「よぉ、ようやく来たか」
一方通行とロズワールの戦い、そしてその衝撃で上条が意識を失う少し前のことだ。屋敷から逃げ出したスバルは森を抜けた先の断崖絶壁の崖の上に腰掛けていた。
「...口の利き方がなっていないようなのよ」
そんなスバルのもとに現れたのは長く豪奢な縦ロールを撫でつけたベアトリスだ。
「なんとか言ったらどうなのかしら」
「...なんとか」
「つまらない上に古臭い、しけた顔してどうしようもない奴なのよ」
いつも通り辛辣なベアトリスの言葉を聞き、スバルは苦笑した。とはいえ、今はその辛辣さに助けられる部分もある。
「それに、なんだかいつにもまして小汚いのよ」
ベアトリスは顔をしかめる。
「なに、ちょいと野生の狼さんに絡まれてな。見苦しい格好ですまねぇが勘弁してくれ」
ベアトリスの苦情を飄々とした態度でかわすスバル。そんな彼の上下のジャージは確かに少し泥で汚れており、ところどころに血が滲んでいた。
「狼...?」
「あぁ、森を抜けてここに来るまでの間に襲われた。ま、何とか撃退したけどな。ロズワールの野郎、なんてとこに屋敷を建ててやがんだ?」
ほら、とスバルは崖下を指さす。そこには確かに黒い狼の死骸があった。
スバルの返答にベアトリスは己の顎に触れ、しばし瞑目。そして、すぐに納得したように小さく首を振り、
「周囲に気配も感じないし、たぶん、はぐれた奴なのよ。たまたま結界を抜けたのと出くわしたとしたら、お前の運の悪さも相当なものかしら」
「俺も自分が実は不運の塊なんじゃないかと疑ってるとこでな」
今更だった。異世界に転生し、右も左も分からないまま殺人鬼に嬲り殺され、何とか窮地を脱したと思えば今度は保護された先のメイドに疑われ殺される。誰かの口癖ではないが、それこそ今すぐにでも『不幸だ』と声を大にして叫びたかった。
だが、
「あいつらと出会えたことは、不幸なことなんかじゃない」
上条当麻。一方通行。『死に戻り』を共有できる彼らがいなければ幾度の死に立ち直ることなんてできるはずもなかった。
彼らだけではない。エミリアは最後まで自分を信じようとしてくれた。ラムは右も左も分からないスバルを案じて不器用ながらも文字を教えようとしてくれた。レムだって、きっと_______。
「それに、お前は俺との契約を最後まで守ってくれたみたいだしな」
ここに来てくれたことがその証拠だよ、とスバルは小さく呟く。
「ただの気まぐれなのよ。せめてベティーの目の届かないところで死んでくれないと夢見が悪くて困るかしら」
ベアトリスはぶっきらぼうに答える。この通り不器用な彼女だが、それなりにスバルの身を案じてくれているのだ。
彼女はふとスバルの顔を見上げ、
「最後まで、ということはもう逃げる踏ん切りがついているのかしら? 屋敷の連中に見つからないよう、手助けぐらいはしてやるのよ」
「いんや、気持ちはありがたいが残念ながらそうじゃない」
「まさかこの期に及んで話したい、なんて言うのかしら? ...無駄なのよ。姉妹の姉は、もうお前の言葉に耳を傾けるだけの余裕がないのよ。なにを言っても聞かないし、信じないかしら」
「ま、そうだわな。でも俺ってばあの泣き声を全部聞かなかったことにして逃げることができるほど大人じゃないんだよ」
「何を言って______」
ふと、吹き抜ける涼風が前髪を揺らし、スバルはそのくすぐったさに目を細める。彼方の空、そちらには夕焼けが世界を橙色に染めながら沈んでいく。あれほど目にしたかった五日目の太陽が、終わりへ向かって消えていく。
「せっかく拾った命だ...だから」
息を継ぎ、顔を上げた。
「______使い方は、俺が決める」
いくらリスクとリターンが見合ってなかろうと関係ない。命を拾った先に未来があったとして、その未来はきっとスバルにとって色褪せたものになってしまうだろう。もはやそれは未来とは呼べない、ただのバッドエンドだ。
逃げなきゃ死ぬが、逃げれば未来は掴めない。
「なら、掴もうぜ未来...ってのは誰のセリフだったかな」
「しけた顔をしたかと思えば今度はそれ...ベティーはお前がわからないのよ」
呆れ顔のベアトリスに苦笑しスバルは重い腰を上げる。とはいえ屋敷から逃げ出した時にはすでに自分がどうすべきなのかは分かっていたつもりで、腰が重いのは心情的にというよりは肉体的にだ。しみじみ最後に狼に襲われるとはなんとも不幸である。
「ありがとな、ベア子。お前は最後まで俺を守ろうとしてくれた。最後にその礼だけ言っときたくてな」
「何を改まって気持ち悪い。...というかお前、その呼び方をやめるつもりはないのかしら?」
怒り心頭のベアトリスをスバルは意図的に無視。そろそろ動き出さなければならない時間だろう。
「ベア子、俺からの最後の頼みだ。屋敷にいるみんなによろしく言っておいてくれ。迷惑をかけてすまなかったってな」
