提督の絶叫は眠っていた艦娘たちの耳に容易く届いた。
深夜ということもあり静寂を保っていた建物内に響く男の声。
誰が聞いてもそれは提督の声だと判った。
「大淀、今の聞いた?」
大淀が部屋から出たのは川内とほぼ同時だった。
彼女は川内に頷くと直ぐに艦娘の点呼をするように頼んだ。
「大淀はどうするの?」
「私は提督の安否を確認しに行くわ。貴女も数え終わったら合流して。他の人には待機を」
「了解っ」
耳に残る提督の声を思い出して部屋へ急ぐ大淀。
何が起こったのかは現時点では判らないが、それでも提督の身に何かあったのは間違いない。
(まだ着任して一日すら終わっていないのに。やっと信じられそうな人が提督として来てくれたのに)
提督の身を案じて走る大淀は焦っていた。
ここで彼の身に何かあって新たな提督を迎えるという展開は、いつも冷静な大淀にしては珍しく感情的に嫌だと思った。
あの酷い提督の下で1ヶ月も耐えたのだ。
その果てにやっと訪れそうな何だか楽しそうな日々をここで失いたくはなかった。
「大淀っ」
いつの間にか点呼を終えたらしい川内が彼女に追いついて声を掛けてきた。
「川内……
「それが……」
口ごもる川内の様子に大淀は嫌な予感がした。
この喉からせり上がってくるような嫌な気持ちには憶えがあった。
「まさか……誰かいないの?」
「電の部屋が……空だった……」
「……」
それを聞いた大淀は一瞬提督の声を聞いた事を忘れた。
艦娘がこんな時間にいないという事は以前もあった。
理由も判っていた。
だがその内容はとてもではないが言葉にして話したくないものだった。
「あいつ……電を……。よりによって駆逐艦を……」
怒りの表情で眉間に皺を寄せ、拳を固く握りしめる川内。
「川内、落ち着きなさい」
全身を怒りの感情で震わせる川内。
大淀は彼女を落ち着かせようとその肩に手を置くが、川内は激しく拒絶するような仕草で彼女の手を振り払った。
「また我慢しろっての?! 上官だから、下手に反抗すると私達が不利になるだけだから?! だから前みたいに確かな証拠を握るまで……ぐす……っ」
川内は何か嫌な記憶を思い出したらしく、怒りの表情から今度は目尻に涙を滲ませて自分の身体を抱いてその場にへたり込んだ。
大淀はそんな川内を後ろから優しく抱き締めて自分も落ち着かせるように言った。
「大丈夫、心配ないわ。きっとあの子なら大丈夫。きっとあの提督なら……そんな事しないわ」
「……随分アイツを信用してるんだね?」
「…………」
まだ涙声の川内の言葉に大淀はハッキリそうだと肯定はできずに黙ってしまった。
確かに彼女もまだ完全に
今だって川内の問いに言葉が詰まり、直ぐに返事をする事ができず
だが彼女の記憶の中にある提督が振る舞ってくれた美味しい料理と去り際に自分に向けたあの苦笑は本当にあった事だ。
大淀はそれを根拠という名の心の支えにして、少なくともその場は彼を信じて擁護することを決定した。
「とにかく急ぎましょう」
「……分かった」
自分の問い掛けに敢えて状況の確認をする事で電の無事と提督の潔白を証明せんとする大淀の意図を理解した川内は言葉少なに同意した。
「……鍵、開いてるね」
「中は静かね。提督の部屋は奥だから……行くわよ」
執務室の扉の鍵が開いていることに一瞬動揺した2人だったが、自分達の気配を悟られないように直ぐに落ち着きを取り戻すと執務室の中に入っていた。
「ね、ねぇ……ここの扉も鍵……」
悪事を働くなら人目を避けるか邪魔が入らないように気を付けるはずである。
提督の私室へ続く扉にも鍵がかかっていない事には流石に2人も提督の身にやはり何かあったのではと不安な表情になった。
今のところ
