お互いの自己紹介を終えた後、一刀たちは床の上に腰を下ろして雑談に興じていた。
「それにしても、リンちゃんがお兄さまお姉さまとか親しげに呼ぶだなんて。早々と真名も許してるみたいだし、先生びっくりです!」
「それは……お兄さま方には命を救っていただき、鄧家の仇討ちまでしていただいたのです。そのご恩に報いるため、私が差し出せる精一杯のものを捧げたまでです」
「だとしても躊躇なさすぎですよ!」
陳震は両腕をぱたぱたと振りながら喋り、それから一刀の顔をチラ見する。
「幸い、一刀さんたちが善良な方々で良かったですけど……リンちゃんはちょっと警戒心が足りないと、先生は思うのです」
「そうでしょうか?」
「そうですよ! リンちゃんはこれから鄧家を背負って立つ身なんですから、人を見る目を養って、疑うべきは疑う心構えが必要なのです!」
「そうですね。でも、そこは小萌先生が補ってくれると信じてますから大丈夫ですよ」
「むぅ、そんな事を言われても先生は誤魔化されないですよ! ま、まぁでも、その気持ちは嬉しくない事もないのです。だから、リンちゃんは先生がしっかり面倒を見てあげますね!」
自らの胸に手を当てて上機嫌に請け負う陳震を見た一刀は、
(チョロすぎるだろこの子……俺はリンよりこの子の方が心配だ)
と、すっかり保護者の気分で考えていた。
(まあまだ幼いし純真なのは無理もないか……ってあれ?)
一刀の胸中にふとした疑問が湧く。
「そういえばさ。陳震って歳いくつなんだ? リンの先生で世話役だったって話だけど、正直リンより年上には見えなくってさ……」
女性に歳を聞くのは失礼かなと一瞬思うも、相手は幼女だし問題ないだろうと考えて質問する一刀。
その問いに誰よりも早く反応したのは当の本人ではなく、鄧艾だった。
「お兄さまは何歳くらいだと思ってるんですか?」
「俺? うーん……家庭教師してたって事は多分リンより年上だろうから……十二歳くらい?」
単純に見た目から推測すれば鄧艾と同じか少し下。せいぜい8歳か9歳位にしか見えない。
だが鄧艾ほど賢い子の学問の師になるからには、例え陳震が不世出の天才級だったとしても同い年以下という事はない。
頭の回転がいくら速かろうと、他人に教えられるまでの学を身に付けるにはそれなりの年月が必要となるからだ。
外見の幼さと学修に必要な年月。その二つの整合を取った結果が、現代日本における小学生の上限齢、十二歳という結論であった。
一刀の回答を聞いた鄧艾は手で口元を隠し、陳震に視線を向けてふふっと含み笑いをする。
その行動を見た陳震がうんざりした表情でため息をついた。
「まったくこの子はー……あの、一刀さん。私はこう見えても成人してるんです。もう大人なんですよ!」
「へ……成人? 大人!? ま、マジですか!?」
思いもよらない真実を聞かされ、吃驚して聞き返す一刀。
「マジもマジですよ。というか、私を見た人は大体みんな今の一刀さんみたいな反応するんです。ちょっと体が小さいからって、まったく失礼しちゃいますよ! ぷんぷんです!」
むうっと頬を膨らませて抗議する陳震の姿はどう見ても幼児である。
ピンク色の髪といいロリバ……外見詐欺っぷりといい、キャラ立ちすぎだろこの幼女、と一刀は思った。
「そ、そうですね。俺も誤解しててすみませんでした、陳震さん」
「いえいえ、わかってくれれば良いのです。若者の間違いを赦すのも年長者の! 度量ですし」
胸を張って年長者を強調するあたり、だいぶこじらせ……コンプレックスなんだろうなあと一刀はしみじみ思った。
「けどまあ、陳震さんが大人だったって分かって、リンが家宰に任じた理由がようやく解りましたよ。リンの友人だからってだけじゃなかったんですね」
いくら信頼できて能力があっても、幼女に家の取り纏め役が務まるのか。
そういう疑問というか不安が一刀にはあったのだ。
何せ人間は外見で判断する生き物である。たとえ有能だろうと上司が幼女では、命令される大人の部下たちは釈然とするまい。
だがそれが成人済みの才女であれば、見た目幼女であってもぎりぎり最低限の理解や忠誠は得られるのではないか。
一刀はそう考え、鄧艾の人事に納得した。
「ああっ、それ! それですよ一刀さん! 家宰の件、すっかり忘れてたのです!」
ずびし! と一刀を指差して血相を変える陳震。
鄧艾が「思い出してしまったか……」とでも言いたげな顔でこっそりため息をついた。
「リンちゃん! 先生が鄧家の家宰にってどういう事なんですか! きちんと説明してください」
