提督が医務室に入るとそこには身体を起こした榛名がいた。
隣のカーテンで仕切られている所に恐らくまだ眠ったままの木曾が寝かされているのだろう。
榛名は提督の方を一瞬だけ見たが直ぐに俯いて視線を外してしまった。
大淀の報告から提督が予想した通り、どうやらこの榛名は深海棲艦になる前に辛い経験をしたらしい。
提督は視線を逸らされた事には何も言わず、取り敢えず近付く前に声を掛けた。
「やぁ、あー……ちょっと話したいんだけど、側に行って良いかな?」
「……」
榛名はピクリと肩を揺らして反応したが提督の声には応えずに俯いたままだ。
だがその直後に何か気になったのか、俯いた顔を僅かに揺らしたように見えたかと思うと、どことなく意外そうな顔をして提督の方を向いた。
「……ぇ?」
「?」
あまりに小さな声で聴こえなかったので提督は榛名の反応に首を傾げるしかなかった。
(ん? 何か言った……? というか俺を見る顔……何か気になったのかな?)
榛名の提督を見る表情は、彼が懸念したような自分に対する怯えのようなものではなく、何かに気付いてそれを確かめるような視線だ。
少なくともそう感じた提督は、再び彼女に声を掛けた。
「えっと、まぁ目が覚めて良かったよ。あのー……少しだけ今、良い……かな?」
最初に声をかけた時と同様に、提督は努めて榛名を刺激しないように柔らかい声と態度を意識した。
それが功を奏したのか、提督を見つめていた榛名は再び俯いてしまったが、こくりと小さく頷いて彼が近付くのを許してくれた。
「意外な……方ですね……」
「え?」
「軍人なのに態度がそれっぽくないです……。ましてや……提督は
「ああ、そういう事か」
榛名が抱いた疑問を聞いてすんなりと彼女の反応に納得した提督はポンと手を打つと、まるで苦虫を噛み潰したような顔に無理やり笑みを浮かべて言った。
「まぁ、俺は生粋の軍人じゃないからね。いわば中途(強制)雇用された身なんだ」
「えっ……? つまり徴兵で……? で、でも徴兵で艦隊の指揮官なんて……」
「ハッハッハ、まぁその辺も事情があってね……。とにかく
「そう……ですか。はい、解りました。榛名は……大丈夫、です」
(いや、悪いんだけど全然大丈夫そうに見えないんだよね)
何か一兵器である艦娘では到底立ち入る事を許されない複雑な事情があるのだろう。
そう判断した榛名はそれ以上は追求せずに提督に理解を示した。
そんな榛名に提督はどうアプローチをしたら良いものかと後頭部を掻く仕草で悩みつつ、取り敢えず段階的に質問を投げてみる事にした。
「まぁ……詳しくは言わなくてもいいんだけどさ。榛名は……その様子から深海棲艦になる前に結構、辛い経験をしてたりするのかな?」
「…………っ」
榛名は質問には答えなかったが、口元を押さえて急に大粒の涙を流し始めた彼女の様子から相当な経験をした事は明らかだった。
提督は嗚咽を漏らす榛名を宥めて安心させるために肩に手を置く等ということは敢えてせず、少しの間彼女の様子を見守ってからタイミングを窺って再び訊いた。
「それは
「…………え?!」
その言葉に榛名は今度は涙に濡れた目はそのままに心底驚いた顔をした。
彼女が驚いた理由は、提督の予想が当たっていた事もあるが、それ以上にあくまで直接的な原因は彼以外の提督であるにも拘らず、敢えて自分を引き合いに出して提督という存在に問題があったのではと彼が確認してきた事に対する反応であった。
その態度と言葉は、榛名からすれば自尊心が高い大日本帝国軍人とはとても思えない何とも寛容なものだった。
それに対して提督は、榛名のその様子から自分の予想が当たっていた事を確信し、心のなかで盛大な溜め息を吐くのだった。
(またか! いや、こういう時代だからなのかもしれないんだけどさ! ホント、この辺もうちょっとちゃんと見てから採用しろよ大本営? 本部? どっちでもいいや!)
