直ぐ隣の事とはいえ、ウォークマンで音楽を聴いていた榛名が提督と木曾の会話の内容を耳にするなどということは普通は考え難い事だった。
だが事実として眠っていた榛名には確かに聞こえたのだった。
提督が発したある
『羽黒』
普通なら音楽に阻まれて耳に入らないはずの人の声。
だが榛名には何故かこの言葉ははっきりと聞こえた。
いや、正確にはその音に身体全体が反応したのでまるで脳が電波を受信したような感覚に近かった。
「……?」
最初榛名は心地良く眠っていたところを無理やり起こされた気分だった。
はっきり言って気分が悪かった。
だが勝手に目が覚めたわけであるから誰かに不満を漏らせるわけもなく、榛名は眠気と涙で滲む目を一度擦ると再び寝ようと何気に寝返りを打った。
すると丁度カーテンの向こうで誰かが話している影に気付く。
(提督……)
直ぐに榛名はそれが提督と木曾が話している姿だと予想した。
そしてせっかくだから自分も会話の中に入れてもらおうと気が変わり身体を起こそうとした時である。
「っ……?」
急に額に鈍い痛みを感じた榛名は思わずそこを手で覆う。
(あれ? 何も怪我はしてないみたい。でも今確かに……あ)
そこで榛名は思い出した。
最初に提督が自分と話して一度去った後に、時間差で目覚めた木曾と僅かな間交わした会話の内容を。
『木曾さん、私、深海棲艦の時に提督の艦隊と戦った記憶がちょっとだけ残ってるんです』
『えっ、そうなのか?』
『はい。でも覚えているのは本当に僅かです』
『へぇ……もしかして自分が倒される瞬間とかか?』
『倒される……あれ? そういえばなんかおかしいです』
『うん?』
『私、実際に木曾さんにそう言われるまでそうして元の姿に戻ったと思っていたんですけど、何故かまだ深海棲艦の姿で
『榛名……?』
木曾は何となく嫌な感じ、特に寒くはないのに自分の体温が下がった気がした。
そんな感覚に陥らせた原因は言うまでもなく榛名だった。
見ると彼女は何か重要なことを思い出したらしく、顔を俯かせて額に手を当てていた。
『おい、大丈夫か? 痛むのか?』
急な雰囲気の変化を心配した木曾だったが幸いにも榛名は彼女の言葉に反応してこちらを向いてくれた。
向いてはくれたのだが……。
『は、榛名……?』
この時木曾が見た榛名は初めて見る顔をしていた。
榛名は基本優等生かつ健気な性格で、よほどのことがない限り敵対する者以外には怒りという感情を見せることはない。
だがこの時の榛名はそれをあろうことか仲間である木曾に見せていた。
『木曾さん……私ちょっとだけ思い出しました』
『お、おう?』
『私、提督の艦隊と戦った時、すっごく納得がいかない負け方したんですよね……。ああそっか、だから私此処の記憶も……』
誰と戦ったかまでは思い出せなかったが、深海棲艦の時、確かに「これまでか」という敗北を覚悟した瞬間が確かにあった。
自分たちの常識で考えるならその次に来るのは、大抵轟音や高熱と共に意識が持っていかれるというような最期なのだが、自分の場合は違った。
彼女が覚悟した瞬間次に感じたのは、とても艤装の攻撃による被弾音とは思えない鈍くて妙に生々しい
『…………』
木曾はギリッという歯の軋る音を聞いた時、彼女はそれは自分が無意識に鳴らした音かと勘違いした。
その時は目の前に榛名もいたのだが、木曾は彼女が歯軋りをしたとは全く考えなかった。
それくらい少なくとも木曾の中の榛名は、そういう仕草とは縁遠い人物だと思っていたのだ。
……思っていたのだが。
『えっ』
再びギリッという音がした時、とうとう木曾はそれが自分が鳴らした音ではないことに気付いてしまった。
『!!』
歯軋りの音を立てていたのは榛名だった。
彼女は今思い出した記憶の中で自分が『誰か』に馬乗りになって殴られたり、果てはその『誰か』に対する恐怖心からちょっとした一言にも過敏に反応して泣きべそをかいている自分を見ていた。
まだ元の姿ではなく威圧感のある敵としての姿のままだったので、そんな姿で敵に恐怖し、挙げ句の果てには泣いているというその光景は、戦いが本分である誇りある艦娘にとってはかなり屈辱的な光景であった。
「…………」
ここまでの事を榛名はその時、額の幻痛と一緒に思い出した。
そして彼女は更に思い出してしまった。
今自分が何という言葉に反応して起きてしまったのかを。
『羽黒』
具体的にどうするかは決めていなかったが、榛名は自分の身体が勝手に動くのに任せて無言かつ静かにベッドから降り立ち寝間着の帯をきつく締め直した。
そして厳しい表情に何やら双眸に謎の決意の炎を滾らせるとその場を去るのだった。
所変わってちょうどその時食堂では、羽黒と皐月と電が一緒に食事を摂っていた。
因みに羽黒は先の捕虜に対する監督不行届の件で大淀と鳳翔にこっぴどく叱られて少しテンションが低かった。
「あ、羽黒さん。僕さっき大淀さんから聞いたんだけど、新しい
どんどん充実していく拠点に増えていく仲間、そんな展開を心から嬉しそうな表情でご飯を頬張りながら言う皐月。
隣では電がそんな口に物を入れた状態で喋る彼女を注意しながらも、やはり自分も嬉しそうな顔をして言うのだった。
「あ、それは電も聞いたのです。えっと、確か……戦艦と軽巡の艦娘の人なのです」
「戦艦と軽巡……?」
何故かは解らないが妙な既視感を覚えるその構成に羽黒は興味を持った。
「
「賑やかになるだけじゃないのです。いろいろな事が良くなっているのです」
「うん、そうだね! まだあの人が来て4日しか経っていないのに本当に凄く変わってきたよね!」
羽黒はそんな駆逐艦二人が楽しく会話をする光景が落ち込んだ自分の気分も癒やしてくれるに事に感謝しつつ、頭の中では先程聞いた新しい仲間のことを考えていた。
(戦艦と軽巡……。誰だろう。私と気が合う人だと良いな)
この僅か数分後にその気にしていた事の半分が判明することになるのだが、当然ながら羽黒がそんな事を予想しているはずもなかった。
次は羽黒vs榛名かな