彼女と初めて会ったのは、夕暮れ色に染まりつつある下駄箱でだった。
「ふー、まったく先生も人使いが荒いなぁ」
先生に頼まれて、資料を準備室にもっていった帰りに、私は彼女と会った。後ろ姿が、雪ノ下雪乃に似ているため、気軽に声をかけたのを思い出す。
「あ! ゆきのーん!! 一緒に帰ろー」
そう言いながら、後ろから抱き着くと、ビクッと体が震える。ゆっくりと振り返る顔は、雪ノ下雪乃とすごい似ているが、よく見ると別人であることが分かった。
「!? 日本人はいつの間にこんなに積極的になったの……?」
小さな声でのつぶやきだったけど私にはしっかりと聞こえた。雪ノ下雪乃よりも少し高めの声。いつも聞いていなければ分からないような些細な違い。
「ごめん、知り合いに似てたから……」
「大丈夫、そこまで気にしてないから。今度はちゃんと気を付けなさい」
呆れたような顔をしながら言う彼女は、やはりどこか雪ノ下雪乃と似ていた。
「……やっぱりゆきのんに似てる」
「ゆきのん? 誰?」
ぼそりと言った私のつぶやきを拾ったのか、そう聞いてくる彼女。首をかしげる彼女はとても様になっていて場違いながらもかわいい、と思った。
それにしても、見れば見るほど彼女は似ている。髪の色も顔の形もよく似ている。髪の長さは雪ノ下雪乃よりも、短いけどそこを除けば殆ど変わらない。
「ん? もうこんな時間。ごめんなさい、私はそろそろ行かないと。これからは見境なく人に抱き着くのは控えなさい。じゃあね」
ぼーっと彼女を見ていたら、いつの間にか結構時間が経っていたらしく、彼女は腕時計で時間を確認すると、身をひるがえしてこちらを一切振り向かずにどこかへ向かっていった。
本当に彼女は、雪ノ下雪乃と似ていた。
◇ ◇ ◇
転校初日、天気は晴れ。
ただいま、私は平塚先生に連れていかれ、F組と書かれている教室に向かっている。
「さて、何度も言うが入学おめでとう。今日から君はこの学校の生徒だ」
「はぁ……。ありがとうございます?」
教室へと向かっている間に、平塚先生に話しかけられる。それにしても後ろから見る平塚先生は、とても頼もしい大人に見える。言動なんかはあれだが。
コツコツと歩く後ろ姿はどこからどう見ても、仕事のできる女という感じがするし、この人がなぜまだ結婚していないか不思議に思えるぐらい美人だ。言動はあれだが。
コツコツと、心地よい音が響く廊下で唐突にその音が止まる。私はそのことに気付かずに、前に歩いていた平塚先生に思いっきりぶつかる。
「大丈夫か?」
「……すみません」
心配そうな平塚先生の声が耳に入ってくる。こちらの不注意で先生にぶつかったのにこちらの心配をしてくれる当たり、悪い人ではないのだろう。
ふと、平塚先生の奥を見ると、F組と書かれている部屋が見える。なるほど、もう着いたから先生は止まったのか。
「さて、ホームルームを始める前の君の紹介をしたいと思う。呼んだら入ってきたまえ」
「わかりました」
割とありきたりなやりとりだ。渡英したときも同じようなことをした。使い慣れていない言語での自己紹介は相当難しかったし、何よりも日本語が通じないという環境が地味に心に響いた、とだけ言っておこう。
「準備はできたかね? では呼んだら中に入るように」
そういうと平塚先生は、すぐに教室に入っていく。その姿を呆然と眺めていると、平塚先生が教団に立ち、ホームルームを始めた。
「静かにしたまえ。ホームルームを始めるぞ」
幸い扉は開いたままだったので、中の声がよく聞こえる。ざわざわとしていた教室が、平塚先生の一言でだんだんと小さくなっていく。
「では、ホームルームを始める」
平塚先生がそう声をかけると、「起立、礼」という声がした後、教室からは椅子を動かす音が響き渡る。ホームルームが始まった。
「と、その前にだ。このクラスに転校生が来ている」
その言葉を皮切りに教室全体がざわつき始める。少し耳を澄ませば、「どんな子なんだろ」や、「女の子がいいな」や「イケメンがいいな」など、いろんな声が聞こえる。平塚先生の横顔を見ても、どんなことを考えているかはよく分からない。
「さて、入ってきたまえ」
平塚先生の視線がこちらを向く。視線は、はやくしろという圧力ですごい。が、母親ほどではない。あの人の圧力のかけかたを知っているから、平常心でいられる。ともかく、早くいかなくてはいけないのは確かだが。
ふーっと、小さく息を吐く。準備というよりも、私がいつもやっている
