こちらは前編です
結果として鄧艾てこ入れ回になったような……
一刀たちが鄧屋敷に住み始めた初日の夜。
夕食後、一刀と萃香は鄧艾の私室を訪れ、三人で会議を始めようとしていた。
なお会議の眼目は今後の目的や活動方針を定める事である。
「それでは北郷党の今後について話し合いたいと思います」
まず初めに鄧艾が口火を切り、会議の開始を宣言した。
ちなみに参加者の三人はテーブルを挟んで向かい合うように座っている。
一刀の隣に萃香、正面に鄧艾という配置だ。
「いやちょっと待って。北郷党ってこの集まりの名称? 俺が党首なの?」
しかし会議は始まらず、一刀のツッコミが入った。
「はい。できればお兄さまに私たちの代表を務めていただきたく……」
「えぇ……まあ、やれと言われればやるのはやぶさかじゃないけど、俺を代表に据える理由は? この家の当主はリンだし、個人的な実力で言えば萃香の方が代表に相応しいと思うけど?」
「お兄さまの仰る事はごもっともです。もちろん、鄧家の代表という意味では私が当主として振舞いますが……今後、お兄さまが何か大きな事を成そうと考えておられるなら、私はそれを支える立場でいたいのです」
一刀には今後の方針について腹案があった。
鄧艾の意見はまるでその考えを見透かしたかのようで、一刀は図星を指された思いで内心どきりとした。
「……確かに目的っていうか、こうしたいって考えてる事はある。リンがそれを手伝ってくれるって言うならありがたいし、嬉しい。だけど、リンにだってやりたい事とかあるんじゃないのか?」
むしろ立場や道理で言うなら、食客であり年長者の一刀の方こそ鄧艾の補佐をすべきである。
「いえ……正直、私にはお兄さまのお手伝い以外、これといって目的も、したい事もないのです。鄧家の当主という立場だって、私にとってはお兄さま、お姉さまのために利用すべきものでしかありません」
献身的ではあるが、無情でもある物言い、割り切りに、一刀は絶句する。
「…………。なんで、そこまで」
「……だって、私たち、“家族”じゃないですか」
鄧艾は僅かに頬を紅く染め、恥ずかしそうに言った。
冷徹な面を見せた直後なだけに、鄧艾の愛らしいその反応は一刀の男心を深く抉った。
(こ、これがギャップ萌えか……! 実妹を持つ俺にここまで「妹っていいな」と思わせるなんて……リン、恐ろしい子!)
思わず胸を押さえて過呼吸気味になる一刀。
ちなみにツンデレ実妹を持つ一刀はシスコンではないし、妹に幻想を抱いてもいない。
いきなり挙動不審になった一刀を見て、鄧艾が心配そうに声をかける。
「あの、お兄さま? 大丈夫ですか……?」
「あ、ああ。大丈夫だ、問題ない」
一刀は一度深呼吸して平静を取り戻す。
「ともあれ、リンの言い分はわかった。家族として、遠慮なく甘えさせてもらうよ」
「はいっ。いくらでも私を頼ってくださいね、お兄さま」
「ああ、ありがとう。……ところで、萃香はそれでいいのか?」
一刀は隣へと顔を向ける。
萃香はダルそうな表情でテーブルの上に突っ伏していた。
会議の参加者としては不真面目極まりない態度だが、飲酒してないだけマシかもしれないと一刀は思った。
「別にいーんじゃない? 私も特にやりたい事はないしねぇ。酒が飲めさえすればそれで。というか、人間を率いるのは人間であるべきだよ」
眠いのか、とろんとした半眼で萃香は言った。
萃香の意見は適当なようでいて、本質を突いているなと一刀は思った。
「お姉さまの仰る通りです。私やお兄さまならともかく、普通の人はお姉さまに従うのを善しとはしないでしょう。たとえお姉さまがその圧倒的な力を見せつけたとしても、です。……まあ、強引に力で従わせる事は不可能ではないでしょうが、いずれ破綻するのは目に見えてます」
人間とは異質なもの、未知なものを排斥したがる生き物だ。
いかに強大な力を持つ個人であろうとも、異種族であるという時点で、萃香は人々の指導者にはなれない。
善良な人間であり、萃香を身内と思っている一刀でさえ、その理屈を否定できなかった。
「……そうだな。その通りだ。俺がやるしかない。何かを為すなら、その責任は自分で取らないとな」
まるで自分に言い聞かせるようにして、一刀は呟くように言った。
「その意気です、お兄さま。……それで、お兄さまの為さりたい事とは?」
「考えてる事は二つある。一つは……元の世界に戻る方法を見つける事だ」
当然と言えば当然だが、日本に帰りたいという望郷の念は強くあった。
大事な物は失ってから気付くと言う。
日本での平和な日常がどれほど貴重で素晴らしいものだったかを、こちらの世界に飛ばされてから強く実感していた一刀だった。
「それは……」