提督はあまりに二次創作によく出てくるようなテンプレ的な悪徳提督の存在に辟易した。
何もこの世界に存在する提督が全てそんな感じだとは思っていないが、こうも自分の下に来る艦娘の多くがこんな感じだと流石に呆れてしまう。
(俺が勤めていた会社の方がまだよほどその辺機能していたぞ……)
提督は今度は実際に沈鬱な表情で溜め息を吐くと、努めて榛名を安心させるような明るい声で言った。
「解った! なんかもう何となく解ったからその事に関しては何も言わなくていいよ!」
「あ……はい……」
「まぁとにかくさ、取り敢えずは落ち着くまでここに居るといい。調子が戻ってまた艦娘として復帰したいなら俺が配属先を……」
「ここがいいです!」
「え」
自分の服をギュっと掴む仕草と彼女の張り詰めた感情の声に提督はぎょっとした。
服を掴んで自分を見る榛名は、今度は今までと違って真っ直ぐ訴えかけるような真剣な表情で提督を見つめていた。
「榛名は……また艦娘をするのなら……ここが……いいです……ぐす……」
「あ、ああそうか。うん、まぁ何とかしてみるよ」
「提督……」
まぁ運営に頼めば何とかなるだろうと考えた提督に榛名が訊く。
「はい」
「貴方を……信じさせてください……」
「うん」
「今度は沈むにしても艦娘としての誇りを保って悔いの残らない
「……了解」
何とも軍艦らしい勇ましい願いだったが、提督からしたら轟沈する事になったとしてもそれが悔いの残らない活躍ができるのなら良いという榛名の願いはどちらかというと凄く重かった。
故に提督的には生きてまた皆と楽しく過ごしたいと思わせるような環境作りに精を出しているのだが。
「あ、そうだ」
提督は何とか上手く榛名とコミュニケーションが取れたらと用意していた物を思い出してそれをポケットから出した。
「これ、こうして逢えたのも何かの縁って事で」
「……? これは……?」
榛名は自分の両手に収まった提督からの不意の贈り物を不思議そうな目で見つめる。
提督から貰ったそれは、いわば聴診器の耳管部から先がなくなったような見た目をしていた。
「耳にはめて使う物ですか……?」
「お、正解。賢いね」
「あ、ありがとうございます……」
まだ褒められても素直に笑みを浮かべることは難しかったが、それでも
故に今度はしっかり装着してみせて提督から使い方を教えて貰おうと榛名は何とかそれを耳にはめようとするのだが、どうもちゃんと耳に入れることができない。
耳に触れさせることはできるのだが、聴診器のように前から着けようとするとイヤーチップに当たる部分が上手く耳にはまらないのだ。
(あ、もしかして……)
そこで榛名は思い付き、それを首……ではなさそうだったので後頭部から眼鏡を逆向きにかける感じで装着を試みた。
「あっ、はまりました! 提督、これで良いですよね? 合ってますか?」
「おお……」
提督は絶対にこの世界の者では最初は着け方が解らないと踏んでいたので途中から助け舟を出すつもりだったのだが、予想以上の榛名の機転の良さに素直に心のなかで舌を巻いた。
「凄いな、合ってるよそれで。よく解ったなぁ」
「ありがとうございます。へぇ……これは耳栓ですか? 凄く見た目も鮮やかで……この形なら確かに片方のどちらかを失くすという事は滅多になさそうですね」
それを耳栓と断定し、得意満面といった様子の榛名だったが、流石に使い方までは正解とはいかなかった。
当然だ、そこから先は未来的センスの勘の良さと幸運にでも恵まれないと先ずそれを『起動』させる事なんてできないだろう。
提督は苦笑しつつ言った。
「惜しい。確かに外の音を遮断する目的もあるにはあるけど、そのままではそれは上手く機能しないんだよ。榛名、それの…………耳に当ててる部分の側面を指で触ってみて。小さな凹凸が何個かあるのが判らないかな?」
「え? えっと……あ、あります。判ります」
「うん、その触れてる部分の……あ、そこでちょっと指に力を入れてみて」
「え? あ、はい……?!?!」
提督の指示通りに探り当てた小さな突起を榛名が押してみると、彼女はそこから予想だにしない体験をすることとなった。
「て、提督?! こ、これは……なんか耳に直接何かの音楽のような音が……?! い、一体どこから?!」
まさか今自分が耳にはめているその小さな物体から音が流れているとは思うはずもなく、榛名は音の発生源を探して周りをキョロキョロと見渡すが、当然それらしき物は見つからない。
提督はそんな榛名に再び苦笑しながら言った。
「榛名、音はそれから流れてるんだよ」
「え?! まさか……そんな……」
提督が自分の耳を指して音の発生源を教えてくれる。
榛名は提督が言わんとしていることを理解するも信じられないという面持ちで試しにその耳栓のような物の片方を少しだけ耳から離してみた。
「……!」
今まで聴こえていた音が遠くなり小さくなった。
榛名はその事実に驚愕する。
「それはウォークマンという、個人が場所を選ばずに音楽を楽しむ為の物だよ」
「う、うぉーくまん?」
「そう、ウォークマン。詳しい使い方とかは後で教えてあげるから取り敢えず今はそれを楽しみながら休むと良いよ。曲は……俺のセンスで悪いけどなるべく優しい曲を選んだつもりだから今日のところはそれで我慢してね」
「はい……」
「それじゃ、俺はまた木曾が起きたときにでも来るから」
「はい……」
提督はウォークマンの性能に対する衝撃で未だに言葉少ない様子の榛名にまた苦笑すると、なんとか彼女との接触が上手くいった事に満足してその場から去っていった。
そんな提督の背中を榛名は何とも言えない思いを抱いてボンヤリと眺めて見送るのだった。
久しぶりに作中では多めの文字数となりました
木曾の話も……作る、かなぁ……