「...? 結局、逃げ出すのかしら? _______まぁいいのよ。ベティーの気まぐれに感謝しておくかしら」
「助かるよ。ほら、とくにアクセラレータあたりはロズワールに大魔法かまされてないか心配だし」
「そこは心配しなくても多分大丈夫かしら。
「怖えよ! そのアクセラレータと当麻が昔タイマン張ってた、ってのが一番怖い!!」
軽口を叩き合うスバルとベアトリス。そのすぐ後にスバルは別れを告げ、ベアトリスは森の奥、恐らく屋敷の方角へと姿を消した。
「せめて目の届かないところで死んでくれ、か」
自分以外の気配がない断崖絶壁の崖の上で静かに呟く。
ベアトリスに礼は言いたかったが、わざわざ彼女の目の前で身投げすることもあるまい。というかそれは性格が悪すぎる。
そう思い、スバルはベアトリスを帰したのだが...。
「一人は、寂しいな」
崖の上に一人で立ち、改めて実感する。この身一つで異世界に飛ばされたスバルにとって、同じ境遇の上条や一方通行の存在がどれだけありがたいか。親身に接してくれるエミリアたちにどれだけ救われているか。
逆に、妹を失って一人になったラムが今どれだけ辛いか。
気持ちはわかる、とは口が裂けても言えないが。その辛さの、ほんの一端だけは、状況は違えど幾度と死を繰り返し仲間を失ってきたスバルもわかっているつもりだ。
だからこそ。
『絶対に殺してやる』と彼女は叫んでいたから。
それなら、自分は。
そしてスバルは死への第一歩を踏み出した。決して踏みしめられることのない一歩を。
足が離れた。宙を掻く。なににも触れない、届かない。体が揺らいだ。体勢が崩れる。上か下か、バランスを保つことができない。早い。風が強い。目が痛い。頭が痛い。耳鳴りが遠い。心臓を置き去りにしてきたような気がする。高鳴りが聞こえない、不吉の鐘が鳴り響く。
死んで終わるなら、そこまでだ。死んだように生きるのと、それならなにも変わらない。
だがもしも、もしも仮に、戻れるとしたら。
「______絶対に、助けてやる」
決意を口にした直後、頭から固い地面に激突。砕け散る音が盛大に響き渡り、もう、なにも、聞こえない。
怨嗟の声も、追いつけない。
意識の覚醒は水面への浮上によく似ている。
上条が目を覚ますと、そこには見覚えのある天井が広がっていた。
「_______また、か」
大量の睡眠を取った後のように鈍く痛む頭に手をやり、上条は寝具から身体を起こす。
エミリアと協力してラムを足止めした後の記憶がない。...が、目覚めたのが見覚えのある部屋のベッドの上、ということはそういうことなのだろう。またもや失敗したのだ。それも、スバル自らの犠牲という最悪の形で。
「もっと早く気づけてりゃあ...」
自分を責めるのもこれで何度目だろうか。
上条は重い足取りで部屋を後にした。最初にスバルに会いにいくのも毎ループの恒例だ。無意味なこのルーティンもさっさと終わらせなければならない。
陰鬱な思考を重ねながらスバルが寝かされているであろう部屋の扉の前に立つ。恐らくレムとラムがスバルの看病をしているのだろう。今までのループの経験からして、上条が目覚めた時、スバルはこの部屋か禁書庫にいるはずだ。
いや、改めて考えてみればスバルがこの部屋にいる確率は低いかもしれない。自分の命を奪った相手と目覚めた瞬間鉢合わせなど、気分が悪いを通り越して発狂してしまいそうな状況だ。
「...」
とはいえ、ここまで来ておいて確認しないのもなんだ。上条は半ば諦め気味に扉を開け_________。
「あー、帰ってきたー帰ってきたよ、俺。ようやくこうしてこの場所に、この気持ちのまんまで。た・だ・い・ま!」
「________は?」
目の前に信じられない光景が飛び込んできた。
スバルが思い切り双子を抱え込んで抱きしめていたのだ。
「スバル、おま________」
「うぉっ、当麻!?」
スバルは部屋に入ってきた上条に気づいて双子を慌てて解放する。
そのままバツの悪そうな顔で、
「ノックくらいしてくれよ」
「思春期か! いや、そうじゃなくて______」
一方で、レムとラムはスバルの突然の抱擁に動揺を隠し切れない。しかしながらすぐに正気を取り戻すと飛び跳ねるようにベッドから離れ、
「姉様、姉様、お客様に慰み者にされましたわ」
「レム、レム、お客様の獣欲の対象にされたわ」
「はっ、それは違うぜ。悪いが二人とも、俺のストライクゾーンからはやや微妙にそれとなく残念ながら外れてっからな。覚えておきな。俺は年下属性あんまない! そして女の子はロングだよ、ロング!」
「姉様、姉様。よくわからない発言ですけど侮辱されていますわ」
「レム、レム。頭おかしい台詞だけど貶められている気がするわ」
スバルの予想だにしないテンションに上条は頭がくらくらしてきた。前回のループで一体何があった? 上条が気を失っている間に一体何が?