鄧艾の表情が悲しげに曇る。
それも当然で、一刀が故郷……日本に戻るのは、鄧艾と離れ離れになる事を意味する。
そうなれば、確実ではないが萃香も一刀に付いていくだろう。
聡明な鄧艾にはその未来が容易に予想できた。
出会ってまだ二日とはいえ、鄧艾が一刀たちに向ける愛着は強い。
何せ全てを失った直後に得た、奇跡のような縁だ(と鄧艾は思ってる)。賢いとはいえ人生経験に乏しい鄧艾が入れ込むのも無理もない事だと言えた。
いわば
一刀は鄧艾のそうした反応を予想していたが、言わねばならない事だと決意して伝えたのだ。
しかし、いざその状況に直面してみるとやはり罪悪感が凄い。
一刀は申し訳なさそうな顔で詫びる。
「ごめん。ここまでリンに関わり、世話になっておいて、こんな事を言うなんて不誠実だよな。だけど俺は故郷に帰りたいという気持ちを偽れないし、巻き込んだ萃香に対しても責任がある。だから戻る方法を探す事は諦められない」
「お兄さま……」
鄧艾は一刀の言い分を道理だと理解できた。
納得は……できそうになかったが。
「で、だ。そのときはリンも俺の故郷へ連れていきたいと思ってる。もちろん、リンが望むのなら、だが……」
と、一刀は悩ましい表情で言った。
こちらの世界の住人である鄧艾を日本へ連れて行くべきかどうか。連れていって良いのかどうか。
それは一刀が最も葛藤した問題だった。
常識良識、そして連れていった場合に発生する困難を思えば、それはとんでもなく無責任な暴挙だと一刀は考えている。
だが、鄧艾の特殊な生い立ちと背景を考えた場合、その選択もありというか、その方が幸せになれるのではないかと判断したのだ。
鄧艾を連れて戻った場合、戸籍問題など多くの障害が立ちはだかるだろう。
だがそれは何とかなると一刀は楽観していた。
萃香の助力が期待できるだろうし、鄧艾が望めばだが、
家族にもきちんと説明すれば北郷家の一員として迎え入れてくれるはずだ。
案外、あのツンデレな妹などは「妹ができた!」と喜ぶかもしれない。
解決の根拠が他力本願ばかりなのが情けない所だが、とにかく一刀はそう考えて提案した。
一刀の申し出は思いのほか心に響いたらしく、鄧艾がぱっと表情を輝かせる。
「絶対についていきます!」
「そ、そう?」
「はい!」
食い気味に返答する鄧艾。
その勢いと即断即決ぶりに一刀は困惑しつつ尋ねる。
「で、でもいいのか? たぶん、陳震さんとも二度と会えなくなるんだぞ」
「それは……はい。悲しくはありますが、割り切れます。だって……もし劉表の企てがなく、鄧家が野盗に襲われなかったら。私は潁川郡に居を移して、小萌先生と会う事はなくなっていたでしょう。もちろん、遠いだけで断絶してる訳ではありませんから、いつか再会する可能性はあったでしょうが……」
遠くを見るような、切ない顔で理由を話す鄧艾。
もしの未来の孤独を想像して、寒々しい気持ちになっていた。
鄧艾にとっては、陳震は結局、自分を捨てた側だという思いがある。
捨てたは言い過ぎにせよ、事実として自分より父母の側にいる事を選択したのだから。
むろん、その事で陳震を恨むつもりはないし、信頼や好意が目減りした訳でもない。
真名を預けあったとはいえ、結局は他人同士。究極的にどちらかを取るかの選択を迫られれば、家族を選ぶのは当然である。
だから悲しいというよりは、空しい。
自分には小萌先生にとっての父母のような相手がいない。
母とは死に別れて顔も知らず、父には疎まれている。叔父は自分を可愛がってくれるが、家族という感じではない。
つまり自分は、この世界のどことも確たる繋がりがない、空っぽの存在……
そう思っていた。
その
そして今このとき、この縁が確たる繋がりだとお兄さまが証明してくれた。これは切れない、切らない絆なのだと。
天の世界に只人を連れていく。
それは重大で困難な選択だと、提案時の苦悩の表情を見れば想像できた。
にも関わらず、お兄さまはその道を示してくれた。
責任感や恩義もあったにせよ、それだけ自分を大事だと、手放したくない家族だと思ってくれたのだろう。
私はついに核たる
これでようやく人形から人間へとなれた気がする。
ふふふ、こうなったら一生離れませんからね、お兄さま。
わたしを人にした責任、ちゃんととってもらいますから。
一刀が背中にゾクリとした悪寒を感じたかどうかは定かではない。
核たる自分 の核は誤字ではありません
最後の方、鄧艾の一人称語りが長いですがご容赦ください
基本三人称で時たま一人称の独白が混じるのは(手法的に)割と普通なんですが、一言二言ならともかく、長いと読者様が混乱するかなと
鄧艾の真名を「穹」(そら)に変えるべきかとちょっぴり悩んだ