「こっちだ、座るかい?」
暗にスバルにどけと手振りで指示して、彼女の愛想は背後の相手に向けられる。 一方でスバルは、その交渉相手であろう人物に目を奪われていた。
身長の高い女性だ。スバルと同じぐらいの背丈に、年齢は二十台前半くらい。
顔立ちは目尻の垂れたおっとりした雰囲気の美人で、病的に白い肌が薄暗い蔵の中でもはっきりと目立つ。
黒い外套を羽織っているが、前は開けているのでその内側の肌にぴったり張り付いた同色の装束が目につく。細身ながらも出るとこの出たナイスバディだ。
そしてスバルと同じく、この世界では珍しいとされる黒い髪の持ち主。背を越して腰まで届く長い髪を編むように束ねて、指先でその先端を弄んでいる。
と、ここでスバルは上条の様子が少しおかしいことに気が付いた。
(なんだ? 当麻のやつ、緊張してるのか?)
しかし、訪れた女性を完全に交渉相手だと確信しているスバルは、上条の内心に気付くことはなかった。
(やばい、絶対にやばい。 どうする? 誰かに伝えるべきか?)
一方で、女性の正体に気付いている上条は、焦りを隠そうとしながらも必死に打開策を考えていた。
女性の正体を伝えるとしても、仲の浅いロム爺やフェルトには信じて貰えないだろう。 スバルならまだ望みはあるが、それで状況が改善するかと言われれば微妙だ。
(とりあえずは様子を見るしかない、のか...)
もしかしたら、何も事を起こさずに帰ってくれるかもしれない。 そんな淡い希望と共に、上条は様子見を決め込んだ。
そして、わりと物々しい出迎えを受けた女性だったが、彼女はそれを気にした様子もなく小首を傾け、
「部外者が多い気がするのだけれど」
「踏み倒されたら困るかんな。アタシら弱者なりの知恵だよ。んで、スバル飲み物」
いつの間に上下関係が決定したのだろうか、フェルトはスバルをこき使っている。
スバルもスバルで何ら反論することなく、比較的汚れていないグラスを2つ選び、ミルクを注いで2人の前へと差し出した。
給仕するスバルに女性は小さく「ありがとう」と礼を言い、それから値踏みするように上条達を眺めて、
「そちらのご老体はわかるのだけれど、こちらのお兄さん達は?」
立ち振舞いと雰囲気から、場馴れしていない感を読み取ったのだろう。
純粋に疑問に思う女性の言葉に、フェルトはさっそく本題に入ろうというのか悪い笑みを作り、
「この兄さんはアンタのライバル。アタシのもうひとりの交渉相手さ」
そう言い放った。
上条は断片的にしか彼女らの会話を聞いていなかったので詳しくは分からないが、どうやらフェルトはスバルと女性に『競り』のようなものをさせるらしい。 つまり、より高く買い取ろうとした方に徽章が渡るということだろう。 とは言ってもスバルにはガラケー(ここではミーティア)くらいしか手札がないので、女性が幾ら出せるのかがポイントになってくる。
「なるほど、事情は分かったわ」
女性はエルザ、と名乗った。 エルザはグラスの縁に舌を沿わせると、
「けれど、交渉人はこの目つきの悪いお兄さんだけでしょう? じゃあ、こちらのお兄さんは?」
エルザは上条の存在を疑問に思っているようだった。 何とか上手く言い訳をしないと、部外者として外に追いやられてしまうかもしれない。
「あー、俺はコイツの付き添いだ。 もしアンタにえげつない財力があって、コイツが『競り』に負けそうになったら加勢しようと思ってな」
フェルトが聞いてないぞ、とこちらを睨みつけてくる。 だが、ここはこれで納得してもらうしかなかった。 もし上条が外に出されてしまえば、最悪の事態を招きかねない。
幸い、エルザは納得したようだった。 フェルトに続きを促している。
「ま、そんなわけで値段の釣り上げ交渉ってわけだ。 別にアタシはどっちが徽章を持ってくんでも構わねーし、高い方に高く売りつけるさ」
「いい性格だわ、嫌いじゃない。 それで、そちらのお兄さんはいくら付けたの?」
どうやら、あちらは値段に聖金貨10枚を提示したようだった。 聖金貨、と言う単位がよく分からないが、相当な金額であるに違いない。
対するスバルは、ガラケーを机の上に置いた。