これが自分を殺そうとしていた相手に取る態度なのか?
「大丈夫だぜ、当麻」
上条のそんな心情を読み取ったのか、スバルが一言呟く。
そのまま彼はレムとラムに向き合い、
「まあ聞け、ヘイ聞け、リッスンミー。互いに膝枕し合って耳の穴のお掃除してかっぽじった上でお聞きなすって」
押し黙る二人に対して掌を差し出し、開いて閉じての無駄なアクションを入れながら、
「諸事情あってお前らが、まぁ色々と複雑怪奇な背景があんだろうなっていうのはわかる。すっげーわかるが、その上で超言わせてもらう」
もう上条にもわかっていた。スバルがこれから口にするのは双子に対する宣戦布告などではない。
「俺はお前らを信じてるから、仲良くやろーぜ」
それはあくまで前向きな、盲目的とまで言えるほどの信頼の言葉だった。
それは同時に自分に殺意を向けてくる相手に対し、一生懸命に向き合っていこうという覚悟の言葉でもある。その覚悟はスバルの異常な精神力の強さゆえの産物なのか、それは分からないが______。
「「......」」
案の定と言うべきか、スバルの言葉に目を剥くレムとラム。彼女らは互いの顔に視線を走らせて無言の意思疎通を図る。
「置いてけぼりなんて寂しいぜ、いけず! 世界はもっと広大で開かれてる。だから二人だけの世界に浸りきるのなんかやめて、もっともっと打ち解けようぜ! 誰と? 俺と!」
「姉様、姉様。目覚めたお客様がものすごく面倒くさい相手です」
「レム、レム。ようやく起きたお客様が死ぬほどウザい相手だわ」
スバルのテンションが異様に高いのは、要はレムとラムと友好関係を築こうという理由だろう。警戒されているのならば、真摯に、健気に、そして懸命にその警戒を解くしかないのだ。
と、その時。
「_____もう少し、静かに起きられなかったの?」
届いた声は入口の方角から。
そちらに目を向けると、扉のすぐ側に立つのは銀髪の少女だ。彼女はすでに開いている扉を軽くノックして、美貌の眉を呆れたようにひそめて、
「元気みたいでなによりだけど、病み上がりなんだから騒いじゃだめじゃない」
「心配しなくても、エミリアたんが俺の一番星だよ!」
「なんの話!?」
「気にすんなよ。スバルのEMT病は今に始まったことじゃねぇし」
「だからなんの話!?」
それからエミリアは言葉を選ぶように視線をさまよわせ、
「とにかく、おはよう。二人とも、無事でよかった」
安堵したように微笑むエミリア。
その彼女の微笑みに頷きを返し、スバルもまた頬をつり上げ、
「ああ、おはよう。______んじゃま、始めるとしようか」
スバルの発言の意図がわからず首をひねる女性陣三人。上条だけがスバルの言わんとしているであろうことを知っていた。
「ロズワール邸一週間_______攻略スタートってこと」
誰でもなく、強いて言うなら自分自身に言い聞かせるように断言するスバル。不思議と、上条はそんなスバルにどこか危うさを感じていた。
それはともかく。
四度目の一日目、ロズワール邸の朝が始まる。
死に戻りを共有できる仲間が最初からいたなら多分スバルくんはこんくらい強いでしょってことで。