しかしだからと言ってこのようの状況故に気は抜けなかった。
もしかしたらこれが最初の例となるのかもしれないのだから。
「……」
「……」
2人は顔を見合わせて無言で頷き合うと、意を決して勢いよく扉を開けて提督の部屋に入った。
「……何これ」
「……」
中の予想外の光景に川内は呆然とし、大淀もその不可解な状況に言葉を失い川内の言葉に反応ができなかった。
提督はベッドの上で大の字の格好で仰向けで寝ていた(ように)見えた。
だが彼の額は赤く腫れ、そこから湯気のような煙が立ち昇っていた。
そして彼の反対側には同じく大の字になって床に倒れている電の姿もあった。
彼女も提督と同じく仰向けに倒れており、額にできた可愛いコブから煙が立ち昇っていた。
「大淀……これ、どういう事?」
「さぁ……取り敢えず電気点けましょうか」
大淀が部屋の照明を点けると、暗がりで開いた瞳孔に差し込む光の眩しさに目を細める2人と同じように先ず電の方が意識を取り戻した。
「んん…‥?」
「電! 大丈夫?!」
「はわっ?! せ、川内さん? えっ、此処……? 私、どうして……あっ」
自分の身に起こったことを思い出し、思わず口元を隠した電の様子を見て彼女に駆け寄っていた川内が早速誤解した。
「電、その反応……やっぱり
「えっ」
川内の勘違いに慌てる電。
その様子に一先ずは自分達が危惧したような事が起きたわけではない事を察した大淀は直ぐに川内を窘めた。
「川内、駄目よ」
「大淀、邪魔しないで! さっきの電の動揺ぶり見たでしょ?! あれは明らかに……!」
「だから駄目だって。落ち着いて。ねぇ川内、先ず電ちゃんを見なさい。どうしてこの子の額にはこぶが出来ていると思う?」
「そんなの……こいつから電に乱暴したんだよ!」
「はぁ……。じゃあどうしてこの人の額も赤く腫れているのかしら?」
「え? それはぁ……あ、そう! 電が抵抗して反撃を……!」
「違うのです」
川内が言い終わる前に電が介入してきて彼女の言葉を遮った。
川内は心配していた当の本人に自分の考えが否定されて混乱した目で彼女を見た。
「え? 違うの?」
「はい、違うのです。電は司令官さんに何もされてないのです」
「えぇ……じゃあなんでこんな時間に提督の部屋に……あっ、まさか!」
またどうせ的外れな事を思い付いたのだろう。
そう思った大淀はあまり期待してない顔で先を促した。
「何なの?」
「2人とも同じ所に怪我……。ちょっと信じられないけど2人は逢引していて接吻にしっぱ……」
「もっと違うのです!!!!」
その時、電の怒号が鎮守府全体を揺らした。
それによって今度は提督が意識を回復して目を覚ました。
「っ、なんだ……まぶし……ん?」
提督の前に何故か3人の艦娘がいた。
彼は部屋の時計を見た。
深夜だった。
(え? なに? なんで俺の部屋にこんな時間に
提督は自分が意識を失う直前に見た光景を思い出した。
そして彼の視線が電を捉えた瞬間、
「~~~!!」
「あれ? なんか提督、電を見て逃げちゃったよ。何か怖がってる?」
「……」
提督にもの凄く抗議をしたかったが、彼がそんな反応をした理由も理解している電は何も言えなかった。
「提督、大丈夫ですか?」
全てが杞憂に終わりそうで心から安心した大淀が提督を宥めるように優しく声を掛けるが、当の本人の耳には届いておらず彼の頭の中ではこの時様々な考えが錯綜していた。
(こ、このシチュエーション……。俺死ぬのか? リョナエンドか? ヤンデレエンドか? 何処で何を間違ったんだ……? 嗚呼、せめて苦しまないように……)
提督の心は完全に折れていた。
ゲームでいうところのコンディション値が赤色の状態だった。
次はやっと着任してから二日目の話です。
まだ二日目……。