「俺が出すのはこの魔法器だ。たぶん、世界に一個しかないレアアイテム。そこの筋肉爺さんの話じゃ、聖金貨で二十枚は下らないってお墨付きだぜ」
「魔法器...」
エルザはガラケーを眺め、納得の頷きを作る。 スバルの手段が物々交換で、さらにそれがハッタリではないことが伝わったのだろう。
エルザは革の袋を取り出し、それをテーブルの上に置く。金属同士が擦れ合い、重厚感のある音が袋越しに届く。
猫のように目の瞳孔が細まるフェルトと、それをたしなめるロム爺。 その傍らで相手のアクションを待つスバルに対し、エルザはテーブルの上でその白い指を組んだ。
「実は私も、依頼主からある程度、余分なお金を渡されているの。もしもあなたが渋るようであれば、少しの上乗せも考える意味でね」
「依頼主……ってことは、エルザさんもフェルトと一緒で徽章を受け取るように頼まれただけってことか?」
「そうなるわね。欲しがってるのは依頼主の方。……あなた、ひょっとしてご同業?」
「俺と同業ってことは、無職ってことになるぜ!」
「で、その無職のお兄さんは飛び出るような値段をつけた。アンタの飼い主はどんぐらいの値段が付けられるんだい?」
フェルトの挑発めいた口ぶりに、エルザは聖金貨が入ってるであろう袋の口を開け、
「私が雇い主から渡されている聖金貨は15枚。上はそれで払い切れるとあなたを値踏みしていたようだけど……そちらのお兄さんの後ろ盾もあるみたいだし、どうやら厳しいようね」
「よっしゃ!」
スバルは思わずガッツポーズをする。 エルザもまたさほど気落ちした様子はなく、肩をすくめて革袋を回収した。
一方で、上条は素直に喜ぶことができなかった。 まだ懸念事項が残っている。
(最悪交渉がスバルに傾いた時点で襲われるかと思ったけど、そうはならなかった...。 となると、ここからロム爺やスバルが殺される理由は一体...?)
そんな上条の様子に気付くことなく、スバルはエルザに謝罪をする。
「あー、悪いな、エルザさん。たぶん、怒られたりしちまうよな」
「仕方のない話よ。私に落ち度があるならともかく、この場合は雇い主が支出を少なく済まそうなんて考えたのが悪いのだし」
エルザはもう一度グラスの縁に舌を沿わせてから、席を立った。
「それじゃ、交渉は残念な結果だったけれど、私はこれで失礼するわね」
みなで外に出て行こうとするエルザを見送る。 上条もまた、未だに警戒心を解かずにエルザの背を見つめていた。
と、エルザは出て行く直前、何かを思い出したかのようにスバルの方へ向き直った。 その黒瞳は、まるで嘘をつくことを禁じられるかのようにスバルの心を締め付け_____。
「そういえば、あなたはその徽章を手に入れて、どうするの?」
どこか低い、感情の凍えた問いかけだった。
「……ああ、元の持ち主に返すんだよ」
言ってしまってから、スバルは自分の明らかな失言に気付いた。 盗んだ少女と、その盗みを依頼した人物の目の前で、盗まれたものを盗まれた相手に返すと宣言したのだ。
それは敵対宣言にも等しい宣告であり、
「なんだ、関係者なのね」
エルザの冷たい殺意を実行に移させるのに、十分な意味を持っていた。
「おおおォォォ!!!」
間髪入れず、上条がスバルを突き飛ばした。
腰あたりを打った威力に体が横滑りし、スバルは受け身も取れずに地面を無様に転がる。
「なにを___」
しやがる、という罵声の続きが響くことはなかった。
スバルは、目の前の景色に驚愕する。
「あら、あなたは...」
不思議そうに首を傾げるエルザが見える。 その彼女の手には、不釣り合いな刃渡り30センチほどのククリナイフが握られていて____。
その先端が、上条の左肩に突き刺さっていた。
「がぁ!?」
「なるほど、これを警戒していた、と。 なかなかやるわね。 少しだけ遅いけれど」
「当麻!!!」
ようやく、スバルの脳が『身を挺して守られたのだ』という事実にたどり着く。
一瞬の、しかも意識の外の攻防で自分の命が左右された事実に、スバルの脳を遅すぎる恐怖が駆け巡った。
警鐘が鳴り響き、心臓が早鐘のように血液を送り出す。全身が心臓になったような鼓動の音を聞きながら、スバルは体を支える腕の震えを止めることができない。