「準備はできたかね?」
いつまでも来ない私に業を煮やしたのか、平塚先生がこちらの様子を見に来た。教室に入る前にかけられた言葉と同じ言葉だ。
「大丈夫です。今行きます」
「そうか、では入りたまえ」
その言葉と同時に教室に入っていく。一歩足を踏みこめば晒される好機の視線。静まっていた教室は再び騒がしくなる。
好機の視線を受けながら私は、教壇の横に立つ。
「雪ノ下夏乃です。変な時期の編入ではありますが、よろしくお願いします」
自己紹介は短く、簡潔に。余計な情報は伏せて、必要最低限のことだけを伝える。
私からの自己紹介は以上だが、クラスメイトとなる人たちの顔を見ると、何やら待ち望んだ顔をしている。もしかしてだが、まだ自己紹介が続くと思っているのだろうか。
「……以上です」
そう言い切ると、周囲からは「えー」をはじめとした落胆の声が聞こえる。
「まったく、君たち姉妹はまったくもって協調性がないな……」
何やら平塚先生が呟いたが、周りの声にかき消されてまったく聞こえない。呆れたため息をつくと、平塚先生が余計なことをしゃべり始める。
「ちなみに、雪ノ下はイギリスからの編入になる。いわゆる帰国子女というやつだ。英語が苦手な生徒や、あちらでの暮らしが気になる生徒は話に聞きに行くといい」
余計なことを言ってくれたものだ。帰国子女ということを隠そうとしたわけではないが、面倒ごとになると思って伏せていたのにこれだとまったくもって意味がない。言った本人は、こちらがにらみつけても我存じぬといった風貌で立っている。
「……ふむ、一人ぐらいは質問する時間があるな。質問したい人は挙手するように」
平塚先生の言葉に反応するように、いくつかの手が上がる。ていうか、ちょっと待て。質問なんか許した覚えないぞ。
私の心の声なんか知らない平塚先生は、適当に生徒を指名する。
「では、由比ヶ浜」
平塚先生に指名された生徒は、明るい茶髪でどこか見覚え、というよりも昨日あたりにあった気がする感じの生徒だった。
由比ヶ浜、と呼ばれた生徒は、当たられるや否や緊張した顔で立ち上がる。
「は、はい! ゆ、雪ノ下さんは姉か妹のどちらかがいるんですか……?」
その言葉に、少し私の体が強張る。
「……これって答えなきゃだめです……なんでもないです」
巧妙に隠れているが、この教師握りこぶしを握っていた。質問に答えなかった未来が容易に想像できる。
「……姉が二人。とはいっても一人は誕生日が少し違うだけの同い年ですけど」
正確には数分、もしかしたら数秒。あの人がギリギリ3日で、私がちょうど4日。雪が降る日だったっていうのを母親がよく口にしているのを覚えている。
案の定、教室がまたざわつき始める。それもそのはずか。この学校における「雪ノ下」のブランド名は否が応でも分かる。あの姉たちのことだ、どうせ何かしらしでかしているのだろう。
「もしかして、雪ノ下さんの姉って雪ノ下雪乃のことじゃ……」
びくっときた。
あまり聞きたくない名前だ。ざわついて騒がしい教室の中でも特によく聞こえた。だから、思わず声が低くなってしまった。
「どうしてその名前が?」
我ながらまだ幼稚だった。感情の一つも制御できていないなんて。
ただの嫉妬を誰かに当てるなんて、本当に醜い。自分自身に嫌気がさす。
教室の空気が変わった。ざわついた教室はシンと静まり返る。和やかだった雰囲気は冷たく、誰一人としゃべることを許さない雰囲気に。
「…………ごめんなさい、少し頭に血が上ってしまったわ」
私が謝ろうと、空気は変わることはない。一度替えてしまった空気は、戻るのには何かしらのきっかけが必要だ。私はそのきっかけになりうることはない。
「とりあえず、自己紹介はここまでだな。では解散」
平塚先生がとりあえずこの場を収めるための言葉を述べる。その言葉に、皆が各々席を立ったり、机の上に教科書の準備を始める。
「雪ノ下、だと被るな。夏乃、お前の席はあそこだ」
先生がそう言って指した席は、伏せている生徒の横の席。どうやら今のホームルームを寝て過ごしていたらしい。
「どうしてあそこだけ空いているのでしょうか?」
平塚先生が指した席は中途半端な位置。本来なら空くことはないでしょ、みたいな位置だ。
「それは知らん」
教師としてそれはどうなのでしょうか、平塚先生。
一週間に一回の更新を目指してます。筆が乗り次第書きますので、気長にお待ちください。ちなみに、ストックは一切ありません。