木曾の意識が戻ったという報告を受けた提督は早速彼女の元を訪れた。
提督は榛名さえよければ彼女も交えて木曾と話そうと思っていたのだが、生憎彼が木曾の元を訪ねた時は木曾と交代するように再び眠りに就いていた。
寝顔の確認はしていないが、その様子を見た大淀によるととても穏やかな顔をしていたという。
提督は榛名の安眠に自分が渡したウォークマンが役に立っていれば良いなと思うのだった。
「やぁ木曾」
榛名の時と違って木曾は最初から落ち着いてる様子だった。
部屋に入ってきた提督に声を掛けられると手を挙げて応え、最初から側に来るのも気さくに許してくれた。
「おま……あんたが俺と榛名を深海棲艦から元の姿に戻してくれたって?」
会って早々に深い内容の話を木曾からしてきたので、提督はその事を意外に思いながらも、これは話がスムーズにいきそうだと内心喜んだ。
「単に偶然こういう結果になったというだけなんだけどね。俺は通常通り艦隊の指揮をしていただけだよ。だから感謝するというなら実際に動いた羽黒……達に言うのが妥当かな」
「?」
木曾は提督が羽黒の名前を出した時に彼が何故か微妙な表情になったのが気になった。
そしてその理由を自分なりに思い至り、まさかといった表情で恐る恐る提督に訊いた。
「もしかして
「え? ああ、いや。そういう事はなかったから、そこは安心して。大丈夫、誰も沈んではいないよ」
「そ、そうか。なら、良かった……」
木曾は最悪の予想が当たっていなくて心底ホッとした表情をした。
やはり榛名と違って落ち着いていて話し易い。
提督は木曾の精神の均衡振りに感心しつつ、話の本題を振ることにした。
「木曾、もし良かったら教えて欲しいんだけど」
「俺が深海棲艦化した理由に思い当たる節がないかって事か?」
「まぁ、そうかな。やっぱり榛名も辛い経験をしていたみたいだし」
「ん……提督のその予想は残念ながら俺にも当てはまる」
「と言うと?」
「容易な性の捌け口にされた上に本分である戦いでも、最初から使い捨ても視野に入れた威力偵察目的に使われたりしたらそりゃあ……な……」
木曾はベッドの柵に片肘を乗せて頬杖をつくと僅かの間提督から顔を背けた。
一時とはいえ表情を見せるのを拒んだ彼女のその行動には非常に声を掛け難い雰囲気があった。
「そんな扱いをされて沈んだ日にゃ、そりゃ今度は『敵側』になってもいいから存分に存在意義を全うしたいと思うのも……無理は、ないだろ?」
振り返って提督を見るその時の木曾の顔は、悲壮感と後悔の念が深く刻まれたとても儚い表情をしていた。
言い辛かっただろうに、それでも伏せることなく面と向かって話してくれた事は素直にうれしかったが、直球過ぎる悲惨な体験談に提督の胃はキリキリと痛み出した。
「……そうだね。話してくれて有難う木曾……うん?」
その時提督は木曾の片手の指が何かを探しているような微妙な忙しさを感じさせる動きをしている事に気付いた。
例えるならアルコール依存症の影響で震える手に似た感じはあるが、それほど病的な雰囲気もない。
どちらかというと『そこにあれば良いな』と何かを求めてるような癖のような動きだ。
そこで提督はもしかしたらと閃いた。
「木曾」
「うん?」
「もしかして木曾って煙草、吸う?」
「え? 提督、あんたもしかして持ってるのか?」
先ほどまでの悲壮な雰囲気はどこへやら、木曾は提督が自分と同じ喫煙者かもしれないという事実に明らかに嬉しそうな顔をする。
その態度の変わりようから恐らく前の鎮守府ではその方面でも肩身の狭い思いをしていたようだ。
きっと吸いたくても殆どその機会を得られず、それによるストレスもそれなりに大きかったのかもしれない。
提督は自分が愛飲しているのは少々特殊なものだと断った上で、期待に輝く木曾の目にそれをポケットから出して見せた。
「おおっ」
「言っておくけど匂いも味もかなり独特だからね。人によってはどうしても駄目って人もいるやつだよ?」
「外国のやつって事か? それでも吸えるなら構わないさ。ん……確かにこれは、変わってるな。面白い」
提督が出したその煙草はまだ箱から出す前から強い香りを放っていた。
(なんか提督から妙な匂いがするなと思ったらこれの匂いだったのか!)