そんなスバルの醜態を余所に、事態はそれでも動き続ける。
「おおおおおおおお――ッ!!」
雄叫びを上げて、凶刃を振るったエルザに飛びかかったのはロム爺だ。
彼は交渉の間も手放さなかった棍棒を振りかざし、その棘つきの凶器でエルザの頭蓋を叩き割りにかかる。
エルザは上条に刺したククリナイフを引き抜き、ロム爺の一撃をひらりとかわした。
「巨人族と殺し合うのは初めてよ」
「抜かせ、小娘。...挽肉にして、大ネズミの餌にしてやるわ!」
エルザとロム爺の戦闘開始を確認すると、フェルトは急いで上条の元へ近寄り、その体を引きずって彼らと距離を取った。
「バカか!? アタシだったら避けられたのになんで...」
「...友達を守るのに理由なんているかよ。 アンタより先に俺の体が動いてたってだけだ」
「当麻! 大丈夫なのか!?」
スバルも震える足を何とか動かし、上条の元へと近寄った。
上条は致命傷ではない、と答えつつ、
「ロム爺さんに賭けるしかないな...」
「大丈夫だ。ロム爺がやられるはずがねー! アタシが物心ついてからずっと、ロム爺がケンカで負けるとこなんか見たことねーんだから!」
フェルトは自分を鼓舞するような勢いで信頼を叫ぶ。 彼女の言葉には月日が積み重ねた、覆し得ない信頼があった。
軽口を叩き合いながらも、互いを尊重し合っていた二人の関係はその短くない月日が生み出したものなのだろう。
だが、信頼を叫ぶ彼女と違いスバルは悲観的だ。 これは彼女が今までに見てきた『ケンカ』ではない。『殺し合い』だ。
「食らえい!」
スバルの不安が形になる前に、戦闘の方に変化が生じた。
ロム爺が雄叫び、テーブルを蹴り上げる。さっきまで交渉の舞台となっていた木造のテーブルは粉々に砕け散り、木屑をまき散らしてエルザの前面を覆い尽くす。 破損した木材のカーテンだ。
その向こう側目掛け、ロム爺の棍棒が渾身の力を込めて放たれた。 上段から手加減抜きで打ち込まれる一撃は、それだけで乗用車すら叩き潰しかねない威力が込められていた。だが、
「ロム爺!!」
フェルトの悲痛な叫びが辺りに響く。
異常に太くたくましい、まだ棍棒を握ったままのロム爺の右腕がくるくると回転しながら吹き飛ぶ。
そして、次に上条の目に映ったのは、右腕を肩から断たれてホースから水を流すように血をこぼすロム爺だった。
「せめて、相打ちに――ッ」
彼はその巨体を前に飛ばし、傷口を押さえることもせずに残った腕でエルザを狙う。
エルザはナイフを振り切った後。 再びそのナイフが振りかぶられるより早くロム爺の巨体が彼女の細身を押しつぶすのは当然の筈だった。
が______。
「言い忘れていたけれど、_____ミルク、ごちそうさまでした」
いつ手に取っていたのだろう、エルザの反対側の手にはグラスの破片。
その破片の鋭利な先端が、ロム爺の喉に突きつけられる_____。
その、直前の出来事だった。
「おおおおおォォォ!!!」
上条が、エルザの横合いから拳を放った。
「あら」
ひらり、と難なくかわされる渾身の右ストレート。 その代わり、とでも言うべきなのか、今度は上条の脇腹にグラスの破片が突き刺さった。
一方で、攻撃対象を失ったロム爺はその場に倒れ伏す。 あの出血量だ、早く治療しなくては失血死してしまうだろう。
「フェルト! ロム爺さんを連れて逃げろ!」
一瞬呆気に取られていたフェルトも、上条の言葉で我に帰ると急いでロム爺の元へと駆け寄った。
「生意気言うでない...。 儂はまだ戦える...!」
「バカ言うなよ、無理だろ!? ここはあのにーちゃんの言う通り逃げるべき_____」
「あら、誰が逃すと言ったかしら?」
エルザがこちらに向かってくる。 上条は止めようとするが、体が思うように動かない。 ただでさえ左肩と脇腹を刺されているのだ。
が、それでもエルザの凶刃がフェルト達に届くことはなかった。
「...意外と勇気があるのね、あなた」
横殴りの一閃。 エルザを止めたのは、ロム爺の棍棒を構えたスバルだった。
「うるせぇな、こっちにも意地があんだよ」
