この話は一緒に読んだ方が分かりやすいと思ったので、二話同時投稿です。
難産でした。
あの日、二人で星を見ていた。
「――僕は正しく成ろうとして間違い続けた。間違いを正そうとして際限なく間違いを重ねた。そうして、どうしようもなく行き詰まった果てに、都合の良い奇跡を求めたんだ。見えない月を追いかける…暗闇の夜のような旅路だった――」
それでも、俺は切嗣に救われたんだ。だから
だから俺は約束した。少年が抱く、夢物語のような理想を。
しかしどこか、それはいつかの光景とは違った。
中庭の塀の壁際。黒の人影のようなものが立っている。
「正しく成ろうとすることが間違いのはずがない。俺が、間違いになんてさせないからな…!!」
影は音も無く、動作も無く、いつの間にかこちらに近づいている。
その影には、顔が無かった。
「そうだな…それなら、安心だ」
切嗣との会話が途絶えた頃には、影は俺の一寸先にたどり着いていた。
《ウラギルのか?》
「!?」
《お前は、裏切るのか?》
それだけを呟くと、影は最初からそこにいなかったかのように、消え失せていた。
「ここは…」
見開いた目に映る景色は、見慣れた景色。冬木に構えた、衛宮の屋敷の正門だった。
俺は、あの黒い影に飲み込まれて…それから、意識を失って気が付けばここにいた。
だがここが俺が元いた世界だなんて事はありえない。ここには見覚えのある世界が広がっているが、それらには現実感がまるで無かった。
日食のように暗い太陽。屋敷を覆う黒い影。そして、自分以外に誰も人がいない世界。
いや、自分以外に誰もいないというのは、間違いだ。
目の前に立っている、俺を引きずり込んだこの空間の主。
鎧を纏った人物の顔は兜で見えない。だが、どれだけ変貌を遂げようとも間違うはずは無かった。
その髪飾り、そして彼女の存在を。
「………」
ただ静かに、最初からそこにいたかのように彼女は存在した。
「桜…なんだな?」
「はい、先輩。お久しぶりです…ずっと、会いたかった…」
正直なところ、信じがたかった。信じたくなかった。会いたいと願っていたはずなのに、まさかこんな形で再会することになるなんて…。
「カードを、使ったんだな」
彼女が纏っている威圧感は、かつて幾度となく戦った英霊そのものだ。
「はい、バーサーカーのカードです」
「――今度こそ、そのカードで俺を始末に来たのか?」
新たなカードを手に入れる手段なんて、エインズワース家との繋がり以外に無い。ならば、カードを持っている理由なんて俺を始末する事しか考えられない。
「おかしな先輩…。
「え…?」
だがその考えはあっさりと否定された。
「先輩の事が大好きだから、私が守ります。あの時、そう言いましたよね?私、強くなったんですよ?この場所には、先輩を傷つけるものはいない。先輩が苦しまなくてもいい。先輩が戦わなくたって良いんです」
桜の足元から黒い帯のようなモノが現れ、周囲を這い回る。
「だから私とずっと、この空間にいましょう、先輩。あの神父さんに、聖杯戦争の決着は聞きました。もう先輩は、頑張らなくても良いんです」
……彼女を追い込んだのは、俺だ。俺は桜の手をとらなかった。それでも桜は、俺を思ってくれていた。
「それは…出来ない。俺は妹を、美遊を助けるためにこの力を得た。この命の使い道は、とっくに決まってるんだ」
俺には、彼女と共に生きる資格が無い。
視線を落とせば、自身の浅黒くなった腕が目に入る。もはや血すら鉄に変わりつつあるこの体では、いつまで俺が俺でいられるかも分からない。
「――――クスクスクス、クスクスクスクス…」
笑い声につられ、顔を上げる。黒い帯が桜の感情の高ぶりに反応するように、悶え暴れている。
「非道いです先輩。私、ずっと待っていたのに。少し、怒っちゃいました…お仕置きが必要ですね」
膨れ上がる殺気に、俺は反射的に意識を切り替える。
「ッ…!、
使い慣れた愛剣、干将・莫耶。だが、それを投影した瞬間に双剣は俺の手から離れていた。
「なん…!?」
飛翔した干将・莫耶は、桜の手の中に収まっていた。
「ムダですよ?この空間にいる限り、あらゆる武具は全て私の所有化です」
感覚的に分かる。あの剣は、もはや俺の物では無くなっていた。
「ガッ……!!」
何度投影しても、どんな剣を投影しても結果は一緒だった。そのたびにその全てを奪われて、その刃はただ俺を切り裂く為に使われた。
回避だけに専念しても、桜の
鼠をいたぶる猫のように、あるいは羽虫を叩き落とす人間のように。どちらが優位かなんて分かりきった、それはもはや戦いとも呼べないものだった。
限界はすぐに訪れた。不可避の斬撃が迫る。だが、唐突に桜と黒い帯の動きがピタリと治まる。
「攻撃が…止まった?」
「……違ウ」
「ワたしは、こんなことヲ…センパイを傷つける為に強くなっタわけじゃないのにッ!!!!」
「桜……」
彼女は…まだ救われていないんだ。まだ、俺がいなくなった時から、桜は前に進めていない。それでも身に秘めた狂気と抗い戦っている。
苦しんでいる桜を助けたい。俺はそう思った。だが、また俺は誓いを捨てるのか?