木曾はよりその煙草に興味を持ち、提督がくれた一本をとても有難そうに受け取る。
そしてその念願のそれを貰うや否や、まだ火が点いてないというのに嬉しさから早速口に咥えるのだった。
「甘っ、おお? これなんだ? フィルタが凄く甘いんだけどなんか唇に膜が張った感じが……へぇ……」
自分が持つ喫煙の経験に全く重なることがないその煙草は大変興味深く、木曾は早く火をくれと咥えた煙草をピコピコと提督に向けて揺らした。
提督は予想外の木曾のはしゃぎ様に苦笑してライターを取り出して
「わっ?! それなんだよ? 電気か?」
てっきり提督がマッチを出すのだと思っていたら、その予想に反して彼が出して見せたのはやけに小さなマッチの箱ほどの小さな『何か』だった。
彼はそれを木曾が咥える煙草の前まで持ってきてパカリと蓋を開けたかと思うと、先ほど彼女が驚いた原因となる小さな電流を発生させて見せたのだった。
提督は木曾の慌てように純粋に楽しそうに笑いながら言った。
「そう、これは電気を充電して着火用に少量の電流を流す
「はぁ……変わった物を持っているんだな。でもこれなら風とか気にしなくて便利そうだ。どうやって充電するのかは想像もつかないけどな」
「はい」
「ありがとう………………はぁ…………ふぅ……」
やっと火を貰った木曾は、火が灯った煙草を深く、深く吸ってそしてしみじみとした表情で紫煙を吐き出した。
「あぁ、これだ。提督、俺は今こんなことで引き合いに出すのはおかしいと解ってはいても今、深海棲艦から戻って良かったと感じている」
「はは、まぁそれだけ感じ入っているのかはよく伝わるけど、あまり周りに言わないほうがいいよね」
「だな。しかし……ふぅ……」
木曾は二口目を感慨深い表情で吸うと、急に真面目な顔をして提督に訊いた。
「で、俺の処遇は? 榛名の方はもう済んだんだろ?」
「艦娘に復帰したいならまた所属先考えないといけないけど、そもそも早急に回答は求めていないから暫くは休んでいればいいよ」
「ん……榛名はどうした?」
「彼女はもう答えたよ」
「じゃ、俺もあいつと同じがいい」
「えっ」
彼女がどう答えたのか確認もしていないのにいきなり木曾が自分も同じ選択をしたいと言ってきたので提督は驚く。
だが木曾は確信に満ちた目で笑みを浮かべて提督に言うのだった。
「あんたと話したのなら艦娘に復帰するにしても新しい配属先を探してもらうよりは
「つまり俺の所の所属になりたいと? 榛名は復帰を選択したかどうかも判らないのに?」
「隣から穏やかな寝息を聞けば予想はつくさ」
「なるほど。いや、俺としては有難いけどさ。でも自分で言うのもなんだけど一度辛い経験してるのによく提督の俺を信用できるね」
「んん、そこは理屈じゃないからな。ただ、煙草に限らずあんな火種持っている奴は先ず普通じゃないだろ?」
「……何となく言いたいことは解った」
「はは、ま、そういう事だ。よろしくな提督」
「了解。こちらこそよろしく」
提督はそう言って差し出された木曾の手を握り返したのだった。
「ところでまた急に話を変えて悪いんだが」
「え?」
「少し榛名の事で気になる事があったので伝えたいんだ」
今までで一番和やかな雰囲気の展開だったので提督は唐突にここで木曾が微妙に硬い声を出してきた事に嫌な予感がした。
「え、榛名?」
その嫌な予感は当たっていた、というよりもう既に始まっていた。
何故なら提督と木曾が話していたこの時、隣で寝ていると思われた榛名の姿がベッドになかったからである。
「実は俺、提督がここに来る前に少しだけまた眠る前の榛名と話をしたんだ」
「うん」
「そしたらアイツ、なんか深海棲艦の時の事を僅かに憶えていたみたいでさ」
「…………」
提督はここまでの話の流れに再び胃が痛くなってきたのを感じた。
「俺はもうすっかり憶えていないんだけどな? 提督、もし知っていたら教えて欲しいんだが、榛名が深海棲艦の時なんかアイツ、まぁ一時とはいえ敵対してたんだから普通とは思うんだけどな? でもなんかそういうのとは関係ない感じで嫌な記憶が残りそうな経験をしなかったか?」
「……ドウダロウ。戦闘記録を確認シテミタラ何かワカルカモネ。デモダトシタラドウダト?」
「いや、うん。それで榛名がさ、何かその記憶が残る事になった
「へぇー……」
木曾の話を聞いて急激に貝になりたい気分になっていた提督の元に慌てた様子の大淀が訪れたのはそんな時だった。
医務室での喫煙に関しても怒られそうな二人