エルザが楽しそうに笑う。 戦いを楽しむ余裕があるのは、まさしく強者の証だった。
「ダメだ! アタシ1人じゃ運べねー!」
フェルトはロム爺の巨体を動かすことが出来ずに焦りの声をあげた。当然だ。 あの華奢な体にそんなパワーが眠っているはずもない。
「ロム爺! 立ってくれ! 逃げるぞ!」
片手を失い大量に失血している相手に対して、それは無茶な頼みであるはずなのだが、驚くべきことにロム爺はゆっくりと立ち上がった。 本来なら生きているかも危ういレベルの失血なのだが、その巨体が功をなしているのだろうか。
ゆっくりと、扉へ向かって行くフェルト達。 だが、それをエルザが見逃すはずもなかった。
「逃がさない」
再びナイフを構え、襲いかかる。 立ち塞がっている上条やスバルのことなど眼中にないようだった。
「させねぇよ!!」
振りかぶられたナイフは、やはりフェルト達を襲うことはなかった。
だが、支払われた代償もまた、小さくはない。
「いってぇぇぇ!!!!!!」
ナイフを止めたのは、スバルだった。 いや、正確にはスバルの右腕と言うべきか。 上条と同じように、身を挺して守ったのだ。
「...へっ。 俺は何の取り柄もない...ただの凡人だ。 肉の壁になるくらいしか...役に立てそうにないね」
脂汗を額に浮かべるスバル。 対して、その行動は予想外だったのだろうか、エルザは眉を顰めていた。
「おい!! 大丈夫なのかよ!」
「気にすんな、さっさと行け!!」
「だから、逃がさないって言ってる____」
その言葉は途中で途切れた。 原因は、上条 当麻。
彼が再び振るった右ストレートが、エルザの頬を打ち抜いたのだ。
素人の拳と言えど、全身全霊のパンチ。 エルザは耐えられず、体制を崩して後ろによろめく。 だが、やはり決してナイフを手放さないところは流石殺人鬼と言ったところか。
「おぅ、意外と容赦ねぇな当麻!」
「殴り飛ばすのは慣れてる」
「だからどういう生き様をしてきたの!?」
精一杯の虚勢を張る。 そうでもしなければ、すぐに足が震えて立てなくなってしまいそうだった。 上条はともかく、スバルに関してはついさっきまで殺し合いの「こ」の字も知らなかった一般人なのだ。
状況はまるで好転しないが、時間を稼いだ意味はあった。 フェルトとロム爺は既に扉の外へと出ている。 しばらくしたら助けが来るはずだ。
(都合よくラインハルトでも来てくれりゃいいんだが...。 いや、誰が来てくれるにしてもそれまで時間を稼がなきゃ意味がない)
見れば、体制を立て直したエルザの顔には何の焦りもなかった。___顔面を思いっきり殴られたというのに。
その綺麗な顔には傷一つもありはしない。
「うふふ、なかなかやるじゃない。 ただの素人2人なのに、悪くはない」
エルザはククリナイフを構える。 再びあのスピードで襲われれば、ただの人間である上条たちはひとたまりもないだろう。
「当麻! あとは耐えるだけだ! きっとフェルトが助けを呼びに行ってくれてる、時間さえ稼げば_____」
スバルの激励の言葉はそこで途絶えた。 何故なら_____。
「あ___?」
「油断しすぎね」
スバルの腹に、ナイフが深く刺さっていた。 見るまでもなく、急所だ。
「スバル!!!!」
声もあげずに崩れ落ちるスバル。 大量の出血。 もう助からないだろう、という事実は目に見えてわかった。
少しも見えなかった。 エルザは、今までまったく本気を出していなかったのだ。 油断していた。 何とか張り合えたつもりになっていた。 殺人鬼に、ただの高校生2人が敵うはずもないというのに!!
急いで駆け寄ろうとした上条にも、エルザは容赦がなかった。
「後で相手をしてあげる。 そこで寝ていなさい」
飛んできたのは、長い脚。 先程のパンチのお返しとでも言うのだろうか。 頭部に凄まじい衝撃が走り、上条は壁まで吹き飛んだ。
「がぁッッ!!!」
最後に目に入ったのは、倒れ伏すスバルの目前でしゃがむエルザの姿。 が、その景色も束の間のことだった。 体が壁に思いっきり叩きつけられ、上条は意識を手放した。
取り敢えず受験が終わったので、随時更新していきます