切嗣の
それを捨てて、また
「A――Auurrrrrrッッ!!!!!」
「バーサーカーに呑まれたのかッ!クソッ、桜ッ……!!」
桜の周りを黒い霧がドーム状に包む。一見すると、セイバーとの戦闘時に見た視覚化した濃密な魔力の塊に似ているが、あれはもっと危険なものだ。
あれに踏み込めば、間違いなく取り込まれる。そんな確信めいた警鐘が脳裏に響いている。
どうすればいい?
彼女をなんとか出来るのは、今この場で自分しかいない。だがあの霧に立ち入れば、全てが終わってしまうかもしれない。
焦りを募らせていると、背後から声が聞こえた。
「うん、間近で見ると中々の迫力だね。確かにあれは、良くないモノだ」
「!?」
白いコートを纏った、どこか人間離れした雰囲気の男が振り返った場所には立っていた。
焦っていたとはいえ、確かに人の気配は先程までは無かった。この男は、突然そこに現れたのだ。
敵なのか味方なのか、そう問いたげな俺の視線に気が付いたのか、男は微笑みを顔に貼り付けたまま語りだした。
「怪しい者じゃないよ、私の事は花の魔術師とでも呼んでくれたまえ。…本来なら、この
……正直な感想を言えば、胡散臭い。けれど、今は他に手段が無い。この空間で投影した武具は全て所有権を奪われる。それをなんとかしなければ、桜を救う事は出来ない。
「あの霧をどうにか出来るのか?」
男が歩くたびに、そこには花びらが咲いた。そして、男はその花を手に取って慈しむように眺めている。
「私が生み出す花は、本当にただの花だからね。武具として奪い取る事は出来ないさ。この空間を満たす魔力を消費して花びらに変えてしまえば、君の剣が奪われる事も無いだろう」
さっき、この男は俺の事を見ていたと言った。遠見の魔術か何か、恐らく外の世界とは隔絶された結界内であろうここを覗く事が出来るなど、並大抵の技量の魔術では出来ない事だ。
確たる証拠は無いが、この男は本当に今言った事が可能なのだろう。
「それで、覚悟は決まったかい?」
にこやかに笑ってはいるが、どこかその声はある種の期待に満ちていた。楽しそうで、その傍観者めいた目は既視感のあるものだったから、俺は思わず苦笑してしまった。
「ああ……、簡単な事だったんだ」
俺にとって彼女は…魔術師でもなく、正義の味方でもない。ただの衛宮士郎でいられる場所だったんだ。
俺には桜が必要で、彼女のいない暮らしでは胸の奥底に空いた穴は埋まらなかった。
ならば俺は再び、自らを裏切ろう。
そしてもう一度、この身に誓おう。
「さぁ、いくよッ!」
男は携えていた杖を地面に穿つと、詠唱を初めた。
「星の
「これは……」
「今回は特別仕様さ、こっちの方が君らには合っているだろう?」
空間に満ちる魔力は消費され、無害な花びらに変わっていく。
それは大量の桜の花。
昏かった空間に、暖かな陽射しが降り注ぐ。
陽光と幻想的な花弁の親和に、戦いの場だというのに俺は思わず目を奪われてしまった。
「ああ――素敵ですね」
いつの間にか桜を覆い隠していた黒い霧をも、姿を花へ変えて降り注いでいた。
先程までの狂気が嘘のように、桜もその光景に見惚れていた。
「先輩と一緒に見たかった…この一面の…」
彼女の目元はバイザーで隠れているが、その仮面の下に液体が流れ落ちる。
「サクラ吹雪…」
流れているのは、涙だった。
瞳が見えなくとも、桜の言葉から察せられる心情は諦めと悲しみ。
手を伸ばして伸ばして、それでも手に入らなかった物を惜しむ。そんな声だった。
だから俺は、自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「俺は、桜が好きだ」
俺が守りたいもの、俺にとって大切なもの…。
それをこれ以上泣かせたくないのなら。
覚悟を決めるんだ、衛宮士郎。
「俺は全てを救う正義の味方にはなれなかった。妹を救う為には、君だけの正義の味方になるわけにもいかなかった。そんな半端モノの俺でも、ひとつだけ分かる」
傷ついた体に力を入れ、一歩ずつ前へ足を踏み出す。
「自分の愛した者を守りたいって思う事が、間違いの筈がないんだって…!!」
彼女との出会いが、一緒に過ごした時間が、彼女の笑顔がフラッシュバックする。その全部が、かけがえのない思い出だ。
ただ理想を追い求めるだけの機械のようだった俺が変われたのは、
ありがとう、切嗣。俺を引き取って育ててくれて。
ありがとう、美遊。こんな俺を、兄と慕ってくれて。
ありがとう、桜。俺を…ただの衛宮士郎に戻してくれて。
桜との距離が近づいていく。
「そんな力に、もう縋らなくて良い…」
投影するはあらゆる魔術を破戒する刃、
これならば、桜の
「だから……」
この寒い冬を乗り越えて、新しい春になったら……、
「ふたりで…いや、みんなで。桜を見に行こう」
手も触れ合えるようなところまで、既に距離は縮まっていた。
「セ、ン…パイ―――」
桜を抱きしめるように、俺は刃を彼女の胸に突き立てた。