い呼吸をしつづけ、呼吸をすること以外は何も考えられない。
「どうだった、私のファーストキスは」
楽しげに笑みを浮かべ、俺が呼吸で苦しんでいるというのに涼しい顔をしている。
なにがファーストキスだ。こっちだって初めてだったんだぞ。なのにムードも何もなくキスとは。1発殴ってやらんと気がすまん。
「苦しいだけで気持ちよくは――――」
「もう1度だ」
俺が不満を言い終えるより早く、キスをしてくる。
それはさっきと違い、口の中へと舌が入り込んでくるキスだ。
人間とは違う人形であるM16の舌は俺の唾液を求めるように口の中いっぱいに舌を動かしてくる。
人形の口の中は、唾液や高い温度はなく吐息もない。
だからか、その情熱さを感じるキスは俺が持っているものを全部奪うかのように感じた。
気持ちのいい不快感。その感覚がある。
舌同士でキスを続けるほどに俺の唾液量が増え、くちゅくちゅといった音が静かな事務室に響く。
さっきと同じように呼吸が苦しくなって離れようとするも、M16に押さえられて離れることができない。
だから俺はM16が求めるままに濃密なキスを続けるしかない。
それが1分か、または5分か。
とても長く感じたキスはM16が顔を離すことで終わった。
その時には俺の唾液でお互いの口に糸ができ、切れる。
少し離れて見えたM16の表情は初めてみたもので、頬が少し赤くなり、人間で言うなら発情したと言えるような。
「今度は気持ちよかったかい?」
「ああ、気持ちよかった。よかったが、俺に恋愛感情を持っていたのか、お前は」
「いいや? セックスしてもいいという私の気持ちを嘘だというからキスで証明したんだ。やっても人と違って子供ができるわけでもないし、セックスなんてのは暇つぶしをするにはいいだろう?」
「お前がよくても俺が嫌だ。それをする関係になってみろ。人形に対してそういう気持ちを持ってしまったら、愛しくて戦場に出せなくなる。それに俺はお前との今の親友関係が好きなんだ」
「この関係は私も好きだ。私とやるかは別にして、人間は愛する人がいて幸せなんだろう? 人は幸せを求める生き物だとヘリアントスさんが言っていたよ」
「幸せは求めるが、その幸せは人それぞれだ」
そう言ったあと、口元の唾液を腕でふいてから深呼吸を2度し、心を落ち着けたあとにM16の三つ編みになった髪へ向けてゆっくりと手を伸ばしていく。M16は俺の手がどこへ行くかを見ながらも止めることはしてこなかったため、髪をさわることに成功した。
この黒髪は美しいが、手に取ると単純にその言葉だけでは言い表すことができない。
黒の色は、夜の闇のように深く純粋な黒色を持っている。太陽の光に当てると鮮やかに光を反射し、きらきらと輝くのはまるで宝石のようだ。
「私の髪はどうだ?」
「実にいい」
「それはなによりだ。よし、酒をもらう対価としてもっとさわっていいぞ」
M16は机から降りて1歩後ろへと下がり、俺の手が髪から離れていくと三つ編みにしていた髪をほどいていく。
滅多に見ることがないロングヘア姿だ。
今まで三つ編みにしていたため、結っていた髪の癖があってウェーブがかっているが、いつもの男っぽい雰囲気がなくなって美女にしか見えなくなってしまう。
いや、それが悪いことではないが新鮮すぎて美女だなんていう感覚がある。
ロングヘアになったM16は俺の表情を見て満足そうな笑みを浮かべると、背中を向けて1歩近づいてくる。
すぐ目の前にやってきた髪に、俺は壊れ物を扱うかのように慎重にさわっていく。
髪の先端から始まり、手の届くところまで。
それを時間を忘れてさわっていく。
今、この時がとても幸せな時間だと感じながら。