「……仕方ないですね。では説明の前にお聞きしますが、小萌先生は鄧家の現状をどれくらい把握されておりますか?」
「えっ? それは……リンちゃん以外の皆さんが亡くなって、色々と大変だって事くらいしか……」
まだ塞がってない傷口に指を突き刺すようなセンシティブな話題であるため、遠慮がちな口調で答える陳震。
鄧艾が軽く頷く。
「その通りです。より正確に言えば、現在の鄧家には私兵はおろか、家人すら一人もいない状態です。近いうちに李厳おじさまが人を派遣してくれる事になってはいますが、その者たちに全てを任せるわけにはいきません。私に教えを授けてくれた小萌先生なら、理由はわかりますね?」
毅然とした表情と口調で鄧艾が説明すると、陳震は納得した顔で頷いた。
「もちろんです。外様に家政を牛耳られる愚を避けたいんですね? しかしなるほど。それで先生を家宰に……良案、というよりも、それしか方法がない、といったところですかー」
「はい。我が家の窮状、ご理解いただけましたか」
「理解はしましたし、リンちゃんの力にもなってはあげたいですけど……先生みたいなちんちくりんの若造に家宰なんて大役が務まるでしょうか……結局、家人の誰も先生に従いませんでした、では意味がないのですよ」
「その恐れは確かにありますが……たぶん、大丈夫です。先生は誰からも好かれる方ですから。どうか自信を持って私を助けてください」
「り、リンちゃん……そこまで先生の事を……。わかりました! 鄧家の家宰、責任持って先生が引き受けちゃいます! リンちゃんは大船に乗った気で先生にどーんと任せるのですよ!」
鄧艾の言葉に発奮した陳震は勢いよく立ち上がり、ばん、と自分の平たい胸を叩いた。
だが強く叩きすぎたのか、すぐにケホケホと咽って座り込む。
うーん、この人いちいちチョロ可愛いなぁ……と一刀は微笑ましい気持ちになった。
そして、こんな人が上司なら「自分が支えてやらないと!」と皆が考えて、案外組織も上手く回るのではないか……と予想した。
実際、その推測は間違ってはいなかったのである。
陳震の家宰就任が正式に決定し、職務内容や職責などの細かい段取りを打ち合わせる。
その話し合いが終わった頃には日が高く昇り、昼食の頃合になっていた。
一刀の腹がぐう、と鳴る。
「……そろそろ昼か。みんな、昼食はどうする?」
ややバツの悪い顔でポリポリと頬をかきながら尋ねる一刀。
「話は纏まりましたし、先生はいったん家に帰ります。鄧家に居を移す準備をしないとですし」
まずは陳震が答えた。
ここで言う居を移す準備とは、陳震のみならず陳一家が鄧家の屋敷に引っ越すためのものだ。
陳震の唯一の泣き所である老いた父母の問題を解決するため、打ち合わせでそう決まったのである。
現在の鄧家は人が少なすぎてガラガラなため、家族ごと雇って住まわせるという無理ができたのだ。
なお陳震の父母には負担の少ない軽作業などを請け負ってもらう予定だ。
「私は酒のつまみになる物があれば何でもいいかなー」
「食料はありますが、調理する者がいませんね……となると、保存食ですか」
萃香はいつものお気楽ぶりで答え、鄧艾はあまり気が進まないといった顔で意見を述べた。
萃香が鄧家一行の荷物を全て回収した上、倉にも穀物など日持ちする食材が残されていたため食料自体はある。
だが鄧艾が言ったように調理人が不在なので、現実的に用意できそうな食べ物が干し肉などの保存食くらいしかなかった。
いちおう一刀と陳震はそれなりの料理スキルを有していたが、前者は古代中国の食材に不慣れ、後者は帰宅予定で役に立ちそうになかった。
「それでしたら、先生が昼食を作りましょうか? 一刻を争うほど時間に余裕がないわけではないですしー」
食事事情の悪そうな三人を見捨てて帰ることに気が咎めたのか、苦笑しつつ申し出る陳震。
その提案に鄧艾は少しばかり考え込んだが結局、首を小さく横に振った。
「……いえ、ご厚意はありがたいですが無用に願います。些事で小萌先生にお時間を取らせたくはありませんから」
遠慮している態の鄧艾の台詞だが、意訳すると「そんな事よりもさっさと帰って準備済ませて出仕はよ!」となる。
教え子の意図を正確に読み取った陳震は苦笑をより深くして立ち上がる。
「わかりました。じゃあ、先生はここでお暇しますね。一刀さん、萃香さん、私は明日の夕方までには引っ越してこれると思うので、それまでリンちゃんの面倒をよろしくお願いしますです」
「もちろん、任せてください。陳震さんも自宅まで気をつけてお帰りを」
「あいよー」
快く了承した一刀と萃香に向けて陳震はぺこり、と深めの一礼をして、部屋を去っていった。